アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2013年10月の日本のミッションは、クチュール神父様がなさってくださいました。以下にあるようなご報告をいただきましたのでご紹介いたします。
10月15日には、フィリピンのセブやボホルで大きな地震がありました。私たちの信徒たちも被害を受けたようです。(カチョ神父様のご実家も被害を受けたとのことです。しかし、道路が壊れているのでヘリコプターなどでしか物資を輸送することができないとのことです。)今朝、マニラからタグビラランの空港に援助物資を送ります。
ティシエ・ド・マルレ司教様は、10月13日には、韓国のソウルで22名に、15日にはイロイロで、16日にはセブで堅振の秘蹟を授けました。今日17日にはカガヤン・デ・オロで、明後日19日にはダヴァオで、20日の主日にはマニラで、最後に22日にはレイテで、堅振式を行う予定です。マニラでは47名が堅振を受ける予定です。
ところで来月の日本のミッションですが、マニラにどうしても月曜日の午後までに戻らなければならないために、残念ながら、恒例の月曜日の朝のミサをお休みさせていただかなければならなくなってしまいました。どうぞご了承ください。
ソウルでのミッションのご報告も後ほど改めてさせてください。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
聖母マリアよ、祈り給え
アヴェ・マリア愛する兄弟姉妹の皆様、ローズ・フーさんは、先ほど天主様に霊魂を返したとのことです。永遠の安らぎを彼女の霊魂に与えたまえ。今日は、大阪でミサ聖祭がありまし...
==大阪==
11日(金)は、13名の方が、
12日(土)のローズフーさんの一周忌の死者ミサには、15名の方が与るお恵みを頂きました! デオグラチアス!
土曜日には、名古屋から洗礼志願者の方が来られていました。御ミサの後には、公教要理ではロザリオの月に、ちなんで、ロザリオの起源となぜ教皇様のためにたくさん祈らなければならないことをお話して頂きました!
ご多忙のアジア管区長クチュール神父様のミッションに心から感謝するとともに天主様がたくさんのお恵みを神父様にお与えくださいますように!
==大阪==
クチュール神父様は12日、ローズ・フーさんのレクイエム・ミサをお捧げになりました。1年たつのですね。聖伝のレクイエム・ミサは、皆さん初めてだったと思います。もちろん、私もそうです。
それでは、来月お会いできるのを楽しみにしております。
==東京==
クチュール神父は今日のミサ中の「聖なるロザリオの力と重要性について」と
題したお説教で、まずロザリオの起源と聖母の聖ドミニコに対するお言葉の意
義を詳しく説明してくださいました。またその後の歴史の中でのロザリオの勝
利、そしてファティマの子供達が『また教皇のため』と祈っていた背景につい
ても教えていただきました。その後、現在の教皇のお考えが近代主義に冒され
ていること、しかし私たちは教皇を助けるため、教皇のために毎日ロザリオを
唱えなくてはならない、というお話しをしてくださいました。
昼食後の霊的講話は聖母の御出現の歴史、聖母が常に聖職者を通して信者にお
恵みをわたされること、ファティマの第3の秘密には聖職者の危機に関する記
述が含まれること、そして聖ピオ十世会が聖職者の養成を通じて聖母、教会の
計画の中に入っていること、などをお話しいただきました。その後、晩課を歌
って終了しました。
ミサの参列者数
男: 14人(内、子供0人)
女: 15人(内、子供1人)
計: 29人(内、子供1人)
霊的講話の参列者数
男: 4人
女: 3人
計: 7人
晩課の参加者数
男: 3人
女: 3人
計: 6人
クチュール神父様による、10月13日の東京での説教
Sermon for October 2013 (2013年10月説教)
聖なるロザリオの力と重要性について
親愛なる兄弟のみなさん
