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ルフェーブル大司教 1976年8月22日 私たちのミサ聖祭を破壊すると言うことは、ある意味で、私たちの主イエズス・キリストの王国を、主が天主であることを否定することです。

2021年08月09日 | ルフェーブル大司教の言葉

ルフェーブル大司教の説教 1976年8月22日 エコンの神学校にて

愛する兄弟たちよ、

今日、教会が祝っている聖マリアの汚れなき御心の祝日は、比較的に新しい祝日です。そして、この祝日こそ、現代に相応しく適応させるために、近年に教会がすることが出来、教会がしてきたことの証です。なぜなら、これは、私たちが今必要としている真理、私たちが黙想する際に霊魂に適応させようと望む真理、を思い出させてくれる祝日だからです。これを聖マリアの汚れなき御心の祝日が、私たちに思い起こさせてくれるのです。

この祝日は、特にファチマの聖母の御出現と特別な関係があります。そして、教皇ピオ12世がお望みになって、今後、聖母の被昇天の第8日目すなわちオクターヴァが、聖母の汚れなき御心の祝日となるように定められました。はい、おそらくそれ以前から、17世紀から聖母の汚れなき御心に対する信心があったでしょう。例えば、私たちは、ついこの前、聖ヨハネ・ユードの祝日を祝ったばかりですが、この聖人は「イエズスとマリアの聖心」という名前を持つ修道会を創立したのです。

ところで、私たちの聖なる聖父である教皇ピオ12世が、特別な方法で聖母の汚れなき御心を敬おうと望まれたのは、現代こそこれが必要だからです。実に、私たちの生きているこの厳しい時代、昔のキリスト信者が持っていたもの、つまり、今日のように私たちの主イエズス・キリストの愛の現れを私たちから奪い去ってしまう時代には、本当に聖母の汚れなき御心が必要です。

キリスト教世界の数世紀の間は、私たちの主イエズス・キリストの愛の現れが言わなくても明らかでした。なぜなら、全キリスト教世界のどこにでも修道院があり、修道生活は栄え、観想的修道院、活動的修道院、修道院運営の病院、あらゆるタイプの修道院が、数多く私たちの村や町、地方にも都市にも増加していたからです。それは、その時代に生きていた人が、いわばイエズス・キリストの愛と祝福の中に浸かっていると言うような印象を持つほどであった、と思います。なぜなら、主の愛が私たちの住む小さな路地にも、十字架の像、聖母像、愛徳の家があり、貧困者や巡礼者、苦しんでいる人々を受け入れる修道院運営の収容施設などにおいて、どこにでも明らかに現れていたからです。私たちの主の愛がどこにでも現れていました。

しかし、現代は、今世紀は、どれほど厳しい時代となったことでしょうか。私たちの住む都市にも、田舎にも私たちの主の愛を見つけることがもはや出来なくなってしまっています。ああ、勿論、私たちの主のために献身的に働いている霊魂たちもまだいます、しかし、一体幾人いるというのでしょうか。人口比にして、一体どれほどになると言うのでしょうか。そして、まだ主の愛を知らない国々、中国のようにあるいはアフリカのように大きな国々においては、どれほど多くのやらなければならない仕事があることでしょうか。そして、これらの国々は、主の愛からどれほど遠くにあることでしょうか。

ですから、現代、私たちには聖母マリア様が必要であると思われます。私たちには、私たちを助けて下さる、私たちが信仰を維持するようにと助けて下さる聖母マリアの御心が必要です。それは、いわば私たちの主がどれほど私たちを愛して下さっているかと言うことを感じることが出来るためです。私たちは、主の愛をこの眼で見ることがますます少なくなってしまっています。私たちには、聖母の愛を直ぐそばで感じる必要があるのです。そのために、聖母はファチマでご自分の汚れなき御心に祈るようにとお望みになったのだと思います。私たちにはこの天主の愛情が必要です。童貞女聖マリアの御心に広がった天主の愛情が。私たちには、聖母の汚れなき、そう汚れなき御心が必要です。汚れなき、つまり、染みも汚れも罪もない、と言うことです。

天主は知っています。まさに、現代世界において私たちの周りには、私たちの主に全生涯を捧げ尽くした聖母の御生涯の模範がもはやないことを、私たちの主の掟、愛の掟の実現に尽くした模範がないことを。天主の掟は天主への愛と隣人への愛にまとめられるからです。

ところで、現在社会で何が起こっているかは、皆さんがその証人です。子供は殺され、人は自殺し、ここスイスでは自動車事故で死ぬ人よりも自殺によって死ぬ人の方が多いのです。このことについて最近新聞が報道したばかりです。1800人の自殺が去年ありました。しかし、昨年自動車事故で死んだ人は1600人でした。1800人の自殺。そして、一般的にこれらの自殺は若者の自殺です。これは何を意味しているのでしょうか。これは、これらの霊魂たちは、自分の周りにもはや私たちの主の愛を感じていなかった、と言うことです。彼らは自分の生を嫌悪し辟易していたのです。だから自殺してしまったのです。もし、他の国々での事情を公表したとしたら、私たちはきっと胸悪く思うことでしょう。

離婚する人のことを考えると、どこに行ったらよいのかわからない、自分のお父さんが誰で、お母さんが誰かも知らない見捨てられた子供たちのことを考えると、悲しくなります。

私たちは、今、険悪な時代、辛い時代に生きています。愛徳を実践しない時代に生きています。

以前30年の間派遣されていたアフリカ諸国にいたときに個人的に感じたことですが、そして、私が一番びっくりしたことは、それは憎しみです。彼らはしばしば村ごとに憎しみを抱いていました。そして同じ村でさえも、家族ごとに憎しみがありました。その結果として、毒を盛ったり、殺人が頻繁でした。これは、憎しみのためでした。私たちの主の愛が君臨していないのです。

私たちの聖父にイエズス・キリストが、私たちの母に聖母マリア様がいると言うことが、どれほど幸せであるかと言うことを私たちはよくわかっていません。そこにこそ、天主様のために、私たちは愛と模範を汲み取らなければなりません。

何故かと言えば、聖母が愛の心を持っていたとすれば、それは私たちの主イエズス・キリストを愛するため、イエズス・キリストに属するものを愛するため、全ての霊魂をイエズス・キリストに導くためだけだったからです。聖母はこの愛を生きていたのです。そして、聖母は私たちの主を愛したがためにこそ、聖母は天主に罪を犯して主を侮辱しなかった、そんなことをすることが出来なかったのです。聖母は御受胎の瞬間から汚れなくましまし、ご誕生の時も汚れなく、御生涯の間、終生汚れなくましましたのです。聖母は私たちにとって、純粋さの、心の純粋さの模範です。私たちの主イエズス・キリストの掟に従順であることの模範です。

聖母は、私たちの主を愛したがために、主と共に苦しむことを、主の苦しみを分かち合うことを望みました。苦しみを分かち合うこと、これこそ愛の印です。聖母はその聖子イエズスが苦しむのをご覧になり、ご自分の主と共に苦しむことを望まれたのです。私たちの主イエズスの聖心が槍で貫かれたときに、聖母の御心も貫かれました。天主様の栄光のために、イエズス・キリストのために、イエズス・キリストの御国のために美しく調和しつつ生きた2つの聖心が貫かれたのです。この二人は、そのために戦ったのです。

だから、私たちも苦しむ覚悟が出来ていなければなりません。私たちの主イエズス・キリストが君臨し給うように。私たちの社会で、もはや、私たちの主は君臨していません。私たちの家庭で、もはや私たちの主は君臨していません。私たち自身において、もはや私たちの主は君臨していません。

私たちには、このイエズス・キリストの君臨が、イエズス・キリストの御国が必要です。なぜなら、これこそが私たちの霊魂と肉体、この地上にある全人類と全被造物の唯一の存在理由だからです。このために私たちは、生きているからです。イエズス・キリストが君臨するようにと。願わくは、主がその生命と救いと愛と栄光を霊魂たちに与え給うように。

私たちはよくわかっています。まさしく、ここ15年の間、聖なる教会で起こったことは、本当の革命でした。この革命はイエズス・キリストの王国を攻撃しています。この革命は、イエズス・キリストの君臨を崩壊させてしまおうと望んでいます。それは、全く明らかです。目を開かせましょう。確認できます。人々はイエズス・キリストの掟にもう従おうとはしません。不幸なことに、私たちに主の掟に従順であるようにと教えなければならない人々が、不従順であるようにと勧めているのです。

何故かというと、

国家の無宗教性をのぞむと言うことは、私たちの主イエズス・キリストの君臨を破壊させることだからです。

婚姻が聖なるものであるという現実を疑うことは、そして婚姻に関する掟を疑うことは、家庭における私たちの主イエズス・キリストの愛を崩壊させてしまうことだからです。

もし、私たちが強く、公に、堕胎に反対しないと言わなかったとしたら、私たちの主が君臨しないようにすることです。

私たちの主イエズス・キリストの王国に対する信心を崩壊させることは、私たちの主が霊魂において君臨することを破壊させることです。

愛する兄弟たちよ、ミサ聖祭とは、私たちの主イエズス・キリストの君臨を宣言すること以外の何ものでもありません。私たちの主は一体何によって君臨したのでしょうか?Regnavit a ligno Deus! 主は、十字架の木によって君臨しました。十字架の木によってこそ、主は悪魔に打ち勝ち、罪に打ち勝ちました。

ですから、私たちの主の犠牲、祭壇におけるカルワリオを更新することによって、私たちは、私たちの主イエズス・キリストの王国を肯定し宣言するのです。私たちは、主が天主であることを肯定し宣言するのです。

私たちのミサ聖祭を破壊すると言うことは、ある意味で、私たちの主イエズス・キリストの王国を、主が天主であることを否定することです。

だからこそ、現代では、御聖体礼拝はこれほどまでに少なくなってしまったのです。そうでなければ、涜聖が数限りなく増加しています。これは、はっきり言わなければなりません、公会議以後のことです。これは明らかです。人々は御聖体にまします私たちの主を祭壇の外に追放しました。もはや私たちの主を礼拝しません。御聖体の前で跪きもしません。私たちの主の君臨とは、主をまことの天主と認めることなのです。主を私たちの王と承認することなのです。

従って、私たちは私たちの主イエズス・キリストの愛を、その御神性を表さなければなりません。

私は、事実だけを申します。これは公表されたことです。合衆国のフィラデルフィアで開かれた聖体大会で、御聖体行列があったでしょうか?いいえ。ありませんでした。私は4年前にメルボルンの聖体大会に参加しましたが、そこでもなかったと同じです。何故、御聖体行列がないのでしょうか?なぜなら、この聖体大会をエキュメニカル大会にしたかったからです。エキュメニカル大会とは、プロテスタントやユダヤ教と、又イエズス・キリストが天主であると言うことを信じない人々、イエズス・キリストを崇拝しようとしない人々、イエズス・キリストの君臨を望まない人々と共にする大会のことです。私たちの信仰に反対する人たち、私たちの信仰を認めようとしない人々と一体どうやって祈ることが出来るというのでしょうか?だから、彼らは、参加の条件として、こう言ったのです。「私たちは聖体大会に参加したいが条件がある。それは聖体行列をしないと言うことである。」つまり、私たちの王、私たちの聖父、私たちの創造主、私たちの救いのためにご自分の全ての御血を流された贖い主である方に誉れを捧げてはいけないと言うことだったのです。主を礼拝することを彼らは拒んだのです。そこで、この条件を受け入れました。それは、プロテスタントやユダヤ教とたちが聖体大会に参加するためには、聖体行列をしてはいけなかったからでした。しかも、プロテスタントの牧師と一種の共同司式をやったのです。更に、この共同司式の座長はプロテスタントの牧師だったのです。

これは、みな天の復讐を呼び求めています。復讐を。私たちの主は、もはや敬われていません。私たちの主は、もはや私たちの王ではなくなってしまっています。このようなことは、主を屈辱することなのです。

ある日、軍隊が、共産軍が私たちの国を侵略するとしたら、私たちはそれに値するだけのことをしたと言うことです。涜聖をそのままほったらかしにし、公認し、私たちの主イエズス・キリストに誉れを捧げず、イエズス・キリストを王として望まず、悪魔が私たちの王として玉座に着くことでしょう。その日が来るでしょう。

私たちは、「自由」によってそうなのです。「自由」を望んだ人たちのこの「自由」とは、単に天主と教会の掟から自由になるということでした。彼らは私たちの主から自由になろうとしました。彼らに別の君主が君臨することでしょう。この闇の君主が「自由」とは何かを教えに来るでしょう。

私たちは幸福にも、これらのことが理解できます。これら私たちの主の王国を信じることが出来ます。私たちは主の愛を表さなければなりません。私たちは、家庭で、私たちのいるところがどこででも、主の王国を宣言しなければなりません。まだ私たちの主の御神性と御国を信じているキリスト者がいるところで、又、聖母が聖子に対して持っていたのと同じ愛を持つ人々がいるところで、私たちは、どこでも一致して、宣言しなければなりません。彼らが、躊躇うことなく、一致し、その愛を堅く保つように。このような彼らこそ教会です。私たちの主の君臨を崩壊させている人々ではありません。

はっきり言わなければなりません。これはスーネンス枢機卿が言ったことで、私が造った言葉ではありません。曰く、「公会議は教会におけるフランス革命であった」と。はい、私は、確かに、公会議は教会におけるフランス革命であったと思います。スーネンス枢機卿はそれを喜びました。私たちはそれを悲しみます。私たちは嘆きます。なぜなら、教会における革命とは、人間の理性を礼拝する理性神の君臨だからです。人間理性は1789年の先駆者によって礼拝されました。神となった人間理性は修道士や修道女を死刑に処しました。私たちのカテドラルを崩壊し、私たちの神聖な聖堂を犯しました。

今私たちが目の当たりにしている革命は、1789年のフランス革命よりもひどいものです。公会議以降、教会で、又私たちの家庭で、學校で、大学で、神学校で、修道会で、何が起こったかということを一覧表にまとめてみると、結果は1789年の時に起こったことよりも、更にひどいことがおこっています。なぜなら、1789年には、少なくとも修道士や修道女たちは死刑台に昇りました。それは自分たちの血を私たちの主イエズス・キリストに捧げるためでした。私は、ここにいる皆さんもイエズス・キリストのために自分の血潮を捧げる覚悟が出来ていると思います。しかし、現代の教会における革命においては、そうではありません。何という恥ずべきことでしょうか。司祭職を捨ててしまった司祭、毎月、まだまだ、多くの司祭たちがその申請のためにローマに行くのです。叙階式の時にわたしたちの主に一生仕えるという誓いをうち捨てて、結婚するために。そして、3ヶ月後には、結婚の許可が下りています。

これは、あまりにもひどいではありませんか。私たちの主を捨てるよりも主に対する信仰を宣言するために死刑台に昇るほうがまだましです。

公会議の後に起こったことは、フランス革命の数倍悪い結果をもたらしています。公然の敵がいた方がよっぽどましです。教会と私たちの主は、戦争宣言をするからです。

しかし、私たちの主を敬い、礼拝し、私たちの主に対する信仰を明らかに表明しなければならないはずの人が、私たちの目の前で冒涜を行い、私たちの主を捨て去り、ある意味で屈辱を与えているように思えます。私たちは、これを受け入れることが出来ません。

私たちこそカトリック教会です。彼らこそカトリック教会から離れていくものです。私たちが離教をするのではありません。私たちは、主の君臨を望んでいるからです。私たちは、それを高らかに宣言し、主に従う覚悟が出来ています。願わくは、私たちの牧者がどこででも「私たちは唯一の天主イエズス・キリスト以外何ものも望まない、私たちには唯一の王、イエズス・キリスト以外だれもない」と言いますように。そうしたら、私たちはこれに従います。

しかし、彼らは私たちの祭壇から主の十字架を取り除き、主の君臨を破壊しています。

私たちは、この点を確固と保持しなければなりません。私は、不従順だといわれました。きっともうすぐ離教的だと言われることでしょう。全く違います。私は、不従順でも、離教的でもありません。私は教会に、私たちの主イエズス・キリストに従っています。

「おまえは教皇に不従順だ」といわれます。私はこう言います。教皇様が公会議の最中また公会議後になされた革命と一致する限りにおいて私は教皇様に不従順です。なぜなら、公会議の革命は教会におけるフランス革命だからです。私は教会内のフランス革命に従順であることが出来ません。私は理性神に従順であることが出来ません。私は、理性神の前に膝を屈めることが出来ません。しかし、皆が私に求めているのはまさしくこのことなのです。この神学校を廃校するようにと要求するのは、皆がそろって理性神を礼拝するようになるためなのです。

人間。人間への礼拝。人間を礼拝する。ダメです。こんなことは決して出来ません。これを受け入れることが絶対に出来ません。私たちは天主に従順たりたいのです。イエズス・キリストに従いたいのです。私たちに信仰を与えなければならない人々が信仰に従っている限り、彼らに私たちは従うでしょう。彼らは信仰に挑戦する権利がありません。信仰は彼らのものではありません。信仰は教皇様のものではありません。信仰は教会のもの、天主のもの、私たちの主イエズス・キリストのもので、教皇様も司教様もこの信仰を伝えるためにいるのです。彼らが、この信仰を伝える限りにおいて私たちは跪いて従い、すぐさまに従うつもりです。しかし、彼らが信仰を破壊する限りにおいて、もはや従うことが出来ないのです。

私たちは、信仰が破壊されるままそれを許すことが出来ません。私たちの信仰は、心に深く死ぬまで掛けられている、と言わなければなりません。それを宣言しなければなりません。

私たちは、不従順ではなく、従順なのです。イエズス・キリストに従順なのです。これこそが常に教会がその信者に要求してきたことです。

「おまえは裁いている、教皇を裁いている、司教たちを裁いている」ともいわれます。私たちが裁くのではありません。信仰です。聖伝です。昔からの小さな公教要理の本です。もし司教様が5才になる子供に「三位一体の中に3つの位格があるというのは嘘だ」といったとしたら、5歳の子供でさえ司教様に、「公教要理に書いてあることは、司教様のいっていることと違っています、司教様が間違っていて、私の方が正しい」ということが出来ます。この子供は、正しいのです。なぜなら、この子供には教会の全聖伝がついているからです、教会の全信仰がついているからです。そして、私たちのやっていることは、この子供のしていることと同じなのです。

「おまえは、断罪する」といわれます。違います。「聖伝が、あなたの今していることを断罪しているのです。」と私は言いましょう。私たちには教会の2000年の聖伝がついています。10年やそこらの新しい「公会議後の教会」ではありません。「公会議後の教会」とは、ベネリ司教が私たちに言ったことです。ベネリ司教は私たちに「公会議後の教会に従え」と要求しました。私は「公会議後の教会」など知りません。私の知っているのはカトリック教会だけです。

私たちは、この立場をしっかりと保たなければなりません。私たちの信仰のためであれば、何でも甘受しなければなりません。全ての苦しみを。あざけられ、破門され、叩かれ、迫害を受ける覚悟をして下さい。もしかしたら将来、政府が私たちを迫害するかもしれません。この可能性さえもあります。なぜなら、教会を崩壊させるのはフリーメーソンの業だからです。フリーメーソンはありとあらゆるところで命令を下しています。ですから、もし彼らが私たちにフリーメーソンの計画を危うくするほどの力があると見れば、政府が迫害を始めるでしょう。

そうなれば、私たちはカタコンブの中に入りましょう。私たちはどこにでも行きましょう。しかし、私たちは信じ続けます。私たちは、私たちの信仰を捨てるつもりはありません。私たちは迫害を受けるでしょう。私たち以前にも、信仰のために多くの人々が迫害を受けました。私たちが1番最初だというわけではありません。しかし、少なくとも、私たちは、イエズス・キリストの信者であるということの名誉を、誉れをイエズス・キリストに捧げることが出来ます。主を捨てず、主を裏切らず、忠実であったという名誉です。これが私たちのしなければならないことです。確固としていることができるように祈りましょう。

この聖母の祝日に、聖母に祈りましょう。聖母のように、私たちの心にも一つの愛が、私たちの主イエズス・キリストに対する唯一の愛のみがありますように。私たちの心に深く刻まれている名前は、イエズス・キリスト以外ないことを。イエズス・キリストこそが天主であり、救い主であり、永遠の司祭、全てのものの王にして、主は今、天にましまし、この天では主のみ王なのです。天においてイエズス・キリスト以外王はいません。イエズス・キリストこそが、全ての天使、聖母、聖ヨゼフ、全ての選ばれたものの至福であり、私たちもこの至福、この誉れ、この栄光、この私たちの主の愛に参与することを望みます。私たちの知っているのは、イエズス・キリストのみであり、私たちは、私たちの主イエズス・キリスト以外誰をも知ることを望みません。

聖父と聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン

(ルフェーブル大司教の説教のカセットテープ集HOMEC 第8巻から、直接日本語に訳しました。)

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Homélie à Écône, 22 août 76, Cœur Immaculé de Marie

Homélies prononcées par Mgr Marcel Lefebvre, fondateur de la Fraternit...

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ルフェーブル大司教は自発教令「トラディチオニス・クストーデス」に答える:私たちはただ主イエズス・キリストへの信仰を表明することを許されたいだけなのです。

2021年08月07日 | ルフェーブル大司教の言葉
フランス・リールでのルフェーブル大司教の説教(1976年8月29日)

私の親愛なる友人の皆様、私の親愛なる司祭職の兄弟たち、私の親愛なる兄弟の皆様、

皆様にお説教の言葉を述べる前に、いくつかの誤解を解いておきたいと思います。まず、このミサのあつまりについてです。この儀式の単純さからもお分かりのように、今この会場にいるような大勢の人々が集まるような儀式は用意していませんでした。私たちは、8月29日に予定通りに、リール地方の数百人の信者さんのために、ミサ聖祭を行おうと考えていました。いつも、フランスや、ヨーロッパや、さらにはアメリカでも頻繁にやっていたように、何の騒ぎもなくミサを捧げるつもりでした。

ところがご覧ください。突然、8月29日という日が、マスコミ、ラジオ、テレビによって、ある種のデモのようになってしまいました。彼らが言うところの「挑戦」のようなものになってしまったのです。いえ、ちがいます。これは「挑戦」ではありません。このミサは、遠くからここに来てくれた親愛なる信者の皆様、親愛なる兄弟であるあなた方が望んだのです。何のためでしょうか?それはあなた方のカトリックの信仰を現すためです。信仰における私たちの祖先がそうしていたように、また、何世代も私たちの前の幾世代がそうしたように、あなた方が祈りたい、また、自分を聖化したいという望み表明するためです。

これがこのミサの儀式の本当の目的です。このミサの間、私たちは祈りたい、心を込めて祈り、この祭壇にまもなく降りてこられ、私たちが切実に必要としている十字架の犠牲(いけにえ)を実現させる私たちの主イエズス・キリストを礼拝したいと欲しています。

また、もうひとつ別の誤解を解きたいと思います。このようなことを言うのは大変に申し訳ありませんが、どうしても申し上げなければなりません。私自身のことを聖伝主義者のリーダーだと称したのは私ではありません。少し前に、ローマで、厳粛な記念すべき状況の中で、私のことをそう呼んだ人が誰かを皆さんは知っています。そこでルフェーブル大司教は聖伝主義者のリーダーだと言われました。私は聖伝主義者のリーダーになりたいとは思いませんし、私はそんなものではありません。

なぜでしょうか? なぜなら、私も、皆さんと同じ単なるカトリックであり、確かに司祭であり、確かに司教ではありますが、皆さんが置かれている状況と同じ状況にある者にすぎず、教会の破壊、私たちの信仰の破壊、私たちの目前に積み重なる廃墟を前にして、皆さんと同じ反応をしている者だからです。皆さんと同じような反応をしたので、司祭を養成することが、教会が必要とする真の司祭を養成することが、自分の義務だと思いました。これらの司祭を、私は、教会に認可承認された聖ピオ十世会において養成しましたが、私は何世紀も何世紀も前からすべての司教たちが行ってきたことを行っただけです。

私は、自分が司祭生活の30年間行ったこと、私が司教となるように評価されたこと、アフリカでの教皇使節、第二バチカン公会議中央準備委員会のメンバー、さらに教皇聖座補佐という地位につくような評価を受けたこと以外には何もしませんでした。ローマが私の仕事が教会と霊魂の善のために有益であると評価していた証拠として、私はこれ以上の何を望むことができたでしょうか?

そして今、私が30年間続けてきたことと全くおなじような事業をしていると、突然、私は聖職停止になり、おそらく近いうちに破門され、教会から離れたとされ、反逆者となり、その他もろもろとなるのでしょうか?。そんなことは可能なのでしょうか?では、私が30年間行ってきたことも、聖職停止の対象になるのでしょうか? 私はその反対だと思います。もし私が当時、今の新しい神学校で行われているように神学生たちを養成していたら、私は破門されていたことでしょう。もし当時、今、やっているように公教要理を教えていたら、異端者と呼ばれていたことでしょう。そして、もし私が今やっているようなミサ聖祭を行っていたら、人は私に異端の疑いがあると言い、私は教会の外にいると言ったことでしょう。ですから、私にはもう理解できません。正確に言うなら、教会の中で何かが変わってしまったのです。これが私が大事だと思うポイントです。

私たちにこの態度をとるようにさせる、その理由が何かに立ち返らなければなりません。ああ!極めて重大な態度であるということは私も知っています。教会の最高の権威に反対すること、聖職停止になるということは、司教にとって、重大なことです、とても辛いことです。

どうしてこのようなことに耐えることができるでしょうか。きわめて重要な理由がない限りできません。はい、そうです。私たちの態度の理由も、みなさんの態度の理由も、きわめて深刻な理由があります。私たちの信仰を守るためだからです。私たちの信仰を守るためです!

