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聖ピオ十世会会員が叙階をうける前に必ずしなければならない宣言と誓い

2006年09月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!



兄弟姉妹の皆様、


 聖ピオ十世会の会員は、副助祭、助祭、司祭の叙階をうける前に、また聖ピオ十世会の全ての長上、神学校の教授たちは、聖ピオ十世教皇の命令に従って、この信仰宣言と誓いとをなさなければなりません。この宣言と誓いとをご紹介します。


 これは「近代主義の誤謬に反対する誓い」と言って、聖ピオ10世教皇自発教令 Sacrorum antistitum (1910年9月1日)によるものです。今では残念ながら、無くなっていました。


(これについて詳しくはhttp://fsspxjapan.fc2web.com/papal/pius10_jusjurandum.htmlをご覧下さい。)


 かく我ら約束し奉り、かく我ら誓い奉れば、願わくは、天主と天主の聖なる福音我らを助け給わんことを!



 * * * * *



トレント公会議の信仰宣言 (Professio fidei Tridentina, DzS1862-1870)



 私(氏名)は聖なるローマ教会で使われている信経(ニケア・コンスタンティノープル信経)に含まれることすべてと、その各部分を固く信じ、宣言します。すなわち、


 我は、唯一の全能の聖父(ちち)なる天主、すなわち、天と地、見ゆるものと見えざるものの創り主を信じ奉る。また、天主の御一人子、唯一の主イエズス・キリストを。すなわち代々の前に聖父より生まれ、天主よりの天主、光よりの光、真の天主よりの真の天主、創られずして生まれ、聖父と同一本質なり、全ては主によりて創られたるなり。主は、我ら人間のため、又我らの救いのために天より下り、聖霊によりて御托身し給い、童貞マリアより、人となられ給うた。更には我らのためにポンシオ・ピラトの管下にて十字架に付けられ、苦しまれ、葬られ、聖書にありし如く三日目に蘇り、天に上がり、聖父の右に座し、生ける人と死せる人とを裁かんために栄光を伴って再び来たり給う。その主の御国は終わることなからん。


 また、生命の与え主(ぬし)なる主なる聖霊を。聖霊は聖父と聖子とより発出し、聖父と聖子と共に礼拝され、共に栄光を受け給い、予言者を通して語り給いし。また、一、聖、公、使徒継承の教会を信じ奉る。我は唯一の罪の赦しのための洗礼を宣言し、死者の蘇りと来世の生命とを待ち望み奉る。アーメン。


 私は使徒および教会の伝承、その他この教会の規定と憲章を固く認め、受入れます。私は聖書を、聖にして母なる教会が今まで主張し、今も主張している意味に従って認めます。聖書の真の意味を決定し、解釈するのは教会の任務です。私は、教父たちの一致した意見以外の意味で、聖書を受入れたり、解釈したりすることを、決していたしません。


 全人類の救いのために、私たちの主イエズス・キリストが制定した新約の秘跡が七つであることを信じます。すなわち、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の七つがあり、全ての人に全ての秘跡が必要ではないけれども、恩恵を与えるものであることを信じます。洗礼、堅信、叙階を繰返して授けることは汚聖の罪であることを。上にあげた秘跡の荘厳な執行にあたって、カトリック教会が認めている儀式を受入れ、認めます。


 原罪と義化について、トレント公会議において決議され、宣言された全体と各部分を信じ、受入れます。


 ミサにおいて生者と死者のための真実で正しいなだめのいけにえが、天主に捧げられること。至聖なる御聖体の秘跡の中に真実に、現実に、実体的に私たちの主イエズス・キリストの御体と御血が、その魂と神性とともに実在すること。パンの全実体が御体に、ブドー酒の全実体が御血に変化し、この変化をカトリック教会が全実体変化と呼んでいることを信じます。一つの形色のもとにキリストの全体と真の秘跡を受けることを信じます。


 練獄が存在し、そこに留められている霊魂を信者の代祷によって助けることができると固く信じます。キリストとともに天国にいる聖人を尊敬し、彼らに祈りを捧げるべきこと、また聖人は私たちのために天主に祈っていること、聖人の遺物を尊ぶべきことを信じます。キリストと終生童貞である天主の母および他の聖人たちの像を持ち、保存すべきであり、それに対してふさわしい栄誉と崇敬を捧げるべきであると強く主張します。贖宥の権力がキリストによって教会に残され、それを活用することはキリスト信者にとって非常に有益であると確信します。


 聖、カトリック、使徒伝来のローマ教会は、全てのキリスト教会の母であり、教師であることを承認します。使徒たちの頭である聖ぺトロの後継者であり、イエズス・キリストの代理者である教皇にまことの服従を誓います。


 聖なる規定と諸公会議、特に聖なるトレント教会会議およびバチカン公会議による全ての伝承、定義、宣言、特に教皇の首位権と不可謬権についてを疑うことなく受入れ、宣言します。これに反する全てのこと、および教会によって非難され、排斥され、呪われた全ての異端を、同じように非難、排斥し、呪います。


 これなしには誰も救われることがない、この真のカトリックの信仰を、今ここに、私は自発的に宣言し、真実に信じます。私(氏名)はこの信仰の全体を、天主の助けによって、最後の息を引きとるまで、傷つけることなく堅く守り、宣言します。また私に従属する者および私が司牧している者たちによって、これが信じられ、教えられ、説かれるように、全力を尽くすことを誓い、約束します。天主と天主の聖福音書が私を助けてくださるように。

 


近代主義の誤謬に反対する誓い
(Iusiurandum contra errores modernismi, DzS3537-3550)


 我 (某) は、教会の無謬の教権によりて定義、確認、宣言されし事を、就中今の時代の謬説に直に反対せる主要なる教義を、悉く、一つ残らず堅く信じ、受け入れん。


 先づ第一に、万物の原因且つ目的たる天主の存在は、結果より原因を知るが如く、理性の自然の光によりて「造られし物を通じ」(ローマ1・20参照)、即ち目に見ゆる被造物を通じ、確実に知り得る事、また故に証明可能たる事を、我は宣言す。


 第二に、啓示の外的論証、即ち天主がなし給いし御業、とりわけ奇蹟と預言とは、キリスト教が天主に由来せん事のいとも確実なる徴しと自認し承認す。またこの同じ外的論証が、全ての世と全ての人間の知性に、今の世と今の世の人間の知性と雖も之にいと相応しきものたる事を、我は堅く信ず。


 第三に、啓示されし御言葉の保護者かつ教師たる教会を、主が我らの内に住み給ひし時、真の歴史的キリスト御自身が、主御自ら直接に制定されし事、及びその同じ教会が使徒位階制度の頭たるペトロと、時の終りに至るまで全ての後継者らの上に建てられし事を、我は堅き信仰をもって信ず。


 第四に、使徒達より、正統信仰の教父達を通じ、常に同じ意味及び解釈に従いて我らに至るまで伝えられし信仰の教義を、我は誠実に受け入れん。故に、教義が、教会が初めに保持せしものとは異なり、一の意味より他の意味へと進化すると説く異端説を、我は拒否す。同じく、キリストの花嫁たる教会に任され、これによって忠実に守らるべき天主の信仰の遺産を、人間の努力により徐々に形作られ将来に亘る無限の発展によりて完成さるべきとする謬説を、我は全て排斥す。


 第五に、信仰が、心の欲求と意志の衝動との下で道徳的に未発達なる潜在意識の奥底より湧き出づる盲目的宗教感情にあらざる事、またかえって信仰とは聴覚を通じ外的に受けた真理に対する真なる知性の同意たる事、即ち我らの創造主且つ主たる位格的天主が曰い、証明し、啓示し給いし事を、最高の真理なる天主の権威の故に、我ら信じ奉る事を、我は最も確実に堅く信じ且つ誠実に宣言す。


 更に、回勅「パシェンディ」および教令「ラメンタビリ」に含まるる全ての、特に所謂教義の歴史に関する排斥、宣言、規定に対し、我は尊敬の心持て服従し、且つ我が魂全てをもって、之を厳守す。


 同じく、教会によりて提示されし信仰が歴史と矛盾し得ると主張する者達の誤謬、またカトリック教義が今日理解されし意味において、カトリックの宗教のより真正なる起源と調和し得ざる旨主張する者達の誤謬を、我は拒絶す。


 また、信仰者の信仰に矛盾せる事を奉ずる事、若しくは教義をあからさまに否定せぬ限りにおいては教義が誤りたるないしは疑わしきものたるとの結論を導くべき前提を打ち立てる事があたかも歴史家には許さるるが如く、教養あるキリスト教徒は信者と歴史家のの双方の人格を持てりと主張する者達の説を、我は排斥且つ拒絶す。


 同じく、教会の聖伝、信仰の類比、更には使徒座の規範を無視すると共に、理性主義者達の意見に従い、随意にまた大胆にも、原典批判をもってのみ唯一最高の規範とする聖書研究・解釈方法を、我は拒絶す。


 更には、先づカトリック聖伝の超自然的起源若しくは啓示されし真理を永久に保存せんが為天主の約束し給うた御助けに就いての先入観を捨てねばならぬとの説、また教父一人一人の著作は、その天主からの権威を打ち捨て、科学の諸原則のみに従い、通常世俗の文献を研究せん時に用うる判断の自由をもってこれを行うべきとの説を、我は排斥す。


 最後に、聖伝には神的なる点無しとの近代主義者達の謬説、或いは、より増して悪しき事には、聖伝に神的な点無しとの説を凡神論的意味において認め、共通の歴史事実に同化さるべき単なる純然たる事実、即ち人間がその働き、技能、才能によりキリスト及びキリストの使徒達によりて始められし学派を後世に継続したとの事実以外には何ものをも認めずとする説を主張する近代主義者達の謬説には、我は全く反対する事を宣言す。


 故に我は、使徒達に由来せし司教座の継承 の内にあり、今もあり、また未来においても常にあり続くべき真理の確実なる徳能(カリスマ)に関する教父らの信仰を最も堅く守り、これを最後の息まで堅く守り抜かん。そは各時代の文化により良く似つかわしく見ゆる事が信ぜらるる為にあらず、むしろ初めより使徒達によりて説かれし不変の真理が、別様に信ぜられ或いは別様に理解さるる事決してあらざらんが為なり 。


 上述の全ての事を、忠実、完全、誠実に守り、教えるに当たりてもその他の業においても、話す言葉にても書く言葉にても、決してこれより離るる事なき様守り通さん事を、我は約束す。かく我約束し奉り、かく我誓い奉れば、願わくは、天主と天主の聖なる福音我を助け給え。

 


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米の歌手マドンナ:来日公演、京セラドーム大阪で「十字架はりつけ」を披露

2006年09月19日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア!


兄弟姉妹の皆様の償いのお祈りをお願いいたします。
 


 米の歌手マドンナ(48)が13年ぶりの来日公演を16日夜、京セラドーム大阪で行った。


 ロシア公演で論争となり、キリスト教徒からバッシングを受けた「十字架はりつけ」の演出も披露した。


 20、21日は東京ドームで公演する。
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/music/news/20060917spn00m200004000c.html



 カトリック教会も抗議の声明をだしている。
http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200608040047.html


また別のニュース
http://home.eircom.net/content/reuters/entertain/8648901?view=Printer


【マドンナですが、彼女の本名は聖母の名前を見れば明らかですが、マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネは元カトリックだそうです。元というのは、公式にカトリックを捨てる宣言をしたのだそうです。
 しかも自分の出演しているポルノすれすれのプロモーションビデオとローマのコンサートの入場券をベネディクト16世教皇様に送りつけてきたという挑発もしたそうです。
 カトリック信仰を棄てるとは、マドンナにはそれなりの悲しい理由があったのかもしれません。聖母マリアよ、彼女をあわれみ給え! 聖母の汚れ無き御心よ、我らをあわれみ給え! 我らのために祈り給え!



