ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

再演『見よ!飛行機の高く飛べるを』

2011-04-21 22:12:06 | 演劇

 そうそう、定期公演、『見よ!飛行機の高く飛べるを』に決まったんだった。て、もう稽古してるのよね。ただ、まだ作者の永井愛さんの上演許可はもらってないので、とりあえずは予定ということで。

 7年前にも置農演劇部で上演した。3時間近くかかった大作だったけど、見てくれた演劇関係者から、「こういう舞台があるから高校演劇は油断ならない」と言わしめた公演だった。上手じゃないけど、高校生の真摯さが心を打つってことだった。もちろん、作品が素晴らしいことは言うまでもない。だから、また、もう一度挑戦しようという気になった。

 7年前の公演では、主役の延ぶも初江も安達先生も菅沼先生もさらに周りを囲む女子師範学校生徒たちにも、いずれもいずれもぴったりの役者がそろっていて、今思い出しても、ああ、これはあの子たちにはまった芝居だったなぁと痛感することしきりだ。新庄先生役には入ったばかりの一年男子が熱演してくりたり、校長先生役には菜の花座でも活躍することになるエモッチが渋く決めてくれたりもした。恵まれた舞台というものはこういうものなんだろう。

 さて、今回はどうか?自分の持ち味で演じられる部員は、まったくいない。誰一人として、この役はこいつたろう、ってものがさっぱりないのだ。誰がどの役をやるにしてもそうとう高いハードルを越えてもらわなくてはならない。明るさ不足だったり、幼すぎだったり、コミカルさが欠けていたり、姿形も適役とおぼしい者はまったくいない。しかも、2、3年生だけでは不足、新入生もかり出さなくてはならないという難しい状況なのだ。

 じゃ何故、そんな不向きな作品を選んだのか?

 まずは、難しいからやってみようということだ。持ち味で役をこなすのではなく、演技と役作りで表現し抜いてほしいと思った。子どもミュージカルだと発揮する持ち味を、こういう時代の精神をまっすぐに描いた傑作と対峙することで磨き上げてほしい願っているからだ。明治の女学生たちのひたむきな生き方から何かを感じ取ってほしいとの思いも強い。さらに、今の女性の地位というものも、こういう女性たちの苦闘の上に築かれているってことも知ってほしいと願っている。

 ともかく、今の生徒たちは知らなすぎる。わずか100年ほど前に若者たちがどんな青春を生きたかということを。自分の一生を賭けて戦い抜いた多くの人たちのことを、知らなすぎる。正義や自由というもののきらびやかさに鈍感すぎる。

 置農演劇部としては、初めての再演だ。もう一度やる以上は、それなりのものにしなくてはならない。前回をはるかに超える舞台を作らねばならない。これが僕自身に課した高いハードルだ。

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