たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

懐かしい映画と映画音楽・その15

2024年07月21日 13時21分47秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その15
映画「太陽がいっぱい」と主題曲「太陽がいっぱい」(再)

昭和30年代、北陸の山村の実家を離れ、学生寮に入って間もない5月の休日、雲一つ無い真っ青な空、いわゆる 五月晴れの日だったと思うが、3人部屋の同室の先輩に誘われて、映画を観にいくことになった。ど田舎から都市へ出てきたばかりで、映画館や映画情報にも疎かった貧乏学生、どこで何が上映されているかも知らず、ただ先輩に付いて行ったような気もするが、向かった先は、当時良く有ったと思う「洋画3本立て」の映画館だった。
なんで、そんな昔のこと、記憶に残っているのかは不思議であるが、初めての街で、初めての映画館で、しかも、上映されていた映画が、感動、衝撃、印象が余りにも強かった「太陽がいっぱい」だったからかも知れない。同時上映されていた映画「撃墜王アフリカの星」も、強烈に記憶に残っているが、もう1本は、まるで思い出せない。
記憶は曖昧だが、確か、就職してからだったと思う。その、「太陽がいっぱい」のドーナッツ盤レコードが、どうしても欲しく、薄給にも拘らず、無理して買ってしまったような気がする。若い頃、飽きもせず良く聴いていたものだ。溝はすり減り、音質はかなり悪くなっているが、CD時代になってからも、なかなか廃棄処分出来ず、段ボール箱に仕舞い込んでいて、ブログを始めた頃からのこと、時々、引っ張り出して聴いたりもし、ブログネタにもしている。

              

今更になってネット等で調べてみると
映画「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」は、1960年(昭和35年)公開にの、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、モーリス・ロネ主演のフランス・イタリア合作映画で、当時 ニーノ・ロータ作曲による主題曲「太陽がいっぱい」も、大ヒットしたものだった。
主演のアラン・ドロンの個性、魅力もさることながら、サスペンスタッチのストーリー性、地中海のギラギラする風景、すべてが、鮮烈に感じたものだった。
映画の中で終始、強く弱く流れる、日本人好みのワルツ調の「太陽がいっぱい」が、一層、場面を盛り上げており、当時はまだ、「映画音楽」等というジャンルを意識したこともなかった類であったが、日本映画には無い、映画の音楽性に感動したのだと思う。

映画「太陽がいっぱい」 (YouTubeから共有)

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民謡をたずねて・その41

2024年07月21日 08時51分32秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その41
「五木の子守唄」
(熊本県)

「五木の子守唄」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常に上位にランクインするような民謡のひとつであり、子供の頃から、ラジオ等から流れてくるのを聞いていた民謡で、脳裏に焼き付いている民謡である。
今更になってネット等で調べてみると、
「五木の子守唄」は、熊本県球磨郡五木村が発祥の熊本県の代表的民謡とされているが、一般に知られているのは、戦後、お座敷歌の曲調にアレンジされ、レコード化されたもので、商業的な色合いの薄い「正調・五木の子守唄」も存在するのだそうだ。
曲名からは、子供を寝かし付ける時に、穏やかに優しく歌われる「子守唄」をイメージしてしまうが、「五木の子守唄」の場合は、かって、小作人の娘達が、7歳位から13歳位になると、故郷を離れて住み込みの「子守女」として奉公に出され、その辛い心境、悲哀を歌ったものだったようだ。
歌詞には、様々なバリエーションが有って、伝承者によって多様な歌詞が伝えられており、どの歌詞が元歌なのかも不明なのだそうだ。
「へー!、そうだったのか」
目から鱗・・・・・、である。

歌詞の例

おどま盆限り(ぼんぎり)盆限り
盆から先きゃおらんど
盆が早よ来りゃ早よもどる

   奉公も今年のお盆まで。
   だから、子守り仕事のお盆まで。

   その盆が早く来れば、早く家に帰れるんだけど

   どんな厳しい奉公先でも、盆には父母の許へ帰ることが許されていて、
   それを楽しみにして、辛い奉公に耐えていた少女の気持ちが歌われている。

おどま勧進勧進(かんじん かんじん)
あん人達ゃ良か衆(し)
良か衆(し)良か帯良か着物

おどんが打っ死んだちゅうて
誰(だい)が泣いちゃくりょか
裏の松山蝉が鳴く

おどんが打っ死んねば
道端埋けろ(いけろ)
通る人ごち花あげる

花は何の花
つんつん椿
水は天から貰いも水

「五木の子守唄」 (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
NPO法人日本子守唄協会ホーム・ページ・「五木の子守唄」


 

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