図書館から借りていた 諸田玲子著 「梅もどき」 (角川書店)を 読み終えた。
江戸幕府草創期、徳川家康の寵臣 本多弥八郎(本多上野介正純)が亡くなった寛永十四年(1637年)を起点にした
過去を振り返る巧みな構成の時代小説、
長編であるが 諸田玲子氏の退屈しない書き方と小気味良い展開で
最後まで飽きずに 一気に読める書だ。
諸田玲子著 「梅もどき」
主人公は 豊臣秀吉の従弟で 越前国北ノ庄城主 青木紀伊守一矩(青木勘七)の一人娘 お梅。
お梅は 大阪屋敷で暮していたが やがて 関ヶ原の戦いとなり、豊臣方だった父親を亡くす。
大阪から京都へ逃れ 九死に一生を得るが、徳川とも遠い縁者であったことから
なんと伏見城に上がり 敵方の徳川家康の側妾となるが、
家康は 家康の寵臣 本多弥八郎に お梅を下賜る。
大阪夏の陣、冬の陣後 家康に従い駿河へ下ったが、やがて家康が他界、
本多弥八郎(本多上野介正純)は 2代将軍秀忠とその側近には疎まれ
宇都宮事件後に 改易、東北の横手に配流となり、
死期が迫った病床で お国一座の踊子だったキクから 愛妻お梅の話を聞きながら 73歳の生涯を閉じた。
お梅は 一縷の望みをもって 弥八郎正純との再会を待ち続けたが叶わず、従者十兵衛を横手に送りだした。
京都で修行し 尼になり(梅香尼)、伊勢の梅香寺に入るが、
そこに 弥八郎正純の臨終を見届けたキクと十兵衛が、辿り着いた。
正純の遺髪と辞世の句を携えて・・・・。
「日だまりを恋しとおもふ梅もどき 日陰の赤を見る人もなく」
作者は 「あとがき」で
「徳川家康には 十余名にのぼる側室、側妾がいたが 寵臣 本多正純に下賜された女性(お梅)がいたことを知り がぜん興味を覚えた・・・・」
と述べている。
さらに 「お梅は 本多正純とこの時代を語るためには 欠くことの出来ないキーパーソンである」
とも 述べている。
そのお梅の数奇な運命を描いた作品である。
関ヶ原の戦いの最中、お梅は大阪城を脱出し、従者と共に京都に逃れ 九死に一生を得る。
頼った先が なんと徳川家康の御用商人 茶屋四郎次郎の屋敷。
そこで世話になり、或る日 その茶室で 本多弥八郎正純と 初めて運命的な出会いをする。
その茶室の床の間の柱にさりげなく掛けられた竹筒の鮮やかな赤い梅もどきの実が お梅の目に飛び込む。
題名「梅もどき」は このシーンから 付けられたものだと思われる。
作者が女性の立場で この物語の中で もっとも感動的、印象的シーンと 捉えているのかも知れない。
父親青木勘七の「なんとしても生き延びよ・・・」の言葉に従い、
時代の渦に巻き込まれながらも 生き延び、
晩年 青木家、本多家の菩提を弔いながら 伊勢の梅香寺で 62年の生涯を閉じた。
作者は 京都、伏見、横手、伊勢、宇都宮・・・、各地を丹念に取材され、歴史を紐解かれている。
目から鱗も多しで 読み応えがある作品だと思う。
参照 → 浄土宗寺院検索 「梅香寺」
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