◎ 私たちは兄弟姉妹の皆様に、冒涜の罪の償いの祈りを呼びかけます。
冒涜に対しては、誰かが償いをしなければならないからです。


◎ ラサレットの聖母の言葉1846919日)
 「私の子供たち、いらっしゃい。こわがらないで。私はあなた方に、大いなる知らせを告げるためにここにいるのです。」


 この甘美でやさしいお言葉で、私はこのお方の所まで飛んで行きました。心はこの方に永遠にくっついて離れたくないと望むほどでした。美しい貴婦人のすぐおそばまで行って、御前の右寄りに立つと、このお方はお話を始められ、同時にその美しい御目から涙も流れ始めました


 「もし、私の民が従おうとしないなら、私は御子の手がなさるがままにせざるを得なくなります。その手はもう私が支えることができないほど、ずっしりと重いのです。」


 「私はあなた方のためにずっと苦しんでいます!御子があなた方をお見捨てにならないようにと私が望む限り、私は絶えずそう祈らなくてはなりません。ところがあなた方と言えば、そんな事におかまいなしです。あなた方がこれから祈っても、行動しても、私があなた方のために負った苦しみを決して償えないでしょう。」


 「私はあなた方に、六日間の労働の日を与え、七日目は私に取って置いたのに、誰も私にそれを承知したがりません。それが御子の腕をこんなにも重くしているのです。荷馬車を御する人々〔注:当時は主に農夫たち〕は、御子の御名を途中に置かなければ話すことができません〔注:天主の御名をみだりに用いること〕。これが御子の腕をこんなにも重くしている二つの事なのです。」


・・・・・


 「(天主の)電撃的な剣の最初の一打ちで、山々と自然全体が激しい恐怖で震えるでしょう。人々の混乱と罪とが、天の円天井を貫き通してしまうからです。パリは燃え、マルセイユは飲み込まれてしまうでしょう。幾つかの都市は、地震によってゆさぶられ、飲み込まれてしまうでしょう。人々はすべてが失われたと思うでしょう。どこを見ても人殺し、どこででも戦争の騒ぎと冒漬が聞かれるでしょう。義人は大いに苦しむでしょう。彼らの祈り、彼らの悔俊、彼らの涙は天にまで届き、すべての天主の民は赦しとあわれみを乞い、私の助けと取りなしを願うでしょう。・・・」


・・・・・


「私はこの地上に緊急の呼びかけを送っています。私は天で生きかつしろしめし給う天主の真の弟子たちに呼びかけます。私は、人となり給いしキリスト、人類の唯一かつ真の救い主に真に倣う人々に呼びかけます。私の子供たち、私への真の信心を持つ人々、私が御子へと彼らを導けるように自らを私に委ねた人々、私がいわば両腕に抱いて運んでいる人々、私の精神において生きた人々に呼びかけます。そして最後に、最後の時代の使徒たちに、世をさげすみ、自分自身をさげすみ、清貧に謙遜に、軽蔑と沈黙の内に、祈りと苦業の内に、愛徳と天主との一致の内に、苦しみの内に、世に知られずに生きてきた、『イエズス・キリストの忠実な弟子たち』に呼びかけます。今や彼らが出て地上を照らしに来る時なのです。さあ、私の愛する子らとして自分たちを示しなさい。あなた方の信仰が、この不幸な時代にあなた方を照らす光でありさえすれば、私はあなた方と共に、あなた方の内にいます。あなた方が、熱心によってイエズス・キリストの光栄と誉れとに飢え渇く人になりますように。光の子らよ、戦いなさい、あなた方がたとえ少数でしかなくとも。何故ならごらんなさい、すべての時の時、すべての終りの終りだからです。」


 「教会は影が薄れ、世界は茫然と驚くぱかりでしょう。しかしそこヘエノクとエリアが天主の霊に満たされて現われ、天主の力によって説教するでしょう。こうして善意の人は天主を信じ、多くの霊魂が慰められるでしょう。彼らは聖霊の力によって大きく進歩し、反キリストの悪魔的誤謬を断罪するでしょう。」


 「・・・もし天主が艱難の時を短くされないなら、一体誰が打ち勝てるものでしょうか。義人の血と涙と祈りとを通して天主はなだめられ給うでしょう。・・・」

ラサレットの聖母について、
詳しくは次をどうぞ。
http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/lasalette.html





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今から160年前の今日ラサレットで聖母マリア様が言われたこと

2006年09月19日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 今から160年前の今日、フランスのラサレットで聖母マリア様が二人の牧童にお現れになってこう言われました。


▼△▼△▼△▼△▼△▼△



 「私の子供たち、いらっしゃい。こわがらないで。私はあなた方に、大いなる知らせを告げるためにここにいるのです。」


 この甘美でやさしいお言葉で、私はこのお方の所まで飛んで行きました。心はこの方に永遠にくっついて離れたくないと望むほどでした。美しい貴婦人のすぐおそばまで行って、御前の右寄りに立つと、このお方はお話を始められ、同時にその美しい御目から涙も流れ始めました。


 「もし、私の民が従おうとしないなら、私は御子の手がなさるがままにせざるを得なくなります。その手はもう私が支えることができないほど、ずっしりと重いのです。」


 「私はあなた方のためにずっと苦しんでいます!御子があなた方をお見捨てにならないようにと私が望む限り、私は絶えずそう祈らなくてはなりません。ところがあなた方と言えば、そんな事におかまいなしです。あなた方がこれから祈っても、行動しても、私があなた方のために負った苦しみを決して償えないでしょう。」


 「私はあなた方に、六日間の労働の日を与え、七日目は私に取って置いたのに、誰も私にそれを承知したがりません。それが御子の腕をこんなにも重くしているのです。荷馬車を御する人々〔注:当時は主に農夫たち〕は、御子の御名を途中に置かなければ話すことができません〔注:天主の御名をみだりに用いること〕。これが御子の腕をこんなにも重くしている二つの事なのです。


 「もし収穫物が腐るなら、それはひとえにあなた方が原因です。」


・・・・・


 「天主はかつてない方法で〔人類を〕打ち給うでしょう。」


 「地上に住んでいる人々は災いなこと!天主は御怒りの激しさをつのらせ給うでしょう。それで、多くの害悪が重なり、誰一人それから逃れられないでしょう。」


 「天主の民の指導者である長上たちは祈りと悔俊とをなおざりにし、こうして悪魔は彼らの知性を曇らせてしまいました。彼らは、いにしえの悪魔が彼らを滅ぼすためにその尻尾によってひきずり落そうとする『迷える星』となってしまいました。天主はあらゆる社会、あらゆる家庭の中で支配につく人々の間に分裂を引き起こすことを、いにしえの蛇に許し給うでしょう。人々は肉体的苦しみと道徳的苦しみを耐え忍ぶことになるでしょう。天主は、人間をその思いのままに任せ給い、三十五年以上にもわたって相次いで起こる天罰を送り給うでしょう。」


 「社会は最も恐ろしい天罰・重大極まりない出来事に直面しようとしています。人々は鉄の杖によって支配され、天主の御怒りのカリス(杯)を飲む覚悟をしなければなりません。」


・・・


 「御子の代理者(教皇)は非常に苦しまなくてはならないでしょう。しばらくの間、教会は大迫害に渡されるからです。これは暗黒の時となり、教会はぞっとするような危機を迎えるでしょう。」


 「天主の聖なる信仰は忘れられ、各人は自分自身に頼って行動し、同胞の上に立とうとするでしょう。世俗及び教会の権力が廃止され、すべての秩序とすべての正義が踏みにじられるでしょう。人殺し、憎しみ、ねたみ、うそと不一致しか見受けられなくなり、そこには愛国心も家族への愛もないでしょう。」


 「教皇は大変に苦しむでしょう。私は彼の犠牲を受け取るために終りまで彼と共にあるでしょう。」


 「悪人たちは、彼の命をたびたび狙うでしょうが、彼の日々を縮めることはできないでしょう。しかし彼も、彼の後継者も、天主の教会の勝利を生きて見ることはないでしょう。」


 「世俗の統治者たちは全員、ある同一の計画を抱くでしょう。それは、唯物論、無神論、交霊術などあらゆる種類の悪徳に道を譲るために、宗教の全根本を廃止し、消滅させるというものです。」


 「1865年には、聖なる地で忌わしい事が見受けられるでしょう。修道院の中では、教会の花(修道者たち)は腐り、悪魔はその心の王のように振舞うでしょう。修道院の頭である人たちは、自分たちが受け入れねばならない人々(入会志願者たち)に警戒するように。混乱、官能的快楽を愛する心が、全地上に広まったので、悪魔は罪に溺れた人を修道会に導き入れるために、あらゆる悪賢い手段を用いるからです。」


 「フランス、イタリア、スペイン、イギリスは、戦争状態になるでしょう。血は街路を流れ、フランス人はフランス人に、イタリア人はイタリア人に戦いを挑むでしょう。続いて全面戦争となり、それは恐るべきものとなるでしょう。しばらく天主は、もはやフランスをもイタリアをも顧みられないでしょう。イエズス・キリストの福音がもはや認められていないからです。悪人たちはそのすべての悪意を発揮して、人々は家庭においてでさえ、互いに殺し合い、殺戮し合うでしょう。」


 「(天主の)電撃的な剣の最初の一打ちで、山々と自然全体が激しい恐怖で震えるでしょう。人々の混乱と罪とが、天の円天井を貫き通してしまうからです。パリは燃え、マルセイユは飲み込まれてしまうでしょう。幾つかの都市は、地震によってゆさぶられ、飲み込まれてしまうでしょう。人々はすべてが失われたと思うでしょう。どこを見ても人殺し、どこででも戦争の騒ぎと冒漬が聞かれるでしょう。義人は大いに苦しむでしょう。彼らの祈り、彼らの悔俊、彼らの涙は天にまで届き、すべての天主の民は赦しとあわれみを乞い、私の助けと取りなしを願うでしょう。その時、イエズス・キリストは、御正義の業によって、義人たちへの大いなるあわれみの業によって、天使たちに命じて、御自分のすべての敵を死にいたらせるでしょう。突然、イエズス・キリストの教会を迫害する者と罪に溺れた人々全員は滅び、地上は砂漠のようになるでしょう。その時平和になり、天主と人々との間に和解が成るでしょう。イエズス・キリストは仕えられ、崇められ、光栄をお受けになり、いたる所で愛徳の花が咲きみだれるでしょう。新しい王たちは聖なる教会の右腕となり、教会は強く、謙遜に、敬虔に、貧しく、熱心になり、イエズス・キリストの御徳に倣うものとなるでしょう。福音はどこでも宣べ伝えられ、人々は信仰において大いなる進歩を遂げるでしょう。それは、イエズス・キリストの働き手の間に一致ができ、人々は天主への畏敬の内に生きるようになるからです。」


 「人々の間のこの平和は長くはないでしょう、豊かな収穫の二十五年間によって、彼らは人間の罪が、地上に起こるすべての苦しみの原因であることを忘れてしまうでしょう。」


 「反キリストの先駆者が、国々の軍隊を使って、真のキリスト、唯一の世の救い主に対して闘うでしょう。彼は多くの血を流させ、自分が神としてみなされるために、天主への礼拝を根絶しようと望むでしょう。」


 「地上はあらゆる種類の災害で打たれるでしょう。(それは広範に及ぶペストや飢餓に加えての事です。)最終戦争の時までいろいろな戦争があり、最終戦争は反キリストの十人の王によって遂行されるでしょう。この王たちは皆同じ一つの計画を持ち、彼らだけで世界を統治するでしょう。この事が起きる前に、世界には一種の偽りの平和が訪れ、人々は気晴らしの事しか考えず、悪人はいろいろな罪にふけるでしょう。しかし、聖なる教会の子ら、信仰の子ら、真に私に倣う人々は、天主を愛する心と、私にとって最も貴重な徳の内に成長するでしょう。聖霊に導かれた謙遜な霊魂は幸いなるかな!彼らの年月が満ちるまで私は彼らの側にあって闘いましょう。」


 「自然は人類に復讐を求めており、罪に汚された地土に起きるべき事を待ちながら、恐れに震え上がっています。」


 「地よ、震えおののきなさい。そして、あなた方、イエズス・キリストに仕えていると誓いながら、心の中では自分自身を崇めている者たちよ、震えおののきなさい。聖なる地が堕落しているために、天主は、あなた方を敵に渡そうとしておられるからです。多くの修道院はもはや天主の家ではなく、アズモデ〔注:トピアの書3:8参照〕とその手先共の牧場です。」


 「反キリストが、淫猥の師たるいにしえの蛇と交流あるヘブライの修道女、偽りの処女から(d 'une religieuse hebraique d'une fauses vierge)生まれるのは、この時期の事です。反キリストは、父が司...(ev... )で、生まれる時に冒漬を吐き、歯が生えているでしょう。一言で言えば、この子は悪魔の化身で、恐ろしい叫び声を上げ、不思議な事を行い、淫猥によってしか養われないでしょう。その子には兄弟たちがいて、彼らは反キリストのように悪魔の化身ではなくとも、悪の子となるでしょう。十二歳の時、彼らは勇敢な勝利をおさめるので、周囲から注目されるようになり、そうしてすぐに、地獄の軍団に助けられて、各々軍隊の頭となるでしょう。」


 「四季は変化し、地は悪い産物しか生み出さず、天体は規則正しい運動を失い、月は赤味を帯びた弱々しい光しか反射しなくなるでしょう。火と水とは地球上でけいれんのような動きをし、山や街を飲み込む恐るべき地震も起きるでしょう。」


 「ローマは信仰を失い、反キリストの座となるでしょう。」


 「空中の悪魔共は反キリストと共に、地上と空中で大いなる不思議を行い、人々はますます堕落していくでしょう。天主は、御自分の忠実なしもべらと善意の人々に心を掛け給うでしょう。福音はいたる所で説教され、すべての民、すべての国民は真理の知識を持つでしょう。」


