柄本明一人芝居『風のセールスマン』今日が初演の初日だ。贅沢だよねぇぇ、作者は別役実さん、演出は柄本さんご自身。それが、初演の初日だぜ!こんなすばらしい機会が、川西町なんて田舎で得られたんだから。
贅沢は初演、初日に止まらない。昨日なんてゲネまで見せてもらったんだから。さらに言うなら、舞台の仕込みや稽古風景もちら見させてもらったし、終演後には、柄本さんと別役さんのトークライブまであった。いやぁぁ!ありがたい!いつもながら、フレンドリープラザのお陰ですね。
さて、そんな貴重な経験をさせてもらって、改めて、舞台は変わるもんだってことを実感した。まあ、当然といえば当然なんだけど。昨夜のゲネと今日の本番初日、一番違っていたのは何か?お客さんが入っていたこと、って、おいおい、当たりめえだろ。そう、今日は当然お客さんを目の前にして柄本さんが演じたわけで、そのことは、柄本さんの、表情から、声の張りから、せりふの勢いから何から何まで格段に生き生きとしていたことに現れていた。前日のゲネだってとっても大事で、おそらくかなりの集中と緊張で演じていたとおもうんだけど、やっぱり、お客さんが入ると、役者ってのは、まったく別の存在になってしまうものなんだね。
しかも、出だしの客あしらいの部分で、客席はもう大きな笑いに包まれたから、この客席の和やかさおおいに役者の背中を押してくれたんじゃないかな。それは、終演後のトークライブで別役さんも言っていた。プラザのお客さんって優しいよ、ほんと。
昨日のゲネでは、せりふをかんだり、不自然に引っ張ったり、えーっ、これも演技の内なのか?って見ていて悩んだけど、あれはやっぱり、せりふが十分入っていなかったことと、乗っていない現れだったんだってことが、今日はよーくわかった。なので、前半は、昨日とはまるで別物のように快調だった。でも、疲れが出たのかなあ、後半は逆に昨日の緊張感が感じられなかった。こっちが、一度見てしまってるから、ってこともあるんだろうけどね。例えば、電柱に上って歌うシーンなんか、昨日はなんか必死でしがみついて、歌の哀愁とともに、なんか切ないものを感じたんだけど、今日は、余裕のある分、伝わってくるものが少なかったように感じた。だんだんとサラリーマンの置かれた状況のやりきれなさが露わになってくるくだりも、昨日の衝撃力にはかなわなかったように感じた。
変わるものなんだな、舞台って!毎日毎日、一舞台一舞台、変化し続けていくんだろう。一昨日、仕込み見学の際に舞台監督が言っていた、初日が100で始まるとするなら、千秋楽は150にもなってます、って言葉、さもなりなんだね。柄本さん自身も、トークで言っていた。この芝居、さらに理解が深まってどんどん深化して行くと思いますって。ぜひぜひ、見てみたいものだ、底の底まで達した『風のセールスマン』を。
で、僕の勝手な願いなんだけど、何度かある激情、そこに至る感情の作り方にもう一工夫がほしいかなぁ、なんて、ど素人がよく言うよ。多分、柄本さんは、わざとああいう唐突な感情の爆発を作っているんだろうけどね、別役さんのお芝居だから。
それにしても、音楽はとってもよかった。飄々とした柄本さんのもち味を十二分に発揮する歌だったし、歌声だった。秋空の下、雨傘をさして歌うシーン。電柱につながれたシーン。電柱によじ登って歌うシーン。なんか、滝田ゆうとかつげ義春のマンガを思い浮かべてしまった。ずいずいずっころばしもとても効果的だった。子どもを笑わせようとする親の必死さ、けなげさ、そして、それが、いつしか悲しい結末へとつながっていく、この歌にこんな色合いがつくなんて、これは作者の別役さんの凄さだ。
途中、巨大な眼が下りてきたり、段ボールが降ってきたりと、なかなかシュールだったし、こういう不条理感が、柄本さんって人には実にしっくりはまるんだってことも、なるほどなるぼとだった。三日間、この贅沢三昧を共にした置農演劇部の高校生たち、どう感じたろう。芝居は、多様だ。この何でもありの自由さをおおらかに愛せる人間になろうね。
