たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

毎月4週目は バタフライ中心レッスン

2018年11月24日 21時47分47秒 | スイミング

北海道では ドカ雪、関東北部山沿い等からも 初雪の便り、
快晴の1日だった当地も 
放射冷却で 朝の気温は 5℃~6℃、真冬並みの寒さだった。
ダウン、フリース等を 引っ張り出し、
いよいよ 冬到来の感が 強くなってきた。

先日の畑仕事の疲れがとれず、
足、腕に 筋肉痛 残っているし、
寒くて 出掛けるの 億劫だなあー、
夕方になって 躊躇、
でも 11月も4週目、バタフライ中心レッスンだし・・、
気合を入れ やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスン土曜日に出席、
先程 帰ってきたところだ。

今日は O指導員による バタフライ中心レッスン、
毎度 基本、基本の繰り返しだが、
特に ストローク、手の位置、頭、目線、腰等 
姿勢を 指導された。

バタフライの姿勢、
YouTubeから共有させてもらった。

今日のレッスン、泳いだ距離は少なく、
多分 800m程度か?
レッスン終了後 居残って、
疲れを知らないベテラン女性陣の後ろにくっついて、
クロール 50m×10本、4種目 100m、
喘ぎながらも なんとか泳ぎ切り
すっきり引き上げてきた。

泳いで帰ってきた後の遅い夕食、
毎度のこと、心地好い疲労感と、
一杯のビール(350mm格安缶ビール)のほろ酔いで 
気分良くなっているところだ。

内臓に爆弾を抱えている身体、
爆発したらおしまいよ、
不発弾のままでいてくれるのか、
心配してても仕方無し
無理せず、マイペース
出来る範囲で続けるしか・・・、
斯く斯く然然、
今日も1日恙無く、


なんと逆に撮られていたとは・・、

2018年11月24日 12時46分33秒 | 暮らしの記録

昨日は わが家から車で約40分、一人暮ししている義姉宅を訪問、
義兄の墓参りにも 同行してきましたが、 
義姉の新しい家族?aibo (名前は エナ)にも 再会?してきました。
今年の9月、敬老の日に因んで 甥(次男)が 義姉にプレゼントしたものです。



昨日は ゆっくりする時間が無く、動画は撮らずでしたが、
今日 甥(次男)から aibo目線で撮影した写真を スマホで確認したとして メールで 送ってきました。 
なんと 1日に数回、aiboは 魚眼レンズで撮影し 自動的にアップロードする機能が有るんだそうです。
要するに 一人暮らしの義姉の様子を 甥(次男)は 毎日、スマホで ある程度確認出来るということなんです。
単なるペットで かわいい、かわいいだけでなく 監視、見守りの役割も果たしているようで、目から鱗。
でも 若干 怖いような。

帰る間際、写真を撮っている様子を 逆に aibo目線で撮られていたとは・・・。
知りませんでした。

甥曰く エナは 以前来た人だと認識し 嬉しくて撮ったのかも知れない と。
昨日は なんの歌だか分りませんがリズムを取りながら歌を歌ったり、平泳ぎをしたり、コロンと横になったり、遠吼えしたり・・・・・、
いろいろ披露?してくれましたが 写真、動画の撮影は 出来ませんでした。

下は 9月に訪問した際に 初めて撮影した動画です。

 


 

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三浦綾子著 「細川ガラシャ夫人」

2018年11月23日 18時58分12秒 | 読書記

図書館から借りていた 三浦綾子著 「細川ガラシャ夫人」 (主婦の友社)を 読み終えた。
昭和48年1月から昭和50年5月まで 「主婦の友」に連載された 三浦綾子の初めての歴史小説であるが、
各地で取材、参考文献も30冊以上と、しっかりした時代考証も為された小説で 読み応え有る作品だ。
数年前まで 読書の習慣等無かった爺さん、もちろん 三浦綾子作品を読むのも初めて。
長編小説とて、果たして 最後まで読み通すことが出来るのか 不安も有ったが、
明智光秀の人柄を描く物語から始まり その子供で、主人公 細川ガラシャ、実名 玉子(お玉)が いかに育ち、「政略の道具」となり 細川忠興に嫁ぎ、父親光秀が信長を討ってからの試練の日々、洗礼を受けるに至る過程、石田三成の人質になることを拒み キリシタンとして死を選ぶまで 史実に基づいたドラマチックな展開に引き込まれて 一気に読み終えた気がする。

