Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2013年5月3日 聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサのお説教

2015年01月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2013年5月に行われた、第7回聖ピオ十世会日本 SSPX JAPAN 秋田巡礼での動画のなかから、5月3日 初金曜日 聖ピオ十世会のクチュール神父様司式による、至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ(歌ミ­サ)でのお説教をご紹介します。

 次の聖伝のミサは、東京では2月1日(主日)と2日です。2月2日は聖母の御浄めの祝日です。聖伝の典礼に従って、ローソクの祝別がミサ聖祭の前(午前7時)にあります。愛する兄弟姉妹の皆様の参加をお待ちしております。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)






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公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】



聖ピオ十世会日本 SSPX JAPAN 秋田巡礼【お説教】ダニエルス神父様 Fr Daniels

2015年01月21日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会日本 2013年5月2日 第7回聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼での、聖ピオ十世会のダニエルス神父様司式による聖マリアの七つの御悲しみの随意ミサ(歌ミ­サ)でのお説教をご紹介します。










この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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誰がために鐘は鳴る? イスラム・テロリズムとシャルリ・エブド

2015年01月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、童貞殉教者聖アグネスの祝日です。そして、天主様の御恵みにより、このブログも、今日で9周年を迎えました。天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様の応援とお祈りに感謝します。

 さて、今回は、聖ピオ十世会司祭であるアラン・ロランス神父様の記事「誰がために鐘は鳴る?」をご紹介いたします。


「誰がために鐘は鳴る?」

 二〇一五年一月十一日、パリで百万人のデモ群衆が、傷つけられた表現の自由を表す一本のペンを振りかざしながら「Je suis Charlie──私はシャルリ」のスローガンを繰り返した。これは各メディア局と各政党による公式の、満場一致で同意を得た見解である。だが現実に、シャルリ・エブドの風刺画が実際にはどういうものかを知ったなら、このデモ群衆たちのおかげで次のような感想を抱くはずだ。すなわち「クリスマス刊行号にみだらな作風で聖母マリアを描写した漫画家のように、私は無秩序と冒瀆を支持する。数年前に二つのリサイクル用ごみ箱に『これは私の体』『これは私の血』というキャプションを添えた絵を描いた人々、あるいはごく最近、ホスチアの形をしたコンドームを披露した人々のように、私はニヒリストで瀆聖者である」と。

 一月七日の襲撃の日に、教皇フランシスコは「人間の生命を破壊し、人間個人の尊厳を傷つけ、国籍、宗教、文化を超えた個人と大衆との間にある平和的共存の基本的善を根本から崩す憎悪とあらゆる形の暴力に反対することは必須の責務である」と宣言した。ポントワーズ教区のStanislas Lalanne司教と、サン・ドニ教区のPascal Delannoy司教は、一月十一日のデモのカトリック教会公式代表者だった。

 デモの間、生き残ったシャルリ・エブドの漫画家の一人は「今になって急に俺たちのことを友人だと言いだした連中には吐き気がする」と言った。そして皮肉な調子でこう付け加えた。「俺たちには大勢の新しい友人がいる。教皇、エリザベス女王、プーチンといったね。笑わせてくれるよ」 « vomir sur ceux qui, subitement, disent être nos amis : nous avons beaucoup de nouveaux amis, comme le pape, la reine Elizabeth ou Poutine : ça me fait bien rire. »と。

 一月八日正午、雨の降る中、ノートル・ダム大聖堂は弔鐘を鳴らした。誰がために鐘は鳴っていたのか?

アラン・ロランス神父

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【追記】
 ロベルト・デ・マテイ教授は、Christ Crucified: Scandal to the Muslims, Foolishness to the Secularists [Cristo crocifisso, scandalo per i musulmani e stoltezza per i laicisti…] の中で、「テロリズム」とは、イスラムのテロリズムであり、イスラムの世界観によるテロリズムであることを説明しています。

Long War Journal によると、イスラム国のスポークスマン、アブ・ムハンマド・アル・アドナニは「あらゆる異教徒たち(=非イスラムのこと)を徹底的に抹殺する」と述べ、「爆弾や弾薬がなければ、異教徒のアメリカ人やフランス人、さらには同盟国の者を孤立させ、石で頭を叩き潰し、ナイフで刺し殺し、車でひき殺せ。高い所から突き落とし、絞め殺し、毒殺せよ。」と宣言しています。

 彼らの公式の訳によると「私たちはおまえたちのローマを征服する、おまえたちの十字架を壊す、そしておまえたちの女を奴隷とする。これがアラーが私たちに約束したことだ。云々」と言います。We will conquer your Rome, break your crosses, and enslave your women, by the permission of Allah, the Exalted. This is His promise to us; He is glorified and He does not fail in His promise. If we do not reach that time, then our children and grandchildren will reach it, and they will sell your sons as slaves at the slave marke. [Nous allons conquérir votre Rome, nous allons briser votre croix, nous allons prendre vos femmes en captives de guerre par la permission d’Allâh le Très Haut. Ceci est la promesse d’Allâh sur nous et Il ne manque pas à Sa promesse. Si nous n’atteignons pas cela, nos enfants ou nos petits-enfants et ils vendront vos enfants dans les marchés aux esclaves.]