贅沢は初演、初日に止まらない。昨日なんてゲネまで見せてもらったんだから。さらに言うなら、舞台の仕込みや稽古風景もちら見させてもらったし、終演後には、柄本さんと別役さんのトークライブまであった。いやぁぁ!ありがたい!いつもながら、フレンドリープラザのお陰ですね。
さて、そんな貴重な経験をさせてもらって、改めて、舞台は変わるもんだってことを実感した。まあ、当然といえば当然なんだけど。昨夜のゲネと今日の本番初日、一番違っていたのは何か?お客さんが入っていたこと、って、おいおい、当たりめえだろ。そう、今日は当然お客さんを目の前にして柄本さんが演じたわけで、そのことは、柄本さんの、表情から、声の張りから、せりふの勢いから何から何まで格段に生き生きとしていたことに現れていた。前日のゲネだってとっても大事で、おそらくかなりの集中と緊張で演じていたとおもうんだけど、やっぱり、お客さんが入ると、役者ってのは、まったく別の存在になってしまうものなんだね。
しかも、出だしの客あしらいの部分で、客席はもう大きな笑いに包まれたから、この客席の和やかさおおいに役者の背中を押してくれたんじゃないかな。それは、終演後のトークライブで別役さんも言っていた。プラザのお客さんって優しいよ、ほんと。
昨日のゲネでは、せりふをかんだり、不自然に引っ張ったり、えーっ、これも演技の内なのか?って見ていて悩んだけど、あれはやっぱり、せりふが十分入っていなかったことと、乗っていない現れだったんだってことが、今日はよーくわかった。なので、前半は、昨日とはまるで別物のように快調だった。でも、疲れが出たのかなあ、後半は逆に昨日の緊張感が感じられなかった。こっちが、一度見てしまってるから、ってこともあるんだろうけどね。例えば、電柱に上って歌うシーンなんか、昨日はなんか必死でしがみついて、歌の哀愁とともに、なんか切ないものを感じたんだけど、今日は、余裕のある分、伝わってくるものが少なかったように感じた。だんだんとサラリーマンの置かれた状況のやりきれなさが露わになってくるくだりも、昨日の衝撃力にはかなわなかったように感じた。
変わるものなんだな、舞台って!毎日毎日、一舞台一舞台、変化し続けていくんだろう。一昨日、仕込み見学の際に舞台監督が言っていた、初日が100で始まるとするなら、千秋楽は150にもなってます、って言葉、さもなりなんだね。柄本さん自身も、トークで言っていた。この芝居、さらに理解が深まってどんどん深化して行くと思いますって。ぜひぜひ、見てみたいものだ、底の底まで達した『風のセールスマン』を。
で、僕の勝手な願いなんだけど、何度かある激情、そこに至る感情の作り方にもう一工夫がほしいかなぁ、なんて、ど素人がよく言うよ。多分、柄本さんは、わざとああいう唐突な感情の爆発を作っているんだろうけどね、別役さんのお芝居だから。
それにしても、音楽はとってもよかった。飄々とした柄本さんのもち味を十二分に発揮する歌だったし、歌声だった。秋空の下、雨傘をさして歌うシーン。電柱につながれたシーン。電柱によじ登って歌うシーン。なんか、滝田ゆうとかつげ義春のマンガを思い浮かべてしまった。ずいずいずっころばしもとても効果的だった。子どもを笑わせようとする親の必死さ、けなげさ、そして、それが、いつしか悲しい結末へとつながっていく、この歌にこんな色合いがつくなんて、これは作者の別役さんの凄さだ。
途中、巨大な眼が下りてきたり、段ボールが降ってきたりと、なかなかシュールだったし、こういう不条理感が、柄本さんって人には実にしっくりはまるんだってことも、なるほどなるぼとだった。三日間、この贅沢三昧を共にした置農演劇部の高校生たち、どう感じたろう。芝居は、多様だ。この何でもありの自由さをおおらかに愛せる人間になろうね。
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