今月は、聖なるロザリオの月、聖なるロザリオによる聖母の大勝利の月という大事な月です。ルシア修道女によれば、聖母が聖なるロザリオに更なる力をお与えになったのは、私たちがこれから生きてゆく困難な時代のためということでしたが、その時代こそ今、教会内でのこの恐ろしい危機の時代です。
聖伝のミサに毎週、あるいは月に1・2度でも参列できるのは大きなお恵みです。しかし、その他の日には、みなさんは毎日のロザリオを忠実に唱えていらっしゃるでしょうか?天国に行くためには、聖伝のミサに与るだけでは足りません。みなさんも天主のお恵みを求めるという自分の役割を毎日果たさなくてはなりません。その役割とは基本的には祈り、とりわけ聖なるロザリオの祈りです。「祈る者は救われ、祈らない者は罰を受ける」と聖アルフォンソは言っています。
特にこの十月の間、みなさんが毎日のロザリオを忠実に唱えられることを奨励するため、
まず、聖なるロザリオの起源と歴史について、
次いで第二の点として、なぜ聖なるロザリオが現代においても大変重要であるかについてお話ししたいと思います。
第一点:ロザリオの起源
それは1214年のことでした。聖ドミニコは後にドミニコ会と称される説教者修道会を既に創立していましたが、すぐに、とりわけ聖ドミニコのいたフランス南部で広がっていたアルビジョア派の異端に直面することとなりました。聖ドミニコはこの異端者達と戦う術(すべ)を知るため、真剣に祈り、厳しい苦行を長期間行なっていたところ、聖母が聖ドミニコの前に御出現になりました。聖母は聖ドミニコにこうおっしゃいました。
「ドミニコよ、この世界を改革するために至聖なる三位一体が望まれる武器を知っていますか?」
聖ドミニコは答えました。「我が聖母よ、御身は私よりずっと良くご存知です。それは御身の御子イエズス・キリストに次いで、御身こそがいつも救霊の道具であったからです。」
聖母は続けておっしゃいました。「あなたに知っておいていただきたいのは、この種の戦争における『破城槌(はじょうづち)』はいつも、新約の礎石である天使の詩篇だということです。ですから、このような心の固い霊魂達に訴え、彼らを天主に改心させるためには、私の詩篇を教えなさい!」
ここで聖母のお言葉を説明しなくてはなりません。
まず、聖母は聖ドミニコが異端派に対して行なっている戦いを『ある種の戦争』と呼ばれます。実際、真理と誤謬、善徳と悪徳の間には、いつも恐ろしい戦いがあります。アルビジョア派はとりわけ婚姻を破壊し、人々が罪のうちに生きることを奨励しており、この異端に惑わされた霊魂達を救うためには、真剣な戦い、本当の戦争が必要でした。
次いで、聖母は『破城槌』のことをお話しになりますが、これもまた非常に象徴的なものです。破城槌というのは、大きな門をこじ開けるためや壁に穴を開けるため、多くの人手で使う、あるいは機械的な仕掛けで動かす大型の木片、ときには一本の木そのもの、のことです。これは開けようとする門や壁を繰り返し叩くことによってのみ効果があります。聖母はロザリオを破城槌に例えられます。何度も何度もめでたしを唱えることによって、悪魔の力を打ち倒し、弱めるのです。また、溢れる恵みの門を開くために天主の聖心をたたくのであるということもできるでしょう。「叩け、そうすれば開かれる」とイエズスはおっしゃいました。
第三に、聖母はロザリオを『天使の詩篇』と呼ばれます。みなさんはダヴィド王がその大部分を書いた旧約聖書の詩篇をご存知でしょう。詩篇は150篇あり、修道士はこれを毎週唱えてきましたし、実際現在でも毎週唱えています。そこで詩篇という言葉は150を意味しています。修道院の修道士の中で読み書きができない者は150の詩篇の代わりに、150の主祷文と天使祝詞とを唱えていました。めでたしの祈りは天使祝詞と呼ばれています。そこで、聖母が『天使の詩篇』や『私の詩編』という言葉をお使いになるとき、それはロザリオ全体の150のめでたしの祈りのことをおっしゃっているのです。
