Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

今日は御聖体の祝日の荘厳祭を祝いました!

2024年06月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は御聖体の祝日の荘厳祭を祝いました。大宮と大阪と札幌では聖伝のミサが捧げられました。

大宮では、聖体行列の間だけ雨がピタリと止み、典礼に従ってとても荘厳に聖体行列を行うことができました。私たちの主イエズス・キリストが私たちの聖堂の周りを祝福して、超自然の恵みという雨を多く降らしてくださったことを確信しております。

聖体行列を含めて御聖体の祝日の荘厳祭を準備し、うまくいくように協力してくださった全ての方々に心から感謝します。特に侍者の方々、聖歌隊の方々、香部屋係の方、カテキスタの方々、YouTubeライブのためにプロのような撮影を行って下さる方々、交通整理を行ってくださった警察官の方々にお礼申し上げます。

聖ピオ十世会日本のYouTubeチャンネル「SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本」は、さまざまの方々のご協力を得て画質や音声がますます良いものとなっています。愛する兄弟姉妹の皆様も是非とも登録をなさって見過ごしのないようになさってください。
https://www.youtube.com/@sspxjapan3916

来年の大宮での御聖体の荘厳祭には、パリのサン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会のような聖体行列になると良いなと夢みています。

次の金曜日はイエズスの至聖なる聖心の祝日です。大宮の聖堂では午後6時から聖伝のミサが捧げられ、ミサの直後に聖体降福式もあります。愛する兄弟姉妹の皆様をお招きいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2024年2月12日 ファイファー神父様のお言葉:ドモルネ神父様のための謝恩会にて

2024年04月23日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

2024年2月12日 ドモルネ神父様のための謝恩会でのファイファー神父様のお言葉

今回、アジア管区長の命令で私は日本に聖母の騎士のミッションのために来ましたが、明日、同じ命令で韓国に行きます。日本には今回初めて来ました。韓国にも初めて行きます。
私は、今、フィリピンのダヴァオというところで働いています。その前はインドで働いていました。その前はアメリカで働いていました。

とにかく司祭は行って、また出かけなくてはなりません。しかし、新しいところに来るときには、いつも楽しいことがあります。なぜかというと、新しい人と出会ったり、新しいことを学んだり、これから何が起こるかということで、興味がたくさんあるからです。特にエチエンヌ神父様のように頭のよい素敵な方であれば、そうに違いありません。

わたしたちは、天主様への愛のために一生懸命働いて、私たちに任された人々を愛し、そして愛するので、自然と、自然の法則に従ってその人々を愛して愛されて、そして愛着がわいてしまいます。
それでも司祭は、来て、また行かなければなりません。なぜかというと、私たちがここに来るのは、誰かによって任命を受けたからです。“日本に行きたいんだ~”と言って来るのはボランティアで、そうでない限り任命を受けてきます。誰かに任命をされて、ある時“さあ出発の時が来た”という日が来ます。

司祭は、従順によって、それに従います。神父様は、日本を去って、そして新しくマニラに行かなければなりません。マニラは、日本とは本当に違うところです。

私は、フィリピンにもう何年もいて、フィリピンのことを愛しています。フィリピンが大好きですが、日本には初めて来ました。日本については映画でしか見たことしかありませんでした。

日本は、神父様にとってとてもぴったりしたところだと思います。なぜかというと、日本の人々は非常に知的で神父様に似て、そしてすべてが神父様のように整理整頓されていて、とても清潔なことが好きなところなので、まさに神父様にぴったりです。ですから、そのようなところで子供たちは、知的に学びすべてを整理整頓してそれをきれいにするのを学ばなければなりません。わたしは日本に来て“ほかに車も誰もいないにもかかわらず信号が赤なのでずっと待っている”というのを日本で見ました。初めて見ました。でも、マニラに行かれると、日本とはまったく違います。

日本のところがこうだというのかとかはわたしのこんな感じかたですけれども、フィリピンにはちょっとまた別の秩序があります。でも、神父様は、天主がそれをお望みなので、すべてを捨てて、すべてをそのまま残して、その命令に従おうとされています。とても良い模範を示されています。

誰もが、ここに来て、そして出ていかなければなりません。その例外はありません。
ドモルネ神父様は日本に来られて、また日本を出て行く。ファイファー神父も日本に来て、また日本から出て行きます。小野田神父も日本に来ていて、また日本から出て行く時が来ます。
司祭は、天主のためにすべてを棄て、ここを出て行きます。ドモルネ神父様は、天主様のためにすべてをやって、ここを出て行きます。小野田神父も同じです。

誰もが、この世界にやって来て、そしてこの世界を出て行かなければなりません。そのときに、わたしたちは天主の御前にいったい何を報告するでしょうか。“私は主のためにすべてをしました”と言うことができるでしょうか。でも、この世の人々は、天主のために何もせずに生きて、この世を出て行きます。まったくゼロです。この世に住んでいる皆さん、お父さんお母さんそして子どもたちは、すべてを天主様のためにやらなければなりません。司祭がやって来て、出てきて、みんなやって来て出て行って、その次はだれがこの仕事を天主様の仕事をするのでしょうか。若い人々は、このことをよく考えてください。そしてわたしたちは、この世から出て行ったときに、主に、この世でのことを報告しなければなりません。“主のためにこうしました。”と。

神父様はときどき私にEメールを送ってくださって、このEメールの交換をするときに、「日本語の勉強どうですか?」と尋ねると、こう答えがありました。
「はい、一生懸命やっています。何時間も何時間も勉強しています。今日本語の勉強をこんなにもしていました。」
それにもかかわらず
「さあ日本を離れて別なところに行きなさい。」・・・・・・

でも、神父様はそれをすべてそのまま残して、主の命令に、み旨に従って、日本を発ちます。
なぜかというと、神父様には離脱の心がある。被造物に愛着していません。そこで、これが天主様に奉仕するために必要なことで、どうして主のために仕事をする人、奉仕する人がこんなに少ないかというと、離脱の心を持っている人がいないからです。ほんとに少ないからです。日本の人はとても携帯で何時間も画面を見ているということで有名です。任天堂も有名です。

それでも、もしも主が、「おまえ、わたしのために仕えないか。」「仕えて欲しい。」と言ったときに、それらをすべて離脱して、すぐに、「ハイ!主よ、私はすぐにそうします!」と、神父様にならって仕えることができるでしょうか。

皆さんは、もしかしたらマリア様の御像の前で跪いてお祈りしたかもしれません。いったいどんなお祈りをしますか。
「マリア様、試験に合格しますように!」とお祈りするでしょうか。
「マリア様、デザートにシュークリームが食べられますように!」とお祈りするでしょうか。
それとも、みなさんは、
「マリア様、マリア様はわたしが何をすることがお望みですか?」
「マリア様、わたしはマリア様のために何をすることができるでしょうか?」
とお祈りすることがあるでしょうか。

もしも、そういうお祈りをするとしたら、それらは全く別なことです。もしも、主のみ旨がわかったら、「ハイ!そうします!」と言ってください。なぜかというと、それが離脱だからです。
そうしなければ、日本に司祭がいなくなってしまいます。
日本には、日本人のために働く司祭が必要です。修道者の召命がたくさん必要です。離脱の心を持つ若い人たちがたくさん必要です。

ご清聴ありがとうございました。


ローレンス・ノヴァク神父にインタビュー:主のぶどう園で奉仕した30年を祝う!

2024年04月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

主のぶどう園で奉仕した30年を祝う!
ローレンス・ジェラード・ノヴァク神父に編集部がインタビュー


“Apostle” SSPX ASIA DISTRICT NEWSLETTER, SPRING 2024, ISSUE NO 61
Celebrating 30 Years of Serving the Lord in His Vineyard!
An editorial interview with Rev. Fr. Lawrence Gerard Novak.

問1 神父様の家庭環境について簡単に教えてください。

私の家族は、私の人生における安定と熱意の最大の源泉です。私の家族の最大の特質は、何かをするという目的を持ち、それを成し遂げることだと、私は言いたいと思います。私の父は勤勉な歯科医でしたし、母はカトリック信者であり続けようと、そして同じ信念を持つ家族を育てようと決意した人です。

私には兄弟姉妹が7人います。私たちは8人です。男が4人、女が4人です。私は最後から2番目です。一番上の兄は聖ピオ十世会の司祭です。名前はケネス・ノヴァク神父です。姉妹の一人は聖伝のドミニコ会のシスターで、シスター・マリー・マルティン・デ・ポレスです。

私たちの家族の歴史を三つの部分に分けることができると思います。最初は、多くの家族の絆です。何年も前、私たちはシカゴ郊外に家を構えたほか、数時間離れたミシガン州にも農場を持っていました。その10年弱の間に私たちが持っていた緊密な家族の精神は、かけがえのないものになるのです。次の段階は、聖ピオ十世会との生活の始まりです。80年代の大半の間、聖ピオ十世会がシカゴにやって来て、そこでミッションを始めるのを、私たちは一致して援助していました。そして最後の段階は、私たちが教育の中で与えられたものを継続するために、それぞれの道を歩むようになった時です。私たちのほとんどは、両親から教えられたことに忠実であり続けました。

問2 最初に司祭になりたいと思われたのはいつですか?