 デ・マテオ教授は、ラディカルなイスラムも、穏健派のイスラムも、同じ目的を持っていること、手段が違うこと、を指摘しています。つまり、穏健派も急進派も、イスラムによる世界征服を目指しているということです。もしそれを目指していなければ、それは穏健派ではなく、良いイスラムではないということだ、と指摘します。シャリア(イスラム法・コーランの法による支配)の世界拡張がイスラムの目的だからです。つまりイスラム絶対主義でありファナティシズムです。このイスラム絶対主義によって、シャルリ・エブドに代表される人々を殺害しています。

 「シャルリ・エブド」は、カトリック信仰を否定した上に成り立つ、フランス革命以後の相対主義の産物です。バスティーユの後に生まれ変わったヨーロッパの啓蒙主義の表現です。

 しかし、デ・マテイ教授は、相対主義がイスラムのファナティシズムに勝つことはない、と断言します。真の天主であるイエズス・キリストだけが、これに向き合うことが出来ます。聖パウロの言葉:「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それはユダヤ人にとって躓きであり、異邦人にとって愚かであるが、しかし召された人々にとっては、ユダヤ人にもギリシァ人にも、天主の力、そして天主の知恵キリストである。天主の愚かさは人間よりも賢く、天主の弱さは人間よりも強いものだからである。」

 天主様の御助けにより、私たちもデ・マテイ教授と共にこう言いたいと思います。「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それはイスラムにとって躓きであり、自由主義者にとって愚かであるが、しかし召された人々にとっては、天主の力、そして天主の知恵キリストである。天主の愚かさは人間よりも賢く、天主の弱さは人間よりも強いものだからである。」

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)




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聖ピオ十世会アメリカ 神学校新校舎建設プロジェクト

2015年01月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アメリカの神学校、新しい校舎に関するニュース・ビデオをご紹介します。「天主様について語る建物」"A Building that Speaks of God" - New Seminary Project です。




http://www.newseminaryproject.org/


We are trying to restore the Mass; we are trying to restore the formation of the Catholic priesthood; we’re trying to restore the soul in the hands of God.
The importance of this project is basically the essence of the Society of St. Pius the X, according to the desire of Archbishop Lefebvre, the Society’s main goal is to form priests. They’re going to have to have a very strong and solid formation and a place where they can come back to when they’re being beaten by the world; they need a refuge and that refuge will be the seminary.
If you have a good, solid building, it can help inspire the seminarian, no doubt about it. We are human beings; we are dependent on our senses; we receive all the information through the senses and it’s definitely, let’s say, the place where we live will have a certain influence.
A man is influenced by his surroundings because of the creation he lives in; God is the master of man’s life. He has created all the material realities that surround us and we live in harmony with those surroundings. The surroundings of a cloister, just like the surroundings in a seminary is to form the spirit, to turn away from the world, to be protected from the influences of a materialistic-type of world, and to turn the soul towards God. With a Seminarian entering a seminary, he’s being formed by the walls around him, by the acoustics around him. The architecture is very, very important in that regard.
Practicality is the first, really, goal in any kind of construction – the rains falling, so you need a roof, but there’s also a spiritual dimension that we cannot neglect. And that spiritual dimension is to be able to speak to the people that live there on a daily basis of God - and that’s the importance of this project: it’s enabling man to talk to God. The structure has to be there, the practicality has to be there, but it has to be a building that speaks of God; it has to be a building that lifts the soul to God. The Church expresses the beauty of God through the material building. And that’s the idea of a seminary is to make them live in the spiritual realm.
The cloister means silence. It’s a place inside; it should be, let’s say, surrounded by the walls and so it’s kind of a courtyard inside where the silence should reign. So helping to the prayer, helping to the meditation. And definitely that’s also an element of the priesthood.
The challenge is maintaining the structure in all its soundness, and refusing to neglect the spiritual realm and all its beauty. This project is special because of the building itself; it’s a unique building, nothing has been built like this in the United States in hundreds of years. This is a project where the design is meant to last 500 years.
It’s perhaps the most important project right now in the whole Catholic Church because the work of Archbishop Lefebvre was to restore the priesthood and to preserve the priesthood, which is in such attack today.
The battle of the Society of St. Pius the X is to fight against today’s modern errors - and that’s forming beautiful souls by their environment, by the cloister, by the seminary, by lifting them up through the architectural style to touch God. We just can’t put a price tag on the value of one good priest. It has clearly great importance because that’s the place where we build the next generation of priests.

