Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスが真に天主だから

2008年10月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 今日、私たちは、リュドバックのパリ外国宣教会本部の殉教者の部屋を訪問しました。天主様に感謝!

 天主教のカトリック教会は、イエズス・キリストが真に・本当の・実在の・現実の天主であるから、私たちが便利であろうとなかろうと、私たちが好きであろうとなかろうと、イエズス・キリストが天主であるという真理の事実を受け入れて信じなければならない、と教えてきました。何故なら私たちは被造物だから、創造主に創られたことを認識して創造主に従う義務があるからです。

 啓蒙主義の民主教は、その反対を教えます。私たちが好きなように、便利なように思い込んで、行動せよ、と。もしも人間にとってそのほうが都合が良いなら、天主を作り出して、あたかも天主が存在していたかのように行動せよと教えます。ほら、ごらん、天主を想定しない世界は上手く機能しない、だから天主が存在していると想定して世界を作るべきだ、イエズス・キリストが天主であるかないかは問題にしない、信仰とは全て政治問題だ、真理の問題ではない、と。

 私たちの祖先キリシタンたちは、イエズス・キリストが真理の天主であるがために信仰し、真理のために殉教していきました。

「それ玉の緒を鳥の毛の軽きに比べ、義を鉄(くろがね)の重きに置くは、これ丈夫(ますらお)の赤心(まごころ)にて、人の尊み敬うところなり。幸に我が国の民草は概ねこの気性に富み、これを日本魂(やまとだましい)と云う。‥」
「致命人の血は信者の種なりと云えり。ゆえに、我ら天主の民たる者は、富士の高嶺に立って叫び、この致命人の名を日本全国に響かせ合わせてその血の種により盛んに信者の芽を出さんことを天主に祈り奉る。アメン」
(『鮮血遺書』の自序より)

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

聖母マリアの汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!

日本の尊き殉教者たちよ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

天主の聖母の約束

2008年10月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 天主の御母聖マリア様は、ルルドで聖ベルナデッタに約束しました。

「私はあなたにこの世での幸せを約束しませんが、来世での幸せを約束します。」

 聖ベルナデッタは、病気、不信、軽蔑、無理解、疲労、無視など、多くの苦しみと悲しみを経験しました。聖ベルナデッタは、全ての苦しみを雄々しく、寛大に、愛を込めて、捧げました。

 ルルドの美しい貴婦人、天主の御母聖マリアは、愛する娘であるベルナデッタに、おもしろおかしく楽しく、苦労も悲しみもない人生を約束しませんでした。この世での成功や名誉、名声を約束しませんでした。

 天主の御母聖マリアは、十字架を、苦しみを、いけにえを約束したのです。何故なら、十字架こそが唯一の希望、天国への道、キリスト教信者の生涯の輝きだからです。

 ルルドの聖母マリアは、人生の中心に十字架の木を植え、十字架の木を立て、私たち自身をイエズス・キリストと共にいけにえとして捧げることを教えてくれているのです。ルルドの聖母マリアは、聖ベルナデッタを通して私たちに、本当のキリスト教精神を教えているのです。

 十字架は、死と苦しみとは、原罪という罪の結果です。罪の罰です。しかしながら、私たちの主イエズス・キリストは、十字架を通して、購いの手段・命への道・本当の幸せへと至る唯一の希望に変え給うたのです。

「私はこの世での幸せは約束しません。しかし、来世での幸せを約束します。」

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

ラ・サレットの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

アルスの聖司祭よ、我らに天国への道を示し給え!

アルスの聖司祭よ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)アルスの御摂理の家にて

美しさの秘密

2008年10月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 聖ベルナデッタは1858年2月11日から計18回、ルルドで、天主の御母聖マリアを見ました。天主の聖母は、極めて美しく、非常に美しく、その美しさは絶世のものでした。

 それは、罪の無い霊魂の美しさ、永遠の天主の愛のうちにある美しさ、永遠の若さの命の美しさでした。天主の御母聖マリアの御顔はその霊魂の美しさを映し出していました。

 聖母マリアの美しさは、罪無き子供の美しさでした。罪によって擦り切れてしまった霊魂が失ってしまった美しさ、この世の快楽を追求して満足しきれない欲望の固まりとなってしまった霊魂たちが、不幸にも、失ってしまった美しさです。罪は、私たちをして老けさせ、老いを増加し、霊魂を麻痺させ、やつれさせるからです。罪の中に生きる霊魂の老け、やつれ果てた顔、ドロンとした目、疲れた虚ろな表情を見てください!!