 「私はこの地上に緊急の呼びかけを送っています。私は天で生きかつしろしめし給う天主の真の弟子たちに呼びかけます。私は、人となり給いしキリスト、人類の唯一かつ真の救い主に真に倣う人々に呼びかけます。私の子供たち、私への真の信心を持つ人々、私が御子へと彼らを導けるように自らを私に委ねた人々、私がいわば両腕に抱いて運んでいる人々、私の精神において生きた人々に呼びかけます。そして最後に、最後の時代の使徒たちに、世をさげすみ、自分自身をさげすみ、清貧に謙遜に、軽蔑と沈黙の内に、祈りと苦業の内に、愛徳と天主との一致の内に、苦しみの内に、世に知られずに生きてきた、『イエズス・キリストの忠実な弟子たち』に呼びかけます。今や彼らが出て地上を照らしに来る時なのです。さあ、私の愛する子らとして自分たちを示しなさい。あなた方の信仰が、この不幸な時代にあなた方を照らす光でありさえすれば、私はあなた方と共に、あなた方の内にいます。あなた方が、熱心によってイエズス・キリストの光栄と誉れとに飢え渇く人になりますように。光の子らよ、戦いなさい、あなた方がたとえ少数でしかなくとも。何故ならごらんなさい、すべての時の時、すべての終りの終りだからです。」


 「教会は影が薄れ、世界は茫然と驚くぱかりでしょう。しかしそこヘエノクとエリアが天主の霊に満たされて現われ、天主の力によって説教するでしょう。こうして善意の人は天主を信じ、多くの霊魂が慰められるでしょう。彼らは聖霊の力によって大きく進歩し、反キリストの悪魔的誤謬を断罪するでしょう。」


 「地上に住んでいる人々は災いなこと!血まみれの戦争と飢饉、ペストと伝染病が起こり、動物が恐ろしく雨あられと降るでしょう。都市をゆり動すほどの雷鳴、国々を飲み込んでしまう地震も起きるでしょう。空中では声がし、人々は壁に自分の頭を打ちつけ、死を呼び求めるでしょうが、他方では死は人々にとって拷問となるでしょう。血はいたる所で流されるでしょう。もし天主が艱難の時を短くされないなら、一体誰が打ち勝てるものでしょうか。義人の血と涙と祈りとを通して天主はなだめられ給うでしょう。エノクとエリアは殺され、異教のローマは消え失せ、天からの火が降って三つの大都市を焼き尽くすでしょう。全宇宙は恐怖に打たれ、多くの人々は、自分たちのただ中に生き給う真のキリストを礼拝しなかったために誘惑されるがままとなるでしょう。その時がやって来ました。太陽は暗くなってきました。ただ信仰だけが生き延びるでしょう。」


 「時は今です。奈落は開いています。見なさい、暗黒の王の王を。彼こそ、救世主と自称して自らの手下共を引き連れた獣です。彼は高慢にも天にまで達しようとして空中をかけ昇るでしょうが、大天使聖ミカエルの息一つで窒息してしまい墜落するでしょう。そして地上は三日間、絶えず天変地異にあり続けて、ついには火に満ちた腹わたを開くでしょう。獣は、その手下共を引き連れて地獄の永久の深淵へと、永遠に投げ込まれるでしょう。その時、火と水とは地上を清め、人類の為したすべての高慢の業を焼き尽くし、すべては新たになるでしょう。天主は仕えられ、光栄を受け給うでしょう。」


・・・


 「さあ、私の子供たち! あなた方はこれを私のすべての民に伝えるのです。」


 それから貴婦人は、私が、牝牛たちがどこに居るかを見ようとして登った所まで歩き続けられました。御足は草の先端に触れるか触れないかで、草も曲がりませんでした。小高い所に着くと、美しい貴婦人は立ち止まり、私はすぐにこの方の前に出てもっとよく見ようとし、どの道を通ろうとされるかを察しようと努めました。私はこれを自分のためにしていましたので、自分が仕えているご主人様方や牝牛の事など忘れていました。私はずっと無条件に私の貴婦人様に惚れ込んでしまっていました。そうです、もう決して、決してこの方から離れたくありませんでした。下心もなく、これから生きていく間ずっとお仕えしたいという気持ちで後について参りました。・・・


 それからこのお方は、私を御自分の内部に引きつけたと思われたほどの、甘美な愛すべき、善い目で、私をご覧になりました。私の心はこのお方の心に向って開かれているように思われました。私の心はとろけてしまい、甘美さで心がふくらんでいた時、私の善き貴婦人のお美しい姿は少しずつ消えていきました。動く光が聖母の周りで増加してゆき、というよりは凝集してゆき、私がこれ以上長く聖母を見つづけるのを妨げているように思いました。そうして光はお体の部分を包み、お体は私の目から消えてしまいました。言い換えると、私の貴婦人のお体は溶けて光に変わってしまったようでした。そのようにして、球形をした光はゆっくり落ち着いて右の方へ昇っていきました。


 聖母が上昇されるにつれて、光の量が滅っていったのかどうか、或いは距離のせいで、聖母が上昇されるにつれて光がどんどん少なくなっていくように見えたのかどうかを、私は言うことができません。ただ言えるのは、いつまでも遠のいていって量が少なくなっていったその光が、ついには消えてしまった後でさえも私が頭を上げたまま、両目を光の所にしっかりと据えていたという事です。・・・


 聖母はとても背が高く、よく均整がとれておられました。一息で吹き動かされそうなほど軽そうに見えましたが、微動だにせず落ち着いておられました。お顔つきは威厳があって堂々としておられましたが、この地上のお偉い人のように堂々としておられたのではありません。・・・


 聖母はとても美しい十字架を首にかけておられました。この十字架は金箔張りに見えました。私が「金箔張り」と言いましたのは、ただの金の板ではないと言いたかったからです。私は何度もいろいろな具合の金箔張りのものを見てきましたが、私の目には、事実ただの金の板よりも金箔張りの方がずっと美しく見えたからです。この全く光輝く美しい十字架の上にはキリストが、十字架上に腕を広げておられるわれらの主が、おられました。


 十字架の両端の近くには、一方に金づち、他方に釘抜きがありました。キリストは自然な膚色をされていましたが、華々しく輝いておられました。全身から発せられる光は、私をかれの内に溶け込ませたいという望みで、私の心を引き裂く、まばゆく光る沢山の槍のように感じられました。時々、キリストは死んでいるかのように見えました。御頭を前にもたげ、御体はたわんでおられ、聖主を十字架につけていた釘が聖主を支えていなかったとしたら、今にも落ちてしまいそうな位でした。私は聖主にしみじみと同情を覚え、全世界に、知られていない聖主の愛を繰り返し告げたい、そして死すべき霊魂に天主に対する最も実感のこもった愛と、生き生きとした感謝の念を染み込ませたい、と思いました。天主は、今あり、かつてあり、又常にあられる方であるために、私たちを一切必要とされないのです。それなのに、ああ、人間に対する理解しつくせぬ愛! 天主は人となり結い、死を、そうです、死を望まれました。それは、私たちの霊魂と記憶とに、聖主が私たちに対して抱いておられる愛の愚かさをよく刻み込むためでした。ああ、私は私たちの善き救い主が私たちに対して抱いておられる愛を、そうです、その愛を繰り返し宣べるには、あまりにも不幸であまりにも表現力が貧しいとわかっています。私は何と不幸でしょうか。しかし、他方で、私たちが表現できない事でもよく感じることができるなんて、私たちは何と幸せでしょうか。ある時は、キリストは生きておられるかのようで、御頭はまっすぐと伸び、目は開かれ、御自身の意志によって十字架上にましますようでした。又時々、聖主は話しておられるようで、私たちのため、私たちへの愛のため、私たちを御自分の愛に引き寄せるために、十字架上におられることや、聖主が私たちにいつでも新たな愛を抱いておられることや、始めの時からの愛と三十三歳の時の愛が、いつもこん日の愛であり、又将来にわたって常に変わらぬ愛であることを示したいと望まれているようでした。


 聖母は私に話されている間は、殆んど始終泣かれており、涙は一つ一つゆっくり流れ、おひざもとに落ち、光の火花のように消えてゆきました。涙は光輝き、愛に満ち溢れていました。私は聖母をお慰めし、もうお泣きにならないようにさせてあげたいと思いましたが、聖母には人々に忘れられた御自分の愛をよく示すために、涙を見せる必要がおありのようでした。私はこの身を聖母の両腕に投げ出して、こう申し上げたく思いました。「私のやさしいお母様、泣かないで! 私が地上のすべての人の代わりにお母様をお愛ししたいの。」


 しかし、聖母は私に「私を知らない人はこれほど多くいるのですよ。」と言われているように思われました。私は、一方では〔聖母の〕大きな愛、愛されたいという大いなるお望み、他方では〔人々の〕ひどい冷淡、ひどい無関心を見て、生と死のはざまにいました。ああ、お母様、全く美しい、全く愛すべきお母様、私の愛、私の心の心よ!..... 私たちのやさしい母の涙により、威厳ある風格、女王、主人としての風格は少しも損なわれず、かえって聖母は一段とお美しくなられ、より愛くるしく、より美しく、より力強く、より愛にあふれ、より慈母らしく、より慕わしく思われるようになりました。私は、私の心に同情と愛を引き起こしていたこの御涙を飲み込んでいたかもしれません。一人の母親が、しかもこのような母親が泣いているのを、彼女を慰めるべき手段も、その悲しみを喜びに変えるべき方法も、思い当るあらゆる手立ても取らずに見ているなんて、考え得るでしょうか?ああ、極めて善いお母様! 御身は、天主がもたらし得るすべての特権で形作られ、あたかも天主の能力を使い尽くされたかのようです。御身は善いお方です、その上天主の善良さによって善いお方でいらっしゃいます。天主は、御身を天と地との傑作としてお創りになることで、御身において大きくなられました。・・・



 その汚れなく美しいお方の御目は、天主への門のようで、そこから霊魂を陶酔させることのできるすべてが見えていました。私の目が天主の御母の御目と合う時、私は自分の内に幸いな愛の革命を、御母を愛し自分を愛で溶かすことを宣言する革命を覚えました。


 私たちは見つめ合いながら、目はお互いに目の流儀で話し合っていました。私は聖母の両目のまん中に接吻したかったほど、聖母をお愛ししていました。聖母の御目に私の心は感激しており、引きつけられ、聖母の心と溶け合っているようでした。それは、私の全存在の内に、甘美な震えを生じさせました。私は、聖母を少しでも不快にさせるようなわずかな動作さえしてしまうのを怖れていました。童貞の内にていとも清き童貞の御目を一目見ただけで、至福な者の天国にいるのに充分だったでしょう。それだけで、この死すべき生の歩みの中で起こるすべての出来事の中から、いと高き天主の御旨の充満に霊魂を入らせるのに充分だったでしょう。それだけで、霊魂に絶えざる賛美と感謝と、償いと贖罪の業を行わせるのに充分だったでしょう。この一目見ることだけで、霊魂は天主に集中し、又生ける死者のようになり、極めてまじめに見えるものでさえ、地上の事は子供の気晴らしのようにしか思えなくなり、天主の事と、天主の光栄となる事しか話されるのを聴きたくないようになるのです。


 罪こそ、聖母が地上で見いだす唯一の悪です。聖母は天主がお支えにならなければ苦しみの余り死んでしまわれるでしょう。


 アーメン。


1878年11月21日 カルテラ・マーレにて


イエズスのいけにえ、十字架のマリア
俗名 ラ・サレットの羊飼い、メラニー・カルヴァ



詳しくは次をどうぞ。
http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/lasalette.html



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兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。

2006年09月18日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア!


 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!


 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。


 聖伝のミサに兄弟姉妹の皆様を、私たちは心から歓迎します! 


(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきでしょうが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ5世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、・・・などとも呼ばれています。)


聖伝のミサは、
聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭です。


「余によって命ぜられたものより他のやり方でミサ聖祭を捧げる事が無いように。又、何によってであろうともこのミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却って〔この手紙が〕常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する。」


「・・・ 故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主〔の憤慨〕及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」

(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』)



「聖ピオ5世のミサ典書は、一度も廃止されたこともないし禁止されたこともありません。」
(2006年7月21日、ローマのIメディアのインタビューで、典礼聖省の事務総長、ランジット大司教の言葉)

 

<2006年9月>

【9月は少し変則的になっています。東京での主日のミサは最終の主日です。ご注意下さい。】


【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」


22日(金)四季の斎日の金曜日(2級)紫 大阪 午後5時半
23日(土)四季の斎日の土曜日(2級)紫 大阪 午前11時



【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」


23日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時40分 グレゴリオ聖歌による終課


24日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          聖霊降臨後第16主日(2級)緑 午前10時半
     午後2時半 公教要理の霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課


25日(月)平日(4級) 東京 午前7時
26日(火)平日(4級) 東京 午前7時(予定)
27日(水)殉教者聖コスマとダミアノ(3級)赤 東京 午前7時(予定)
30日(土)証聖者聖ヒエロニモ(3級)白 東京 午後 7 時(予定よりもミサ開始時間が 15分ほど遅れるかもしれません。)


10月1日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  堅振式及びミサ聖祭

           (聖霊降臨後第17主日 ウィリアムソン司教様による司式)  
     午後2時半 ウィリアムソン司教様による霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

10月2日(月)守護の天使(3級) 東京 午前7時 及び 7時45分

 

 

 

 詳しいご案内などは、

http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2006a.htm

http://fsspxjapan.fc2web.com/2.html


http://sspxjapan.qp.land.to/holymasstips.htm
http://sspxjapan.qp.land.to/masscentersfaq.htm
http://sspxjapan.qp.land.to/schedule.htm

または
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html

 などをご覧下さい。


それでは、皆様のおこしをお待ちしております。



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何故、新しい神学が過去の公教要理の教えを否定してまでも新しい教理を教えているのか?