最後に、聖母は天使の詩篇は『新約の礎石である』とおっしゃいます。贖罪のための御托身は受胎告知によって開始され、その受胎告知は『めでたし』によって始まったのです。聖母が大天使ガブリエルの言葉に対して「私は主のはしためです」という言葉でお受け入れになったのは、天主の御言葉の御托身への承諾、天主の母となり私たちの母となることへの承諾、そしてまた蛇との間に敵意を置かれ、蛇の頭を踏みくだく女となることへの承諾でありました。
聖母が聖ドミニコにおっしゃった言葉をもう一度みてみましょう。
「あなたに知っておいていただきたいのは、この種の戦争における『破城槌(はじょうづち)』はいつも、新約の礎石である天使の詩篇だということです。ですから、このような心の固い霊魂達に訴え、彼らを天主に改心させるためには、私の詩篇を教えなさい!」
聖ドミニコはこれに従ったのです。そして何千人もの異端者が改心しました。
数百年後、フランス王ルイ13世はプロテスタントとの戦いにおいて同じ言葉に従いました。勝利への感謝として、勝利の聖母の教会という有名な教会をパリに建てました。勝利の聖母の祝日は10月7日です!
更に後、最初のドミニコ会出身の教皇聖ピオ5世は、ヨーロッパの侵略を目前にしていたイスラム教トルコに対する聖戦においてロザリオを用いました。そしてロザリオは再び勝利しました。その日は1571年の10月7日でした。
その後もロザリオの勝利は数多く、今日まで続いています。
したがって、聖母がファティマにおいて、共産主義という病に対してロザリオを唱えることを勧められたことはなんら驚きではありません。アルビジョア派に対しても、プロテスタントに対しても、イスラム教徒に対しても、共産主義者に対しても、『この種の戦争』においては、いつも私たちの『破城槌』、すなわちロザリオを使わなくてはなりません。私たちには聖母の御約束があり、歴史がそれを証明しているのです。
第二の点である現代のお話しをする前に、ファティマの歴史の中でひとつ指摘したいことがあります。汚れなき御心の勝利を得るかそれが遅れてしまうかについて教皇達が非常に大事な役割を持つことになる、ということをファティマの子供達は理解していました。子供達は、これについて大変悲劇的なことが起こると感じ、自分達の犠牲を捧げる際いつも『罪人の改心のため、また教皇のため』という言葉を付け加えていました。
ロシアを汚れなき御心に奉献するという聖母の依頼を7人の教皇が拒否するということを子供達はわかっていたのでしょうか?また結果としてロシアがその誤りを広め、何億人もの死を招くということを?ファティマの第3の秘密を読んだチアッピ枢機卿が言ったように、「離教は教会の頂点から始まる」ということをこの子供達もわかっていたのでしょうか?これによってファティマの子供達の言葉や態度の説明がつき、1944年1月ルシア修道女が第3の秘密を書き記す際に身体麻痺のような状態になったのも説明がつきます。
第2点:現代におけるロザリオの必要性
『また、教皇のために!』
その通り、親愛なる兄弟のみなさん、教皇のためにロザリオを、たくさんのロザリオを唱えることが必要です。教会の状況は悪化しており、今の教皇はベネディクト教皇のように第2バチカン公会議の教父ではありませんでしたが、第2バチカン公会議の子であり、公会議の原則が物事をどれだけ変えてしまっているかを示していますが、これは非常に憂慮すべきことです。
教皇の行動の多くは、悲しいことに、大変悲しいことに、この教皇が近代主義に冒されていることを示しています。例えば、教皇の最初の信仰に関する回勅、『Lumen Fidei(信仰の光)』では、教皇は信仰と愛とを混同しています。信仰と愛は異なった二つの対神徳です。信仰は知性のうちにあり、その対象は天主によって啓示され、教会によって示される真理であり、これに対して、愛は意志のうちにあり、その対象は至高な善としての天主です。ところが、教皇は回勅――以前これは司教たちのためのものであったのですが、今やむしろ一般世界のためのもののようですが――のなかで、「信仰は、愛に繋がる範囲で、愛自体が光を運ぶ範囲で知ることができる。」と述べています。この回勅を読むと、信仰は愛に基づいた宗教的感情に過ぎないとされているのがわかります。実は、これこそが聖ピオ十世が近代主義と呼んだものです。