では、ローマ当局は、私たちの信仰を危うくしているのでしょうか?私はこれらの当局を裁いているのではありません。私は、彼らを個人的に判断したくありません。こういうことができるならば、かつて検邪聖省が一冊の本を判断して、禁書目録に載せたように、そのようなやり方で私は彼らを判断したいと思います。ローマはその本を研究し、その本を書いた人を知る必要はありませんでした。書かれた言葉の中の内容を研究すれば十分でした。もしもその言葉が教会の教義に反していた場合、この本は排斥され、禁書目録に載せられました。この書いた人を尋問する必要なありませんでした。確かに第二バチカン公会議では、「著者の話を聞いてもいないのに、その本を禁書目録に載せるのは許されない」と反対意見を述べる司教もいました。

しかし、教会の教義に絶対的に反する文章を手にした場合、その本の著者を見る必要はありません。その言葉がカトリックの教義に反しているために非難されるのは本であって、それを書いた人ではないからです。だからこそ、私たちはこのようなやり方で物事を判断しなければならない、事実によって判断しなければならないのです。

私たちの主イエズス・キリストは、少し前に[主日のミサ聖祭で]読んだ福音書の中で、まさに羊の皮をかぶった狼たちについて、「あなたがたはその実で木を見分ける」と正確に言っておられます。正にそうです。果実(実り)は私たちの目前にあり、明らかです。明白です。第二バチカン公会議や公会議後の改革から生まれたこれらの果実(実り)は、苦い果実であり、教会を破壊する果実です。「公会議には触れてはならない、公会議後の改革について語りなさい」と言われるならば、私はこう答えます。改革を行った人たち(これらの改革を行ったのは私ではありません)が、自分で「私たちは公会議の名の下に改革を行う、公会議の名によって私たちは公教要理の改革を行った」と言っている、と。彼らは教会当局です。彼らこそが第二バチカン公会議を合法的に解釈する人々なのです。

では、この公会議で何が起こったのでしょうか?私たちの目の前で起こった教会の変化のまさに道具であった人たちの本を読めば、簡単に知ることができます。例えば、マルソドン(Marsaudon)の書いた『或るフリーメーソン会員が見たエキュメニズム』(L'oecuménisme vu par un franc-maçon)を読んでみてください。1969年に書かれたドゥー県(Doubs)の上院議員プレロ(Prélot)氏の著書『リベラル・カトリック(Le Catholicisme libéral)』を読んでみてください。リベラルなカトリック信者である彼は、その著書の最初のページで、この変化の起源は公会議にあると言うでしょう。

「私たちは一世紀半の間、教会内で自分たちの意見が優勢になるように努力してきましたが、成功しませんでした。最終的に第二バチカン公会議が開かれ、私たちは勝利を収めたのです。今や、リベラルなカトリックのテーゼと原理は、聖なる教会によって決定的かつ公式に受け入れられるようになりました。」これは証言ではないと思うのですか?私がこれを言うのではありません。しかし彼は凱旋しつつこう言い、私たちは涙をながしながら言います。

リベラルなカトリック信者は、一世紀半の間、何を求めていたのでしょうか。教会と革命を結婚させること、教会と倒錯を一致させること、教会と、反社会勢力とを結びつけること、つまり、社会とすべての社会、家族社会、市民社会、宗教社会を破壊する勢力と教会との融合です。教会のこの結婚・融合は、第二バチカン公会議に刻まれています。「現代世界憲章」(Gaudium et Spes)の草案を見るとそこにはこうあります。「教会の原理を現代人の概念と融合させなければならない」と。これはどういうことでしょうか?それは、教会、カトリック教会、私たちの主イエズス・キリストの教会に、この教会とは反対の原理を、教会を損傷し常に教会に反してきた原理を受け入れさせなければならないということです。

まさにこのような結婚・融合を、教会の聖職者たちが公会議で試みたのであって、教会が試みたのではありません。なぜならば、教会はこのようなことを決して認めることができないからです。正確には一世紀半の間、すべての教皇たちはこの自由主義的なカトリックを排斥しました。歴代の教皇たちは、革命思想と教会の教えとの結婚・融合を拒み、人間理性を女神として礼拝する人々の思想との結婚を拒否してきました。

教皇たちはそんなものを受け入れることはできませんでした。この革命の間、司祭はギロチン台に立たされ、修道女は迫害され、また殺害されました。ナントの牢獄船を思い出してください。そこにはすべての教会の教えに忠実だった司祭たちが集められ、海に沈められました。これが革命したことです。ところで、親愛なる兄弟の皆様、私はこう申し上げます。革命が行ったことは、第二バチカン公会議が行ったことに比べれば、何でもありません。まったく何でもありません。スータンを脱ぎ捨てて、天主の前で立てた誓いを捨ててしまった三万人、四万人、五万人の司祭が殉教していたならば、もし彼らがギロチン台に行っていれば、少なくとも彼らは霊魂を救ったことでしょう。しかし今、彼らは霊魂を失う危険があります。

これらのかわいそうな既婚司祭の中には、すでに離婚している人も多く、ローマで婚姻無効の申請をした人も多いと聞いています。これらは何を意味しているのでしょうか?どれほど多くの修道女たちが、アメリカでは二万人いるといわれていますが、結婚に走るために、私たちの主イエズス・キリストとの絆を断ち切って、終生のやり方でなした誓願を捨て、修道会を捨てたことでしょうか。修道女たちは、ギロチン台に登った方が良かったことでしょう。何故なら、少なくとも自分たちの信仰を証言したことになるからです。

結局、フランス革命は殉教者を出したけれど、それは "Sanguis martyrum, semen christianorum"(殉教者の血は、キリスト信者の種子である)という初代教会の格言を実現しておわりました。キリスト者を迫害する人たちは、そのことをよく知っていて、殉教者を作り出すことを恐れているのです。彼らはもう殉教者を作りたくないのです。

従順によって教会を破壊するということこそが、悪魔の勝利の極致でした。従順で教会を破壊する。私たちは教会が日ごとに私たちの目前で壊されているのを目の当たりにしています。空っぽになった神学校、神学生たちでいっぱいだったリールの美しい神学校、これらの神学生たちはどこにいるのでしょうか?まだいる神学生たちは、一体どのような人々でしょうか?彼らは自分が司祭になることを知っているでしょうか?彼らは、自分が司祭になったら何をするか知っているのでしょうか?それはまさに、リベラルなカトリック信者が望む、教会と革命の間の結合が、不倫の結合だからです。この不倫関係からは、私生児しか生まれません。

この私生児たちとは誰でしょうか?それらは私たちの典礼様式です。新ミサの典礼様式は、私生児の典礼様式です。秘跡は私生児の秘跡です。恩寵を与える秘跡なのか、与えない秘跡なのか、もはやわかりません。この新しいミサが私たちに主イエズス・キリストの御体と御血を与えてくれるのか、それとも与えてくれないのか、私たちにはもはやわかりません。神学校を卒業した神父たちは、もはや自分が何であるかを知りません。シンシナティの枢機卿がローマで「なぜ召命が増えないのか、教会はもはや司祭とは何かを知らないからだ」と言いました。

では、司祭とは何かを知らなくなった教会が、どうしてまだ司祭を養成することができるのでしょうか?神学校から出てくる神父は、私生児の神父です。彼らは自分が何であるかを知らないからです。祭壇に上がり、私たちの主イエズス・キリストの犠牲(いけにえ)を捧げ、イエズス・キリストを霊魂に与え、霊魂をイエズス・キリストに呼び寄せるために、司祭となったことを知らないのです。それが司祭というものであり、ここにいる若い人たちはそのことをよく理解しています。彼らの全人生はそのために捧げられます、聖体における私たちの主イエズス・キリストを愛し、礼拝し、仕えるために。なぜなら、彼らは聖体における私たちの主の臨在を信じているからです。

このような教会と革命との不倫の結合は「対話」によって具体化されます。教会が対話するとすれば、それは回心させるためです。主は「行って、すべての国の人々に教えよ、彼らを回心させよ」と言われました。主は決して「彼らと対話せよ、ただし彼らを回心させるためではなく、彼らと同じ立場に立つための対話をせよ」とは言いませんでした。

誤謬(誤り)と真理は両立しません。もし、人が他人に対して愛があるなら、今、福音が私たちに思い出させてくれたように、愛がある人は、他人に仕える人です。もし、人が他人に対して愛があるなら、彼らに私たちの主を与え、自分が持っている富を与えます。彼らとおしゃべりする、彼らと対等な立場で対話することではありません。真理と誤りとは対等ではありません。それは天主と悪魔を同列に置いてしまうことになります。何故なら悪魔は嘘の父であり、誤謬の父なのですから。

ですから、私たちは宣教的でなければなりません。私たちは、福音を伝え、霊魂たちをイエズス・キリストに回心させなければなりません。彼らの原理を学ぼうとして彼らと対話することではありません。プロテスタントと対話しようとする姿勢が、この私生児のミサと私生児の典礼様式をもたらしたのです。プロテスタントは私たちにこう言いました。「あなたたちのミサは私たちのプロテスタントの信仰と相容れないものが含まれているので、私たちはあなたたちのミサを望みません。ですから、このミサを変えれば、私たちはあなたたちと一緒に祈ることができ、交わりを持つことができます。私たちはあなたたちの秘跡を受けることができ、あなたたちは私たちの教会に来ることができるようになるでしょう。私たちはあなたたちの教会に行けるようになるし、そうなればすべてが終わり、私たちは一つになるでしょう。」

確かに私たちには一致があるでしょうが、しかし、混乱の中での一致、私生児の一致です。私たちはそれを望みません。教会は決してそれを望みませんでした。私たちはプロテスタントの人々を愛していますし、改宗させたいと思っています。プロテスタントの宗教とカトリックとが同じ宗教であると信じさせることは、彼らを本当に愛することではありません。

それは、フリー・メーソンも同じです。今、フリー・メーソンと対話しようとしています。対話するだけではなく、カトリック信者がフリー・メーソンの一員となることを認めています。これはさらに忌まわしい対話です。フリー・メーソンを指揮して人々、少なくとも責任者たちは、私たちの主イエズス・キリストに根本的に反対していることを私たちはよく知っています。そして、彼らが行うこれらの黒いミサは、忌まわしい、冒涜的な、恐ろしいミサです。それは私たちの主のミサのパロディです。この黒いミサを行うために、聖別された御聖体を欲しているのです。彼らは聖体の中に主が現存されていることを知っています。なぜなら、悪魔は主が聖体の中にましますことを知っているからです 主の御体がそこにあるかどうかわからないミサから来る御聖体は欲しくないのです。

では、肢体の中の個人において、教会の中の個人において、私たちの主イエズス・キリストの二度目の死を望んでいる人々と対話するのでしょうか?私たちはこの対話を認めることができません。エワと悪魔の最初の対話がどんな価値を持っていたかを私たちは知っています。

エワが悪魔と対話したために、私たちは失われました。エワは、私たち全てを罪の状態に置いてしまいました。私たちは悪魔と対話をしません。私たちがすることは、悪魔の影響下にあるすべての人々に説教し、彼らが改心して、私たちの主イエズス・キリストのもとに来るようにすることです。

我々は共産主義者とも対話しません。人とは対話します。しかし、私たちは誤謬とは対話しません。鉄のカーテンの後ろに集まった軍隊が鉄のカーテンを通過したらどうなるか私たちは知ることになるでしょう。もしもある日、何度も最高ソビエト会議が開かれた後、もしも多数決でこれらの軍隊が我々の国に突入することが決議されたら、5日後には...。

愛する兄弟の皆様、動じてはいけません。私たちのように物事を理解していない人については、彼らをそのまま残して、天主様に光を与えていただくように求めましょう。

しかし、正に、なぜ私たちは、教会と革命の不倫関係を受け入れないことを固く決意しているのでしょうか。私たちは、私たちの主イエズス・キリストの天主性を肯定するからです。なぜペトロはペトロになったのでしょうか?福音を思い出してください。ペトロがペトロになったのは、私たちの主イエズス・キリストが天主であると公言したからです。また、すべての使徒たちも、聖霊降臨後にこの信仰を公に公言し、すぐに告発されました。司祭長たちは彼らに言いました。「これ以上、この名前を口にするな。私たちは、主イエズス・キリストというこの名前を聞きたくない。」そして、使徒たちは "Non possumus"と言います。「私たちは、主イエズス・キリスト、私たちの王について、語らないでいることはできない」と言いました。

しかし皆さんは私にこう言うことでしょう。そんなことはありうるのでしょうか?あなたは、ローマが私たちの主イエズス・キリストが天主であることを信じていないと非難しているようです。はい。自由主義は常に二面性を持っています。自由主義は、自分が主張する真理を正式の命題(テーゼ)として断言します。次に、現実には、実践上は、隠れた命題(仮説)として、自分が言うように、教会の敵のように行動し、また教会の敵の原理で行為します。いつも言うこととやることが支離滅裂なのです。

では、私たちの主イエズス・キリストの天主性(イエズス・キリストが天主であるということ)とは何を意味するのでしょうか。それは、主が「私は天主である」と言うことができる世界で唯一の方、世界で唯一の人間であるということです。また「私は天主である」と言うことができたという事実によって、イエズス・キリストは人類の唯一の救い主であり、人類の唯一の司祭であり、人類の唯一の王であったのです。特権でもなく、肩書きでもなく、御自分の本性によって、天主の子であるからです。

さて、人々は何と言っているでしょうか? イエズス・キリストの救いだけではない。私たちの主イエズス・キリストの外にも救いがある。私たちの主イエズス・キリストにおける、司祭職だけではない。すべての信者は司祭であり、すべての人は司祭である、と。しかし、本当は、ミサの聖なる犠牲(いけにえ)を捧げるためには、私たちの主イエズス・キリストの司祭職に秘跡的に参与しなければなりません。

最後に、3つ目の誤りは、私たち主イエズス・キリストの社会的統治を、これがもはや不可能であるという口実のもとで、望まなくなったことです。これは、在ベルンの教皇大使の口から聞いた話です。バチカンからの特使であるダニス神父(Père Dhanis)-- 元グレゴリアン大学の学長 -- の口から聞いた話でもあります。ダニス神父は、6月29日の司祭叙階式を行わないように聖座の名で求めるために私のもとにやってきました。私が神学生たちに黙想会を指導しているとことに、神父は、6月27日にフラヴィニーにやってきたのです。彼は私に「なぜあなたは公会議に反対するのか?」と尋ねました。

私は彼にこう答えました。「公会議の名において、すべてのカトリックの国家を破壊しなければならない、カトリック国はなくならなければならない、したがって、私たちの主イエズス・キリストが統治する国もなくならなければならないとあなたは言っているのに、公会議を受け入れることは可能でしょうか? それはもう無理です!」

しかし、これがもはや可能ではないということと、これを原理として受け入れ、従って、私たちの主イエズス・キリストの統治をもはや追求しないということとは、別のことです。私たちが毎日、主の祈りの中で「御国の来たらんことを。御旨の天に行わるる如く地にもおこなわれんことを」と祈っているのは、何を祈っているのでしょうか。この御国とは何なのでしょうか?

先ほど、皆さまは「グロリア」を歌いました。Tu solus Dominus, tu solus Altissimus, Jesu Christe - 御身のみが唯一の主、御身こそが唯一のいと高き御者、イエズス・キリストよ」と。私たちはそれをミサでは歌い、教会の外に出るとすぐに「いや、私たちの主イエズス・キリストはもはy私たちを統治すべきではない」というのでしょうか? もしそうなら、私たちは非論理的に生きています。私たちはカトリックなのでしょうかそうではないのでしょうか?私たちは、キリスト者なのでしょうか、それともそうではないのでしょうか?

この地上に平和が訪れるのは、私たちの主イエズス・キリストの統治においてのみです。国々は毎日、もがいています。新聞には、何ページも何ページもその話しがあります。テレビやラジオでも、そうです。今、首相が交代した、景気を回復させるためにはどうすればいいのか、お金を取り戻すためにはどうすればいいのか?産業を活性化させるためにはどうすればいいのか?世界中の新聞はそういうことでいっぱいです。

しかし、経済的な観点から見ても、私たちの主イエズス・キリストが君臨しなければなりません。なぜなら、私たちの主イエズス・キリストの支配とは、まさに愛の原理の支配だからです、愛の原理とは天主の掟(おきて)にほかなりません。この愛の原理が社会にバランスをもたらし、社会において正義と平和を社会に支配させるからです。社会における秩序、正義、平和があってこそ、経済が統治し、経済が再び栄えることができます。それがよくわかります。

アルゼンチン共和国のイメージをとってみましょう。アルゼンチンはわずか2、3ヶ月前どんな状態だったでしょうか。完全な無政府状態で、強盗が右往左往し、産業は完全に破壊され、工場のオーナーは監禁され、人質となり、信じられないような革命状態でした。アルゼンチン共和国のように美しく、バランスが取れていて、素晴らしい国で、特別の富に満ちた信じられないほど豊かになる可能性のある共和国に、少し前に秩序のある政府が登場しました。この政府は原理を持ち、権威を持ち、ビジネスに秩序を与え、強盗らが人々を殺すのを防ぎました。こうして、経済は回復し、労働者は仕事を持ち、人々は家に帰ることができ、家に帰っても、ストライキをしたくないのにさせようとする人に襲われることがなくなりました。

私たちが望んでいるのは、私たちの主イエズス・キリストの統治です。私たちは、主イエズス・キリストが天主である、と信仰を告白します。だからこそ、聖ピオ五世のミサと言われる聖伝のミサも欲します。なぜなら、このミサは私たちの主イエズス・キリストの王権を宣言するものだからです。新しいミサは、もはや位階的ではなく民主主義敵です。会衆のほうが司祭よりも場所を占めているからです。したがって、私たちの主イエズス・キリストの王権を確認する真のミサではなくなっています。私たちの主イエズス・キリストはどのようにして王になったのでしょうか?主は十字架によって御自分の王権を確立されました。"Regnavit a ligno Deus." イエズス・キリストは、十字架の木によって統治されたのです。主は十字架によって、罪に打ち勝ち、悪魔に勝ち、死に勝ったのです。これは、私たちの主イエズス・キリストの3つの素晴らしい勝利です。

これは凱旋主義だと言う人もいるかもしれません。はい、その通りです。私たちは主イエズス・キリストの凱旋を欲します。だからこそ、私たちの祖先はあのような立派な大聖堂を建てたのです。私たちよりもずっと貧しかった先祖たちが、なぜあんなにお金を使ったのでしょうか。いったい何故彼らは、今でも私たちが見惚れてしまうような、しかも信仰の無い人々でも感嘆するような立派な大聖堂を、なぜあれだけの時間をかけて作ったのでしょうか。なぜでしょうか?それは祭壇のためです。私たちの主イエズス・キリストのためです。私たちの主イエズス・キリストの十字架の凱旋を記念するためです。

そうです、私たちはミサの中で、主イエズス・キリストの十字架の勝利と凱旋を告白することを欲しています。だからこそ、私たちは跪きます。御聖体の前に跪くのが好きなのです。もし時間があったら、もしあまりにも長くお引き止め[することになっても遠慮を]したくなかったら、皆さんが主イエズス・キリストに、御聖体に、皆さんが主を礼拝していることを表明するために、御聖体を持って皆さんの席のところまで[聖体行列をして]回ったでしょう。

「主よ、御身は私たちの天主です。ああ、イエズス・キリストよ、私たちは御身を礼拝したてまつる。私たちは知っています。私たちは、御身によって生まれ、御身によってキリスト者となり、御身によって贖われました。死の時に、私たちを裁くのは御身です。私たちがそれに値するものであれば、天国の栄光を与えてくださるのは御身です。」[私たちがこうするのは] 私たちの主イエズス・キリストは、十字架上におられたように、聖体の中に現存されるからです。

以上が、私たちのしなければならないこと、私たちが求めなければならないことです。

私たちは誰にも反対するのではありません。私たちは特殊部隊(コマンドー)ではありません。誰にも傷をつけたくありません。私たちはただ、主イエズス・キリストへの信仰を表明することを許されたいだけなのです。そのために、私たちは教会から追い出されたのです。聖伝のミサを行う司祭たちも可哀そうに追い出されています。それよってすべての聖人や聖女が聖化されたそのミサです。聖ジャンヌ・ダルク、アルスの聖司祭、幼きイエズスの聖テレジア、などのミサです。

今、司祭たちは、何世紀にもわたって聖人たちを聖としてきたこのミサを行うことで、残酷にも、説く全に、小教区から追放されています。それはおかしなことです。ほとんど狂気の沙汰と言っても過言ではありません。私たちは夢を見ているのではないかと思うほどです。このミサが、私たちの司教にとって、つまり私たちの信仰を守るべき人たちにとって、一種の恐怖の対象となることなど、ありえません。ですから私たちは聖ピオ五世のミサを守りましょう!なぜでしょうか?なぜなら、聖ピオ五世のミサは、私たちの信仰を表明し、私たちの信仰の防波堤であり、私たちはこの信仰の防波堤を必要としているからです。

そうすると「ラテン語とスータンを問題にしている」と言われるかもしれません。もちろん[こう非難して]このことについて意見の合わない人を貶めるのは簡単です。もちろん、ラテン語は重要です。私がアフリカにいたとき、異なる言語を持つアフリカの人々の群集を見て素晴らしいと思いました。時には5、6の異なる部族がお互いに理解できないまま、教会のミサに参加し、ラテン語で同じ歌を特別な情熱を持って歌っていました。ところが今では見てください。いろいろな教会では言い争っています。自分の国の言葉ではない言語でミサが行われているので、自分の国の言葉でも一つミサをしてほしい、と主張するからです。

これは完全な混乱です。以前は、この一致は完璧でした。これは一例にすぎません。あなたもよくご存知でしょうが、私たちは書簡と福音をフランス語で読みます。何の不都合もありません。たとえそれにフランス語でいくつかの祈りを付け加えたとしても不都合は見出さないでしょう。

しかし、私たちには、ミサの本体、つまり奉献(オフェルトリウム)から司祭の聖体拝領までのミサの本質的な部分は、単一の言語のままであるべきだと思われます。そうすれば、すべての国のすべての人が一緒にミサに参加し、この信仰の一致、この祈りの一致の中で自分たちが一致していると感じることができるからです。本当に私たちは求めています。私たちは司教たちに、そしてローマに呼び求めています。私たちがもつ、祖先のように祈りたいという願いを、カトリックの信仰を守りたいという願いを、私たちの主イエズス・キリストを礼拝し、その御国を望んでいるという願いを、願わくはローマや司教たちが考慮してくださるように、と。

これは、私が最後の手紙で教皇様に言ったことです。教皇様がこれ以上お手紙を送ってこないと思っていたので、本当に最後の手紙だと思っていたのですが、私は教皇様にこう言いました。

「いとも聖なる教皇様、教会の公けの権利を私たちに返してください。つまり、私たちの主イエズス・キリストの統治を返してください。私たちに本当の聖書を返してください。エキュメニカルな聖書ではなく、過去のヴルガタ訳だった真の聖書を、そして公会議や教皇によって何度も何度も聖化されてきた真の聖書を返してください。私たちに本当のミサを返してください。私たちの信仰を守り、何世紀にもわたって多くのカトリック信者を聖化してきた、位階的なミサ、教義的なミサを返してください。最後に、トレント公会議の公教要理を模範とした公教要理を返してください。何故なら、正確な公教要理なしには、私たちの子供たちは、未来の世代は、将来どうなってしまうことでしょうか?彼らはもはやカトリックの信仰を知らないままとなってしまうでしょうし、もうすでに今日でも、私たちはそれを目の当たりにしているからです。」

残念ながら、私が受けた返事は、聖職停止以外しかありませんでした。だからこそ、私はこれらの罰が、教会法的にも神学的にも有効だとは思いません。

私は、誠実に、平和に、穏やかに、こう考えます。これらの停止、私が受けた罰、私の神学校の閉鎖、叙階式の拒否によって、カトリック教会の破壊に私は貢献することはできません。私は、私の死の瞬間に、主が私に「あなたは司教と司祭の聖寵をどのように使ったのか」と尋ね給うときに、主の口から次の言葉を聞くことは望みません。「おまえは、他の者たちと一緒になって、教会の破壊に協力した」と。

親愛なる兄弟の皆様、最後に私は皆様にこう申し上げます。「皆様は何をしなければならないのでしょうか?」はい、私はよく知っています。多くのグループの方が私にこう求めています。「大司教様、私たちに司祭を与えてください、本物の司祭を与えてください、これこそ私たちが必要としているものです。私たちは司祭の住む場所があります。私たちは小さなチャペルを建てます。司祭たちは私たちのところにいて、真の公教要理に従って、真の信仰に従って、私たちの子供たちを教えてくれるでしょう。日本人が司祭のいない時代に三世紀にわたって行ってきたように、私たちも真の信仰を守りたいのです。司祭を私たちにください!」と。"

親愛なる兄弟の皆さん、私は皆さんのために、司祭養成のために最善を尽くします。私が言えることは、これらの神学生たちに、深い信仰、真の司祭の信仰を感じることは私の大きな慰めである、ということです。彼らは、私たちの主イエズス・キリストがどなたであるかを理解しています。彼らは、ミサの聖なる犠牲(いけにえ)と秘跡が何であるかを理解しています。彼らは心に深く根ざした信仰を持っています。彼らは、私が言うのもなんですが、50年前に私たちが神学校でできたことよりも優れています。しかも、その多くは大学教育を受けています。このような若い人たちは適応力がなく、現代の世代にどのように語り掛ければいいのかわからないだろうと言われています。しかし、彼らは3年、4年、5年間と大学教育を受けてきた若者たちです。同世代の人々のことを彼らが知らないことがあるでしょうか?

彼らはなぜ司祭になるためにエコンに来たのでしょうか?まさに同世代の人々に語り掛けるためです。彼らは、私たちよりも、私たちを批判するすべての人々よりも、同世代をよく知っています。

霊魂の回心のために必要な言い方を彼らは話すことができるようになるでしょう。だからこそ、-- こう申し上げるのは私にとって嬉しいことですが -- 今年もエコン神学校では、困難にもかかわらず25名の新入神学生を迎えることができました。アメリカのアルメイダにある神学校では10名、ドイツ語圏のスイスのドイツ語の神学校では4名の新入生を迎えることができました。

ご覧のように、私たちが直面する困難にもかかわらず、若者たちは、私たちが真のカトリック司祭を養成していることをよく理解しています。だからこそ、私たちは離教ではなく、カトリック教会の継続者なのです。新しいことをする人こそ、離教へと行ってしまうのです。

私たちは聖伝を継承しています。だからこそ私たちは信頼しています。現在の状況に直面しても、私たちは絶望してはなりません。二十世紀の聖伝、二十世紀の教会の聖性、教会の信仰に基づいて、信仰を維持し、秘跡を維持しなければなりません。何も恐れることはありません。

あるジャーナリストから何回かこう尋ねられたことがありました。「大司教様、あなたは孤立していると感じますか?」
「全く感じません。孤立しているとは全く思いません。私は二十世紀の教会とともにあり、天国のすべての聖人たちとともにありますから!」なぜでしょうか?聖人たちは、私たちと同じように祈り、私たちがしようとしているように、同じ手段で自分自身を聖としたからです。ですから、今日のこのミサでも、きっと彼らは喜んでいることでしょう。彼らは、「少なくともここには、祈るカトリック信者がいて、彼らは本当に祈り、心の中に祈りたいという願望を持っていて、私たちの主イエズス・キリストを敬いたいという願望を持っている」と言うでしょう。天の聖人たちは喜んでいます。ですから、私たちは無力ではないのです。私たちは祈り、また祈り、自分を聖化しましょう。

では、皆様にアドバイスをしたいと思います。私たちについて、カトリック信者である私たちについて、

-- 私は聖伝主義カトリック信者という言葉があまり好きではありません。教会が一つの聖伝であることを考えると、聖伝主義者ではないカトリック信者がありえるとは思えませんし、また伝統の中にいないような人々はどうなってしまうのでしょうか?彼らは生きることができないでしょう。私たちは親から命を受け、先人たちから教育を受けました。私たちは伝統を受け継いでいます。天主様がそうお望みなのです。天主様は、人間的なものについても天主的なものについても、その両方について、聖伝が世代から世代へと受け継がれることを望んでおられます。

ですから、伝統的でないこと、聖伝主義者でないことは、自滅であり、自殺行為なのです。ですからこそ、私たちはカトリック信者なのです。私たちはカトリック信者として留まり続けます。ですから私たちの間で分裂があってはなりません。何故なら私たちはカトリック信者だからです。私たちは教会の一致においてあるからです。教会の一致とは信仰においてあります。

すると私たちはこう言われます。「あなたは教皇と一緒にいなければならない、教皇は教会の信仰のしるしだ」と。はい、教皇がペトロの後継者としての地位を表明する限りにおいて、さらに、永遠の信仰をくり返して発言する限りにおいて、また、教皇が伝えなければならない信仰の遺産を伝える限りにおいて、その通りです。何故なら、教皇とは何でしょうか?もう一度申し上げます。教皇とは、聖伝の遺産、信仰の遺産の宝を与え、秘跡とミサの犠牲(いけにえ)による超自然的な生活を私たちに与えてくれる方以外のなにものでもないからです。司教も、真理を伝える者であり、自分のものではない生命を伝える者、それ以外のなにものでもありません。司祭もそうです。それ以外のなにものでもありません。先ほど私が述べた手紙にもありましたが、真理は私たちに属するものではありません。それは私のものでないように、教皇のものでもありません。私が真理のしもべでなければならないように、教皇は真理のしもべなのです。

もし、教皇が真理の奉仕者でなくなったとしたら、教皇はもはや教皇ではなくなってしまうでしょう。私は、教皇がもはや教皇ではないと言っているわけではありません。良く注意してください。私の言わなかったことを私が言ったかのように考えないでください。しかし、もしもこれが本当になってしまったなら【教皇が真理の奉仕者でなくなったとしたら】、私たちは私たちを誤りに導く人に従うことはできなくなってしまうでしょう。

私たちは「あなたは教皇を裁いている」と言われます。しかし、真理の基準はどこにあるのでしょうか。モンシニョール・ベネリは、私に向かって「真理を作るのはあなたではない」という言葉を投げつけました。もちろん、真理を作るのは私ではありません。教皇でもありません。真理、それは私たちの主イエズス・キリストです。

したがって、真理がどこにあるかを知るためには、私たちの主イエズス・キリストが教えてくださったこと、教会の教父たちや全教会が教えたことを参照しなければなりません。教皇を裁くのは私ではありません。聖伝です。公教要理をならった五歳の子供は、司教にきちんと答えることができます。もしこの子供の司教がこの子に「私たちの主イエズス・キリストは聖体の中に存在しないんだよ。私は真理の証人だよ。主が聖体の中に存在していないことを私ははっきり言う」と言ったとしたら、この子は、五歳であるにもかかわらず公教要理を持っています。この子は「でも、私の公教要理には反対のことが書いてある」と答えるでしょう。どっちが正しいのでしょうか?司教でしょうか?公教要理でしょうか?もちろん公教要理です。公教要理は明らかに永遠の信仰を表明しています。単純なはなしです。考え方は子供っぽいものです。しかし、私たちの今の状況は、ここまで来てしまっています。もしも誰かが私たちに、今ではプロテスタントと相互の聖体拝領ができる、相互聖餐式ができる、私たちとプロテスタントとの間にはもはや何の違いもない、と言っても、それは真理ではありません。巨大な違いがあります。ですからこそ、カンタベリー大司教に祝福させた、ということを考えると、私たちは本当に驚いてしまいます。カンタベリー大司教は司祭ではありません。何故ならアングリカンの叙階は有効ではないからです。教皇レオ十三世が公式かつ決定的にそう宣言したからです。また彼は、全てのアングリカンがそうであるように異端者です。(申し訳ありません、もうこの名前は好まれてはいないのですが、これが現実なのです。この言い方をするのは侮辱するためではありません。私は彼の回心だけを求めています) -- 彼が異端者であるにもかかわらず、教皇様と一緒に、聖パウロ教会にいた枢機卿たちや司教たちを祝福してくれるように彼に頼んだということを考えると、本当に唖然とします!これは絶対に考えられないことです!

