映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「栗本薫と中島梓  世界最長の物語を書いた人」里中高志

2020年01月11日 | 本(解説)

湧き上がる創作意欲と、孤高の魂

 

 

* * * * * * * * * * * *


栗本薫と中島梓、二つの名前を持ち、
作家・評論家・演出家・音楽家など、
才能を自在に操り多くの人たちに感動を与える稀有な存在でありながら、
ついに自身の心理的葛藤による苦悩から逃れることはできなかった人。
その生涯を関係者への取材と著作から検証する。

* * * * * * * * * * * *

栗本薫さんが2009年5月、56歳で亡くなって、もう10年にもなるのですね。
考えてみると私、彼女のファンのつもりでいましたが、
「グイン・サーガ」の他は伊集院大介のシリーズをほんの少し読んだだけ。
中島梓名義のものはほとんど読んでもおらず、
北海道在住では演劇もライブも行ったことがない、
全くファンとは言えない状況なのでした。

 

そこで、というわけでもないのですが、
没後10年に合わせて出版されたであろうこの本を手に取ってみました。
栗本薫さんの生い立ちや作家活動、人生についても広く深く考察された意義深い本です。
本作を読むと彼女が作家・評論家・演出家・音楽家として
いかに卓越した才能をもっていたかを改めて知ることになります。
しかしまた、その実、彼女は常に自分をこの世の異邦人のように感じ、
孤独の縁に立っていたということもわかります。
根源的には障害者である弟の存在、そのことに発する母親との関係性・・・、
私、今までそういうことは何も知らないのでした。
彼女の編集者であった人物と不倫の果ての結婚ということも・・・。


けれどもそんなことを知っても知らなくても、グイン・サーガの面白さになんの変わりもありません。
ただひとつ、この地上にただ一人豹頭の存在、自らの出自もわからず苦悩する孤独の王者グインと
彼女自身に重なり合うところがある、そのことがわかったのは良かったと思います。
そしてまた、彼女は多くの「やおい」というか「BL」ものを書いているのですが、私は読んでいません。
読み始めたらはまるのかもしれませんけれど。
でも、これらは「少女にとっての性解放」なのだという下りで、
なんとなく腑に落ちた気がしました。
しかし今の「おっさんずラブ」や「きのう何食べた」を見る限りでは、
同性愛のそうした役割はもはや終わったような気もします。

 

ものすごく早く多く原稿をこなし、その命の限りまで原稿を書き続けたという、
栗本薫さんの偉業に改めて感謝です。
私に、ノスフェラスやパロ、ケイロンなどへの旅をたっぷり届けてくれた栗本薫さんに。

いま改めて栗本薫・中島梓を知るために、とてもいい本だと思います。

 

さて、ところで未完の「グイン・サーガ」は、栗本薫氏に心酔する幾人かによって
今も書き継がれています。
私もしばらくは読んでいたのですが、数年前から一切読むのをやめてしまいました。
ストーリーは変幻自在、確かに面白くできてはいるのです。
でも、例えば一冊読んで数ヶ月後にその続きが出る。
するとその頃には前巻の内容をすっかり忘れてしまっているのです。
栗本薫さんの時はそんなことはなかった。
そのストーリーはくっきりと胸に刻み込まれています。
前のストーリーを忘れているなどと言うことはなかった。


私、こう言ってはなんですが栗本さんの文章は少し「くどい」と思っていたのです。
一つのシーンに相当多くのページ数が費やされる。
もうたくさん、と思うくらいに。
しかし今にして思えば、このくどさ故に、
ストーリーがこちらの身体隅々にまで染み入っていたようです。
栗本氏自身が、グイン・サーガは誰かが書き継いでくれれば良い、
とおっしゃっていたようなのですが、いやいや、
たとえひみつのストーリーが誰かに伝えられていたとしても、
それを表現できるのは唯一栗本薫氏だけなのです。
だから私は、グイン・サーガは栗本薫さんの未完のストーリーだけを宝物として胸に抱くことにします。

当ブログでは「グイン・サーガ」第113巻から始まっているのですが・・・、
ぼちぼちと第1巻から紹介していこうかしらなどと、無謀なことを考え始めました。
もう一度読み直して見たくなってしまいまして・・・。
合間合間に、本当にゆっくりと・・・。

(図書館蔵書にて)

「栗本薫と中島梓  世界最長の物語を書いた人」里中高志 早川書房
満足度★★★★★

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