三浦綾子著 「細川ガラシャ夫人」

歴史上の人物は 視点が変われば 評価が変わるものだ。
明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、細川家(細川藤孝幽斎、細川忠興、細川ガラシャ)、高山右近、千利休、徳川家康、石田三成・・・、
著者が描く 強烈な個性あふれる人物像には 目を見張る。

石田三成は 諸大名の奥方等を人質にとる強行に出て 細川忠興出陣中、細川家の玉子にも有無を言わさない人質命令を下し、攻めてきたが 玉子はこれを拒み、慶長5年7月17日の夜 細川邸は 轟音を発して火炎包まれ 玉子、洗礼名 細川ガラシャは 38歳の生涯を閉じた。
石田三成は 細川ガラシャが 壮烈な死をもって人質になることを拒んだことに驚愕し 人質をとることを止めたが 細川ガラシャの死は 全国を感動させ 三成への反感が高まり、結果として 徳川方の士気を鼓舞、結束が固くなり 天下分け目の関が原の合戦において 徳川方を勝利に導いた一因になったとも言われている。

お家が大事、細川忠興は 玉子の死後 45年生きて83歳で死去。3代の将軍に仕え、細川家を不動の地位にした。玉子の死後、妻を迎えていない。

巻末の「おわりに」で 著者は、
「逆臣光秀の娘という恥を見事に雪ぎ 立派な最期を遂げた玉子のことを思うと わたしはふっと あのホーソンの「緋文字」の女主人公が浮かぶ。(中略)。その主人公は 信仰と善行とによって その緋文字を罪の印から尊敬の印に変えてしまったことを思う。・・・」
と述べている。

 

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振り返り記事 「行く秋を 追いかけるよに 爺散歩」

2018年11月23日 18時31分25秒 | 散歩・ウオーキング

今日は 国民の祝日 勤労感謝の日、
当地 文句無しの快晴でした。
絶好の行楽日和でもありましたが、
収穫したばかりの野菜を持参し
車で約40分、一人暮ししている義姉宅を訪問、
3年前の今日亡くなった義兄の墓参りに同行、
その後 義姉や甥達と会食をしたり・・・、
結局 夕方帰宅と相成りました。

gooブログから 丁度1年前に書き込んでいた記事が 届きました。
1年前に何を書き込んだか等 
覚えているはずの無い爺さんですが、
昨年の勤労感謝の日も 晴天だったようで、
散歩中に撮った写真をデジブックしていたこと、
思い出しました。

2017年11月23日の記事

 
行く秋を 追いかけるよに 爺散歩
今日は 勤労感謝の日です。当地 お昼頃まで雨が降っていましたが 急速に回復し、午後は 青空が広がる良い天気になりました。各地から雪の便りが届き始め、里の秋も終盤、なんだか 今年は ......
 

 

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やっとこさ、タマネギの苗定植と里芋収穫

2018年11月22日 18時11分46秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

毎度のこと、なんやかんや有って 放っぽらかしにしている畑、
もう10日も 行っていないし・・・、
今日は どうしても・・・・、
やおら重い腰を上げ、
朝から畑仕事と相成った。
時々 小雨がパラつく肌寒い1日だったが
一汗かいて・・・・。

(1)タマネギの苗定植、
  定植を待っていた苗床の苗、今年は 割りと揃っていたが・・・、
  やっとこさ 定植完了。

(2)里芋の収穫
  とっくに収穫適期到来していた里芋、
  やっとこさ 収穫、 

今年は 割と粒が揃っており 数も多く ど素人の里芋としては 御の字かな?

(3)里芋埋め戻し、
  冬季寒冷地、かつ 作物収納場所(倉庫や小屋等)無しの住まいのため、
  毎年、小粒の里芋は 株に付けたまま 
  地中30cm~50cmの穴に埋め戻して 越冬させている。
  近所の畑師匠から教わったように、 
  株を逆さにして並べ、土を被せることにしている。
  来春 掘り出す頃には 小粒の里芋も 若干大きくなっているはず・・・。

(4)ホウレンソウ、京菜、大根、ネギ等 大量収穫、
  明日 義姉宅訪問予定有り、お裾分け分の準備もして・・・。

今日は 最近では最長、5~6時間の畑仕事となってしまい・・・、
中でも 里芋埋め戻し作業、スコップでの土木工事(穴堀り、埋め立て)は、厳しい労働。
足、腰、腕の筋肉痛、発症、必至。
「良く頑張りました」・・・(ハナマル)、
明日は 「勤労感謝の日」か・・・。感謝されたし。

