敗戦の翌年、1946年、女性の参政権が初めて認められ、39名の女性国会議員が誕生した。これ、歴史の教科書でも広く取り上げられて、戦後民主主義の出発地点として記述されてたきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8b/be5865cd4ced6bef069236e5d6cbaff1.jpg)
終戦までじっと下積みを耐え忍んで来た女たちが声を上げたんだ。駐留米軍の強力な指示のおかげってのは残念だけど、それでも、女性たちに政治への道筋が開けたし、それに即座に答えた多くの女性たちは素晴らしい。
と、手放しで礼賛、これがあらかたの認識だったよな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e7/51acd837a20c429290d0e25169d89bbc.jpg)
ところがだ!
この通説を一気にひっくり返す裏話を聞いてしまったんだ、あぁ!!
歴史家の白井聡さんのツイート。
「戦後直後、婦人参政権が実現した時点では日本の女性議員は世界的に見ても多かったという話、実はカラクリがありまして。その多くが、公職追放された旧保守政党議員の女房だったんですね旦那が追放解除されると彼女たちはすぐに政治家引退。ゆえにこの時は進歩的だったなんてことは全然ないんだな。」
ガーン!なんという衝撃的事実。
論拠は明らかにされちゃいないけど、歴史家として信頼できる白井さんの言い分だし、ほぼ間違いないだろう。
そうか、それなら、ガッテン!できることもある。1回目39名当選の盛り上がりを見せた女性たちの政治参加が、次の選挙以降、さっぱり目立たなくなっていたことなんだ。不思議に思ってたんだが、これなら納得できる。
日本は、戦後から今にいたるまで、こと女性の政治意識ってことでは、ほとんど変わっちゃいなかったんだ!
戦争の手ひどい痛手を受けても日本はほとんど変わらず、地域ボス支配、中に戦争犯罪人を含め、男牛耳り社会が継続したんだってことだ。
うわぁ、なんと期待の光景があっさりと消え去ってしまったぜ。ここに戻れば力もらえる、って元気の源が砂漠の陽炎、一瞬のうちに消滅してしまった。
でも、この事実を知ってみれば、今につながる保守政治の構造の根強さもよくわかる。打ちのめされる暴露じゃあるが、結局ここから始めるしかないってことだ。白井さんの永続敗戦論そのまんまだな。
で、困った!
今書いている菜の花座6月公演の台本、女性議員39名誕生を希望のバネに使うつもりだったんたが、それがまったくできなくなった。どうしよう、ラストシーンの書き方、大きく変えなくちゃならない。
救いは、扱う題材が国会議員選挙の翌年、1947年の最初の統一地方選挙だってことと、そこで立候補した女性は落選するってにしてたことだ。その敗北からどう前を向くか、その出発のエネルギーが、この39名の虚像とともに失われちまった。二重に辛い現実からの旅立ちってことにせざるを得ない。
が、結局、それで事実により近づいたってことだよな。落ち込み沼の淀みからどう明るく這い上がって行く、ここが描きどころになったってことだぜ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます