たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

民謡をたずねて・その39

2024年07月07日 17時27分01秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                 

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その39
「十日町小唄」
(新潟県)

「越後名物 かずかずあれど、明石ちぢみに 雪の肌、着たらはなせぬ 味の良さ、テモサッテモ、ソジャナイカ、テモソジャナイカ ♫」・・・・・・、
子供の頃から、なんとなく、歌詞、メロディ、囃子詞、共、脳裏に焼き付いている民謡の一つに、新潟県の民謡の「十日町小唄」が有る。
今更になってネット等で調べてみると、歌詞は、18番まで有るのだそうだが、なんとか思い出せるのは、1番から4番位まで・・・、

越後名物 かずかずあれど
明石ちぢみに 雪の肌
着たらはなせぬ 味の良さ

 テモサッテモソジャナイカ
 テモソジャナイカ (これを以下繰り返す)

娘ざかりを なじょして暮らす
雪に埋れて 幾仕事
花の咲く間じゃ 小半年

窓にさらさら 粉雪の音
聞いて眠れぬ 夜もすがら
やるせないぞや 雪明かり

人が見たらば 横丁へよけて
雪のトンネル 隠れ場所
恋の抜け道 まわり道

「十日町小唄」は、元々、昭和4年(1929年)に、新潟県の十日町の名産、「明石ちぢみ」のコマーシャルソングとして、長井白眉が作詞、中山晋平が作曲、初代水谷八重子が振付し、誕生した曲なのだそうだ。同年に、芸者歌手、藤本二三吉の歌唱で、「サッテモ節」としてレコード化され、全国的に広まった曲で、所謂、新民謡。戦後になってさらに編曲され、昭和35年(1960年)の「全国民謡・新民謡ベストテン」では、第1位を獲得、再び脚光を浴びたのだという。
「へー!、そうだったのか」
目から鱗・・・・・、である。


(参考・参照)
👇️
新潟県十日町市観光協会・十日町小唄


「十日町小唄 (サッテモ節)」、唄  市丸・喜久丸 (YouTubeから共有)

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シロツメクサ(白詰草)

2024年07月07日 13時44分31秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも超疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑地、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心も興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮ってきて、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。花名を調べたり、知ったところで、ナンボになる分けでも無しだが、脳トレ、ボケ防止の一助になるかも知れない等と、勝手に思い込みながら・・・


子供の頃から、「クローバー」として記憶していた白色の花、和名が、「シロツメクサ(白詰草)」であることを初めて知ったのも、極く最近のことで、散歩・ウオーキングの途中でも、よく見かけているが、「なんで、白詰草?」は、知らず分からずだった。
今更になってネット等で調べてみて、
「へー!、そうだったの」、
目から鱗・・・・、である。

2020年5月7日、散歩・ウオーキングの途中で見掛け、撮っていた「シロツメクサ」

2022年4月30日、散歩・ウオーキングの途中で見掛け、撮っていた「シロツメクサ」

2024年6月11日、散歩・ウオーキングの途中で見掛け、撮っていた「シロツメクサ」


シロツメクサ(白詰草)

マメ科、シャジクソウ属、多年草、
   別名「クローバー」、「ウマゴヤシ(馬肥やし)」
   和名「白詰草」の「詰草」とは、江戸時代、オランダから渡来した
   ガラス製品(ギヤマン)や陶器を守る緩衝材として、
   この花を乾燥させて、箱に敷き詰められていたことに由来している。
   「白詰草」よりやや花が大きく、赤色、紫色の仲間が有り、
   「赤詰草」「紫詰草」と呼ばれている。
原産地 ヨーロッパ、
    日本には、江戸時代末期に渡来、
    明治時代には、牧草として導入されたが、繁殖力強く、日本全国の
    道端等で見られるようになった。
草丈 10cm~20cm、
   葉は、丸型で3枚、稀に4枚になること有り、「四つ葉のクローバー」と呼ばれ、
   見つけると、幸運!、ラッキー!、等と喜ばれる。
花色 白色、
開花時期 4月頃~10月頃、
花言葉 「私を思って」「幸運」「約束」「復讐」


(ネットから拝借画像)
四つ葉のクローバー


爺さんの備忘録的花図鑑「ムラサキツメクサ」
👇️
こちら


 

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七夕決戦?

