学校の芸術鑑賞、都会の人たちから見ると、ああ、売れない劇団やマイナーなミュージシャン、芸人の旅巡業ね、って馬鹿にするところがあんじゃないかな。まっ、たしかに、これじゃ高校生相手にしか、やれないよ、なんてがっかりするステージもないわけじゃない。でも、生の演劇や音楽に触れることの少ない田舎の若者たちに、新鮮で刺激的な時間を提供してくれる場合てのも少なくないんだ。昨日見た東京芸術座『Charanged』もまさにそんな舞台だった。
盲学校に新たにプールができ、そこにオリンピック出場が叶わなかった実力選手が赴任してくる。さっそく水泳部が作られ、熱血先生の指導のもと生徒たちは泳ぐ喜び、自分の力を押し広げていく充実感を学ぶ。能力抜群だが、周囲への不信感に固まる男子生徒とのせめぎ合いを通して、先生も一度諦めた競泳の場に立つ。その挑戦する姿勢に頑なな心を開き、生徒も健常者の大会への出場を決意する。
と、まあ、内容はお定まりって言えないわけじゃない。でも、日頃僕たちが気づかない目の見えない人たちの複雑な感情や健常者ならどうということもないプールや水泳に対する恐怖などといったことを、役者の肉体を通して感じ取らせてくれた。
さらに、この作品で優れていたのは、競技に対する考え方に、はっとする内容があったことかな。競技は自分との戦いだ、なんてのはありきたりだけど、競泳は隣のコースを泳ぐライバルとの貴重な体験の交流なんだって考え方、これはとっても新鮮だった。それと、泳ぐという、舞台表現ではなかなか難しい動作を、照明と何より役者たちの肉体によってしっかりと現出させていたってことだ。
高校生の関心を惹き付け続けるってなかなか大変なことだ。まして、演劇だ。生の演劇なんてほとんど見たこともない彼らだ。映画やテレビには、この狭い舞台空間など比較にならないスペクタクルが氾濫している。そんな彼らの心を1時間半、しっかりとつなぎ止めた。それも、まさしく演劇の王道を行きながら。演劇ならではのもの、それはせりふのやりとりと、生身の身体だ。その二つの武器で、障害者が必死で生きる姿や挑戦する若者の感動を伝えきった。
学校の芸術鑑賞、地道な活動にかける演劇人の熱い心!こんな人たちのことを世間はもっと大切にしていいんじゃないか。