何だよ、やっぱりって?
うーん、正直、好きになれないって思ってたんだけど、今回もやっぱりだった!ってことだ。以前見た時も、どうも乗れない芝居だと思った。台本読んでも、なんか、暗くて嫌だって感じてた。その気持ちが今回も変わらなかった。
一言、好きじゃありません!この芝居。
どうしてなんだ?一つは、この芝居のテーマ、神社の戦争責任って奴があまりぴんと来ないってことだろう。いやいや、神社に戦争責任がないなんて考えちゃいない。大あり名古屋の太閤様だ、って、おいおい、なんかすげー大時代な表現で、書いてしまって驚くよ。だから、有りすぎて、当然過ぎて、こうもまともに追求する気にもならないってことかな。井上さんのまっとうな声が、ずばすば聞こえ過ぎて、ちょっと辟易してしまうってことなんだろうな。
そんな風に感じるのは、僕が都会育ちだからかなあ。芝居の中で、何度も繰り返されていた神社空間の明るさ、清らかさ、今風に言えば癒しの空間、こういう体験が都会育ちには、希薄だってことかもしれない。言われてわからないわけじゃない。でも、そんなに肩怒らせて、言うほどのことには感じないってことなんだ。
も一つ乗れない理由が、C級戦犯ってものの扱いなんだ。言うまでもなく、いえ、若い人らには言わなきゃわかんないか、C級戦犯ってのは、捕虜や占領地人民への虐待の罪で裁かれた人たちのこと、特に兵士クラスの実行犯が主体だ。1000人近くの人がBC級戦犯として処刑されたということだ。『闇に咲く花』の主人公健太郎も、グァム島での出来事からC級戦犯として追われる身となった。この作品では、どうやらこの訴追はぬれぎぬのようなのだが、つまり、冤罪ってことなんだけど、それに対する怒りとか、告発って奴はあんまり感じられない。いや、出頭命令が出て、健太郎がショックのあまり記憶喪失になるって筋立てを勘ぐると、もしかして、健太郎は現地人への虐待の事実があったのかな?とも、感じられてしまう。だから、神社が戦争に荷担した記憶と向き合うように執拗に問いつめるのかな?
うーむ、どうもすっきりせん!ともかく、井上さんが、こだわっている部分が、僕にとっては、正面切ってぶち当たってこないってことなんだ。それに、芝居の作りも、今ひとつ、すっきりしていない。5人の戦争未亡人も、一人一人生き生きと描かれていないって感じる。なんか、ステレオタイプだ。演技的にも、声がきんきんしていて聞きづらかったし。演出もわざとっぽくて、なんか、最初から引いてしまったな。
一緒に見せてもらった部員たちはどんな感想だったんだろう。3時間の長丁場、眠らずに見られたのかな?jまあ、今作ってる『Let's Dance 1946』の時代背景をつかむには勉強になったとは思うけどね。