そんなこと今更言うな!ってタイトルだぜ。そうね、世の人たちにゃ「あたりきしゃりき車引き」だろうが、ただひたすら走り続けてる身としちゃ、この発見、意外と新鮮!そうか、なるほど!の納得体験だった。
なに?って台本書きのことよ。書き始めて1週間、順調に進んで野球で言えば3回裏終了って辺りまで来て、そうか、吉原の足抜け女郎のこと書くにゃ、ちとデータ不足だぜ、なんかないか?で、見つけたのが2日前にここに書いた『春駒日記』。よしっ、アマゾンで取れば明後日にゃ読める、で、勢い込んで注文したのはいいが、はて、届くまでの空き時間どうしらいいの?
そのシーンすっ飛ばしてその先を書く、なぁんてそんな器用な真似できるわきゃないだろ。1シーン1シーン重ねて行って、どうにかイメージが膨らんでくるんだ。足抜け女郎が、女性誌「モダン婦人」の編集部に逃げ込んでくる場を書かなくっちゃ、とても次へは進めない。だってそうだろ、その逃亡少女の人柄や息使いが感じられなきゃ、その先の展開はありえないんだぜ。
で、本が届くまでに2日待ち、本をじっくり読んでさらに2日、結局4日間も台本に向かわず時を過ごしてしまった。締め切りはまだ先だとは言っても、この先にかなりの難所が控えてることは直観し、恐れおののいているので、この中休みにゃかなり焦った。なんせ、思惑通り進まないと無性に苛立つ前のめり人生だ、4日間の停滞にはかなりの忍耐が必要なんだ。
そんじゃ、頼んだ本なんて無視して書くか?それは、やっぱり、1時間後のフルコースのご馳走前にして、時間ないからってカップラーメンで済ますようなもんだ。あまりに堪え性が無さすぎる。そうだな、ここは腰を落ち着け、気持ちを宥めて、4日間の台本休みとしようか。
いざ台本から離れて、ぶらぶらと過ごしたり、本に夢中になったりしてみると、これまで書いた部分が自然と浮かび上がって来る。それもどうも、至らぬ部分ばかりが気になって来る。もっと一人一人に物語が必要なんじゃないか?とか、テーマにつながる伏線が不足だ!とか、この婦人記者の過去はどうなんだ?とか、昭和初期の女性の生きる姿、考え方が十分に書かれてない!とか、どんどん思い浮かんできて、なんか、これまでの原稿はチャラにしても一度書き直した方がいいんじゃないか?なんて極端な投げやり気分にもなってきた。
かと言って、今さら原稿用紙にして40枚分を廃棄するなんて蛮勇、あるわけないだろ。と、すれば、足りない部分を上手くはめ込んで行くしかないじゃんか。そうか、この記者の夫を登場させよう、それも、離婚届けに判を押さない未練がましい男ってのはどうだ?うん、だったらそいつも記者で、陰ながら女性記者の書く記事を気にしているってのも悪くない。うん、いいねぇ、ここで、当時の男と女の有り様も描ける。さらに、じわりとにじり寄る時代の影も暗示できそうだし、ふむふむ。それと、舞台装置も当初の案は無駄が多すぎる。もっと全体通して生きる舞台空間を考えてみるか、など、他にもいくつか気付きがあって、そこから上手いアイディアにも結び付いた。
そうなんだ、最初に全体構成ができてしまうと、どうしてもそれに閉じ込められてしまうんだ。ヘッドランプだけ頼りにトンネル掘ってるようなもんだ。前しか見えない。よほど事前の設計図が精緻で完璧なものなら、ひたすら掘り進むだけでいい。でも、最初からそんな完全版が描けてるわけはない。大まかなガイドライン程度のものなんだ。そこら中に落とし穴があったり、意想外の地層に出くわしたりするわけだ。場合によっちゃ、まったく予期せぬ方向に抜け出てしまった、なんてお恥ずかしい事態だってなかったわけじゃない。
4日間の中断で、書き始める前の構成の不十分さが嫌というほど見えてきた。かなり長い時間遠ざかることで、作品の弱点や不足が浮かび上がってきた。これが、立ち止まったことのご褒美なんだなぁ。
かくて、立ち止まるって、大切なことなんだ!なんて、「あたりきしゃりき、けつの穴ブリキ」の人生格言を手に入れたわけなんであるよ。で、その未練男、誰に振る?
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