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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フィリピンでのACIM-Asiaによるローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの支援

2015年01月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アジア管区長シュテーリン神父様のお手紙を紹介します。

フィリピンでのACIM-Asiaによるローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの支援依頼



二〇一五年一月十六日

アジア管区長、カール・シュテーリン神父よりの心を打つ手紙

二〇一四年十二月三十一日、シンガポールにて

 親愛なる信者の皆さん、親愛なるローザ・ミスティカ・ミッションの友人の皆さん。

 ご存知のように、カナダに任命されたクチュール神父様の発案による賞賛すべき霊的事業を実行することは、私の職務であります。使徒職のこの大海において、最後に残ったまことのカトリック国家の一つであるフィリピンを襲った度重なる災害を眼にして、私の心は引きちぎられています。フィリピンは台風に次ぐ台風に打ちのめされています。私たちの小さな共同体は、フィリピンのすべての住民たちと同じように酷く苦しんでいます。カトリック聖伝への愛情の他に、私たちはヨーロッパとこれら極東の国々を加えた愛徳とあわれみのまことの絆を守っています。十年前の数々の津波、カガヤン・デ・オロでのセンドング(Sendong)台風(二〇一〇年)、マニラの洪水(二〇一二年)、そして特に二〇一三年十一月二日、一万人の死者を出したハイヤン台風によるレイテ島のタクロバンの破壊。タクロバンは二〇一四年初めに行われたローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの現場でした。

 ハグピート(Hagupit)台風(死者二十九名)は、同じタクロバンを襲うだろうと予想されていました。しかし、レイテ島は隣のサマール島とサン・ファニーコ橋(viaduct San Juanico)で結ばれていて、約2.5キロの距離です。そしてサマール島は台風被害をもろに受けました。死者の数は、折良く出された警報発令のおかげで最小限ですみました。ですが私は、前夜に襲った津波がシェルターと避難者たちのテントを破壊したことを知って震え上がりました。彼らはすでに酷い嘆きのうちにあり、三週間前のハグピート台風で収穫物は台無しにされ、ココナッツの木はなぎ倒されてしまったので、現実には食べる物もなく暮らしています。この新たな災害はチャンミー、フィリピンではセニアンと呼ばれた台風によってもたらされています。死亡者数はサマール島の首都カトバロガンではすでに五十九名に達しました。なんという悲しいクリスマス! そして暴風もまたフィリピンのファチマ、ボホール島に達していて、その巡礼地は去年のハイヤン台風で破壊されました。私たちはここに毎年恒例の巡礼団を組織しています。

 一つの災害地域から次の地域へと移動しながら、私はすべての場所で、苦悩のうちにある住民たちを助けるためのAcim Asiaと(聖伝による)レジオ・マリエの賞賛すべき仕事を見ています。毎年のローザ・ミスティカ・ミッションは、医療支援を提供し、苦しむ人々を助けるという変わらぬやり方のうちに、その存在意義を定めています。治療、重症者の世話、慢性の病を持つ人々の検査、住宅の再建、飢えた人々への食糧供給……悲惨の大海におけるひとしずくの水です。

 今年はハイヤン台風の襲撃のため、タクロバンは若いアイルランド人医師、マリー・フラナガンを始めとするヨーロッパ人ボランティアたちによる恩恵を受けました。診療所は、去年のローザ・ミスティカ・ミッションの最中に、ダニエルス神父によって再建されたチャペルの中に設置されました。大変な数の患者たちがそこに迎え入れられ、その間ずっと、ジェネラル・サントス(ミンダナオ島)にACIMの恒久的駐留が維持されました。

 三週間前、一つの宣教団がタクロバンから、サン・ファニーコ橋の終わりに位置するサン・マテオ管区に派遣されました。その時の主な問題は、そこら中に広がって村々を孤立させているぬかるみでした。宣教団は学校(五人の子どもが死亡し、三人は行方不明です)を設置させることができました。その一方で、フィリピン軍は首都カトバロガン地域にいる私たちのボランティアたちを護衛できていません。共産主義ゲリラ軍が状況を引っ掻き回すために主導権を握り、旅行は危険なものとなっています。一月五日に遠征団を送る予定です。

 次回のローザ・ミスティカ・ミッションは二月初旬にタクロバンで行われる予定です。ディケス(Dickès)医師と献身的なAcim-Asiaの秘書たちとともに、遠征団がサマール島へ出発するかどうかを決めるつもりです。

 締めくくりに、私はこの苦しみの海の中にどれほど豊かな霊的収穫があるかを皆さんにお伝えしたく思います。このミッションは厳密に言えばNGOによるものではありません。これは私たちの主イエズス・キリストのメッセージをもたらすためのものなのです。苦しみは私たちをよりいっそう天主に近づけてくれます。どれほど多くのフィリピン人たちが、彼らにもたらされた福音のみことばに慰められていることか! 事実、これらの島々での私たちの信者たちの数は、最近の二週間で四倍に増えました。このあわれみのみわざが聖なるものとなり、永遠に聖なるものとされるのは、諸聖人の通功によるのです。

 イエズスとそのおん母マリアのみ名によりて、皆さまを祝福します。


 聖ピオ十世会アジア管区長 カール・シュテーリン神父





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聖ピオ十世会 聖家族の祝日 大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)でのお説教

2015年01月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こんにちは! こちらフィリピンでは、今まで私たちと一緒に働いておられたフォルティン神父様がオーストラリアのタイノンというところに任命(学校の校長として)されました。オーストラリアでは新学期が2月から始まります。
 今まで、マニラの学校の校長として働いておられ、フィリピンでは3月まで学年が続きます。そこで、私が校長職を引き受けることになりました。

 さて、先日の主日にはレネー神父様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のご報告を戴いておりますので、愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
1月11日(日)の御ミサの報告です。
11日日曜日 聖家族の祝日の御ミサでは、19人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!!

