新作『予兆・女たちの昭和序奏』、途中まで書き進んで、ばたり、書けねえ!当時の遊郭吉原から足抜けする女を書こうと思って進んできたんだが、はて、彼女の暮らしぶりや脱走に至る細かいところが書けない。そりゃそうだろ、吉原なんて知らんもの。どんな人たちがどんな暮らしをしていたのか、そこに群がる男たちの体臭とか荒い吐息とか、おおまか想像はできる。でも、ありきたりの娼妓脱出エピソードにゃしたくない。当事者の証言、ぜひとも聞いてみたい、そう思ってネットをさ迷っていたら、この本にぶち当たった。
『春駒日記』・吉原花魁の日々。作者は森光子、あっ、もちろん、あの80代でんぐり返しの女優森光子じゃない。大正末期、吉原に売られ苦界の暮らしに呻吟し、思い余って脱出を敢行した女性の手記だ。
まず驚くのは彼女の筆力だ。元花魁だろ?なんてなめてかかっちゃいけない。廓の様子を情愛?込めて描いた前半部分も一転苦痛と罪の意識に苛まれて脱出に至る過程も、どちらもグイっと引きこまれて一気読みだ。
こっちの思惑としちゃ、男たちの獣欲にもてあそばれる悲惨な日々、なんて知りたいもんじゃないか、なんせ、足抜け女郎のいきさつ書きたいわけだがら。そんな甘っちょろい思い込みなんて、簡単に蹴っぼられた。女を目当てに通う男たちの意外と一途な思いであったり、女たちの男をめぐる駆け引きであったり、2円の客を5円払わせて個室に連れ込もうとするやりて婆の手管だとか、予想に反する長閑な内幕に拍子抜けした。が、これもまた心惹かれた。
男を手玉に取って、有り金むしり取っちゃ店を移っていく剛の者、娼妓との心の交わりを求めて得られず満州に飛び込む男、なんて、そのまま一場の芝居が作れそうな話だ。中には、今で言う性的同一障害者らしい客とのやり取りなんかもあって、せつなさが著者の意図を超えて伝わってきたりもする。
だけど、そりゃそうなんだ、どんな苦難のさ中だって、日常ってやつはあるわけで、辛く嫌悪感に押しつぶされつつも、春の兆しや何気ない喜びや仲間うちの不満や慰み、そんな些細な出来事の積み重ねで日々は過ぎていくものなんだ。そいつは、今回『予兆・女たちの昭和序奏』での狙いでもある。
だが、なんとかやり過ごしていた花魁としての毎日も、病気・入院とともに一変する。性病に苦しみ、手術の恐怖におびえ、術後の傷の痛みに絶望する。娼妓専門の病院、吉原病院。その設備の劣悪さ、対応の粗悪さ、最低の経費で最速で職場復帰を無理強いする非人間的治療。不十分な治癒のままさらに客を取らせる女たち。病院の中で出会った死を待ち望む老、と言っても20代後半、娼妓のうつろな表情。この悲惨の現場で、新しい生き直しへの必死の思いが生まれたのだろう。
日ごろから、短歌や小説・評論を読みふけっていた彼女は、柳原白蓮の勇気に一身を賭ける。富豪との愛なき欺瞞の日々を捨て去って若き愛人宮崎龍介の下に走った白蓮の勇気に。
なんと、劇的な!なんと波乱万丈の!さらに、おまけもついて、彼女はその後外務官僚と結ばれる。さらにさらに、唯一心を許した同輩も彼女を庇護した労働運動家岩内善作を頼って脱出し成功している。
厳しい時代、極悪の環境にあっても、自堕落に堕することなく確固として自身を律し、針の穴を潜り抜けた女性の見事な半生。今でもどっぷり読むに値する日記だ。だから、80年ぶりに復刻されたわけだろう。でも、それにしちゃ表紙の絵があまりにも乙女チックなんだよなぁ。ライトノベル大正版?って感じ。