大降りではないが夕立的な雨が多いせいか朝は北の山に毎日のように霧がたなびく。山々の重なりがくっきり浮かぶ光景は美しい。もう1枚も朝6時過ぎの散歩時に浮かぶ月だ。仲秋の名月の2日後の12日、満月から少し下が欠け始めた月がまだ西の空にいた。
我が郷、ヒガンバナは秋分の日に見ごろとなるように咲く感じがする。毎年、これを基準に”今年は早い”とか”遅い”とか言っている。去年は遅かったヒガンバナ、今年はむちゃくちゃ早い。彼岸の入りも未だなのにもうあちこちで赤い花が目につく。
この地では野の花としてはツユクサが最も早く、その後にヘクソカズラが、そしてこの花ルコウソウが咲き始める。露草は蔓性ではないが強い花、ヘクソカズラ・ルコウソウは蔓で広がる。葛ほどではないがこれら蔓性の花は広がり過ぎないよう早めに処理することが必要なようだ。
棚田に近い田と田の間を流れる水路の一か所に毎年、この花が咲く。キクイモの花だと思っている。しっかり伸びた茎、風にも負けずにしっかりと立ち、花を支えている。
広がるのを恐れ、鉢植えにされているヤハズ薄の鉢に全身、ピンク色の花が咲いた。ナンバンキセルの名のようだ。もう少し伸びてくれると見つけやすいのだが毎年、教えられて写真に収めているような気がする。
明日9月18日(旧8月23日)は七十二候 白露末候で玄鳥去(つばめ さる)だ。4月5日 清明初侯で玄鳥至(つばめ きたる)だったが6ヶ月を過ぎた。ここに来て玄鳥を見かけなくなった。確かに”つばめ さる”だ。七十二候は”言われてみれば”と言うことがたくさんある。このツバメも言われてみて初めて飛び始めているのを知り、去っているのを知る。七十二候ではないがこの地へ来て、これを最も感じるのはセミ。あんなにうるさく感じたアブラゼミ・クマゼミがいつの間にかツクツクボウシに変わっていた。そのツクツクボウシの鳴き声も今は聞こえず、ヒグラシを待つ日々だ。
山口青邨氏の俳句で”わが庭を 蝉の埋るる 聖地とす”と言う句があるのを知った。これに引っ掛ったのは我が庭も毎年、蝉の抜け殻空蝉を多く見るようになったためだ。畑に撒くおがくず・柔らかい土壌・蝉がよく留まる欅の木が数えると10本、蝉が生まれ、育つ条件が備わっているのかも知れない。鳴き声がうるさくはあるのだがうたた寝時には聞きなれない楽器で奏でる子守歌にしか聞こえてないようだ。
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