最後になりましたが、このように大勢の方にお越しいただきましたことに感謝します。このミサの儀式を、深く敬虔なカトリックの儀式を行い続けることを感謝します。

私たちは共に祈りましょう。天主様に、困難を解決する手段を私たちに与えてくださるよう求めましょう。もし、各々の司教が自分の司教区に、私たちのために、忠実なカトリック信者のために、教会を使わせてくれて「ほら、これはあなたたちの教会だよ」と言ってくれれば、とても簡単なことでしょう。

リールの司教がイスラム教徒に一つの教会を与えたことを考えると、聖伝を重んじるカトリック信者のための教会があってもいいのではないかと思います。そうすれば最後には、問題は解消されるでしょう。もし私が面会をするのを受け入れてくださるのであれば、私は教皇様にこのようにお願いしたいと思っています。「教皇様、私たちに聖伝の実験を自由にやらせてください。現在、様々な典礼の実験が行われていますが、すべての実験の中には、少なくとも二十世紀にわたって行われてきたことの実験があってもいいはずです。」

聖父と聖子と聖霊の名によりて、アメン。

マルセル・ルフェーブル大司教


29 août 1976, Sermon historique de Mgr Lefebvre à Lille

« Très Saint Père, rendez-nous la vraie messe ! »




マルセル・ルフェーブル大司教の8人の枢機卿様たちへの手紙 1986年8月27日

2021年03月17日 | ルフェーブル大司教の言葉
マルセル・ルフェーブル大司教の8人の枢機卿様たちへの手紙 1986年8月27日

エコンにて、1986年8月27日

枢機卿様

 教会において起こっているさまざまなできごとを前にして、そしてヨハネ・パウロ2世教皇様をその張本人とするこれらのできごとを前にして、テゼーで、また10月にはアシジですることが計画されていることを前にして、私は枢機卿様に筆を執らずに入られませんでした。それは歴史上かつてなかったほど屈辱を受けている教会の名誉を守ってくださるようにと、多くの司祭と信徒たちの名前で枢機卿様にお願いするためです。

 トーゴ、モロッコ、インド、ローマのユダヤ会堂でのヨハネ・パウロ2世の訓話と行動は私たちの心に聖なる憤りを呼び起こします。旧約と新約の諸聖人たちはこれについてどう思うことでしょうか!もし今でも存在していたとしたら、異端審問所は何をしたでしょうか?

 ペトロの座にすわるものによって公に足蹴にされているのは、使徒信経の第1条であり、天主の十戒の第一戒なのです。カトリック信者の霊魂において躓きは計り知れません。教会はその根底から揺るがされています。

 もしも、カトリック教会が救いの唯一の方舟であるという信仰が消えてしまったら、その時には教会自体が消えてしまいます。教会の全ての力、その全ての超自然的な活動は、私たちのこの信仰箇条を基としているのです。

 ヨハネ・パウロ2世は、公に、特にアシジで計画されているように、聖フランシスコの町のあらゆる道で多くの宗教代表者の取りまきと共に、いろいろな小聖堂や大聖堂をいろいろな宗教団体に振り分けて、そこで国連の考えているような平和のために彼らが独自の礼拝を捧げるよう招いて、カトリック信仰を破壊しようとするのでしょうか? これが諸宗教の集いという忌まわしい集会の責任者となっているエッチャガライ枢機卿様が発表したことです。

 教会においてこのような公の罪を排斥する公式の声が一つも挙がらないと言うのは考えられることでしょうか?マカベオたちは一体今どこにいるのでしょうか?

 枢機卿様、唯一の真の天主の名誉のため、私たちの主イエズス・キリストの名誉のため、公に抗議の声を挙げて下さい。カトリックとして留まっている司教たち、司祭たち、信徒たちを助けて下さい。

 枢機卿様、私が枢機卿様のもとにこのようなお手紙を書いたのは、私がこのことに関する枢機卿様のお考えを疑うことができないからです。

 この呼びかけは、以下に明記してある枢機卿様たちにもしてあります。それは枢機卿様がこれらの枢機卿様方と共に行動されることを考えてのことです。

 願わくは聖霊が枢機卿様の助けに来ますように。

 私たちの主キリストとマリアとにおいて。敬具

マルセル・ルフェーブル

チュールの引退大司教司教

 

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1986年、Si si no no 紙に掲載された記事


アシジの平和祈祷集会についてどう考えればよいのでしょうか?

 アシジの「祈祷集会」は、ヨハネ・パウロ2世の「個人的な発案」であるとのことです。「個人的な」発案として、このような催しは「全てのキリスト者の牧者及び教師」(第1バチカン公会議)の使命にかかわることでは全くなく、また国連によって今年1986年が「国際平和の年」として提案されている政治的なテーマに従っていることですから、教義にかかわることでもありません。

 来る10月27日にはアシジにカトリック信者のみならず「世界中の他の諸宗教の代表者たちが平和のために集うために」(オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙1986年1月26/27日号)会合する予定です。

 ヨハネ・パウロ2世が「世界中の他の諸宗教の代表者たち」と呼んだ人々のことを、カトリック教会は常に「未信者infideles」とふさわしく呼び慣わしてきました。「未信者とは、広い意味において真の信仰を持っていない全ての人々のことを言い、固有的な意味においては洗礼を受けていない人々のことを言います。そしてこの意味においては未信者は一神教信者(ユダヤ人やイスラム教徒)、多神教信者(ヒンズー教など)そして無神論者に分けられます」(Roberti-Palazzini, Dizionario di teologia morale, p. 813より)。

 またヨハネ・パウロ2世が「他の諸宗教」と呼んだことを、カトリック教会が常に「邪教」と呼んできたものです。キリスト教以外の全ての宗教は「天主が啓示しそれを実践することをお望みになる宗教ではないという意味で」(Roberti-Palazzini, Dizionario di teologia morale, p. 813より)邪教なのです。

 以上のことを述べた後に、この種の「祈祷集会」はカトリック信仰の光に当てたとき、次のようなものとしてしか考えられないと言えます。

天主に対する侮辱
贖いが誰に対しても必要であると言うことの否定
未信者に対して当然なすべき義務と愛徳との欠如
カトリック信者たちにとっての危険と躓き
教会の使命と聖ペトロの使命とに対する裏切り
天主に対する侮辱

 全ての祈りは、願い事をする祈りであっても、礼拝行為(actus cultus)です(聖トマス・アクイナスの神学大全II-II q. 83)。祈りは礼拝行為として、礼拝を受けるべき方に、なされるべきやり方で、礼拝が捧げられなければなりません。

 「礼拝を受けるべき方」とは、唯一の真の天主であり、創造主、すべての人の主です。私たちの主イエズス・キリストがその真実のお方を知るための智慧を私たちに授けられた(1ヨハネ5:20)のです。私たちの主イエズス・キリストはまた「私はおまえの天主、主である。… 私以外のいかなる神々をも持ってはならない。… これらを拝んではならず、これらに礼拝を捧げてはならない。」(脱出20:2, 5. マテオ4:-10、ヨハネ17:3、ティモテオ2:5)律法の第1戒を確認されました。

 「なされるべきやり方で」とは、啓示の充満に対応するように、いかなる誤りもなく、と言うことです。「まことの礼拝者が、霊と真理とを持って御父を拝むときが来る、いやもう来ている。御父はそう言う礼拝者を望んでおられる。」(ヨハネ4:23)

 偽りの神々に捧げられた祈り、或いは、天主の啓示とその全て或いは一部が対立するような宗教の憶測に基づいてなされた祈りは、礼拝行為ではなく迷信と呼ばれるべきであり、迷信は天主を敬わないばかりでなく、天主を、少なくとも客観的に、犯すものです。迷信は天主の十戒の第1戒に背く罪です。(神学大全II-II qq. 92-96)

 アシジに集う人たちは、一体誰にどのように祈るのでしょうか?招かれた「他の諸宗教の代表者たち」はそれぞれの宗教行事の服を着て「彼らに固有のやり方と固有の形式でそれぞれが祈るだろう」とのことです。これが非キリスト者のための事務局長であるウィルブランド枢機卿(Cardinal Willebrands)が説明したことです。(オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙1986年1月27/28日号)このことは1986年6月27日にエッチェガライ枢機卿が記者会見で確認したことであり、これは1986年9月7/21日号のDocumentation Catholiqueに「聖座発表」の見出しのもとで「それぞれの祈りを尊重し、それぞれに自分の信仰と信じていることをそのまま表明することを許す」と発表されました。

 ですから10月27日にアシジでは迷信がその最も忌々しい形で大きく実践され、聖寵の時代にありながら天主のキリストを否定しつつ天主を敬っているとうそぶいているユダヤ人の偽りの礼拝(神学大全II-II qq. 92 a. 2 ad 3 et I-II q. 10 a.11)に始まって、創造主に捧げるべき礼拝をヒンズー教徒や仏教徒が被造物に礼拝を捧げるという偶像崇拝(使徒17 :16)に至るまで許されることになるでしょう。

 少なくとも見かけ上、カトリックの権威が彼らを承認することは、天主が迷信でさえも、真の礼拝行為と同じく嘉し給い、真の信仰の表明と同様に不信仰の表明でさえも同じく嘉し給うということ、つまり真の宗教も邪教も嘉し給い、真理も偽りも嘉し給うということを前提とする、或いは暗黙の了解と考えさせるのであり、これは天主に対して非常に大きな冒辱となります。(神学大全II-II q. 94 a. 1)

贖いが誰に対しても必要であると言うことの否定

 天主と人々をつなぐ仲介者はだだ一人しかいません。すなわちまことの天主かつまことの人である私たちの主イエズス・キリスト(1ティモテオ2:5)です。本来なら人は「怒りの子」(エフェゾ2:3)でありましたが私たちの主イエズス・キリストによって御父と和解しました(コロ1:20)そして私たちの主イエズス・キリストに対する信仰によってのみ人は信頼して天主に近づくことができる(エフェゾ3:12)のです。

 天と地の全ての権能が私たちの主イエズス・キリストに与えられました(マテオ28:18)そして天と地と地の下にあるものは全て私たちの主イエズス・キリストの聖名に膝をかがめなければなりません(フィリッピ2:10-11)。

 私たちの主イエズス・キリストを通らずに誰一人として御父の元に行くことができません(ヨハネ14:6)。私たちの主イエズス・キリストの名前以外に人が救われることのできる聖名は天下にありません(使徒4:12)。私たちの主イエズス・キリストはこの世に来るすべての人を照らす光であり(ヨハネ1:9)、私たちの主イエズス・キリストに従わないものは誰であれ暗闇を歩く(ヨハネ8:12)のです。私たちの主イエズス・キリストの味方をしないものは主に逆らうものであり(マテオ13:30)、私たちの主イエズス・キリストを敬わないものは、私たちの主イエズス・キリストをお遣わしになった御父を冒辱するのです --- そしてまさしくこのことをユダヤ教徒たちがしているのです(ヨハネ5:23)。天主御父がすべての人を裁く権能をお委ねになったのは私たちの主イエズス・キリストにであり、私たちの主イエズス・キリストを信じないものは、天主の唯一の御子の聖名を信じなかったがために、すなわち御子を遣わした御父(ヨハネ17:3)を私たちの主イエズス・キリストにおいて信じなかったために既に裁かれたのです(ヨハネ3:18)。

 更には、私たちの主イエズス・キリストこそ平和の君主です(イザヤ9:6、エフェゾ2:14、ミケア5:5)。何故なら、全ての分裂、対立、戦争などは、人が贖い主の御血の力によるのではなければ自分の力ではそこから解放されることのできない罪の苦い果実であるからです。

 私たちの主イエズス・キリストは、アシジにおいて、非キリスト者たちの「他の諸宗教の代表者たち」の祈りとどのような関係があるのでしょうか?全くありません。

 何故なら私たちの主イエズス・キリストは彼らにとって、或いは知られざる人であり、或いは躓きの石であり、或いは逆らいのしるしだからです。世界平和のために祈るようにと言う彼らに対してなされた招待は、次の誤りを前提とし、それを避けることなく暗黙の了解としていることを認めてしまっています。

 つまりその誤りとは、一方では私たちの主イエズス・キリストの仲介によってイエズス・キリストの聖名によって天主に近づくことのできる人たち(つまりキリスト信者たち)があり、他方で私たちの主イエズス・キリストという仲介者の介入なく自分自身の名前によって天主に直接行くことのできる人々(つまりその他の全人類)がいる、ということです。別の言い方をすると、私たちの主イエズス・キリストの前に膝をかがめなければならない人々とそれを免れている別の人々がいると言うこと、私たちの主イエズス・キリストの御国において平和を求めなければならない人々と私たちの主イエズス・キリストの御国の外に平和を見出し、しかも主の御国に対立してさえも平和を得ることができる人々がいると言うことです。このことはウィルブランド枢機卿とエッチェガライ枢機卿との宣言から結論づけられることです。「もし私たちキリスト者にとってキリストが私たちの平和であるなら、信じるすべての人にとって平和は天主の恵みである」(ウィルブランド枢機卿オッセルバトーレ・ロマーノより)。「キリスト者たちにとっては祈りはキリストを通る」(エッチェガライ枢機卿Documentation Catholiqueより)。

 アシジの「祈祷集会」は、ですから、贖いが誰に対しても必要であると言うことを公に否定することです。

未信者に対して当然なすべき義務と愛徳との欠如

 かつてピー枢機卿(Cardinal Pie)は、「イエズス・キリストはオプションではない」と言っていました。私たちの主イエズス・キリストに対する信仰によって義とされる人が一部で存在し、私たちの主イエズス・キリストと関係なく義とされる人が他方で存在するのではないのです。すべての人はキリストにおいて救われ、すべての人はキリスト無くしては滅びてしまうのです。天国という唯一の超自然の究極の目的とは別の「自然の最終目的」という選択肢が人間にあるわけでもありません。罪を犯すことによって人は道を外れてしまうのですが、もしキリストにおいて唯一の道(ヨハネ4:6)を見出すことができなければ、人間が創造されたその最終目的に到達するための道を見出すことが出来なかったと言うことですから、人には永遠の滅びしか残っていないのです。

 ですから、異教徒たちをも含めて全ての人々にとって救いの主観的な条件は真の信仰なのであって、たんなる「善意」ではないのです。何故なら真の信仰こそが手段として必ず必要なものであり、「もし(たとえ故意にではなかったとしても)真の信仰がない場合には、永遠の救いを期待することが絶対的に不可能(ヘブレオ11:6)」(Roberti-Palazzini, op. cit. p. 66)だからです。

 聖トマスは次のように説明しています。故意の不信仰は過失であり、不本意の不信仰は罰である、と。実際に未信者は不信仰の罪によって永遠に滅びるのではありません。つまり彼らが全く知りもしなかったキリストを信じなかったという罪によって滅びるのではなく、真の信仰無くしては誰も赦しを得ることができないその他の罪によって滅びるのです(マルコ16:15-16、ヨハネ20:31、ヘブレオ11:6、トリエント公会議Dz 799, 801、第1バチカン公会議 Dz 1793、神学大全II-II q. 11, a. 1)。

 人間にとって贖い主を受け入れ、仲介者と一致することよりも重要なことはありません。これこそが永遠の生死にかかわる問題です。天主の命に従って(マルコ6:16、マテオ28:19-20)未信者はカトリック教会によってこれが告げ知らされるのを聞く権利があります。これこそが、カトリック教会が常に未信者たちに、彼らのために祈りつつ(彼らと共に祈るのではなく)、告げ知らせてきたことです。

 アシジでは何が起こるのでしょうか?アシジでは彼ら未信者のためには祈りません。それは暗黙のうちにそして公に、彼らにはもはや真の信仰が必要ではない、と言うことを前提としているからです。彼らのために祈る代わりに、彼らと交わって祈る、ラジオ・バチカンのユダヤ教師のような言い方によると、彼らのそばに祈るためにいる、ことになっています。こうすることによって暗黙のうちにそして公然と、“誤りの教える祈りも、「霊と真理とにおける」祈りと同じように天主に嘉されるものである” と言うことを前提としてしまっているのです。

 「それぞれの祈りを尊重する」とエッチェガライ枢機卿はその短い宣言の中で説明しています。つまりアシジに集う未信者は「信仰について何も知らないジャングルの中で育った未開人」(神学者たちは未信者の救いの問題を論じるときに彼らの仮説のもとになっている前提がこれです。例えば聖トマスDe veritate XIV 11)ではないのですから、彼らは「尊重されて」「闇と死の陰に」(ルカ1:79)取り残されることになるのです。

 「他の諸宗教の代表者たち」は、自分の宗教色豊かな服装で、宗教に関して誤って信じていることに合うように祈ることを許され、彼らは更に、少なくとも形のうえでは (materialiter) 信仰に対する罪、不信仰、異端、などに踏みとどまるようにと奨励されているのです。

 世界平和が「基本的な」そして「最高の」善であると定義され(ヨハネ・パウロ2世 オッセルバトーレ・ロマーノ1986年4月7/8日号 とウィルブランド枢機卿 オッセルバトーレ・ロマーノ1986年1月27/28日 の発言)、その世界平和のために祈るように招待を受けた彼らは、永遠の善からこの世の善へと、すなわち自然的な副次的な善へと道をそらされてしまっています。あたかも彼らには超自然の究極の目的を得る必要がないかのようです。しかし、この超自然の究極目的こそ真に基本的で最高のものなのです。

 「天主の御国とその正義を求めよ。そうすれば、それらのこと(地上のこと)も加えておまえたちに与えて下さる」(マテオ6:33)。

 以上の理由によって、アシジでの「祈祷集会」は、少なくともその見かけだけでも、未信者に対して当然なすべき義務と愛徳とを欠く行為であると言えます。

カトリック信者たちにとっての危険と躓き

 救いのために真の信仰がどうしても必要となります。カトリック信者は自分の信仰を危うくするような全ての危険な機会を避けなければなりません。そのような外的な危険のうちの一つが、どうしても避けられない必要もないにもかかわらず未信者と接触することです。このような接触は教会法を待つまでもなく、そして教会法がたとえば社交上のこととして禁止していない場合でも、自然法と神法によって許されないことなのです。聖パウロは言います。Haereticm hominem divita. 異端者を避けよ、と(ティト3:10)。

 教会は母の心を持ってカトリック信者にとって信仰に対する危険になりうることのみならず躓きの動機になりうることさえも常に禁止してきました。(1917年の教会法は数世紀に亘る教会の掟を採用しています。1258条、2316条を参照して下さい。神学大全II-II q. 10 aa. 9-10)

 教会はまた常に邪教に対して公の宗教儀式の権利を拒否してきました。もし必要なときには教会はそれを黙認しました。しかし、この「黙認」は常に「その悪を許すそれ相当の理由がある」(Roberti-Palazzini, op. cit. p. 1702)ためでした。それがいかなる場合であれ、非カトリックの宗教儀式を見かけ上であっても承認するようなことを教会は常に避けてきましたし、禁止してきました。

 アシジでは何が行われるのでしょうか?確かに、言葉の綾によって「一緒に祈るため」ではないかも知れませんが、カトリック信者と未信者とが「祈るために一緒になる」でしょう。このことはとどのつまりアシジで共に祈ると言うことなのです。まずそれそれが同時に自分たちのいるところで祈り、次に閉会式では聖フランシスコのバジリカの前に集まって順番に祈るのです。

 ところで、このようなことはカトリック信者の信仰を守るためにすることではなく、カトリック信者を少なくとも躓かせないためにすることではありません。

 これはそれぞれが「彼らに固有のやり方と固有の形式でそれぞれが祈る」のを許すために、「それぞれの祈りを尊重」するために、そして「それぞれに自分の信仰と信じていることをそのまま表明することを許す」ためになされるのです。ですから少なくとも見かけ上、次のことを承認しているのです。

教会が常に権利を否定してきた偽りの宗教儀式の承認
教会が常に「宗教無差別主義」或いは「宗教拡大主義」の名の下に排斥してきた「宗教主観主義」の承認
です。

「宗教主観主義」とは「人間の理性或いは啓示の光によって明らかにされる客観的な真理だけが権利を持つことを理解せずに、いわゆる “自由の要求” によって自己を正当化しようとする態度です(Roberti-Palazzini op. cit. p. 805)。」

「宗教無差別主義」とは「最も恐るべき異端の一つであり」「全ての宗教を同じレベルに置き」規則正しい生活と永遠の救いとの存在理由を宗教的に信じることが真理であることを認めないものです。「『宗教無差別主義』のためについに人は宗教を全く個人的なものと看倣してしまい、個人の好みの違いによって好きなものを選び、「私にとっての」宗教を形成することを許し、たとえ宗教が互いに矛盾しあっているにもかかわらず、全ての宗教はみなどれもこれも良いものであると結論させるのです。」(Roberti-Palazzini op. cit. p. 805)これはカトリック信仰と言う行為の外でのことです。

 天主の啓示は現実の事実であり、確かな徴という手段を持って信じるに値する真理と天主によって確立されたのですから、この領域に関する誤りは人にとって最も重大な結果をもたらします(レオ13世 1888年回勅『リベルタス』)。

 「全く明らかな真理という現実の事実を前に、それらがあたかも存在していないか或いは誤りであるかのような態度を承認するほどの黙認はいかなる人にもできません。そのようなことは私たちが全く信じていないか、或いは私たちの立場の真理に完全に納得していないか、或いは私たちが全く無関心でいることができる些細な事柄であると考えているか、或いはまた私たちが真理も誤謬も全く相対的な立場にすぎないと考えているかのいずれかを前提とするからです。」(Roberti-Palazzini op. cit. p. 1703)

 まさに「祈祷集会」これら全てを含んでいるので、これはカトリック信者にとって躓きの機会であり、彼らの信仰を大きな危険にさらすものとなるのです。エキュメニズムの事実からついにはカトリック信者は未信者と合流するかも知れませんが、それは彼らの「共通の破滅 」(ピオ12世 1950年『フマニ・ジェネリス』)においての合流になることでしょう。

教会の使命と聖ペトロの使命とに対する裏切り

 教会は全ての国々に次のことを告げ知らせる任務があります。

唯一の真の天主が存在すること、この唯一の天主は全ての人々のために私たちの主イエズス・キリストにおいてご自分を啓示されたこと。
真の宗教はただ一つしかないこと、天主がそこであがめられることを望んでおられる宗教はただ一つであること。何故なら天主は真理であり偽りの諸宗教において真理に背くものは、教義上の誤り、掟の不道徳性、宗教儀式の不適合性など、全て天主に背くこと。
天主と人との仲介者はただ一人しかおられないこと。人間が彼によって救われることを期待することのできるのはただ私たちの主イエズス・キリストだけであること。なぜならすべての人は罪人であり、キリストの御血によらずしては全ての人は罪のうちに留まるからです。
真の教会はただ一つしかないこと。そしてこの教会が永久に私たちの主イエズス・キリストの御血を守っていること、「救いの唯一の方舟である使徒継承のローマ教会の外においては誰も救われることができないこと、このローマ教会に入らないものは大洪水に滅ぼされてしまうことを信じなければならない」(ピオ9世 Dz 1647)こと。もし彼らの無知がどうしてもしかたのないものだったとしても彼らの心の状態が、明らかに或いは暗黙のうちに天主のみ旨を全て成し遂げたいという少なくとも望みによって、教会の中に入っている必要がある(ピオ9世 Dz 1647)ということ。
 教会の固有の使命は、これら全てを告げ知らせることです。

「あなたたちは諸国に弟子を作りに行き、聖父と聖子と聖霊との聖名によりて洗礼を授け、私があなたたちに命じたことを全て守るように教えよ。」(マテオ28 :19-20)「あなたたちは全世界に行って全ての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼を受ける人は救われ、信じない人は滅ぼされる。」(マルコ16 :16)

 教会が確かに数世紀にも亘ってこの使命を果たすことができるために私たちの主イエズス・キリストは聖ペトロとその後継者たちに目に見える形で主の代理となる使命を与えました。(マテオ16 :17-19、ヨハネ21 :15-17)

 「イエズス・キリストの代理者は、新しい啓示の力を借りて新しい教義を作る使命もなく、新しい事態を創造する任務もなく、新しい秘蹟を制定するための任務もない。そのようなことは彼の任務ではない。彼はイエズス・キリストの教会の頭としてイエズス・キリストを代表している。イエズス・キリストの教会は既に完成している。教会の本質的な構造、つまり教会を創造することはイエズス・キリストに固有な業であった。イエズス・キリストはご自分でそれを成し遂げそれを聖父に言われた。「私はあなたが行わせようと思し召した業を成し遂げました。」(ヨハネ17 :4)主の業に何も付け加えることはない。この御業をそのまま維持し、教会の業を保持し、その機関がうまく働くようにすることだけである。従って必要なことは2つであり、それは教会を統治し、真理の教えを永久に守ることである。第1バチカン公会議はイエズス・キリストの代理者の最高職務の対象としてこの2つをあげている。ペトロはイエズス・キリストをこの2つの観点の下で代表するのである。」(Don Adrien Grea, De l’Eglise et de sa divine constitution : 第1バチカン公会議の使徒憲章『パストル・エテルヌス』第4章)

 並ぶものもない程のペトロの権能は、代理者としての権能であり、代理者の権能としては絶対のものではなく自分が代表するイエズス・キリストの天主の権によって制限を受けています。

「主はペトロにペトロの羊ではなくご自分の羊を委ねた。それは自分の利益のためにでなく天主の利益のために牧させるためであった。」(聖アウグスチヌス 説教第285の3)

 ですから教会の使命とローマ教皇の使命にそぐわないような「個人的な発案」を(アシジでの「祈祷集会」のような明らかにご自分の使命とはそぐわないようなものを)促進させると言うことはペトロの権能に属するものでは全くありません。

 私たちの主イエズス・キリストはこう言いました。「サタン退け! “あなたの天主なる主を礼拝し、ただ天主にだけ仕えなければならない” と書かれてある」(第2法6:13、マテオ4:10)と。

その主イエズス・キリストの代理者たるものが、どうして真の天主への信仰のために聖別された聖なる場所に、邪教の「代表者たち」を招いて彼らの偽りの神々に祈らせることができるでしょうか?