私が3歳のとき、頭の病気が奇跡的に治りました。数カ月の間、気を失って床に倒れ込むほどのめまいの発作が続きました。医師は両親に、おそらく脳腫瘍か、頭に何か問題があるのだろうから、早く病院に連れて行くようにと言いました。その途中で母は、まずシカゴのダウンタウンにいるレオ・マクナマラ神父に見てもらいに行ったらどうかと言いました。マクナマラ神父は神秘家で、ピオ神父の同時代人でした。二人は直接会ったことはなかったものの、超自然的にお互いを知っていたのです。神父のアパートの教会には、ローマの殉教者、聖マクシミナの全身の聖遺物がありました。両親の話によると、私が聖遺物の前でしばらく過ごした後、神父は私の頭に手を置きながら、両親と話していたそうです。そして最後に、神父は、私たちに病院に行きなさい、しかし、すべての検査は陰性だろう、と言いましたが、これはまさに起きたことであり、もう二度とめまいの発作は起こりませんでした! それから数年後(1972年ごろ)、私が5歳くらいのとき、私たち家族は聖伝のミサにあずかっていました。現代のミサに行く必要はありませんでした。その司祭は、そのときでも聖伝のミサだけを捧げる60代の所属先のない司祭でした。そのころ、私はなぜか司祭になりたいと言い始めました。普通なら、そんな気持ちになる理由はありませんが、私はそうだったのです。マクナマラ神父と聖マクシミナが何か関係しているのだと、私は確信しています。

私が14歳のとき、聖ピオ十世会がシカゴにやって来て、ミサを捧げるようになりました。私は60歳より若い聖伝の司祭を見たことがありませんでした。いつもスータンを着ている聖伝の司祭も見たことがありませんでした。できるだけ多くの場所で聖伝のミサを捧げるために国中を飛び回って信仰を広めようとしている聖伝の司祭も見たことはありませんでした。私はこれら三つのことすべてに心を動かされ、天主がこのような形で私を司祭職に召されたのだと確信しました。私に同じことをするよう天主が望んでおられると確信したのです。当時、私は近代主義の高校に通っていました。私はその場所でつまずいていました。聖ピオ十世会の司祭たちは、とても新鮮な空気を吸ったようなものでした! 私は彼らと一緒にいることでとても安心していました。この時点で、自分の将来が私の前に開かれていくのを見たのです。

問3 神学校に入学するという決断を、ご家族は支持してくださいましたか?

家族は私の召命にとても協力的でした。実際、あまりに協力的だったので、時には、私が天主からの個人的な召命に応えているのか、それともただ「家族に従っている」だけなのか、見分けるのが難しいこともありました。お分かりのように、私の家族は、ミサを捧げるためにシカゴにやって来る聖ピオ十世会に深く関わっていました。父はミッションの信徒会長でしたし、母はミサを行うホテルの部屋ですべてを準備する中心的な世話役でした。自画自賛で申し訳ありませんが、私たちは素晴らしい仕事をしました。私たち、つまり母も兄弟姉妹も私も、そうするのが大好きでした。いずれにせよ、神学校に入学して数年を過ごすころには、私の未熟さが表れ始めました。私が神学校に行ったときは、高校を出たばかりの18歳にすぎませんでした。大学には行きませんでした。学位も取りませんでした。司祭以外の職業に興味を持ったこともありませんでした。私の目に星くずがついているようなものでした。するとその後、神学校に行ったのはただ「家族のため」だったのではないかと思い始めました。本当に解決困難な問題(頭のおかしくなった者)だったのです。

神学校の校長だったウィリアムソン司教様は、私がこのことで悩んでいるのを見て、神学校を去るように言うのではなく、向こうで私に任されるかもしれないどんな事務的責任も果たすことができるよう、聖マリア校で1年か2年過ごして「成長しなさい」と言われました。私は素直にそれを受け入れました。私はカテキズム教師とハウスファーザー(寮の管理人)になりました。ラモン・アングレス神父様が、聖マリア校の新しい校長として着任し、私にとても親切にしてくださいました。多くの時間を私と過ごし、いろいろな意味で私に自信を与えてくださり、私の疑問点の多くがいかにナンセンスなものであるかを教えてくださいました。そこで2年間を過ごして少し成長したあとで、天主が実際に私を呼んでおられること、そしてこれは単に家族を喜ばせたり、流れに身を任せたりする問題ではないことを、私は確信しました。

問4 神学生として最も大切にしておられる特別な時間や出来事はありますか?

神学生として最も大切にしている特別な時間を挙げるのは難しいですが、神学生としての2年目全体が本当に好きだったと言うことはできます。最初の1年間で、私は神学校の規律に慣れました。沈黙、黙想、大斎、そして家を恋しく思うことです。とはいえ、チャペルでのすべての時間や、聖体訪問は本当に大切なものでした。主日の晩歌、特に「巡礼者の旋法」(Tonus Peregrinus)の第5詩篇が大好きでした。ですから、私の背景にはそれがあったのです。そして2年目になると、若いころに一番好きだったことが大人になっても繰り返されるようになりました。神学校に行く前に、無私の心で私に教えてくださった男性、故ジョージ・ハンナ氏のおかげで、私はラテン語をかなり学んでいました。そのため、ラテン語の上級レベルにいたため、簡単だったのです。私は歌うのが好きでしたから、「聖歌隊」(Schola Cantorum)に入れられました。それも楽しかったのです。ウィリアムソン神父様(彼はまだ司教ではありませんでした)が哲学入門の授業と聖書の授業をしてくださいました。

どちらの授業も素晴らしいものでした。サッカーは間違いなく「神学校のスポーツ」でした。私は数時間プレーできました。仲間意識は最高でした。自分と同じように考え、自分と同じような人生の目的を持っている人たちとこれほど一緒にいたことはありませんでした。神学校は本当に居心地がよかったのです。ですから、神学校での訓練で最も大切にしたい時間があるとすれば、それは神学校の第二学年全体になるでしょう。

問5 叙階式の日に、どのようにお感じになりましたか?

感謝です! まず、それは私たちの誰もがこれまで決して受けることのできなかった恩寵だからです。でも同時に、安心したからでもあります。もし自分が司祭でなかったとすればどのような人生になるのか、という多くの考えが終わったのです。そのことは、もはや選択肢ではなくなりました。数回前のご質問で、聖マリア校での生活を終えた後、天主が私を召されていると確信していると申し上げたばかりですが、どういうわけか、悪魔はまだ私にそれができないと思わせることで、私を悩ませたかったのだと思います。ですから、叙階されるためについにその祭服を身に着けたとき、私はついにこの道に進むのだと安心し、もう後戻りはないのだと思いました。塹壕を抜け出し、前線を越える時が来たのです。「やるぞ!」と。

問6 さらに多くの熱意と信者への愛情をもって司祭職を続けるために、各国で神父様の心に触れ、神父様に影響を与えた最も忘れがたい経験をいくつか教えていただけますか。

私の赴任期間は、3年半のものが一つありましたが、他はすべて5、6年です。叙階された最初は、テキサス州エルパソに任命されました。それは幸運だったと思います。テックス・メックス(Tex-Mex)の米国人、つまり米国とメキシコの国境に住む、両文化を持つ人々と接することができたからです。米国人として、私はメキシコの人々の素朴さが大好きでした。彼らは、教会に行き、童貞聖マリアへの信心を示し、告解に行き、行列を行うときに、とてもエネルギッシュです。カトリックの信仰を公に表明することに関係することなら、何でもします。彼らはとてもいい影響を与えてくれます。司祭が午後のミサのために扉から入ってくるやいなや、告解のために長い列を作っていたのには感動しました。また、彼らはそれに真剣でした。告解がなければ聖体拝領もありません! ミサが終わると、子どもたちは皆、特別な祝福を受けるために、聖体拝領台のところまでやって来ます。

テキサスでの任務の一環として、私は米国のためのブラザーの修練院も担当していました。当時はまだそれほど大きくはありませんでした。召命はそれほど多くはありませんでしたが、私たちが得た召命は思い出深いものでした。特に覚えているのは二人の若者、現在のブラザー・グレゴリーとブラザー・アルフォンサスです。彼らの家庭の事情は全く異なっていましたが、ブラザーになることについてはとても真剣でした。私はよくこう思ったものです。「彼らはこれらの授業(神学校入学当初の私たちの授業と同じようなもの)を受けている。彼らはこんな訓練ばかり受けている。彼らは決して司祭にはなれないし、そのことを知っている。それでも、彼らは精いっぱい天主にお仕えしたいと思っている」。そのことが私の心を動かしました。このような謙虚さと、自分たちの人生は天主にとって意味のあるものだというこのような天主への信頼があり、何があってもその信頼を天主に捧げようとしていたのです。

