アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
私たちは、今まで、第二バチカン公会議による新しい「神学」を見てきました。新しい人間理解、新しい信仰理解、新しい典礼理解、新しい教会理解などを見てきました。
まだ新しい「神学」の全体を見たわけではなく、あくまでもその途中ですが、ここまで来ると、私たちには第二バチカン公会議の改革の多くのことの理由が理解できたのではないでしょうか。
何故、今まで通りではいけないのか? 何故、あそこまで変わってしまったのか?
今までのカトリックの聖伝による信仰ではないので、別の新しい信仰に基づくので、典礼も、教会建築も変えられなければならなかったのです。
「前のままの方がよっぽど良かった」けれども、信仰が変わったので、理由があって新しくなったのです。
私たちは、すでに第二バチカン公会議が自己の使命として、人間の崇高な召命にふさわしい兄弟的一致と博愛と世界統一と、よりよい世界の建設を挙げたことを見ました。人類統一という天主にまで届く高い塔の建設に第二バチカン公会議は積極的に協力しようとするのです。
第二バチカン公会議にとって、人間が罪人であるということは問題ではありません。そうではなく人間は、崇高で、天と地との頂点に立つものだという認識です。そして、この崇高な「人類の一致」「世界統一」が第二バチカン公会議のキーワードです。
だから、第二バチカン公会議によれば、典礼はこの素晴らしい人間を祝うものでなければなりません。人間のための人間による人間の祭典(Celebration of Man for Man by Man)です。全ての中心は、人間です。
これに反して、昔ながらの聖伝によれば、人間は、購い主キリストとともに、天主の栄光のために十字架を担うべきです。ミサ聖祭は、まず、十字架のいけにえの再現であり、罪の償いのためにあります。
新しい第二バチカン公会議の神学によれば、いままで「十字架のいけにえ」である「ミサ」と呼ばれてきたものにかわって、「主の晩餐の食事の集会」がおかれます。
人間をしてより人間らしくさせるイエズス・キリスト、つまり復活した主がご自分の民の間に今も生きていることを祝い、人類の一致のために、一致の秘跡を祝うため、「集会」を開き、この一致を感覚的に実感し体験しなければならないのです。
第二バチカン公会議によれば、ミサは「十字架のいけにえ」というよりは、むしろ「キリストの死から復活への過越秘儀(或いは「復活秘義」)を「想起」させる、記念するものです。
新しい神学によれば、ミサは、主の十字架から復活への過越の記念であって、復活したキリストとの出会いが体験される場であるからです。
第二バチカン公会議によれば、キリストの体とは、何よりもまず、キリスト者の集いのことです。だからこそ、新しいミサでは、御聖体の現存よりも、二、三人がキリストの名前で集まるところに復活したキリストが(霊的に)現存するということに強調がおかれます。
だから、聖体に対する礼拝もなくなるのです。聖体は単なる「食事」ですから。
昔ながらの聖伝によれば叙階の秘跡を受けた司祭がミサのいけにえを捧げるのですが、第二バチカン公会議によれば、司祭は「司会」にすぎなく、司祭であるキリストと、そのからだである平信徒たち教会がひとつになって典礼をささげるのだからです。
新しい神学においては、主体が信者であり、会衆が「感謝の祭儀」に集い、「過越の秘義」を生き生きと感じること、主の復活を体験することが大切となるからです。 信仰とは、主観的で、センチメンタルなものと捉えられているからです。
教会は、今、昔の聖伝と断絶し、過去と断絶し、これからも更にどんどん変わっていこうとしています。その変化の「過渡期」にあります。第二バチカン公会議の人間中心主義の原理を、全てにおいて適応させてしまうまでその変革は留まることを知らないでしょう。
この新しい神学の光のもとに、聖伝の教えと比較しながら、次の大阪教区典礼委員会の説明を聞いて下さい。
大阪教区典礼委員会は、第二バチカン公会議の論理と新しい教えに極めて忠実であることが分かります。
参考資料としてご覧下さい。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に、天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.