 聖ペトロはこう言って信仰を宣言しました。「御身は、生ける天主の御子、キリストです」(マテオ16:16、ヨハネ6:69-70)と。そしてこの信仰宣言故に首位権を得たのです。その後継者たるものがどうして私たちの主イエズス・キリストがあたかもいないかのように立ち振る舞うことができるのでしょうか。

 聖ペトロは兄弟たちの信仰を固める任務を受けました(ルカ22:32)。その後継者がその兄弟、子供たちの信仰にとって躓きの石となるべきではありません。(了)









ルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教の教皇ヨハネ・パウロ2世への公開書簡(1983年11月21日)

2021年03月17日 | ルフェーブル大司教の言葉
ルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教の教皇ヨハネ・パウロ2世への公開書簡(1983年11月21日)

教皇聖下、

 願わくは聖下が私どもをして聖下に次のような考察を全く子供としての率直さを持って提出することを許し給わんことを。

 20年前から教会の状況はあたかも占領されたかのように思われるほどです。教会の自己破壊のために数万の聖職者と数千万の信者達が苦悩と困惑の中で生きています。

 第二バチカン公会議の公文書の中に含まれている誤謬、公会議後の改革、特に典礼改革、公文書によって広められている間違った考え、聖職位階によってなされる権力の乱用は、人々を混乱と動揺の中に投げ込んでいます。この悲しみに溢れる現状において多くは信仰を失い、愛徳は冷め、教会の本当の一致という考えが時と空間に置いてたち消えています。

 聖なるカトリック教会の司教、使徒の後継者として、かくも多くの霊魂達が全世界で、教会の教導職によって定められ、常にどこでも教えられてきたその信仰と道徳の中に留まろうと望んではいるものの残念ながら方向を狂わされているのを見、私たちの心は動転しています。このことに口を閉ざしているとしたら、私たちにとってこれらの悪しき仕業の共犯になってしまうように思えます。ですから、私たちが過去15年間に取ってきた個人的な態度・足取り[でも足りなかったこと]を考えると、聖下に公に介入しなければならない義務を感じます。それはこの劇的な状況の主要な諸原因を告発し、使徒継承の聖伝によって忠実に私たちにまで伝わった信仰においてその兄弟達を固めるために、教皇聖下にペトロの後継者の権力を行使してもらうためです。

 このため私どもはこの手紙に付録を付け、この悲劇的な状況の源にある、そして、既に他方で聖下の前任者達によって排斥されている主要な誤謬を指摘することを致しました。次のリストはその付録の題ですがこれが誤謬の全てではありません。

1.-信仰において分裂している教会という横に広がりすぎた宗教統一的な教会の概念。これは特にシラブスによって排斥されている。

2.-団体的・協議会的統治と民主主義的指針。これは特に第一バチカン公会議によって排斥されている。

3.-信教の自由に関する文章に明らかに現れている人間の自然権に関する誤った考え。これは特にピオ9世のQuanta Curaとレオ13世のLibertas Praestantissimumによって排斥されている。

4.-教皇の権力に関する誤った観念

5.-ミサの聖なるいけにえとその他の秘蹟に関するプロテスタント的考え。これはトレント公会議第22総会によって排斥されている。

6.-最後に、一般的に言って聖庁の廃止によって生じるようになってしまった異端の自由な流布。

 誤謬を含む公文書はそれが上にある源から来れば来るほどにそれだけより深い不安の困惑を引き起こします。聖職者も平信徒もこの状況に最も動揺しているのは他でもなく教会に、ペトロの後継者の権威に、教会の聖伝の教導職に最も強く我が身を付けているものなのです。

 教皇聖下、この不安が消えるようにするのは緊急のことです。なぜなら、群は散りぢりになり、捨てられた羊達を金で雇われたものが追っているからです。カトリック信仰の善のため、霊魂達の救いのために、私たちは聖下に彼らの誤謬に反対の真理をもう一度断言して下さるように、聖なる教会によって20世紀もの間教え続けられた真理を再確認して下さるようにとひたすらに願い乞い求めます。私たちが聖下にこれを申し上げるのは、聖ペトロが福音の真理に従っていないと聖パウロが聖ペトロをとがめたときの、その心境において申し上げています。聖パウロの目的は信者達の信仰を保護する以外の何ものでもありませんでした。聖ロベルト・ベラルミノはこのような場合の一般的道徳原理について語り、霊魂の救いに害を与えるであろう教皇の行為に対し人は抵抗する義務を持つと教えています。

 私たちがこの警告の叫びをあげるのは、この叫びは新しい教会法の誤謬、異端とは言わないけれども誤謬によって、またルターの生誕500周年の祝賀と演説によってますます激しくなるばかりですが、聖下の助けに出たいという目的なのです。...本当に限りは尽きました。教皇聖下、願わくは天主が私たちの助けに来たり給わんことを。私たちは絶えず聖下の意向のために聖なる童貞マリアに祈っています。

 私たちの忠孝に満ちた献身の情を受けとめて下さりますように。

マルセル・ルフェーブル(テュールの元司教)

アントニオ・デ・カストロ・マイヤー(カンポスの元司教)

 

第二バチカン公会議の教会論の主要な誤謬の要点

1.-"横に広がりすぎたlatitudinariste"宗教統一的な教会の概念。

 教会が「天主の民」であるという概念は以後数多くの公文書の中に現れる。公会議文書の"Unitatis Redintegratio"や"Lumen Gentium"、新しい教会法典(c.204.1)教皇ヨハネパウロ2世の書簡"Catechesi tradendae"とカンタベリーの英国聖公会での演説、キリスト者の一致のための秘書室が出した宗教統一のための方針"ad tatam Ecclesiam"などがその例である。

 この概念は横に広がりすぎた意味と誤った宗教統一の概念を含んでいる。

いろいろな事実が明らかにこの概念が残念なことに謬説であることを示している。たとえば諸宗教の儀式ができるような部屋を作ることの許可、カトリック聖書解釈学とはもはや相容れない統一聖書の発刊、カンタベリーで行われたような宗教統一的儀式。

 "Unitatis Redintegratio"では、キリスト者間の分裂は「この世にとって躓きの対象であり全ての被造物に福音をのべ伝えることへの障碍となる。・・・聖霊はその他の宗教をも救いの手段としてお使いになることを拒まれない」と言うことを教えている。この同じ誤りがヨハネ・パウロ2世の"Catechesi tradendae"という文書の中で繰り返されている。ヨハネ・パウロ2世がカンタベリーのカテドラルで1982年5月25日にあたかも使徒信経の一致がかつて教会に存在したことがなかったかのように「キリストの約束は私たちに信頼の念を起こさせ、聖霊は聖霊降臨の後そのすぐ初期の時代から教会内に導入された分裂をいやして下さると信じます」と宣言したのはまさにこの同じ精神であり、聖伝の信仰とは全く反対の断定である。

 「天主の民」という概念はプロテスタンティスムも同じキリスト教宗教の特殊な形態に過ぎないかのように信じろと促している。

 第二バチカン公会議は、異端の分派どもとの「聖霊における本当の一致」(Lumen Gentium, 14)「彼らとのまだ不完全なある種の交わり」(Unitatis Redintegratio, 3)があることを教えている。

 この宗教統一的な一致はレオ13世の回勅"Satis Cognitum"に矛盾している。この中でレオ13世は「イエズスは『一般的には似通っているがしかし互いに区別され、"不可分の唯一の教会を形成するある絆"によって繋がれているのではない多くの共同体を寄せ集めたような教会』を創立したのではない」と教えている。

 同様にこの宗教統一的な一致はピオ12世の"Humani Generis"という回勅に反している。彼はこの中で、[人は救霊の為には]カトリック教会に属さねばならに必要性[があるのだが、それを]を何らかの別の形に還元しようとする考えを排斥している。

 また同じ教皇の"Mystici Corporis"という回勅にも反している。この中では信仰において離ればなれになっているいろいろな共同体の絆であるような「霊的」教会という概念を排斥している。

 この宗教統一運動はピオ11世が回勅"Mortalium animos"の中で教えたものと反対である。この教皇はこう言った。「この点に関して非カトリック者がキリスト者の諸教会の一致を実現させようとして使っている手段のこの複雑な宗教統一運動とこの問題の根源にあるある誤った意見をここで示し排斥するのが適当である。この意見を支持する者たちはキリストのこの言葉を常に引用する。「彼らが一つとならんことを。一つの群れ一つの牧者とならんことを」(ヨハネ17:21、10、16)そして彼らはこのキリストの言葉は一度も実現したことのなかった望み、祈りを表現していると主張している。彼らは実にキリストの本当の教会が持つべき印である信仰と統治の一致が実際的に今日に至るまで決して存在したことがなくまた今日でも存在していないと言いたてている。」

 カトリックの道徳と法律が排斥するこの宗教統一運動はついに「非カトリックの役務者」から悔悛、御聖体、終油の諸秘蹟を受けることを許すに至ってしまった(新教会法典Canon 844)そしてカトリックの聖務者に御聖体の秘蹟を非カトリック者に配ることを許可し「宗教統一的なもてなし」を促進させている。

 これらのことは明らかに天主から受けた啓示に反している。天主の啓示は「分離」を命じ「光と闇、信者と非信者、天主の神殿を分派の神殿との」一致を投げ捨てている(コリント現14ー18)。

2.-団体的・協議会的・民主主義的な教会の統治

 今日の近代主義者達は、まず信仰の一致を揺るがして後、統治の一致を揺るがし教会の位階制度的な構造を揺るがしている。第二バチカン公会議の文書"Lumen Gentium"によって既に暗示された教えが今度は新しい教会法典によって明確に採択された。それは、教皇を含めた司教達の団体は同じく教会において最高権力を享受し、それは常住し恒常的であるという教えだ。

 この二重の最高権力という教えは教会の教導職の教えとその実践に反している。特にこれは第一バチカン公会議とレオ13世の"Satis Cognitum"とに反している。つまり、[教会の聖伝によれば]ただ教皇だけがこの最高権力を保持し、教皇が適当だと判断する限りにおいてまた非常事態においてこれを教皇が他のものに伝えるのだ。

 この重大な誤謬に教会の民主主義的な方針が付け合わされている。つまり、新教会法典が定義するように「天主の民」に主権が存するというのだ。

 このヤンセニスト的な誤謬は、ピオ6世がこれを勅書"Auctorem Fidei"によって排斥している(Dz.2592)。

 「基礎共同体」「草の根」をして権力を行使するようにと促す傾向は、シノドゥスの創設、司教協議会、司祭委員会、司牧委員会、ローマの無数の委員会、国別の委員会が修道会の懐にも作られていることに見いだせる。このことについては、第一バチカン公会議Dz3061と新教会法典447条を見よ。)

 教会内の権威の衰退は今日至る所で牛耳っている無秩序と混乱の源である。

3.-人間の自然権に関する誤った考え。

 第二バチカン公会議の宣言"Dignitatis humanae"は、「宗教の事柄に関し」人間に誤った自然権があることを断言している。このことは過去の教皇の教えと反対であり、彼らは厳しくかかる冒涜を否定している。

 ピオ9世は、"Quanta Cura"とシラブスの中で、レオ13世は"Libertas Praestantissimum"と"Immortale Dei"の中で、ピオ12世はイタリアのカトリックの法律家達に対してした演説"Le Riesce"の中で、人間理性と典からの啓示がかかる権利を打ち立てることを否定している。

 第二バチカン公会議はどこででも「真理は真理に固有の力でしか押しつけられることができない」と信じ宣言している。

 これはピオ6世がピストイア公会議のヤンセニストたちに反対の声を挙げて教えた教えに完全に反対である(Dz.2604)。

公会議はついに真理を支持しない権利、真理に従わない権利を宣言し、政府に、真理の宗教と偽りの諸宗教との法的平等を確立するようにさせ、宗教を理由に差別をもはやしないことを強制するという愚かさにまで達した。

 この教えは人間の尊厳に関する誤った観念に基づいている。これは、フランス革命の似非哲学、不可知論、唯物論から由来するもので聖ピオ10世は教皇令"Notre Charge apostolique"の中でこれらを既に排斥している。

 第二バチカン公会議は信教の自由から教会にとって堅実の時代が出ると言った。

 しかしグレゴリオ16世は反対に意見の規制なき自由が教会にとって利益になると言うことを述べるのは最高に恥知らずであると言っている。

 公会議は"Gaudium et Spes"の中で、人間のキリスト教的尊厳が托身の事実から由来し、托身はこの尊厳を全ての人に回復せしめたという偽りの原理を表明している。この同じ誤謬はヨハネ・パウロ2世の回勅"Redemptor hominis"の中で断言されている。この人間の偽りの権利が公会議によって認められたこの結果として我らの主[イエズス・キリスト]の社会統治の基礎が破壊され、宣教地における教会が、霊魂達がそのくびきの下にいるサタン的な力に対抗する戦いをし、我らの主を多くの人々の精神と心において統治させようとする権威と権力をゆるがせにしている。宣教精神は極端な改宗を勧めるものとして断罪されるだろう。

 宗教に関する国家の中立は、国家の大多数がカトリックである場合、我らの主とその教会にとって屈辱的である。

4.-教皇の権力に関する誤った観念

 たしかに、教皇の権力は教会において最高権力である。しかし、この権力といえども天主の権力に従属するものであるから、絶対で無制限ではない。そしてこの天主の権力は聖伝、聖書、教会の教導職によって既に公布された諸定義によって表明されている(Dz.3116)。

 教皇の権力はその権力が教皇に与えられた目的によって制限されそれに従属している。この目的は第一バチカン公会議の憲章"Pastor aeternus"の中に明らかに定義されている(Dz.3070)。

 教会の構造を変更し、それを「天主の権利」に対して「人間の権利」と呼ぶことを主張することは、たとえば、信教の自由において、新しい教会法典によって許可された「御聖体によるもてなし」において、教会の中における2つの最高権力の肯定においてなされたことは、耐え難い権力の乱用である。

 これらの場合において、またその他のこれに似たような場合において、全ての聖職者とカトリック信者にはこれに抵抗し、従順を拒む義務があることは明らかである。盲目的従順はその時異常であり、誰一人として天主よりもむしろ人に従順だったことの責任を免れ得ない(Dz.3115)。もし悪が公であり、霊魂にとって躓きの対象であるときには、この抵抗は公でなければならない(S.Th.,2ae2ae,q.33,a.4)。

 これは目下と全ての正統的な権威との関係を治める道徳の基本原理に過ぎない。

金輪際、聖伝とカトリック信仰に堅く留まるもののみが罰を受け、異端説を唱え、あるいは本当の涜聖をやり遂げた者どもは全く心配すらしないと言う事実から、この抵抗が正しいことであることの確証を見いだす。なぜなら、これが権力の乱用の論理だからだ。

5.-ミサの聖なるいけにえに関するプロテスタント的考え。

 教皇ヨハネ・パウロ2世が、新しい教会法の前にある憲章の中で定義するままの教会の新しい概念は、ミサのいけにえという教会の主要な行為において深い変化をもたらしている。新しい教会論の定義は、全く正確に新しいミサの定義を持ち出している。つまり、それはサービスであり、団体的でエキュメニカルな交わりである。これよりも良く新しいミサを定義できない。新しいミサは新しい公会議後の教会のように、教会の聖伝と教導職からの深い断絶にあるものである。

 不当にも高揚された全てのことと蔑ろにされたこととを説明するのはカトリックと言うよりもむしろプロテスタント的な観念である。

 トレント公会議の第22総会でなされた教えとは反対に、またピオ12世の回勅"Mediator Dei"とは反対に、ミサにおける信者の参加の余地を誇張し、司祭の地位をただの座長におとしめ蔑ろにした。御言葉の典礼の地位を誇張し、罪の償いのためのいけにえという地位を蔑ろにした。共同体の食事と言うことを誇張してそれをし神聖化し、しかも、全実体変化による御聖体における主の現存への敬意と信仰を犠牲にしてまでもそうした。

 聖別された言語を廃止することにより無限にミサ典礼様式を多元化し、世俗的なあるいは異教的な要素を持ち寄ることによりそれを世俗化させた。また信者の本当の信仰と本当の敬虔の念を犠牲にしてまでも誤った翻訳を広範囲に広げた。

 しかし、フィレンツェとトレントの両公会議は、これら全ての変化に対し排斥文を発表し、私たちのミサは、そのカノンにおいて使徒の時代にまで遡ることを宣言している。教皇ピオ5世とクレメンス8世とはミサの変化や変更を避ける必要性について強く主張し、聖伝によって聖別されたローマ典礼様式を永遠に保護した。

 ミサの非神聖化、ミサの世俗化は、司祭職の世俗化をプロテスタント流になしつつある。

 プロテスタントのやり方に従った典礼改革は公会議後の教会の最も大きい誤りの一つであり、信仰と聖寵の崩壊をもたらす最もひどいものの一つである。

6.-異端の自由な流布

 探求の状態に落とされた教会の状況は、プロテスタント的な意見の自由を実践において導入し、教会内部においていろいろな数多い信経を作り上げてしまった。「聖庁」や「禁書目録」また「反近代主義者宣誓」などの「廃止」は、現代の神学者達において新しい理論が必要だと言うことを思わせ、信者の方向を迷わせる理論や、信者をカリスマ運動や聖霊降臨運動、基礎共同体へと駆り立てる新しい理論を出させた。これは結局天主と教会の権威に対抗して打ち立てられた真の革命である。

 多くの教皇達によって永久に排斥された現代の重大な誤謬は今より教会内で自由に発展している。

1-反スコラ学的な、実存主義的、反知性主義的な近代哲学がカトリック大学や大神学校で教えられている。

2-人間を全てのものの目的であるとする現代世界の言うがままをオウム返しに言おうとする教会当局の必要のため、人間中心主義が尊重されている。

3-自然主義(非超自然主義)-人間と人間的価値の高揚のために贖いと聖寵の超自然的価値が忘れられている。

4-進化論的近代主義のために、二十世紀の聖伝と啓示と教導職とが打ち捨てられている。彼らにとってもはや固定された真理もドグマも存在しない。

5-社会主義と共産主義-公会議がこれらの誤謬を排斥することを拒んだことはスキャンダルなことであった。そしてそのためにバチカンは今日では多かれ少なかれキリスト教的な社会主義や共産主義に対しては好意的であると信じるようになってしまったとしても不思議ではない。

そして過去十五年間の聖座の態度は、鉄のカーテンの向こうに対してであれ、こちら側に対してであれ、この判断が正しいことを確証している。

6-最後に、「フリーメーソン」「諸教会の宗教統一会議」「モスクワ」との一連の「同意」のために教会は牢獄にいる状態に還元させられた。これらのため教会はもはや自由に自分の使命を果たすことが全く不可能になってしまった。これらの同意は天に復習を叫ぶ本当の裏切りであり、それは最近最も躓きを引き起こし教会にとって最も害を及ぼした異端の主導者「=ルターのこと]に対してなされた賛辞の数々も同様である。

 教会がその敵に気を使うことなく我らの主イエズス・キリストの統治とマリアの統治とを実現させる自由を回復する時は来ている。




【まとめ】教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章

2021年03月03日 | ルフェーブル大司教の言葉

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

全23章のリンクをまとめています。章題名をクリックすると、お読みになることができます。

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


ルフェーブル大司教の1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教 : 離教に非ず

2020年10月11日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ルフェーブル大司教様の1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教をご紹介いたします。

これによって、1988年の四人のカトリック司教の聖別が離教行為ではないことが示されております。

離教の意図は全く無く、単に、カトリック教会をそのまま存続させる、カトリック聖伝の生き残りの為に、行っただけであると示しています。



聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教
1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教にて

親愛なるカストロ・マイヤー司教様、
いとも親愛なる友人、そして兄弟の皆様、

 ご覧ください、私たちは間違いなく歴史的な一つの式典の為ここに集っています。何よりも先ず皆様にいくつかのお知らせをさせてください。

 第一のものは皆様を少し驚かせるでしょう、私自身そうだったからです。昨夜、ベルンの教皇大使館から送られ、教皇様からの嘆願書の入った一枚の封筒を持ったある訪問者がやって来ました。教皇様は私が自由に使えるようにと車をよこしたのです、この車は私を昨夜ローマに連れて行くことになっていたようです。それは私が今日この司教聖別を執行する事ができないようにするためでした。私には行かなければならない理由も場所も伝えられませんでした!このような嘆願のタイミングのよさと知恵をどう判断するかは皆様にお任せいたします。

 この一年間、私は幾日も、それどころか数週間もローマに行きました。教皇様は私が来て謁見するように招いてはくださいませんでした。仮にいくつかの合意がなされたなら、彼に謁見することは私にとってきっと喜ばしい事だったでしょう。ですからここで皆様に情報としておしらせします。私は皆様にこの事実を単純にお伝えするだけです。私自身、教皇大使館からの手紙を通して知るに至った様に。

 それでは、この式典に関する幾つかの指示と、その意義にかんする重要な文書について[お話しします]。

 皆様の中でお持ちになっている方もいらっしゃる司教聖別式小冊子に見られる誓いを、司教となる者たちは既に、私の手において立てました。従って、この誓約、さらには近代主義に反対する宣誓、この宣誓は公教会が司教聖別される者達に必ずすることを命じていたそのままのものです、それから信仰宣言は、もはや行われたということになります。彼らはすでにこれらの宣誓と信仰宣言とを、数日間シエールにて行われていた黙想会の後で私の手の元で済ましています。ですから、この司教聖別式が、信仰に関する審問、つまりカトリック教会が司教に聖別されるべき人々に尋ねる信仰審問の儀式から始まることになりますが、驚かないようにして下さい。

 さらに皆様に知っておいて欲しいことは、聖別式の後、皆様が司教様たちの祝福とその指輪に接吻することをお願い出来るということです。昨日皆様がされたように、叙階された新司祭の両手に接吻する事は公教会内の習慣ではありません。しかし信徒の方々は司教たちからの祝福とその司教指輪に接吻をすることが出来ます。

 最後に、皆様のために、書物やパンフレットなどを入手できるスタンドを準備しました。それらの書物は、この司教聖別式が、一見ローマの意向に反して執行されるかのようなこの聖別式が何故に離教[行為]ではないかをもっと理解する事を助けるのに必要なあらゆる要素が書かれています。私たちは離教者ではありません! 

 もしも、破門宣告が中国の司教たちにたいしてなされたなら、彼らは自らをローマと絶ち、自分を中国政府の配下に置いたからであって、ピオ十二世教皇が何故彼らを破門したのかは容易に理解できるところです。

 私たちにとって、自らローマと離れることなど問題外です。私たちにとって、教会と関係のない政府の元に身を置くことも問題外です。さらには、パルマール・デ・トロヤの司教らがスペインで行ったように、ある種の別個の教会を作り上げるなどということも問題外です。パルマール・デ・トロヤの人々は、教皇さえ選出し、枢機卿団の編成などさえしたのです。

 私たちにとって、このようなことを行うのは全くの問題外です。考えにもありません。ローマから離れるというこの惨めな考えなど私たちには一切ありません!その反対に、私たちがこの聖別式を執り行おうとしているのは、私たちのローマへの愛着を表明するためです。

 永遠のローマ、教皇聖下、最近の教皇聖下達に先立つすべての前任の教皇たちへの愛着を表明するためなのです。最近の教皇様たちは、残念ながら第二バチカン公会議以来、カトリック教会とそのカトリック司祭職とを破壊している深刻な誤謬を支持することが自らの義務だとみなしてきているのですが。

 そういうわけで皆様方が自由に入手することが出来るように置かれたこれらのパンフレットなどのなかに、ドイツはマインツ大学で教会法学の学部長ゲオルグ・マイ教授によってなされたすばらしい論考があります。

 この教授は何故私たちが必要の緊急事態にいるか、つまり皆様の霊魂を助け、皆様を援助する必要性の中に私たちがいるという事を見事に説明しています。私が思いますには、先程の皆様の拍手は、決して世俗的な[喜びの]現れではなく、むしろ皆様の霊的な[喜びの]現れ、霊魂の救いのため、皆様の霊魂に聖主イエズス・キリストの生命を、正統な教義、諸秘蹟、信仰、御ミサの聖なる犠牲を通して、与えるために奉献されている司教や、司祭達を、とうとう獲得するという喜びを示す、霊的表明なのです。

 天国に行くために、皆様はこの聖主イエズス・キリストの御生命が必要です。この聖主イエズス・キリストの御生命は、公会議後の教会の至る所で消えつつあります。彼らはカトリックの道ではない道に従っています。つまり彼らは単に棄教に進んでいるのです。 

 これこそ私たちがこの聖別式を執り行う理由なのです。教皇になろうなどという気は私にはまったくありません! 私は、カトリックの教義を伝え続けているカトリック教会の一司教にすぎません。

 私が思うに、そしてきっとこれはそう遠くない未来のことでしょう、つまり皆様方が私の墓石に聖パウロのこれらの言葉を刻み込むであろう事です。“Tradidi quod et accipi --- 私は受けた事をあなた方に伝えた。そして他の何物でもないのです。私はちょうど皆様に一通の手紙を配達する郵便配達人です。私はその手紙、メッセージ、天主の聖言葉を書きませんでした。天主御自らがそれをお書きになったのです。つまり聖主イエズス・キリスト御自身がそれをわたしたちにお与えになったのです。

 私たちに関して言えば、私たちはここにいるこれら親愛なる司祭たちを通して、さらに永遠の信仰を保ちそれを信者達に授けることにより、公教会におけるこの離教の波に抵抗するために選ばれた全ての者を通して、ただそれを後世に伝えたのです。私たちは、善き知らせの単なる伝達者、私たちの聖主イエズス・キリストが私たちにお授けになったこの聖福音の伝達者であり、同様に聖化の手段である聖なる御ミサ、真実の聖なるミサ聖祭、霊的生命を実際に与える真の秘蹟の運搬者にすぎないのです。 

 親愛なる兄弟の皆様、私には自分がこれらすべての教皇達、つまりグレゴリオ十六世から始まって、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世、ベネディクト十五世、ピオ九世、ピオ十二世の声が私たちにこういうのを聞いています。「私たちはあなたに懇願する、あなたは私たちの教え、説教、カトリック信仰をどうしようとしているのか? それを放棄するつもりなのか? 地上からそれが消え去るままにさせておくつもりなのか? どうか、どうか、私たちがあなたに与えてきたこの財宝を守り続けなさい。信者たちを見捨ててはならない! 公教会を見捨ててはならない! 公教会を続けなさい! 実に、公会議以来、過去において断罪されていた事を、現在のローマ当局は、抱擁し公言している。どうやってそんな事が出来るのか? 私たちは、自由主義、共産主義、社会主義、近代主義、シヨン主義を、断罪した。」「私たちが断罪したすべての誤謬は、公教会の権威者たちによって、今や宣言され、採用され、支持されている。そのような事があり得るのか? 私たちがあなたに与えたこの教会の聖伝を存続させるためにあなたが何かしないかぎり、全ては消滅してしまうだろう。霊魂たちは失われてしまうだろう。」

 私たちは、今、緊急事態にいることがわかります。私たちは出来ることは全てしてきました。ピオ十二世教皇聖下とそのすべての前任者達の取った態度に立ち戻らなければならないということを、ローマが理解することが出来るように出来るだけの手助けをしてきました。カストロ・マイヤー司教様と私自身とは、ローマに行き、語り、何度もローマに手紙を送りました。私たちはこれらの語りかけを通して、これらの全ての手段を通して、ローマに理解してもらうようにし続けてきました。あの公会議以来、さらにアジョルナメント以来、公教会で起こって来ているこの変革は、カトリック的ではなく、永久不変の教義と一致しない、ということをローマが理解するようにと。このエキュメ二ズムと、これらのあらゆる誤謬、この司教団体主義、これら全ては公教会の信仰に反していて、公教会破壊の工程内にあるものであるということを。だから、本日のこの司教聖別の行為によって、私たちはこれら諸教皇の招きに従順に従い、結果として天主の呼びかけに従順であることになると確信しています、何故なら彼らが公教会内で天主の代理者であるからです。

 「では大司教様は何故、或る程度は成功の見込みがあったと思われるこれらの討論を止めてしまったのですか?」はい、正に、私が議定書(プロトコール)にサインをしたのと同時に、ラッツィンガー枢機卿の使者が私に一通のメモをよこし、その中には、私が犯した誤謬について謝罪するようにと要求する旨が記されていたからです。「私が誤謬の中にいる」ということは、「私が誤謬を教えている」ということは、このメモに私がサインするように送ってきた人々の頭の中では、私が真理に連れ戻されなければならない、ということを意味するのは明らかです。「私が犯した誤謬を認める」ということは、「もしあなたが自らの過ちを認めるならば、我々はあなたが真理に立ち返るのを助けてあげよう」という意味です。

 それでは、彼らにとってこの真理とは一体何なのでしょうか? それは、第2バチカン公会議の真理、公会議後の教会の真理以外の何ものでもありません。従って、バチカンにとって今日存在している唯一の真理とは、公会議の真理、公会議の精神、アシジの精神である事は明らかです。これが今日の真理なのです。しかしこのようなことは、私たちとは何の関係もありません! だからこそ、聖伝を無におとしめ、第二バチカン公会議の精神とアシジの精神とに世界を引き込もうとする現在のローマ当局の強い意志を考えた上で、私たちは身を退かせ、このまま続行することは出来ない、と言う事を選んだのです。続けることは不可能です。私たちはまぎれもなく私たちを導いたことになろうローマ委員会の代表であるラッツィンガ―枢機卿様の権威の下にいた事でしょう。私たちは彼の手中に身を置いていました、そして結果的に私たちをして公会議の精神とアシジの精神と引き吊り込もうと望んでいる人々の手に自らを委ねていたでした。これは単純に不可能でした。 

 そういうわけで私は教皇聖下に一通の手紙を送りました。そこで教皇様にこうはっきりと申し上げました。「私たちは、教皇様との全き交わりのうちにいたい、という全ての望みにもかかわらず、[この精神とこの提議を受け入れる事は]どうしてもできません。現在ローマにおいて全てを支配しているこの新しい精神、教皇様が私たちに伝えたいと願っているこの新しい精神が与えられるかぎり、私たちは聖伝において続けることを選びます。聖伝がローマでその地位を再び獲得するのを待ちながら、ローマ当局において、彼らの心の中で、聖伝がその元の場所を再び取り戻るのを待ちながら、私たちは聖伝を守るほうを取ります」と。これは天主様があらかじめご存じの期間、長く続くでしょう。 