2006年09月16日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア!



 今回は「贖い」について、何故、新しい神学が過去の公教要理の教えを否定してまでも新しい教理を教えているのか?? ということを考えてみます。

 


 何故、新しい神学が過去の公教要理の教えを否定してまでも新しい教理を教えているのかといえば、1969年の現れたこの新しいミサの総則の第7条は、次のようにミサを定義したからではないだろうか。


「主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18・20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される。」



 つまり、新しいミサにおいては、

● 新しいミサの定義において、ミサはまず「集会」だからではないだろうか。(十字架の犠牲ということは重要な要素ではない。)


● そして復活の神秘(=過越の神秘)ということが強調され、十字架像のイエズス・キリストというよりも、復活のキリストが飾られたりしているからではないだろうか?



 また新しいミサでは、新しい教義上の観点からほとんど全ての典礼様式はそれに合わせて変更されているからではないだろうか。

 つまり、
● 新しい教えによれば、天主は、罪をもはや天主に対する正義を欠くことであるとは考えにならず、人が罪を犯しても天主の側からは決して人との契りを放棄し給わない。

 従って、私たち人間は罪故に当然受けることになった苦しみの赦しを天主に願い求めることもなく、天主が罪人たちに対してお怒りにならないようにと宥めることもなくない。

 従って、典礼改革はこれらの苦しみや天主を恐れると言うことを示すものをすべて取り除いた。


● 新しい神学によれば「贖い」は、聖父が私たちに持つ無償の溢れるばかりの愛を十全に啓示することである。

 従って、典礼儀式は、感謝とお願い以外の何ものでもありえない。

 従って、キリストが代理として天主の正義を満足させること、或いは、キリストの祈りにおける仲介は、特に必要ないものとなる。

 従って、それらに関することは大部分が新しいミサ典書、特に「奉献の祈り」から削除されている。

 


例えば、

聖伝のミサ典書では
「私たちの主イエズス・キリストのいとも尊き御血の祝日」(ピオ9世による制定、ピオ11世により1933年に1級祝日に昇格)の「集祷文」にはこうある。

「全能永遠の天主よ、御身は御身の聖子を唯一のこの世の贖い主とし、我らの贖いの値である、聖子の御血によって宥められることを望み給うた・・・」

つまり、天主聖父は、聖子の贖う御血によって正義がなだめられると言っている。



新しいミサ典書では、
「私たちの主イエズス・キリストのいとも尊き御血の随意ミサ」(1969年改革された典礼暦年のカレンダーでは削除されたが、その後多くの懇願により随意ミサとして再導入)の「集祷文」

主よ、御身は、御身の聖子のいとも尊き御血により全ての人々を贖い給うた。我らの救いの神秘を常に思い起こし、その実りを得んがため、我らのうちに御身の愛の業を保ち給え。」


つまり、聖子ではなく、聖父が愛によって普遍的な贖いを行ったことになっている。

 つまり、新しいミサの新しい概念は、贖いという古典的な概念の上になりたっている。

 従って、私たちは聖伝のミサと新しいミサとの2つのミサ典書の違いは、2つの異なった教義が典礼において反映された違いであるということが出来る。

 一方の聖伝のミサは、古典的な神学の観点に立ち、キリストの死の償いの価値を贖いの業にとって本質的なものと捉えている。

 他方で新しいミサは、新しい神学の観点で、キリストの死の償いの価値は、神学上の一意見であり、天主の善性と相容れないものであると考えている。


 新しいミサが、新しい神学を生みだし育てる土壌となったのだろうか? そして、新しいミサのために、伝統的な「贖い」の概念が風化していってしまったのだろうか?それとも、新しい神学が新しいミサを生み出したのか?



 何はともあれ、トリエント公会議は、こう教えている。
「ミサにおいて真実の固有のいけにえが天主に捧げられない」とか「捧げられるというのは、キリストが・・・私たちに与えられることに他ならない」と言う者は排斥される。
 また、
「ミサのいけにえはただ賛美と感謝のいけにえである、あるいは、十字架上で行われたいけにえの単なる記念であって、罪の償いのいけにえではない」と言う者は排斥される。



 だから、正しいカトリックの「贖い」の概念を守るためにも、私たちは聖伝のミサを守らなければならない。



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



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 では一体新しい神学の基礎になっている考えとは何なのだろうか? 新しい神学・新しい考え方がよって立つそれは何のか? 

 


4. 5. 宣教師への召命 - 第2幕 (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年09月15日 | ルフェーブル大司教の伝記

第4章 郊外の教会の助任司祭(1930年-1931年)



宣教師への召命 - 第2幕


 ルフェーブル神父は、霊魂の牧者としてすべきことに全力を注いでいたが、自分の霊魂を疎かにしてはいなかった。1930年 11月末には、ウィスク大修道院で何日間か黙想会をする時間を見つけた 。また彼は家族を忘れたことはなかったので、毎週月曜日ごとに昼食をとりに自宅に戻った。彼の愉快なユーモアと使徒職の話は親にとって残酷な財政的難しさを乗り越えるのを助けてくれた。ルフェーブル神父の助言は、末っ子の弟や妹らの教育について両親の道標となっていた。神父の和平的な性格を持った見解は父親ルネ・ルフェーブルの過度な厳格さを和らげ、彼にほとんど目に見える効果を現わした 。


 両親を通して、マルセルは毎月、ガボンに宣教しに行った兄の「手紙」を読んだ。1930年 7月と続いて 1931年 2月に、ガボンにおける兄ルネの仲間の一人であるドフラヌル (Defranould) 神父がドクトル・ドウィン (Rue du Docteur Dewyn) を訪ねてきて 、宣教の最新の、少なくとも生き生きとした消息を伝えた。マルセルは耳を傾けて聞いていた。もしかしたら、繰り返されるアフリカからの呼びかけが若い助任神父をして「償いの年」において自分の聖職にあまり愛着しないためにも、必要だったのかも知れない。ルフェーブル婦人はこの障害を感じていた。彼女はこう書いていた。


「私の思うには、確かに年末に、ちょっとした離脱をしなければならないでしょう。...ともあれ、天主が彼を導いてくださるでしょう。私としては、祈るだけで満足しています 。」


 彼女はルネにこう打ち明けていた。「マルセルは、結局にはそれから離れなければならないということが分かっているにも関わらず、自分の仕事に心と魂を自分のできる限り、すべて捧げています。」


 ルフェーブル神父は安楽を感じていたし、その小教区教会の信者たちに極めて満足していた。彼は後にこう当時を振り返って語った。


「私は、熱心に自分の幼い羊の群れの面倒を見る主任司祭としての私自分を見ていました。布教活動は私に訴えるものを持っていませんでした。ジャングルや砂漠を駆け回る、しかもいったい何人の人を捜し出すために? それよりも私は小さな村で信仰を維持するために働く方がずっと良かった。 」


 ルフェーブル神父は自分の使徒職に味わいを見いだしていた。しかし彼はなによりも天主の御旨を行うことを望んでいた。彼はできればより高い司祭生活、少なくともより厳格で、もしかしたらより役に立つ、そして確実に自己放棄をより多くできる司祭らしい生活で導かれていることを感じていた。



 1931年の春、彼の母は、自分の息子の霊魂の状態を感知したように次のように描写した。「マルセルはずっと小教区にとどまってくれと強く要請されており、 (彼は私たちには言わないのですが) 他方で、自分の小教区の職務に対して極めて愛着しています。もしあの子が小教区の仕事を離れるとしたら、それはとても大きい功徳になるでしょう。修道生活が、あの子の主な理由のようです。」

 しかしここでルフェーブル婦人は間違っていた。宣教師になるためにこそ、マルセルは修道生活を受け入れたのだった。ただし、彼女がすぐにこう付け加えたのは正しかった。「彼は最善を探しています。彼の小教区教会はいつも夢見ていたものでした。責任がない小教区の主任司祭になることは、彼に言わせれば、それほど幸せなことは決してないとのことです。 」

 ルフェーブル神父は 「最善」を探していた。一年前に司教に手紙を書いたとき、彼はその方向に第一歩を踏みだしていた。しかしこの「最善」が何であるかは「自明」ではなかった。彼の母は、ルネにまた手紙を書いた。「お前にとっては、天主の御旨が目に見えるように明らかです!マルセルにとって天主の御旨があたかも書かれているとか、或いは語られているように、どちらでも同じことだけれども、明らかにされるように、私は毎日、天主に祈っています。 」


 しかし、ルネ神父が介入するようになると、天主の御旨はより一層明らかになってきた。彼はいつも自分の弟にガボンに来いと誘ったが、 1930-1931年には彼の手紙はもっと切迫になった。マルセルはこう言う。


「兄は私に手紙で集中攻撃していました。『来て、私たちをちょっと手伝ってくれ。私たちはここでの仕事が多すぎてすべての事を処理することができないでいる。教区には司祭が多すぎる。おまえは余分だ。』と言ってよこしました。兄の言うことは半分当たっていました。主任司祭は、私のことを余分だおっしゃっていたし、私がそのことを感じていました。理性的に私は教区を去ったのです。 」


 兄の筆になる手紙では理性と信仰との二つが表明されていた。あとはそれに従い、犠牲を捧げ尽くすだけだった。何故なら、これらは同じことだからだ。彼は絶対にそのことを後悔しないだろう。ルフェーブル大司教は後に、ダカールで愛するカルメル会の修道女たちに自分の宣教召命の秘密を打ち明けた。修道女らの日誌を引用しよう。


「1952年 9月 15日。 ルフェーブル司教の訪問。彼は宣教師である喜びを語ってくれた。何故なら、フランスではここまで自分を与え尽くさないからだ。彼は、若い時代にはそのことを理解していなかったこと、フランスで働くことも宣教国で働くことに劣らず同じことだと思っていたことを語った。布教活動をするように引っ張ってくれたのは、彼のお兄様だった。」


 自分をもっと与え尽くすこと、それこそがマルセル・ルフェーブルをして、布教生活に引きつけられたと言うよりも、宣教へと押しやった天主の愛徳の動きだった。そして使徒職に携わって 1年がたった今、ルフェーブル神父は聖霊司祭会に入会したいという彼の望みを司教に思い起させるためにペンをとった。直ちにドゥトワ神父が署名した 7月 13日付けの返信が来た。


「リールの枢機卿司教様は、あなたが 7月 20日付けでマレ-ド-ロームの小教区教会を離れることを許可するということを、あなたに知らせてくれなさいと私に命じました。あなたの後任司祭は次の教区会議で決定されるでしょう。」


 天主の御旨はこのように彼に対して確認され、ルフェーブル神父はパリのロモン通り(rue Lhomond)にある聖霊司祭会の本部に手紙を書いた。それは聖霊修道会の修練院に入る許可を求めるためであった。


(つづく)


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「贖い」ということについて公教要理をみてみます

2006年09月13日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア!