次に、教皇は公会議の二人の教皇であるヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世とを列聖すると発表しました。ヨハネ23世については、人が天国にいることの徴しである奇蹟をも求めないこととしてしまいました。ヨハネ・パウロ2世については、Angelus Pressから出版されている『Doubts on a Beatification(列福への疑問)』という本をお読みになることをお勧めします。ヨハネ・パウロ2世は信仰・希望・愛の3つの徳に関して異なった理解をしています。このような列聖――もし天主がそれをゆるされるのなら――は教会の四つの印の一つである聖性という考え自体を変えてしまいます。このような列聖の真の目的は第2バチカン公会議と教会を破壊している公会議の誤謬を列聖することにあります。
フランシスコ教皇が行なった全てのこと、例えば昨年8月ブラジルで行なわれた恐ろしく、恥ずべき世界青年の日の行事や、第2バチカン公会議は変更不可能であると述べた最近のイエズス会との長いインタビューなどについて詳しくお話しすることはできません。ここでは、より最近、10月2日に、無神論者を自認する編集者が発行するイタリアの新聞『Reppublica』に掲載されたインタビューについてお話ししたいと思います。
この新聞の編集者エウジェニオ・スカルファリに対して教皇が最初に言った言葉のひとつは、「改宗は大げさで馬鹿げたことだ。改宗に意味はない。」というものです。この言葉の意味するところは、私たちは人々を改宗させようとすべきではない、ということです。これは私たちが聖書で読んでいることとは違っています。「あなたたちは、行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ!」
この新聞の編集者であるスカルファリ氏は、何が善であるかについて唯一の見方が存在するか、またそうであるとすると、誰がこれを決められるのか、と教皇に尋ねました。
教皇はこう答えました。「すべての人は何が善であるか、また何が悪であるかについて自分自身の見方を持っている。私たちの役目は、全ての人が、自分が考える善によって示される道に従うことを勧めることにある。」また教皇は更に次のように述べました。「わたしはこれを繰り返して言いたい。全ての人は善を悪とについて自分自身の考えをもっており、各人は自分自身の考えに基づいて善に従い、悪と戦うことを選ばなくてはならない。よりよい世界に住むためにはこれで十分だろう。」
このような世界はひどいものです。十戒も、十戒の保護者であり唯一の解釈者である教会の役割もなくなってしまっています。
なぜ、ファティマの子供達が『教皇のために』あれほど祈り、苦しんだのか、また聖母がなぜ「毎日ロザリオを唱えなさい!」とおっしゃったのかが、私たちには理解できます。
最後に、現代の出来事を見るにあたって大変重要な知恵の言葉を『キリストに倣いて』から引用したいと思います。
『もしもあなたが他の人の罪を目の当たりにしたり、他の人が重大な罪をおかすのを見たとしても、 自分はその人よりも良い人間だと考えてはいけません。というのは、あなたがいい状態にいつまでいることができるのか、 あなたは知らないからです。人はみな、弱くもろいものです。しかし、あなた自身が一番弱くてもろいものだと認めなさい。』(第1章、第2節)
親愛なる兄弟のみなさん、聖母が私たちに勧めてくださったように毎日ロザリオを唱え、教皇のためにお祈りください。皆さんお分かりのように、教皇の考えは近代的な誤謬に満ちています。教皇のためにロザリオをお唱えください。私たちが教皇を助けるには、これが最良の方法です。罪を避けてください。度々告解に行ってください。ご自分の身分に応じた義務を果たしてください。
ロザリオの聖母、我らと「教皇のために」祈りたまえ!
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