古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

一杯のおいしい紅茶 ジョージ・オーウェル

2024-11-15 13:32:41 | 本の紹介

小野寺健・訳 中公文庫 2020年

 

ジョージ・オーウェル氏と云えば、「動物農場」

 

と「一九八四年」を書いた作者として有名で、

 

二作品とも読了済みだ。

 

手紙から、類推するにオーウェル氏と云う人は

 

とても誠実で実直な方であったようだ。作家に

 

なる為にあらゆる努力をしたという感じを受ける。

 

子供の頃の帝国主義の洗礼により社会主義者になり、

 

全体主義を批判するような、「一九八四年」を描

 

いたらしい。この人は社会派の作家ということが

 

出来る様だ。本書でも冒頭のエッセイで、「一杯の

 

おいしい紅茶」と言うタイトルで、おいしい紅茶の

 

淹れ方について考察している。けっこう、口説い所が

 

あるようで、綿密にそこら辺は描かれている。

 

47歳で若くして、肺結核で亡くなっている。

 

本名、エリック・アーサー・ブレア。1946

 

年頃のエッセイだが、今でも読み継がれるには

 

それなりの理由があるのだろう。

 

(読了日 2024年 10・24(木)23:05)

                  (鶴岡 卓哉)

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街角の煙草屋までの旅 吉行淳之介

2024-11-14 04:16:22 | 本の紹介

講談社 2009年

 

副題的に、吉行淳之介自身による吉行淳之介③とある。

 

ケストナーの「ファビアン」に「ちょっとの違いが

 

大きな違い」とあるらしく、開高大兄と、我々はそ

 

こを読み外さない、と語っておられた。

 

1979年のエッセイから亡くなる前年1993年

 

までの充実しているエッセイの数々を収めている

 

本書。川崎長太郎氏に始まり、色川武大氏、井伏鱒二氏

 

まで、思い出を描き、偲んでいる。

 

お酒がお好きだったらしく、日本酒を飲むと肌が爛れるので、

 

ウイスキーを飲んだら、それがないので、生前井伏氏に教えた

 

とある。すごくデリケートな人で良く気が付き、端々に神経の

 

行く人と言う印象である。こういう人とはあまり会いたくない。

 

見透かされそうで、ちょっと怖いからである。編集者としても、

 

奮っていて、先日、「奇妙な味の小説」がとても良かったので、

 

本書を買って読んでみたというわけ。

 

(読了日 2024年10・17(木)18:50)

                (鶴岡 卓哉)

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陰翳礼賛  文・谷崎潤一郎 写真・大川裕弘

2024-11-13 05:20:34 | 本の紹介

PIE 2010年

 

日本人にとっての暗さ、陰、と云うものの重要さ

 

を説いた一冊。全国の店などで撮られた気配の

 

ある写真がたくさん載っている。

 

いや、この本を読めば、日本人に生まれたことの

 

意味について考えざるを得ないだろう。

 

それは谷崎氏の好きだった日本女性のことを考える

 

ことにもある。元来、日本人の女性はうす暗いところに

 

そそとしているのが美しい、とある。

 

今の時代、うす暗い陰にいろ、と言ったら、女性は

 

怒り出すだろう。都合のいい美の追求でもある。男の

 

強かった時代の幻だ。

 

今の時代、美しさというものの意味も変わり、美しい

 

より、かわいい、が重宝される。

 

ぼくは夜が好きで、暗いのが好きなので、そこに美

 

を求める谷崎氏に共感しかなかった。人の性格でも、

 

暗いのもなかなか今の時代、いいと思うのだ。

 

暗さの中にこそ美があるだろう。やたらめったら明るい

 

と云う人というのもなかなか厄介なものである。

 

(読了日 2024年10・14(月)22:45)

                 (鶴岡 卓哉)

 

 

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思い出の作家たち 司馬遼太郎 ドナルド・キーン

2024-11-11 05:16:11 | 本の紹介

松宮史朗・訳 新潮文庫 平成十七年

 

今回の本書の大トリとなる司馬遼太郎氏をみてゆこう。

 

キーン氏と司馬氏は友好的な関係だったらしく、ある

 

パーティーでの司馬氏の口から出た言葉によって、朝日新

 