 天主の御母聖マリアの美しさは、天主に向かっている霊魂の美しさ、天主のためにのみ生きている霊魂の美しさ、曇りの無い愛の美しさ、この世の汚れと欲望を放棄した霊魂の美しさでした。何故なら、天主の聖母は、罪を忌み憎み、この世の罪の償いのために犠牲を捧げたからです。十字架を愛し受け取り、この世の汚れた情欲を踏み砕いたからです。

 天主の聖母の美しさは、キリスト教的生活の素晴らしいお手本、模範、手引きでした。犠牲ない一日は、虚ろな一日。十字架を愛さない一日は、名ばかりのキリスト教信者の一日。苦しみを拒否することは、十字架を拒むことは、命の泉源を拒むこと。十字架こそが私たちの唯一の希望であるからです。

 天主の御母聖マリアの美しさは、私たちに本当の美しさの秘密を教えてくれています。ルルドの聖母マリアは、私たちに、罪を忌み憎み、罪を放棄し、罪を犯さないがゆえに生じる犠牲・十字架・苦しみを捧げることの大切さを私たちに教えてくれています。

 ルルドの聖母マリアは、私たちに、十字架・苦しみを私たちの生活の中心に据えるように、天主の憐れみを受けるために謙遜に十字架を受け取るように、招いてくれています。

 キリスト教的精神の神髄は、天主の権威を受け入れ、十字架の友となること、この世の快楽追求の精神から離脱することにあるからです。

 天主の御母聖マリアの美しさは、天主中心に生きる美しさ、自己中心ではない霊魂の持つ美しさだからです。

 ルルドの聖母マリアは、ヌヴェールで腐敗せずそのまま眠る聖ベルナデッタにこの永遠の若さの美しさの秘密を教えたのです。

 ルルドの美しい女性は、ご自分の名前をこう告げました。

「私は、無原罪の御宿りです」と。



主よ、わが霊魂を癒やし給え、我は御身に罪を犯したり。

主よ、我を憐れみ給え!我は御身に罪を犯したり。

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

聖ベルナデッタ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)ルルドからラ・サレットへ行く途中で

学生服

2008年10月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 韓国のインチョン空港には、日本からの学生たちがいっぱいいました。女学生たちのようなミニスカートを着ている人は、他にはありませんでした。

 何故、高校生の学生服は「だらしがない」のでしょうか? 何故、女子高生は慎みのないミニスカートを履き、綺麗な黒髪を金髪に染めるのでしょうか?何故、女学生たちは、制服のシャツのボタンを全て閉めずに胸をはだけるように挑発的に大胆になるのでしょうか?感受性の高い青春を保護する羞恥心は、経験不足の私たちを守る羞恥心は、何故失われてしまっているかのように見えるのでしょうか?

 天主様を知らないので、日本人の一般的行動規範は「罪と罪の機会とを避ける」のではなく、「みんなと同じようにする、みんなと同じでないと恥ずかしい」からでしょうか?天主様と聖母マリアと諸聖人という友を知らないので、表面的で目に見える付き合いが全てとなっているからでしょうか?

 それが権威に対する反抗のしるしでカッコイいからでしょうか?それが「大人」になったことで、カッコイいからでしょうか?それとも、大人には権威がなくなってしまっているのでしょうか。みんな「平等」だから、と。それとも、親に対する「復讐」なのでしょうか?仕事ばかりしている親への。

 それとも、テレビの真似、人気歌手の真似、雑誌のグラビアの真似で、ただ踊らされているだけ、テレビ・ファッション・芸能・ゲーム業界のいいカモになっているだけなのでしょうか?それとも、私たちの未来である大切な高校生たちに、与えられた模範・倣うべきモデルには、それしか存在しないからなのでしょうか?!?

 大人が面白おかしいこと、お金のことだけに夢中になってしまっているから、目に見えない大切な価値など存在しない、全ては顔が可愛いか、イケメンか、ヤバいか、キャラが明るいか、ネタが面白いか、でそれだけが価値あることであるかのように四六時中テレビで訴えているから、素直にそう信じ込まされているからでしょうか?

 それとも学生たちは、大人世界を数年遅れで映し出している鏡で、私たちの現実を私たちに教えてくれているのでしょうか?大人たちが、以前はそんな衣装をしていたとしたら品格を疑われてしまうような姿で、今では平然と闊歩し、へそを出し、尻を出し、挑発的な服を着ているのだから、学生諸君もして何が悪いのか、ということでしょうか?この数年後には、へそ出しルック、ローライズけつ出しルック、スリット入りスカート、どこかのバーで働いている女性か、と間違うほどの学生服が出てくるのでしょうか??