 

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少々の 風邪等 泳いで 吹き飛ばせ

2018年11月21日 21時43分42秒 | スイミング

11月も下旬、北海道等北国からは 初雪の便りが ちらほら届き始めた。
当地も 最低気温 7℃、8℃の日が多くなり、 
そろそろ 石油ストーブ等暖房の用意をしなくては・・、
鉢植え植物等 室内に運び入れなくては・・・、
里芋を 収穫しなくては・・・、
数日前から 鼻水、クシャミ、
ゴミ箱は ティッシュの山、
風邪かな?
体調イマイチで 今日は 1日中閉じ籠り、
どうしようかな?、
とりあえず 躊躇したが、
こんな時こそ 泳ぐべし、
やおら 重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスン水曜日に出席、
先程 帰宅したところだ。

今日は N指導員による 平泳ぎ中心レッスン、
特に ストローク、姿勢を チェックされ、
最後に クロール 50m×7本、
多分 トータル 1,200m程度かな?

レッスン終了後も 居残って 
疲れを知らない?女性陣の後ろにくっついて 
クロール 50m×10本、
喘ぎながらも泳ぎ切り 引き上げてきた。

帰ってからの遅い夕食、
心地好い疲労感と 1杯のビール(350mm格安ビール)で 
いい気分になっているところだ。
風邪の症状、吹き飛んだみたい。

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断捨離考

2018年11月20日 17時53分18秒 | 断捨離考

不要雑物、ガラクタを 出来る限り整理処分し、
狭い家に少しでも快適な空間を生み出し、
且つ、残された家族に迷惑を掛けないようにしたいものだと、
常々思っていながら、正直 なかなか難しく 進展しないものです。
時々 思い立って 押入れや天袋、物置等の整理に取り掛かるものの、
数十年振りに目にするモノ等が出てくると 懐かしくなってしまい、
たちまち手が止まってしまうこと 多々有り。

10年程前から 盛んに 「断捨離(だんしゃり)」という言葉が使われるようになっていますが、「断捨離」とは 不要なモノを減らし、生活に調和をもたらそうという生活術、処世術のことで クラターコンサルタント やましたひでこ氏が その著書等で 提唱した言葉です。
やましたひでこ氏が提唱した造語 「断捨離」は 2010年には 「流行語」にも選ばれ 今では広く使われていますが 商標登録されており 「断捨離」、「クラターコンサルタント」等を 商業目的、営業目的で使用する場合は 許可無しでは 使用することが出来ません。
やましたひでこ氏の「断捨離」関連の著書、数多発行されておりますが 先日 図書館から その内の1冊を 借りてきました。

クラターコンサルタント やましたひでこ著 「新片づけ術 断捨離」 (マガジンハウス) 

日本人は 伝統的に 「もったいない」という観念、考え方を持っており モノを捨てることがなかなか出来ず 結果 全く使わなくなったモノ、将来も使うはずの無いモノまで 押入れや天袋、物置等に詰め込んでしまい 膨大なモノが狭い家を余計に狭くしている傾向になりがちです。
その「もったいない」の観念(思い込み)を ヨーガの行法を応用して解きほぐし、自分自身の心の重荷から解放し、快適な暮らしを取り戻すための方法を 提唱しておられます。

「断行(だんぎょう)」=入ってくる要らないモノを断つ、
「捨行(しゃぎょう)」=家にはびこるガラクタを捨てる
「離行(りぎょう)」=モノへの執着から離れゆとりある自在の空間にいる私、

書の中で 「「もったいない」の本当の意味」について 著者は、
「もったいない」という感情は 「私が使う」ではなく 「このモノは使える」という風に 使用可能というだけで 捨てずらくなる心理。一般的には 「モノを大切にしている」という代名詞になってしまっていて 捨てることに後ろめさを感じてしまったりしている心理。
「もったいない」には もうひとつ 「モノを愛おしむ気持ち」という意味が有る。愛着有るモノ、思い出のモノ、それでいて 有ることさえ忘れていたり、メンテナンスもしていないモノ、これはモノを愛おしんでいるとは言えない。そもそも 「勿体無い」は 仏教用語。モノの本来の姿がなくなるのを惜しんだり、嘆いたりする気持ちを指すようだ。
と 述べています。

