ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

今に生きる『人形の家』

2008-09-19 23:37:25 | 演劇

 菜の花座公演『雲雀、はばたきて』のことだ。公演まで、いよいよ、1ヶ月を切った。稽古を続ける中で、改めて、この芝居の現代性を確認した。悪くないよ、この脚本!って、またまた、うぬぼれだ。

 だってね、なんと、デビット ルボーがシアターコクーンで『人形の家』を舞台にかけていたんだからね。どうだい!先見の明は!って、ちょっと自慢してしまおうか。そうなんだ、彼も言ってるけど、『人形の家』のテーマ:女性の自立ってやつは、今なお、新鮮な課題なんだよ。

 なんて言ったっけね、恋人からの暴力?手ひどい暴力で締め付けられながら、なお、それを愛と勘違いしてる若い娘たちがいるそうなんだから。信じられないけど、事実なんだ。置農の生徒たち見てても、結婚がすべてのゴールみたいに幻想いだいている少女たち多いしね。

 そうじゃないんだよ!男を頼りに、あるいは、家庭にすがって生きるってのは、よっぽど危険なことなんだってこと、もうそろそろ、気づいて欲しいんだよね。今時、全面的に寄りかかれる男なんて、数少ないし、(だって、男は、ゲームかパチンコだもの!!!)家庭だって、砂上の楼閣化しつつある。女が一生を託せる内実はとうに失われつつあるってことだ。

 だから、今こそ、『人形の家』なんだよ。女も男も、一人の人間として、しっかり自立しなけりゃならない。自分の人生は自分で作るって気構え持たなくちゃならないんだ。厳しいけどね。辛いけどね。

 30-40代の既婚率が50パーセントを切ろうという時代。もう一度、ノーラの意気込みをしっかりと受け止めてみる必要があるのじゃなかろうか。

 ということで、菜の花座公演『雲雀、はばたきて』山形文翔館公演を見てみよう!チケット僅少、お早めにお求めを!って結局、宣伝だったんだ!なんのことはない。

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『Let's Dance 1946』ゲネ終了!

2008-09-17 21:12:34 | 演劇

 ゲネ終わったよ、ようやっと!朝からかかって、通せたのはわずかに1回と半分!半分ってなんだ?2回目のゲネプロは時間が足りず中抜き。なので半分。やれやれだった。

 何んでそんなに手間取ったかって言えば、まずは吊りものかな。今回は、大会向けでは初の吊りもの挑戦だった。それも、間口6間の梁と同じく4間の壁の二つだってんだから、無謀!カラビナが付いていなかったり、ワイヤーが外れたり、なんやかんやで、あっという間に時間が過ぎた。

 でも、こんなのはたいしたことない。問題は、照明だったね。今回、顧問Nの研修ということで、照明は彼女にすべてお任せしたんだけど、これがやっぱり難物だった。彼女のデザインは悪くないし、よくわかるんだけど、それを実際にどう作るか、となると、こいつぁ、ちっとやそっとのことじゃあないんだ。頭に描いたイメージが舞台に具体化するには、言葉にできないかずかずの経験知が必要とされるんだよ。

 例えば、フレネルと凸の違いとか、シーリングがどう当たるかとか、SSの使い方とか、やってみないとわからないことが山ほどある。しかも、高校演劇特有の基本仕込みっていうやっかいなものもあるからね。これらをつかみきって思い描いたシーンを作るのって本当に難しいんだ。

 最初は、できるだけ口出ししないで、と思って控えていたけど、うーん!やっぱりだめだった。悪いなと思いながらもああだこうだとお節介をしてしまった。だから、今回の照明は、彼女と照明のタカヒロと僕の共同作業ってことになる。

 で、出来の方はって言うと、これはもう、素晴らしい出来映えですよ。特に二つのダンスシーンは、自慢の作ですなぁ。なーんて、見せもしねで、言うだけならいくらでも言われっこで、という突っ込みにお答えDscf4680_2して、特別に、特別に上演前の特出しといこうか。

 どう?ちょっと、ウェストサイドストーリーぽくないか?そういえば、体育館で踊るってのも一緒だなぁ、なんて、かなりおこがましいね。でもこれは間違いなく見物だから。期待してほしい。

 さて、芝居の方はどうだっか?これがねえ、かなりの問題あり!まず、時間がなんと、1時間19Dscf4679分58秒!なんと、20分ものオーバー!どうする?四分の一削るってことだよ。うーん!弱った!次に演技、これ、ぜんぜんダメ!今から60年前の青年たちがまったく立ち上がってこない!あまりのつまらなさに愕然としてしまった。台本が悪いのか?役者が下手なのか?書いた本人としては、絶対役者の所為だってってことにしたい!