 いつ聖伝がローマでその権利を再び取り戻すか、という時を知るのは私の役割ではありません。しかし、私が「生き残り作戦」聖伝の生き残り作戦と名付け、それをする手段を提供するのは、私の義務であると考えています。本日、この日は、生き残り作戦の日です。もし私たちがサインをしてしまった同意に従って存続し、それを実践に移すことによって、私がローマとこの取引をしていたとしたら、私は「自殺作戦 (Operation Suicide)」をしていたことになったでしょう。

 選択の余地はありませんでした。私たちは生き続けなければなりません! そういうわけで本日、これらの司教聖別によって、私は、聖伝を、つまりカトリック教会を生きたままに保ち続けているということを確信します。

 親愛なる兄弟の皆様、あなたたちは司教なくして司祭が存在し得ないことを良くご存知です。天主が私をお呼びになる時 ―― これは間もなくであろうことは疑えないのですが ――、これらの神学生達は誰から叙階の秘蹟を授かるのでしょうか? その疑わしい意向のため、疑わしい諸秘蹟を授ける公会議後の司教たちからですか? これは不可能です。

 第二バチカン公会議に至るまで、二十世紀の間公教会が常に叙階の秘蹟を授与してきたのと同じやり方で、聖伝と諸秘蹟を真に守ってきた司教達とは一体誰なのでしょうか? カストロ・マイヤー司教様と私自身です。私は秘蹟を変えることは出来ません。変えることができないからです。

 従って、多くの神学生たちが私たちに信頼を置き、彼らは、ここには公教会の継続、聖伝の継続があると感じたのです。そして彼らは、司祭職への真の叙階を授かる為、カルワリオの真の犠牲、御ミサの真の犠牲を捧げ、そして真の秘蹟、真の教義、真の要理を皆様方に授ける為に、直面したあらゆる困難にもかかわらず私たちの神学校に来たのです。これこそが、これらの神学校の目的です。ですから私は、良心にかけて、これらの神学生たちを孤児にすることは出来ません。同様に、将来のために何も提供することなく死んで皆様方を孤児にする事も出来ません。それは出来ない事です。そのようなことは、私の義務に反するでしょう。

 それ故に、私たちは天主の御恵みによって、司教の職務を果たし、皆様の子供達に堅信と、いくつもある神学校でより容易に叙階を授ける事のできるために、適した環境と職務にいると同時に、最も相応しいと思われる司祭たちを私たちの会から選び出しました。従って、天主の御恵みにより、私たち、すなわちカストロ・マイヤー司教様と私自身とは、これらの聖別によって、聖伝に継続の手段を与える事になり、両親たち、祖父母たち、祖先たちの公教会内に留まることを望むカトリック信者達に対して、その手段を授ける事になるでしょう。

 私たちの祖先たちは美しい祭壇をもつ諸々の教会を建てました。しかしながらこれらの祭壇は度々破壊され、テーブルによって取り替えられました。こうすることによって、公教会の中心であり司祭職の目的であるミサ聖祭の犠牲に関して公会議以来生じてきた急進的な変革を表明しているのです。この聖別式の遂行において私たちを支持するためにこれほどの大人数で来てくださったことに対し私たちは皆様に感謝を申し上げます。

 私たちは祝された童貞聖マリアに目を向けます。親愛なる兄弟の皆様、皆様が良くご存知のように、ある日「ペトロの座は邪悪の座になるでしょう」と啓示するレオ十三世の予言的な幻視について知らされているに違いありません。レオ十三世教皇は、「レオ13世による悪魔祓い」と呼ばれる悪魔祓いの祈りの中でこう言いました。

 それは今日、起こっているのでしょうか? それとも、明日の話でしょうか? 私にはわかりません。しかしいずれにしても、それは予告されてきているのです。邪悪 (Iniquity) とは全く単純に誤謬のことかも知れません。誤謬は邪悪ですから。つまり、永久不変の信仰、カトリック信仰を、もはや宣言しないという事は、重大な誤謬なのです。もしもかつて何らかの邪悪があったとするならば、これがそれです。そして私は、公教会の中でアシジ以上に重大な邪悪は決して存在したことがなかったと本当に信じています。それは天主の十戒の第一戒と使徒信経の第一箇条に反しています。あのような事が、公教会の中、全教会の目前で起こりえたなどという事は信じられないことです。何と屈辱的なことでしょうか! 私たちは、未だかつてこれほどまでの屈辱をこうむった事はありません! ローマにおける現状について皆様方に情報を差し上げるべく特別に出版されたル・ルゥー (Le Roux) 神学生の書いた小冊子の中に、皆様はこの件についてのすべてを見出すでしょう。 

 このような事柄を言われたのは善き教皇レオ十三世だけではなく、我らの聖母も同様に予言した事なのです。ちょうど最近、コロンビアのボゴタの修道院を受け持つ司祭が、「良き出来事の聖母」の御出現に関する一冊の本を持って来てくれました。この聖母マリア様に、エクアドルのキト (Quito) にあるひとつの大聖堂は献堂されています。これらの啓示は、トリエント公会議の後間もなく一人の修道女が受けたもので、お分かりのように数世紀前の事であります。この御出現は既にローマと教会当局によって認可され、一つの壮大な教会が聖母マリア様のために建立されました。その内部で、エクアドルの信者たちはその御顔が奇跡的に作られた、一枚の聖母の御絵を大いなる信心をもって崇敬しているのです。それを描いた画家はこの聖母の御顔をいざ彩色する過程で、それが奇跡的に仕上げられているのを発見したという事です。さらに聖母は19世紀と20世紀の大半において誤謬が、公教会を破滅的状態に陥れながら、聖なる公教会の中でますますはびこるだろうと予言されたのです。道徳は退廃し信仰は消えて無くなるだろうと。今日それが起こっているのを見ないほうが不可能といえます。

 この御出現についてお話しを続けることをお許し下さい。しかし聖母は、真の司祭達を養成することにより司祭職を救いながら、この棄教と不敬虔の波に真っ向から立ち向かうという一人の高位聖職者について言及しています。この予言が私について言及しているとは言いません。皆様がご自身で自らの結論を出してくださって結構です。この数行を読んでいた時、私は呆然となりましたが、それを否む事が出来ませんでした。なぜなら、それはこの御出現の文書局の中に記録され保管されていることだからです。

 もちろん皆様方はラ・サレットの聖母の御出現を良くご存知であり、そこで彼女はローマが信仰を失い、ローマで一つの「陰り(eclipse)」があるだろうことを言及しています。一つの「陰り」、これをもって聖母が言わんとすることに気づいてください。 

 そして最後に、私たちに馴染みの深いファティマの秘密、ファティマの第三の秘密は、ローマを侵略し、公会議以降世界を覆ってしまったこの暗黒について言及しているに違いありません。さらに、ヨハネ23世がその秘密を公表しない方がよいと判断したことは、疑いなくきっとこれが理由であり、おそらく彼が実行不可能と感じた手段、例えば公会議を見込んで、さらに公会議のために彼が着手し始めた方針を完全に変更することなどの対策を講じる必要があったからでしょう。 

 私たちが頼ることのできる事実がある、と思います。

Consecration at Econe on June 30, 1988

 私たちは天主の御摂理の中に自らを置きます。私たちは天主が御自分の行っていることをご存知であると確信しています。ガニョン枢機卿様は、聖職停止の十二年後、私たちを訪問しました。十二年もの間、私たちはローマとの交わりの外にいるものとして、教皇様に逆らう反逆者にして反対者として語られてから、十二年後に、彼の訪問がなされたのです。ガニョン枢機卿ご自身、私たちが行っている事がまさに公教会の復興に必要であることをお認めになりました。さらに枢機卿様は、1987年12月8日に、私達の神学生たちの聖ピオ十世会への誓約更新のために私が捧げた御ミサに、大司祭として (pontifically) に参列さえしました。私は聖職停止のはずだったのに、です。それにもかかわらず、事実上、私は教会法上問題ないとされたのです。教皇使節たちは、私達が良くやったとおっしゃって下さいました。つまり、私達が抵抗して、良くやった、ということです!

 私は今も同じ状況に私達がいることを確信しています。私達の執行している行為は、見かけ上 ---- そして残念ながらマス・メディアは良い意味で私達を支持してくれないでしょう。新聞の見出しは、もちろん、「離教」「破門!」などと書きたいだけ書くでしょう。

 しかし、私達は確信しています。私達が受けるすべての非難、罰則は、全くの無効、絶対的に無効で何の意味をも持たない、と。それについて私達は無視をするつもりです。

 ちょうど私があの聖職停止を無視したように、しかし、最後には教会と進歩的な聖職者達によって良くやったと褒められたように、同様に数年後、--- 私には何年後になるかはわかりません。ただ天主のみ聖伝がローマにおいてその権利を得るために何年かかるであろうかを知っているのですが--- 私達は、ついにはローマ当局によって抱擁される日が来るでしょう。ローマ当局は、その日、より大いなる天主の栄光と霊魂の救いのために、私達の神学校、家族、市民社会、私たちの祖国、そして観想大修道院と様々な修道院において、信仰を維持したことについて感謝することでしょう。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて。 アーメン


【再掲】信仰を失う以外に何も残されていないのでしょうか?

2020年07月19日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ルフェーブル大司教様【1980年】の言葉を聞いてください。


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 私たちは信仰を守ることを選びます。

 教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに私たちが固執するなら、私たちは間違うことが有り得ないからです

 危機は極めて深いものです。良く知り尽くし巧みに組織され、指導されています、それは、この事業を操っているのは人間ではなくサタン自身ではないかと本当に私たちが信じることが出来るほどです。

 カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。

様々な修道会の「現代化(アジョルナメント)」は典型的な例を私たちに提示しています。従順によって、修道士、修道女らをしてその創立者の創った会憲や会則に不従順たらしめているのです。彼らが修道誓願をたてた時遵守すると天主に誓ったその会憲に不従順たらしめているのです。この場合、従順は断固とした拒否でなければなりません。たとえ合法的な権威であっても、非難すべき悪しき行為を命ずることは出来ません。それが誰に対してであっても修道誓願を単なる約束に変えることを強制出来る人は存在しません。同じように、誰も私たちをしてプロテスタントや近代主義者に変わるようにすることはできません。


 聖トマス・アクィナスは私たちが常に参照しなければならない規範ですが、その神学大全の中で、私たちの主が命じている「兄弟的矯正」は私たちの長上たちに対しても為されうるか、と問うことさえしています。有用な区別を全てした後に、聖トマス・アクィナスはこう答えています。「信仰に関わることである時、長上たちに対して兄弟的矯正を行使することが出来る」と。

 もしも私たちがこのことについてもっと断固としていたら、私たちはゆっくりゆっくり異端と同化してしまうことを避けることが出来たことでしょう。

 16世紀初頭、イギリス人たちは、現在私たちが経験しているたぐいの出来事を体験しました。私たちとの違いは、英国ではこれが離教によって開始された、ということです。その他については驚くほど類似しており、私たちは考えさせられます。アングリカニズム(英国聖公会)という名前を取ることになる新しい宗教は、ミサ聖祭、個人的な告解、聖職者の独身制などに対して攻撃することから始めました。ヘンリ8世は、英国民をローマから引き離すという巨大な責任を負った後に、当初は自分になされていた英語のミサという提案を拒否していました。

 しかし彼の死後には、ミサで英語を使うことが許されるようになり、行列は禁止され、新しいミサの式次第が強制されました。

 これがOrder of Communion (聖餐式の式次第)と呼ばれるもので、それにはカトリックのミサの「オフェルトリウム(奉献の祈り)の部が無くなっていました。キリスト教徒らを安心させるために、その他の変更を加えることは禁止する命令が出されました。

他方で第3の法令で、主任司祭は小教区の教会内にある諸聖人の御像や聖母マリアの像を廃止することが許されました。こうして極めて貴重な美術品が大量に売り飛ばされました。これは現在、教会の芸術品・美術品が骨董品屋やノミの市に売り飛ばされているのと全く同じです。

 新しい聖餐式の式次第(Order of Communion)が、私たちの主イエズス・キリストは私たちに霊的に御体と御血を与えるとあるので、イエズス・キリストの御聖体における現存のドグマを否定するものであると気がついた司教様たちはほんのわずかでした。

 告白の祈りであるコンフィテオールは英語に訳され、儀式の時に司祭と信徒とが同時に唱えるようになりました。これが罪の赦しの代わりになりました。

 ミサは食事に変わり、聖餐式になりました

 しかし博学であった司教様たちでさえ、平和と一致を保つために、ついには新しい祈りの本を受け入れるようになりました。第二バチカン公会議後の教会が私たちに新しいミサを強制するのも、全く同じ理由からです。

 16世紀にはイギリスの司教たちは、ミサとは「記念」であると断言したのです! 大量になされたプロパガンダのために信徒らの頭の中も、ルター式のものの見方をするようになってしまいました。説教をするには、政府の許可を受けた人でなければなりませんでした。

 同時に、教皇は「ローマの司教」とでしか呼ばれなくなりました。教皇は、もはや聖父(パパ)ではなく、他の司教らの一兄弟でしかなく、英国の場合、自ら国教会の頭となった英国王の兄弟でしかないのです。ギリシア典礼とルター式サービスを混ぜ合わせた、クランマーの祈祷書(Prayer Book)というものが作られました。これは、ブニニ司教がパウロ6世のミサといわれるものを作った時に、典礼改革のための専門委員会(コンシリウム)に専属の6名のプロテスタントの「オブサーバー」たちと一緒に仕事をしていたことを思い出させないでしょうか。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)は次の言葉で始まっています。「晩餐そして聖餐は、一般にミサとよばれており・・・」と。

これは新しいミサの総則第7条の前兆であり、同じことは1981年にルルドでの聖体大会で言われました。「主の晩餐、言い換えるとミサは、・・・」と。【訳者注:1969年版のローマ・ミサ典書総則7番がミサとは何かを説明してこう言う。「主の晩さん、またはミサは、聖なる集会の義、すなわち『主の記念』を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、『わたしの名において、2、3人が集まるところには、その中にわたしもいる』(マテオ18:20)というキリストの約束は、特に教会がそれぞれの地域で集まるときに実現される。」(新しいミサの総則7)】

 私が既に話した聖なるものの破壊は、アングリカンの改革でも含められていました。以前は小さな声で司祭が唱えていた典文の祈りは、大きな声で唱えなければならなくなりました。同じように現在の「聖体祭儀」でもそうなっています。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)も、「王国の内的一致を保存するため」司教らによって承認されました。「昔のミサ」をささげ続けていた司祭らは、聖職録の取り消しから、聖職の罷免までの刑罰を受けましたし、「再犯者」には終身禁固刑が待っていました。現代では、「聖伝の」司祭たちを刑務所には入れないものの、待遇はほとんど同じだと認めなければなりません。

 チューダー王朝のイギリスは、そうと気がつかない内に異端に落ちていきました。それは指導者の牧者らを始めとして時代の歴史的状況に適応させるという口実の元に変化を受け入れることによってでした。

 正に今日では、全キリスト教世界がこれと同じ道を辿る危険があります。もしも年をとった私たちが、ほんの少しの危険でも冒すなら、子供達・青年達・神学生達は、新しい要理書と臨床心理学と社会学で養成され、教義神学も倫理神学も教会法も教会史も全く学ばずに、本当のものではない「信仰」において教育されることになり、彼らが学ぶ新プロテスタント的概念を当たり前のこととして受け入れるようになってしまうということを考えたことがありますか?

 もしも私たちが抵抗しなかったら、明日のカトリック宗教はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 読者の皆さんはこんなことを言う誘惑に駆られているかもしれません。「では私たちにいったい何が出来るというのか? 私たちにこれをしろ、あれをしろ、というのは司教様なのだ。ほら、この公文書は(司教様公認の)要理委員会が、または別の公式委員会が発表したものだ。(公式の司教様の権威に抵抗しろというのか?)」

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのでしょうか?

 そのような対応をする権利はありません。聖パウロは私たちにこう警告しました。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが真の従順の秘訣です。









ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言

2019年11月21日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いまから45年前の、ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言 をもう一度掲載したいと思います。

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 私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。

 私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。

 Lex credendi(信仰の法)を変更することなくles orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。

 私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。

 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。

 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ10世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。

童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日

+ マルセル・ルフェーブル






新しいミサとルターのした典礼の革新とがどれほど似ているか:

2019年09月20日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ルターのミサから新しいミサへ(ルフェーブル大司教の講話より)

 今晩わたしはルターのミサとルターのした典礼の革新とが、どれほど新しいミサと似通っているかということを話したいと思います。


 なぜこのことを話す必要があるのでしょうか。なぜなら、典礼の改革を司った委員会の委員長自身が言うところによれば、この改革の根本には教会一致の考えがあり、わたしたちはこの改革について考察せざるを得ないからです。なぜならもし新しいミサと、ルターの典礼とのこの親子関係が本当に存在することが証明できれば、神学上の問題すなわち信仰の問題が、有名な“Lex orandi, lex credendi"(祈りの法は、信仰の法)と言う格言に従って、問題にならざるを得ないからです。

 さて、ルターのした典礼の改革の歴史的書類は現在の改革を照らし出すうえで大変参考になります。

 ルターのした典礼の改革の目的が一体何であったかということを理解するために、今簡単に司祭職とミサ聖祭に関する教会の教えをもう一度見ることにしましょう。

 トレント公会議はその第22総会においてこう私たちに教えています。我々の天主であり主であるイエズスキリストは、その司祭職を終わらせることを望まれず、その死にあたって、最後の晩餐において自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえを制定された。これはご自分の贖いの救いの力を我々が毎日犯す罪に適応させるためのものであった。この目的のためにご自分の使徒らを、彼らとその後継者らを、新約の司祭と制定し、新しい契約のこれらの司祭に聖なる消すことのできない印をつける品級の秘跡を制定した。

 この目に見えるいけにえは、現在我々の祭壇のうえでいけにえを捧げる行為によって捧げられている。これにより、我らの主は現実にパンとブドウ酒の形相の下に実在され、ご自分を天主御父にいけにえとして捧げられるのである。そしてこのいけにえを食することにより我々は主の御体と御血と交わり我々も自己を主と一致して捧げるのである。

 したがって教会は次のことを私たちに教えています。

司祭の司祭職は、叙階の秘跡を受けていない平信徒の司祭職と本質的に異なっていること。平信徒は司祭職を絶対的に必要とする教会の一部をなしてはいますが、(秘跡的)司祭職をもっていないのです。そしてこの司祭職には極めて独身がふさわしく、司祭用の服装などによって平信徒と外的に区別することがふさわしいのです。 この司祭職によって行使される礼拝式の本質的行為は、ミサ聖祭です。これは十字架のいけにえが流血のいけにえでありましたが、ミサにおいては無流血のいけにえであるということのみが異なるだけです。司祭は聖変化の言葉によって実現されるいけにえを捧げる行為によってミサを執行するのであって、ご受難のあるいは最後の晩餐の記念を単に朗読することによってミサをたてるのではないのです。

 この崇高で神秘的な行為によって私たちの霊魂と煉獄の霊魂の各々に贖いの功徳が適応されるのです。そしてそのことは奉献文においてすばらしく表明されています。

 したがって、いけにえが現実に存在することは必要であり、この実在はパンとブドウ酒の実体が我らの主の御体と御血に変化することによってなされるのです。したがって御聖体を私たちは礼拝しなければならないのです。そして御聖体に対して非常に大きな尊敬を払うべきです。それゆえにこそ司祭だけが御聖体を取り扱うという聖伝が生まれたのです。「司祭がただ一人だけで捧げるミサ」、そして「司祭一人だけが聖体拝領をするミサ」は、それだけで公の行為であり、ミサ聖祭としての全く同じ価値をもっています。そしてこのミサは司祭にとってもすべての信者らにとっても有益なのです。「司祭一人が立てるミサ」をこうして教会は勧め、望んでいるのです。

 ラテン語のミサの正に中核を構成する祈り、聖歌、典礼儀式(そしてその「宝石」はカノンですが)それらの起源にはこれらの信仰の原理があるのです。私たちはトレント公会議の言うところを読むと感動を覚えずにはいられません。「聖なるものを聖なるものとして取り扱うことはふさわしいことであり、このいけにえはすべての中で最も聖なるものであるのであるから、このいけにえがふさわしくかつ尊敬をもって捧げられ受けられるために、カトリック教会は数世紀以前より、そのうちに成聖を息吹かせ、外的信心を催し、このミサを捧げるものの精神を天主に上げるような、これに反するもののまったくないすべての誤謬から免れた純粋な、聖なるカノンを制定した。このカノンは実に主のみ言葉それ自体、使徒らの聖伝、聖なる教皇らの敬虔な指導からできている。」(第22総会第4章)

 では今から一体どうやってルターがその宗教改革を成し遂げたか、つまり彼自身がそう呼んだその『福音的ミサ』をどう作り上げ、それは一体どんな精神に基づいていたのか見てみましょう。このために1910年にレオン・クリスチアーニの書いた本を見ることにします。この本は現在の典礼改革の影響を受けていないはずですから。この本は「ルター主義からプロテスタンティズムへ Du Luthéranisme au Protestantisme, évolution de Luther de 1517 à 1528 Léon Cristiani」と言う題がついています。この本は典礼改革についてのルター自身の言葉やその弟子らの言葉を引用しているので大変興味深いのです。

 この研究は大変多くを教えてくれます。なぜならルターは自分を動かしていたリベラル(自由放埒)な精神を明かすことを躊躇していないからです。かれはこう書いています。「何よりもまず私は友としてこう懇願する。…神に対する「サービス」に関するこの命令を調べ、それに従いたいと思うものは、自分を束縛する法律のようにこれを読み取ったり、またいかなる良心も捉えられないようにしていただきたい。各々自分の好きなように自分の好きなときにそれを取り入れていただきたい。それがキリスト者の自由というものです。」

 「神に対する称賛としての礼拝式は、今後からは、人を慰め人を照らすために人に対してなされることになります。したがって今までは、いけにえが第1に重要な場所を占めていましたが、今度からは説教がそれに取って変わることでしょう。」

 では、ルターは司祭職についてどのような考えをもっていたのでしょうか。彼の「一人でのミサ」に関する本の中にはカトリック司祭職は悪魔の発明であることを証明しようとやっきになっています。そのためにこそ、彼はそれ以後基本的になるこの原理を持ち出すのです。「聖書にないことはサタンの付け加えたことである」と。さて聖書には目に見える司祭職については書かれていません。聖書には唯一の司祭唯一の大司祭、キリストのことについてしか書かれていません。さらにはキリストと共にわたしたちはすべて司祭である、と。司祭職は唯一であると同時に普遍的である、と。そこでルターは「司祭職を誰かのために独占するのは何という愚かなことか…。キリスト者の間のすべての位階的区別をつけるのは反キリストにふさわしい…。いわゆる『司祭』は災いなことよ。」と言うのです。

 1520年には、彼は「ドイツのキリスト教貴族への宣言」と言う本を書いていますがその中で彼は「ローマ主義者」に戦いを挑み自由公会議を求めています。

 「ローマ主義者が作った最初の高い壁」は聖職者と平信徒との区別である。「教皇、司教、司祭、修道者、が聖職者の身分を構成し、他方で君主、領主、職人、農民が世俗の身分を作り成す、ということに気づいたが、これは全くの作り事でありウソにすぎない。すべてのキリスト者は真実に聖職者の身分に属しており、役割の違いのほかキリスト者の間にいかなる区別もない。…もし教皇あるいは司教が塗油をし、剃髪式、叙階式、聖別式をし、平信徒とは違った服を着るとしたら、見せかけを作り上げ、塗油を受けた偶像を作ることはできるが、キリスト者も聖職者をも作ることができない。洗礼を受けたものはすべてすべて聖別された司祭、司教、教皇ということができる。ただしすべてがこの役割を果たすことがふさわしいとは言えないが。」と言っているのです。

 この教義から、ルターは聖職者の特別の服と独身制とに対し反対するのです。彼自身、また彼の弟子らもその模範を示し彼らは独身をやめ結婚するのです。

 バチカン公会議の改革から出た事実は、ルターの結論とどれ程似ているでしょうか。修道服の廃止、聖座によって認められた数多くの結婚、司祭と平信徒とを区別するすべての印の欠如。この平等主義は、今まで司祭にしか認められていなかった典礼の役職を平信徒にまで認めることによって明らかにされるほどです。

 下級品級の廃止、副助祭の廃止、結婚した助祭、これらは司祭は全く純粋に役職・役目でしか過ぎないという考えを生み、司祭職の秘跡的印を否定するのを促しています。叙階式は共同体へのサービス[奉仕の司祭職]という方向に向けられ、司祭職のカトリック的概念を唯一正当化する『いけにえ』のためではもはやなくなっています。

 労働司祭、組合活動主義者、あるいは国家によって俸給を受ける別の内職を求める司祭など、すべての区別を無くしてしまっています。彼らはルターのやったことよりはるか先を行っています。

 ルターの犯した第2に重大な教義上の誤謬は、この第1の誤謬の続きでありその第1原理に基づいています。すなわち、信仰あるいは信頼が救うのであって、業ではないということ。そしてこれはカトリックミサにおいて最も基本的であるいけにえを捧げる行為を否定することなのです。ルターにとって、ミサは賛美のいけにえ、すなわち賛美、感謝の行為ではありうるけれども、決して償いのためのいけにえ、十字架のいけにえを更新し適応させる贖罪のいけにえなどではないのです。

 修道院内の礼拝式の「退廃」について彼はこう言います。

「彼らの礼拝式の基本的要素、すなわちミサは、不敬虔、忌まわしさのすべて度を過ぎている。彼らはいけにえを捧げ良い業をしているという。これ[=ミサのこと]以外に修道服を脱ぎ捨て、修道院を出、誓願を破る動機はなかったではないか。ミサはそうするのに全く十分である。」

「ミサは『シナックス(集い)』であり交わりである。御聖体は3重のそして嘆かわしい捕虜となってしまった。平信徒の手からカリスを取り上げてしてしまったこと、トミストらが思いついた全実体変化に関する意見をドグマとして押し付けたこと、ミサをいけにえとしてしまったこと、これである。」

 ルターはここで最も重要な点に触れています。しかし彼は少しも躊躇してはいません。「したがって罪のために、罪の償いのために、死者のために、ミサを捧げ・適応するのは明らかなるそして不敬虔な誤謬である。…ミサは神によって人に捧げられたものであり、人によって天主に捧げられたものではない。」と彼は書いています。

 御聖体に関しては、「何よりもまず信仰を駆り立てなければならないものなのであり、俗語で捧げられなければならない。それはすべてが彼らに言われている約束の偉大さをよく理解することができるためである。」

 ルターはこの異端の結論として、いけにえの贖罪とあがないの目的をはっきりと表明している奉献文を廃止するのです。彼はカノンの大部分を廃止し、基本的な所のみを保存するのですがしかしそれもただ最後の晩餐の叙述としてだけです。最後の晩餐において成し遂げられたことに、もっと近づくために彼はパンの聖変化の言葉に「quod pro vobis tradetur(あなたたちのために渡される)」と言う言葉を付け加えるのです。そして「mysterium fidei(信仰の神秘)」という言葉と「pro multis(多くの人のために)」という言葉を廃止するのです。彼は、パンとブドウ酒の聖変化の前の言葉、そしてそれに続く文章を叙述の基本的な言葉として考えるのです。

 彼はミサをまず第1にみ言葉の典礼、第2に聖体拝領(交わり)と考えるのです。

 新しい典礼改革はルターのと全く同じ変化をもたらし、本当に信者たちが手にする現代のテキストにはもはやいけにえについては語られず、ただみ言葉の祭儀、最後の晩餐の叙述、パンあるいは御聖体の分かち合いしか語らない、というのを目前にし驚愕せざるをえません。

 新しいミサを導入する総則の第4項を見ると既にプロテスタントの考え方を表しています。それの発表の後になされた訂正は満足のいくものでは全くありあせん。

 祭壇石の廃止、ただ1枚の祭壇布しか覆われていないテーブルの導入、会衆の方に面する司祭、コルポラーレではなく常にパテナのうえにおかれたままのホスチア、普通のパンを使うことの許可、金銀の貴金属以外のいろいろな材質でできた器、そしてその他数多くの詳細な革新は、基本的にそして非常に重大にカトリックの教えに反したプロテスタントの概念を、新しいミサに与かる人に教え込んでいるのです。

