Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「小さくされた」とは

2009年05月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!聖霊来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 最近の非公開のコメント、慰労のお言葉、励ましの言葉などをありがとうございます。感謝しております。

 この頃、「小さくされた」という言い回しについて考えています。私の思うには、小さく「された」ということは、本当は大きくあるべきだ、大きくあるはずだ、しかし不当に、不正に、小さくされてしまったということを意味しているようです。

 ただ単に何かが小さいという現実を認めるのではなく、わたしの主観によればもっと大きくあるべきだ、しかしこれを小さくさせる現実がある、これに対して、わたしの思い通りに合わせることを要求する、ということを暗示しているです。

 わたしがわたしの思いを現実に合わせるよりは、現実がわたしの考えや理想や思いに合わせるべき、そうなるように戦う、闘争する、という意味だと思います。

 この「小さくされた」ということが、本田神父のいうように経済的側面に限定されると、「搾取された」という意味になるでしょう。

 問題は、もしも私の理解が正しいとすると、小さく「された」と思う人はすべて正しい、彼らが信じているように、「悪しき」現実を変えるべきだ、妥協の余地はない、ということにあると思います。だから本田神父によると、天主は小さい人々にではなく、小さく「された」人々にだけいる、ということになるのだと思います。(しかし本当は、天主は、義人にも悪人にも雨を降らせ給う。)

 もしも、本田神父が言わんとすることが、天主が小さく「された」人々にのみいる、だから小さくされた側について闘う、ということを意味しているとすると、それは自らを小さくされた側にあるとすることです。しかし、自らを小さく「された」側だと認識することは、自分は実は「大きくあるべき」だ、と認識することです。

 もしもそうなら、その瞬間に、天主は小さくされた人々にいるという恵みを給わないでしょう。なぜなら、天主は自らを高める者を低くし、自ら低くする者を高めるからです。

 小さな人たちには、本当に「搾取された」場合もあるでしょう。不当に取り扱われた場合もあるでしょう。例えば聖香ちゃんの場合のように。或いは、ひざまづいて口で聖体拝領をするという正当なことを拒否されてた場合のように。決して廃止されていなかった聖伝のミサ聖祭を捧げていたがために不当な取扱いを受け村八分にされている場合のように。正しいことをしているのに排斥され、蔑まれる場合があります。

 しかし、すべての小さな人たちが必ずしもすべて搾取されたわけではないのです。すべて叱られている子供が犠牲者ではありません。

 また、もちろん、いじめられている子供、学生たちがいます。成績が悪いから、運動神経が鈍いから、空気を読めないから、おまえなど要らないという陰湿ないじめが存在しています。少し皆と違っているから、ちょっと皆と馴染めなかったから、という理解で、あるいは嫉妬や妬みでいじめが起こり、いじめを受けた子は不登校になって、行き場を失ってしまい、野宿をしたり、路上生活をしたりして、どんどん行き場を失ってしまう学生たちもいます。自分が誰からも必要とされていない、と思い込んで自分を追いつめてしまう方々もいます。自傷したり、時には自殺まで追いつめてしまう方々がいます。

 不景気なので、本人の過失がなかったにもかかわらず、就職できず、仕事が無くて自分に生きる価値が無いと思い込んでしまう方々もいます。就職難で鬱病になってしまう方々もいます。正社員でも過労で、過労死寸前の方々もいます。

 しかし、いじめを受けた「聖香ちゃん」たちを救うという理由で、いじめたお母さんや「お父さん」を皆で非難していじめても解決にはなりません。学校の先生を皆で責めていじめても、本当の解決にはなりません。行政を責めていじめてみても、いじめは無くなりません。

 「小さくされた」という表現に、俺は全く正しい、回りがすべて悪い、というニュアンスがあるように思えます。誰かが悪いから、誰かのせいで、小さくされた、という暗黙の理解があるように思えます。

 でも、原罪を持って生まれた私たちですから、どのような素晴らしい修道院であれ、聖なる方々が集う王家であれ、小さな人はいるでしょうし、苦しいこともつらいことも屈辱的なこともあります。貧しさや無理解や誤解があるでしょう。

 もし私の理解が正しいなら、私たち人間について小さくされたという表現を使うことによって、単純な被造の人間の「小ささ」が見失われてしまうと思います。人間のすべての苦しみに怒りを抱くようになってしまうと思います。天主様が私たちに対して求めている天主様に対する人間としての素直さや、謙遜、小ささが忘れられてしまうように思えます。

 私たちは目の前で苦しむ「小さな人」たちを愛徳によって、私たちの力の範囲で、なんとかその苦しみから助けたい、苦しみを緩和したい、と思います。それが私たちの自然な情です。私たち皆が多かれ少なかれ天主様の御前では小さなものだからです。まして天主様はどれほど小さな霊魂を愛し給うでしょうか!