私は、コンセプシオン・エルナンデス夫人という高齢の未亡人に定期的に病気見舞いをする機会に恵まれました。彼女は列聖されたメキシコの殉教者、ペドロ・マルドナド神父の姪でした。この神父はクリステロ戦争から10年後の1937年2月11日に、政府に殺されました。彼は、「この教会はメキシコ政府の所有物である」と記された紙に決して署名しませんでした。真剣でした。そこで彼らは神父を連れ出したのです! それは残忍な撲殺でした。行ったのは警察自体です。その日は一年の中で神父のお気に入りの日、ルルドの聖母の御出現の日の2月11日でした。彼女は、私に勇敢な叔父の話をするのが好きでした。それは私の心をとても揺り動かしました。

1999年の秋、私は慰めに満ちた出会いをしました。シカゴ地区で、心臓を患い、病院で死期を迎えていた高齢の司祭がいました。偶然にも彼は、1967年から1971年にかけて、マロン典礼で私たちのためにミサを捧げてくれた司祭であり、別の司祭が別の礼拝堂でラテン語のミサを始めるまで続きました。彼は何カ月もひどい体調でしたが、死にませんでした。その理由は、彼に聖伝の方法で最後の秘跡を授けることのできる人が誰もいなかったからであり、彼の小教区の司祭ですら近代主義の傾向のせいで授けることができなかったからです。私はたまたま2、3日家にいたため、病院に見舞いに行きました。私は彼に終油と使徒的祝福を授けました。彼はとても喜んで、私が帰る前に立ち上がってお礼を言いました。その2日後、彼は亡くなりました。彼はそれだけを待っていたのです。天主は祝されますように! それは慰めでした。私は、生まれたばかりの子どものころから3歳になるまで、彼のミサにあずかりました。彼と他の多くの人たちのおかげで、私はカトリックの信仰を持つことができました。そして、天主の御摂理の特別な恩恵によって、ついには、私は聖伝の方法で彼に最後の儀式を授ける司祭となったのです。

この後、オレゴン州での大きな任務がありました。それが5年ほど続き、その後は、米国外での任務を与えられました。これまでのところ、国外での任務は常に恩寵だと思ってきました。なぜなら、信者の群れに対する愛着は、自然のものよりも超自然のものに頼らなければならないからです。オレゴンの後、当時の総長だったフェレ―司教様は、私をメキシコ北部のゴメス・パラシオという町の小教区に推薦してくださいました。

そのような任務に私を考えてくださったことをとても光栄に思いました! しかし、正直なところ、言葉をもっと学ぶまで、そして文化を学ぶまでは、しばらくの間、現地で居場所を失った人のように感じました。そしてこのことが、これまでの司祭職における私のもう一つの大きな慰めなのです。約2年そこで過ごした後、私は米国で感じていたのと同じくらい居心地がよく、幸せだと感じました。それこそが、皆さんにとっての超自然の生活であり、それこそが司祭職なのです。それらは普遍的なものなのです。

そこでの忘れられない経験の中には、水曜日の午後のカテキズムの授業がありました。通常、人々は主日の一日にすべての宗教の務めを果たそうとします。しかし、ここは都市のコミュニティーではありませんでしたから、人々は教会からほぼ徒歩圏内に住んでいました。そのため、子どもたちは水曜日の放課後、自分でカテキズムの授業に出かけることができました。私がそこにいた間、子どもたちに多くの教育と養成を行いました。もう一つ、5月の毎日、修道院の外の中庭で、聖母への信心が行われました。一連が終わるたびに花を捧げるロザリオがありました。ロザリオが終わると、子どもたちは忠実だったことに対してチョコレートやキャンディーをもらいました。楽しいものでした!

この任務中に、コンセプシオン・エルナンデスの息子とその家族に会いました。コンセプシオンのことは、テキサスでの任務の前にも触れました。この家族は、メキシコのチワワに住んでおり、そこは私たちの修道院から北に6時間、テキサスから南に6時間のところでした。これは実は、マルドナド神父が1937年に殉教した場所にさらに近いところでした。このエルナンデス家は、私たちの教会で非常に活発に活動していました。私たちは非常に奇妙な状況にありました。私たちの教会に来ていたのは、マルドナド神父の親族の子孫だけでなく、神父の迫害者たち、つまり神父を残酷に殺した人々の子孫も、ちょうど通路を挟んだ向かい側にあるこの教会のミサに来ていたのです! 彼が死ぬ間際に迫害者たちのために祈ったことは、とても効果があったように思えます! 彼らはついには、神父の甥たちや姪たちと一緒に、聖伝のミサにあずかることになったのですから。

次の任地はベラクルス州のオリサバでした。ここはメキシコの南東部にあります。そこでの私の最大の楽しみの一つに、ドス・リオスというプエブロにある修道院付属のミッション教会の世話をすることがありました。そこは大人に対する子どもの比率が高いところでした。なぜなら、彼らはほとんどが農家で、親たちは子どもたちの手を必要としていたからです。私はその教会で、これまでで最も愛すべき教区民たちに出会いました。想像してみてください。土曜日の夕方のミサ(義務のミサではない)を終えて、その後、誰かの家に食事に行ったときのことを。その家は質素でした。土間。家の少女たちによって丸太の火(フエゴ・デ・レーニャ)で焼かれるトルティーヤ。そこにいたのは、とても聖化された素晴らしい教区民たちで、彼らはこのような状況の中で生活していました。それは私にとって大きな教訓でした。

それから3年半後、私は別の国、グアテマラに移りました。メキシコの南東に位置し、北米が終わって中米が始まる国です。この任地で最も印象に残っていることは、移動の多さです。パナマを除くほとんどの中米諸国に行かなければなりませんでした。ニカラグアは、共産党政権のあるカトリックの国です。共産主義者の盗賊が別の教会を襲撃し、さらに彫像や祭壇などを汚し、破壊したというニュースを定期的に目にします。でも私たちはそこに行きました。このような不幸な人々の中にあっても、私たちがそこで見た大きな信仰には驚きました。どんな迫害でもそうですが、残された人たちの信仰をさらに強める傾向があります。それは間違いなくそのケースであり、私には深く感動しました。

そしてついにシンガポールに赴任することになりました。とてもエキゾチックで、とても世界的に有名で、とても整って清潔でした。ラテンアメリカのさまざまな場所にいた私には、まるで地球ではない宇宙空間のように思えました。シンガポールの教会で印象に残っていることが二つあります。まず一つ目は、平日の毎日のミサに来ることをとても大切にしていることです。他の任地では、1週間のうち朝のミサに来るのは5人以下でした。また、夕方のミサには10人から20人が集まります。ここシンガポールでは、車を持っている人はほとんどいないにもかかわらず、朝のミサには30人、夕方のミサには別の30人が集まります。そんな様子は見たことがありません! 何かがこの人たちを動かしているのです。彼らは、平日に天主にカトリックの礼拝を捧げる必要があることを確信しているのです。おそらくそれは、異教に囲まれている彼らが自分の宗教を当たり前のものだと思っていないからであり、また、そもそも彼らの多くが異教を離れてカトリック信者にならなければならなかったからでしょう。もう一つ、この小教区について印象的なことは、さまざまなボランティアがこの教会で、いかに真剣に責任を果たしているかということです。ここに来る前は、人々が司祭を助けてくれることに少し慣れてはいましたが、これほど献身的に、特に無償でということはありませんでした。「あなたの宝のあるところには、あなたの心もある」(マテオ6章21節)。

おそらく、これらが壮大な経験のすべてではないでしょうが、彼らは、私の司祭としての務めを、もっと熱意と信者に対する愛情をもって続けていくために、私に感動と刺激を与えてくれたことは確かです。天主は祝されますように!