新潟や、金沢から雪をかき分け(?)御ミサに与るために来阪された方々もいらっしゃいましたし、ひどい風邪や発熱、体調不良のなか無理をおして来られた方もいらっしゃいました。聖なる御ミサの御恵みとその意味や価値を知ればこそだと思います。

また、インフルエンザや色々な事情でどうしても来ることが出来なかった方々、このような愛する兄弟姉妹のためには御ミサの中で心を合わせてお祈りいたしました。

もっと多くの人々が本当の御ミサを知って天主様に立ち戻るように聖母マリア様のお取次ぎにより頼んでもっと祈らなければと思います。

聖家族の祝日でしたので、レネー神父様から「天主の愛の法と家族について」のお説教を頂きました。以下に掲載いたします。

聖ピオ10世会の日本では1月は「日本中の家庭のため、特に若いカトリックの家庭のため」と意向にあるようにカトリックの家庭内での天主への愛の教育の大切さがとてもよくわかる素晴らしいお説教でした。聖母マリア様と聖ヨゼフ様を両親の見本とし、イエズス様を子としての見本とする良きカトリックの家庭が日本にも多く出来る日が来ますように・・・!
いつもながら多忙なスケジュールの中、御ミサと真の信仰を待ち焦がれる小さな羊の群れのために来日してくださる聖ピオ十世会の神父様に心から感謝いたします。
優しい霊父様 の微笑み、天主様への愛へ私達を導いて下さる強い想いを感じて羊たちはとても幸福な時間を過ごしました。


2015年1月11日 聖家族の祝日の説教
レネー神父様 大阪にて




 「天主は愛である」(一ヨハネ4章8節)。天主は愛について、私たちよりずっと多くをご存じです。天主の法は、まことの愛を妨げるどころか、まことの愛に必要な条件の一つです。天主の第一の法でありかつ基本の法は、愛の法です。「すべての心、すべての霊、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ。これが第一の最大のおきてである。第二のもこれと似ている。隣人を自分と同じように愛せよ」(マテオ22章37―39節)。ルフェーブル大司教がよく指摘なさっていたことですが、物質的領域においてさえ、天主は愛の表象(シンボル)として万有引力の法則をお定めになったのです。このように天主は、自然のレベルの人間の生命が、家族の中で花開くべきであると秩序付けられたのです。家 族の中で、人間は天主の驚くべき法に従って、愛を学び訓練を受けるのです。このように、家族は人間社会の根幹なのです。

 罪は天主の愛、まことの愛と相容れません。罪は、まことの愛を破壊することであり、家族の破壊、そして最後には人間社会の破壊に至るのです。これらの偉大な真理を思い起こすことは、現代の世界において大変重要です。現代の世界では、愛が非常に腐敗し続け、今日多くの人が愛を探し求めているのは、愛の腐敗、まことの愛の歪曲、あらゆる種類の性的倒錯以外の何ものでもありません。
いいえ!そうではありません。まことの愛とは、天主の法に従う愛にこそあるのです。

 まことの愛は、まず第一に賜物です。「御父は御子を愛し、その手に万物をゆだねられた」(ヨハネ3章35節)。万物を御子にゆだねられる前に、御父は御子にご自身の尊厳をゆだねられました。ですから結果として、創られたすべてのものは、御父の手によるのと同様に、御子の手にもよるのです。そのため、私たちに対する天主の愛は、まず第一に賜物なのです。「天主は御独り子を与え給うほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を受けるためである」(ヨハネ3章16節)。「友人のために命を与える以上の大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)。このように、まことの愛に反するものは身勝手さ、自己中心以外にありません。私たちは自分自身の力で存在し ているのではないため、自分の力だけで幸せを見つけることはできません。私たちの存在すべてが天主から来ているため、幸せを得ることができるのは天主からだけであり、自分を天主にゆだねることによって得られるのです。

 愛には二種類あります。まず与える愛です。たとえば、子どもたちに対して自分を与える母の愛です。もう一つは自分のものにする愛です。たとえば、私たちがチョコレートを愛したり、人々が金(ゴールド)を愛したりするときです。人々は金を愛しますが、与えるのではなく自分のものにするのです。

 善き聖なる家族は、まことの愛を学ぶ学校です。家族全員が愛することを学びます。まず天主を愛し、互いに愛し合うことを学ぶのです。それは、私たちの主イエズス・キリストにふさわしい方法で自分を与えることによってなのです。このように、家族は、男女が全生涯にわたって自分を互いに与え合い、私たちの主イエズス・キリストと教会という模範に従って、子どもたちに命を与えるという男女の契約によって成り立っています。