 ということで、家に帰り着いた夜中の11時半、眠れぬままに、台本の手直しをした。どうなることやら、地区大会!

 

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昂ぶれど残りしものは:唐ゼミ劇団『ガラスの少尉』

2008-09-15 23:42:09 | 演劇

 いやあ、面白かった!生首は宙を飛ぶし、手首は切り落とされて客席に舞う。役者がテントの外に走り出たと思ったら、その映像がビデオカメラで映し出される。新宿西口の換気塔が現れれば、その中にもカメラが仕込まれている。役者は客席を駆け抜け、観客の真ん中でスポットに浮かび上がる。色が変わるガラスのオルゴール、手首から迸る鮮血!エンディングは舞台奥の壁が崩れ落ち、戸外の木々が浮かび上がる。

 正直、予期していた程度をはるかに上回った舞台だった。役者たちの演技も荒削りながら的確だったし、それぞれの個性も際だっていた。舞台転換もお見事!次々と異次元の世界へといいように振り回された、心地よく。舞台がはねた後、一緒に見た置農演劇部の生徒たちも、かなりの興奮状態だった。きっと、今まで触れたことのない突拍子もない確かなものに出会ったという興奮だったのだろう。

 現実をすくい取りつつ、今を浮遊する魅力的なせりふの数々。いくつかのキーワードが、作者(言うまでもなく、唐十郎)のイメージのままに立ち上がり、膨れあがり、観客を刺す刃物として舞い降りた。圧倒された。こんなせりふが書けたら、とよだれを流しつつため息をついていた。

 いいものを見た!楽しかった!この感覚に間違いない。なのに、1日たった今、思い浮かぶものは、何故か、希薄だ!どういうことなのか?

 考えた。ずっと考えた。感じることと言葉として残るってことの落差ってことなのだろう。その間を埋められなかったってことなんだろう。心が動かされた感覚は確かにある。でも、それがなんだったのか?言葉として迫ってこないのだ。安易な、テーマだとか、言いたい事だとか、そんなものはどうでもいい。でも、なにか、言葉でがしっと心の中に、いいや頭の中にかも知れないが、残ってほしかった。それがない、この芝居には。

 難しい話だよな。わかり過ぎれば物足りないし、不思議な舞台なら、心に残らない。果たして、どんな言葉を紡げばいいのか?まだまだ試行錯誤は続くね

 僕の、劇に対する偏狭さなのかも知れない。単に感受性の不足なのかも知れない。でも、僕としては、やはり、わかりたいのだ。言葉でしっかと頭の中にたたみ込みたいのだ。こんな感覚だから、おめえの創るもんは底が浅いんだって馬鹿にされそうだ。そうなのかも知れない。

 でも、僕はそこの所、大切にしたいと思っている。観客が確かな言葉で、その舞台を心の中に刻み込めるような、そんな脚本が書きたいと思う。と言うより、そんな作品しかできないってことなんだ。簡単に言えば、わかりやすい芝居ってことだ。誰にでも心に届く、しかし、深度は限りなく深い、そんな作品を書きたいと願っている。いつか、そんな作品が書ける日が、果たして来るのだろうか?

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その手は有りだ!『ふるさとキャランバン』

2008-09-14 10:25:28 | 演劇

 今、たった今、1時間半かけて書いた文がすべて、消えた。ブログにアップした途端に、どっかに飛んでいっちまった。とうにかならなんのか?!OCN!!しょっちゅうだぞ!!なんてことを読まされても、読む人はなんのこっちゃ、つまらんこと書くなってことだよな。でも、この悔しさはそうとうのものなので、一言、八つ当たりをしないと、もう一度書くって気にならない!だって、いい文章だったんだもの!!てへ、ほんとうか?

