たけじいの気まぐれブログ

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その56

2024年08月13日 17時44分56秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、6年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「瑞牆山」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その56
「瑞牆山(みずがきやま)」(再)


「夏が来ーれば、思い出すーー♫」  
夏山シーズン、
炎暑の下界?をよそに、夏山を存分に楽しんでおられる老若男女が多い季節であろうか。
すでに、足、腰、痛!、痛!で、山歩き等を断念している老夫婦、
そんな夏山に思いを馳せながら、もっぱら、古い写真を引っ張り出しては、
懐かしがっている風である。
今から21年前、2003年9月6日に、妻と二人で、山梨県の「瑞牆山」を訪れたことがあった。
「瑞牆山」もまた、深田久弥による「日本百名山」の一座であり、それまでも、一度訪ねたことがあったが、妻にとっては、初めての山だった。
まだまだ自営業を続けていた頃だったが、夏も終わりに近づき、思い立って、仕事にケリを付け、忙中閑を作って、出掛けた気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、撮った写真は、その都度プリントし、アルバムに貼っていたものだが、数年前に、そんな写真をスキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだリ、デジブックにしたことがある。
拙劣写真ばかりだが、外付けHDに保管してあり、久し振りに引っ張り出しみた。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの時あの場所を思い出しているところだ。


深田久弥著 「日本百名山」
「瑞牆山(みずがきやま)」
(一部転載)

昔の人は山の名をつけるのに、今の山岳団体が会誌の名前を考えるように凝(こ)らなかった。抽象から遠く、ごく現実的な名をつけた。山の形や色や地勢から推して、槍(やり)だの赤岳(あかだけ)だの大崩(おおくずれ)だの。それからまた卑近な見廻りの道具の名を取って、笊(ざる)だの鞍(くら)だの屏風(びょうぶ)だの、とつけた。
だから今、美しい文学的な山の名があれば、それはたいてい後世の宛字(あてじ)と見ていい。例えば上越の七ッ小屋山も、以前その頂にシシ小屋があり、シシがシチと聞き誤られ、そのシチが七つとなったのだろう、と私は考えている。シシ小屋よりも七ッ小屋の方が芸術的である。
瑞牆山(みずがきやま)も、昔の人はこんな凝った名前をつけない。大たい民衆はこんなむずかしい字さえ知らなかっただろう。私は気をつけて甲州の古地図や記録を見ているが、いまだに瑞牆という文字に出くわさない。もっとも私はあの丹念で執念深い書物の紙魚(しみ)ではないから、見逃しはあるだろう。
瑞牆山を麓の村では以前瘤岩(こぶいわ)と呼んでいたそうである。私は次のように考えてみた。三つの山稜が集まる所を三繋ぎ(みつなぎ)と呼ぶことがある。瑞牆山は、金峰山から小川山に至る山稜の途中から西に派出した尾根上の突起である。山稜が三つに分かれるところが、三繋ぎと呼ばれ、そのミツナギが聞き誤られ、ミズガキという風流な名前になって今の峰に冠せられたのではなかろうかと。もちろんこれは私の勝手な憶測である。
旧記によると、金峰を玉塁(たまがき)とした古図があるそうで、小尾、比志の里人は金峰山の麓を指して瑞塁(みずがき)と呼んだという。瑞牆の名はそこから来たのかもしれない。
由来はどうであれ、瑞牆という名は私は大へん好きである。そしてこの名はこの山にふさわしいと思う。瘤岩と呼ばれたほど、大きな岩がゴツゴツ立っている山である。その大岩の群れを、神の宮居の玉垣すなわち瑞牆と見立てられないことはない。
(中略)
普通瑞牆山に登るには、韮崎から、増富ラジウム砿泉までバスの乗り、そこから本谷川に沿って登ること約五キロ、牧歌的な高原金山(かなやま)に達する。ここまで来て瑞牆山を初めて見ることが出来る。この山は岩峰の集合体とでも言うべきか。岩峰群を持った山は他にもあるが、瑞牆山のユニークな点は、その岩峰が樹林帯と混合しているところである。まるで針葉樹の大森林から、ニョキニョキ生えているような趣である。
(中略)
さまざまの形をして突っ立っている見事な岩峰が、眼の前に現れてくると、それがもう頂上に近いしるしである。岩の間を攀じ登ると、頂上もまら滑らかな大きい岩で、その上にトカゲをきめこんで、直下の岩峰群をのぞきこみながら、仲間とペチャクチャしゃべりあった小一時間はたのしかった。


山行コース・歩程等

瑞牆山荘前駐車場→富士見平→天鳥川源頭→瑞牆山山頂→(往路を戻る)→天鳥川源頭→富士見平→瑞牆山荘前駐車場
(標準歩行所要時間=約5時間)

(朝日新聞社 週刊「日本百名山」から拝借)


夜明け前に自宅を出発し、中央自動車道を西進、須玉ICから国道141号線を北上、
増富ラジウム鉱泉、金山峠方面へ向かい
7時頃には、瑞牆山荘前の駐車場に到着したようだ。
整備された広い駐車場(無料)が有り、その時間帯、まだまだ駐車スペース、余裕有りだった。

 

7時30分頃、瑞牆山荘前を出発。
白樺等も混じる樹林帯の中の登山道、徐々に急登となる。

瑞牆山荘前を出発してからおよそ45分、
8時15分頃、富士見平・富士見平小屋に到着。小休憩。

 

富士見平からしばらくは樹林帯の中の緩やかな登りだが、
急下降が始まるあたりで、眼前に、瑞牆山が立ちはだかるように望めるようになる。
果たして、あの頂に登れるものなのかな?・・・等と、一瞬思ってしまいそうな険しさだ。

8時50分頃、天鳥川源頭に到着、渡る。

 

桃太郎岩

天鳥川源頭から瑞牆山山頂までの標高差は、約480m、
荒れた岩場、ハシゴ場、ロープ場、急登の連続、
喘ぎ、喘ぎ、ゆっくりと、慎重に・・・、

 

下からずっと見上げていた大ヤスリ岩の右下を通過する辺りで、展望が良くなる。

なんとか急勾配を登り詰めると、僅かな平坦が有り、釜瀬川からの登山道を合わせて右へ、
岩の間をハシゴ、ロープで攀じ登ると、
そこが、巨岩が折り重なった 瑞牆山山頂(標高2,230m)、
10時30分頃、到着したようだ。

 

やや雲が多かったものの、360度大展望、


五丈岩をいただく金峰山、富士山、小川山、浅間山等は、遠望出来たが、
南アルプスの峰々、八ケ岳連峰は、残念ながら雲の中、

グループや夫婦連れ、大勢のハイカーと至福の時を共有、
朝食が早かったので、早めの昼食をとり、
11時頃には、下山開始、往路を戻った。

13時30分頃、瑞穂山荘前駐車場に帰還、
里宮平、黒森、経由で、帰途についた。
途中、車を止め、振り返り撮った、瑞牆山。

当時はまだ、「また来る時にも、笑っておくれ」、「シャクナゲの咲く時期にまた訪ねたいな」的な気分だったと思うが、今となっては、「瑞牆山」もまた、遠い思い出の山となってしまった。

 


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