映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

始発駅と終着駅が同じ銀河鉄道

2009年03月11日 | インターバル
先日、知人の娘さんが亡くなりました。
22歳。
全く普段通りご家族で生活していた中での、突然死だったそうです。
葬儀の遺影は、おそらく成人式の時のものなのでしょう、
晴れ着をきた娘さんが、花のように微笑んでいる。

このように若い方の死というのはなんと切ないのでしょう。
高校生らしき弟さんが泣きじゃくっていて、思わずこちらも涙・・・。

この先あったかもしれない彼女の恋や結婚・・・。
あったかもしれない彼女が築く家庭。
かなえられたかもしれない彼女の夢。
これらが一瞬に「ないもの」になってしまった。

また、ご家庭では、
いつも彼女がいた部屋、
座っていたいす、
使っていたお茶碗・・・、
何を見ても思い出し、
そのぽっかりと明いた空間に、胸を痛めているのではないでしょうか。

私たちは、「ないもの」を思うときには、
何もない空間を頭の中に描くのではなく、
「あるもの」を想像して、それが消え去ったときのことを頭に描くんですね。
だから、「ないもの」は哀しいのです。
それは自分の一部の喪失だから。


お坊さんがこんな話をしていました。
私たちは銀河鉄道に乗って旅をしている。
けれども、亡くなった娘さんは、
これを降りて、下りの銀河鉄道に乗り換えたのだと。
しかし、実はこの銀河鉄道は
始発駅と終着駅が同じところにある。
だから、もう二度と会えないと悲しむことはないのだ。
いつか私たちが終着駅についたときに、
きっと彼女はそこで待っているだろう・・・。


死とは生まれたところに還っていくことなのか。

そうは言っても、ご家族の喪失感は、
時が解決するしかないのだろうと思います。
同じような年頃の娘を持つ私には身にしみます。

合掌。


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