話が変わりますが、かなり以前の朝日新聞紙上 「異議あり」欄で、経済アナリスト 森永卓郎氏
「断捨離」、「すっきり」は リスクが高い。ストックあればパニックが起きない。単に捨てるだけでなく 必要と不必要を見極めることで人生が変わった。・・・・。心のガラクタは必要です。捨ててはいけません。だって全ての発想や豊かさの源ですから・・・。私なんか おかしいんじゃないかと思うような物 集めています。ミニカー2万台、ペットボトルのふた、消費者金融のティッシュ、空き缶・・・とか。
等と 述べていました。

心のガラクタ・・・思い当たる節があります。
古い写真、大量のアルバム、若い頃買った本、レコード盤、弾くことのなくなっている楽器、等々、

「断捨離」は 何もかも捨て去り、外見的にすっきりすれば良しというものではなく 第三者にはゴミ同然のモノであっても 自分にとっては 心の拠り所的のモノも有り どのように折り合いをつけるか それが難しく 悩むところになります。

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古い写真から蘇る旅の思い出 「万里の長城」

2018年11月19日 12時31分54秒 | 旅行記

かれこれ14年前、2004年9月に 義兄姉夫婦と誘い誘われ合って 旅行会社の格安ツアー旅行「北京・西安 二大古都巡り」に参加したことがありました。
お互いに老齢、健康上の問題を抱えながら、「その内いつか」等と言っておれず、清水の舞台から飛び降りる思いで申し込んだものでした。
その後 夫々が 旅行もままならない状況になってしまい、今では 「あの時 思い切って行って良かったね」・・が 語り草になっています。
当時は 小型フィルムカメラしか持っておらず 紙焼き写真がアルバムに貼ってありますが、その中の 「万里の長城」を訪れた写真を スキャナーで取り込んで デジブックにしてみました。

拙劣写真ばかりのデジブックですが お時間お有りの方には ご笑覧下さい。

デジブック → 「世界遺産 万里の長城」

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武者行列

2018年11月17日 16時09分04秒 | 散歩・ウオーキング

好天に誘われて 午後になってから 出掛けましたが いちょうの黄葉真っ盛りの甲州街道(国道20号線)では、第39回 八王子いちょう祭りが行われており ちょこっと覗いてきました。

追分交差点から小仏関跡まで、非常に長いお祭り会場ですが 随所に設けられた関所で 特製の通行手形に焼印を押してもらう「関所オリエンテーリング」が 人気のお祭りです。
沿道の店先や空き地では 各種小物の売店やフリーマーケット、観光物産展、食べ物店等が 数珠繋ぎに並び、ごった返します。
今日と明日、2日間行われ、数ヶ所の特設会場では 和太鼓演奏、よさこい、阿波踊りの演舞等、多彩な催しが有り、さらに そーらんパレード、クラシックカーパレード等も 行われます。

丁度 武者行列が通る時間帯で 人垣の間から コンデジで カシャ、カシャ、

  

  

メイン会場の多摩御陵参道、陵南公園付近は 大変な混雑でしたが 抜け出して帰路につきました。


小さな旅 蓬平温泉、悠久山公園、懐かしの町

2018年11月17日 08時04分22秒 | 旅行記

1泊2日の小さな旅をしてきました。
山深い温泉宿で 卒業以来50数年振りになるクラスメートとの再会が目的の旅でした。
出発から 帰着まで 素晴らしい秋晴れ、
これ以上無い天候に恵まれて またひとついい思い出の旅になりました。

東京駅から 上越新幹線とき号で出発です。

集合場所は 新潟県の長岡駅東口です。
長岡も50数年振り、すっかり変わってしまっている長岡駅大手口。

一人、二人・・・集結してくるクラスメート、
体型、容貌 浦島太郎状態です。
お互い 一瞬、「エッ、誰?」という顔になりますが、どこかに雰囲気が漂っているもの、
名を名乗れば 50数年間の空白が 吹き飛んでしまいます。
しばし再会を喜び合いながら 宿泊先 蓬平温泉「福引屋」送迎バスに乗り込みました。
蓬平温泉は 長岡駅から南東へ車で約30分、山深い地の歴史有る温泉です。

蓬平温泉(よもぎだいらおんせん)
「由来・・明徳元年(1390年)、楠正成の子、正儀朝臣の家臣高野木民部永張が会津に赴く途中に、足利勢と戦い足に重傷を負った。この地の高龍神に助けを求め祈願。夢の中で 「この川の下流に白い泉水が湧き出している。それを患部に浸せば速やかに治るであろう」とお告げが有り、永張はそれに従ったところ、数日で傷が治った。以後 この地の村里人達は 神霊の霊地として高龍神社を祭った。