 全ては「自由」で、放埒に生きることが、法も王もない、自分こそが法であり王だ、自分がやりたいことは全て実現しなければならない、と信じ込まされているからなのでしょうか?

 学生たちは、慎みがないというよりも、可愛いと思って、そんな格好をしているのでしょうか。また、だらしがないというよりも、かっこいいと思ってボサボサの髪をしているのでしょうか。もしも、だらしがないことが、かっこいいこととなり、慎みがないことが可愛いことになり、悪いことが良いことになっているとしたら、これは私たち大人の社会が病んでいるからなのでしょう。

 私たちは、日本の未来の世代のために何が出来るのでしょうか?暗いと不平を言うよりも明かりをつけることはできないのでしょうか?学生服は、今の私たちへ大切なことを教えてくれているのではないでしょうか?

 若い芽は守ってあげなければ、あまりに弱いから簡単に傷ついて育っていかなくなってしまいます。虫に食われてしまいます。

 ルルドの聖母マリアよ、私たち大人の社会の病を癒やし給え。ルルドの聖母マリアよ、治癒の奇跡を私たちに与え給え。

 イエズス・キリストよ、私たちは御身を信じます。御身に希望します。御身を愛します。主の愛し給うものが病んでいます。主は、お望みなら癒やすことができます。

 主よ、私たちが見えるようにしてください。イエズス・キリストよ、ダヴィドの子イエズスよ、私たちを憐れみ給え。

 主よ、特に、罪に傷ついている学生たち、家族、夫婦、大人、私たちを癒やし給え。年端もいかない内から、貞潔を損なうことを習わされる子供たちを守り給え。

 ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

天主の御母聖マリアの汚れ無き御心よ、我らの青少年たちのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)ルルドにて

金曜日の飛行機

2008年10月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか。ただ今、パリのオステリッツに到着しました。金曜日に飛行機に乗るたびに、以前、クチュール神父様とした話を思い出します。

 金曜日に空高いく飛ぶ飛行機の中で、海のお魚の料理を食べる。このお魚を食べることが出来るためにどれほど多くの人々が関わったことか。この飛行機が飛ぶためにどれほど多くの人々が関わったことか。私が今、ここで、こうしているために、時間と空間との巨大な連鎖が背後にある、天主様の私たちへの愛の連鎖が背後にある、と。

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

インチョン空港から

2008年10月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 ただ今から、ルルドへ参ります。日本からは6名の愛する兄弟の皆様が参加しています。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

天主様に感謝!天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

政治家って大変だ

2008年10月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
いかがお過ごしでしょうか?

 北朝鮮では、指導者が熊のスープを食べ、毎日、世界中美食を楽しんでいるのに、韓国人や日本人を拉致しているのに、世界の6か国は、重油を提供しようとしています。

 ウォール街では、デリバティブと言われる派生金融商品で、天文学的数字のギャンブルがなされ、人々はさんざん儲けて、その泡のような欺慢性がばれて信用がなされなくなると、とてつもない公金が注ぎ込まれます。

 政治家で聖人君主であるのが難しいなら、少なくとも良い政策を期待します。韓国の国会議員をたくさん弟子に持つ或る法学校(ロー・スクール)部長のジョン教授が私に教えてくれました。ノムヒョン大統領に失望した、たとえ汚職がなかったとしてもノムヒョン大統領は無能だった、たとえ少しくらい汚職があったとしても有能な大統領の方が国のためだった、と。

 毎日、ホテルのバーで夕食を食べることで、良い政策を作ることができるのなら、最善を求めて次善を失うことがないように、首相には必要なことをしていただきたいと思います。

 選挙、選挙、選挙ばかり考えて、国政が脅かされることのないように、経済、経済、経済、景気、景気、景気ばかり考えて、もっと大切なことがおろそかになってしまわないように。

 天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!
 聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

出来事

2008年10月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様

 いかがお過ごしでしょうか?実は、一昨日、実家の藤枝に帰省しました。今日の早朝にたってソウル経由でルルドに参ります。

 父から話を聞くまで知らなかったことですが、今月の3日未明に藤枝で火事があったそうです。金融危機で騒ぐ世界の動きから見ると小さな事件かもしれません。しかし、私にとっては大きいショックでした。