聞に採用されたという。

 

また、キーン氏は司馬氏の文章は褒めていないね。

 

非日本人に理解されないのはその文体にある、と分析

 

している。

 

反復する文章にも苦言を呈しているように感じる、

 

と同時に司馬氏の人間性についてはぶっち切りで褒めて

 

いる。あの人間性あっての司馬文学だ、といっている。

 

キーン氏の「日本人になりたい」発言はいまだに日本人の

 

語り草だが、ぼくは、キーン氏は日本を理解した立派な

 

日本人だ、と認めてあげたい気持ちになっている。

 

(読了日 2024年10・13(日)22:24)

                (鶴岡 卓哉)

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思い出の作家たち 阿部公房 ドナルド・キーン

2024-11-09 02:02:27 | 本の紹介

松宮史朗・訳 新潮文庫 平成17年

 

今回は阿部公房氏を見て行こう。キーン氏と阿部氏の

 

初めての出会いは、一九六四(昭和三十九)年の秋。

 

「砂の女」の英訳本出版に当たって、ニューヨークに

 

安部氏が来ていて、コロンビア大学のキーン氏

 

の研究室を訪れ、この年、カンヌ映画祭の審査員特別賞を

 

獲った勅使河原宏氏が一緒だったという。そして、若い女

 

性がひとり通訳に伴って来ていたが、キーン氏は通訳なしで

 

喋ると言い、心外に感じたと云うことだ。

 

その女性は、なんとオノ・ヨーコ女史であったことを

 

 

数年後に知ることになる。

 

この時、三人を110丁目の中華料理屋にキーン氏は

 

案内したのだが、日本から戻ったばかりだったキーン氏

 

は時差ボケが抜けず、様子がヘンだったらしいのを

 

医学部出身の阿部氏は麻薬常習者と勘違いし、確信し、

 

それがのちの交際に暗い影を落とすことになるが、ある

 

酒席で誤解もすんなり解けて、無二の友人となった

 

という。その後、阿部氏は戯曲などを手掛けるが、

 

1993年に亡くなった、癌だったと云う。

 

(読了日 2024年10・11(金)21:55)

                (鶴岡 卓哉)

 

 

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思い出の作家たち 三島由紀夫 ドナルド・キーン

2024-11-08 04:19:53 | 本の紹介

松宮史朗・訳 新潮文庫 平成17年

 

今回は三島由紀夫氏 をみてゆこう。ぼくは三十代の頃、

 

「葉隠入門」を座右の書として、ボロボロになってしま

 

うまで読み倒したほどだが、四十代になって、不意

 

に考えが変わり、ほっぽり出してしまった。

 

三島氏は夭折にすごい憧憬の念を抱いていたようだ。

 

若くして死ぬことを美と考えていたようだ。そこら辺が

 

ぼくと違うところだった。ぼくは長生きしたいと、

 

痛切に願うようになっていった。美に生きた三島氏

 

ならではの切腹と云う儀式をどう解釈するか? もう

 

書けなくなったからだ、とする大方の見解に、切腹

 

する前日まで「豊饒の海」を書いていた、と書き、

 

そうではなかったのでは、と暗に言っている。

 

自身美を追求する余り、夭折の道を突き進んだ三島。

 

金閣寺を燃やした青年と話したが、附け加えることは

 

なかった、と語った。美とは、人を惹き付けてやまない

 

究極の現代人のテーマだ。

 

(読了日 2024年10・8(火)23:15)

                (鶴岡 卓哉)

 

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ストレンジャー・ザン・ニューヨーク 四方田犬彦 写真・北島敬三

2024-11-06 00:40:10 | 本の紹介

朝日新聞社 1988年

 

いつもは上がらずに済ませてしまうが、2階に

 

上がって、芸能のコーナーのこの本をアカデミイ

 

で手にし、冒頭、ストレンジャー・ザン・パラダ

 

イス、ジム・ジャームッシュ監督の映画に言及し

 

ている文章があり、買うことに即決。ニューヨークは

 

行ったこともあり、大好きな街だ。

 

ぼくは田舎より、街を歩いている方がイキイキして

 

いるらしい。この本も都会的でアーティスティックで

 

アカデミックな本だった。まだ、ニューヨークの

 