問7 司祭や修道者の召命を考えている人に何かおっしゃっていただけますか。

第一に、皆さんが天主を選ぶのではありません。天主が皆さんを選んでおられるのです。私たちは、「私は神学校に行くと決めました」「ずっと修道院に行きたかったから行きました」と話していますね。しかし、それは私たちの話し方に過ぎません。実は、呼んでおられるのは天主です。それが、(ラテン語のvocare=呼ぶ)に由来する「召命」(vocation)という言葉です。そうである以上、皆さんに「いいえ」と言う権利はありません。また、その次にあるのは、天主は、第一選択を受けるにふさわしいということです。「司祭や修道女になりたい」ということに確信がないとしましょう。大学に行って学位を取りたいと思うかもしれません。しかし、天主は私たちの第一選択を受けるにふさわしい方です。まず神学校や修道院を試してみて、うまくいかなかったら、次に、世俗的なキャリアを試してください。もしも、世俗的なキャリアから始めるなら、神学校に行くチャンスがなくなってしまうかもしれません。召命があったかもしれないのに、世俗的なものの追求に召命が邪魔されてしまったという可能性もあります。計算してみてください。1950年代には、何千人もの召命があり、司祭や修道者の居場所は常にありました。司祭の仕事には事欠きませんでした。しかし今、それに比べて司祭や修道女になる人の数は、かつての数パーセントにすぎません。あれだけの召命はどうなったのでしょうか? 天主が突然、人々を呼ばれなくなったのでしょうか? いいえ、男も女もそれに応えることにケチになってしまったのです。天主からの召命よりも、この世的な追求を優先してしまったのです。単純な数学がその疑問に答えてくれます。

この30年間の司祭職について、天主がたたえられますように! 確かに私はその日々に感謝しています。皆さんとこのことについてお話しできることをうれしく思います。私たちの祝された聖母なしにはこれは不可能でした。聖母は私たちの霊魂に、特に司祭の霊魂に御子を形作ってくださるお方です。こうして主の御国は広がっていくのです。聖母がこの召命のために私を用いてくださったのなら、聖母は多くの人々を用いてくださることでしょう。

皆さんに天主の祝福がありますように!


ラファエル・ヴィンセント・ファウスティーノ神父の司祭叙階【Apostle Magazine より】

2024年04月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

“Apostle” SSPX ASIA DISTRICT NEWSLETTER, SPRING 2024, ISSUE NO 61
ラファエル・ヴィンセント・ファウスティーノ神父の司祭叙階

2023年12月16日、ラファエル・ファウスティーノ神父は、一人のブラジル人および二人のアルゼンチン人と共に、ブエノスアイレスの「共贖者聖母神学校」で、フェレ―司教の司式により司祭叙階を受けました。

「アポストル」誌【聖ピオ十世会アジア管区機関誌】は、ファウスティーノ神父に対して、彼の深淵な召命の旅を垣間見ることのできる洞察に満ちたインタビューを行いました。

聖伝の発見と聖ピオ十世会

1998年に私が生まれたとき、私たち家族はノブス・オルド【新しいミサ】の教会に通っていました。天主の恩寵と憐れみによって、母が叔母を通じて聖伝のラテン語ミサを知るようになったのは、私が8歳のときでした。そのころ、教区は、小教区から全時代のミサを廃止し始めていました。根気強い努力により、叔母はニュー・マニラにある聖ピオ十世会の教会(現在の勝利の聖母教会)を見つけることができました。私が地元のカトリック学校で初聖体を受けた直後に、母は、勝利の聖母教会に行って初めての聖伝のラテン語ミサにあずかる決心をしました。わが家から勝利の聖母教会までは遠かったため、毎週の主日にミサに行くのは困難でした。しかし、約2カ月後、天主の恩寵の援助により、私たちは定期的にミサに行く方法を見つけることができました。

ミサの侍者をすることに興味

私はノブス・オルド教会にいたころ、侍者になりたい、また司祭にもなりたいと思っていました。侍者の責任者に何度も連絡を取ろうとしましたが、うまくいきませんでした。訓練を受けなければ、ノブス・オルドのミサで侍者をすることはできませんでした。勝利の聖母教会で聖伝のラテン語のミサにあずかった後、私は赤いスータンを着た少年たちの姿に心を奪われました。私も彼らのように侍者になりたいと思いました。私が強く興味を持っているのを知っていた叔母は、私を香部屋に連れて行き、侍者たちに会わせてくれました。そしてついに私は訓練を受け、ミサの侍者をすることができるようになりました。私は、ミサの侍者をするだけで、聖なるいけにえを愛するようになりました。司祭たちが恭しくミサを唱える姿を見て、私はとても感動しました。当時8歳の少年だった私は、自分にこう言い聞かせました。「そうだ、私がここで目にしている司祭、彼は、ミサを捧げておられる私たちの主イエズス・キリストご自身なのだ」。

勝利の聖母カトリック学校への入学

2008年に勝利の聖母カトリック学校が開校したとき、高額な費用と長い通学時間のために、私がこの学校に入ることは不可能でした。そのため私は、主日と祝日には勝利の聖母教会で聖伝のラテン語ミサにあずかって侍者をする一方で、地元のカトリック学校に通い続けなければなりませんでした。

天主の御摂理は再び、私に道を開いてくれました。ロバート・マクファーソン神父様(当時は勝利の聖母カトリック学校校長、現在は米国の聖トマス・アクィナス神学校副校長)が、私たちが同じ場所で学び、生活できるよう、全寮制の男子校を開校するという構想に着手されたのです。侍者をしながら司祭と話ができることは、私にとって大きな喜びであり、勝利の聖母カトリック学校に通えることは、天主からのさらに大きな恩寵でした。寄宿学校にいることで、神父様方と話す機会が増えました。勝利の聖母カトリック学校のビジョンの一つは、フィリピンのカトリック信者のために将来のカトリック指導者を育成することです。カトリック指導者とは、家庭の父親であったり、さらには霊魂を天国に導く司祭であったりします。年月がたつに連れ、司祭になりたいという私の望みはますます明確になっていきました。

聖ベルナルド修練院での養成

私の旅は、校長がマクファーソン神父様からマイケル・フォルティン神父様、そして現在の校長であるピーター・フォルティン神父様へと交代する中で続きました。私は、前校長のマイケル・フォルティン神父様とさらに長い時間を過ごしました。彼はこう言われました。「では、祈りましょう。あなたは今行っていることを続け、勉強に集中しなさい」。高校教育を終えた後、私の次の段階は、神学校への入学を申請する前に、キャリアを追求するために地元の大学で勉強を続けることでした。再び、天主の御摂理のおかげで、私は高校卒業後すぐに聖ベルナルド修練院に受け入れられました。聖ベルナルド修練院院長のコンラード・ダニエルズ神父様は、2015年6月に予備神学生として入学することを許可してくださいました。まだ年齢が足らなかったため、神学校への入学を申請する前に2年間の養成期間を過ごさなければならなかったのです。

2017年3月、ようやく養成期間を終え、すぐに神学校に入ることができました。養成期間中、ブラザーたちと一緒に暮らしたことは、神学校生活を準備するに当たって大いに役立ちました。彼らは清貧、貞潔、従順の誓願によって、私に彼らの修道生活を教えてくれました。また、自分の召命を厳格に守り、霊性を成長させることも学びました。私が第二の故郷と呼んでいる聖ベルナルド修練院で過ごすことができた数年間を、本当に天主に感謝しています。

司祭養成の開始

私は神学校で7年間を過ごしました。それは、言葉では言い表せない経験でした。簡単に言えば、驚くべき恩寵の時間だったのです。私は、オーストラリアにある聖十字架神学校で最初の数年間をスタートさせました。聖ベルナルド修練院ですでに生活を送っていた私にとって、神学校生活に慣れることは問題にはなりませんでした。ただ、聖十字架神学校は国際神学校で、神学生はフィリピン人だけでなく、他の国籍の人たちもいました。韓国人、インド人、オーストラリア人、アフリカ人などです。私たちは、同じ超自然の精神と信仰を持つ一つの共同体として共に生きることの大切さを学びました。私たちは皆、司祭になるという同じ目標に向かって努力していたため、一人一人が天主の御旨に従い、それを求めることで、互いに助け合い、励まし合いました。私たちは、カトリック教会という一つの家族の中にいる、聖ピオ十世司祭会の一員になりたいと願っていました。

司祭養成と霊的生活の原則の学びに重点が置かれたため、勉強はさらに熱心になりました。研修が進むにつれて、私は聖トマス・アクィナスの偉大な教えについてさらに学びました。創立者のルフェーブル大司教は、すべての神学生に聖トマス・アクィナスとその教えを学んで好きになってほしいと願っておられました。私は、聖十字架神学校の教授や指導者全員から多くのことを学びました。

聖十字架神学校の閉鎖

総長が聖十字架神学校の閉鎖を発表されたのは週の半ばでした。【訳注:コロナ禍のために外国人神学生がオーストラリアに入国できなくなったため一時オーストラリアの神学校を閉鎖する処置をとっている】私たちにとっては悲しいニュースでした。私たちは試験を終えて、すでに二学期を楽しみにしている最中でした。もちろん、総長に見捨てられたわけではありませんでした。私たちは養成を続けるために、ドイツ、米国、アルゼンチンの神学校に別々に移されることになりました。私はここアルゼンチンに送られることになり、数カ月でスペイン語を学ばなければならないと言われました。私はスペイン語について何も知りませんでした。タガログ語の中にある、フィリピンのスペイン文化に由来するスペイン語の単語をいくつか覚えることができていた程度だったでしょう。しかし、天主の恩寵により、アルゼンチンに到着して、現地の人々と会話し、コミュニケーションを取ることができるという生き残り作戦をこなすのに十分なほどには、何とか学ぶことができました。