====引用開始====
教会―こういうふうにできている by 大阪教区典礼委員会
【註:スペースが限られているので部分的に省略しました。全文は上のリンク先をご覧下さい。要点を見出しとして付けました。太字の部分は、この小野田神父がそうしました。】
・・・
【「今までどおり」では限界があるので、現在の典礼にふさわしく新しく変える必要がある】
できるだけ「今までどおり」という線でがんばるのか、それとも
現在の典礼に「ふさわしい」聖堂となるように、精一杯くふうしてみるか・・・・・・。
どうでしょう、この機会に、後者についてごいっしょに考えてみませんか。
【前のままではなく新しくなったのには意味や理由がある】
「なんでこんなややこしい聖堂のかたちにしてしもたんや。前のままの方がよっぽどよかったのに。あーあ・・・・・・。」
でも、ちょっと待って。それは
ただ単に「ややこしく」なったのではなくて、ちゃんとした意味や理由があってそうなったのかもしれません(もちろん、そうでない場合もあるわけですが)。
【新しく目ざすべき典礼にあう新しい形】
これから一年間にわたって、わたしたちがめざすべき典礼と、
それにふさわしい「場」としての聖堂について、ごいっしょに考えてみたいと思います。
【「日曜日の集会(ソノママ)」は「一致のための場」「一致の秘跡を祝うため」】
主日をわたしたちは、どんな心構えで迎えているでしょうか?
教皇ヨハネ・パウロ2世は使徒的書簡『主の日』で、次のようにのべています。
「日曜日は『復活の日』ですが、主の復活を過去の出来事として思い出すだけでなく、復活した主がご自分の民の間に今も生きていることを祝う日なのです」(31項)。
「
日曜日の集会は、何よりも一致のための『場』であり、『一致の秘跡』を祝うために設けられています。この『一致の秘跡』は、教会が、父と子と聖霊の『一致によって』、またその『一致のうちに』集められた一つの民であることをきわめてはっきりと表します」(36項)。
【一つの民に集められたと「一致」を実感しなければならない】
問題は、わたしたちの聖堂がここでのべられているように「一致のための『場』」として機能しているかどうか、なのです。
わたしたちの聖堂は「一致」を実感できるくふうはなされているでしょうか・・・・・・?
「次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。まず第一に、あなたがたが教会に集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。・・・・・・それでは、一緒に集まっても主の晩餐を食べることにはならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」(Ⅱコリント11章17~22節)。
おやおや。ほな、アカンかったんやん。
・・・・・・といってしまう前に、聖パウロがここで何をいわんとしているかについて、考えてみましょう。
この時代には、だれかの家に集まって食事をすることで「主の晩餐」の記念が行われていたようです。でも、集まってきた者があまりにも互いに無関心で配慮がなかったので、パウロはきっぱりと「ゆるせん!」といったのです。パウロは「一致」に対して深いこだわりを示しています。
【註:Ⅱコリント11章と参照されているが、本当は、コリント前書の11章のこと。
聖パウロは、確かにコリントにおける徒党と党派があることを警告したが、同じ、コリント前書の第11章で次のことも警告している。女性の被り物のと成聖の状態(大罪のない状態)で御聖体を拝領しなければならないことだ。
「頭にかぶりものをしないで祈りや預言をする女もみな、その頭をはずかしめる。」
「あなたたちは、みずから判断せよ、女がかぶり物なしで天主に祈るのがよいことであろうか?」
「ふさわしい心を持たずに、主のパンを食べ、その杯を飲む者は、主のおん体とおん血とを犯す。だから、そのパンを食べ、その杯を飲むごとに、おのおの自分をしらべなければならない。主のおん体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食することである。そのため、あなたたちの中には、弱いもの、病気のものが多く、また、死んだものも少なくない。」
これについては大阪教区の典礼委員会は何も言及をしていない。】
【「主の晩餐」の「食事」は、キリストの死から復活への過越秘儀を「想起」するもの】
「あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(同11章26節)。この「食事」はキリストの死から復活への過越秘儀を「想起」するものであり、ここで実践される「一致の交わり」がキリスト者の生き方の「規範」そのものである、と考えていたためでした。それは、「罪人」と呼ばれた人びとと共食されたキリストの、あの生き方です。キリスト者の「集い」の場は、「一致」をめざすものでした。
【建物としての「聖堂」は、共同体の「影」であり、「集い」があればOK】
ところで、この時代はまだ、今のわたしたちが考えるような「聖堂」というものはありませんでした。建物は「生ける神の神殿」(Ⅱコリント6章16節)である共同体の、いわば〃影〃のようなものでしかない、とさえ考えられていたようです。つまり、だれかの家の大広間や、屋外にある広場などを提供してもらって「集い」がもてれば、それで充分だったのです。事実「家の教会」ということばがあったほどなのです。
「私たちには(異教徒のように)神殿も祭壇もない」ことをむしろ誇りにさえ思う――それが、2~3世紀ごろの「教会」だったのです。ところが、コンスタンティヌス帝がキリスト教の禁教を解いた4世紀頃から、いろいろな変化が生じるようになってきます。
【キリストの体とは、何よりもまず、キリスト者の集いのこと】
それだけたくさんの人が「集い」に参加するとなれば、今までのような一般の住まいでは皆が入りきれません。そこで採用されたのが、立派な、宮廷様式の建物です。これを「バジリカ」といいます。
バジリカ様式の建物の中で「集い」がもたれているようすをちょっと、想像してみてください。
・・・・・・壮麗な建物の向こうでは、いわゆる「司式者」が「祭壇」をはさんで会衆を前にしています。その席は後陣にあって、その建物ではこれまで「裁判官」(!)がましましていたところです。そして、その両側を「長老」たちがずらりと取り囲んでいます。・・・・・・どうでしょう?これまでの「家の教会」に比べると、この「司式者」にそのつもりがなかったとしても、なんだか〃距離感〃をおぼえませんか?
パウロにとって、キリスト者の交わり、一致した集いそのものが「キリストのからだ」でした(Ⅰコリント12章12~31節)。ところが、距離感はやがて一体感を失わせ、「集い」への参加意識は希薄になっていき、ついには人びとを単なる「お客さん」にしてしまいます。
「自分たちが『キリストのからだ』だって? そんな、めっそうもない!」ということになってしまいます。「『キリストのからだ』なら、ほら、あそこにありますよ。あの遠い聖域で司祭が掲げている、ほら、あれ。・・・・・・見えますか?」遠巻きに眺めて崇め奉るものとしての「聖体」理解まで、あとほんの一歩です。
【私たち教会が一つになって典礼を捧げるのだから、主の食卓を「囲んでいる」と体感できなければならない】
『典礼憲章』は、すべて典礼行為は「一致の秘跡」であり「キリストのからだ」である教会全体の(26項)「わざ」(7項)である、とのべています。だからこそ、そこに集まるすべての人に「行動的な参加」(30項)が期待されているのです。
司祭であるキリストと、そのからだであるわたしたち教会がひとつになって典礼をささげている、という実感がもたらされるような聖堂の構造・・・・・・。
遠くから、祭壇をほれぼれしながら「眺める」のではなく、目の前でそれを「囲んでいる」と体感できるような、聖堂の構造・・・・・・。
【聖堂の役割は、十字架のいけにえの再現にあるのではない】
聖堂の役割は、大ざっぱにいって二つあります。
1.キリストご自身が食物(聖体)となってわたしたちにふるまわれる場。
2.キリストの死と復活の神秘(過越秘儀)をともに味わい、感謝をささげる場。
祭壇は「主の食卓」であると同時に、「生きた石」(Ⅰペトロ2・4、エフェソ2・20参照)である主キリストが、私たちとともにいてくださることを示す、目に見えるしるしでもあります。ですからこの祭壇の上に置かれるパンとぶどう酒が、聖堂内のどこからでもよく見えるように配慮することは、とてもたいせつなことだといえるでしょう。
祭壇に続いて、朗読台についても考えてみたいと思います。
教会は朗読台を「神のことばの食卓」と呼んで、たいせつにしてきました(「啓示憲章」21項参照)。ことばの典礼において、会衆はここから神のことば(聖書の朗読、答唱詩編、説教など)を「食物」として「いただく」からです。