物価が東京の八割程だった頃のみんな若い頃の話だ。

 

今はラーメン一杯数千円するというから、驚きだ。

 

四方田氏も今や、71歳の御大だ。

 

ニューヨークを立つ時、朝の三時まで、送別会をやられ

 

ていたそうだ。うーん、楽しそうだ。

 

ぼくは、もう、あんまりどんちゃん騒ぎもしたくない

 

のね。

 

ひとり静かに、ストレンジャー・ザン・ニューヨークを

 

読んでいる方が楽しいひとになってしまったのだった。

 

(読了日 2024年10・8(火)22:⒑)

              (鶴岡 卓哉)

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聡乃学習(サト スナワチ ワザヲ ナラウ) 小林聡美

2024-10-31 21:48:15 | 本の紹介

幻冬舎文庫 2019年

 

いつもこの人の本は、なんとなく読み始め、

 

なんとなく読み終わっている。

 

この人のいいところは、猫を愛しているところ

 

で、ホイちゃんという、ポイと捨てられた捨て猫

 

だからというのでそういう名前にした、という。

 

最後の大トリのエッセイで、そのホイちゃんが

 

大病をして、死んだことが描かれている。

 

それはとても淡々と描かれているだけに、静かな

 

哀しさが漂っている。

 

五十代の老いが描かれていて、いろんなところに

 

来るんだ、五十代。

 

ぼくは、この前、台所の前に置いてあったケースに

 

足を突っ込んで、滑ってコケて、腰をやられてしまった。

 

いや、頭を打って、救急車で運ばれた人もいる、とか。

 

いつどうなることやら分からぬ、毎日がアドヴェンチャー

 

な五十代なのだった。

 

(読了日 2024年10・7(月)18:30)

                (鶴岡 卓哉)

 

 

 

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思い出の作家たち 川端康成 ドナルド・キーン

2024-10-30 01:47:36 | 本の紹介

松宮史朗・訳

 

キーン氏は喋ることは出来たが、書く方は

 

なかなか日本語では難しかったようで、訳

 

となっている。

 

川端氏について、ぼくがいえるのは、ちょっと

 

過大評価じゃないかなあ、ということだ。

 

それで、ノーベル賞をもらって、そのプレッシャ

 

ーで潰れてしまったのではないか、それで、ガス自殺

 

という最悪な結果になってしまったのではないか。

 

しかし、作家にとって自死という選択肢は決して、最悪

 

でもないこともあるのではないか。それは時に、川端の

 

目指していた日本的美と同様、潔い美として認められる

 

得ることもあるということだ。

 

一読して、残念なのはあまり川端について会った時のこと

 

が描かれていないことだ。

 

キーン氏が川端に会ったのは、昭和二十八年、川端はまだ

 

五十四歳で、ぼくと二つしか違わない。しかし、実に

 

老けて脆い感じの人、という印象を受けたという。

 

(読了日 2024年10・6(日)22:50)

                (鶴岡 卓哉)

 

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思い出の作家たち ドナルド・キーン

2024-10-27 12:35:09 | 本の紹介

松宮史朗・訳 新潮文庫 平成17年

 

本書は副題に谷崎・川端・三島・安部・司馬と

 

あるように、それぞれ5人の作家を評している。

 

今回はその谷崎を見てゆこうという趣向である。

 

キーン氏は97歳で2019年までご存命だったので、

 

谷崎とも実際会い、話しを交わしている。

 

キーン氏も悔いているが、それらの時の事書き記して

 

いなかったらしく、忘れ去られたようで、記述も

 

少ない。作品に対する賞賛の記述が多い。1953年

 

末、トルコへ行く道すがら「細雪」を困難を乗り越えて読み

 

「蓼喰う虫」(たでくうむし)の翻訳を谷崎に渡して欲しい

 

とエドワード・サイデンステッカーに依頼され、下鴨の

 

谷崎邸に向かう、それが、初遭遇だ。

 

谷崎は和服姿で、1Hほど気楽に話したそうだが、本当は

 

谷崎氏というのは男に興味はなく、来客嫌いで有名だった

 

と云う。

 

(読了日 2024年10・6(日)15:16)

                (鶴岡 卓哉)

 

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