 男と女によってつくられる家族でなくても、本当の家族になりうると主張することは、ばかげたことです。不自然な愛はすべて、天主によって創られた最も美しいものの倒錯にしかすぎないのです。人は自分を創るのではありません。天主は私たちに自分で変えることのできない性質を与えられました。男は女ではなく、女になることは決してできません。女は男ではなく、男になることは決してできません。男と女の結びつきだけが、天主と協力することによって子どもたちを生むのです。自然に反する結びつきは、基本的に子どもができず、不毛なものです。人間は忌まわしい医療手術で自分を破壊することができますが、自分をもう一つの性に変えることはできません。体の個々の細胞のDNAは、天主がそ れらをどのように創られたかを示していますから、人間は体の個々のDNAを変えることはできないのです。私たちは、現代世界のせいで道を誤ってしまったそんな哀れな霊魂たちのためにたくさん祈る必要があります。現代人の傲慢こそが、天主が創られたものを拒否し、自分を自分の意のままにしようと欲するのです。天主が創られた自分の性質を受け入れず、自分の意志を天主の聖なるご意志に合わせようとはしないのです。天主の定められた道を拒否することによって、天主からしか来ることのない、まことの喜びや平和を見つけることをできなくしてしまうのです。天主と共にある平和でないなら、平和を見つけることは決してないでしょう。「『悪者には平和がない』と、主は仰せられる」(イザヤ48 章22節)。しかし、こういう人々にも救いの道はあります。贖い主である私たちの主イエズス・キリストのもとへ来て、痛悔の心で、自分の罪を本当に悔い改め、私たちの主イエズス・キリストの恩寵を得て生活を改めるならばです。

 さて、家族にとって第一にして最も重要な善は子どもたちです。このことは聖家族に見られます。その最も偉大な善は、間違いなく私たちの主イエズス・キリストでした。善き子どもたちは、善き両親にとって喜びであり報いです。天主はしばしば、その子どもたちによって両親を祝福なさいます。幼きイエズスの聖テレジアの両親に対する報いは何と素晴らしいものでしょう。自分たちの娘が聖人になるという、それ以上の報いがあるでしょうか。子どもたちの徳を見るのは、両親にとって常に大きな喜びです。実際に大変な仕事ではありますが、その努力をする価値があるのです。父親が建築家で家を建てるなら、父親の仕事は子どもたちの霊魂を築き上げる仕事ほどには素晴らしいものではありません。なぜ なら、子どもたちの世話をするのは、父親と母親の二人がかりで全力で取り組まなければならないからです。私たちの主イエズス・キリストは絶対的に完全でしたから、お一人だけでも、ほかのすべて子どもたちを合わせた以上にお世話をする価値があったのです。ですから、聖ヨゼフと聖母にとって、ほかの子どもを望むことは不可能だったのです。さらに言えば、お二人は天主の驚くべき賜物、聖母の童貞性を守られたという賜物を大変尊重しておられました。ですから教会は、聖母はイエズス以外の子どもをお持ちにならなかったこと、聖ヨゼフとの間にも子どもはなかったことを常に教えてきたのです。

 イエズスのような、そんな素晴らしい子どものいない普通の家族にとっては、多くの子どもを持つことは善いことであり、正常なことです。これは、禁じられた木の実を食べることを禁じる前に、天主がアダムとエバに与えられた第一の戒めです。「天主は人間を祝福して仰せられた、『生めよ、増えよ、地に満てよ』」(創世記1章28節)。さて、両親に二人の子どもしかいないなら、増えることはありません。1は、1を掛けても増えません。増えることのうち最も小さなものは、2を掛けることです。ですから、二人である両親は四人の子どもを持つべきですが、しばしばもっと多く子どもがいます。皆さんの家の庭にリンゴの木があるなら、そしてその木が一つか二つしか実をつけないなら、皆さんは、 その木は良い木ではないとみなすでしょう。天主が木を祝福してくださり、大きく成長して多くの実がなることを願うでしょう。でも、天主が与えてくださる多くの子どもを受け入れようとはしないのではありませんか? 子どもを得る力は天主の賜物です。人間にはそれを破壊する権利はありません。天主が皆さんに与えようと望まれる子どもを、すべて受け入れてください。子どもたちは、皆さんが年老いたとき、報いとなるでしょう。

 善き家族の第二の善は、互いに忠実であることそのものであり、夫と妻がお互いに与える相互の支え合いです。私の祖父母の結婚50周年を、私たち家族でお祝いしたときのことです。(二人は67周年まで迎えることができました。)そのとき、祖父は私たちに言いました。「結婚50周年にもなると、その喜びは結婚当初と同じとは言えない。でも、これまでの年月を振り返り、50年間忠実だったことを思えば、その喜びは決して劣るものではない」。実に素晴らしい知恵です。忠実であること自体が大きな慰めの源です。それは日々の積み重ねがないと得られませんが、その努力をする価値があるものなのです。忠実であることは結婚においては大変重要ですから、その忠実であるための準備として、結婚 前に純潔であることも重要になるのです。それは、将来の結婚相手のためにとっておくものであり、結婚後に忠実であることと同じなのです。若い男女が、結婚した日にお互いに与え合うことのできる最上の贈り物は純潔なのであり、全生涯にわたり忠実であることの素晴らしい保証となるのです。私たちの主イエズス・キリストのほまれのため、聖ヨゼフと聖母の模範に従って、身も心も純潔をもって結婚の準備を行うこれら若いカップルに対して、天主が特別な方法で祝福されることは明らかです。