 ところが「小さくされた」という場合、責任は誰だ?制度を変えよ、政権を交代せよ、システムが悪い、この地上を楽園にせよ!ということを想定しているように思えます。そして、この地上からすべての人間をして小さくさせるような要因を悪として取り除くように行動することを暗示しているようです。さらには人間をして小さくさせられることを許した天主に対する反乱さえ排除しないように思えます。

 しかし自然界には競争があり、原罪の傷として怠惰や貪欲や嫉妬があり、また不運と幸運があります。小さくされたという言い方は、それを見失わせてしまいます。天主様の愛の御摂理を忘れさせます。私はここで、例えば、「ハンセン病を天主様に感謝、永井博士との出会いを天主様に感謝」と言った日原さんのことを考えています。「人にとりて尊いものは魂と 知らしめんために ライはあるなり」と詠った永井博士のことを考えています。「いじめられてよかった、ひきこもりでよかった、アル中でよかった、神様、僕をアル中にしてくれたことを感謝します」と言っている月乃さんのことを考えています。

 さらにはこうも考えました。

 本当の意味では、被造の罪ある分際の人間は、小さくされたとは言えないのかもしれない、と。なぜなら、小さくあるのが天主様の御前では当たり前、ある意味で小さいのが当然だからです。

 本当の意味では、天主様だけが大きくあるべきお方です。「天にまします我らの聖父よ、聖名の尊ばれんことを!」と祈るように。

 厳密に言えば、キリスト者にとって、天主様のみが栄え、私たちは身を屈めるべき者です。私たちの主イエズス・キリストこそ、人類の王として、その正当な主権と権利とが認められるべきお方です。

 しかし、諸国は、このイエズス・キリストの権利を認めようとせず、イエズス・キリストを貶めております。イエズス・キリストは小さくされています。特に、アシジの精神により、私たちの唯一の主なる天主イエズス・キリストは、この上なく小さくされています。私たちの主イエズス・キリストの名誉と真理が不当に小さくされています。

 そればかりではありません。私たちの主イエズス・キリストの母、天主の御母聖マリア様についても同様です。聖母マリア様が終生童貞であるという真理と事実が、一部の「カトリック」聖職者らのふざけた主張によって、疑問視され、歪められ、その名誉が不当に小さくされています。

 問題は、私たちの一番大切な方のことが忘れられていることです。私たちの一番大切な方が、さらに小さく「されて」いることです。そしてこのことを誰も問題にしようとしないことです。

 私たちは、私たちの主イエズス・キリストとその聖母マリア様の名誉が不当に小さくされていて、何でもないのでしょうか!? それで平気なのでしょうか!? 私たちは何もしないでヘラヘラしていて良いのでしょうか!? 聖霊来たり給え!信者の心に満ち給え!私たちを照らし、力づけ給え!

天主の御母聖マリアよ、我らを憐れみ給え!

聖母マリアよ、我らのために祈り給え!我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

初聖体の子供たち

2009年05月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!聖霊来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖霊降臨の主日のお喜びを申し上げます。

 私たちのいるニューマニラの聖ピオ十世会の教会では、本日の歌ミサで、九名の子供たちが初聖体の恵みを受けました。天主様に感謝!

 愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りを感謝いたします。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ニュー・マニラにて主日の仕事が一段落してホッとひと息つきつつ

カトリック大阪カテドラル聖マリア大聖堂で礼拝(日本聖公会大阪教区報より)

2009年05月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック大阪カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)で、今日の午後5時から、聖霊降臨日前夕の礼拝実行委員会主催の「第3回 聖霊降臨日 前夕の礼拝」が開催されることを教えて頂きました。
 詳細は、次の第5ページをご覧下さい。ご参考までに。

日本聖公会 大阪教区報
第406号 2009年4月12日発行


ペンテコステ ヴィジル
第3回 聖霊降臨日 前夕の礼拝

日 時:2009年5月30日(土)17時~18時
場 所:カトリック大阪カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)
参加費:自由献金
司 式:サムエル 大西 修 主教(日本聖公会)
    井上 隆晶 牧師(日本基督教団)
    ミカエル 松浦 悟郎 司教(カトリック大阪大司教区)
説 教:サムエル 福田 光宏 司祭(日本聖公会)

主催 聖霊降臨日前夕の礼拝実行委員会

※礼拝終了後、交流会を予定しております。
※ペンテコステはギリシア語で50番目の意味でご復活から
 50日目の日を表し、ヴィジルは夕の祈りという意味です。

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【参考資料】新しい裁判員制度

2009年05月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア! 聖霊来たり給え!

[裁判員制度] ブログ村キーワード

【参考資料】新しい裁判員制度

愛する兄弟姉妹の皆様、
 こんな記事を教えてもらいました。ご参考までにご紹介します。これを読むと、カトリック教会に関して言えば、次のことでとまどいがあると思われます。

■ カトリック平信徒(カトリック中央協議会 司教協議会秘書室研究企画訳による「教皇ベネディクト十六世の国連総会での演説(2008年4月18日)の中の表現によれば「宗教者」、しかし一般には「信者」とか「信仰者」と呼ばれている)が裁判員になることが出来るのか、
 あるいは、カトリック聖職者(いわゆる「宗教家」)が、裁判員になることが出来るのか、ということ。

■ 裁判員になることができるとすれば、死刑は制度として許されるのか、ということ。

■ もしも教会法が禁止する「聖職者の国家権力行使への参与」の規定に抵触するために、聖職者が裁判員になることが出来ないとすると、何故アメリカでは陪審員制度があるがアメリカのカトリック教会は何もそれについて発言していないのか? 「国家権力の行使への参加」とはどのようなことなのか? アメリカでは、聖職者が陪審員となっても、有罪か無罪かを判断するのみで刑の量を判断しないから国家権力の行使への参加にはならないのか? ということ。



 報道によると、国民の過半数はアンケートによるとこの制度を不要に思っているそうです。 そこで、ふと思ったこと。あくまでふと思ったことです。

◆ 「主権在民」に従うなら、新しい裁判員制度は、人が人を裁く権を持つという主権在民的民主主義の原理の適応にあるのではないでしょうか? 例えば人民共和国による人民裁判のように。

◆ カトリック教会では、聖職者と信徒の方々との区別がありますが、カトリックに対立するような人々は「反聖職者主義」を唱えてきました。万民司祭論という全てのキリスト者が司祭だという主張です。聖職者を不信し、平信徒を支配の側に立たせる、という考えです。
 何か同じ構図で、公務員と市民という区別の中で、反公務員論に基づいて、公務員不信、民間の支配という考えに似ているのではないかと思いました。
 このような構図が行き着くと、結局は、持てるものと持たないもととの対立という区別の中で反ブルジョワ論に基づいて、プロレタリアの支配ということに行き着いてしまうのでしょうか?

◆ カトリック教会で、第二バチカン公会議以後、聖職者の役割を平信徒にやらせるというのがあります。例えば、聖体を配る聖体奉仕者など。信徒の方々は嫌われていても、「平信徒の時代」(教会の民主主義化)ということで強制されています。
 何か同じ構図で、一般市民に、不要だと思われていても、やりたくないと思う人が過半数でも、裁判員に偶然選ばれてしまうと、辞退できないという強制があることが似ているのではないか、とも思いました。

===以下は教えて頂いた記事の抜粋です。===


神戸新聞NEWSから「人を裁くこと、宗教家の間で戸惑い 裁判員参加」

 裁判員制度が始まり、宗教家の間で戸惑いが広がっている。「人を裁いていいのか」という悩みのほか、死刑判断に加われば、思想信条や教えに背くのではないかとの不安があるからだ。一方、市民に宗教家の意思を示せる好機ととらえ、積極的に参加すべきだとの意見も出ている。(三島大一郎)
 「裁判員になるのは、やめたほうがいい」。兵庫県内で牧師を務める男性(62)は、裁判員候補者の名簿に掲載されたと通知を受けたとき、牧師仲間から忠告を受けた。