アルゼンチンでの神学校過程の開始

私は神学の最後の2年間を続けるために、2022年4月にアルゼンチンに到着しました。それは私の人生の新たな章のような、新たな冒険の始まりでした。もちろん、私にとってすべてが新しく、すべてが異なるものであったため、不安もありました。聖ピオ十世会であるのは同じですから、すべては同じだと言われましたが、私はここアルゼンチンで新しいことを学ばなければなりませんでした。さまざまな国籍の人がいた聖十字架神学校と同じように、ここアルゼンチンにはメキシコ、ニカラグア、中米・南米全域から来た人たちがいます。オーストラリアにいたときと同じように、ここアルゼンチンやラテンアメリカの文化も学ばなければなりませんでした。到着したとき、私は神学校生活の新たなスタートを切ったばかりのように感じました。

神学の最後の2年間は、教授たちから再び多くのことを学びました。教授たちは、聖トマス・アクィナスに対する知識と愛、教会とその教えを伝える方法を本当に知っています。

ブエノスアイレスへの任命

さて、私の人生の新たな章が始まりました。叙階の直前に誰もが口にする質問は、「神父様はどこに任命されるのですか?」というものです。そうです、助祭として最後の年を迎えるとき、神学校生活にはいつもそんな不安がつきまといます。私の最初の任命先は、ここ南アメリカ管区、特にここアルゼンチンのブエノスアイレスの修道院になります。修道院長のルイス・クラウディオ・カマルゴ神父様を補佐することになります。

ブエノスアイレス修道院は、実際には南米における聖ピオ十世会の基礎となった場所です。それはまさに最初の共贖者聖母(Nuestra Señora Corredentora)神学校であり、ここアルゼンチンにおける聖ピオ十世会の最初のハウスでした。ルフェーブル大司教は、神学校をラ・レハに移す前に、何年もこの場所を訪れ、ここで司祭を叙階されました。現在は、約800人の教区民がいる修道院となっています。忙しい使徒職です。信者は今も増え続けています。年を追うごとに、もっと多くの霊魂が聖伝に目覚めるよう、私たちは祈ります。

修道院での将来の使徒職

今のところ、具体的な仕事の割り当ては受けていません。基本的には、修道院の一般的なミッションを手伝うことになるでしょう。主日のミサを捧げたり、告解を聞いたりするだけかもしれません。また、初聖体の信者に堅振の準備をするためにカテキズムを教えたり、あるいは成人にカテキズムを教えたりする可能性もあるかもしれません。アジア管区と同じように、ここブエノスアイレスにも侍者のための聖ステファノ会があります。この使徒職は本当に盛んですから、私も手伝いを頼まれるという可能性があります。

修道院のことをもっとよく知るようになれば、私の役割は将来にはさらにはっきりするでしょう。ウルグアイやブエノスアイレス郊外、その他の場所にある、他のミッションセンターで手伝うことも、将来的には可能性があるかもしれません。

さらなる召命を祈ってください

締めくくりに、すべての読者の皆さんに対する私の切なる願いは、召命が増えるように祈り続けてくださることです。読者の皆さんへの最後の言葉、それは、さらに多くの召命のために祈り続けてくださることです。サマーズ神父様が常々アジア管区の皆さんに伝えておられるように、さらに多くの召命のために祈ることが緊急に必要です。私たちの主が言われるように、仕事は多けれども、働く者は少ないのですから。

アジアだけでなく、どこの管区でも、なすべき仕事がたくさんあることがすでに分かっています。私は皆さんに、司祭職と修道生活のための召命が増えるように祈り続け、さまざまな方法で寛大になってくださるようお勧めします。教会への愛のためにルフェーブル大司教様が始めた聖ピオ十世会のミッションを支えてください。自分の子どもが司祭や修道者に召されることが天主の御旨であるならば、それを支援し、聖なるカトリックの家庭がさらに多くなるように祈ってください。皆さんの絶え間ない祈りを必要としているすべての神学生を支援してください。

最後に、この場をお借りして、すべての読者の皆さん、すべての管区の信者の皆さんのお一人お一人に対して、私の司祭叙階という喜びの日を実現させるためのお祈りとお力添えとご支援に対して感謝申し上げます!


ブノワ・ワリエ神父のご紹介と歓迎の言葉(2024年2月23日大宮にて・3月3日大阪にて)

2024年03月09日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

ブノワ・ワリエ神父のご紹介と歓迎の言葉

2024年2月23日 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

愛する兄弟姉妹の皆様、
ワリエ神父様のご紹介をいたします。

神父様は、1972年にベルギーのブリュッセルで10人の兄弟の6番目の子供としてお生まれになりました。ご両親さまは昔からルフェーブル大司教様を家族ぐるみで支援しておられ、聖伝のミサの環境で成長されました。聖ピオ十世会の「暁の星」学校で勉強され、1991年10月にフランスのフラヴィニーにある聖ピオ十世会の神学校に入学されました。小野田神父はその時エコンの神学校におりました。
エコンで1997年6月27日に司祭として叙階され、すぐにアジア管区に任命されました。
最初の任命地はインド(パラヤンコッタイ)です。
次に1998年、マニラに任命されました。(クチュール神父様の下で小野田神父と一緒に仕事をしました。)
1999年にイロイロの修練院の院長として任命されました。
その後、アメリカ管区、オーストリア管区に任命されましたが、2008年から2014年まで6年間ベネルクス管区の管区長を勤め、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクを任されました。その後、一年間アイルランドに任命された後、アジア管区に戻ってこられました。アジア管区では、スリランカ、シンガポール、マニラで、その修道院長と同時に管区長補佐を勤められ、今回は日本の暁の星聖母修道院の修道院長となられました。神父様は今でも管区長補佐です。
母国語はフランス語ですが、英語をネイティブのように話されます。
これで紹介を終わります。




【歓迎の言葉】

ワリエ神父様、Dear Fr. Wailliez
神父様を私たちの暁の星聖母修道院、修道院長としてお迎えできることを大変嬉しく思います。天主の摂理により、神父様は修道院長として、天皇誕生日に大宮の聖堂で "最初の "ミサを捧げられ、私、小野田神父は神父様に歓迎の言葉を述べたいと思います。

この歓迎の集いは、日本にいる霊魂たちとその宣教の世話を喜んでしてくださる神父様の愛徳に対する私たちの感謝の表現です。この大宮の歓迎会は、神父様が修道院長の仕事をできる限り容易に引き継ぐことができるようにとの私の心からの願いからです。

神父様の司祭としての最初の赴任地はアジア地区でした。神父様と私は、フィリピンのマニラで1年間一緒に働きました。その後で神父様はイロイロで3年間働きました。私たちはクチュール神父様と一緒に秋田と長崎に巡礼したこともありますね。日本のこと、東京や大阪のミッションのこと、韓国のことなどについては、神父様はすでにご存知でしょう。しかし、前回のご訪問以来、天主の恵みにより、多くの新しい信者たちがカトリックの聖伝を発見して、各地から集まってきました。今では大宮と大阪に常設の礼拝堂があり、毎週日曜日に聖伝のミサを行っています。

それぞれの国の異なる精神性、言語、性格を理解し、それらに適応していくことの難しさは想像に難くありません。神父様がすでに日本語の勉強を始めていることを知り、とても嬉しく思います。
アドリュー・ロスの著書『裏切られたビジョン』から、いくつかの文章を引用させてください。この本はアジア管区長のサマース神父様から読むことを勧められて読んだものです。

―――

1570年、イタリアのイエズス会士、オルガンティーノ・グネッチ=ソルディ神父が来日した。彼は日本語が上手になり、日本人の礼儀作法や考え方に関して非常にこころを配っていた。オルガンティーノ神父は可能な限り日本的な生き方をするように常に心がけていた。織田信長の個人的な友人にさえなった。信長はオルガンティーノに、安土の自分の新しい城の近くに新しい神学校を建てるための素晴らしい場所を与えた。オルガンティーノはそこに立派な建物を建て、信長は時々そこを訪れ、神学校の維持のために米を与えて支援した。毎週、修道士あるいは司祭は、神学校から信長のために果物などの小さなお土産を持って安土城を訪問し、信長の息子たちは、その訪問にしばしば応じて神学校を訪問していた。1578年、オルガンティーノ神父は、イエズス会総長にこう書いた。「もしこの国が信仰に服するならば、世界のどの教会も日本の教会を超えることはないだろうと私は思う。」
また1589年3月にも、彼は日本の教会を「天主の花嫁」と書き、こう続けている。「日本にやってきて、この不思議な美しさを持つ花嫁への愛を育まず、すぐに彼女の言葉を学ぼうとせず、彼女のやり方に合わせないイエズス会会員は、主のぶどう園で働く無能で不採算な働き手として、ヨーロッパに連れ戻されるに値する。」