2024年07月07日 10時03分43秒 | 暮らしの記録

2024年7月7日、今日は何の日?
7月7日と言えば、子供の頃、なんとなくときめいた日のような気がしている。
「離れ離れになっている織姫と彦星が、年に1度だけ会える日」
「七夕」の日、
脳裏に焼き付いており、少々ボケてきた後期高齢者でも、
さすがに、サッと答えることが出来る。
今年の7月7日は、東京都民にとっては、都知事選の投票日であり、
一部の報道では、「七夕決戦」なる見出しが踊っている。
過去最多、56人立候補、いろいろ物議を呼んでいたが、
その結果が、今日、出る。
都民全世帯に配布された「選挙公報」も、14ページと分厚く、
隅から隅まで目を通した人、果たしていたのだろうか?等と、
余計なことまで考えたものだ。

(NHK ニュース より 拝借画像)
届け出順 都知事選 立候補者 一覧表


「七夕」で、「ブログ内検索」してみたら、七夕の由来等を書き込んだ数年前の記事が有り、下記、コピペ、リメイクしてみた。

(ネットから拝借イラスト)


「七夕」に纏わる話は、多分、子供の頃、大人達に教えられたはずだが、まるで記憶に残っておらず、改めてネット等で調べてみた。

古来から、中国では、織女星(織姫星)=こと座の1等星・ベガは、裁縫を司る星、牽牛星(彦星)=わし座の1等星・アルタイルは、農業を司る星と考えられており、天の川を間に挟む二つの星は、旧暦7月7日(現在の8月7日)頃に、最も光が強く見えることから、この日を特別視していたことも有って、七夕伝説が生まれたのだという。

◯七夕伝説
中国には、古来、天帝(てんてい)と呼ばれる天空に一番近い神様がいた。天帝には、美しく、機織の名手である、織女(織姫)という自慢の娘がいた。織女(織姫)は、天の川の西側に住み、空の神様達の着物を織る仕事をしていた。織女(織姫)は、機織りに一生懸命で男性に出会う機会が無かった。
天帝は、織女(織姫)をかわいそうに思い、娘に似合いの青年を探していたが、牽牛(彦星)を見つけた。
牽牛(彦星)は、天の川の東側で、牛の世話をしながら、農業に精を出していた。天帝が、二人を引き合わせると、二人は恋に落ち、結婚。とても仲の良い夫婦になったが、楽しさにかまけて、お互いに働くことを止めてしまった。
織女(織姫)は、機織りをしなくなったため、神様達の着物は、ボロボロになり、牽牛(彦星)も 牛の世話もせず、農業もしなくなったため、牛は病気になり、田畑は荒れ放題となってしまった。
怒った天帝は、二人を天の川の東西に引き離し、お互いの姿さえも見ることを出来なくしてしまった。
引き離された二人は、悲しみのあまり、毎日泣いて暮らすばかり。困った天帝は、「二人が、真面目に働くならば、年に1度、7月7日に会わせてやる」と約束、その言葉に、織女(織姫)と牽牛(彦星)は心を入れ替え、1年1度の七夕の夜に会えることを楽しみに働くようになった。
1年に1度の再会の日、7月7日に雨が降ると天の川の水嵩が増し、川を渡ることが出来なくなる。そんな時、天帝の使者であるカササギが沢山飛んできて翼を広げ、橋を作り上げてくれ、二人はその橋を渡り、会うことが出来た。

「怠けていると良くないことを引き起こすこと」
「1年に1度会えることの喜びに感謝すること」
等という教訓も隠されている伝説でもあるようだ。

◯催涙雨
7月7日に降る雨のこと。
一般的には、七夕にしか会うことの出来ない織女(織姫)と牽牛(彦星)が、天の川を渡れなくなり流す涙という意味合いの言葉。
因みに、7月7日の前日、7月6日に降る雨のことを、「洗車雨(せんしゃう)」というそうだ。
牽牛(彦星)が、織女(織姫)に会いに行くために、牛車を洗う水という意味合いの言葉で、現代においても、恋人とのデートの前に、愛車をピカピカに磨く若者の情景、よく見られ、納得してしまう。

◯夏の大三角
日本では、7月上旬から9月上旬の20時~22時頃、南東方向に、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブを結ぶ、「夏の大三角」が見られる。実際には、梅雨期の最中だったり、町明かりが強い都市部だったり、月が出たりすると、なかなかそのチャンスも少なくなっているような気がするが・・・。

(ネットから拝借画像)

昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さん、当時は、外灯等もほとんど無く 周りは田んぼ、夜は真っ暗闇が当たり前で、エアコン、扇風機も無かった時代、真夏の夜、団扇片手に庭に出ると、天の川がくっきり、それが当たり前で、特別な感動も無かったような気がするが、今はもう、条件が揃った場所に出向かないと、星も、天の川も、綺麗に見えないという時代、
出来る限り、今の幼い子供達の目にも、そんな夜空の情景を焼き付けてもらいたいものだと、いつも思っている。

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