 何故なら、犠牲者の方々の驚きと突然失ったものことを、想像することができるからです。失ってしまっただろう写真や書類、大切な本やノート、コンピュータのファイルやCD、思い出の品々。何故なら、出火した「材木屋」と私たちがよく呼んでいた製材所は、以前の私の家の二軒隣りで、私の子供のころよく遊んだ懐かしい場所だったからです。

 突然の火にどれほどおどろかれたことでしょうか。

 私の実家は、今から約20年ほど前に引っ越ししてなくなったいたので、駐車場になってお隣さんに売られていたので、燃えませんでした。そして、空き地だったために火は隣りに移らず、そこで止まったそうです。不幸中の幸いは、生命は失われなかったことです。

 昔の家のことは懐かしく、ありありと思い出します。友だちと遊んだ家のことを。もしも、私たちがそのままそこに住んでいたら、今ごろは、私たちの家と全ては、思い出のものも本も写真も一緒に、灰になっており、火は止まることなく、もっと大きい災難となっていたことでしょう。

 突然の火にどれだけ驚かれたでしょうか。

 犠牲者となられたご家族の方々には、心から、悲しみを申し上げます。

 主よ、我らを不慮の死より守り給え。

 ああ、イエズス・キリストよ、我らを地獄の火より守り給え。

 天主の御母聖マリアよ、我らが地獄の火に焼かれぬがために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【ロザリオの十字軍】十月はロザリオの聖月です。レポート

2008年10月23日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 ロザリオの月である十月もあっという間に下旬となってしまいました。

 日本の「ロザリオの十字軍」では、今年の8月から10月まで教皇さまのために霊的花束を呼びかけております。(これは、2006年の8月から10月にかけて、聖ピオ十世会の総会とフェレー司教様の呼びかけに答えて、ロザリオの祈りを教皇様に捧げたように同じことをします。)

 ところで、アジア管区でも、クチュール神父様は、8月15日から12月8日まで教皇さまのために霊的花束を呼びかけております。クチュール神父様のアジア管区の「ロザリオの十字軍」の特徴は、
(1)期間が長いこと、
(2)一日の特定の時間帯にロザリオの祈りをすることを約束すること、です。

 そこで、日本のロザリオの十字軍も、クチュール神父様との相談の結果、アジア管区のロザリオの十字軍に出来るだけ寄り添う形をとることにしました。
(1)日本のロザリオの十字軍も、当初の8月1日から10月31日までの予定を、8月1日から12月8日まで延長します。
(2)もしも、これは義務ではないのですが、時間帯を決めることが出来る方は、決めてその時間帯にロザリオの祈りを捧げて下さい。(その場合には、クチュール神父様に時間帯を報告したいと思いますので、お知らせ下さい。特に決められた時間帯がない場合には、アジア管区のロザリオの十字軍としては「不特定時間帯」として報告します。)


 ロザリオの十字軍による8月から10月まで教皇さまのために霊的花束は、従って、8月1日から12月8日まで延長されました。継続的にお祈りをよろしくお願いします。

 12月8日になりましたら、教皇さまのために霊的花束の終了になりますので、また、一時的(暫定的)にこのブログにコメントの書き込み(承認制)が出来るようにしたいと願っております。特に愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りについてご報告をお聞かせ下されば、他の兄弟姉妹の皆様にも励みになると思いますので、よろしくお願いします。天主に感謝!

 愛する兄弟姉妹の皆様のご支援とお祈り、熱い関心とご協力に心から感謝しております。

 今回は、ロザリオの十字軍に参加された方のレポートを幾つかご紹介致します。

ロザリオの十字軍レポート


■アヴェ・マリア!!♪♪

聖母の御涙をお拭きする為に
*苦しみの玄義の曜日は、お菓子、ジュースを犠牲しています、
*ラーメンやおうどんに、主日だけ、香辛料を思いっ切り振り掛けます♪♪他の日は犠牲します。
これだけなのですが、、、

ロザリオの十字軍レポート


■トマス小野田圭志神父様
十主の平安
アヴェ・マリア!!

犠牲は、調理時に、お湯、油で、熱ッ!とか、指を包丁で、痛ッ!とかを
御捧げしています!

聖母が仰いましたように!止まるところを知らない!なのですねぇ、、
本田神父様、ホアン・マシア神父様、本当に、恐ろしいです、、、
聖母をお慰めします為に、苦しみの玄義の日、お菓子、アイス、ジュースを
犠牲していますのを、今日から毎日1ヶ月間御捧げ致します!

