いやあ~見て欲しかったなぁ!置農演劇部定期公演『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』(作:横内謙介・演出:河原俊雄)良い出来だったんだよ。主役の二人、王様と道化、よくぞ覚えたもんだよあの長くてたくさんのセリフ、そして見事にその複雑な役柄を演じきった。その他の役者も力を出し切ってお互いに力のある言葉のやりとりに成功していた。スタッフもわずか一日のリハーサルなのに、僕の過大な要求をまずまず無難にこなしてくれた。
それにしても、客が少ないよなあ!昼・夜二回の公演で150名だもの。見た人は大方、良かった、このまま終わるのもったいない、高校生とは思えない、って言ってくれるんだけど、如何せん!150だ、あ~あ!!理由はいろいろあるよ。川西だもんなあとか、置農生って、演劇みないものなあとか、宣伝まで心配り出来なかったしなあとか。
でも、一番の原因はネームバリューってことだと思う。まず最初は、なに?高校生?たかが知れてるねって奴。どうしてそう決めつけるんだろう?スポーツだったら、高校生から第一級ってこといくらだってあるのに。ハンカチ王子やマー君だって、イタリアに渡ったサッカーの森本だって。いや、置農がそうだとは言わない。たしかにレベルが違う。演劇とスポーツの違いってこともある。でも、巷で思いこまれているほど、高校生の力って低くはない。演劇でだってそうだ。
たしかに、いい加減にしろよって感じの自己満足・自己陶酔の舞台もある。でも、びっくりするような輝きを放つ舞台もたくさんあるんだ。地道にしっかりと仕上げられた作品、心を打つ素晴らしい芝居も数多く演じられている。なのに、高校生ってことだけで、もう初めから相手にされない。これが日本だよ。これが現在なんだよ。これが、文化的貧困って奴なんだよ。
次に、まっ、置農だから、って奴。農業高校、あっそう、農作業してろよ、なんて思ってないか?演劇?柄じゃねえよ、って決めつけていないか?演劇の才能って学力とはまるで関係ないんだぜ。なまじっかのくだらない先入観とか、自惚れとかが無いだけ、ずっとストレートに芝居に入って行けるってこともあるんだ。
世の中ともかくネームバリューなんだ。6,7月のフレンドリープラザの催し物でも、東儀秀樹はどかどか売れてるのに、音楽座のミュージカル『アイ ラブ 坊ちゃん』はちょぼちょぼなんだそうだ。東儀さんがつまらないってことじゃない。音楽座があれだけの質を持っていながら、伸び悩んでるってことのやりきれなさなんだ、まったくもう!理由はただ一つ、ネームバリュー!
この通俗性をどう打ち破るか、ここに日本の文化の大きな課題があるよなぁ。要するに、テレビの影響力からいかに人々を解き放つかって問題なんだよ。これを解決しないことには、地方の文化なんて、絶対育ちっこない。置農の公演にも観客は集まらない。おいおい、なんか、すり替えてないか?
ただ、今日の救いは、フレンドリープラザ館長の阿部さんが、舞台を見てくれて、観客が少なくてもったいない、次回は私たちも努力しますって言ってくれたことだね。まずは、会館の側が、地域の力を伸ばしていこうって視点に立ってくれたってことが何より大切だと思う。
今回の置農演劇部、技術や力量では、プロや都会劇団に到底敵うものじゃないけれど、そこに込めた思い、ひたむきな姿、一途な勢いは決して引けをとるものじゃない。もちろん、面白さっていう点でも、そこそこだったと思う。菜の花座も含めてこういった地域の力を伸ばすことなく、地域の時代ないて決してこないと思うんだけど、どうだろう?