 男性自身は「キリスト教は裁判所の存在を否定しておらず、犯した罪の大きさに応じた罰を判断することに問題はない」と前向きに考えているが、聖書には「人を裁いてはならない」「殺してはならない」との言葉があるからだ。男性は「裁判員制度に否定的で、死刑廃止を強く訴える牧師や信者は多い」と話す。

 今年二月、カトリック中央協議会が開いた勉強会で、裁判員になることは教会法が禁止する「聖職者の国家権力行使への参与」の規定にも抵触するとの指摘が出た。

 カトリックの大勢は死刑制度に否定的だ。カトリック大阪大司教区の池長潤大司教は「裁判員になることや死刑を判断することは、国家権力の行使への参加に当たる」と危惧(きぐ)する。

 ただ、教会法には「各教区の司教判断で、許可できる」との規定がある。そのため同協議会は、信徒、聖職者向けの指針となる文書を作成するという。池長大司教は「指針を踏まえ個人で判断してもらう。今後、裁判員制度がいいものか、悪いものかを検討することが必要」としている。(以下略)


2009/05/21付 西日本新聞夕刊から「宗教者に「裁く」葛藤 思想信条 辞退難しく 裁判員制度スタート」

 心の救済と裁くことは両立できるか。21日に始まった裁判員制度での法廷参加をめぐり、宗教者の間で判断が揺れている。「社会を守るため」と肯定的にとらえる人もいれば「協力したいが、宗教の教えに従えば人を裁けない」との葛藤(かっとう)も。死刑制度に反対する宗派もあるが、法務省や裁判所は宗教上の理由だけでは辞退を認めない方針だ。

■「社会を守るため参加」「死刑だけは避けたい」

(前略)長崎市にあるキリスト教のカトリック教会の神父は、参加は「事件によって判断したい」という。「キリスト教は人をゆるすのが原則。死刑判決を出さなければならない事件の裁判員はやはり難しい」との認識だ。

 新約聖書には「人を裁くな」と書いてある。それでも福岡市西区のプロテスタント教会の40代の牧師は「聖書の『裁くな』は、人を心の中で非難してはならないという意味。法律上で裁くのは問題ない」と話す。キリスト教も一様ではない。

 一方、福岡市のイスラム教徒の男性(52)は「社会の規律を重んじるのが教え。参加は社会を守ることにつながる」と肯定的だ。「規律を維持するためには、死刑の制度もやむを得ないと考える」という。

 裁判員法や法務省が定める政令には、思想・信条を理由に裁判員を辞退できる規定はないが「精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断する場合に限って辞退が認められる。

 裁判員制度に詳しい久留米大学法科大学院の吉弘光男教授(刑事訴訟法)は「精神的な不利益を具体的に説明しなければ、辞退するのは難しいだろう」とみている。

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聖霊降臨祭の前日

2009年05月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

聖霊、来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日5月30日は聖霊降臨祭の前日です。聖ピオ十世会では、修道会の方針として、1957年聖座報に述べられた通りの大斎を守っています。それによると、聖霊降臨祭の前日は大斎、小斎の日です。

 愛する兄弟姉妹の皆様をも、この償いの業にご招待いたします。愛によって、寛大にお捧げするように応援し激励いたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

司祭を助けるために聖伝のミサの捧げ方を説明したチュートリアルDVDの注文先

2009年05月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 司祭を助けるために聖伝のミサの捧げ方を説明したチュートリアルDVDは、6つの言語(日本語、韓国語、タイ語、中国語、インドネシア語、ベトナム語)が入っており言語を選べるようになっています。YouTubeには、現在、一部分しかアップされていません。DVDをご希望の司祭、或いは神学生の方々は、トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)(thomasonoda@fsspx.mail-box.ne.jp)にご連絡をするか、あるいはシンガポールの聖ピオ十世会の修道院(Society Saint Pius X, 286 Upper Thomson Rd SINGAPORE 574420.)にご注文をお願いいたします。現在、このDVDは、司祭あるいは神学生の方々にのみお送りしておりますのでご了解願います。

วิธีการทำมิสซาลาติน(แบบเก่า)


This is an excerpt of a 6 Asian language DVD done to help the priests learn how to say the Tridentine Mass. The DVD can be ordered at (thomasonoda@fsspx.mail-box.ne.jp) or in Singapore at Society Saint Pius X, 286 Upper Thomson Rd SINGAPORE 574420.