―――

神父様は、この "天主の花嫁 "の世話をする、もう一人のオルガンティーノ神父となるために、総長からここに遣わされたのだと思っています。不思議な美しさを持つこの花嫁への愛を育んでくれていることに感謝します。

神父様と私は、ともに使徒となるためにここにいます。ルフェーブル大司教が言われたように"特別な使徒 "と言えるかもしれません。「なぜなら、司祭は教会を再建し、この精神を失いつつある人々、すなわち異教的で異教化された世界、信仰を失い無神論者となった世界のすべての人々の中に、主の精神を新たに形成しなければならないから」です。

親愛なる神父様、私たちを導くために来てくださり、永遠の司祭である私たちの主の御業を継続し、ここ日本と、そのもとにあるすべての宣教地で、何百万もの霊魂を救い、彼らを聖化してくださるその仕事を感謝します。




謝恩会でのドモルネ神父さまへの言葉(2024年2月12日 大宮にて)

2024年03月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

謝恩会でのドモルネ神父さまへの言葉

2024年2月12日 大宮にて トマス小野田神父(聖ピオ十世会司祭)

ドモルネ神父さま、愛する兄弟姉妹の皆様、
日本にいる信徒の方々の代表とひとりとして、ここで神父様に感謝の言葉を述べたいと思います。

神父様は、コロナ騒動というとても難しい時に、聖ピオ十世会が日本での最初の修道院を創立するために来日してくださいました。
今から3年前、コロナのために国境が閉ざされていたその中、ほんの二カ月だけ日本に入国することができる時がありました。日本の国境が開いて再び閉鎖されようとする直前の2021年1月2日のことでした。

新しい修道院の創立というのは、もちろん簡単なものではありません。フィリピンのマニラで聖ピオ十世会がどのように始まって発展してきたかを、初期から私は見てきました。日本での創立も同じく、主の恵みと忍耐が必要です。ドモルネ神父さまのご協力と献身的なお仕事とともに、修道院の基礎作りをすることができたことを感謝しています。司祭が二人常駐すると、どれほど色々な良い事業ができるのかということをつくづく思いました。

神父様は、日本語の勉強やアジア管区の出納係の仕事に加えて、特に、侍者の練習や子供の公教要理のお世話、また聖体十字軍やオンラインでの大人の公教要理などに尽力してくださいました。大阪や名古屋、札幌や広島、韓国にもミサを捧げ説教をし、告解、終油、婚姻などの秘跡や多くの祝福の準秘蹟を授けてくださいました。秋田巡礼やマーチフォーライフなどの活動の積極的なご協力もありがとうございます。

修道院の日常生活でも、神父様の模範的な規則正しい生活とご健康のおかげて、聖ピオ十世会の会則通り共同体の聖務日課やその他の祈りや信心業を規則正しく果たすことができました。神父様の良い模範を感謝いたします。

ルフェーブル大司教様は、私たちの使徒職が実りの豊かさや私たちの堅忍は、私たちの修道院での共同生活の質にかかっていると教えてくださいました。現代世界において、聖ピオ十世会の修道院は司祭たちのオアシスとなるべきであるから、また、天主への愛が、共同体の生活において愛徳を実践させるから、そこから私たちをして多くの霊魂たちのために奉仕させるからです。私たちの主はこう言われました。「たがいに愛しあうなら、それによって人はみな、あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」と。

小修道院での司祭の共同生活は、ルフェーブル大司教様から聖ピオ十世会が受けた、最も大切な遺産の一つです。つまり、聖伝のミサ、聖伝の信仰、聖トマス・アクィナスの神学大全、司祭の共同生活です。第二バチカン公会議の司教区の司祭では知ることができなかっただろう、教会の遺産を受け継ぐことができて、ルフェーブル大司教に感謝します。Credidimus Caritati 天主の愛を私たちは信じた。

「兄弟たちよ、たとい私が、人間と天使のことばを話しても、愛がなければ、鳴る青銅と響きわたる銅鑼にひとしい。たとい私が、預言の賜物をもち、全奥義と全知識に通じ、山を動かすほどの満ちた信仰をもっていても、愛がなければ無にひとしい。たとい私が、すべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、愛がなければ益するところがない。」

日本でルフェーブル大司教の遺産を神父様と一緒に始めることができ、遺産をこうして守り続けることができることを神父様に感謝しています。

神父様に感謝するために集まった愛する兄弟姉妹の皆様に、特に若い青少年の皆さんに、この機会を借りて、どうやったら神父様の献身的な働きに感謝することができるか、一緒に考えてみることを提案します。
神父様はコロナの難しい時であったとしても日本に来られて、何を私たちに伝えようとされたのでしょうか?神父様が司祭になって、外国で、日本であっても働こうとされたのは、何のためだったのでしょうか?なぜ私たちは神父様の働きがそれほど貴重だと考え、感謝しているのでしょうか?
それは、私たちにはイエズス・キリストが必要だからです。私たちにはカトリック教会の聖伝の信仰が必要だからです。何故なら永遠の命のために、正しい信仰とイエズス・キリストの聖寵が必要だからです。聖伝のカトリック司祭、聖ピオ十世会司祭こそが、教会が2000年間やってきたことをやり続けているからです。世界中を探しても、カトリック教会が公式に認可した修道会である聖ピオ十世会だけが、天主のお恵みによって、まったく妥協なく、今でも、教会の中に留まりながら、信仰を完璧に宣言し、実行し、伝え続けているからです。聖伝の信仰の維持という奇跡中の奇跡が21世紀の現代、聖母の御取次で、聖ピオ十世会の司祭たちによってなされているからです。

これがルフェーブル大司教の遺産です。Credidimus Caritati 天主の愛を私たちは信じた。私たちは、聖ピオ十世会において、天主の愛が続いているのを見ています。「愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛は妬まず、誇らず、たかぶらない。非礼をせず、自分の利を求めず、いきどおらず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理をよろこび、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐えしのぶ。愛は、いつまでも絶えることがない。」

ですから、私たちは聖ピオ十世会の司祭である神父様に、日本での献身的な働きに、霊魂の救いと霊魂の聖化のために尽くして下ったことを感謝しています。神父様を私たちに送ってくださった天主に感謝するために、また、神父様が私たちに伝えようとなさった恵みに報いるためにも、イエズス・キリストを信じ、愛しましょう。

日本にいる若い青少年の皆さん、イエズス・キリストのために、多くの霊魂の永遠の救いのために、イエズス・キリストを求めている世界中の霊魂のために、神父様のように、私たちを愛される主を愛しましょう。もしも主の御旨であるならば、神父様のように、私たち自身をイエズス・キリストにお捧げ致しましょう。

ドモルネ神父さま、フィリピンでの新しい任務のためにお祈り申し上げます。私たちのためにもお祈りください。




参考資料、聖伝の典礼暦による2024年のカレンダー

2023年12月27日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

恒例の参考資料、聖伝の典礼暦による2024年のカレンダーができております。ミサを行う聖堂で配布しています。

今年はイエズスさまが冒瀆されたことを踏まえて、御聖体に対する信心をさらにいや増して償いをする、という意向により、御聖体の黙想と礼拝をテーマに選びました。

ミサに来ることができない方でご希望の方々がいらっしゃいましたならば、お送りいたしますので、御連絡下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父












私たちの主イエズス・キリストの御降誕の喜びを申し上げます

2023年12月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の喜びを申し上げます。

大宮では、12月24日の主日ミサに来られた方は、子供達も入れて合計107人でした。9時の歌ミサの直後に新しい聖堂に集う私たちの共同体を聖母の汚れなき御心に奉献しました。最後に加わった方々をふくめると日本に常駐する司祭たちの名前も含めて352人のお名前を聖母に委ねました。
12月25日の夕方午後6時半からの御降誕祭のミサに来られた方は、子供達も入れて合計74人でした。私たちはとても幸福でした。

大阪では、12月24日の夕方の主日ミサに来られた方は、子供達も入れて合計41人でした。12月25日の真夜中のミサにも41人が参加されました。10時半の御降誕祭のミサに来られた方は、子供達も入れて合計65人(大阪での参加者の新記録)でした。幼きイエズスさまに接吻する行事では、感動で目に涙をためてされる方もおられました。

日本各地では、交通事情やお仕事や時間帯のために、聖伝のミサに来たくても来ることができなかった方々が多くいらっしゃいました。聖伝のミサを捧げる聖ピオ十世会の司祭が増えることを祈りましょう。

たくさんの心のこもったクリスマス特別献金もありがとうございます。12月25日の大宮でのミサは特にクリスマス献金をしてくださった方々・恩人・友人の方々のためにお捧げいたしました。多くの祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げております。

