たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

懐かしい映画と映画音楽・その20

2024年07月26日 17時58分32秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その20
映画「みじかくも美しく燃え」と主題曲「みじかくも美しく燃え」(再)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「みじかくも美しく燃え」」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

今更になってネット等で調べてみると
映画「みじかくも美しく燃え(Elvira Madigan)」は、ボー・ヴィーデルベリ 監督、ピア・デゲルマルク、トミー・ベルグレン 主演で、1967年(昭和42年)に製作、公開されたスエーデン映画だった。映画の方は、これまで、映画館でもテレビの映画番組でも観た記憶が無く、実際どんな映画だったのかの感想も出来ないが、1889年に、スエーデンで実際に起きた事件を素材にした悲恋の物語なのだそうだ。
主題曲「みじかくも美しく燃え」の方は、当時、よくラジオ等から流れていて、脳裏に焼き付いているが、実は、モーツアルト作曲のピアノ協奏曲第21番ハ長調K467第2楽章(Piano Concerto No.2)だったことを、後年になって知ったものだった。映画では、その他にも、ビヴァルディ作曲のバイオリン・コンチェルト・愛等も、使われていたのだという。
「みじかくも美しき燃え」は、数多のアーチストにより、ピアノ演奏、オーケストラ演奏等されているようだが、一番耳に馴染んでいるのは、ポール・モーリア楽団(Paul Mauriat & His Orchestra)演奏のもののような気がする。

(ネットから拝借画像)

ポール・モーリア楽団演奏の「みじかくも美しく燃え」 (YouTubeから共有)

モーツアルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467 (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
MOVIE WALKER PRESS・「みじかくも美しく燃え」


 

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葉室麟著 「無双の花」

2024年07月26日 14時43分04秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「無双の花」(文藝春秋)を、読み終えた。本書は、九州戦国史を代表する武将の一人、立花宗茂(たちばなむねしげ)の半生と、その妻誾千代(ぎんちよ)を題材にして描いた、長編時代小説だった。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


▢目次
(一)~(十七)

▢主な登場人物
立花左近将監宗茂(豊後大友宗麟の家臣筑前宝満城城主高橋紹運の嫡子、立花誾千代の婿養子となり立花城城主、柳川城城主、赤館城城主、再び柳川城城主、立斎
誾千代(豊後大友宗麟の重心立花(戸吹)道雪の娘、立花城女城主、立花宗茂の正室)、かの、由ゑ
八千子(立花宗茂の側室、矢島石見の姉)、菊子(公家葉室家の姫、後に、立花宗茂の妻となる
立花(戸吹)道雪(誾千代の父、筑前立花城城主
由布雪下(ゆふせっか)、矢島石見(やじまいわみ)、十時摂津(とときせっつ
黒田如水、加藤清正、田中忠政
豊臣秀吉、本田平八郎忠勝、
真田左衛門佐信繁(幸村)、利世、大八(後に、伊達忠宗の家臣片倉守信となる)、阿梅(後に、片倉小十郎の妻となる)、阿菖蒲、おかね、
長宗我部盛親、
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、本田正信、本田正純、
伊達政宗、片倉小十郎重綱、

▢あらすじ等

筑前宝満城城主高橋紹運の嫡男として生まれた宗茂だったが、15歳で大友宗麟の重臣、立花城城主戸次(立花)道雪の娘誾千代の婿養子となり、立花山城主となった。城主になってまもなく、九州の雄、島津勢の猛攻を受けるが、これに耐え切り、駆け付けた豊臣秀吉から、「西国無双の武将」と褒め称えられ、戦功により筑後柳川十三万石の大名に抜擢された。
その恩義が有り、関ヶ原の戦いでは、西軍に加担、敗軍の大名となり、徳川家康の時代になり、当然、改易、浪人となる。家臣を引き連れて、京、江戸へ。耐えに耐え、窮乏の日々を送ることになるが、人を裏切らず、生き抜き、「立花の義」を貫き、大名に返り咲く望みを捨てず、家康をも動かし、伊達政宗とも渡り合い、改易から20年後、家康の意を受け継いだ2代将軍秀忠により、ついに、旧領筑後柳川の大名に再封される。関ヶ原の戦いで西軍に加担し改易になり、浪人となった大名で、徳川家からも絶大な信頼を得て、旧領地を再封されたただ一人の武将立花宗茂の半生、生き様を描いた作品である。
  「待たせたな、誾千代。ようやく戻って参ったぞ」
  (中略)
  「関ヶ原の戦で負けた時、かような日が来るとは思いも寄らなんだぞ。二十年前、
  京に出ようと
意を固めた折、必ず無双の花を咲かせて戻って参ると誓うたが、
  いまにして思えば、わしにとって、
無双の花とは、そなたのことであった・・・・」


(参考・参照)
👇️
福岡県観光WEBクロスロードふくおか
「立花宗茂、誾千代 ー 戦乱の世に生きたヒーロー&ヒロイン」


歴史にも疎く、無知無学な爺さん、正直なところ、「立花宗茂」、「誾千代」の名も、その史実も、これまで、ほとんど知らず分からずの類だったが、本書を読み、初めて詳しく知り、「へー!、そうだったのか」、目から鱗・・・・、である。
本書の舞台は、九州豊後、筑前、筑後、肥後、朝鮮半島、京、大阪、江戸、奥州南郷、と広いが、中心にしているのは、柳川。
福岡県筑後地方南西部に位置している「柳川市」は、若い頃から一度は訪ねてみたいと思っていた地のひとつだったが、結局、念願叶わず、一度も訪れたことは無く、今となっては、映像や画像で、その風情等を楽しんでいる風だが、本書により、一層、興味、関心が高まってきたような気がしている。

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夾竹桃の咲く頃 ♫

2024年07月26日 08時45分29秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、4時47分頃、
天気予報は、「晴時々曇」、最高気温、35℃、熱中症、「危険」「警戒アラート」
早朝の気温も、26℃前後だったが、
昨日、一時的に、激しい雷雨が有ったせいか、
若干、体感的には涼しくも有り、
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?花に訊ねつ爺散歩
  朝露で靴濡らしても歩数伸び
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、屈伸、伸脚・・・しながら、
スマホの歩数計で、約5,700歩。

君の名は?
「キョウチクトウ」・・・・、だった。


爺さんの備忘録的花図鑑・「キョウチクトウ」
👇️
こちら


君の名は?
「えーっと?、えーっと?・・・」

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