ウクライナへのロシアの侵略8日目、俄か軍事評論家やらとってつけナショナリストがぞろぞろ顔を覗かせてる。
たしかになぁ、日々、刻刻、ロシア軍の攻撃進度とウクライナの反撃が気になって仕方ない。日本の報道の遅いじゃねえか、BBCとかロイターのページ直接見た方がずっと最新ニュースつかめるぜ、なんて日に何度もニュースサイト行ったり来たりしてる。
なんとか、停戦合意してくれ、市民への砲撃止めてくれ、ロシアの兵士たちも気づいていくれ、ロシア国民になんとか世界の声を届けられないものか、きっと、多くの人たちが、こんなの焦りと無力感の中にいるんだろうな。
モーニングショーで、国民の命が優先か、国が大切か、なんて議論してたけど、そりゃウクライナの人たちが決めることだよな。周りの人間がとやかく口出しすることじゃない。銃を持って戦うことを選んだ人たちも、国外脱出を目指す人たちもそれぞれの重たい決断、圧倒されつつ見守るしかない。外にいる者としちゃ、戦線の様子を気遣いながら、戦争反対の声を上げ続けるしかないよな。
じゃあ、日本でならどうなの?で、核シェアリングだとか憲法9条をなくせなんて議論が威勢よく吹き出てきてる。国か?命か?って二者択一を迫る脅迫もどんどん勢い増してくるんじゃないかな。で、考えてみた、俺はどうなんだ?
まずね、国か命か?って、なんか分かり易い議論のようだけど、すげぇ抽象的なんだよな。だってそうだろ。一言に国って言ったって、戦前の日本のような思想言論の自由はなし目標はアジア制覇、みたいなとんでも国家だって国だし、北欧の福祉国家だって国だ。まず、俺としちゃ、たとえどんなに羽目を外してても国は国だ、国家は運命共同体!みたいな超絶ナショナリストにゃ絶対なりたくない。別にアナーキストでもコスモポリタンでもないけどね。
いざとなった時、守りたい国なのかどうかそこを冷静に判断したい、これが譲っちゃならん一線だな。
今の日本みたいに、首相が国会で嘘八百吹きまくっても平気でいられたり、それにおもねる奴らが権力の裾野まで埋め尽くしてるような状態じゃあな。一部の金持ちや企業ばっか優先して食うや食わずでホームレス、なんて格差、貧困をそのまま放置してるようじゃな。まっ、命かけて守りたいなんて思わねえさ。日本の文化には深く愛着もあるし崇敬の思いも浅くないけど、平気でヘイト撒き散らし、差別行動平然と行う人たちと一緒の国民にゃなりたくない。そんな国に命掛けはお断りだぜ。
命掛けられるとすれば、それは、誇りを持てる国、何としても守り通したいいろんな価値を実現できている国!ってことだ。とりあえず同一民族とか、まっ伝統は大切とか、まして、万世一系の天皇をいただく、なんてことじゃぜぇぇぇったい!嫌だね。
この、国か命か、議論で抜け落ちてるもっと大切なことは、リアリストの視線だ。現実の国の危機を冷静に見極める目だ。
今、保守層が上げる仮想敵国は、北朝鮮?中国?で、今回のロシアの侵攻と引き比べてみて、二国が日本に侵略って有り得る?民族違うし、文化もまるで違う。侵略して属国にするの?どうやって?紛争抱えてるったって、絶海の孤島の領有権くらいだろ。しかも、日本列島、周囲はすべて海だ。って今はやりの地政学的に見て、かなりの無理筋だって判るよな。
北朝鮮がさかんにミサイル実験繰り返してるのだって、日本侵攻を目指してるわけじゃないってことくらい、実は保守層だって判ってるんだよ。北朝鮮が怖くて仕方ないのはアメリカなんだ。必死で強がりアピールしてるのさ。殴ってみろ、こっだって殴り返せるんだからな、って、やせ我慢張ってるのさ。なのに、国難!だとか大声上げててめえの選挙戦の道具にしちまった。あくどい政治家に振り回されてる。そっちの方がよっぽど危険極まれないのにね。
プーチンみたいに一方的な妄執にとらわれた指導者がミサイルとか発射しかねない、って不安思うなら、アメリカだって同じこどたぜ。北朝鮮なんかよりはるかに他国領土攻撃の経験は豊富だからね、アメリカは。ベトナム、イラク、アフガニスタン、それと中南米でもな。それでも、アメリカからの攻撃を恐れる人はいない。何故か?
お互いに信頼しあえる関係を築いているからなんだよ。あいつは仲間だ、あるいは、あいつら手出しはしっこない、って間柄だからさ。ほらな、まずやらなきゃならんことがわかるだろ。近隣諸国との意思疎通、外交努力の積み上げなんだぜ。まず、常日頃から仲良くして行く、そっ、近所付き合いを大切にってことだぜ。今、焦りまくって、あるいは妄想激しい連中に煽られて、核シェアだ、敵基地攻撃能力だ、憲法改悪だって騒ぎまくることの方がよっぽと国の先行きを危うくするってもんだぜ。
まずは、冷静に他国の意図も見極める。戦争の可能性を冷静に判断する。
次に、戦争はしない、武力で解決はしないって世界的な良識を打ち立てて行くことだ。いや、世界規模は無理だとしたら、せめて、日本とその周辺でこの認識を共有する努力をしていくことだ。
その先の話しだぜ、国か命か?なんて問いが意味を持ち始めるのは。
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