ロザリオの十字軍レポート


■トマス小野田圭志神父様

聖母をお慰めします為にロザリオ1環のノベナを
昨日から始めました。本当に本当に御可哀想です。


ロザリオの祈りについて
レオ13世 回勅「オクトブリ・メンセ」 1891年9月22日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日
レオ13世 回勅『マニェ・デイ・マートリス』1892年9月7日

レオ13世 回勅『マニェ・デイ・マートリス』1892年9月7日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥ』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 使徒書簡『サルターリス・イッレ』1883年12月24日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日

レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
ピオ11世 書簡『インクリタム・アク・ペリルストレム』1934年3月6日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日

レオ13世 回勅『アウグスティッシメ』1897年9月12日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日

レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
ピオ12世 回勅『イングルエンティウム・マロールム』1951年9月15日

レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日

レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日
レオ13世 使徒憲章『ウビ・プリームム』1898年10月2日
レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日
レオ13世 使徒書簡『パルタ・フマノ・ジェネリ』1901年9月8日
レオ13世 書簡『ヴィ・エ・ベン・ノート』1887年9月30日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥス』1883年9月1日
レオ13世 回勅『フィデンテム・ピウムクェ』1896年9月20日
ピオ12世 回勅『イングルエンティウム・マロールム』1951年9月15日

レオ13世 回勅『オクトブリ・メンセ』1891年9月22日
ピオ11世 回勅「イングラヴェシェンティブス・マリス」1937年9月29日
ベネディクト15世 回勅「ファウスト・アッペテンテ・ディエ」
1921年6月29日
レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラトゥス』1883年9月1日
ピオ12世 回勅『イングルエンチウム・マロールム』1951年9月15日
ピオ12世 回勅『アド・チェリ・レジナム』1954年10月11日


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曙は太陽の先触れである

2008年10月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 聖グリニョン・ド・モンフォールは『聖母マリアへのまことの信心』のなかでこう言います。

「曙は太陽の先触れである。正義の太陽イエズス・キリストの御国の到来の前に、必ず曙の光なる聖母マリアの時代が来るであろう。」

 願わくは、曙町・児童会館のミサ聖祭が、聖伝のミサ聖祭復活の先触れとなりますように!

 そこで、多利田久美さんの句集『薔薇の曙』から二句引用します。ラテン語のミサ聖祭とアヴェ・マリアの祈りに、聖母マリア信心に、国の違いを超えた天主様への愛と信仰の美しさがあります。

愛に国境(くにざかひ)なしと知るアヴェ・マリア

聖母仰ぐ友美しき額持つ


 明けの星なる聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

 天主に感謝。愛する兄弟の皆様、感謝します。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック新聞を見て嬉しかった

2008年10月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、今日、聖伝のミサ聖祭のあとで、10月5日号のカトリック新聞を見せていただきました。

 麻生首相がカトリック首相としてカラー写真で紹介されておりました。大変嬉しく思いました。首相が、任期を満了するまで、是非是非、天主様の御助けと祝福とをもって務められますように!

 昨日の朝日新聞の夕刊によると、2007年度の国内テロ(人口妊娠中絶)は、256672件だったそうです。過去最低の数であるとのことです。

 過去の罪はどうであれ、是非、この日本国内のテロが1日もはやくなくなりますように。是非、私たちのカトリック首相である麻生首相におかれては、天主様の助けで、日本において大切な人間の命である胎児を大切にして、人口的に妊娠中絶することを妨げる法律を作り、日本人が日本人を大切にするような日本になることができるように、助けていただきたいと願っております。愛する兄弟の皆様のお祈りを御願いいたします。天主に感謝。

天主様の祝福が愛する兄弟の皆様の上に豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

2008年10月18日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

■ 聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

 愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに歓迎します! 

何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。

何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

何故なら、新しいミサはエキュメニズムのために作られたからです。

<2008年10月の予定>



10月19日(主)の聖伝のミサは、二階であります。
お間違えのないようにお願いします。

午後4時のグレゴリオ聖歌による「主日の第二晩課」は
今回はおやすみします。ご了承下さい。


 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。
それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

ファチマの聖母マリア:聖母の汚れ無き御心


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【関連記事】
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 今日経験している教会の危機は典礼崩壊が原因であると、私は確信する。(ベネディクト十六世)

フェレー司教様:カストゥリヨン・オヨス枢機卿の最後通牒について(その7)

2008年10月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
Sermon de Mgr Bernard Fellay, lors de la procession du vœu de Louis XIII, à Saint-Malo, le 15 août 2008.