 カトリックの家族にとって第三の善は、婚姻の秘蹟という善です。この秘蹟によって、カトリック信者の男女が結ばれることは、キリストと教会が結ばれることを表しています。また、この最も崇高で聖なる結びつきから、自分たちの義務を果たすための恩寵、つまり生み増えるため、また信仰のための特別な恩寵を受けるのです。

 これら三つの善が、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族においては、崇高な形で見られます。また、若い男性、あるいは若い女性がより高い生活へと呼ばれることも、時に(人々が通常思っているより多く)見られます。つまりこの霊的に高次の生活においては、一つの家族、すなわち、より高次の家族である超自然的な家族、たとえば修道会のような家族の一員になり、もっと大きな霊的な豊穣さや実りを得るのです。人生における試練があるとき、特に年老いて試練があるとき、そこでは非常に美しい相互の支え合いが見られます。また、キリストとキリストの花嫁として生きる教会が一致する、まさにそのレベルにおいて生きるのです。そこではまた、深い信仰が必要となります。これは、さらに高いレベルの貞潔の徳なのです。心を完全にキリストにお捧げすることで、ほかの愛は持たなくなり、その結果さらに素晴らしい霊的豊かさを得るのです。結婚は善いものですが、奉献された生活はさらに善いものです。

 これは、天主の恩寵によって可能になります。善にして聖なる家族を持つことは可能であり、いや、それどころか喜びであるのです。私たちの主イエズス・キリストに奉献された生活を送ることは可能であり、かつ超自然的な喜びであるのです。善きカトリックの家族をつくるための重要な条件は、(またさらに、奉献された生活を生きるための条件でもありますが、)祈りです。家族には祈りがなければなりません。家族一緒の祈りが必要なのです。善き家族の祈りを実現する鍵は規則的に行うことです。祈りの長さよりもずっと、規則的に行うこと鍵なのです。時々ロザリオ一環を祈るよりも、毎日一連あるいは二連祈る方が良いのです。特に子どもたちが小さいときは、長い祈りは難しいでしょうが、毎日規 則的に行う祈りはそうではないでしょう。ですから両親は、自分たちのロザリオの祈りを容易に済ませることができます。一緒に祈る家族には天主の祝福が保証されます。一緒に祈る家族は、ずっと一緒に暮らせるのです。

 特に、聖家族への強い信心が必要です。そこには家族すべての完璧な模範があるからです。聖ヨゼフは父親の模範であり、童貞聖マリアは母親そして配偶者の模範であり、天主の御子は子どもたちすべての最も素晴らしい模範なのです。

 罪は愛を破壊すること、家族を破壊することです。両親は、家族の中で罪の機会がないように気をつけるべきです。悪い書物がないように、悪い絵や写真がないように、悪い言葉遣いがないように、慎み深くあるように、などです。両親は、子どもたちの霊魂から雑草を取り除いて、あらゆる徳が花開く美しい庭なるようにすべきです。

 天主の御子が、童貞聖マリアと聖ヨゼフの御取り次ぎによって、皆さんそれぞれの家族が、聖なる家族となる祝福を与えてくださいますように。

 アーメン。

 Sermon in Seoul/Osaka 11th January 2015 – Feast of the Holy Family

Reverend Father François Laisney SSPX

 “God is charity” (1 Jn. 4:8). He knows about love, much more than we do. His Law, far from preventing true love, is a condition for true love. The first and fundamental Law of God is a law of love: “Thou shalt love the Lord thy God with thy whole heart, and with thy whole soul, and with thy whole mind. This is the greatest and the first commandment. And the second is like to this: Thou shalt love thy neighbour as thyself” (Mt. 22:37-39). Archbishop Lefebvre used to point out that even in the material realm God’s set the Law of universal attraction as an image of the law of love! Thus God has so ordered human life at the natural level that it should blossom in families, where love is learnt and exercise according to God’s marvellous laws. Thus families are the building blocks of human society.

 Sin is incompatible with the love of God, with true love. Sin is the destruction of true love, and it leads to the destruction of family and ultimately to the destruction of human society. It is very important to remember these great truths in our modern world, where love has been so corrupted, that many today search for love in what is really nothing else but the corruption of love, distortion of true love, all kinds of sexual perversions. No! True love is only in love according to God’s Law!

 True love is first of all a gift: “The Father loveth the Son: and he hath given all things into his hand” (Jn. 3:35). Before giving al things in His hands, the Father has given to His Son His own divinity! And as a consequence, everything created is necessary in the hands of the Son as they are in the hands of the Father. And God’s love for us is first of all a gift: “God so loved the world, as to give his only begotten Son; that whosoever believeth in him, may not perish, but may have life everlasting” (Jn. 3:16). “Greater love than this no man hath, that a man lay down his life for his friends” (Jn. 15:13). Thus nothing is more opposed to true love than selfishness: since we ARE not by ourselves, we cannot find happiness by ourselves, by enclosing ourselves on ourselves. Since our whole being is from God, it is only from God that we can get our happiness, by giving ourselves to Him.

 There are two kinds of love: a giving love, such as a mother’s love for her children, giving of herself to them, and a taking love such as when we love chocolate, or when people love gold: they love gold not to give it, but to take it for self.