今回は「贖い」ということについて公教要理をみてみます。



イエズス・キリストは十字架上で何をされましたか。


イエズス・キリストは、十字架上で、敵のために赦しを乞い願い、聖母マリアを弟子ヨハネに母として与えヨハネを通して私たちにも聖マリアを母としてお与えになりました。さらに、御自分の死を犠牲としてささげ、天主に対する人間の罪のあがないを成就されました


私たちの罪をあがなうためには、天使をおつかわしになるだけで充分ではなかったのですか。


私たちの罪を購うために天使をおつかわしになるだけでは充分ではなかったのです。それは、人間が罪によって天主に加えた侮辱は、ある意味で無限ですから、このつぐないを果すためには、無限の徳を有する御方が必要だったのです


天主の正義にふさわしいつぐないをするために、イエズス・キリストは天主であると同時に人間である必要がありましたか。


苦しみ死去するためにイエズス・キリストは人間でなくてはならず、この苦しみが無限の価値を有するためには同時に天主でなければなりませんでした。


何故、イエズス・キリストの功徳が無限の価値あるものでなければなりませんか。


人間が罪によって侮辱を与えた天主は無限に偉大を御方ですから、イエズス・キリストの功徳も無限の価値あるものでなければならなかったのです。


イエズスにはあれほどひどい苦しみを受ける必要があったのですか。


イエズスには必ずしもあれほどひどい苦しみを受ける必要はなかったのです。イエズスの行ないはすべて無限の価値を有するものですから、わずかな苦しみだけでも私たちの罪をあがなうには充分であったのです。


では、何故イエズスはそのような苦しみを受けられたのですか。


イエズスがそのような苦しみを受けられたのは、

天主の正義に対してよりゆたかなつぐないを望まれ、

人間には、天主の愛をさらに印象づけ、徹底的に罪を忌みきらう気持を植えつけようとされたからです。



十字架上の犠牲は、新約唯一の犠牲ですか。


この犠牲によって主が天主の正義をおなだめになり、救いに必要な功徳をすべて得られ、人間の罪のあがないを成就して下さったという点から見れば、十字架上の犠牲は新約唯一の犠牲です。そして、このようにして得られた功徳は、天主が教会の中に制定された手段を通して実際に私たちに与えられるのであり、ミサ聖祭もこの手段のひとつなのです。


ミサ聖祭をささげる目的は何ですか。


ミサ聖祭をささげる目的は、
1ふさわしい方法で天主を礼拝し(崇拝)、
2そのご恩に感謝し(感謝)、
3天主をなだめるために罪のつぐないをし、練獄の霊魂のために代願し(贖罪)、
4必要とする聖寵を乞い求める(懇願)
ことです。


▼△▼△


 これをみると、天主の正義を満足させる「贖い」ということが教えられていることが分かる。


● 人間が罪によって天主に加えた侮辱は、ある意味で無限だから、このつぐないを果すためには、無限の徳を有する御方(天主)が必要だった。

● イエズス・キリストの十字架の犠牲によって、主は天主の正義をおなだめになり、救いに必要な功徳をすべて得られ、人間の罪のあがないを成就して下さった。

● そして、この本当の意味での「贖い」において、罪を忌み憎む天主の正義の厳しさ、そしてそれと同時に、罪人である私たちを贖って下さった、天主の無限の愛が現れる。

● 天主の正義ゆえに、天主の愛が輝いている。これが全聖書とキリスト教の全聖伝の教えだ。

 

◎ だから、例えばロンバルドゥスは、

『命題集』第3巻19区分2章に、「何故、天主は人となり死に給うたか」 Cur Deus homo et mortuus の問題を提起し、次の説明を挙げている。

 それは、天主が死すべき人間となり、その死によって悪魔に克つためであった。けだし、人間は自分の意志によって悪魔に服したのであるから、天主が直接に悪魔から人間を救い出すのは不当であり暴力的である。人間が悪魔に克って解放されるのでなければならない。しかし人間ひとりの力では悪魔に克つことはできない。それゆえ人間でありながら、他の全ての人間と異なり、完全に罪から無汚である人間にして初めて、その死によってすべての人間を悪魔の支配から救い出すことができる。それはただ「人の子」と成った「天主の聖子」によってのみなしうることであった。

(以上は山田晶著『トマス・アクィナスの "レス" 研究』853ページ、「レスとラチオ」の項よりの孫引き)


◎ だから、たとえばピオ12世教皇様はこう言った。

天主の贖いの奥義は、まず、その本性によって愛の奥義です。天のおん父に対するキリストの正義を果たす愛の奥義です。この正義に対して、愛と従順の心をもってお捧げになった十字架の犠牲は、人類の罪のために為されるべきであった溢れるばかりの無限の贖いを提示しています。「キリストは、愛と従順によって苦しみを受け、天主に対して、人類のすべての罪の償いとして要求されていたもの以上を天主にささげる」(神学大全Ⅲ・q・48a・2)。贖いの奥義はさらにすべての人間に対する至聖三位と天主なる贖い主の憐れみ深い愛の奥義です。私たちは罪を贖うために天主の正義を満足させることはできなかったのですが、ご自分のいとも尊き御血を流した結実である、測り知れない功徳の豊かさによって、天主と人との間の友好の契約を回復し、まったく完成することが出来たのです。天主と人間の間の友好の契約は、アダムの嘆かわしい罪によって、地上の楽園で最初に破られ、それに続いて選民の無数の罪によって犯されてきました。天主なる贖い主(キリスト)は私たちに対する燃える愛から、私たちの正当かつ完全な仲介者として、人類の義務および負債と天主の権利とを完全に調停なさいました。キリストは、天主の正義とその慈悲の間の絶妙な和解を成し遂げられた方なのです。ここにこそ、まさしく、私たちの救霊の奥義の絶対的超越性があるのです。」
(ピオ12世、1956年5月15日回勅『ハウリエーティス・アクヮスHaurietis aquas』)



◎ だからトリエント公会議もこう宣言している。

DzS 1751(948)1条
「ミサにおいて真実の固有のいけにえが天主に捧げられない」とか「捧げられるというのは、キリストが食されるために私たちに与えられることに他ならない」と言う者は排斥される。


DzS 1753(950)3条
「ミサのいけにえはただ賛美と感謝のいけにえである、あるいは、十字架上で行われたいけにえの単なる記念であって、罪の償いのいけにえではない、あるいは、御聖体拝領する者だけにとって利益となるものである、また、生存者と死者のため、罪、罰、償い及びその他の必要のために捧げられるべきではない」と言う者は排斥される(DzS1743参照)。



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 では何故「カトリック新聞」では、こう書かれているのだろうか??

★ 私たちは、聖体祭儀【御聖体ではなく「聖体祭儀」】のうちにキリストが私たちと共にいることを信じています。私たちは【聖体祭儀が】キリストご自身が私たちのうちにおられ、それは私たちがキリストのように生き、世界のための神の愛を告げ知らせ、体現していくため【のもの】であることを信じています。


 この全文を読みたい方は次をご覧下さい。
http://www.cwjpn.com/kiji/hikari/hikariold/hikari3871b.htm

 

★ これをみると、天主の正義を満足させる「贖い」ということが全く無視されている。「イエズス・キリストの十字架の犠牲」、「天主の正義をおなだめになったこと」、「人間の罪のあがない給うたこと」は無視されている。

★ イエズス・キリストの功徳でも愛でもなく、ただ単にミサが「世界のための神の愛を告げ知らせ体現していく」ためのものとなっている。

★ 私たちがイエズス・キリストとともに贖罪のいけにえを捧げるのではなく、私たちが何かを捧げると言うよりも、ミサは、天主の愛を告げ知らせる賛美と感謝であって、キリストが共にいるということを受け取ってそのことを告げ知らせるための祭儀だと教えている。

 


何故だろうか??? 何故「天主の正義」が省かれているのだろう?



 私たちはここで、日本で出版された『イエス・キリストを学ぶ』(サンパウロ1986年)の記述を思い出す。


「『あがないの代価』という表象は、ヘレニズム世界では譬喩にとどまらず、現実的に理解され、そこからテルトゥリアヌス、オリゲネス、アウグスティヌスにもみられるように、この代価が悪魔に対して支払われたというような、様々な思弁が展開されるに至った。しかし、そのような神話的な想像(!!)は、十字架の死に至る史実のイエスの姿からも、イエスの復活によって基礎づけられた神の国の福音からも遠ざかっている。現代に至るまで、通俗的な(!! 聖ピオ十世の公教要理も?)教理の理解に継承されている、カンタベリーのアンセルムスに端を発するいわゆる「贖罪論」に対しても、私たちは批判的でなければならない。すなわちアンセルムスは、『なぜ神は人となったか』という著作の中で、人間がつみによって神を侮辱したこと、この神は無限であるゆえ罪は無限であり、有限な人間には償うことができないこと、したがって無限の神の御子がこれを償わねばならなかったことを説明する。・・・だが、新約の使信はそもそも、ご自身を遠ざかった人間を呼び戻そうとされる父なる神の救いのわざを告げるものではなかったろうか。イエスの十字架の死は、イエスの功徳としてではなく、まず神の創意による救いのわざとして理解されたのではなかったろうか。神の怒りがなだめられるのではなく、神の愛が悲惨に沈む人間を回復しようとするのではなかったろうか。とりわけアンセルムスの贖罪論には、復活のケリュグマが欠けている。」(254ページ)

 


 私たちは更に、チュービンゲン大学の神学講義案から成り立った有名な『キリスト教入門 Einfuehrung in das Christentum』の記述を思い出す。


「このことがらについての、一般のキリスト教意識は、先にだいたい述べた非常に粗大化されたカンタベリーのアンセルムスの贖罪神学の考えによって定められている。非常に多数の信者にとって、ことに信仰をかなりはるかからしか知らない人々にとって(!!)、十字架は、傷つけられ、また回復された権利の機構の中で解すべきもののように見える。それは無限に傷つけられた神の義を、無限の贖いで和らげる形式のように見える。こうしてそれは人々には負債と債権との正確な均衡を主張する態度の表現として映ずる。・・・神の主張する『無限の贖い』は、二重の不吉な光をあびる。実際多くの信心書は、あたかも十字架のキリスト教信仰は、容赦なき正義で、人身御供、己の息子の犠牲をさえ望んだ神の姿を示すかのように思わせ、・・・。ひろまってはいるがこの考えは間違っている。聖書の中で十字架は、傷つけられた権利の機構の中の経過として現れてはこない。・・・ほとんどすべての宗教が、贖罪という問題を中心にしている。神の前で己の罪深さを知り、この罪の感じをのぞき、神にささげる償いの行為によって罪を克服しようとするのである。新約聖書では事態は、ほとんど逆になっている。・・・十字架は、人が怒れる神にささげる償いの業としてそこに立っているのではなく、・・・神の愚かしき愛の表現として立っている。・・・ 贖罪観、つまりあらゆる宗教の枢軸におけるこの転回によって、キリスト教の中で、礼拝や全実在も、新しい方向をえる。キリスト教では、礼拝はまず神の救いの業の感謝を込めての受容となっておこなわれる。従って、キリスト教礼拝の本質的形式は、ただしくエウカリスチア(感謝)とよばれる。この礼拝においては、人間の所業が神の前にもちだされるのではなく、むしろ人間が贈り物を甘受することなのである。・・・キリスト教の捧げものは、・・・贈与ではなく、むしろわれわれが全く授与者とな(る)・・・ことなのである。


「新約聖書を初めから終わりまで読む人は、そこではイエズスの贖罪行為が天父へのささげものとして描かれ、十字架はキリスト教が天父に従順にささげる犠牲として描かれているではないかという疑問を押さえきれないであろう。一連のテキストの中で、十字架は人間から神への上昇的運動として現れ、さきにわれわれが斥けたものが、再び前面に躍り出てくるように見える。・・・彼ら(=弟子たち)は、旧約で考えられたことはすべてイエズスにおいて成就されたと信じ、逆に旧約の事柄の真意は、イエズスからしてはじめて把握できると信じて、旧約の典礼テキストや規定を引き出した。かくして、新約聖書における十字架は、その他もののと混じって旧約聖書の礼拝神学の考えで解釈されたわけである。」
(『キリスト教入門』小林珍雄訳 エンデルレ書店 1973年)



 つまり『キリスト教入門』の著者は「無限に傷つけられた天主の正義を、無限の贖いでなだめる」という、トリエント公会議の主張し、公教要理にも教えられるほどの公式の教えは、「ひろまってはいるが、この考えは間違っている」と言う。



 つづけて著者はこう教える。

「十字架は、正義を損なわれて義憤に怒れる天主にささげる償いの業ではなく、天主の単純な愛の表現のみ」、

「キリスト教では、礼拝は、天主の救いの業を感謝を込めての受容すること」

「キリスト教礼拝の本質的形式は、エウカリスチア(感謝)」

「この礼拝においては、人間の所業が神の前にもちだされるのではなく、むしろ人間が贈り物を甘受すること」

「キリスト教の捧げものは、贈与ではなく、授与」



 つまり新しい神学の観点から言うと、「贖い」とは「天主に何かを返却するのではなく、天主を人間へと返すことを目的とする。」


 「贖い」はもはやキリストによってなされた天主の正義を満足させることではなく、天主が人類にした永遠の契約の最終的な「啓示」となる。


 キリストの「贖い」の業は、人々の罪に対し天主の正義を満足させることを目的とするのではなく、聖父の愛を完全に啓示することであるとすると「贖い」に関する古典的な神学を変更している。


(1)「贖い」の業は、人としてのキリストにと言うよりも、むしろ天主聖父に帰されなければならない


(2)イエズス・キリストは、固有の意味でもはや贖い主ではない。むしろ天主聖父がそこ(=キリスト)において救う場所になる。何故ならキリストという場所において聖父の愛とその名前が私たちに啓示されるから。


(3)「贖い」の主要な行為は、もはやキリストの死ではない。そうではなく、キリストの復活・御昇天である。十字架の死よりも復活・御昇天こそが「贖い」のもっと重要な行為となる。 何故か? 何故なら、新しい神学によれば、復活は啓示の充満であって、この啓示のためにキリストは人となったから。



 だから、この新しい神学を真にうけて「カトリック新聞」では、上のように、天主の正義を満足させる「贖い」ということが全く無視され、ミサは単に「世界のための神の愛を告げ知らせ体現していく」ためのものとしてのみ書かれたのではなかろうか。



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



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 でも、なぜ? なぜ新しい神学が過去の公教要理の教えを否定してまでも新しい教理を教えているのでしょうか??

 


秋篠宮のご長男が、悠仁(ひさひと)さまと命名。いみじくも、今日はマリア様の聖名の祝日。

2006年09月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!