また、キリストのからだをひとつの「食卓」(祭壇)からいただくように、神のことばもひとつの「食卓」(朗読台)からいただくようにするのが自然です。旧約聖書や書簡の朗読と、福音朗読とがそれぞれ別の朗読台からなされては不自然でしょう。朗読台はあくまでもひとつでなければなりません。
次は聖堂内の十字架についてです。
ミサがキリストの死と復活の過越秘義を記念するものであるという理解から、聖堂内に固定された十字架へのこだわりは少なくなってきています。
ミサ典礼書の総則(2002年版)によれば、十字架はミサが行われるたびに奉仕者が持ち運び、祭壇の上に置くか、そばに立てることができる、となっています。それは、行列をとおして「受難の主は、常にわたしたちとともに歩んでくださる」ことを思い起こすため、また、ミサ全体の「流れ」のなかで、過越のできごとの頂点が何であるかを体験できるようにするためでしょう。
【御聖体を礼拝の対象にするよりは、教会共同体の一人一人が大切にされるべき】
続いて聖櫃(せいひつ)について考えてみたいと思います。
聖櫃のそもそもの起こりは、主の日の集いに参加できなかった病人のために、後でパンを運ぶことができるようにと貯えておいたことに由来します。その「貯蔵庫」がやがて、食物としてふるまわれるはずのパンを眺めて礼拝するための対象にされてしまいました。それは以前紹介した聖堂の構造上の変化とも関係があるでしょう。
もちろん、聖体を礼拝の対象にするな、といっているわけではありません。しかし典礼の「流れ」のなかでは、聖櫃のなかに「保存」されている聖体と、主の日に食卓(祭壇)を取り囲んで「キリストのからだ」となる共同体と、どちらが重んじられるべきなのでしょうか。祭壇から供されるキリストのからだと血をいただいて「ひとつのからだ、ひとつの心」(第三奉献文より)となった「神秘体」(=教会共同体)の一人ひとりこそ、たがいに大切にされなければなりません。
聖体賛美式の緒言にも、「この秘跡を食物、いやし、助けとして制定されたキリストの意向が不明確になるような仕方や飾りつけなどは避けなければならない」(82項)と、はっきり記されています。
こうして考えてみると、わざわざ別に礼拝所を設けなくても、聖櫃は祭壇から離れたところ、しかもできるだけ正面からずらした、脇の方に設置するのがよさそうです。
【今は、新しい教会へと完全に変わる過渡期にある教会】
最後に、告解場のことについてお話しましょう。
・・・・・・と、書いておきながらこんなことをいうのもなんですが、いまだに「告解場(室)」という表現で「あぁ、あれね」と、話の通じるのが悲しいところでもあります。それは、「ゆるしの秘跡」の意味が今もって浸透していないことを意味しているからです。
多くのばあい、ただ単にこの秘跡の呼び方が「今風」になっただけ、ぐらいにしか考えられていないのではないでしょうか。
罪の告白(告解)は、神から「ゆるし」をいただいたという
よろこびにあずかり、これから回心(悔い改め)して生きるための、あくまでも「第一歩」にすぎません。この秘跡の「流れ」をひとつの場で全体的に
実感しようと思ったら、カーテンで仕切られた暗くて狭い部屋がほんとうにふさわしいものであるかどうか、ということを考えなくてはならないでしょう。暗いところから出てきて、あぁやれやれ、お勤めを果たした、では困ります。
最近では、聖堂内に応接間を連想させるような部屋をもうけて、司祭と向かい合って「ゆるしの秘跡」にあずかれるよう、くふうしている教会もあるようです。ただ、従来のイメージからはずいぶん明るくなりすぎて、「なんや落ち着かへんな・・・・・・」と、違和感をおぼえる方もおられるようですが。
そのためにも、ここはあらためて「ゆるしの秘跡」の意味ややり方など、みんなで再確認しておく必要があるでしょう。世代によって、この秘跡に対する考え方がずいぶんまちまちであったりします。司祭が「悔い改めの祈り」といっても通じないので、「痛悔の祈り」とあわてて言いなおしたり・・・・・・。
教会が現在のような「過渡期」にあるばあいは、跪いてもよし、司祭と向かい合ってもよし、というぐあいに、選択の余地をもうけておくほうがいいかもしれません。外的なことよりもまず、秘跡の意味と内容をよく理解することの方が先決でしょう。
====引用終了====
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