「中学生日記より」その2 「冬季五輪と猪谷千春」
昭和31年2月1日(水)、
雨、起床 5時40分、
「(午前)5時55分のニュースで 猪谷千春選手が (スキー 回転で) 第2位になったそうだ。
第1回目の出場では 11位、それから 今(回)の2位、宮尾選手が 28位、
日本も 大ぶ よい成績だ。
日本は これまで 5回、冬季オリンピックに出場したけれど 第3位までにはいって 日の丸の旗を ささげた(あげた)のは 始(初)めてだ。
猪谷選手、ばんざい。
第7回 冬季オリンピックで 日本出場5回目に 日章旗をあげた」
1956年(昭和31年)1月26日から2月5日まで イタリアのコルチナ・ダンペッツオで開催された 第7回冬季オリンピックの 「回転」で 猪谷千春が 銀メダルを獲得、冬季五輪日本人初のメダリストになったことを 書いていたのだ。
当然 ビッグニュースだったはずだが 当時はまだ ラジオのニュースや新聞で知る程度で 昨今のような盛り上がりは無かったような気がする。
後年 冬季五輪の特集等の度に語られる猪谷千春の功績、
当然熟知していたM男だったが 自らの日記帳を覗いてみるまでは すっかり忘れていて それが 中学生の時の出来事だったことに 気が付かなかった。目から鱗である。
その大会では 当時のアルペンスキー種目 「回転」、「大回転」、「滑降」、全てで 金メダルを獲得、史上初、3冠に輝いた オーストリアのトニー・ザイラーがいるが M男は 猪谷千春のニュース程度しか 掴んでいなかったようだ。
その後 トニー・ザイラーは その美男子ぶりを買われて 映画界に入り 「白銀は 招くよ」等の映画に出演、一世を風靡したものである。
M男にとって 「冬季五輪」と言えば 今でも 「猪谷千春」と「トニー・ザイラー」が 先ず 脳裏に浮かんでしまうから困ったものだ。
昨今の冬季五輪、日本も スキージャンプ(男女)、スピードスケート(男女)、フィギュアスケート(男女)、ショートトラック、カーリング等々、メダル獲得数を予想する時代、隔世の感有りだ。