  「福引屋」のパンフレットから、

太田川沿いに 温泉宿が開業したのは 明治2年頃で 当初は 湯治湯として栄え、現在は長岡市の奥座敷として 「よもやま館」、「和泉屋」、「福引屋」、3軒の宿が有り、近郊や首都圏から大勢の方々が訪れる人気の温泉地となっているようです。
泉質は 単純硫黄泉、アルカリ性、すべすべ、ツルツル、美肌の湯として女性にも評判が良いそうです。

宿泊先「福引屋」の直ぐ近くの 高龍神社を参拝、
小高い丘上に有り 急な階段を昇ります。足の具合悪い人のためにエレベーターが設置されておりびっくり。

宿泊先「福引屋」に戻り、入浴、
決して 大ホテルのような豪華な造りではなく 山宿、湯治湯の雰囲気が残る素朴な風呂場ですが 湯は すべすべ、ツルツル、
爺さん達の肌も 少しは 美肌になるかな? 
総勢16名、クラス会宴席は 学生時代の思い出話、趣味等近況報告、病気の話?、次々と 積もる話で盛り上がり あっと言う間に過ぎて行き、部屋に戻ってからも 深夜まで 飲みながら、語りながら・・・。

第2日目、
深夜まで 飲み語りしていても 年寄りは 目覚めが早い?、
6時頃には 全員 風呂にも入って 朝食待ちの団欒タイム。

この日も この時期、この地としては これ以上無いような快晴です。
9時に 福引屋の送迎バスで出発。長岡の悠久山公園で 降車します。

悠久山公園
長岡駅から南東、車で10数分に有る都市公園。市民には 「おやま」と呼ばれて親しまれています。
蒼柴神社地や地元有志の寄附5万坪等によって、大正8年に開園した公園で 園内には 蒼柴神社の祭神 長岡藩3代藩主牧野忠辰が桜を愛好したことにちなんで植樹されたという沢山の桜が有り 桜の名所として知られているようです。

泉翠池

長岡郷土資料館、

①町を造った堀直竒、②民政に尽くした藩主達(牧野忠成)、③幕政を支えた藩主達(9代牧野忠精、10代牧野忠雅、11代牧野忠恭)、④学問教育を築いた人々、⑤戊辰戦争を戦った人々、⑥河合継之助の足跡、⑦小林虎三郎と米百俵、⑧近代教育を推進した人々、⑨近代産業を興した人々、⑩提督山本五十六、⑪外交文学で活躍した人々、⑫法制の確立に努めて渡辺廉吉、⑬文人画家松岡譲、⑭名誉市民、雪国の民族展(茅葺農家の暮らしの情景再現、懐かしい積雪期の民族資料展示)、

長岡郷土資料館4階展望台からの眺望、
北方、日本海側には、広がる越後平野と 弥彦山、角田山が見えます。

西方には 長岡市中心部、

蒼柴神社に参拝、

長岡中心部に戻り 散策です。
栃尾鉄道廃線跡遊歩道、

まいまい姫伝説、

米百俵之碑、
佐久間象山に学び その才能が非凡で 吉田松陰と共に 象山の二虎と呼ばれていた小林虎三郎。戊辰戦争後 焦土と化した長岡で 支藩、三根山藩主から送られた米百俵を 教育第一主義の虎三郎は 赤貧に喘ぐ藩士には与えず 学校設立資金に当て 長岡復興の礎を築いたとされています。

春のおやまのぼんぼりに そっと抱いた恋心、
淡い一夜の思い出の 懐かしの町あなたの長岡よ、♪

雨に煙った並木道 駅の時計を眺めつつ、
君を待ってた思い出の 懐かしの町あなたの長岡よ、♪

霞む夜霧のすずらん灯 ネオンさゆらぐ福島江、
共に歩んだ思い出の 懐かしの町あなたの長岡よ、♪

シネマ帰りの喫茶店 蒼いネオンにささやいた、
可愛いあの娘の思い出の 懐かしの町あなたの長岡よ、♪

学生時代、寮のコンパ等で 蛮声を張り上げて歌っていた歌です。
あの日あの頃が蘇ってきます。
50数年振りの再会を楽しんだ2日間の小さな旅が終わり 長岡駅から上越新幹線とき号で 帰途につきました。

 


 

 

 

 

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