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 まだ翻訳が終わりまでいっていなかったのですが、2008年8月15日、サン・マロ(フランス)におけるフランス王ルイ13世の宣誓の聖母行列における、フェレー司教様の説教 の抜粋の続きをご紹介します。(もしも天主様がその時間を与えて下されば、前半部分の翻訳もしたいと思っております。)

 フランス語の原文は次をご覧下さい。(From DICI: Sermon de Mgr Bernard Fellay, lors de la procession du vœu de Louis XIII, à Saint-Malo, le 15 août 2008.)

 天主様のおかげで今日も記事を投稿することが出来ます。天主に感謝!
 愛する兄弟姉妹の皆様、いつも拙ブログをご愛読して下さり感謝しております。

===


「実りは良い、従って、聖霊が働いている!」

 ですから、それに必要な時間、私たちは続けなければなりません。この初夏の出来事は、私たちの敵がそれを望んでいるように、離教であるという宣言という終結に本当に向かってしまうのでしょうか? 私はそうなるとは思いません。しかし私には何も分かりません。

 ところでたとえそうなってしまったとしても、一体何が変わるというのでしょうか? いずれにせよ、世界中の司教たちは、私たちがあたかも離教徒であるかのように、この地上に存在しうる最悪の存在であるかのように私たちを取り扱っています。

 司教たちは自分の教区の教会の中に誰でも区別なく受け入れています。司教たちは誰とでも構わず(エキュメニカルな)祈りの儀式を執り行っています。しかし私たちに対しては、あたかもペストであるかのように取り扱います。これをしっかりと見つめなければなりません。

 司教たちはローマで「私たちは離教徒ではない」と言い、同時に私たちを全人類の災害であるかのように取り扱っています。これは必要な時間、このまま続くでしょう。

 私の愛する兄弟姉妹の皆様、私たちは毎日、聖寵の慰めを受けています。私たちは、霊魂の内部において、私たちの子供達の霊魂において、天主様の働きを見ています。私たちは、これが聖寵の実りであることを見ています。ローマもこれを認めています。この同じカストゥリヨン・オヨス枢機卿様は、聖ピオ十世会について私にこう語ってくれました。「実りは良い、従って、聖霊が働いている!」

 それなら、枢機卿はその結論を出さなければなりません。私たちは彼らに代わって結論を出してあげることは出来ません。私たちはこの賛美を私たちのために自分が敢えて分別するつもりはありません。確かに私たちも実りが良いと言うことは目にすることは出来てはいますが。


 私たちは、ですから、聖母マリアに寄り頼みます。今日の典礼のアンティフォーナの一つにおいて私たちは聖母マリアを全ての異端を踏み砕く方として挨拶しました。典礼ではこうあります。「御身は幸せな方、御身は全ての異端を踏み砕き給うた」と。

 聖母マリアにおいては、一面では極めて甘美であられると同時に、恐るべき側面をもお持ちです。それは聖母マリアの愛徳から由来する性質です。もしも人が天主様をお愛し申し上げるなら、もしも人が善を愛するのなら、その愛の程度に従って天主に反するものを憎まなければなりません。人は罪を憎まなければなりません。私たちはここに私たち自身のための、私たちの霊的状態の一種の体温計のようなものを持っています。私たちは一体どの程度まで罪を憎んでいるのでしょうか?まず、私たち自身の罪から始まって。何故なら私たちが天主様をお愛しすればするほど罪を憎むことになるからです。正比例するからです。

 聖母マリアにこの比率を高めて下さるようにお願いしましょう。この愛と天主様、天主様の統治、霊魂の救いに反対する全てのことに対する嫌悪の比率を。天主の童貞母にこの特別の保護を願い求めましょう。天主の御母聖マリアに対する特別の信心によってこの保護を勝ち取りましょう。

 聖母の汚れ無き御心との親しさにおいてますます成長するように努力しましょう。願わくは、天主の童貞母が、本当に毎日、ただ単に口先でのアヴェ・マリアの祈りの時やマリア様の御像の前を通り過ぎるときだけではなく、常に私たちの母たり給いますように。

 願わくは、聖母マリア様が私たちの本当の母でありますように! ルイ十三世の願いに従って私たちが更新しようとするこの奉献は、私たちの生活においてその意味を持たなければなりません。願わくはこの奉献の祈りが単なる口先だけの音ではありませんように!

