何時の頃からだろうか。誕生日を迎えた時の気持ちが変わって来ていることに気がついた。現役で働いていた頃は素直に喜んでいたように思うのだが、還暦を過ぎた頃からだろうかだんだん変化したと感じる。
”誕生日を祝う”、生まれた月日を記念日として祝うのだろう。が、この歳になり誕生日になると”過去1年間、何とか過ごせた”と感謝しながら続いて”今年も平穏無事”にと願いたくなる。思い返してみると現役の頃は”今年はこうなって欲しい”と次の1年のことしか考えていなかったように思う。私の誕生日は3月1日、都合が良いと思っていたのは新年を迎えた時に今年の七大目標となどと大きく構え、誕生日で見直しをすると言うことが出来た。まるで国の修正予算みたいだが。
話は変わるが60歳になった頃に名古屋でうなぎをご馳走になったお店のおばさんに”毎朝、散歩している”ことを話すと”近くに神社があるなら廻ってお参りを”と言われた。なるほどと思い散歩は先ず近くの熊野神社に詣ることからのスタートになった。その後、ある人から”何をお願いする?”と聞かれ”今日も元気にに加え、株が上がりますように・競馬に勝ちますように”と言ったら”不純!”の一言、”昨日、無事過ごせたことのお礼から”と言われ、素直な私はそうしている。誕生日の話に戻るがこちらも同じように”66歳1年無事のお礼”に加え”67歳1年のお願い事”をした。何を願ったかって?”株が戻りますように・競馬の負けが戻りますように”・・・。
例年の誕生日ならまだこの地域では梅は早咲きしか咲いていない。我が家にある3本は3月10日前後である。今年は我が家の3本に加え、隣の茶畑のおじさんが門脇の茶畑に植えてくれた梅が祝ってくれている。”この1年”と、元旦の思いの焼き直しだが願わずにはおられない。今日3月1日、朝日新聞朝刊鷲田清一氏”折々のことば”に現代俳句人坪内稔典氏の句が紹介されていた。”三月の甘納豆のうふふふふ”ーーー良い1年になりそうだ。
玄関先の白梅 引っ越した際に近所から頂いた。 プラムの木の横に植えている南高梅、まだ数個しか収穫したことがない。
枝垂れ梅 咲くには咲くがまだ花数が少ない。 門脇の茶畑に植えられた紅梅。
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