ウクライナの情報を追っている。だって、そのくらいしかできんもの。配信された記事を読み、写真や動画を見ながら、遠く隔たった地で必死で現実に耐える人々に共感しようと試みる。まっ、とてもじゃないが、及びもつかんのだけど。
断片的な情報に見入りながら、不思議な感覚にとらわれることが何度かあった。例えば、キエフの避難場所からリアルタイムでツイートが流れて来たり。特に驚いたのは、捕虜になったロシア兵士が住民からスマホを借りてロシアにいる母親に電話をしている映像。
えっ、捕虜が直接家族と通話する!?ってことは、敵国間にあっても個人的な回線がつながってるってことだぜ。こんなことってあるんだ!まさに情報社会だ。これは一種の情報戦じゃないか。
これまで、情報を駆使した戦いなんて、権力を保持する側のデマニュースでの殴り合いでしかないと思っていた。ロシア兵の死者はウクライナ側からは7000人と発表され、ロシアの軍当局では450人と公表する、てな具合だ。戦地から離れていれば、それらの双方の偽情報を適当に勘案して、まっ、実際の戦死者は4,5000くらいかなんて推測したりする。
ところが、戦場の兵士、あるいは住民と母国の家庭との通信が可能となると、今までの、情報は上の方で操作するものって常識なんて崩れちまうってことだぜ。これはすっごく大切なことだって思う。敵対する両国で、国民レベルで情報や意見の交換ができるってことだからな。現場の生の様子やその地の人たちの意見を直に伝えられるってことだ、操られてる下っ端どうしの情報交換、意思疎通、すんげぇなぁぁぁ!
この回路を常時、戦時にあっても開いておくってことは、平和の実現のための大きな武器になるんじゃないだろうか。
と、新しい可能性に期待が膨らむんだが、一方、プーチン支持のロシア国内の現実があって、その落差、デカっ!って一気に落胆する。テレビじゃ戦争が起こってるなんてまったく報じられてないんだって言うじゃないか。多くの人がファシスト、ナチスとの正義の闘い、特別軍事行動だって信じてる!
これ、第二次大戦中の日本、大本営発表を盲目的に信じて竹槍構えた人たちを思い起こすよな。事実を覆い隠し、都合のよい戦況のみ伝えて煽り続ける。メディアもこの謀略に積極的に加担して戦意高揚を使命とする。こんな、偽情報に取り囲まれたら、真っ当な判断なんて生まれようもない。
そうなんだ。国に命を掛けるかどうかを判断するには、まず、正しい情報が伝えられているってことが絶対必須条件なんだ。で、その条件を保つには、思想や表見の自由が保たれていなくっちゃならないってことなんだ。日頃から社会の出来事がウソ偽りなく報じられ、いろいろな人の意見が自由に聞くことのできる社会でなくてはダメなんだ。
真実を知り、多様な意見を聞き、熟慮して行動する。国と命をやり取りするのはその先の話しなんだぜ。
で、今のこの国は、どうなんだ?かなり危なくねえか?首相が国会で嘘つきまくり、公文書は意図的に捨てられたり書き換えられたりする。大手メディアは、批判的姿勢を骨抜きされて、政権側の主張を垂れ流す。
ヤベェ、ヤベェ!まずは、ウソ偽りとの戦いからだな。遅いかも知れないが・・・・
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