たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その54(2)

2024年07月24日 18時48分25秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その54
「老いらく二人山歩き・乗鞍岳」(再)
(2)


肩の小屋→蚕玉岳山頂(標高2,979m)→頂上小屋→乗鞍岳山頂・剣ケ峰(標高3,026.3m)→(往路を戻る)→蚕玉岳山頂→肩の小屋


「肩の小屋」を通過するあたりまでは、
ガスに覆われていて、お目当ての山岳展望は叶わず、
足元の高山植物を眺めるくらいだったが・・・

イワツメグサ

 

次第にガスが薄れ始め・・・、
気分は高揚・・・、

朝日岳と蚕玉岳の鞍部への登り詰める頃には、
あっという間に、青空が広がり出し、
ラッキー!、

尾根上に立つと、権現池や乗鞍高原方面の眺望が出来るようになり、爽快!

 

 

 

 

「頂上小屋」

 

最後の急登

I氏の体調によっては、途中で引き返すことも念頭におきながら、
ゆっくり、のんびり登ったが、心配は無用だった。
大幅な遅れも無く、ほぼ予定通り
9時30分頃 「乗鞍岳山頂・剣ケ峰(標高3,026.3m)」に到着、
念願叶った、I氏の喜び様が、忘れられない。
感激、感動、素晴らしい景観を堪能していたいところだったが、
週末の好天とあって、家族連れ、夫婦連れ、山ガールグループ、等々が、
 次々と登り着き、狭い山頂、ゆっくり、座る場所もない位だったことと、
登りより下りの方が心配?
ゆっくり、のんびり、時間を掛けて下ることにし、
証拠写真?を撮り、そそくさと下山を開始した気がする。

 

眼下に「肩の小屋」

 

「肩の小屋」には、10時45分頃、戻り着いたが、
前日泊した「乗鞍高原鈴蘭小屋」のご主人が、ひょっこり出迎えてくれた。
「肩の小屋」は、「乗鞍高原鈴蘭小屋」直営の山小屋だったのだ。
すでに、「乗鞍高原鈴蘭小屋」「肩の小屋」とも、息子さんに任せておられるとのことで
現オーナーは、息子さんであり、
時々、車で登ってきて、手伝いをしているという話だった。
その息子さんまで呼び付けて、挨拶されてしまい、恐縮してしまったものだ。
昼食時間には、少々早かったが、食堂で、うどんを注文、
昼食タイムとした。
なんとも家庭的な雰囲気で、出迎えていただき、送り出していただいたこと、
今となっては、貴重な思い出となっている。

「肩の小屋」内から、乗鞍岳山頂方面を望む
さらば、乗鞍!、名残りを惜しみつつ、

(つづく)

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あわや、ずぶ濡れになるところだったが・・・、

2024年07月24日 14時48分55秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「曇時々雨」、最高気温=38℃、
早朝から、30℃超で、どうしようか迷ったが、
 もう、4日間も行ってないし・・・、
 今日は、どうしても・・・・
ということで、午前中、Go To 畑!と相成った。

ヤ、ヤ、ヤ、ヤ、ヤ・・・、
またまた、イノシシ出没?の形跡有り。
畑地の隅に積み上げている雑草の山が、
ダンプカーで均した如くに崩され、
大好物のミミズを探し回ったものなのか、
周辺のあちらこちらにも、穿り回した跡が有る。
幸いなことに、防獣ネットで囲って有る作物の畝にまで侵入した形跡無く、
被害無し。安堵。
ただ、発芽し始めて、これからの地這いキュウリの畝が、まだ防獣ネットで囲っておらず、
穿り回されたら大変。急遽、囲うことになった。
全身汗だく、頻繁休憩、水分補給、
イノシシのせいで、余分な労力と時間を費やすことになり・・・、
やれ、やれ、

(ネットから拝借、無料動くイラストgif)

(1)地這いキュウリ、追肥、土寄せ、

(2)トマト、キュウリ、ナス、ゴーヤ、収穫、
   トマト、キュウリ、ナスは、そろそろお終い?
   最後の収穫かな?


(3)ミニトマトは、今日もまたごっそり採れてしまい、
   「トレスギチャッテ コマルノー ♫」
   まだまだ、しばらくは、採れそう?で。


そろそろ、引き上げようかと思っていた時間帯
遠くから雷鳴が聞こえ、一転にわかに掻き曇り、
激しい雷雨が迫ってきた。
大急ぎで引き上げ、家に戻りついたところで、
いきなり、バケツを引っくり返したような土砂降りと激しい稲光と
バリ、バリ、バリ、ドスン、身の危険を感じる落雷音と突風も・・・、
車から降りるに降りれず、しばし待機、
激しい雷雨は数分で収まったが、
あと2~3分、畑地にいたら、ずぶ濡れになるところだった。
いやはや、


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懐かしい映画と映画音楽・その18

2024年07月24日 08時11分09秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
6年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「渚にて」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その18
映画「渚にて」と主題曲「Waltzing Matilda」(再)

今更になってネット等で調べてみると
映画「渚にて(On the Beach)」は、スタンリー・クレイマー監督、グレゴリー・ペックエヴァ・ガードナーアンソニー・パーキンス 等主演で、1959年(昭和34年)に製作、公開されたアメリカ映画だった。白黒映画で有り、地味な映画という印象だったが、静かに流れる主題曲「Waltzing Matilda」と共に、強く脳裏に焼き付いた映画だった。
第三次世界大戦が勃発し、核爆弾により北半球は壊滅、深海に潜行中だった潜水艦が生き残り、放射線汚染軽微な、オーストラリアのメルボルンに寄航、アメリカのシアトル付近から、モールス信号のような信号が発信されていることが分り、調査に向かうが、結果は、生存者はおらず、空き缶が風の力で打鍵していたものだった。
放射能汚染が南下し、人類の滅亡は回避出来ないことが分り出し、市民は安楽死を臨むようになり、潜水艦の乗組員も、アメリカ軍人として死を望み、オーストラリア領海外で、自沈させる道を選ぶ。
ボタン一つで勃発してしまう核戦争の危険、不安は 当時から有り、より強まっている現代である。人類滅亡へのストーリーを暗示し、警告する映画だったような気がする。

(ネットから拝借画像)

映画「渚にて(On the Beach)」・主題曲「Waltzing Matilda」 (YouTubeから共有)

「Waltzing Matilda」  (YouTubeから共有)

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