兄弟姉妹の皆様、


 このブログは、司祭の黙想会のために、1週間ほどお休みさせて頂きました。そして黙想に入っている間、日本ではとても嬉しいニュースがあったと知りました。


 それは、秋篠宮妃紀子さまが9月6日に男児をご出産されたとのニュースです。母子ともに健康に問題はない、紀子さまとお子さまの経過は順調で、今週末にも退院する見通し、とのことなによりです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060906k0000e040008000c.html



 そして、今、報道によると秋篠宮のご長男が、悠仁(ひさひと)さまと命名された、とのことです。いみじくも、今日は天主の御母聖マリア様の聖名の祝日です。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060912k0000e040087000c.html?in=rssw


 願わくは、天主の童貞母聖マリアさまが、悠仁(ひさひと)さまを、そして皇室を守り給わんことを!


 そして皇太子殿下ご夫婦、秋篠宮ご夫妻が更に子宝に恵まれんことを!


 また、お生まれになった悠仁(ひさひと)さまが、水と聖霊とにより再び生まれ、永遠の福楽の命へと導かれ給わんことを!


 天主に感謝!


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韓国語の聖ピオ十世会のウェッブ・サイトの新しいURL

2006年09月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!


兄弟姉妹の皆様、韓国語の聖ピオ十世会のウェッブ・サイトのURLが新しく変わりましたので、お知らせいたします。

新しいURL
http://www.sspxkorea.wo.to/



よろしくお願いします。


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 

 


4. 4. 行列そして力強い教会外での行事 (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年09月12日 | ルフェーブル大司教の伝記

第4章 郊外の教会の助任司祭(1930年-1931年)


行列そして力強い教会外での行事


 ロムでの典礼暦年は、信仰を公式的に現わす行事や様々な行列がたくさんあった。ジャンヌ・ダルク(アルクの聖女ヨアンナ)の国民の祝日はたいまつ行列があり、人々は家をロウソクに灯を灯して飾って聖女を讃えた。毎月の最初の主日には歌ミサの後に聖体降福式があり、それから教会広場週辺や教会の中を回る聖体行列がその後を引き継いだ。男性と青年たちはロウソクを持った。午後には晩課とロザリオの後で、同じく教会敷地内で、ルルドの聖母行列があった。純粋に宗教的な行列をするために教会の敷地の外の町中に出ることは避けていた。


 5年前の 1926年に、社会主義者である市長は聖体行列を禁じた。しかし ACJF 及びアクション・フランセーズの青年たちが圧力をかけると、どん詰まりに禁止令を撤回して 6月 13日モンタカン (Mont-a-Camp)とブール (Bourg) の小教区教会で予定されていた聖体行列は挙行することができるようになった。しかしル・マレでは狂暴な社会主義者及び共産主義者たちが寄り集まって教会入口を封鎖していた。教会の中では、教会門戸に駐屯した警察官たちが阻止線を作って信者たちを保護していた。


 結局アクション・フランセーズの行動隊員、すなわち「委員」が敵の阻止線の突破口をくぐって信者たちを救い出した。包囲された小教区教会信者たちは歓声とともに、教会外の自分たちを解放してくれた人々の前に出た。しかし行列を始めるにはあまり遅い時間だった。そこで少なくとも主任司祭は、教会外で聖体をもって信者たちを祝福した。もう一度歓呼と喝採が始まった。これこそ喜びであり、自分の権利を悟りその権利を尊重させることができる力を持っていることを知った全てのカトリック信者たちが一致団結した瞬間だった 。


 しかし、慎重でなければならないという理由で、翌年ドラエ神父は二つの聖体行列の通路を短縮した。しかしホスチアであるイエズスの名誉をより熱望するルフェーブル神父は、第一助任神父と力を合わせて、今年は大行列を敢行しなければならないと主任司祭を説得することを試みた。そして御聖体の荘厳祭に、つまり御聖体の祝日の次にくる主日に、主任司祭に運ばれて、というよりはむしろ御聖体にましまし給う王たるキリストが主任司祭を運んで、市内を凱旋した。ところが突然ある地点で銃声が炸裂した。主任司祭は驚いて飛び上がった。左側にいたマルセル神父にささやいた。「ほらみろ。やっかいなことが起こるだろうって私が言った通りだろう!」それでも御聖体行列は何らの邪魔も受けずに規定された通りを進み続けた。すなわち教会通り  (Rue de l'Eglise)、クルマン通り (Rue Kuhlmann)、ジャンバチスト・デュマ通り (Rue Jean-Baptiste Dumas)、及びヴィクトル・ユーゴー通り (Rue Victor Hugo) を通過した。御聖体行列は、隠脩者の城 (chateau de l'Hermitage) に用意された借り祭壇で一端止まった。主任司祭はそこで、先ほどの炸裂音が、嬉しかったけれども騒々しい小教区教会の信者によって打ち上げられた花火のせいに過ぎなかったことをしり、安堵した。次の主日、主任司祭及び彼の天主なる王は、まったく同じく栄えある行列をレトワルのビール醸造工場(Brasserie de l'Etoile) の近くに設置された借り祭壇まで行列をした。キリストは勝利し給う! キリストは治め給う! キリストは命じ給う! (Christus vincit! Christus regnat! Christus imperat!)

 


(つづく)

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【質問】 《グランド・マスターからの公式指導要綱》 この文献は事実でしょうか。

2006年09月12日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア!


【質問1】この文献は事実でしょうか。


イルミナティの秘密資料(1)
《グランド・マスターからの公式指導要綱》
http://www.bishop-jp.com/sankou/ami/ami2.html

10.祭壇からすべての聖人の聖遺骨を取り除け。それから、祭壇自体を取り除け。黒ミサ(サタンに捧げる)のときに生きた人間を捧げるのに使えるように、異端的で祝別されていない机と取り替えよ。教会でのミサは聖人の聖遺骨を備えた祭壇の上でのみ献げるという聖会法を廃止させよ。


(このご質問は、以前 FSSPX JAPAN BBS にされたものです。
http://fsspxjapan.fc2web.com/log/12611678.htm
をご参考下さい。)



【質問2】
(このご質問は、私あてにメールで送られてきたものです。)


 検索サイト「GOOGLE」から、キーワード「平信徒の時代」で検索して見つけたページで「イルミナティ極秘指令」という物騒な筆名を名乗る投稿者が書き込んだ部分を添付します。投稿者本人が何処かから流用(翻訳?)したものだと思われますが、出所をご存知だったら教えてください。
 しかし、調べるためのお時間をわざわざとって頂くには及びませんので、ご迷惑なら、黙殺して頂いて一向に構いません… 「ああ、あれのことか…」と、一瞬のうちにお気づきであれば、お願いします。

 



【回答】


 これは、或るウェッブ・サイトによると、イルミナティの最高指導部から出された指導要綱(1962年発行)として紹介されています。
http://www.bishop-jp.com/sankou/ami/ami.html


 これは公教会で聖職者になっているフリーメーソン各会員に宛てた指導書であり、個人の救霊を損ない、カトリック教会を内部的に破壊するのが目的とのことです。
http://www.bishop-jp.com/sankou/ami/ami3.html



 Bulletin des Amis de Saint Francois de Sales No 132, Juin-aout 2006 号によると、イタリアの新しい福音宣教の雑誌である "Teologica" 誌の 14号 1998年3-4月号に、次のようなF∴M∴の「指導要綱」が掲載されたそうです。


 これが本当にフリーメーソンの指導要綱として出されたのか、今の私には確実なことは分かりません。ただ、ご参考のために Bulletin des Amis de Saint Francois de Sales No 132 に掲載されていた記事(フランス語)をそのまま翻訳して紹介します。



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《指導要綱》(抜粋)


 すべてのメーソンの同僚らは、これらの決定的な指示の遂行具合いについて報告しなければならない。


 1993年10月、最終段階への進歩の計画として新たに承認されたものであり、教会内部で地位を占領している全てのメーソンらはこれらを受け入れ実現させなければならない。



1.聖ミカエルを、ミサ中であろうとなかろうと、すべての祈りからきっぱりと取り除け。そのすべての御像を取り除け。それは人々をキリストの礼拝から引き離すからと言え。


2.金曜日に肉を食べない小斎や、大斎のような四旬節中の償いの実践を取り除け。信心の行いをも止めさせよ。その代わりに喜び、幸福、隣人愛の行いを優先させるようにさせよ。キリストは既に私たちのために天国を勝ち得ていると教えよ。全ての人は自分の健康に気を付けなければならないと教えよ。肉を食べることを勧めよ。・・・


3.・・・イエズス・キリストの御聖体における現存を疑うようにさせ、プロテスタントたちとのよりよい一致のために、聖体は単なる・・・象徴でしかないと言え。・・・神学校と学校では、エキュメニズムを一致への道として勧めよ。御聖体における現存を信じているものを、反抗的であり教会への不従順であると告発せよ。


4.ミサ、礼拝、歌のラテン語の典礼を禁止せよ。・・・それは迷信に似ていると説明せよ。人々は司祭を、天主の玄義の役務者として尊敬することを止めるだろう。


5.婦人達には、ヴェールを被らないで教会に入るように励ませ。何故なら、そのほうが相応しいからだ。彼女たちに、平等を求めさせ、ますます典礼における役割、司祭職さえをも要求させるようにそそのかせ。女性解放運動を支持し、教会の中でも皆が自宅にいるかのように感じるように普段着を着ることを励ませ。人々はそうすることによってミサをあまり重要なことだとは考えなくなるだろう。


6.聖体拝領をするとき、信徒がひざまづくのを妨害せよ。聖体拝領のとき子供たちが両手を合わせているのを止めさせるように修道女に言え。天主はありのままの子供たちを愛する、とまた、子供らが(ミサ中に)完全にリラックスするのを望まれる、と修道女らに言え。教会から跪きの習慣を取り除き、跪き台を取り払え。ミサの間、信徒らは立ってその信仰を表明しなければならない、と言え。


7.教会内でオルガンを取り除き、ギター、弦楽器、・・・その他の楽器を導入せよ。これは沈黙の祈り・・・を妨げるだろう。祭壇の周りで演劇やコンサート、軽い服装の典礼ダンスなどを実行せよ。


8.聖母マリアや聖ヨゼフに対する聖歌を廃し、新しい世俗の歌を導入せよ。彼らに、おまえたちの信心は偶像崇拝だと言え。・・・その信心をやり続けるものを馬鹿にせよ。


9.イエズスに対する・・・苦行と償いの生活の幸福を思い起こさせる・・・すべての聖歌を取り除け。・・・以前の典礼はともかく間違っていたと確信させるため、幼少期になるやいなや新しい歌を導入せよ。それぞれのミサで、最低一つはイエズスの名前のない歌があるように、イエズスの名前ではなく愛や寛容や一致について語っている歌を用いるよう確かめよ。


10.祭壇から聖人の聖遺骨を取り除け。祭壇の変わりに、祝別されていない食卓と取り替えよ。・・・ ミサは聖人の聖遺骨を備えた祭壇の上でのみ献げるという聖会法を廃止させよ。


11.ミサを捧げる祭壇の上に、聖櫃がもはやおかれないようにせよ。食台はできる限り世俗的な外観を持ち、それが聖ではなく、会議机やトランプ台のように、他の目的にも使えることを暗示するように、移動式にせよ。この食卓に一つの椅子を備えて、司祭をそこに座らせよ。聖体拝領後、司祭は食後休んでいることを意味するように。ミサのとき、決して司祭にひざまづいたり片ひざを曲げたりさせるな。人々は食事時にひざまづかないのだから。司祭の椅子は聖櫃の変わりに置かれなければならない。人々に、御聖体よりも司祭を崇敬し、彼に従順であるように励ませ。・・・人々の目に触れないようなところに聖櫃をおけ。


12.聖人を教会の典礼暦から取り除け。・・・聖福音に記されている聖人以外については、司祭が説教することを禁ぜよ。これは、たまたま教会にいるかもしれないプロテスタントを躓かせるかもしれないし、プロテスタントを困惑させるかもしれない全てのことを避けなければならないからだ、と人々に理解させよ。


13.福音を読むとき、「聖」という語を取り除け。「聖ヨハネによる福音」と言うところを、ただ単に「ヨハネによる福音」と言え。これは、人々はそれらをもはや崇敬しなくなるようになるだろう。プロテスタントの聖書と同じになるまで聖書を改訂し続けよ。「聖霊」という表現の「聖」という形容詞を省略せよ。これは道を開くだろう。優しさに満ちた母であるかのように、天主の女性の性質を明らかにせよ。「聖父」という言い方を廃止せよ。


14.すべての個人的祈祷書を取り払い破棄させよ。その結果、聖心の連祷、聖母の連祷、聖ヨゼフの連祷、聖体拝領のための準備の祈りなども止めさせるだろう。聖体拝領後の感謝の祈りも表面的になるだろう。


15.天使のすべての御像と絵を取り除け。天使などというものは神話であり子供を寝かしつけるためのお話だと言え。天使についての話を許すな、何故ならそれは私たちのプロテスタントの友を傷つけるからだ。


16.小さな悪魔抜いの祈りを廃止せよ。そうするように全力を尽くせ。悪魔というのは、悪を意味するための聖書のやり方であると説明せよ。彼らは地獄も信じなくなるだろうし、そこに行くことも恐れなくなるだろう。地獄とは天主から離れることであり、それは何も恐れることではないと説明せよ。何故なら、この地上での生活と同じことであるからだ。