เรายินดีที่จะสอนวิธีการทำมิสซาลาติน (DVD) อธิบายเป็นภาษาไทย ภาษาจีน ญี่ปุ่น เวียตนาม และ อินโดนีเซีย) ถ้าคุณเป็นคนที่สนใจที่จะเรียนรู้ เรายินดีที่จะจัดส่ง DVD เวอร์ชั่นเต็มให้คุณ ฟรี กรุณาติดต่อได้ที่ ...ธัญญ์นิธิ วิทยเดโชเศรษฐ์ ๗๐/๓ ถ.ราษฎรยินดี ต.หน้าเมือง อ.เมือง จ.ราชบุรี ๗๐๐๐๐ โทร 08037429465 หรือที่ Email : pote_ong@hotmail.com หรือที่ คุณพ่อ แดเนียล กูตู 286 Upper Thomson Rd SINGAPORE 574420 ( ขอบคุณที่สนใจ อนุรักษ์ มิสซาลาตินกับเรา )

 ベネディクト十六世教皇様の言うように、私たちは教会が過去愛してきたものを愛し続けていかなくてはなりません。

 願わくは、聖ピオ十世会だけではなく、世界中の全ての小教区で、聖伝のミサ聖祭が復活 しますように!

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松本聖香ちゃん

2009年05月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 たしかに聖香ちゃんのお母さんは、弱った、冷たかった、残酷だったと言えます。

 しかし、過去三千六百万名の「松本聖香ちゃん」たちを生み出してしまった私たちのうち、一体、誰が聖香ちゃんのお母さんに石を投げることができるほど罪が無い者でしょうか!?

 毎日、今も日本で、小さい小さい「聖香ちゃん」たちがお母さんの胎内から「ベランダ」に、つまり体外に出されていますが、誰が助けようとしたでしょうか!?誰が指一本たりとも動かそうとしたでしょうか!?数えるほどしかいなかったのではないでしょうか!?今、この瞬間、私たちは助けるために何をしているのでしょうか!?

 だから、私たちは、聖母マリア様に憐れみを乞うて祈りましょう。聖香ちゃんのお母さんのために祈りましょう。聖香ちゃんの「お父さん」のために祈りましょう。

 そして日本中の「聖香ちゃん」たちのお父さんとお母さんのために祈りましょう。これ以上、「聖香ちゃん」たちが命を落とさないように。

 何らかのやむにやまれない事情で、子供を育てることができないとしても、罪のない子供を殺めることがないように。

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!我らのために祈り給え!我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ソウルでの聖母行列

2009年05月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日の主日には、ソウルでは、私たちは毎年5月恒例の聖母行列を行いました。大変規模が小さい行列でしたが、聖母マリア様のために行いました。参加した私たちの愛する兄弟姉妹たちは、大変喜びました。忙しいところを、パトカーを出してくださった警察の方々には心から感謝します。うまく山積みの仕事が終われば、6月下旬に写真をご紹介いたします。

 次の主日は、マニラでは子供たちの初聖体があります。今年はささやかながら私がその指導と準備の手伝いをしています。愛する兄弟姉妹の皆様、この子供たちが良い初聖体をすることが出回るようにお祈りください。特に、土曜日には小さい黙想会と初告解があります。お祈りください。

愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ニュー・マニラの修道院にて年を感じつつ

小さな「松本聖香ちゃん」たち

2009年05月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 小さな小さな「松本聖香ちゃん」たちのことを考えています。お母さんのおなかの中の小さな家にいる「聖香ちゃん」たちです。

 でも生まれてくる前に「ベランダ」に追い出されるように、無理やりお母さんのおなかの中の小さな家から追い出され、ズタズタにされ、闇に葬られてしまった「聖香ちゃん」たちのことです。

 日本には、今までに三千六百万人以上の小さな「聖香ちゃん」たちがいます。

 どうか天主の御母聖マリアよ、「聖香ちゃん」たちのお母さんたちに、自分が孤独ではないことを、「聖香ちゃん」たちを助けたいと思う多くの人々がいることを知らせてください。