 ミサ聖祭よりもカトリック教会が生き残るために必要なものはありません。ミサを打ち捨てることは教会の基礎それ自体を揺るがすことに等しいのです。キリスト教生活、修道生活、司祭生活はすべて十字架のうえに、祭壇上に新しくされる十字架の聖なるいけにえの上に築かれているのです。

 ルターはそのことからカトリック教会が教えているような全実体変化及びキリストの現存を結論として否定したのです。彼にとって、パンはそのまま残るのです。したがって彼の弟子で、御聖体の礼拝に反して強烈に立ち上がったメランクトンが言うように、「キリストは聖体を自分の受難の記念として制定した。聖体を礼拝することは偶像崇拝である」のです。

 そこから、手による聖体拝領、両形色の聖体拝領が生まれ、それは我らの主の御体、御血の現存をその両形色において否定しているのです。ですから、一つの形色だけによる聖体拝領は不完全だと考えられるのです。

 ここでもさらに現在の典礼改革とルターの典礼改革との奇妙な一致を計ることができます。御聖体の取り扱いに関する新しい許可はますます尊敬を欠かせ、忘れさせ、礼拝をさせないように向いているのです。手による聖体拝領、平信徒が、しかも女性が聖体を配ること、跪く回数を減少させ、数多くの司祭は既に跪くことをしなくなってしまったこと、普通のパンを使ったり、普通の容器をカリス替わりに使ったりすること、これらのすべての改革はカトリック教会が今まで教えてきた御聖体における現存を否定するのに役立っているのです。

 《Lex orandi lex credendi》と言う格言の通り、原理は実践と分かち難く結び付いているので、ルターの典礼改革をミサの典礼において真似ることは、少しづつ、しかし確実に、ルターの考えそのものを受け入れるようにと導いているのです。新しいミサが発表されて後ここ6年の経験はこのことを十分によく証明してくれます。このような、宗教統一的といわれるやり方の結果はまず信仰の領域に於いて壊滅的であり、特に司祭職の腐敗、召命の希少化に於いて特にひどく、全く身近なこの典礼に関する問題についてどこにおいてでもカトリック信者の一致を破壊し、プロテスタントやギリシャ正教会の信者との関係に悪影響を与えています。

 教会の生命活動に欠かすことのできないそして教会にとって基本的であるこの「司祭・いけにえ・御聖体」に関するプロテスタントたちの考えはカトリック教会の信仰と全く完全に反対です。トレント公会議が開かれ、4世紀にも亙って教導職のすべての文章がそれについて語っているのは、おもしろ半分でのことではなく、深い意義があることなのです。

 カトリック信者にとって、まさに自分の信仰の表明であり支えである典礼を、異端者どもが思いついた新しい典礼を受け入れるために放棄することは、しかも自分の信仰を最も大いなる危険にさらすことなしに放棄することは、心理的に、司牧的に、神学的に全く不可能なことです。プロテスタントのしていることをプロテスタントにならずに何でもかんでもまねするというのはできない相談です。

 どれ程多くの信者たちが、どれ程の若い司祭たちが、どれ程の司教様たちがこの典礼改革以降信仰を失ってしまったことか! 自然と信仰に真っ向から反対すればそのしっぺ返しは必ず食うものです。

 最初の「福音的ミサ」の様子をそしてその結末をここで皆さんに読んでみるのは2つの典礼改革がいかに奇妙なほど似通っているかということを納得してもらうために役立つと思います。

 「1521年12月24・25日の夜、群衆は教区の教会に押しかける。…「福音的ミサ」は始まろうとしていた。カールシュタットは説教壇に登り、聖体について説教する。彼は聖体を両形色で拝領する義務があると言い、聖体拝領の前の告解は無意味であるという。信仰だけで十分である、と。カールシュタットは普通の服装で祭壇に立つ。コンフィテオールを唱え聖福音の所までは普通のとおりにミサを始める。奉献の祈り、聖体奉挙などいけにえの概念を呼び起こすものはすべて省かれる。聖変化の後に聖体拝領がくる。参列者の中の多くはほとんど告解をしていなかった。彼らの多くは飲み食いし焼酎を飲んでいたものもあった。彼らも他の人と共に祭壇に近づく。カールシュタットはホスチアを配りカリスを差し出す。聖体拝領する人は手で聖別されたパンを受け取り自分で好きなようにカリスから飲む。ホスチアの一つはスルリと落ちて参列者の服に落ちる。司祭はそれを拾う。もう一つは地面に落ちる。カールシュタットは平信徒にそれを拾うようにと命じる。平信徒が尊敬あるいは迷信のしぐさをしてそれを拒むとカールシュタットは「もし誰もその上を歩かないのなら、それではその落ちたところにそのままあればよい」と言うに過ぎなかった。」

 その同じ日に、その付近のある司祭はおよそ50人ほどの人に両形色で聖体を配った。彼らのうちたった5人だけが告解をしていたに過ぎなかった。その他の人達はミサ中に赦しを受け、罪の償いにもう再び罪に落ちるなと勧められただけであった。

 翌日カールシュタットはアンナ・デ・モハウとの婚約式をした。幾人かの司祭たちはこの模範に従い結婚した。

 この時、ツウィングリは自分の修道院を抜け出しアイレンブルクで説教していた。彼は修道服を脱ぎ捨て髭を生やしていた。平信徒の服装で司祭一人だけのミサに反対していた。新年には両形色で聖体を配る。ホスチアは手から手へと配られていた。自分のポケットに入れてもって帰ったものもいた。ある婦人はホスチアを食しながらそのかけらを地面に落としていた。誰もそのことに注意を払わない。平信徒は自分でカリスを取りなみなみと飲んでいた。

 1522年2月29日、ツウィングリはカタリン・ファルキと結婚した。当時まさに「司祭と修道者の結婚」という伝染病がはやっていた。修道院は空っぽになり始めた。修道院に留まった修道者たちは、1つの例外を除いて、祭壇を打ち壊し、諸聖人の聖画を焼き払い、病者のための聖香油さえ焼き捨てた。

 司祭の間には全くの大きな無秩序が支配していた。誰もが自分の好き勝手にしたい放題のミサを立てていた。協議会は典礼の改革のために秩序を取り戻そうと新しい典礼を決定することを決議した。

 それでどうやってミサを立てるかというやり方を決めた。入祭唱、グロリア、書簡、福音、サンクトゥスは残された。その後に説教。奉献文とカノンは廃止された。司祭はただ単に最後の晩餐の制定を朗読する。聖変化の言葉は大きな声でドイツ語でする。聖体は両形色で配られる。アニュス・デイの歌、聖体拝領の歌、そしてベネディカムス・ドミノの歌でサービスは終わる。

 ルターは新しい聖歌を作るのが心配だった。うまい詩を探すのだがなかなか見つからない。聖人の祝日は姿を消す。ルターは典礼の過渡期をうまく乗り越える。彼は古い儀式をできるだけ残そうとする。彼はその方向づけを(なるべく穏やかに徐々に)変えようとやっきになる。ミサは大部分その外見はそのままを保つ。民衆は教会建築の中に同じ装飾を再び見いだす、民衆の気に入るように仕組まれた同じ儀式。今後は今まで以前よりもずっと民衆に訴えるようになる。礼拝式を重要視することにますます気が付く。民衆は、聖歌や声を出しての祈りなどによりますます積極的に礼拝式に参加する。少しづつ、そして決定的にラテン語はドイツ語に席を譲る。

 聖変化はドイツ語で歌われる。聖変化はこの言葉でなされる。「我らの主は渡される夜パンを取り感謝してそれを割き、弟子らに与えてこう言われた。取って食べなさいこれはあなたがたのために渡されるわたしのからだ。あなたがたがこれを行う度にわたしの記念としてこれを行いなさい。同じく食事の後に杯を取りこう言われた。取って皆これを飲みなさい。これは、あなたたちのために流される罪の許しのための私の血におけるカリス、新しい契約。このカリスを飲むたびごとにこれを私の記念として行いなさい。」

 こうして『quod pro vobis tradetur』『あなたたちのために渡される』と言う言葉が付け加えられ、ブドウ酒の聖変化において『信仰の神秘』『多くの人のために』と言う言葉が省かれるのです。

 この「福音的ミサ」似関する叙述は公会議以後の典礼改革に対して私たちが思っているのと同じことを言ってはいないでしょうか。

 新しいミサにおけるこれらの変化は本当に危険です。何故なら、少しずつ、特にいけにえの観念がもはやなく、聖体における現存や全実態変化の観念のない若い司祭にとってこれらは何の意味ももたず、教会がすることをするという意向を失ってしまうからです。そうするともはや彼らのミサは有効ではないのです。

 確かに、もしも年を取った司祭たちはたとえ新しいミサを捧げるときでも今までの信仰を保っており、また更に彼らは長年の間古いローマミサを捧げて来たし、彼らはその意向を保っている、としたら、彼らのミサは有効だと信じることができます。しかし、彼らのこの意向が無くなるに従って、それがどこかに行ってしまうに従って彼らのミサももはや有効ではなくなってしまうのです。

 彼らはプロテスタントに近づこうとしましたがその結果としてカトリックがプロテスタントになり、プロテスタントがカトリックになったのではないのです。そのことは一目瞭然です。

 5人の枢機卿と15人の司教がテーゼの『青年の公会議』に参加したときのこと、これらの青年達はどうやってカトリシズムとは何か、プロテスタンティズムとは何かと言うことを知り得たでしょうか。あるものはプロテスタントのところで聖体拝領し、あるものはカトリックのところで聖体拝領をしました。

 ウィルブランズ枢機教がジュネーブで開かれた教会統一協議会へ行ったとき、こう宣言しました。「我々はルターの名誉を回復させなければならない。」彼は聖座からの勅使としてこう言うのです!

 告解の秘跡を見てください。合同回心式の為にこの改悛の秘跡は一体どうなってしまったのでしょうか! 信者にこう言うのは司牧的でしょうか。「集団的に許しを与えました。聖体拝領することができます。もし機会があったら、そしてもし大罪を犯していたのなら、今から6カ月かあるいは1年のうちに告解を個別的にしてください。」こんなやり方が司牧的なのでしょうか。大罪について人はどのように考えるようになることでしょうか。

 堅振の秘跡も全く同じ状況にあります。今流行の形相はこれです。「我、汝に十字架の印をする、聖霊を受けよ。」しかし、聖霊がこの秘跡によって自分を私たちに与えるその秘跡の特別の聖寵が何であるかを正確に言わなければなりません。もし、この「Ego te confirmo in nomine Patris...」という言葉を言わないとすれば、秘跡ではないのです。私はそのことを枢機卿たちに言いました。なぜなら彼らは私にこう言ったからです。「あなたは堅振の秘跡を授ける権利の無いところでそれをしている」と。「信者たちが自分の子供達が堅振の聖寵を受け取らないのではないかと恐れているから、今の教会で与えられている堅振の秘跡の有効性に彼らは疑いを抱いているので、私は堅振を授けるのです。少なくともその聖寵を確実に得ようと私に堅振を与えてくれと頼むからです。私にとって私に有効な堅振を頼む人々の願を拒むことはできないので、たとえそれが不合法だとしても私はそれをするのです。なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです。」

 私たちは今、教会の異常な危機の時代を生きています。私たちはこれらの改革については行けません。これらの改革のよき実りとはどこにあるのでしょうか。私は本当に自問自答します。典礼改革、神学校の改革、修道会の改革、すべての修道会の最高幹部会の改革。これらのかわいそうな修道院を一体どこにやってしまったのですか! みんな跡形もなく消えてしまいました。もはや修練者もなく、召命もありません。

 シンシナッティーの枢機教大司教は、ローマにおける司教らのシノドゥスでやはりこう認めました。「私たちの国々では ─英語を話す国々を指してのことですが─ 司祭とは一体なんであるか皆がよく知らないのでもはや召命が無くなってしまった。」

 ですから私たちは聖伝に留まらなくてはなりません。聖伝だけが私たちに本当に聖寵を与えてくれます。教会における継続性を与えてくれます。もし私たちが聖伝を打ち捨てるとき、私たちは教会の破壊に貢献するときです。

 私はこれらの枢機卿たちにこう申し上げました。「公会議の中の信教の自由に関する概要は矛盾しているということに気が付きませんか。この概要の第1部には『聖伝は何も変えてはならない』と言われているのに、この概要の内部ではすべてが聖伝の反対を言っています。この概要はグレゴリオ16世やピオ9世そしてレオ13世の言ったことと全く反対です。」と。

 ですから、選ばなくてはなりません。公会議の説く信教の自由に賛成し、これらの教皇様がたの言われ続けて来たことに反対するか、あるいは、これらの教皇様の言われることに賛成して信教の自由に関するこの概要の中で言われていることにもはや賛成しないかのいずれかです。この2つに同時に賛成する・同意することは全く不可能です。そして私はこう付け加えて言いました。「私は聖伝を取ります。私は聖伝を支持します。自由放埒主義と言った革新は支持しません。この1世紀半の間、すべての教皇様が排斥して来たのはまさしくこの自由放埒主義以外の何物でもないのです。この自由放埒主義が公会議を通して教会の中に入って来たのです。自由・平等・博愛の自由放埒主義が。」

 自由、それは信教の自由のことです。平等、それは司教団主義です。博愛、それは宗教統一運動です。そしてこれらが自由放埒主義の3つの原理で、これは17世紀の哲学から来たのです。そしてこの原理がフランス革命を生んだのです。

 そしてこの観念があいまいな言葉によって公会議の中に入ったのです。そして今ではこのために私たちは崩壊に、教会の崩壊へと向かっているのです。何故なら、それらの観念は自然と信仰とに反しているからです。私たちの間に完全な平等はありません。私たちは何から何まで全く等しいわけではありません。教皇レオ13世はその自由に関する回勅の中でそのことをはっきりとすばらしく言い表しました。

 それから博愛(兄弟愛)について、もし一人の父がいないのなら、どこから兄弟愛を見つけるのでしょうか。もし天主様がいないのなら、もし天にまします父がいないのなら、どうして私たちが兄弟でありうるでしょうか。共通の父が無くしてどうして兄弟たり得るでしょうか。不可能です。無理な相談です。教会のすべての敵の言うなりにならねばならないのでしょうか。共産主義者、仏教徒、そして教会に反対するすべての人の思いのままにですか。フリーメーソンとか。 今から一週間前に発表された法令によると、フリーメーソンに入会するカトリック信者にはもはや破門の制裁は無いのだそうです。フリーメーソンはポルトガルを破壊しました。一体誰がチリにアレンデと共にいたのでしょうか。そして今では南ベトナムにいます。彼らはカトリック国家をすべて破壊し尽くさねばならないと言います。第1次世界大戦中のオーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。フリーメーソンはカトリック国の破壊を望んでいるのです。フリーメーソンの活動はスペイン、イタリアではどうでしょうか。何故教会は教会の敵であるこれらの人に両手を広げるのでしょうか。

 ああ、私たちはどれほど祈り、祈らなければならないでしょうか!私たちは今まで見たことも無かったような悪魔の教会に対する攻撃のときを生きています。私たちは聖母に、至福なる童貞マリア様に、私達の助けに来てくださるように祈らねばなりません。何故なら私たちは本当に明日がどうなるか全く分からないからです。天主様が、ご自分の御稜威、その御光栄に対してなされたこれらすべての冒涜、涜聖、汚聖を受け入れるはずがありません。多くの国々で見られるようになってしまった堕胎の法律、イタリアにおける離婚の許可、これらすべての道徳に関する法律の壊滅、真理の壊滅を思ってみてください。ある日、天主様がそれに対して口を開かず、この世を厳しく罰し給う事なくそのまま済まされるなどとは到底思えません。

 それゆえにこそ、私たちは自分たちのためそして私たちの兄弟たちのために天主様に御憐れみを請い求めねばなりません。しかし私たちは戦い勝ち抜かねばなりません。聖伝を守り抜くために戦い恐れてはなりません。とりわけ私達の聖なるミサの典礼を維持しなければなりません。何故ならこのミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だからです。もし教会内に本当のミサが無くなってしまうなら教会は姿を消してしまうでしょう。

 私たちはこの典礼を、このいけにえを守らねばなりません。私たちの教会はすべてこのミサのために建てられました。別のミサのためではないのです。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではないのです。いいえ、違います。私たちの祭壇上で続けられる我らの主イエズス・キリストのいけにえのためです。そのためにこそ私たちの祖先はこれらの素晴らしい教会を建てたのです。決して会食や記念のためではありません。違います!

 私は神学生のために捧げられる皆さんの祈りに期待しています。わたしの神学生たちが本当の司祭になるように。信仰をもち、かくして本当の秘跡と本当のミサのいけにえを与えることができるように。お願いします。

マルセル・ルフェーブル大司教/1975年2月15日イタリア・フィレンツェにて

《De la Messe evangelique de Luther au Nouvel Ordo Missae》
par Son Excellence Mgr Marcel LEFEBVRE Florence, le 15 fevrier 1975

【質問】 新しいミサ(Novus Ordo Missae パウロ六世のミサ)は有効か、無効か?ルフェーブル大司教の答え

2019年07月28日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ご質問をいただきましたので、ルフェーブル大司教のお答えをご紹介します。

【質問】
新しいミサ(Novus Ordo Missae パウロ六世のミサ)は、有効でしょうか、それとも無効でしょうか?

【お返事】
結論を先に言います。結論は「新しいミサが無効であることは証明されていない」です。これがルフェーブル大司教と聖ピオ十世会の考察の結果です。

(ここでは「有効」とは「聖変化が起こる」、「無効」とは「聖変化が起こらない」という意味です。)

これについては、What Archbishop Lefebvre said about the New Massをご覧ください。

1975年には、ルフェーブル大司教は新しいミサについてこう指摘しています。

「新しいミサは、曖昧で多様な意味を持ちうる。何故なら、ある司祭は、ミサが犠牲であるという全くカトリック的な信仰で新しいミサを捧げることも出来る。・・・別の司祭は、(カトリック的ではない)別の意向で新しいミサを捧げることもできるからだ。何故なら、新しいミサで司祭が言う祈りの言葉やしぐさは(カトリック的ではない別の意向に)矛盾しないからだ。」

エキュメニカルな典礼様式をもつ新しいミサは、極めて曖昧であり、カトリック信仰にとって危険である。「主日の義務を果たすためでも、これに与ることが強制され得ない」と評価しました。

「新しいミサを司式する司祭たちの精神に少しずつ起こる変化に同調することを避けるために、私たちは新しいミサに与ることを --- 完全にと私はほぼ言うことができます --- 避けるべきだ。」

1979年11月8日には、ルフェーブル大司教は自分と聖ピオ十世会の、新しいミサと教皇に関する立場を明確にしました。

これはApologia pro Marcel Lefebvre Volume 2, Chapter XL "The New Mass and the Pope"をみると明らかなとおりです。

聖伝のカトリック信徒たちの中には、新しいミサは教皇が認可したラテン語の規範版でさえもそれ自体で無効である、と主張する人々や、あるいは、聖座は空位だと主張する人々が多数出てきたので、この二つの点について明確にする必要があったからです。

新しいミサについては、それ自体では、有効だという立場を保持しました。

ただし、時が経つにつれて典礼の状態は悪化するばかりであり、新しいミサの捧げ方は多くの小教区教会で、容認することが出来ないほど悪くなり、1980年にはヨハネ・パウロ二世教皇が、新しいミサが頻繁に捧げられているやり方が信者たちにとってスキャンダルであり躓きとなっていることを謝罪した[Dominicae Cenae, 1980: "I would like to ask forgiveness ... for everything which ... may have caused scandal and disturbance concerning the interpretation of the doctrine and the veneration due to this great sacrament."]ほどでした。

ルフェーブル大司教は、現代では、ほとんどの新しいミサが「カトリック信仰を減少させ、信仰を変えてしまうような冒涜的行為になっている」と警告しました。

ルフェーブル大司教の文章を引用します。

新しいミサと教皇

過去10年の間、どれほど頻繁に私は新しいミサと教皇の重い問題についての問いに答える機会があったことだろうか。これらに答えつつ、私は常に教会の精神を汲むように最善の注意を払ってきた。カトリック教会が神学の原理において表明された信仰と、倫理神学と教会史の長い経験において表明された司牧的賢明さとに自分自身を合わせるように努めた。

私は、数年の間の自分の見解が変わらなかったと言うことが出来ると思う。そしてこの見解は、幸福なことにも、カトリック教会の破壊され得ない聖伝に密着している司祭と信徒たちの大多数の見解でもある。

次の数行は、これらの問題に関する徹底的な研究ではないことは明らかである。この目的は、聖ピオ十世会の公式な立場に関して誰も間違わないようにするために私たちの結論を明確にするためのものである。

私たちは次のような不合理な考え、つまり「新しいミサが有効であるなら、私たちはそれに自由に与ることが出来る」とは考えないとすぐに理解されなければならない。

教会はたとえそれらが有効であっても異端者や離教者のミサに与ることを常に禁止してきた。私たちの信仰を危険にさらすミサや冒涜的なミサにだれも与ることが出来ないのは明らかである。

公式に権威を授けられた公会議典礼委員会によって説明されたとおり、ブニーニ師の説明を伴って考察されると、新しいミサは、プロテスタントの神学と典礼に説明の出来ない親和性がある。次のミサ聖祭の犠牲に関するカトリックの基礎的なドグマは、新しいミサでは明らかに表明されておらず、矛盾さえしている。

●司祭が典礼様式の本質的奉仕者であること
●ミサ聖祭が本当の犠牲であり、犠牲を捧げる行為であること
●パンとぶどう酒の外見のもとに、御体と御血と霊魂と神性をもって現存するいけにえ(ホスチア)が私たちの主イエズス・キリスト御自身であること
●この犠牲は罪の償いのためのものであること
●犠牲と秘蹟が、聖別の言葉だけによって生じること、その前や後に続く言葉によるのではないこと

新しいミサにおけるいくつかの革新的な要素を指摘するだけで、プロテスタントとの親和性があることを確信するには十分である。

●祭壇は、聖遺物のない食卓に変えられた
●ミサは、会衆に向かって捧げられ、共同司式が行われ、大きな声で唱えられ、俗語でなされる
●ミサは、御言葉の典礼と聖体の典礼という二つの区別される部分に分けられた
●カリスやパテナが貴金属から安物に変わり、酵母の入ったパンが使われ、平信徒によって、しかも女性によって手に聖体拝領が配られる
●御聖体は、教会の中心から脇に隠される
●書簡は女性によって読まれる
●平信徒が聖体拝領を病者に運ぶ

上記の全ての新しいことは、許可された。これらのほとんどの新しいミサは、カトリック信仰を減少させ、信仰を変えてしまうような冒涜的行為になっていると、誇張することなく公平に言うことが出来る。

非神聖化はあまりにもなされ、これらの新しいミサはその超自然的特徴、その信仰の神秘を失う危険を持ち、新しいミサが自然宗教の行為以外の何ものでも無くなっているほどである。

これらの新しいミサは、私たちの主日の義務を果たす能力がないのみならず、正教会やプロテスタントのセクトとのcommunicatio in sacrisに適応する教会の通常の教会法的規則を新しいミサに適応すべきほどである。
[注:教会法 1917: 1258条§1. 信者が非カトリック者の聖式に能動的にあずかること、すなわち宗教的行為を行うことは許されない、とある。しかし新教会法 1983: 844条は、エキュメニズムのためにこの規定に例外をもうけてしまった。]

では、これらの新しいミサは無効だと結論しなければならないだろうか?有効性のために必要な本質的な条件(質料、形相、意向、有効に叙階された司祭)がそろっている限り、どうやってこれを断言することが出来るのか私には分からない。
[つまり、質料、形相、意向、有効に叙階された司祭など、秘蹟の有効性のために必要な本質的な条件がそろっている限り、無効であるとは言えない。]

聖変化の言葉を取り囲む、奉献文(Offertorium)や典文や司祭の聖体拝領の時の祈りは必要であるが、秘蹟の有効性のために必要ではなく、むしろミサの完全性のために必要である。

しかしながら、今日では、司祭らの信仰が破壊されるにつけ、また司祭らが教会が行っていることをするという意向 -- 教会が変えることが出来ない意向 -- をもはや持たなくなっていくにつけ、有効なミサがますます少なくなっている。

今日、神学生と呼ばれている人々が受けている養成は、ミサを有効に捧げるように彼らを準備していない。ミサ聖祭の贖罪のいけにえを捧げることが、司祭の本質的な仕事であるとはもはや考えられていない。公会議後の司教たちが、召命に関する説教、あるいは司祭叙階の時にする説教や教えを読むことほど、ますます悲しくなり、残念に思うことは他にない。司教たちは、司祭が何であるかもはや知っていない。


(…)私たちはローマとペトロの後継者につながっていることを望むと同時に、教皇の前任者たちの歴代教皇たちへの忠実さにより、教皇の自由主義を受け入れない。ちょうど聖パウロが聖ペトロにしたように、私たちは、尊敬を込めてしかししっかりと教皇に話すことを恐れない。

さらに、教皇のために祈ることを拒否するなどということから遙か遠く、私たちは聖霊が、教皇が信仰を断言し擁護するために教皇に光と力とを与えてくださるように、私たちの祈りと懇願を倍増している。

従って、聖ピオ十世会とその司祭、修道者、修道女、奉献修道女らは、教皇のために祈ることを拒否するような人々、或いは、新しいミサがそれ自体で無効であると断言する人々を、その会員として容認することは出来ない。

結論として、私たちは教会の真の精神である宣教精神を持たなければならない。
私たちは、私たちの聖なる守護者である聖ピオ十世の言葉に従って私たちの主イエズス・キリストの統治をもたらすために全てをしなければならない:キリストにおいて全てを回復させる。Instaurare omnia in Christo.