2023年もお恵みの年でした。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべの叙階30周年を皆様に祝っていただき、大きな贈り物も戴き心から感謝いたします。聖ピオ十世会日本としては、関東地方の大宮に常設の聖堂を持つことができ、主の御降誕を愛する兄弟姉妹の皆様のともに祝い、心から幸福に思います。この聖堂のために、アジア管区長のサマース神父様、ドモルネ神父様、信徒会長、多くの愛する兄弟姉妹の皆様からのご協力とご支援を戴きました。心から感謝いたします。特に大阪の兄弟姉妹たちが、聖伝のミサのため、聖ピオ十世会の教会のためなら、大阪も東京も関係ない、と非常に寛大なご協力をしてくださいました。ほんまありがとう。仕事いっちゃんええと思う。めっちゃええわ。ごっつええで。どうもおおきに。

2023年12月18日にローマの教理省が発表して、教皇フランシスコが認可した「フィドゥチア・スプリカンス」(Fiducia supplicans)という同性カップルを祝福することについての宣言が、世界中で多くの人々にショックを与えています。超えてはならない一線を越えてしまったからです。これは多くの人々の目を覚まさせ、自問自答させました。なぜここまで来てしまったのだろうか?何が原因だったのだろうか?と。

元教理省長官だったゲルハルト・ミュラー枢機卿は「フィドゥチア・スプリカンス」を厳しく批判し、同性愛カップルの「祝福」は「冒涜」に当たり、この宣言は「自己矛盾」に陥っていると指摘しました。カザフスタンのペタ大司教とシュナイダー司教も、この宣言はカトリックの教理と実践に直接かつ深刻に矛盾していると批判しました。イギリスの約500名の司祭たちも反対の声を上げました。クリスマスが終わり、これからもっと多くの反対が出てくると考えられます。

特にアフリカの様々なカトリック司教評議会は、カメルーン、ガーナ、ナイジェリア、マラウイ、ザンビアなど、公式にこの文書を適用しないことを発表しました。フランス語圏であるカメルーンは、祝福する (benedicere) が語源からして「よく言う」「良いと認める」「承認する」ことを含むので、罪の関係を祝福することはできないとさえいいます。なぜアフリカの司教たちはローマに対して続々とダメ!絶対ダメ!と言う力があったのでしょうか?元フランス語圏アフリカ諸国の教皇使節だったルフェーブル大司教が天から介入しておられるのかもしれません。次期教皇はアフリカから出るようになる(?)かもしれません。

日本のカトリック司教たちが、カトリック司祭たちが、教会の変わらない信仰と教えと実践に従った声を聞くことができますように!そのために幼きイエズスに祈りましょう!

では、愛する兄弟姉妹の皆様、主イエズス・キリストの良き降誕節をお過ごしになり、聖なる良き新年をお迎えください。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父

【報告:12月24日主日】
Dear Fathers:
Shown below are the number of attendees at today's masses in Tokyo. The total number of attendees at today's masses in Tokyo was 105 including children.

09:00 mass
M: 33 (incl. 8 children)
F: 35 (incl. 10 children)
Total: 68 (incl. 18 children)

11:30 mass
M: 22 (incl. 0 child)
F: 19 (incl. 2 children)
Total: 41 (incl. 2 children)

Total of 2 masses (excl. 2 persons who participated in multiple masses)
M: 54 (incl. 8 children)
F: 53 (incl. 12 children)
Total: 107 (incl. 20 children)

【報告:12月25日】
Dear Father:
Shown below are the number of attendees at Christmas' mass in Tokyo. The total number of attendees at today's mass in Tokyo was 74 including children.

M: 38 (incl. 8 children)
F: 36 (incl. 10 children)
Total: 74 (incl. 18children)





聖ピオ十世会総長のコミュニケ:教理省が発表した宣言「フィドゥチア・スプリカンス」(Fiducia supplicans)について

2023年12月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

聖ピオ十世会総長のコミュニケ

Communiqué from the Superior General of the SSPX

聖ピオ十世会総長のコミュニケ
2023年12月19日

私を愛する者は掟を守り、他人にもそれを守らせる。

私たちは、「不規則な状況にあるカップルと同性のカップル」に対する祝福の問題に関して、教理省が発表した宣言「フィドゥチア・スプリカンス」(Fiducia supplicans)に落胆しています。特に、この文書は教皇自身が署名したものだからです。

この宣言は、そのような非合法な結合の祝福と、男女間の結婚の祝福と【を同一視すること】の混乱することを避けるように、と称してはいますが、混乱することもつまずき与えることも避けてはいません。この宣言は、教会の役務者が罪深い結合に天主の祝福を呼び求めることができると教えているだけでなく、そうすることによって、実際にはこれらの罪の状況を強めているのです。

そのような「祝福」を呼び求めることは、これらの人々のために、典礼外の枠組みで、「彼らの人生と彼らの関係において、真であり、善であり、人間的に価値あるものすべてのものが、聖霊の現存によって与えられ、癒やされ、高められる」よう求めること以外のなにものでもありません。

しかし、根本的に無効の結合において生きている人々に、この同じ無効の結合が何らかの肯定的な価値を持ち得ると信じさせることは、最悪の欺瞞であり、また、これらの迷った霊魂に対する最も深刻な愛徳の欠如です。公然たる罪の状況に善なるものがあると想像するのは間違っていますし、そのような状況で生きているカップルを天主が祝福することがおできになると主張するのも間違っています。

疑いないことですが、天主の先行的な御あわれみは、すべての人を助けることができます。また、すべての人は、天主が差し出してくださる救いを受けるために回心へと呼ばれているということを、信頼して見出すことができます。また聖なる【カトリック】教会は、正当に祝福を求める罪人に対して、決して祝福を拒むことはありません。しかし、この祝福とは、霊魂が成聖の恩寵の状態で生きるために罪を克服するのを助ける以外の目的のものではありません。

したがって聖なる教会は、どのような個人でも、たとえ異教徒であっても、祝福することができます。しかし、教会は、どのような場合でも、それ自体で罪である結合を、その中にある善なるものを奨励するという口実のもとに祝福することはできません。

私たちがカップルを祝福するとき、私たちは孤立した個人を祝福するのではなく、必然的にカップルを結びつける関係を祝福します。しかし、私たちは、本質的に悪であり、つまずきを与える現実を贖う【善いものとする】ことはできません。

これらの祝福を司牧的に進めようというこのような励ましは、実際には、何と言われようとも、道徳律と相容れない状況を組織的に受け入れることになるのは避けられません。

残念なことですが、このことは教皇フランシスコの主張と一致しています。教皇は、人々に「彼らがまだそこまで成熟していない、あるいは彼らができない、そのやり方で[1]」行動するように強要する者たちの態度を、「表面的でナイーブ」と定義しています。

この考えは、聖寵の力をもはや信じず、十字架を否定しており、誰に対しても罪を避けるように助けません。その考えは、真の赦しと真のあわれみを、悲しいほど無力な恩赦【アムネスティ:全て(罪の事実さえ)を記憶せずに消滅させる】に置き換えます。これは霊魂の喪失とカトリック道徳の破壊を加速させるだけです。

教理省の文書に、いかなる複雑な言い回しや詭弁的な飾り立てがあろうとも、これらの祝福の本質的かつ明白な現実を隠すことはできません。そういったものは、本質的に罪の状況にあるこれらの結合を強め、他の人々がそれに従うことを奨励することにほかなりません。これは、単に、カトリックの結婚の代替になっていくことでしょう。

実際、それは天主の御旨に従って徳と清さと愛徳とのうちに生きるために必要な、超自然のことに対する信仰の深い欠如、天主の聖寵と十字架の力に対する信仰があまりにもないことを明白にしています。それは、天主の敵であるこの世の精神にゆるやかに足並みを揃える自然主義的かつ敗北主義的な精神です。これは、第二バチカン公会議以来、教会内外の革命に奉仕してきた自由主義的で近代主義的な位階階級の側が、この世に対してさらに降伏し、服従することです。

信仰と聖性の守護聖人である童貞聖マリアが、聖なる教会を助けに来てくださいますように。特に、この混乱に最もさらされている人々、すなわち、新しいバビロンの中で、道徳律を思い起こさせる基準も導き手もなしに、成長することを余儀なくされている子どもたちを守ってくださいますように。

総長ダヴィデ・パリャラーニ神父
2023年12月19日、メンツィンゲンにて

[1]教皇フランシスコ「リスボンでのイエズス会士とのインタビュー」、2023年8月5日。


【訃報】ワリエ神父様のお母さまが先程、帰天されました

2023年12月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ワリエ神父様のお母さまが、お亡くなりになりました。その霊魂が安らかに憩われんことを。愛する兄弟姉妹のお祈りをおねがいいたします。

トマス小野田神父




2024年の秋田巡礼:5月2日(木)夕方に到着、5月3日から5月6日(月:振替休日)まで

2023年12月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2024年も、聖母の月である五月に恒例の秋田巡礼を行う予定です。
期間は、5月2日(木)夕方に到着、5月3日から5月6日(月:振替休日)までです。
2024年も、最低三名の司祭が巡礼者の方々と行動を共にする予定です。

多くの巡礼者が予想されます。また宿泊施設は65名の定員があります。そのために2024年からは最初から最後まで参加される巡礼者の方々を優先させなければならなくなりました。
部分参加をご希望される巡礼者の方々については、近くの宿泊施設の利用をお願いすることになりそうです。
何卒ご理解をよろしくお願い申し上げます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【訃報】シスター・マリ・エスペランスの祖母さまがお亡くなりになりました。

2023年12月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

昨日の午後6時に、シスター・マリ・エスペランスの祖母のマリア上道さんがお亡くなりになりました。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い致します。その霊魂が安らかに憩われますように!