 聖母マリア様、日本中の「聖香ちゃん」たちと、そのお母さんたちを憐れんでください。

 聖母マリア様、世界中の「聖香ちゃん」たちと、そのお母さんたちを助けてください。

 天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!我らを憐れみ給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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アメリカには子供を守るために命がけで立ち上がることのできる人がいる

2009年05月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック教会の中には、勇気のある方々がいることを天主様に感謝します。子供を守るために命がけで立ち上がることのできる人がいることを感謝します。「おまえなど要らない」と言われる「聖香ちゃん」たちの命を守るために立ち上がる人々が存在していることを感謝します。

 堕胎推進者がカトリック大学で名誉学位を与えられ、堕胎反対の司祭が逮捕される、今はそういう時代です。聖伝をまもる司教が「破門」され、御聖体を無視するような人々が司教になる、そういう時代です。しかし、そのような異常な時代でも、勇気を持って立ち上がる人々を送ってくださる天主様に感謝します。


 例えば、アメリカの元バチカン大使(ブッシュ政権の時)であったメリー・アン・グレンドン女史(70歳、Mary Ann Glendon ハーバード大学の法学教授)は、アメリカのカトリックでもっとも最高学府であると考えられているノートル・デイム大学(University of Notre Dame)の最高名誉メダルであるレターレ・メダルの授与を拒否しました。何故なら、同じ授与の式典(今年の5月17日の卒業式)で、堕胎の推進者であるバラク・オバマ大統領が同大学の名誉学位を与えられると知らされたからです。



 メリー・アン・グレンドン女史(Mary Ann Glendon)は、ノートル・デイム大学の学頭であるジェキンス神父(Father Jenkins)に、こう説明しました。

 アメリカの司教たちは、2004年にカトリック施設は「私たちの基本的道徳原理にもとる行為をするものに名誉を与えることができない」としているから、大学は堕胎推進者であるオバマ大統領に賞を授けることができないはずだから、と。

 メリー・アン・グレンドン女史(Mary Ann Glendon)は、プロ・ライフ(pro-life)運動でとてもよく知られている方でした。


* * *


 2009年5月に、ノートル・デイム大学は、聖母マリア様に対する祈りである天使祝詞(めでたし)などを唱えながら祈りのうちに堕胎に抗議していたカトリック司祭を逮捕しました。

Notre Dame arrested a Priest and Honors A Pro Abortion Obama, Now That Is Change


Pass The Salt - Priest Arrested at Notre Dame (Full Version)


 「キリストの子羊らの会(The Lambs of Christ)」の創立者であるウェスリン神父(Father Weslin)は逮捕され、堕胎の推進者はカトリック大学で名誉学位を受けました。神父様は、堕胎をする病院の前で祈りをしたりして、すでに逮捕や拷問を受けていたので両手が不自由で障害を負っています。どのような拷問を受けたかは "The Gathering of the Lambs", published by Queen of Angels に詳細に書かれているそうです。

* * *


Dr. Alan Keyes Arrested at Notre Dame during prayer demontration on campus


 2009年5月8日、アラン・ケイェス博士(Dr. Alan Keyes)も、平和のうちに堕胎反対のロザリオの祈りを唱えているところを、その他21名のカトリック信徒たちと共に逮捕されました。

 アラン・ケイェス博士(Dr. Alan Keyes)は、前大統領選の候補者でもありました。

 詳しくは、www.cfnews.org/keyes-arrested.htm をご覧ください。

On Friday May 8, former presidential candidate Alan Keyes was arrested at Notre Dame protesting the university’s decision to honor President Obama with the commencement speech and an honorary law degree.
To date, 71 Bishops have spoken out against Notre Dame’s invitation to President Obama.
To learn more, go www.stopobamanotredame.com

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盧武鉉前大統領の霊魂のため

2009年05月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 盧武鉉前大統領は、登山の最中に亡くなられたそうです。盧武鉉前大統領の霊魂のため、韓国のために、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

第二、第三の聖香ちゃんに

2009年05月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!聖霊来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 きっと、松本聖香ちゃんは、もっとたくさんいることでしょう。過去にもいたし、未来にもいるだろうし、唯一のケースではないでしょう。