私たちは、キリストにおいて全てを回復させなければならない、そして、私たちの主が霊魂の救いのために、また真理の凱旋のために、御受難においてそうしたように、私たちも全てをそのために従わせなければならない。私たちの主はピラトに言われた。"In hoc natus sum, ut testimonium perhibeam veritati." 真理を証明するために、このために私は生まれた、と。


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第23章 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

2019年02月25日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その23

第23章 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

 二十年の歳月が流れたら、公会議の刷新によって引き起こされた反動は鎮火し、カトリック信者は自分たちが育てられてきた宗教を葬り、それを知らない若者たちは新しい宗教を受け入れるだろう、と人々は信じていました。少なくともそれが、近代主義者たちがした賭けでした。彼らは、最初のうちは、自分たちのやり方に自信を持ち、この大混乱の程度がひどすぎるのをたいして驚きもしませんでした。しかし時が経つにつれて驚かないわけにはいかなくなりました。この世の精神に対してなされた数多くのそして本質的な事柄の妥協は、期待された結果をもたらすことはありませんでした。もう誰も、新しい宗教儀式の司祭になることなどもはや望まなくなりました。信者たちは宗教を実践することから遠ざかってしまいました。貧しい人々のための教会になろうとした教会は、自分自身、貧しい教会になってしまい、教会維持しを収めるように求める広告に頼ったり、不動産を数多く売却しなければならなくなってしましました。

 こうした時代の中で、全てのキリスト教国で、特にフランス、スイス、米国、そしてラテンアメリカでは、聖伝に忠実な人々が集結していきました。

 新しいミサを考案したモンシニョール・アンニバレ・ブニーニ (Mgr Annibale Bugnini) は、世界中で巻き起こったこの抵抗を自分自身も認識せざるを得なかったことを、死後に出版された本 (La Riforma Liturgica: Edizioni Liturgiche Rome) の中で認めています。こうした抵抗は、休む間もなく広がって組織化され、支持を集めました。進歩主義のジャーナリストたちは度々、自分たちを安心させるために、「伝統主義者」による運動が「速度を緩めてきている」などと記事を書きますが、事実はその逆なのです。

 ミサに参列する信者数、ミサの回数、聖体降福式の頻度、あるいは多くの美しい儀式という点で、サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会(St. Nicholas-du-Chardonnet)と肩を並べることのできる教会が、一体、他のどこにあると言うのでしょうか。聖ピオ十世会には世界中に70ヶ所、それぞれに最低一名の司祭が着任している修道院を持っています。また、ブリュッセルにあるような教会や、ごく最近、ロンドンに取得したような教会、あるいはマルセーユで私たちが自由にできる教会もあります。そのほかにも、いくつもの学校や4つの神学校を運営しています。

(訳者註:2018年現在、神学校6校、管区14区、自律修道院5件、小修道院(prieurés)167ケ所、ミサ・センター772ヵ所、学校100校以上、大学2ケ所、育児施設3ケ所、老人ホーム7ケ所があり、3名の司教と637名の司祭、204名の神学生、56名の神学校準備生、修道士123名、修道女200名、奉献修道女79名、ケニアの宣教修道女19名がいる。37ヵ国で常駐し、その他に35ヵ国にミッションに行っている。聖ピオ十世会が働いている国の合計は72ヵ国。)

 聖伝に基づくカルメルの女子修道会が開かれ、すでに新しい共同体を形成しはじめています。15年前、あるいはそれよりも以前に設立された男子あるいは女子の修道者らの共同体では、自分たちの属する修道会の会憲を厳格に守っています。そこでは召命者で溢れかえって、常にその敷地を拡大しながら新しい建物を建てつづけなければなりません。カトリック信徒の寛大さは、特にフランスでは私を驚かしつづけています。

 修道院はこうした輝き出す魅力の中心的な存在です。そこには、遠方からもしばしば大勢の人々が訪れて来ます。多種多様な方法で与えられる虚しい娯楽や現実逃避の誘惑に戸惑わされている若者たちは、そこに、(そこで聖パウロが回心した)ダマスコへの道を見い出します。カトリックの正統な信仰を守り、そのために人々を惹きつけている場所を記した一覧表がここにあります。ル・バルー(Le Barroux)、フラヴィニー(Flavigny-sur Ozerain)、ラ・エ・オ・ボンゾム(La Haye-aux-Bonshommes)、アレスのベネディクト女子修道会(Bénédictines d’Alès)、ラメレのベネディクト女子修道会(Bénédictines de Lamairé)、ファンジョーの女子ドミニコ会(Fanjeaux)、ブリニョールの女子ドミニコ会(Brignoles)、ポンタレック(Pontcallec)、ルカル神父様(M. l’abbé Lecareux)の指導のもとの共同体、等々。

 頻繁に旅をしていると、仕事で訪れた随所で、教会を祝福しているキリストの手を見かけます。メキシコでは、一般の人々は改革派の聖職者を教会から追い出しました。彼らは解放の神学と呼ばれるものに染まった聖職者で、教会を改革しようとして、聖人の像を捨て去ろうとしたのです。「外へ放り出されるのは御像ではない。それは、あなたのほうだ。」 政治的な理由によって、私たちはメキシコに小修道院を設立することができませんでしたので、米国の国境付近にあるエル・パソに設立されたセンターから聖伝に忠実な司祭が出かけて行きます。クリステロス(Cristeros 訳者注:メキシコで共産革命が起こった時に、王たるキリストとカトリック教会のために共産主義者らと闘ったカトリック信徒たちのグループ)の子孫たちはこうした司祭たちを歓迎し、彼らに自分たちの教会を提供しています。私は人々の要望に応えて、そこで2500名に堅信式を執行しました。

 米国では、若い夫婦と彼らの大勢の子供たちが、聖ピオ十世会の司祭たちに群がってきます。1982年に私はこの国で、私たちの神学校で一貫した教育を受けた最初の三人の司祭を叙階しました。教区が衰えていくのに反して、聖伝主義者たちのグループは増加する傾向にあります。目新しい革新に対して抵抗を続けていたアイルランドは、1980年から改革に乗り出しました。祭壇は川へ投げ捨てられたり、ビルの建築資材として再利用されたりしていました。ところが同時に、聖伝主義者のグループがダブリンとベルファストに誕生しました。ブラジルでは、すでにお話したカンポス教区でのことですが、人々は新しい司教によって自分たちの小教区の教会から追放された司祭たちのまわりへ押し寄せてきて、その人々の行列は5千人にも、1万人にも達しました。

 ですから、私たちは正しい道を歩んでいるのです。証拠はここにあります。私たちはその実で木を見分けます。ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)が語った言葉の中に「自由主義者ほどセクト的な(偏狭な)人間は居ない」というものがありますが、そのセクト的な自由主義の聖職者たちによる迫害にも関わらず、聖伝の聖職者や信徒たちが成し得てきたことは、ほとんど奇跡なのです。

 親愛なる読者の皆さん、彼らは「聖伝主義者」「伝統主義者」というレッテルで、悪い意味で私たちを人々に印象づけようとしていますが、あなたがたはそれに惑わされてはなりません。ある意味では、これこそ冗言です。なぜならば、聖伝主義者でないカトリック者などあり得ないからです。私はすでにこの著書の中でそのことを、つまり、教会とは伝統であるということを十分に論証してきたつもりです。私たちが伝統そのものなのです。

 彼らはまた、「非妥協的カトリシズム」「完全主義」という言葉も口にします。しかし、もしもそれが、教義、教理、キリスト者の道徳観、ミサの聖なる犠牲の完全性に対する敬意という意味であるならば、そのとおりです、私たちは完全主義者です。そして私は、この意味において、完全主義者でないカトリック者などあり得ないと思っています。

 私については、私に代わる司教が居ない以上、私がしてきた仕事もやがては消え失せるだろうとも言われています。私はその逆を確信しています。この点については、私には何の心配もありません。もしかしたら、明日、私は死んでいるかも知れません。ですが、良き天主が、すべての問題に答えを下さることでしょう。私たちの神学生たちを叙階してくれるに十分な司教たちが世界各地で見つかることが、私には分かっています。

 今日この瞬間は、まだ口を閉ざしているとしても、これらの司教のうちの誰かが、聖霊の導きによって立ち上がる勇気を与えられることでしょう。私のこの仕事が天主様のものであるならば、その道は主によって守られ、教会にとっての善となるように用いてくださるはずだからです。私たちの主は、地獄の門が教会を打ち負かすことはないと約束してくださっているからです。

 ここに、私が主張し続ける理由があります。そして、もしあなたがたが、なぜ私がこれほどにまで粘り強い態度をとるのかと問うならば、私はこう答えましょう。私がこの地上を去るとき、天主様が「お前は司教として何をした? 司教、司祭の恩寵に与ったお前は、どんな働きをしたのだ?」と私にお尋ねになられたとき、私は天主様の口から次の恐ろしい言葉を聞きたくないのです。「お前もまた、他の者たちと一緒になって、教会を破壊する手助けをしていたのではないか」と。

1984年7月4日

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

01. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
02. 私たちの宗教は変えられようとしている!
03. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
04. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
05. 「それは昔の話ですよ!」
06. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
07. 新しい司祭職
08. 新しい公教要理
09. 現代の神学
10. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
11. 信教の自由
12. 「同志」および「同伴者」たち
13. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
14. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
15. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
16. 信仰を瓦解させる新近代主義
17. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
18. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
19. エコンの神学校とローマ
20. 永遠のミサ
21. 異端でもなく、離教でもなく
22. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
23. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)

マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にした歴史的な説教:聖伝を維持しながらこそ、ペトロの後継者(教皇)に対する私たちの愛と素直さと従順を表すことができる

聖ピオ五世教皇の勅書「クォー・プリームム」Bulla Quo Primum (1570年7月14日発布)の羅和対訳 Latin - Japanese bilingual

ルフェーブル大司教のローマにおける1974年11月21日の宣言

PIUS PP. X, MOTU PROPRIO, PRO ITALIA ET INSULIS ADIACENTIBUS DE STUDIO DOCTRINAE S. THOMAE AQUINATIS IN SCHOLIS CATHOLICIS PROMOVENDO
"Doctoris Angelici nemo sincere catholicus eam ausit in dubium vocare sententiam": Acta Apostolicis Sedis Vol 6, 1914 p. 336.

Doctoris angelici (ラテン語 text)

Doctoris Angelici (英語訳)



教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第22章 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶

2019年02月24日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その22

第22章 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶

 声をあげなければならないときが、すでに来ています。『現代世界憲章』が「歴史の経過そのものも、動きが早く、各個人がそれについてゆけないほどである」と、歴史の流れについて語るとき、それは、自由主義社会が分解と大混乱へとまっさかさまに突進していることが理解できます。私たちはこうした動きに巻き込まれないように注意しなければなりません。

 国の指導者たちがあらゆる権威を破壊していく一方で、自分たちはキリスト教徒だなどと称するのは、理解に苦しむところです。本来はむしろ、天主からの権利を与えられた二つの自然社会、すなわち家族と市民社会の中において、天主の摂理によって定められた権威を再確立することが重要なのです。これらの影響は重大です。そして近年、強烈な打撃を受けて苦しんでいるのは家族です。フランスやスペインのような国々では、社会主義への改革が、この歩みをよりいっそう速めてしまいました。

 次々となされる法的な政策は、家族という組織単位を破壊しようとする決意のもとに集結していることを明らかに示しています。

 父親の威厳は損なわれ、簡単に離婚が起きるようになり、夫婦の交わりにおける責任感は消失し、無効であるはずの男女関係さらには同性愛カップルまでもが法的に承認されるようになりました。少年少女は同棲し、試験的結婚が登場し、大家族に対する金銭的、社会的援助も減らされてしまいました。他にもたくさんのことが起きています。そして、自国の利益が気になる国はようやく、出生率の低下という現象の影響に目を向けるようになり、近い将来、経済活動の一線から退いた高齢者たちの養老年金を、これから育ってくる若者たちがどうやって維持させていくことができるのだろうかと、途方に暮れています。ですが、人々が精神面で受ける影響の深刻さは、それどころの比ではありません。

 カトリック信者はこれらに倣うべきではないものの、国民のひとりとして、何が要求されているかを見極めてその負担を正しく担うために全力をあげなければなりません。これが、信徒らが政治に無関心でいるわけにはいかない理由です。ですがこうした努力も、自分たちの子供を教育において特にその効果をあげるものでなければなりません。

 この問題では、「子は親の所有物ではない」と宣言する人々によって、権威なるものが根底で疑問視されています。彼らはこのように宣言することで、教育というものは、学校、託児所、幼稚園などをとおして国が施すものであると言い、自分たちの信仰上の信念にしたがって自分の子供を育てていこうとする親たちはその子供たちの「良心の自由」を尊重していないと言って、親たちをとがめて非難します。

 このような考え方は、17世紀の英国の哲学者たちにまで遡ることができます。彼らは、人間とは生まれた瞬間から独立した一個人であって、いかなる権威からも解き放たれた自由かつ平等な存在である、という考えを支持しました。私たちは、この考え方が誤りであることが分かります。子供はあらゆるもの、すなわち、食べるもの、知性、教育、道徳、そして社会的な糧のすべてを、自分の父親や母親から与えられるからです。親たちは、子供たちの心の中で権威を分かち合ってくれる教師たちに支えられています。子供たちは自分自身の体験や観察をとおして自分自身の中に取り込んだ知識よりも、それが親だけからであっても、あるいは親と教師たちから学んだものであっても、若い時期に彼らから学び、受け、受領した知識のほうが遙かに大きいのです。知識のほとんどは、それを伝える権威あるところから与えられたものです。生徒たちは、自分の親や教師、教科書を信頼して、そして知識が育くまれていくものなのです。

 このことは、信仰、伝統、慣習に従った宗教的な知識、宗教的な実践、あるいは道徳的行動において、さらに真実となります。世界中の国々を観察してみれば分かるように、人間は普通、家族の習慣に従って生活しています。ですから、子供時代に受けた宗教から他の宗教へ移行していくということは、深刻な問題にぶつかるものなのです。

 家族や生い立ちが人に与える絶大な影響は、天主様によって意図されました。天主様は御自分の祝福が、まず最初に家族をとおして与えられることを望まれました。父親たる存在が、天主様によって、家族の中で妻や子たちに対して大いなる威厳と力を与えられた理由は、そこにあります。子供はとてつもなくか弱い状態で生まれてくるため、安定して持続する解消されえない家庭が絶対に必要となります。

 家庭の威厳を損なってまで、子供の個性や自意識を高揚しようとすることは、子供の不幸を作ることであり、彼らを親に反抗し、軽蔑するようにと促すことです。しかし、親を敬う子供たちには長寿が天主によって約束されているのです。聖パウロはこのことに触れて、父は子を怒らせてはならず、むしろ主を畏れる者として鍛錬しなさい、と諭しています。

 もし私たちが、宗教的な真理が理解できるまで、信じて回心することを待たなければならないのだとしたら、今日、キリスト教徒はほとんど存在していなかったでしょう。私たちは、あかししてくれる人々の聖徳、利己主義を捨てた態度、愛徳に満ちたその様子をとおして、これらの人々が信じるにふさわしいからこそ、宗教の真理を信じているのです。また、聖アウグスチヌスが言っているように、信仰が理解を与えるものなのです。

 両親の役割が、とても難しくなってきました。私たちが見てきたように、多くのカトリック・スクールは事実上、公立の学校と変わらない世俗的な存在となりました。そこでは真の宗教どころか、世俗の学問を信仰に照らして教えることすらもなされていません。公教要理の時間は近代主義思想を喧伝しています。多忙を極める近代生活は、人々から時間的なゆとりを奪い、専門職の義務は、かつては子育てに協力してくれた祖父母から親子を引き離しています。カトリック信者は混乱しているだけでなく、無防備な状態に置かれているのです。

 ですが、両親が非常に大切な部分を保証することまでできなかったとしても、この欠乏を埋め合わせるはずの天主様の恩寵があります。それでは、何をしなければならないのでしょうか? 数は非常に限られているものの、本当の意味でのカトリック・スクールは存在しています。仮にそれが金銭的な重荷を強いるものであっても、あなたがたは自分の子供をそこに行かせるようにして下さい。他の人々がすでにそうしたように、新しい学校を建てなさい。もしもあなたがたが、教育が荒廃した学校に頼るしかないのならば、そのことを申し立て、要求しなさい。それらの学校の教師に、我が子の信仰を失わせがままにさせてはなりません。

 最も素晴らしく、最も健全で、最も完璧なトリエントの公教要理を家族でよく読みなさい。良い司祭による霊的な指導のもとで、「公式のものとは別の」教理講座を開きなさい。私たちがそう言われたように「野蛮」と呼ばれることを怖れてはなりません。それどころか、あなたたちの子供を喜んで迎え入れてくれるような多くのグループがすでに活動を始めています。

 近代主義者の毒に染まった本を捨てなさい。助言を求めなさい。素晴らしい書籍を出版している勇敢な出版社があります。彼らはまた、近代主義者によってかつては破壊された優れた書籍の再出版もしています。

 どんな聖書でも買い求めればよい、というものではありません。どんなカトリック信者の家庭も、忠実に訳されたヴルガタ訳の聖書を使いなさい。これは、4世紀に聖イエロニモがラテン語に訳して、教会で列聖された聖書です。聖書の正しい解釈から離れてはなりません。かつてはどこでも行なわれていたような本物のミサと秘蹟に与りなさい。

 現在、教会は悪魔から激しい攻撃を受けています。これは事実です。おそらく私たちは、悪魔の最後の戦い、総力をあげた決死の戦いの証人なのです。悪魔はあらゆるところで最前線を攻撃しています。ファチマの聖母が、いつの日か悪魔は教会の最も崇高な部分までをも貫くでしょう、とおっしゃったのならば、それが現実に起きこりうることなのです。私が個人的に主張していることは何もありません。ですが、ローマの最も高位な中枢部に居る人々が信仰を失っていると私たちに感じさせる数々の兆しがあります。

 霊的な面での緊急対策が必要とされています。私たちは祈り、償いをしなければなりません。聖母マリアがお望みになられたように、家庭でロザリオを唱えなければなりません。過去に起きた様々な戦争では、爆弾が降り注ぎ始めると、人々が共に祈りを捧げ始めるのを、私たちは見てきました。これと全く同じように、爆弾がこの瞬間にも降ってきているのです。私たちは信仰喪失の崖っぷちに立たされているのです。人間は、世界規模での経済危機や原子爆弾による戦争のような災いを怖れてきました。ですが、私たちが置かれているこの状況が、それ以上に深刻なものであるということを、あなたがたは認識しているでしょうか?

 刷新が絶対的に必要とされています。しかし、このことで若者を頼ることなどできない、と決めてかかってはいけません。若者は、必ずしもすべてが堕落してしまったわけではなく、一部の若者たちは、自分がそうではないことを私たちに証明しようとしています。彼らの多くは理想を持っています。他の多くの若者たちに対しては、理想を差し出すだけで十分なのです。彼らの寛大さに訴えて成功した運動の例は数え切れないほどあります。聖伝に忠実な修道院は若者たちを魅了し、養成を受けたいと望む若い神学生や修練者たちからの召命には事欠くことがありません。使徒から与えられた指示にしたがって果たすべき崇高な仕事があります。“Tenetetraditions... Permanete in iis quae didicistis.”「私たちが・・・教えた伝えを守れ。?テサロニケ2:15(バルバロ訳)」

 消え去るように呼ばれている古い世界とは、中絶を主唱する世界です。聖伝に忠実な家族とは、大人数の家族でもあり、彼らの本物の信仰が子孫の繁栄を保証してくれています。「生めよ、ふえよ!」教会がいつも教えてきたことから離れずにいるならば、未来は保証されているのです。

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い



回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)

マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にした歴史的な説教:聖伝を維持しながらこそ、ペトロの後継者(教皇)に対する私たちの愛と素直さと従順を表すことができる

聖ピオ五世教皇の勅書「クォー・プリームム」Bulla Quo Primum (1570年7月14日発布)の羅和対訳 Latin - Japanese bilingual

ルフェーブル大司教のローマにおける1974年11月21日の宣言

PIUS PP. X, MOTU PROPRIO, PRO ITALIA ET INSULIS ADIACENTIBUS DE STUDIO DOCTRINAE S. THOMAE AQUINATIS IN SCHOLIS CATHOLICIS PROMOVENDO
"Doctoris Angelici nemo sincere catholicus eam ausit in dubium vocare sententiam": Acta Apostolicis Sedis Vol 6, 1914 p. 336.

Doctoris angelici (ラテン語 text)

Doctoris Angelici (英語訳)


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第21章 異端でもなく、離教でもなく

2019年02月23日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その21

第21章 異端でもなく、離教でもなく

 1974年11月21日の宣言は、私が既に述べたばかりのプロセスを引き起こしましたが、次のような言葉でこの宣言は終わっていました。「こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者となることができると確信している。」

 オッセルヴァトーレ・ロマノ紙はこの宣言のテキストを掲載する時、ここの段落を省略しました。ここ10年以上にもわたって、私たちの敵は私たちが教会の交わりから追い出さすように関心があり、私たちが教皇様の権威をあたかも受け入れていないかのように思わせようとしています。私たちをしてセクトにしたり、私たちを離教者だと宣言すると、便利になるからです。私たちに関して、離教とか教会を離れたとか、どれ程多く言われてきたことでしょうか!

 私はこう言い続けてきました。「もしも誰かが教皇から離れたとしても、それは私ではない」と。問題の要点は次のことにあります。つまり、教会における教皇の権能は最高権力である、しかし絶対でもなければ無制限でもない、何故なら、教皇といえども天主の権能に従属しているからである、この天主の権能は聖伝、聖書、教会教導権により既に公布された諸定義によって表明されている、ということです。

 事実、この権能はこれがキリストの代理者(つまり教皇)にこの地上で与えられた目的の内に制限されています。この目的は、ピオ九世が第一バチカン公会議の憲章『パストル・エテルヌス』において明確に定義しています。ですから、教皇の権能が制限されていると言ったとしても、自分の個人的な理論を述べているわけではありません。

 盲目的従順はカトリックではありません。それがたとえ教皇であったとしても、長上の権威の命令が天主の御旨と反している場合(例えば聖伝が確実に天主の御旨が何であるか私たちに知らしめているような時)、御旨に反することを受け入れた時、天主よりも人間に従ったということの責任を誰も免れることはできません。教皇の口から出る全ての言葉がどれもこれも不可謬であると考えるのは間違っています。

 こう言ったとしても私は、パウロ六世が異端者であったとか、パウロ六世はその異端説を唱えたことにより教皇ではなくなった、と暗示したり断言したりする者らの一人ではありません。もしもそれが本当なら、パウロ六世によって任命された大部分の枢機卿たちは、本物の枢機卿ではないということになります。そうなれば有効に別の教皇を選ぶことができなくなってしまいます。そうなればヨハネ・パウロ一世もヨハネ・パウロ二世も正当に選ばれた教皇ではないことになってしまいます。これがいわゆる教皇聖座空位主義者(セデヴァカンティスト)と呼ばれる人々の立場です。

 確かにパウロ六世はカトリックの良心に、極めて重大な問題を提起した、ということは認めなければなりません。パウロ六世は1789年のフランス革命よりも大きな損害を教会に与えました。具体的な事実を挙げれば、新しいミサ典書の総則第7項に署名したことや信教の自由の文書に署名したことなどは、スキャンダルを引き起こすことです。しかし、教皇が異端者であり得るか否かということを知るのは、単純な問題ではありません。多くの神学者たちは、教皇は個人的な教師としては異端者たり得るが、普遍教会の教師としてはそうでは有り得ないと考えています。私が今引用したような文章に署名をする時、パウロ六世がいったいどの程度教皇の不可謬権を行使しようと望んだのかを詳しく吟味してみなければなりません。

 ところで私たちは、パウロ六世が異端を頑固に固執すると言うよりも、むしろもっとリベラルに行動したということを見ることができます。実際、パウロ六世に彼が陥りつつある危険を見せると、彼はすぐに草稿中の文章で肯定していたのと反対する言い方を付け加えることによって矛盾する文章を付け加えていました。司教団体主義に関する『教会憲章』に引き続いて予備注釈の覚え書きを挿入させた有名な霊があります。或いは、パウロ六世は極めて曖昧な言い方の文章を書いていました。これは正に、一貫していない性質により、リベラルに特有のことです。

 パウロ六世のリベラリズムは、その友であるダニエルー枢機卿によっても認識されており、その教皇統治におこった悲惨な結果を説明するのに十分です。リベラルなカトリックとは、絶え間ない矛盾における二重の顔を持った人です。彼はカトリックとして留まろうとするのですが、同時にこの世に取り入ろうとする渇望にとりつかれています。では教皇は、リベラルであると同時に教皇であり続けることができるのでしょうか? 教会は常にリベラルなカトリックを厳しく断罪してきましたが、彼らを必ずしも常に破門してきたというわけではありません。教皇聖座空位主義者は別の議論を進めます。彼らによれば、八〇歳以上の枢機卿らに教皇選挙の投票権を奪ったがゆえに、最近の二回のコンクラーベ(教皇選出選挙)を順次した教皇選出規定は、これらの教皇選挙を無効にしたのではないか、と。無効にしたとは言い過ぎでしょう。しかし、もしかしたら疑わしいものにしたかもしれません。しかしながら、選挙後の枢機卿とローマ聖職者らによる一致した、事実上の教皇としての受け入れは、この選挙を有効にするのに充分です。これが神学者たちの意見です。

 教皇が存在していないということを主張する人々の考え方は、教会を抜け出すことのできない状況に追いやってしまいます。しかし教会の可視性の問題にとって、教皇の存在はあまりにも必要であり、天主は過去数十年の長きにわたって省略することのできなかった事柄であるはずです。もし彼らの主張が正しいとしたら、いったい誰が私たちに将来の教皇がどこにいるかを教えてくれるのでしょうか? もはや正統な枢機卿たちが存在していないとしたら、いったいどうやって教皇を選ぶのでしょうか? 私たちはここに離教的な精神を見いだします。私たちの聖ピオ十世会はこのような考え方に入るのを絶対的に拒否します。私たちはローマに、ペトロの後継者に固執し続けることを望み、パウロ六世の前任者たちへの忠実さ故に、パウロ六世のリベラリズムを拒否します。

 信教の自由という場合において新しい教会法によって許可された御聖体を非カトリック信者に授けることも、或いは教会内において二つの最高権力があるとして考えられた司教団体主義の場合も、全てのカトリック聖職者とカトリック信徒にとって、これへの従順に抵抗しこれを拒否する義務があるということは明白なことです。もしもこの悪が公であり、霊魂たちの躓きを引き起こすものであれば、この抵抗もやはり公のものでなければなりません。だからこそ、聖トマス・アクィナスの教えに従って、デ・カストロ・マイヤー司教様と私とは、1983年11月21日にヨハネ・パウロ二世教皇様に公開書簡を送ったのです。それによって教会が陥っている劇的な状況の主要な原因を取り消して下さるように懇願しました。私たちが個人的に15年間にわたってしてきた全ての行動は全く無駄に終わっていたので、私たちがこのまま沈黙を守ることは、私たちをして全世界における霊魂の苦悩と混乱とを引き起こした共犯にしてしまうと思われたからです。

「教皇聖下、この不安が消えるようにするのは緊急のことです。なぜなら、群は散りぢりになり、捨てられた羊達を金で雇われたものが追っているからです。カトリック信仰の善のため、霊魂達の救いのために、私たちは聖下に彼らの誤謬に反対の真理をもう一度断言して下さるように、・・・とひたすらに願い乞い求めます」と私たちは書きました。私たちの警告の叫びは、新しい教会法の諸逸脱(異端とは言わないものの)や、ルター生誕500周年の儀式や講話によってますます大きなものとなっていました。

 それに対して返事はありませんでした。しかし私たちはなさなければならなかったことをしたまでです。私たちは教会があたかも人間のつくった組織であるかのように絶望することはできません。全ての異端が過去のものとなったように、現在の混乱も過去のものとなることでしょう。いつの日か聖伝に立ち戻らなければならなくなる日が来るでしょう。ローマ教皇の権威において、もう一度、教皇三重冠によって意味された権能が現れなければならないでしょう。信仰と道徳を守る裁判所がもう一度、恒久的に立てられなければならないでしょう。司教たちは自分の個人的な権能とイニシアティヴとを取り戻さなければならないでしょう。

 現在使徒職のメッセージの核心を打ち消すようにして使徒職を麻痺させている全ての障害から、真の使徒的働きを解放しなければならないでしょう。神学校にその本当の役割を与え、昔のような修道会を再び創りあげ、国家の規定する無宗教的な教育課程を止めて本当のカトリック学校とカトリック大学を復興させなければなりません。全ての人々の義務と権利を尊敬しながら兄弟愛に基づいてともに働くことを決意した司牧的かつ労働者のための組織を援助し、国内冷戦に他ならないストライキという社会的災害を禁止し、教会の法律に適う国法を制定するように促進し、社会を私たちの主イエズス・キリストの社会的王国を公式に認めるようにもっていく決意に満ちた立派なカトリックの代議員が働くことができるように助けなければならないでしょう。

 何故なら、私たちは毎日祈る時に何と言って祈るかを考えてみれば分かることだからです。「御国の来たらんことを。御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。」 また私たちはミサ聖祭の栄光頌では何と言うでしょうか? 「Tu solu Dominus, Jesu Christe. イエズス・キリストよ、御身のみ主なり」です。私たちは、主の祈りを唱え、栄光頌を高らかに歌い、教会から出るやいなや「いやいや、このような概念はもう古くさい、現代世界ではイエズス・キリストの統治について話すことは目論むことさえも不可能だ。」と言うのでしょうか? 私たちはそれほど論理に一貫性がないのでしょうか? 私たちは本当にキリスト者なのでしょうか?