 願わくはこの聖母マリア様に対する捧げが、現実のものとなりますように、本当の奉献、本当の贈り物となりますように。願わくは私たちが聖母マリアの子供として生きるように。そのときこそ、私たちは私たちの救いを確実なものとすることが出来るでしょう。そしてこの奉献を真に生きるということ自体により、時と空間を経て、未来の幾世代に教会の信仰の聖伝の持続を確実なものとさせることが出来るでしょう。アメン!

翻訳:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.
【これでフェレー司教様の御説教は終わりです。御判読ありがとうございます。コンピューター・スクリーンの見過ぎに気を付けて下さいね。目をお大切に。天主様の祝福が豊かにありますように!】


« Les fruits sont bons, donc il y a le Saint Esprit ! »
Il faut donc continuer, le temps qu’il faudra ! Est-ce que cette affaire du début de l’été va vraiment finir en déclaration de schisme, comme certains de nos ennemis le voudraient ? J’en doute, mais je n’en sais rien. Et puis qu’est-ce que cela changerait ? De toute façon, les évêques nous traitent en schismatiques, comme les pires êtres qui puissent exister sur terre. Dans leurs églises ils reçoivent tout le monde, ils font des cérémonies de prières avec tout le monde, mais avec nous c’est comme si nous étions la peste. Il faut voir cela ! En même temps qu’ils disent à Rome que nous ne sommes pas schismatiques, on nous traite comme les fléaux de l’humanité. Cela durera le temps que cela durera, mes bien chers frères. Nous avons chaque jour la consolation de la grâce, nous voyons bien le Bon Dieu à l’œuvre dans nos âmes, dans les âmes de nos enfants. Nous voyons bien que ce sont des fruits de la grâce, et Rome aussi le reconnaît. Ce même cardinal Castrillon parlant de la Fraternité me disait : « Les fruits sont bons, donc il y a le Saint Esprit ». Eh bien ! qu’il en tire les conséquences. Nous ne pouvons pas les tirer pour eux. Nous n’oserions pas nous-mêmes nous décerner ces louanges, bien que nous puissions constater aussi que les fruits sont bons.

Nous recourrons donc à la Très Sainte Vierge. Aujourd’hui dans l’une des antiennes, on la salue comme celle qui écrase toutes les hérésies. On la célèbre : « Bienheureuse êtes-vous, vous qui avez écrasé toutes les hérésies ». Il y a chez Marie, si douce d’un côté, un aspect terrible. Et cela vient de son amour. Si on aime Dieu, si on aime le bien, en même proportion on doit haïr ce qui est contre Dieu. On doit haïr le péché. Nous avons là une sorte de thermomètre pour nous même, de notre état spirituel : jusqu’à quel point haïssons-nous le péché, à commencer par nos propres péchés ? Parce que c’est dans la même proportion que nous aimons le Bon Dieu. Demandons à la Sainte Vierge d’augmenter cette proportion, cette proportion d’amour et d’aversion contre tout ce qui s’oppose à Dieu, à son règne, au salut des âmes. Demandons à Notre Dame cette protection particulière, gagnons-la cette protection par une dévotion spéciale. Essayons de grandir dans l’intimité avec le Cœur Immaculé de Marie. Que Notre Dame soit vraiment notre mère tous les jours, pas seulement le temps d’un Ave ou lors d’un passage devant sa statue. Qu’elle soit vraiment notre mère ! Cette consécration que nous allons renouveler selon le vœu de Louis XIII, doit avoir des conséquences dans notre vie. Que ce ne soient pas de simples mots. Que ce don à la Sainte Vierge soit réel, qu’il soit un don vrai. Que nous vivions ensuite vraiment comme ses enfants. Alors oui, nous assurerons notre salut et par là même la continuation de la Tradition de la foi de l’Eglise, à travers l’espace et le temps, pour les générations futures. Ainsi soit-il !