 もちろん、ふつうは良いお父さんが、良いお母さんが、子供たちを愛して、子供たちが良くなるために、子供が悪いことをする場合に叱り叱責し矯正します。それはとても良いことです。聖書も良いことであると教えています。

 しかし、例外が自分の不可避的に生じてしまった場合、第二、第三の「聖香ちゃん」は、どうしたら良いのでしょうか!? 新しいパパからいじめられている「聖香ちゃん」たちから相談された場合、何とアドバイスしたら良いのでしょうか!? 自分がそんな境遇にあったなら、良いことをしているのに新しいパパやママから「おまえのような奴は、いなくなってしまえ」といじめられたら、どうしたら良いのでしょうか!?

 もし、私たちが「聖香ちゃん」たちのお母さんの立場にいたら、私たちはどうしたら良いのでしょうか!? 他人を非難するのは簡単ですが、もし私たちがそんな立場に置かれたらどうすれば良いのでしょうか!?

 もし聖香ちゃんのお母さんが、内縁の夫から追い出され、暴力を受け、殴られ蹴られることを予測しても、子供を守ったら、そんなお母さんは責められるべきでしょうか!? 自分の夫に不従順だったと世間から白い目で見られなければならないのでしょうか!?

 それとも、夫が怒り狂おうとも、世間が村八分にしようとも、マスコミが騒ぎたてようとも、お母さんが子供を虐待から身をはって守ったなら、そんなお母さんこそが、誉められるべきでしょうか!?

 いえ、むしろ、お母さんが聖香ちゃんを守りかばってあげなかったなら、誰が出来たでしょうか!? 聖香ちゃんの「弟」が「姉」をお父さんからかばってやるのでしょうか!?

 愛する兄弟姉妹の皆様の良識あるご判断に委ね、それに期待します。

 ルフェーブル大司教様は、世間が怒り狂おうとも、マスコミが騒ぎたてようとも、聖伝のミサ聖祭を守り、ご聖体を守り抜いた司教でした。ご聖体を大切にするがためにいじめられていた信徒たちを守り抜いた司教でした。司教を義務を果たし抜いた司教でした。

 カトリックの司教が聖伝を守り、聖伝のミサ聖祭を守り、聖伝の信仰を守らなかったなら、誰が出来たでしょうか!?
ルフェーブル大司教様のおかげで、私たちは今に至るまで、カトリック教会の聖伝をそのまま維持し続けることができているのですから。

 ルフェーブル大司教様という良き母のような司教がいなかったなら、今ごろ聖伝は虐待を受けて死に絶えてしまっていたことでしょう。

私たちに、そのような司教様を与えてくださった天主様に感謝します。

天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

読者の愛する兄弟姉妹の皆様からのご質問に忘れずに答えるために(ベータ版)

2009年05月22日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 読者の愛する兄弟姉妹の皆様からのご質問に忘れずに答えるためにこのスペースを作りました。もっと改良の余地があるかもしれませんが、忘れる前にとりあえず。愛する兄弟姉妹の皆様も、まだこの質問をしたのだけれども答えをもらってない、あるいは、この質問をしてみたい、という内容がありましたら、コメント欄に書いてくだされば、私も手が省けるので感謝いたします。内容が難しいために、私の能力の不足のために、すぐに、あるいは全くお答えできないご質問がありますので、ご容赦ください。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖霊に対するノベナ

2009年05月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、私たちの主イエズス・キリストの昇天の祝日です。今日から聖霊に対するノベナを始めましょう!!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ソウルにて

アルスの司祭の司祭聖年

2009年05月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、ソウルにて、生後10日になる赤ちゃんが洗礼を受けました。お父さんが、聖伝の司祭が来るのを待ちきれませんでした。

 さて、先日、日本にてお手紙をいただきました。お返事は書いていませんが、こんな短歌をいただきました。感謝いたします。

スータンの
すそ翻へし
君の行く先
神の恵みに
我ら憩わん

 そこで返歌。

パパ様は
司祭聖年定めたり、
スータン姿の
模範に倣へと

ロザリオの
数珠を離さず
どこにでも
アルスの司祭
聖母に祈る

主の恵み
さつきのきさきに
コンタツで
こいねがいつつ
我ら憩わん

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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