 世界諸国は、抜け出すことのできない多くの困難を抱えています。多くの場所で戦争が永久化し、原子力によって引き起こされる災害を考えて人々は身を震わせ、経済状態を立ち直らせるために何ができるかと探求し、所得を引き上げ、失業をなくし、産業が栄えるようにと研究しています。実は、経済的な観点からも、私たちの主イエズス・キリストが統治しなければなりません。何故なら、この統治は愛と天主の十戒とを原理にする統治であり、社会に正義と平和をもたらしてバランスを生み出すからです。

 それとも皆さんは、一方でどことどこの政党が連合してだれそれの政治家に希望をおき、いつか誰かが確実に徹底的に問題を解決するよい綱領を実行してくれるだろうと想像し、他方で故意に「唯一の主」をあたかもイエズス・キリストが人々生活に全く関係ないかのように、あたかもどうでもいいかのように、社会から切り離すのがキリスト教的な態度だと思っているのでしょうか? 宗教と、職業・政治などその他のこととを断絶するバリアーを作って自分の生活を2つに分けるひとの信仰とはいったい何なのでしょうか? 天と地とを創り給うた天主は、私たちの物質的かつ社会的みじめな困難から私たちを救うことができないとでも思っているのでしょうか? もしも皆さんが逆境の時に祈ったことが或る方でしたら、聖父なる天主はパンを求めて祈る子供達に石を与えるようなことはなさらないことは、経験によって知っていると思います。

 キリスト教的な社会秩序は、マルクス主義の理論との対極にあります。マルクス主義はそれが実践されたところでは世界中のどこででもいかなる利益をももたらしませんでした。あったのは多くの、悲惨、最も弱い者が押しつぶされたこと、人間の軽蔑、死、それだけでした。キリスト教的社会秩序は、私的所有物を尊重し、家庭を崩壊させるすべてのものに反対して家庭を保護し、子供の多い家庭、女性が家庭内に留まる家庭を奨励します。また個人による合法的な自律の余地を残し、中小企業を奨励し、大地へのたち戻りを促し、農業の正しい価値を評価します。さらに職業組合を想定し、学校に自由を与え、全ての形の社会反乱や革命に対して市民を保護します。

 このキリスト教的な秩序はもちろん政教分離に基づくリベラルで、危機に対してますます無能であることが証明されている体制とは区別されます。「すべての人々の光」である方を故意に捨てたリベラルに、いったい何ができるというのでしょうか? リベラル派は市民たちのエネルギーをどのようにまとめるというのでしょうか? 彼らには市民に福祉とか快楽以外には、理想を提示するものが全くないのですから。彼らはしばらくの間、幻想を維持させることができていました。何故なら人々はキリスト教的な思想の習慣を保っていましたし、指導層も多かれ少なかれ意識的に何からの価値を維持していたからです。全てを疑う現代、天主の御旨だから、と暗示させるような習慣はもうなくなりました。リベラルなシステムは、自分自身を危険にさらし、なんらかの理想的な観念によっては機能しなくなっています。そのためこのシステムはくたびれ社会転覆を謀るイデオロギーの易しい餌食となっています。

 キリスト教的社会秩序について語ることは、今では変化している過去に戻ることではありません。その反対です。これはそれを考慮することを恐れるべきではない将来の立場です。皆さんは銃後の戦いをしているのではありません。皆さんは知っている人々です。何故なら「私は道であり真理であり命である」と言った方の教えを心しているからです。私たちには、真理を所有しているという優等性があります。これは私たちの過ちではありません。私たちは真理を持っていることで傲慢になるべきではなく、真理を持っているが故にその責任を持って行動しなければなりません。教会は、真理を保持しているが故に誤謬に対して優位に立っています。天主の聖寵の助けにより、教会は真理を広めなければなりません。真理を恥じて升の中に隠すできではありません。

 真理を毒麦と混ぜては更にいけません。しかしこのことはよく見られるようになってしまいました。私は、オッセルバトーレ・ロマノ紙の中にパオロ・ベファニという署名の人の書いた興味深い記事を読みました(Osservatore Romano, 18. 1. 84)。彼はバチカンが社会主義を好意的に見ているということについて書いていました。記者は中央アメリカの状況とポーランドの状況とを比較してこう書いています。

「教会はヨーロッパの状況をそのままに残し、一方でラテン・アメリカ諸国の状況とそれらに及ぼすアメリカ合衆国の影響に、他方でソビエト帝国の衛星軌道上に位置するポーランドの状況との問題を抱えている。

 この2つの国境でぶつかりながら、教会は第二バチカン公会議とともに、フランス革命のリベラル民主主義的征服を自分のものとして既にそれを過去のものとした。教会はその前進過程において(たとえばパウロ六世の回勅『ラボーレム・エグゼルチェンス』を見よ)、マルクス主義ロシア革命「後」のものとして自らを提示し、「マルクス主義後の民主的な、キリスト教的起源の、自立的であり非全体主義の社会主義」を「解決策」に、マルクス主義の失敗への解決を提案している。

 国家に対する反撃は連帯(Solidarnosc)によって象徴化されている。連帯はレーニンの作業場を前に十字架を立てた。ラテン・アメリカの間違いは、マルクス主義共産主義において、反キリスト教的起源を持つ社会主義において解決策を探していることである。」

 これがリベラルの幻想主義です。彼らは真理を表明しているかのように確信して矛盾した単語を組み合わせるのです。彼らは、教会と、キリスト教世界を混乱に陥れ共産主義に門戸を開く革命とを結合しようとする考えにとらわれている不倫の幻想家にすぎません。聖ピオ十世はシヨン主義者らにこう言っていました。「シヨンは空想上の産物を追い求めようと目を凝らし、社会主義を擁護しているのだと言えます。」

 シヨンの後継者らはそれを続けています。キリスト教的民主主義の後、キリスト教的社会主義なのだそうです! 最後に私たちは「無神論的キリスト教」に至るでしょう。

 見つけなければならい解決は、マルクス主義の失敗だけの問題ではありません。キリスト教的民主主義の失敗もです。この失敗はもはや証明するまでもありません。何故なら、自然法に反する結合、妥協などが多くあるからです。私たちは濁った水の中に何を探そうというのでしょうか?

 カトリックには本当の解決策があります。それは自分の持てる力の限り働くという義務です。これは個人的に政治に貢献したり、選挙で、キリスト教的社会秩序をもう一度確立する決意を持つ代議士を市長や議員や役員として送り込んだりすることです。何故なら、キリスト教的社会秩序こそが、唯一平和と正義と真の自由を私たちに与えてくれるからです。解決策はその他にはありません。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第20章 永遠のミサ

2019年02月22日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その20

第20章 永遠のミサ

 ある一つの事実は読者の皆さんをきっと驚かせたことでしょう。それはこの事件においてミサ聖祭が問題となったことは一時もなかった、ということです。しかしながら、この葛藤の中心にミサ聖祭があるのです。ミサについて沈黙を強制させられていることが、聖ピオ五世の典礼様式とよばれているこのミサがきちんと許可されていることであることを白状しています。

 聖伝のミサについて、カトリック信徒は完全に落ち着いていることが出来ます。このミサは禁止されていないし、禁止され得ないのです。繰り返しますと、聖ピオ五世はこれを発明・発見したのではなく、「ミサ典礼書それ自体を、聖なる教父達の以前の規律及び挙式法に復旧した」のであり、1570年7月14日に教皇が署名した大勅令『クォ・プリームム』の中で私たちにすべての保証を与えています。

「高位聖職者、管理職者、教会参事会員、及び他の全ての如何なる呼称で呼ばれる、在俗又は如何なる修道会員の司祭は、余によって命ぜられたものより他のやり方でミサ聖祭を捧げる事が無いように。又、何によってであろうとも(彼等が)このミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却って〔この手紙が〕常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する。・・・ 故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主〔の憤慨〕及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」

 万が一、教皇がこの永久の許可を撤回することが出来たとしたら、その教皇はこれと同じほど荘厳な大勅令によって撤回しなければなりません。ところで1969年4月3日の使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』は、パウロ六世のミサと呼ばれるものを許可しましたが、トリエント公会議のミサをはっきりと禁止すると表現するものは全くないのです。そのためにオッタヴィアーニ枢機卿は1971年に「私の知る限り、ミサのトリエント典礼様式は廃止されていない」と断言できるほどでした。スイスの司教らの全体会議で、アダム司教は「特別な許可がない限り、憲章『ミサーレ・ロマーヌム』は聖ピオ五世の典礼様式でミサを捧げることを禁止している」と言い張っていましたが、後にいったいこの禁止がどこにどのような言葉で書いてあるのか明示することを要求されて、それに応えることが出来ずに自分の発言を撤回せざるを得ませんでした。

 このことから、もしもある司祭が、聖伝のミサのためにカトリック教会法典の制裁を受けたとしたら、或いは破門されたとしたら、この排斥は絶対的に無効です。聖ピオ五世は、このミサ聖祭を列聖したからです。ところで、教皇といえども、一度列聖された聖人を取り消すことが出来ないように、この列聖を取り消すことは出来ません。私たちは、聖伝のミサを全く良心の平安の内に捧げることが出来ますし、カトリック信徒たちも、何らの心配もなく、これこそが信仰を維持するための最善の方法であるという確信の内にこれに与ることが出来ます。

 このことはあまりにも真理であり、ヨハネ・パウロ二世教皇聖下も、聖伝のミサに関して数年の沈黙の後、カトリック信徒たちに強要されていた枷を弛めたのでした。それが1984年10月3日付けの典礼聖省の書簡で、これは、聖ピオ五世の典礼様式を求める信徒たちのために、もう一度それを「許可」しているのです。確かにこの書簡は、私たちが受け入れることの出来ないいろいろな条件を強要しています。そして、何よりも、私たちに時の終わりまで与えられた権利を教授するために、私たちにこの特別許可は必要ありませんでした。

 しかしながら、この最初のジェスチャーは、----- この後も別のものが続くことを祈りましょう ------ 聖伝のミサに対して投げかけられていた不当な疑惑を取り除き、聖伝のミサに与ることをまだためらっていた、どうして良いか分からなくなっていたカトリック信徒の方々の良心を解放したのです。

 それでは、1976年7月22日に私が受けたとされる「聖職停止」に話しを移しましょう。これはその年の6月29日にエコンでした司祭叙階式の続きでした。3ヶ月前からローマから私たちに、私たちの活動を停止し、司祭叙階式をしてはならないという、叱責、懇願、命令、脅迫が届きました。叙階式直前まで私たちは、特使たちからの使信を立て続けに受けました。彼らは私たちに何を言っていたのでしょうか? 6回も続けて彼らは私に、新しい典礼様式を受け入れそれを私自身が捧げることによって、聖座との正常な関係を取り戻すようにと要求したのです。私をせき立てて或るモンシニョールは、私と一緒に新しいミサを共同司式でするように提案し、私のこの手に新しいミサ典書を手渡しながらもしも私が6月29日に、新司祭たちのために祈りに来た全ての会衆の前でパウロ六世のミサをするなら、今後は、ローマと私との間は全てうまくいくことを約束するまでしたのです。

 これが何を意味するかというと、ローマは私にこの叙階式を執行することを禁止したのではなく、これが新しい典礼にしたがってなされることを私に望んだ、ということです。この瞬間、正にローマとエコンの間のドラマは、ミサの問題を巡ってなされていたし、現在でもそうであるということが明らかになります。

 私は叙階式の説教でこう言いました。

「もしかしたら、明日、新聞紙上に、私たちを排斥する記事が載ることでしょう。全くあり得る話です。それは今日のこの叙階式のためです。私自身、多分に聖職停止の罰を受けることでしょう。これらの若い司祭たちは、「不規則」の罰を受け、原則的にはミサ聖祭を捧げることが出来ないとされることでしょう。あり得ることです。それなら、私は聖ピオ五世に訴えます。」

 私がこの「聖職停止」を拒否していることで動揺しているカトリック信徒の方々がおられるかもしれません。しかし、全ては一つの連鎖を形作っているということをよく理解しなければなりません。いったい何故、私は、この叙階式をするのを拒否されたのでしょうか? 何故なら、聖ピオ十世会が廃止されたし、神学校は廃校になっているはずであったからです。

 しかし私がこの聖ピオ十世会の廃止と神学校廃校を受け入れなかったのは、正しくそれらが非合法的に決定されたからです。そして制裁は、カトリック教会法典に従う形式も整っていなかったし、その中身もカトリック教会法典に則っていなかったからです(特に、行政権の保持者が呼ぶところの「権力の横領」、つまり権限がそのために行使されなければならないその目的に反して権力が用いられることがあったからです)。私は最初から全てを飲み込んでいなければなりませんでした。しかし私はそうはしませんでした。何故なら、私たちは裁判も受けずに、自分を弁護することさえもできずに、警告もなく、いかなる書面もなく、控訴することも出来ず、排斥されたからです。私がこの最初の不正な排斥判決を拒否するなら、それに続くその他の判決も拒否しないわけにはいかなくなるからです。何故なら、それに続く全ての制裁は、すべて最初の一つによって立っているからです。最初が当初から無効であるなら、それに続くものも全く無効です。

 別の疑問がある信徒や司祭の方々があるかもしれません。みんなが反対しているのに、一人だけ正しいということがあり得るか? という疑問です。或る記者会見でル・モンド紙の特派員が私にこう言いました。「しかし、あなたはたった一人です。たった一人で教皇に反対している。たった一人で全ての司教たちに反対している。あなたの闘いにはどんな意味があるのか?」

 そうではありません。私は一人ではありません。私にはカトリック教会の全聖伝がついています。教会が時と空間において存在しているからです。また多くの司教たちは心の中では私たちと同じように考えていると知っています。今日、カストロ・マイヤー司教様と私とで教皇様への公開書簡に署名をして以来、カトリック教会のプロテスタント化に反対してオープンに声を上げる司教は二人です。私たちには多くの司祭たちも共にいます。私たちには複数の神学校もあります。この神学校は今では毎年およそ40名の新しい司祭たちを生み出しています。また私たちには250名の神学生たち、30名の修道士たち、60名の修道女ら、30名の奉献修道女(オブラータ)、複数の聖伝の修道院、複数のカルメル会修道院が開院し発展しています。信徒の大群が私たちのところに来ています。

 他方で、真理とは数で決まるものではありません。数が真理を作るのではないのです。たとえ私がたった一人であったとしても、私の元にいる神学生たちがすべて私から離れていったとしても、全世論が私をうち捨てても、私に関する限り関係ありません。私は、私の習った使徒信経に固執しています。私の習った公教要理に、また現在天国にいる全ての選ばれた聖人達を聖化した聖伝に私は固執しているからです。私は自分の霊魂を救いたい、それだけなのです。世論についてはあまりにもよく知られています。私たちの主イエズス・キリストは、世論によって歓迎され賞賛されたその数日後、全く同じ世論によって死刑となったのです。まず枝の主日があり、次に聖金曜日があったのです。

 パウロ六世教皇聖下は私にこう尋ねました。「しかし、あなたの心の中では、自分がしていることについて何か自分を咎めることを感じているのではないか? あなたは教会において、巨大な、極めて大きい躓きを与えている。あなたの良心はそのことを言っていないか?」と。

 私は答えました。「教皇聖下、全くそのようなことはありません」と。万が一、私に何か自分を咎めることがあったとしたら、私はすぐに止めていたことでしょう。

 ヨハネ・パウロ二世教皇様は、私に反対して言われた制裁について確認も通告もしませんでした。1979年11月に私が教皇様を謁見した時、長い会話の後で、教皇様は典礼において選択の自由を与え、私がするままにさせるということにかなり同意しているようでした。つまり私が最初から要求していることで、教会の中で許されているありとあらゆる実験の中に「聖伝の実験」も自由が与えられるべきだ、ということです。事態はうまく解決し、聖伝のミサの村八分はなくなり、問題もなくなるという時は、もしかしたら来たかもしれませんでした。しかし、その時同席していたセペール枢機卿が危険を見て取り、こう叫んだのです。「教皇様!彼らはこのミサを御旗にしますよ!」と。その瞬間、それまで開かれていた重いカーテンは落ちて閉じられました。私たちはまだ待たねばならないようでしょう。


ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い




回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)

マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にした歴史的な説教:聖伝を維持しながらこそ、ペトロの後継者(教皇)に対する私たちの愛と素直さと従順を表すことができる

聖ピオ五世教皇の勅書「クォー・プリームム」Bulla Quo Primum (1570年7月14日発布)の羅和対訳 Latin - Japanese bilingual


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第19章 エコンの神学校とローマ

2019年02月21日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その19

第19章 エコンの神学校とローマ

 もしかしたら読者の皆さんは、教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまい、悲しみと苦悩とをもって物事が進行しているのを見ているけれども、本当のミサに与るのを恐れている人々かもしれません。聖伝のミサに与りたいとは強く感じるけれど、何故恐れるかというと、このミサは禁止されていると信じ込まされてしまっているからです。

 もしかしたら読者の皆さんは、ジャンパーをはおった司祭のところにはもう行くのを止めたけれどもスータンを着ている司祭にはある種の不信感を抱いているような人々なのかもしれません。スータンを着ている司祭はあたかも何か教会の罰を受けているかのように。何故なら、これらの司祭を叙階した司教は聖職停止になっているのではないか?と。

 読者の皆さんは、教会の外に身を置くことを恐れています。原理として、この恐れは賞賛すべきものです。しかしこの恐れは蒙昧から生じています。人々が誇らしく際だたせている制裁について、またそれについてフリーメーソンと共産主義者らが騒がしく喜んだ制裁について読者の皆さんにお話ししたいと思います。これについて良く理解するために、短い歴史をお話しする必要があります。

 私がアフリカのガボンに宣教師として送られた時、私の司教様はすぐに首都リーブルヴィルの神学校の教授に任命されました。そこで私は六年間神学生達を養成しました。その生徒たちのうち後には司教になる聖寵を受けたものもいます。今度は私がダカールで司教になる番で、私の主要に神経を使ったのは召命を探すこと、天主の召し出しに答える青年達を養成し、彼らを司祭職まで導くこと、これでした。私はダカールで私の後継者となるべき青年、つまりティアンドゥム司教様と、現在セネガルのティエスの大司教であるディオンヌ大司教様とに、司祭職の秘蹟を授けるという喜びがありました。

 その後、聖霊修道会の総長職を遂行するためにヨーロッパに戻りました。私は司祭養成の本質的価値を維持することを努めました。この時は既に、一九六〇年代の初頭でしたが、あまりの圧力のために、また極めて多大な困難の連続のために、私が望んでいた結果を到達することが出来なかった、と認めなければなりません。つまり私は、聖霊修道会の権威に依託されていたローマのフランス神学校を、私たちがそこに籍を置いていた、一九二〇年-一九三〇年のあいだのような良い水準を保つことが出来ないでいたのです。一九六八年、私は辞表を出し、総長職を辞職しました。それは修道会の総会でカトリック聖伝のやり方とは反対の方向に会を改革しようとすることを、私が支持しなかったためです。この日付以前から既に、私はいろいろな家族や司祭たちから、司祭になることを望んでいる青年達をどの司祭養成施設に行くようにと勧めたらよいかという多くの訴えを受けていました。私は極めて躊躇していたことを認めます。

 私は自分の重い責務から自由になり、その時、引退生活を考えていたからです。私はそこでスイスのフリブール大学のことを考えました。何故ならまだそこでは聖トマス・アクィナスの教えによって方向付けられ指導されていたからです。フリブールの司教であるシャリエール司教様は両手を拡げて私を迎え入れてくれました。私は一軒家を借りてそこに九名の神学生達を受け入れました。彼らは大学の講義を聴講し、その他の時間には、本当の神学校生活を送っていました。彼らはすぐに、将来も一緒に働き続けたい、という望みを表明するようになりました。

 そこで熟考の後、私はシャリエール司教様のところに行って「兄弟会」の創立の勅令に署名することを受け入れてくれるかどうか尋ねました。そしてシャリエール司教様は会憲を承認し、そうして一九七〇年一一月一日に「聖ピオ十世司祭兄弟会」は誕生しました。私たちはカトリック教会法典に従ってフリブール司教区に立てられたのです。

 これらの詳細は重要です。皆さんはそれがすぐにわかるでしょう。カトリック教会法典によれば、司教は自分の司教区に諸団体を創立する権利があります。司教の承認の事実それだけで、ローマはこれを承認します。ローマがそれをどれ程しっかり承認するかということは、もしも最初の司教の後継者の或る司教が、この団体、あるいはこの兄弟会を廃止しようと望んでも、ローマに訴えなければそうすることが出来ない程です。ローマの権威が最初の司祭のしたことを保護しているのです。何故なら、そうすることによって諸団体が、その発展にとって害となりうる不安定な状態に置かれることがないようにするためです。これがカトリック教会法典の望むところです。(カトリック教会法典第四九三条)

 聖ピオ十世司祭兄弟会は、従って、全く合法的なやり方でローマによって承認されています。ただし司教区の権威によるものであり、教皇権威によるものではないのですが、しかしそれは必ずしも必要ではありません。何故なら、全世界に修道院を持ちながらも、司教区の権威による修道会は幾つも存在しているからです。

 教会が司教区の修道会創立、司教区の団体を受け入れる時、教会はこの修道会、団体が、自分の会員を養成することも同時に受け入れます。もしもそれが修道会なら、教会は修練院、つまり養成の家を持つことを受け入れます。私たちにとって、この養成の家とは私たちの神学校です。

 一九七一年二月一八日、聖職者聖省長官のライト枢機卿は私に励ましの書簡を送ってくれました。その中で枢機卿は、聖ピオ十世会は「全世界に聖職者を分配するためのこの聖省において、公会議によって探求された目的と極めてよく一致することが出来るだろう」と確信なさったことを述べています。

 ところが、一九七二年の一一月には、ルルドで行われたフランス司教団の総会で、司教様たちは「野蛮な神学校」(=聖ピオ十世会の神学校のこと)について話し合いました。そして列席の司教様たちのうち誰一人も、エコンの神学校のカトリック教会法典上の状況について知っている必要があったにもかかわらず、誰もそれに反論を述べる人がいませんでした。

 では何故、私たちは野蛮だと考えられているのでしょうか? 何故なら、ここでは神学生達に、彼らが毎晩自分勝手に外に出歩くことがないように神学校の鍵を与えないからです。何故なら、ここでは神学生達に朝から晩まで見せるようなテレビがないからです。何故なら、神学生達はTシャツを着ていないし、最初の授業時間まで寝台で寝転がっている代わりに、毎朝早朝ミサに与っているからです。

 ところで、その当時、私がお会いしたガロンヌ枢機卿(カトリック教育聖省長官)は私にこう言っていました。

「大司教様、あなたは私の直接管轄下にはありませんから、私はあなたに一つのことだけしか言うことがありません。それは神学校の創立のために私が与えた基礎規定(ラチオ・フンダメンターリス ratio funamentalis)、全ての神学校が従わなければならないこの基礎規定に従いなさい。」

 このラチオ・フンダメンターリス(ratio funamentalis)は、神学校でまだラテン語を教えること、勉強は聖トマス・アクィナスの教えに従ってなされること、を規定しています。私は敢えてこうお答えしました。

「枢機卿様、私が思うに、私たちの神学校はこの基礎規定に従う数少ない神学校の一つです。」

 このことは現在ではさらに本当のことになってしまいました。そしてラチオ・フンダメンターリスratio funamentalisは現代でもまだ有効です。それではいったい何故、私たちは責められるのでしょうか?

 本当の神学校を開かなければならない必要があった時、つまりグラン・サン・ベルナールの聖職者たちが元休息の家として使っていた、エコンの家を借りた時、私は(エコンが所属している)シオン教区の司教であるアダム司教様に会いに行きました。アダム司教様はそれに同意してくれました。この家を神学校として創立したことは、私が計画していた長期計画などというようなものでは全くありませんでした。この創立は摂理的に私に押しつけられたのです。私はこう自分に言い聞かせていました。「もしもこの事業が世界中に広がるなら、これは天主がそこにおられることの印だろう」と。

 年ごとに神学生達の数は増加する一方でした。一九七〇年には一一名の入学、一九七四年には四〇名でした。革新派たちはますます不安に思いました。もしも私たちが神学生達を養成するなら、それは彼らを司祭に叙階するためであるということ、そしてその将来の司祭たちは教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサ聖祭に忠実であるということは明らかでした。私たちが攻撃の的となったその理由はこれであり、その他のところに理由を探すべきではありません。これ以外には何も見つけないのですから。エコンは新近代主義教会にたいして危険であると見なされたわけです。遅すぎないうちに手を打っておかなければならないと、彼らは考えたのでした。

 かくして一九七四年一一月一一日、教皇パウロ六世によって任命されガロンヌ、ライト、タベラ、三名の枢機卿たちからなる委員会によって送られた二名の教皇訪問者が、初雪と共に、神学校に到着しました。タベラ枢機卿は聖職者聖省の長官でした。

 彼らは一〇名の神学校教授と一〇四名の神学生達のうちの二〇名と、そして私と面接をしました。そして二日後に帰っていきましたが、不愉快な印象を残していきました。彼らは神学生達にたいして様々なつまずきを与えることを言ったのです。結婚した人を叙階するのは当たり前だとか、不変の真理を認めないと宣言するとか、私たちの主イエズス・キリストの御復活について聖伝による理解の仕方に疑問を投げつけるとか、です。神学校については、彼らは何も言わず、いかなるプロトコール(指導書)も残していきませんでした。この後で、彼らの言ったことに憤慨し、私は次のような言葉で始まる宣言を発表しました。

 「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマに固執する。

 私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。」

 ここでの言葉遣いはおそらくすこし激しいものでしたが、これは私の考えを現していましたし、今でも現し続けています。枢機卿委員会が私たちを葬り去ろうと決心したのは、この文章に関してでした。何故なら委員会は神学校の運営に関連して私たちをなきものにすることは出来なかったからです。何故なら、枢機卿たちは後に二回も私にこう言ったからです。「教皇訪問者たちは、その調査の良い印象を受けていた」と。

 しばらくすると2月13日にこの枢機卿委員会は、幾つかの点を明らかにするためローマで「面会」をするからと私を招きました。私は、これは罠であるなどとは疑うことさえせずにローマに行きました。面会は最初から裁判所のような詰問問答になりました。その後3月3日に、2回目の審議があり、2ヶ月後に委員会は、「聖下の全き承認をうけて」委員会が下した決定を私に通達してきました。それはフリブールの新しい司教であるマミー司教が前任司教の聖ピオ十世会に与えた承認を取り消さざるをえない、またこのことにより、聖ピオ十世会の創立と特にエコンの神学校は「存在の権利」を失った、という決定でした。

 これらの決定が私に通達されるのを待たずに、マミー司教は私たちに既にこう書いてよこしていました。「私はあなたに次のことを通達する。すなわち私は、聖ピオ十世会にかんする私の前任者がなした法令と譲与、とりわけ1970年11月1日の創立の教令を撤回する。この決定は、直ちに効力を有する。」

 もしも読者の皆さんが今までの流れを理解したなら、この廃止がフリブールの司教によってなされたものであり、聖座によってなされたものではないことにお気づきのことだと思います。カトリック教会法典493条によれば、権限がないことから法律の効力を全く持たず無効です。

 さらにこれには充分な理由が不足しているために無効です。決定は、1974年11月21日の私の宣言以外には基づいていません。何故なら、この宣言が委員会によって「すべての点において受け入れることが出来ない」と判断されたからです。そして同じ委員会の言うところによれは、(聖ピオ十世会の施設の)使徒的訪問の結果は優良だったからです。しかし、私の宣言は、元検邪聖省である教義と信仰聖省の排斥を受けたものではありませんでした。この宣言がカトリック信仰に反しているか否かを裁く唯一の権限を持っているのは、この教義と信仰聖省だけです。私の宣言を「すべての点において受け入れることが出来ない」と判断したのは、公式に「面会」が行われた間に、3名の枢機卿ら以外の誰でもないのです。

 さらに、この委員会存在自体が、裁治権により存在しているのか否か一度も証拠が提示されませんでした。教皇様のいったいどんな教令によってこの委員会が成立したのでしょうか? それは何月何日だったのでしょうか? それはどのような形式を取ったのでしょうか? これは誰に通告されたのでしょうか? ローマ当局がそれらを提示することを拒否している事実が、それらの存在を疑わせます。カトリック教会法典によれば「疑いのある法は、強制力を持たない」とあります。もしそれが権限、つまり委員会の権威の存在自体に関する疑いであれば、なおさら強制力がありません。「聖下の全き承認をうけて」と書いてよこすだけでは、カトリック教会法典上全く不十分なのです。これは枢機卿委員会を成立させその権限を定義する教令の代わりにはなり得ないからです。

 聖ピオ十世会を廃止させようという過程には、あまりの多くの規定をはずれたことがあり、その廃止を無効にしています。またカトリック教会は、ナチスやマルクス主義的タイプの全体主義社会ではないということも忘れてはなりません。つまり、たとえ法令が守られていたとしても、----- 今回のケースはそうではありませんでしたが ----- 法律は絶対ではないのです。法の字面は、真理と信仰と生命とに対して相対的なのです。カトリック教会法典は、私たちをして霊的に生かし、そうすることによって永遠の生命へと私たちを導くためにあるのです。もしもこの法律を適応することが私たちをしてそれに到達することを妨げるなら、つまり、ある意味で霊的に堕胎させるなら、私たちはそれに不従順である義務があるのです。それは一般市民がある国家において堕胎の法律に不従順である義務があるのと全く同様です。

 カトリック教会法上の議論に戻るなら、私は教皇庁大審院 (Singatura Apostolica 教会の最高裁に相当する) に二回控訴しました。教皇庁大審院は、民法上の最高裁に当たります。国務長官であるヴィヨ枢機卿は、この教会の最高法廷でこの控訴を受理するのを禁止しました。これは行政が司法に介入したということに相当します。


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い




回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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