 A good and holy family is a school of true love, when every member of the family learns to love, first to love God and to love one another, by the giving of self in a manner worthy of our Lord Jesus Christ. Thus a family is founded by a contract between a man and a woman giving themselves to the other for the whole life, in such a way as to give life to children, according to the pattern of our Lord Jesus Christ and His church.

 It is an absurdity to claim that there could be a true family that would not be founded by one man and one woman: all those un-natural loves are nothing but the perversion of the most beautiful thing made by God. Man did not make himself: God gave us a nature that we cannot change; a man is not a woman and can never become one; a woman is not a man and can never become one: only the union of a man and a woman can cooperate with God to give birth to children; any anti-natural union is fundamentally struck with sterility, bareness. Humans can destroy themselves by abominable medical operation, but they can never change themselves in the other: the DNA of each cell of their body is there to claim how God has made them, and they can never change the DNA of each cell of their body! We need to pray much for such poor souls, led astray by our modern world. It is modern man’s pride that rejects what God has made, and wants to make himself according to his own will, rather that receiving his nature as God has made it, and conforming his will to the Holy Will of God. By rejecting God’s way, they make it impossible for them to find true joy and peace which can only come from God. When one is not at peace with God, one will never find peace: “There is no peace to the wicked, saith the Lord” (Is. 48:22). Yet there is remedy for them if they come to the Redeemer, our Lord Jesus Christ, with a contrite heart, truly repenting for their sins and ready to change their lives with the grace of our Lord Jesus Christ.

 Now the first and most important good of a family is the children: one sees this in the Holy Family, where the greatest good was indubitably our Lord Jesus Christ. Good children are the joy and the reward of good parents! God often blesses the parents in their children: what a marvellous reward for the parents of St Thérèse of the Child Jesus, than to make a saint of their daughter! It is always a great joy for parents to see the virtues of their children. It is hard work indeed, but well worth the effort! If the father is an architect and build houses, his work is not as great as the work of building up the soul of the children, for which work both father and mother must work hard. Our Lord Jesus Christ being absolutely perfect, and worth alone more than all others together, it was not possible for St Joseph and Our Lady to desire any other children; moreover, they had much too much respect for God’s marvellous gift of having preserved the Virginity of our Lady for destroying that gift! So the Church always taught that Our Lady did not have any other child, neither did St Joseph.

 For normal families, who do not have such a great child, it is good and normal to have many children. This is the very first commandment that God gave to Adam and Even, even before forbidding them to eat of the forbidden tree. “And God blessed them, saying: Increase and multiply, and fill the earth” (Gen. 1:28). Now for two parents, if they have only two children, that makes no multiplication: one does not multiply by 1; the smallest multiplication is by two, hence two parents should have four children, but often more. If you have an apple tree in your garden, and it brings for to you only one or two apple, you reckon it is not a good tree; you want that God bless your trees and harvest with great growth and multiplication, yet you do not want to accept all the many children God wants to give you? Fecundity is a gift of God, which man does not have the right to destroy. Welcome all the children which God wants to give you! They will be your reward in old age.

 The second good of a good family is fidelity itself, and the mutual support which husband and wife give to one another. When we celebrated my grant-parents’ fiftieth anniversary of marriage (they reached 67), my grand-father said to us: “when you reach fifty years of marriage, the joys are not the same as at the beginning of marriage; but if you can look back at all those years, and see fifty years of fidelity, the joy is not less!” Great wisdom indeed! Fidelity itself is the source of great consolations; one must earn it day by day, but it is worth all the efforts. And because fidelity is so important in marriage, so virginity is important before the marriage, as a preparation for that fidelity; virginity before the marriage is to reserve oneself for one’s future spouse: it is the same as fidelity after the marriage. The best gift a young man and a young woman can give to one another on their marriage date is their virginity, marvellous guarantee of fidelity for the whole life. It is evident that God will bless in a very special way those young couples who, for the honour of our Lord Jesus Christ, following the example of St Joseph and our Lady, prepare their marriage in purity and virginity.

 The third good of a Catholic family is the good of the sacrament of marriage: by this sacrament, the union of a Catholic man and woman signifies the union of Christ and His Church, and receives from this most sublime and holy union very special graces to fulfil their duties, both to grow and multiply and to be faithful.

 One sees these three goods in a sublime way in the Holy Family Jesus, Mary and Joseph. One sees also there that sometime (more often than people usually think) a young man or a young woman are called to a higher life: yet there also one enters into a family, a higher family, supernatural family such as a religious order or society, and acquires greater spiritual fecundity and fruitfulness; one finds there a very beautiful mutual support in the trials of life and even in old age. And one lives at the level of the very union of Christ and his Church, living as brides of Christ. There also, there is need to be faithful. This is even a higher virtue of chastity: when one so gives one’s heart totally so totally to Christ that one will not have any other love, yet one acquires thereby a greater spiritual fecundity. Marriage is good; consecrated life is better.