17.イエズスは単なる人間で、兄弟姉妹を持っており、権力者らを憎んでいたと教えよ。・・・ イエズスは聖職者の長上らに服従するなと教えていたとか、イエズスは偉大な師であったが教会の長上に従順することを否定した時に良い道を外れたと教えよ。十字架を、勝利ではなく失敗であると提示せよ。


18.修道女たちの虚栄心、魅力、美貌をへつらうことによって、彼女たちを環俗させることができるのを忘れてはならない。修道服を変えさせよ。それは自動的にロザリオを投げ捨てさせるだろう。修道院内に意見の相違があることを世に示せ、そうすれば、召命は枯れるだろう。

 人々の中で司祭服や修道服を胡散臭く思わせよ。修道女らが修道服を着続けるなら、もはや彼女たちが受け入れられなくなるだろうということを修道女らに理解させよ。


19.すべての公教要理を焼き払え。宗教教育とは、天主自身を愛するよりも、天主の創った被造物を愛することだと教えなければならない。人前をはばからず愛するのは成熟している印だと言え。・・・

 児童に人生の現実を教えるために宗教の授業中に性行為の画像を導入せよ。これらの画像はぼやけたところがあってはならないことに注意せよ。性教育に関して学校は進歩的にならなければならないと励ませ。司教らの権威を使って性に関する考え方を進化させよ。そうすれば親もそれには反対しないだろう。


20.修道召命数の減少によって、カトリック学校を閉ざさせよ。修道女とは低賃金の社会福祉のためにある、・・・と彼女らに言え。カトリックの平信徒教師は、非カトリック校の教師と同じ給料を受けるべきだと強調し、非カトリックの教師を雇え。司祭も、この世の別の職業の給与と同じ給料を受けなければならない。司祭らも司祭服や十字架を捨てなければならない。それは皆に受け入れられるためである。頑固なものをあざ笑え。


21. 教皇庁立諸大学・・・を崩壊させることによって、教皇の権力を弱まらせよ。宗教施設の名前を別のものと置き換えよ。例えば「無原罪の御宿り校」の代わりに「新高等学校」などとせよ。各々の司教区にエキュメニカル委員会を設立せよ。・・・教皇のための祈り、聖母マリアへの祈りを禁止せよ。何故ならこれらはエキュメニカルではないからだ。


22. 教皇の権威と戦え。その年齢と役割に制限を付けよ。・・・これは過労を防ぐためだと説明せよ。


23. 大胆であれ。司教によるシノドゥスを導入することにより教皇を弱らせよ。その時、丁度、英国において上院と下院とが統治し、自分らの命令を女王に与えるように、教皇は単なる代表的な姿に成り下がるだろう。次に司祭らのレベルで諸委員会を設立することにより、司教の権威を弱体化させよ。

 最後に、司祭を支配する信徒らの、教区委員会やグループを創りあげ司祭の権威を弱まらせよ。・・・ その時教会は民主的となるだろう。・・・それは新しい教会となるだろう。


24. 信者らが司祭に対する尊敬を失うようにさせて、司祭召命を減少させよ。

 一人の司祭の公のスキャンダルは数千の召命を失わせるだろう。一人の女性を愛するために、司祭職を捨てる勇気を持っていた司祭らを褒めちぎれ。このような司祭らを英雄的だと定義せよ。還俗した司祭らを、真の殉教者であり、極限まで抑圧されたものとして讃えよ。・・・聖職者の中の同性愛者を大目に見よ。人々に司祭は孤独に苦しんでいるのだと説明せよ。


25. 司祭不足のために教会を閉鎖することから始めよ。このようなことは経済的で良いことであると言え。天主はどこででも祈りを聞き給うと説明せよ。このやり方によって、教会は金の無駄遣いになるだろう。聖伝の信心がまだ実践されている全ての教会をまず閉鎖せよ。


・・・


28. すでに公教要理初級の子供達から、聖体拝領前の告解を廃止せよ。・・・沈黙の内の共同体の告白と皆に同時に与える罪の赦しを導入せよ。人々にこれは司祭不足のためだと説明せよ。告解は消滅するだろう。


29. プロテスタントのしているように手に聖体を授けることから始めよ。キリストもそうしていたと説明せよ。女性や平信徒らに聖体を配らせよ。・・・次に、一人一人による聖体拝領のかわりに、家にも持っていくことができるような聖別されていないホスチアの器を配れ。このやり方で、毎日の日常生活において天主の賜物を受けることができるためだと説明せよ。聖体拝領のために、ホスチアの自動分配機を設置せよ。そしてこれを聖櫃と呼べ。平和の挨拶を交換することを信者らに教えよ。・・・

 信心や祈りを中断させるために、教会内を移動するように励ませ。十字架の印はするな。そうではなく平和の挨拶をせよ。イエズスも弟子達に挨拶するためにそうやって移動してまわったと説明せよ。・・・


30. 反教皇が選ばれた後、司教らのシノドゥス、司祭のグループ、教区委員会などを解散させよ。全ての修道者は、許可なくこの新しいやり方について疑問を挟むことを禁止せよ。天主は謙遜を愛し、栄光を求める者たちを憎むと説明せよ。・・・一般の人々には教会の長上に従順でなければならないと言え。


31. ・・・十字架の印は、もはやしてはならない。自分に十字架を切ってはならないし、祝福もしてはならない。十字架を切ることは偶像崇拝と見なされるだろう。・・・


32. 教皇の不可謬権以外、以前のドグマは全て間違っていたと宣言せよ。イエズスは失敗した革命家だったと言え。本当のキリストはすぐに来るだろうと告げよ。・・・


33. ・・・世界を征服せよ! 以上のことは全て、平和の黄金時代という、人類が常に願っていたことを人類にもたらすであろう。

 


【コメント】

 この文章を誰が書いたのであれ、現在、カトリック教会にそのままそっくりが実現しつつあるのではないでしょうか。



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 この文章を誰が書いたのであれ「教皇の不可謬権以外、以前のドグマは全て間違っていた」という考え方は、いわゆるカトリック「保守派」(ネオ・カトリック)の論理にそっくりではないか? と思われた方は、クリックをお願いいたします。↓↓↓
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 そうそう、「教皇の不可謬権以外、以前のドグマは全て間違っていた」という考え方は「リトル・ペブルが新しく教皇になったら彼がニュー・エラ(新しい時代)の新しい教会を創る」という論理そのままだ、と思われた方も、クリックをお願いいたします。↓↓↓
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【祝】ルフェーブル大司教様の公開書簡の日本語訳が完成【祝】

2006年09月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

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アヴェ・マリア!


【祝!】     【祝!】    【祝!】    【祝!】


兄弟姉妹の皆様、

ルフェーブル大司教様の公開書簡の日本語訳が完成しました!

天主に感謝!
そして、これができるために翻訳を協力して下さった兄弟姉妹の方々、そしてこれを早く翻訳することを応援し、励まし、激励して下さった多くの兄弟姉妹の皆様に心から御礼を申し上げます!



【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】【祝】


1.
何故今カトリック者たちは困惑しているのか
2.私たちの宗教は変えられようとしている
3.典礼改革
4.永遠のミサと現代のミサ
5.それは昔の話
6.新しい洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟
7.新しい司祭
8.新しい公教要理
9.新しい神学
10.エキュメニズム(宗教統一運動)
11.信教の自由
12.友だちと旅の道連れ
13.信教の自由、団体主義の平等、宗教統一の博愛
14.「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」
15.教会と革命との結合
16.新近代主義 信仰の基礎を危うくするもの
17.聖伝とは?
18.本当の従順と偽物の従順
19.エコンの神学校とローマ
20.永遠のミサ
21.異端でもなく、離教でもなく
22.家族で出来ること
23.「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


 


詳しくは

ルフェーブル大司教の公開書簡


http://fsspxjapan.fc2web.com/op/op00.html
をご覧下さい。

 

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4. 3. 使徒職的な訪問活動と回心 (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年09月02日 | ルフェーブル大司教の伝記

第4章 郊外の教会の助任司祭(1930年-1931年)



使徒職的な訪問活動と回心


 熱心に信仰生活をする中核の二千名の小教区の教会信者の外に、「見失われた羊の群れ」が五千名いた。マルセルは彼らと知り合いになり、訪問する過程を通じて現況を把握しなければならなかった。熱心で実際的な主任司祭は自分と助任神父たちとで小教区の仕事を地区で分担した。それでルフェーブル神父は人々が職場から帰宅している時間に信者たちの家を訪問して門をたたいた。一般に、彼はよく迎え入れられた。しかし時には面前で門を閉められた。そんな時は隣の家に行った。


「あなたの隣りの人は何をしているのですか? 彼は何故あんな態度を取るのですか?」

「あのですね、彼は共産主義者なんです。だから神父様を家に迎えたくなかったんです。それでも悪い人ではないよ。私が彼に話してみます。最後には神父様に門を開くと思います。 」


 そして本当に、次に来た時は、とうとう敷居をまたいだ。これについてドラエ神父はある日ルネ・ルフェーブル氏に次のように報告している。「ある病人が家族に頼んで司祭をつれてきてほしいと頼んで試みてから、 " 新しい助任神父 " を求めてきました。ルフェーブル助任神父が彼を訪問し、告解を聞いて他の秘跡を施したんです。その翌日病者は極めて平和な死を迎えました。 」


 これらの訪問は非常に有益だった。教会でなされていない状況にあった結婚を正常化することができたし、子供達は喜んで公教要理教室へ行くようになった。これは、本来は悪信者というわけではない人々に、小教区教会及び司祭たちを知らしめ、その後彼らを宗教生活で立ち戻らせる機会になった。


 マルセル・ルフェーブルは洗礼台帳が見せてくれるように、幾多の子供たちに洗礼を与える喜びを味わった。彼はいつも新しく生まれた子供達ができるだけ早く洗礼を受けるように親を激励しながら、天主の生命に霊魂が生まれるという聖寵の奇蹟を説明しようと努力した。

「母親に子供に母乳を奪う権利がないと同じく、私たちには子供から超自然的生命を奪う権利がありません!」


 後に彼は、子供達が大きくなって「自分で決める」ことができるまで洗礼を待たせようという司祭たちに向かってこうも言うだろう。

「自分で決める」とはつまり「霊的な生命かそれとも霊的な死かのどちらを願うかかを自分で決めるということ(ほど愚かな質問)なのです! 」


 若いルフェーブル助任神父は、霊魂が罪によって霊的生命を失って死んでいるのなら天主の祈りを再び与えるために、また彼らの傷を縫合するために、決まった時間に告解所に座っていた。そこで彼は熱心である霊魂たちを見分け、彼らを指導することを学んでいた。彼は後にこう説明するだろう。


「小教区教会には、より大いなる霊的生活をするために創造された霊魂たちがいます。たいてい黙想会や告解の折りにそんな霊魂たちを見つけるのです。そうしたら、彼らを小教区教会のエリートとしてまとめることができます。またここで召命を見つけるようになるのです。 」


 彼はこうも言っている。

「霊魂の霊的指導の任務は、司祭が自分を聖化するための最上の手段の一つでもあります。... 彼は自分より極めて先に霊的に進歩している霊魂たちがあるというのをふと悟流こともあります。特別な勉強をしたこともない大変単純な霊魂たちが、疑う余地もなく聖徳と謙遜と単純さの極地にまで至ることのできることを見て、驚くのです。 」



(つづく)


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私たちはカトリック新聞編集長が、公教要理とは離れた説明をしても、驚くべきではなかった

2006年09月02日 | ミサ聖祭


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 私たちは、この前「カトリック新聞」の記事をびっくりながら読んだ。



体を食べ、血を飲む


 中世以来、カトリックでは「実体変化」と呼ばれる理論が支持されてきた。しかしこの説明も、古代ギリシャの物理学に基づいた理論に頼っていたところがあったため、説得力を失った。


 究極的には、重要なのは聖体がどうであるかではなく、主の弟子である私たちが聖体を分かち合うことで主を記念しているという事実


 聖書では、何かを「思い起こすということ」はそのことを「再現すること」、「現存させること」。「救いの歴史のある出来事を思い起こそうとする」なら、それで「実際に現在のことになる」。


 私たちは、聖体祭儀のうちにキリストが私たちと共にいることを信じている。私たちは、キリストご自身が私たちのうちにおられ、それは私たちがキリストのように生き、世界のための神の愛を告げ知らせ、体現していくためであることを信じている。


全文を読みたい方は次をご覧下さい。
http://www.cwjpn.com/kiji/hikari/hikariold/hikari3871b.htm



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 何故、カトリック新聞編集長ともあろう方が、公教要理とは離れた説明を書いたんだろうか?