 


アジア管区長のサマース神父様から新しい人事異動の知らせがありました。

2023年12月11日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
アジア管区長のサマース神父様から新しい人事異動の知らせがありました。
次の人事異動は 2024 年 2 月 15 日付で行われます。
ワリエ神父が、東京の新しい修道院長に任命されました。
ドモルネ神父は、マニラに任命されました。
小野田神父は、ワリエ神父の補佐司祭に任命されました。
サマース神父も、私たち暁の星 聖母修道院の全ての司祭も、私たちの新しい任務において、天主のみ旨をよく果たすことができるように、皆さまのさらなるお祈りを感謝いたします。

         人事異動

親愛なる信者の皆様、

ドモルネ神父の異動に関するニュースがあります。後任はワリエ神父で、東京の新しい修道院長となります。小野田神父は彼のアシスタントになります。

聖ピオ十世会の会憲第1章にあるように、任命と異動は従順の徳を実践するための特別な機会です。
もちろん、私たちは、司祭たちが現職で献身的に奉仕していることに感謝し、新しい職場で天主のみ旨に従う力を与えてくださる天主に感謝します。

これらの異動は2024年2月15日に行われます。

マリアにおいて
パトリック・サマーズ神父

Dear Brethren,
We received a new assignment from the district Superior Rev. Fr. Patrick Summers.
The following transfers will take place on February 15th of 2024:
Father Wailliez, is assigned as the new Prior in Tokyo.
Father Demornex will be assigned to Manila.
Fr Onoda will be a co-operator for Father Wailliez.
Father Summers and all the priests of the priory of Stella Matutina thank you of your continuous prayers to accomplish the Holy Will of God in our new assignements.

         New Assignment

Dear Faithful,

Here you will find news about the transfer of Father Demornex. He will be replaced by Fr. Wailliez, who will be the new Prior in Tokyo. Fr Onoda will be his assistant.

As we read in the first chapter of our SSPX Ordinances, appointments and transfers are a privileged occasion to practice obedience.
Of course we thank our priests for their dedicated service in their current assignments and we thank God for giving them the strength to follow the will of God into their new positions.

These transfers will take place on February 15th of 2024.

in Maria,
Rev. Fr. Patrick Summers




聖ピオ十世会の「聖母の汚れなき御心聖堂」と「聖なる日本の殉教者教会」とを聖母の汚れなき御心に奉献する

2023年12月01日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月29日から無原罪の御やどりの祝日を準備するノベナが始まっています。

東京では、2017年7月16日に行ったように、新しい聖堂が与えられたことを感謝して、来る12月24日(主日)の歌ミサの後にもう一度、聖母の汚れなき御心に私たちを奉献する予定です

アルスの聖司祭ヴィアンネ神父様にならって、私たちの名前を全て書き込んでマリア様の御影(ごえい)に埋め込みます。日本の最上位の守護者である聖母の汚れなき御心への奉献に私たちの名前を刻むことをご希望の方は、信徒会長あるいは受け付けの方にお名前を提出してください。

聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」を、聖母の汚れなき御心に奉献する祈り

おお、聖母の汚れなき御心よ、イエズスの聖心の母にして、われらの元后にして母なる聖母よ!
御憐れみをたれて、この 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  に御眼差しを注ぎ給え。われらは御身に、忠孝の愛を示し、この荘厳な奉献によって御身に崇敬を表すことを望み奉る。
われら、 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  の司祭、信徒は、御身にわれらの全てを、肉体も霊魂も、能力も感覚も、人生の全ての悲しみも喜びも、われらの持てる全てを、われらそれ自身を、われらが愛する全てを、御身にことごとく捧げ奉る。
汚れなき童貞女よ、天主の御母にして全ての人々の母よ、われらは御身の聖母の汚れなき御心に、われら自身とわれらの 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  とを奉献し奉る。われらを御身の子供として受け入れ給え。
御身の汚れなき御心が、われら 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  の司祭、信徒らにとって、若きも老いたるも、健康なる者も病の者も、熱心なる者も罪を犯した者も、また将来の会員らにとっても、天主へと導く道とならんことを。
われらの愛する御母よ、われらを統治し給え。われらが豊かなときも貧しいときも、喜びの時も悲しみの時も、健康の時も病の時も、生涯に亘っても死後も、いつも御身のものたるために。
聖母のいとも憐れみにあふれる御心よ、童貞の元后よ、われらの心も精神も守り給え。御身はファチマにて、人々の傲慢や不貞潔や異教精神をいたく深く嘆き悲しみ給うたり。われらをして現代にあふれるこれらの洪水から逃れしめ給え。
今より後は、御身は当会の元后にして母なり。われらの霊的かつ物体的な善を世話し給え。われらの祈りを聞き給いて、この世の悲しみと困難の時、特にわれらの臨終の時にわれらに慰めを給え。
われらは、われらの家族、当 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  、われらの祖国、全世界に、正義と愛徳における天主の平和を呼び求め奉る。
われらは、われらの能う限り、御身の御助けにより、償いと改悛との精神をもって御身の諸徳に倣い、真のキリスト教的生活を送り、世間体を気にせずに、頻繁な改悛の秘蹟と御聖体の秘蹟を受け、典礼に敬虔に与り、公教要理を注意深く学ぶことを謹んで約束し奉る。
おお、聖なるロザリオの元后よ、われらはロザリオの祈りを毎日欠かさずすることを約束し奉る。
われらは、御身の助けを持って、キリスト教生活が私たちに要求する犠牲を全て受け入れ奉り、それらを御身の汚れなき御心により、御身の聖子イエズス・キリストのミサ聖祭の犠牲と一致して、イエズスの聖心に捧げ奉る。
美しい愛の母よ、われらの心に、また当会とわれらの家庭に、天主を愛する愛の火を燃え立たしめ給え。願わくは、この愛の火によりて、われらの身分上の努めに常に忠実ならしめ、天主の聖寵により、われらの模範と犠牲と祈りとを通して、われらの隣人と憐れな罪人たちに対する熱心な使徒とならしめ、彼らを真の信仰生活を送るように導くことができるようなさしめ給え。
願わくは、イエズスの聖心の御国が、御身の汚れなき御心の御国と共に、 聖ピオ十世会東京の「聖なる日本の殉教者教会」  とその全ての信徒らに来たらんことを。われらの元后にして母なる聖母よ、われらが御身を愛し御身に奉仕し、御身に真に奉献された生活を送ることにより、われらがついに至聖なる三位一体との永遠の至福に至るにふさわしき者とならんことを。アメン。
「わが天主よ、われ、信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。われ、信ぜぬ人々、礼拝せぬ人々、希望せぬ人々、御身を愛さぬ人々のため、御身に御赦しを願い奉る。」
「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

【大阪では、この奉献を2017年5月13日に行い、2019年7月19日に更新しましたが、再び、来る12月8日に行う予定です。】

12月25日(月)私たちの主の御降誕は、大阪では午前10時半から、東京では大宮の新しい聖堂で午後6時半から歌ミサを行う予定です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


カトリック聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka: SSPX Japan

2023年08月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2023年8月27日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計106人でした。大阪では35人でした。名古屋では29人でした。天主に感謝!

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at today's Sunday masses in Tokyo and the amounts of donations received and payments made. The total number of attendees at today's Sunday masses in Tokyo was 106 including children.

09:00 mass
M: 34 (incl. 8 children)
F: 33 (incl. 8 children)
Total: 67 (incl. 16 children)

11:30 mass
M: 25 (incl. 1 child)
F: 18 (incl. 4 children)
Total: 43 (incl. 5 children)

Total of 2 masses (excl. 4 persons who participated in multiple masses)
M: 57 (incl. 9 children)
F: 49 (incl. 12 children)
Total: 106 (incl. 21 children)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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