時々、何年も前に書き込んでいたブログ記事にアクセスが有ったことに気付くことがある。すっかり忘れてしまっている記事も有り、なんだか気になってクリックして、改めて読み返してみることもある。どうしてそんな古い記事にアクセスされたのかは不明だが、そのお陰で記憶が蘇ったりし、記憶力減退爺さんには有難いことだと思っている。アナログでは、あり得ない、デジタルのメリットでもある。コロナ禍になり、テレビ等でも、俄然、「再放送」が多くなっているような感じがしている昨今、ますますブログネタも少なくなってくる後期高齢者とて、そんな古い記事を、コピペ、リメイク(再編集)していこう等とも思っているところだ。
7年も前にブログに書き込んでいた記事、「お幸せに!」を
コピペ、リメイク(再編集)してみた。
「お幸せに!」(再)
記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。
その中の1枚に、レポート用紙に書かれた「お幸せに!」と題した詩(もどき)も入っていた。隅に、「昭和44年10月4日」の日付が記されており、今から 52年前に書いたもののようだ。「新幹線内」とも記されており、なんとか記憶を炙り出してみると、どうも、先輩同僚の結婚式披露宴に招かれて、確か名古屋へ向かう途中の新幹線内で、その先輩同僚に贈る気持ちを認めたもののような気がする。
「お幸せに!」
唐松林を 通り抜けて
すがすがしい秋風が
二人の姿を 追いかける
「でも いいんだ」
ふと 目と目が合うだけで
愛を確かめ合えるんだもの
石畳を どんぐりが転がって
公園のイチョウの葉が
二人のまわりに 舞い落ちる
「でも いいんだ」
だまって 抱き合っているだけで
愛を確かめ合えるんだもの
夕暮れの渚に 寄せ返す
やるせない 波音も
二人の心を呼び止める
「でも いいんだ」
手をとって 歩いて行くだけで
愛を確かめ合えるんだもの
(昭和44年10月4日)