昨朝は台風の影響残りで風が強かった。ベランダには雨が振り込み、火鉢を利用した金魚の棲家の水も満杯だった。子供の頃の台風は吉野川(徳島県)の水が増え、魚釣りに絶好の状態になるので嬉しかったが今は早く、収まって欲しいの気持ちだけである▼散歩道で石に彫られた案内が以前から気になっていた。が、はっきりとは文字が読めず何処への案内かわからなかった。写真1は北から大津谷のキャンプ場へ向かう道である。右側にある石の案内に白い塗料が入れられた。写真2が拡大したもので”ぜんぞうち(?)”かと思った。近くに禅蔵寺と言う”土岐頼忠一族の墓”がある寺があるが・・・。調べてみると一番下の”ち”に見えた字は”寺”のくずし字で”左 ぜんぞう寺”の案内であった。因みに土岐頼忠は足利義満の時代の人で美濃守護職にあったようだ▼過日、池田町の歴史講座で谷汲巡礼街道を歩いた時に写真3のような谷汲への案内があった。こちらは”天保?年”と書かれている。同じ時代かどうかはわからない。最後の4枚目はこれも近くにあった太郎ヶ城跡の石碑である。史書では記載されていた。が、見つかったのは小学校の増築工事の時のようだ▼子供の時、台風で増水した吉野川と谷水の混じり口は、小さい太公望で満員だった。秋空に魚の鱗がキラキラと光る光景は今も鮮明に思い出せる。♫”あれは3年前・・・”イヤ、半世紀以上前の話である。
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