山本太郎の質問がXで超超バズってるねぇ。トレンドにも、「山本代表」が上がり、「山本太郎」が続き、「れいわ新選組」が並ぶというれいわ新選組大絶賛デーだぜ。
鋭い指摘、整然とした論理、官僚に語らせたデータは当然客観的で的確、早く口だけど、活舌よく聞きやすく、わかりやすい。それに、適度に感情的な演出?も加得られて圧巻の10数分間だった。
午前中の立憲辻元清美の質問も、巧みに相手の弱点を突き、問題の本質をあぶり出していたけど、どこか古風な感じがしたなぁ、どこが。
多分ねぇ、追求型、対決型の質問だからだと思うなぁ。首相や大臣の不用意な答弁を引き出して質問者の主張を際立たせる手法、これって、今の国会質疑ではもはや効果薄くなってきてるんじゃないか。だって、答弁に立つ政府側、まともに答えないんだもの。
抽象的でそつなくありきたりの返答ばかり、まともに渡り合って言質取られちゃかなわん、のらりくらりとわけのわからんことで時間つぶそう、ってのが、政府側答弁として定着してしまった。
詰まらないよなぁ、議論にならない。事の本質が浮かび上がって来ない。そりゃそうだよ、それが彼らの手だもの。
一番おっかねえのは何か?
国民が政治の面白さに目覚めちまうこと!
政治に興味津々身を乗り出して来ること!
なんだからさ。
無関心、時にぶつくさ不平は言っても選挙には来ない、そういう人たちを大切にしたいのよね。
真っ向勝負なんてする気は毛頭ない。横綱、大関が体力劣る幕下力士を適当にあしらって相手の体力消耗を待つって戦法なんだ。のらりくらりと時間稼ぎぎしてりゃ試合時間は過ぎて行く。まともに正面切ってぶち当たることはないのさ。
それでも、技能派の辻元とか共産党田村なんかは、1本取るのは無理でも有効のポイント増やそうと果敢に戦いを挑んでいる、これが古典的戦法ってことだ。
一方、山本太郎は、この試合形式そのものがいかさまだって知り尽くしてるから、首相や大臣を追求して有効ポイント上げるなんてまったく興味がない。どんなに鋭く問い詰めたって、岸田は屁とも思わない、そんなことは想定内だ。
太郎の狙いは、観客を、つまり有権者を、判定者に引きずり込むことなんだ。ち密なデータをパネルに仕上げ、今の社会の行き詰まりを映像を通して視聴者に伝えること、そこを目指して質問しているんだ。
質問という名のアピールなんだよ。
テレビの中継を通し、さらにはそれを切り取り動画として拡散するれいわ支持者たちのバックアップを活用しながら、人々の暮らしのままならぬ様を、人々に突き刺しいて行く。不満をかこつ人たち、冷めきっている人々、諦めている庶民、みんなの暮らしの苦しさを代弁しつつ、真の解決方法を提示して、見る者の心を奮い立たせようとしているのだ。
委員会での勝敗なんぞ、意味はない。首相つついて何になる。大向こう唸らせる有効ポイントなど役に立ちゃしない。彼は面前の大臣官僚たちに吼えながらも、語り掛けているのはテレビやSNSの動画に見入る人たちなんだ。
そう、岸田なんか相手にしてたって埒は明かない。あやつの聞く耳は財界、経団連、大金持ちだけに向いている。大多数の庶民の声、消費税は廃止、さもなくば減税、なんて声は素通りするような構造になっているんだ。
だから、苦しい暮らしの実態を語り、その原因をはっきりさせ、その解決策を提起する。
消費税は廃止、四季ごとの一時金支給、社会保険料の減額、これをさらに大きな声、うねりとして、政権・支配者を圧倒してやるしかないんだ。
そして、質問締め括りの宣言、
「国民の皆さん、一緒に戦いましょう、その先頭にれいわが立ちます!」
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