 さて、何を書いたかって言うと、ふるさとキャラバンが、消防団に目を着けたのはなかなか上手い手だったってことだ。二度目だから、もう箇条書きでいっちゃうよ。

 その理由①、今時、田舎で演劇公演をバックアップしてくれる個人も集団もない。唯一っていいほど団結力を保っているのは消防団。こいつを描いて、売り込めばある程度の集客が可能になるってこと。もちろん、営業さんの努力もそうとうなものだったんだろうけど。

その理由②、消防団は、今、かなり厳しい状況にある。地域に暮らす人たちの働き方が大きく変わってしまって、火事や災害の緊急出動に応じられるゆとりを失っている。周囲の人たちの考え方も変わった。だから、消防団員は今、つらい!苦しい!やりきれない!そんな彼らの悩みや苦悩をきちんと描くことってとってもタイムリーなんだってこと。

その理由③、大変な仕事で報われない任務だからこそ、消防団員は誇りと熱意をもって活動に取り組んでいる。そんな彼らの意気をしっかりつかんだってこと。

その理由④、地方蔑視、地方切り捨ての時代に、田舎で暮らす人たちの生活や本音を明るく夢多く語るふるさとキャラバンの公演活動の姿勢は、とても共感できるってこと。

 さて、では、舞台の方は?って言うと、うーん、僕にはちょっと???だったな。ちょっと、筋立てが安易だろう。ちっとキャラありきたりでねえか?お説教うるさいんだけど!などなどどうしても引いてしまう部分が多かった。でも、それは、この劇団の芝居作りが、演劇初めてって人向けの『超入門』として作られてるからなんだろうね。それと、僕のかっこよさ志向と合わないってこともある。

 とは言え、無料で見せてもらった置農演劇部の部員たち(ただし、チケットもぎり、会場係のボランティア付き)はいたく感動したようなので、これには大いに満足だ。だって、生の舞台に感動するって経験一つでも二つでも、とっても大切だから。ということなので、無料送迎バスを出してくれた喜楽(川西町小松の料理屋)の旦那さん、その手配に奔走してくれた町商工会の金子さん、声をかけてくれたふるさとキャラバンの営業さん(失礼!名前忘れました)、心から感謝します。 

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さっそく!第3版

2008-09-10 21:44:06 | 演劇

 台本書き換えてわずかに10日!またまたやってしまったよ。地区大会向け台本『Let's Dance 1946』第3版完成だ。

 完成て言っていいのか?だって、この調子だとこの先まだまだ書き換えが続きそうだぞ。なんか、ここまでくるとビョーキって感じ。本読みを繰り返せば繰り返すほど、うーん、ここは意味不明、このせりふは舌足らず、この人物は書き込みが足りない、と、やたら気になってしかたない。で、考え続ける。車に乗っても音楽聞かずにストーリーに集中する。

 と、いいシーンが浮かんでくるんだよぉ!かっこいいせりふを思いつくんだよぉ!!

 ということで、今回は、主人公の心の移り変わりや、脇役だけど大切な人物の行く末をしっかりと書き込んだ。僕としては、これでぐっと深みが増したと思っているけど、果たしてどうだろうか。

 書き換えに走った理由は他にもある。前から使いたいと思っていて、ついついシーンに組み込めなかったあの歌をどうしても使おう!と思い立ったことだ。あの曲っていうのは、『星の流れに』だ。

「星の流れに 身をうらなって 

どこをねぐらの 今日の宿・・・」 

って奴だよ。そうそう、最後は

「・・・こんな女に誰がした」

ねっ、終戦直後の流行歌。米兵相手に体を売って暮らしてた女性たちの歌だ。街には真っ赤な口紅を塗って煙草をふかしながら客を待ってる女たちがたくさんいたってことなんだろうけど、そればかりじゃあないね、大流行だから。当時の人たちには、男も女も、年寄りも若者も、多かれ少なかれ、自分が身売りされて、もてあそばれてる身だって意識が痛切にあったんだろう。

 今回の芝居には、通称パンパンと呼ばれた街の女が出てくる。敢えて幸子って名前にしたんだけど、彼女にはぜひこの歌を口ずさんで欲しかったんだ。東京渋谷の繁華街で生まれ育った身だからね、僕は。物心ついた頃には、そんな辛い境遇の哀しい女たちや威勢はいいけど寂しい男たちが回りをたくさん行き交っていたんだ。友人には父親が米兵って奴もいたしね。あのどうしようもない寂しさ暗さが、僕の人生の出発点になっている気さえする。だから、この舞台は、僕自身の原点回帰って言うこともできるだろうね。僕の個人的な感傷につきあわされてる部員たちはいい迷惑ってもんなんだけど。

 まっ、そんなこんなで、できちゃいました!第3版。でも、これ絶対長すぎるから、本番はかなりカットしなくちゃならないと思う。ってことは地区大会での発表は第4版?おいおい、この先県大会、どこまで行くだ、この調子だと。

 

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