 私たちは、この説明を読んで新しいミサの総則を思い出した。1969年の現れたこの新しいミサはその341条の総則の中で、一度も「全実体変化 transsubstantiatio」という単語が使われなかった。


 多くの批判を受けて、1970年にこの語は一度だけ総則に付け加えられた


 2000年に出された新総則にでも、次のように、一度だけ言及されたにすぎないことはそのままだ。次のように加えられただけだ。


3 両形態の聖体に主が現存されるという素晴らしい神秘は、トリエント公会議が信じるべきこととして提起したものと同じ意味と同じ文で、第二バチカン公会議および教会の教導権のその他の公文書によって確認されたが、そのことは、ミサの祭儀においては、キリストが実体変化を通して現存することを表す聖別のことば自体によるばかりでなく、感謝の典礼の中で行われる最高の尊敬と礼拝の内容と表現によっても宣言される。



 ここで注意したいのは、御聖体のうちに主が現存することは、本当にそうあるかどうかということよりも、「聖別の言葉によって表され(表現され)」、「感謝の典礼の内容と表現によっても宣言される」という「表現」のレベルに限られていることだ。しかも、御聖体のうちの現存と、ミサ(聖体祭儀)における主の現存とが同レベルに置かれている。もう一度良く読んで、ほしい。


「ミサの祭儀においては、キリストが「全実体変化」を通して現存することを表す聖別のことば自体によるばかりでなく(!!)、感謝の典礼の中で行われる最高の尊敬と礼拝の内容と表現によっても宣言される。



 ではいったい何故、御聖体のうちに主が「現存」することは、ミサ(聖体祭儀)における主の霊的現存とが同レベルに置かれているのだろうか?


 1969年の現れたこの新しいミサの総則の第7条は、次のようにミサを定義した。


「主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18・20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される。」



(この新しいミサの定義は第二バチカン公会議の与えたミサの定義と抜本的に変わっていることを指摘しよう。なぜなら、第二バチカン公会議の「司祭の役務と生活に関する教令Presbyterorum Ordinis」(5番)には、「聖体祭儀の集会は信者の集いの中心である」"Est ergo Eucharistuica Synaxis centrum congregationis fidelium"とあるのにもかかわらず、新しいミサの式次第では「中心」という言葉が取り除かれ、「聖体祭儀の集会は、信者の集いである」となっている。)

 


 多くの批判を受けて、1970年に訂正され、2000年に出された新総則にでも、次のようそのまま引き継がれている。



第2章 ミサの構造、要素、各部 ミサの一般的構造


27 主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、キリストを代理する司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会である。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18・20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される。十字架の生贄が続けられるミサの祭儀において、キリストは、その名のもとに集まっている集会の中に、奉仕者の中に、そのことばの中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに本体のまま現存される。



ローマ・ミサ典礼書の新総則 ―― 2000年7月発行。英文からの翻訳。 ――
http://www.bishop-jp.com/sankou/roma/r-05.html

或いは、
http://goseitai-to-seibo-no-sito.web.infoseek.co.jp/institutio%20generalis%20missalis%20romani.html

 



つまり、新しいミサにおいては、


 ミサはまず「集会」。(十字架の犠牲ということは重要な要素ではない。)
 「主の晩餐」であり「主の記念を祝うために、司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会」である。


 キリストの現存とは、集会における霊的現存である。(御聖体における現存ということは重要ではない。)
 「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18・20)。


 新しいミサの定義において、キリストの現存は、キリストの霊的現存と混同されている。(御聖体における現存ということは最後に触れられているだけ。)
 ミサの祭儀において、キリストは、その名のもとに集まっている集会の中に、奉仕者の中に、そのことばの中に、現実に、またパンとぶどう酒の形態のもとに本体のまま現存される。

 


 だから、私たちはカトリック新聞編集長ともあろう方が、公教要理とは離れた説明を書いたとしても、驚くべきではなかったのだ。

 何故なら、
新しいミサによれば「全実体変化」ということは重要ではないからだ。
新しいミサによれば、重要なのは聖体がどうであるかではなく、主の弟子である私たちが聖体を分かち合うことで主を記念しているという事実なのだから。
新しいミサによれば、聖体祭儀のうちにキリストが私たちと共にいることなのだから。


 だから、トリエント公会議の教えや公教要理の教えはもう古い「理論」として信じない司教様、司祭、カトリック信徒がますます増えても私たちは驚くべきではない。なぜなら、ラテン語であれ日本語であれ何語でなされるものであれ、それが新しいミサが私たちに教えていることなのだから。


 だから、検邪聖省の元長官であったオッタヴィアーニ枢機卿はバッチ枢機卿とともにパウロ六世に「新しい司式(=新しいミサ)はその全体といいまたその詳細といい、トリエント公会議の第22総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱しています。・・・聖伝からのこのように重大な逸脱を支持するような司牧上の理由は、たとえそれらの理由が仮に教義上考察した上でも正しいものだと考えられたとしても、私たちには十分だとは思われません。

 また、
「聖別の言葉は、以前のミサにはあった言葉それ自体が意味する様式 (modus significandi) が変えられてしまっているために、それに自体によっては、有効性を失っている。近い将来、聖伝にかなう養成を受けずに叙階される司祭たちが「教会のしていることをする」ために新しい司式に信用しきったとしたら、彼らは有効に聖変化を執行するのだろうか?この有効性に疑いを抱くことは許されている。」
と書いたのだった。




 だから、私たちはカトリックとしてベネディクト十六世教皇様のために霊的花束を捧げ、一刻も早く、聖伝のミサの公式の復活させる勇気を持たれるように祈っている。



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4. 2. 小教区での活動 (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2006年09月01日 | ルフェーブル大司教の伝記

第4章 郊外の教会の助任司祭(1930年-1931年)



小教区での活動



 実は小教区教会では、あれこれとありとあらゆる活動でつまっていた。その中で最重要なのは、典礼の儀式であった。毎月の初金曜日にはいろいろな行事でイエズスの聖心を敬っていた。それはこんな具合だった。午前 6時には聖体顕示、引き続いてミサ、7時 15分には子供が聖体拝領をするミサ。午後 3時から 5時まで、そして夕方 7時から 8時までは、聖体礼拝だった。午後 8時には聖体降福式及びイエズスの聖心に対する償いの祈りがあった。毎週主日には午前 6時、8時そして 9時に読誦ミサがあった。9時のミサは公教要理の子供のためのものだった。歌ミサは 10時で、午後 3時には晩課及び聖体降福式があり、その後、大人のための公教要理の講話があった。毎月のうち一主日は、「総聖体拝領 (communion generale)」と呼ばれて、或る主日は子供達のため、或る主日には若い女性たちのため、また或る主日には男性及び青年たちが皆良く準備して聖体拝領をすることができるようになっていた。


 大祝日の準備のための典礼儀式の練習は、若い助任神父であるルフェーブル神父に委ねられていた。重要な行事の時には聖歌隊が多声和音のミサ(例えば、グノー (Gounod) のミサ)を歌った。カトリックの母親会、聖ヨハネの友の会、ド・カステルノー大将 (general de Castelnau) によって設立された全国カトリック連合の会合があった。小教区の組織として、プラス・ロンド (Place Ronde) に男性たちのため組織が、そして活動が木曜日と主日午後にある、クルマン (Rue Kuhlmann) 通り23番地にある聖ヨゼフの家での青年及び子供達の三つのセクションがあった 。


 ルフェーブル神父は青年団体を任された。後に次のようにこの組織を褒めている。「助任神父によって組職される青年団体はとても有用でした。今ではこのような諸団体はなくなってしましました。残念です。助任神父と青年達がこうやって接することは、最終的に、自分たちの知っている司祭に相談に行くことができたからです。 」 ル・マレでは、青年団体はリクリエーションの活動を組織していた。その折りに教訓的な目的をもつ演劇を実演したりした。若い助任神父は下げいこを指揮しなければならなかった。彼はチャーリー・チャップリンの映画を上映したりもした。後に彼は「司祭職の初期には自分の熱意があまりにも自然的だった」こと、また技術的な「装置」なしに、もっぱら超自然的な手段だけで霊魂を熱心で使徒的にすることができることを充分に信頼してしなかったということを認めている。


 「サークル」について言うなら、13歳から 21歳までの青年たちのサークルと主日のミサ後1時まで集まてトランプをする大人たちのためのサークルがあった。ルフェーブル助任神父はそこにたまに立ち寄ったりした。一人は「彼はいつも時間があったんです。風のようにあっと立ち去ってしまうということはありませんでした。」と言った。


 第一助任神父は小教区教会のJ. O. C.(青年カトリック労働者連盟)を引き受けた。マルセルはそれに直接関与しなかった。


 公教要理 (初聖体のグループ、荘厳聖体拝領のグループ及び成人要理講話グループ)のクラスは三人の司祭がそれぞれ手分けをして担当した。マルセルは初聖体者たちがクリスマスの7時ミサで挙行される「私的聖体拝領」ができるように彼らを準備させなければならなかった。


 救霊に関する偉大な諸真理を子供達に説明するために、マルセル・ルフェーブル神父はどれほどの注意を持って話したことだろうか! 良き主が子供達を愛すしておられるということ、子供達も良き主を当然にお愛ししなければならないということを子供達の心に刻みつけようとルフェーブル神父は心を傾けた。


 彼は幾人かの良い小教区教会の信者に「あなたは私のようにうまく公教要理を教えることができるから 」と気軽に信徒に頼むそんな司祭たちの一人ではなかった。いや。これらの小さな子供達の柔らかな霊魂に、いけにえであり同時に生命のパンであるイエズス・キリストへの愛を養成するには、司祭の霊魂であるべきだということが重要であると思われていた。それはこれらの神秘と司祭との親近性のためであった。更に立派な司祭の信心、助言及び敬虔さを消し去ることができないほどの思い出は、これらの霊魂たちにとって、召命の燃える火が生まれる火花、或いは思春期の疑心を蹴散らす光となるのではないだろうか?


 ルフェーブル神父は説教をし始めた。特にミサで読む福音の註釈を、説教台の高みから、メモなしに静かに説教した。説教はかなり長かった 。初めは、自分の学んだ神学を小教区教会の信者たちが理解することができるようにするのに困難を感じた 。ルフェーブル神父は聖トマス・アクィナスを参照するのを好んだ。例えば、 隣人に対する愛に関して説教する時に、「私たちは隣人を、彼が天主の中においてあるために、また彼の内に天主からのものが中にあるが故に、彼を愛さなければならないのです 」と聖トマスを引用した。結婚に関して説教する時にはその同じ原理を適用してこう言った。「配偶者において、天主に背反すること、あるいは天主から遠ざけることを愛してはなりません。したがって配偶者の欠点を助長することはなりません 。」


 小教区の信者たちとの関係において、ルフェーブル助任神父はまず子供達に温柔であった。その一方で必要な時には厳しかった。そして男性及び青年たちには、「むしろ開放的で気さく」、全然距離を置かずにいつもほほ笑みをたたえていた 。彼は躓きを与えないように気を付けていた。これは彼の司牧上の規律の一つでさえあった。何故なら、彼は次のようなことを知っていたからだ。


「小教区の信者さんたちは、司祭を見て宗教を判断します。彼らはこう言います。 " ほら、いま到着したばかりの新しい助任神父様を見てごらん! " 彼らはすぐに自分がどんな人と対しているかを理解します。人々に教会の真理を悟らせるものは何でしょうか? それは聖徳です。これは目に見えますから。信者たちは、自分たちの司祭が天主の人であることを知るべきです。司祭は、天主の人であり、平凡な人でもないし、ブルジョワのような人でも、他の人々と同じようにヴァカンスを楽しむ「良い暮らしの」人でありそれ以上のものではない人でもないことを知るべきです 。」


 マルセルは、ドルサル製糸工場の若い女性労動者たちが、聖心の下女修道女会の管理のもとに運営されている「家族の家 (En famille)」で使徒職を任させられていたようである。ロムの婦人たち及び少女たちは、「非常に親切で会話をするができる」けれど慎み深い司祭の思い出を持っている。「神父様はとても真面目でした。他の聖職者とは違ったものにしていた何かがありました。それは誇りです。神父様は、すこし私たちとは距離をおいていました。 」 当時助任神父と同年代だった、マリ・カトリーヌ・ゴンベール (Marie-Catherine Gomber) はこう報告した。


 彼は「誇って」いたわけではなかった。しかし内気が彼には残っていたがその点を超えて、女性とあまり親密にならないように気を付けていた。他の助任神父であるデシャン神父はそんな事をあまり気にしなかった。そして、これが良き主任司祭を深いに思わせていたことであるが、デシャン神父は、自分の告白場に多くの若い女性を引き寄せる賜物を持っていた。デシャン神父がまた多くの女性たちを修道院に送り込んだと言うことも事実である 。ルフェーブル神父は賢明な慎みの方を選んだ。


 要するに、彼は慎みの徳の適切な中庸を維持していた。これは彼の熱情をもっと超自然的なやり方で発揮させるのに役に立った。


 司祭館ではルフェーブル神父はまさに誰が来ようが大歓迎だった。それは彼が「司祭がもし誰かが門を叩いているのに、その鼻先で " 私は今時間がないから、後でまたいらっしゃい" と言いながら門を閉めるなら、それは彼らを失うことであり、彼らは二度と戻って来ないだろう 」ということを知っていたからである。また、幼年時代とサンタ・キアラでの生活は、マルセルをいつも他人のために時間を使うように準備ができているように養成した。今日、一人の霊魂の救霊は、この司祭の待機状態にかかっているのかもしれないのだ。



(つづく)


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