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【関連記事】


【天主様の御業】フィリピンの海岸で見つけた椰子の木のお花を紹介します

2008年10月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

[椰子の木] ブログ村キーワード

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主様の御業、自然のすごさには目を見張るものがあります。
 しばらく前に、フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に黙想会に行きました。今日は、その時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します。(バサンバサというのはフィリピンの言葉で「びしょびしょに濡れる」という意味です。Basa というのは「濡れる」という意味の言葉です。)

 朝になると、いろいろな虫たちがやって来て、この椰子のお花にたかって足にお団子のようなものをくっつけて作ります。おそらく花粉を集めているようです。

 椰子のお花は朝になると咲いて夕になるとそのまましぼんでしまいます。翌朝は別の玉のような蕾のようなものが開いて花が咲きます。

 これが大きくなるとココナツになるのです。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
ここはパナイ島のイロイロのバサンバサ・ビーチ(Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines)です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
水は透き通ってとても奇麗です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
バサンバサ・ビーチ

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
海岸には椰子の木がたくさん生えています。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
ココナツの実を付けた椰子の木です。一体椰子の木はどんなお花を咲かせるのでしょうか?

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
椰子の木のお花です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
お花です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
椰子の木の花です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
朝になると咲いて、枯れてしまいます。一日だけのお花です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
お花です。

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します
お花に虫が飛んでいるのが見えますか?

フィリピンのバサンバサ・ビーチ (Basangbasa Beach, Iloilo, Phillippines) という海岸に行った時に見つけた椰子の木のお花をご紹介します


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【関連記事】

京都のキリシタンの史跡:妙心寺(臨済宗)の春光院に保存されている、南蛮寺の鐘

2008年10月14日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 十月六日は、今年の十一月に列福される京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日(1619年10月6日)でした。今年列福される日本の殉教者たちを記念して、京都のキリシタンの史跡をご紹介します。

 「京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)」のエントリーで、姥柳町(うばやなぎちょう)の南蛮寺の跡をご紹介しましたが、この教会は1576年8月15日(天正4年7月21日)の天主の童貞母の被昇天の大祝日であると同時に聖フランシスコ・ザベリオの来日の記念日に、「被昇天の聖母教会」として献堂式が行われました。

 「織田信長の足跡を訪ねて」にも南蛮寺跡や本能寺跡の写真が幾つかあります。

 三階建ての美しい教会でしたが、豊臣秀吉が打ち壊してしまいました。もうその姿を見ることは出来ませんが、狩野派の狩野元秀(狩野永徳の弟)が扇面に南蛮寺を描いており、その実物が今でも神戸市立博物館に残っています


南蛮寺(中京区蛸薬師通り西入る姥柳町)


 「被昇天の聖母」天主堂(南蛮寺)にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されていますので、妙心寺・春光院のイエズス会の鐘をもう一度ご紹介します。

【1281年6月23日から始まった蒙古軍の襲来により、上陸しようと黒々と埋められていた博多湾の15万人の蒙古軍勢を載せた艦隊は、聖母被昇天の大祝日の8月15日から2日間博多湾を襲った台風「神風」によって、全滅してしまったことがありました。
 聖フランシスコ・ザベリオが鹿児島に到着したのは、1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日でした。
 最初の都の「南蛮寺」は、1576年の8月15日に完成・献堂式。】


イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
京都の右京区の花園に妙心寺(臨済宗)という寺があります。この敷地は3万坪で、その中の一つのお寺が春光院と言います。

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
春光院の入り口(クチュール神父様が説明を読んでいる)

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
この春光院に、イエズス会の南蛮寺の鐘がある。


 右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれている。


右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれ

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
説明を受けた後でお茶とお菓子を戴く。


イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
ふすまの取っ手には十字架の印がある。

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
ふすまの取っ手

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
和尚さんの奥さんがお茶とお菓子を出して下さる。

イエズス会の建てた南蛮寺にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されている
お茶菓子とお茶


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【推薦サイト:関連サイト:参考資料】
十月六日は、京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日
京都のキリシタンの史跡:六条河原の元和の殉教碑、廬山寺
京都のキリシタンの史跡:二十六聖人発祥の地、フランシスコの家(キリスト教文化資料館)
京都のキリシタンの史跡:曲直瀬道三(まなせどうざん)の墓がある十念寺
京都のキリシタンの史跡:キリシタン大友宗麟の瑞峯院の閑眠庭(大徳寺)、金毛閣(大徳寺)、北野天満宮のキリシタン灯籠
京都のキリシタンの史跡:慶長天主堂跡地 (上京教会跡地)
京都のキリシタンの史跡:司教座聖堂カトリック河原町教会と都の聖母
京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)

被昇天のしるしのもとで. 日本におけるカトリックの歴史
聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第385号)
聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第387号)
SSPX ASIA Newsletter May-Sep 2007
京のキリシタン史跡を巡る―もう一つの京都 風は都からBy 杉野 榮 著/ 嶋崎賢児 写真


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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