図書館から借りていた 三浦綾子著 「細川ガラシャ夫人」 (主婦の友社)を 読み終えた。
昭和48年1月から昭和50年5月まで 「主婦の友」に連載された 三浦綾子の初めての歴史小説であるが、
各地で取材、参考文献も30冊以上と、しっかりした時代考証も為された小説で 読み応え有る作品だ。
数年前まで 読書の習慣等無かった爺さん、もちろん 三浦綾子作品を読むのも初めて。
長編小説とて、果たして 最後まで読み通すことが出来るのか 不安も有ったが、
明智光秀の人柄を描く物語から始まり その子供で、主人公 細川ガラシャ、実名 玉子(お玉)が いかに育ち、「政略の道具」となり 細川忠興に嫁ぎ、父親光秀が信長を討ってからの試練の日々、洗礼を受けるに至る過程、石田三成の人質になることを拒み キリシタンとして死を選ぶまで 史実に基づいたドラマチックな展開に引き込まれて 一気に読み終えた気がする。
三浦綾子著 「細川ガラシャ夫人」
歴史上の人物は 視点が変われば 評価が変わるものだ。
明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、細川家(細川藤孝幽斎、細川忠興、細川ガラシャ)、高山右近、千利休、徳川家康、石田三成・・・、
著者が描く 強烈な個性あふれる人物像には 目を見張る。
石田三成は 諸大名の奥方等を人質にとる強行に出て 細川忠興出陣中、細川家の玉子にも有無を言わさない人質命令を下し、攻めてきたが 玉子はこれを拒み、慶長5年7月17日の夜 細川邸は 轟音を発して火炎包まれ 玉子、洗礼名 細川ガラシャは 38歳の生涯を閉じた。
石田三成は 細川ガラシャが 壮烈な死をもって人質になることを拒んだことに驚愕し 人質をとることを止めたが 細川ガラシャの死は 全国を感動させ 三成への反感が高まり、結果として 徳川方の士気を鼓舞、結束が固くなり 天下分け目の関が原の合戦において 徳川方を勝利に導いた一因になったとも言われている。
お家が大事、細川忠興は 玉子の死後 45年生きて83歳で死去。3代の将軍に仕え、細川家を不動の地位にした。玉子の死後、妻を迎えていない。
巻末の「おわりに」で 著者は、
「逆臣光秀の娘という恥を見事に雪ぎ 立派な最期を遂げた玉子のことを思うと わたしはふっと あのホーソンの「緋文字」の女主人公が浮かぶ。(中略)。その主人公は 信仰と善行とによって その緋文字を罪の印から尊敬の印に変えてしまったことを思う。・・・」
と述べている。