 By the grace of God this is possible. It is possible – nay enjoyable – to have a good and holy family; it is possible, and supernaturally enjoyable, to live a life consecrated to our Lord Jesus Christ. The great condition to achieve a good catholic family, (and even more to live a consecrated life), is PRAYER: there must be prayer in the family; there is need of family prayer. The key to a good family prayer is regularity, even more regularity than length. It is better to say just one or two decades every single day than the whole rosary from time to time. Especially when children are small, a long family prayer may be difficult, but a regular one is not. And the parents can easily finish their rosary on their own. A family that prays together is guaranteed to be blessed by God. A family that prays together stays together.

 In particular there should be a great devotion towards the Holy Family, where each member of the family finds a most perfect example: St Joseph model of fathers; the Blessed Virgin Mary model of mothers and spouse, and the Divine Child a most excellent model for all children.

 Sin is the destruction of love, and the destruction of families. Parents should be careful that there should be no occasion of sin in the family: no evil book, no evil picture, no bad language, no immodesty, etc. Parents should weed the soul of their children to make of it a beautiful garden where all kinds of virtue will blossom.

 May the Divine Child through the intercession of the Blessed Virgin Mary and St Joseph grant to all of you these blessings of a holy family.

 Amen!


ブランミュラー枢機卿と聖ピオ十世会とのインフォーマルな会見(ドイツ)

2015年01月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?こちらフィリピンでは教皇様の訪問で、昨日の1月15日と今日1月16日が休日になりました。19日月曜日も休日になります。教皇様のためにお祈りいたします。

 さて、ドイツでは昨年の12月に、ブランミュラー枢機卿が聖ピオ十世会の神学校を訪問しました。ローマと聖ピオ十世会とが2年半に亘って第二バチカン公会議に関する神学的討論を公式に行いましたが、私たちの主張をよりよく理解することが出来るように、より非公式的な形で討論し合うことを目的としています。

 願わくは、ブランミュラー枢機卿が私たちの論点を正確に理解し、聖伝の教えと第二バチカン公会議の新しい教えとが、食い違っていることに気がついてくださいますように。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Germany: Informal meeting with Cardinal Brandmüller
ドイツより──ブランミュラー枢機卿との非公式会見



二〇一四年十二月十九日

 二〇一四年十二月五日、教皇庁立歴史科学委員会の名誉委員長、ウォルター・ブランミュラー枢機卿は、数名の司祭を同伴した聖ピオ十世会総長、ベルナール・フェレー司教と会見した。会見は、バイエルンにあるツァイツコーフェンのイエズスの聖心神学校で行われた。

 この会見は、二〇一四年九月二十三日に行われたローマでの会見の内容に続くものであった。ローマでの会見は「教義についての話し合いを、これまでよりもっと幅広い、非公式な枠組みで続ける」ことにすべての人々が同意した(see DICI no.302 Oct. 10, 2014)。議題は第二バチカン公会議とその教導的権威についてであった。

 これらの会見の目的は、教会権威者たちに聖ピオ十世会と聖伝に基づく事業にさらに気づかせること、そして同時に、第二バチカン公会議とその改革に依然として関係している数々の重大な反論と相違点を、彼らに暴露することにある。このような観点から、さらに二回の会見が、数ヶ月以内に行われる予定である。。一つはフラヴィニー(フランス)にあるアルスの聖司祭神学校で、もう一つはウィノナ(アメリカ)にあるトマス・アクィナス神学校で行われる。




この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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聖ピオ十世会フィリピン、修道生活を志願する女性のための「ベタニアの家」という志願院

2015年01月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンには、修道生活を志願する女性のために「ベタニアの家」という志願院があります。1997年にマニラで創立され、それ以後、ここを通して多くの方々が修道女となりました。現在では、ベタニアの家は、パナイ島のイロイロ市に移転しています。

 数年前の記事ですが、聖ピオ十世会フィリピンにある、ベタニアの家についてご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「ベタニアの家」創立十周年


原文はこちら

アジア管区ニュースレター

二〇〇七年十月~二〇〇八年三月

「ベタニアの家」創立十周年
マニラ、フィリピン

Deo Gratias et Mariae! 天主と聖母に感謝し奉る!

歴史と創立

 まず第一に、「ベタニアの家」とは、聖伝による修道者共同体への女性たちの召命を支援する天主のみ摂理のみわざであります。この家が存在するまでの物語は、一九九七年、ダニエル・クチュール神父様が、聖ピオ十世会アジア管区長としての任期、第二期目を務めていたと同時に、マニラの勝利の聖母修道院長でもあったときのことです。当時、フィリピンの聖ピオ十世会のミッションは、管区内に数ヶ所の巡回教会を担当しながら、男性の召命のための予備神学校とともに、マニラにただ一つの修道院しか所有していませんでした。男性の召命のための家はまだ天主のお考えのうちにありました。聖伝の修道会に入会したいと望んだ女性たちは、その当時まで、直接に該当の修道会を相手に、入会の件を準備しなければなりませんでした。

 一九九六年十一月四日、アンティポロ教区の司祭、Santiago Hughes神父様(二〇〇一年帰天)が勝利の聖母教会に到着され、聖伝のために終日働きながら、司祭としての残りの人生を、聖ピオ十世会のかたわらで捧げることを決意されました。翌日、神父様はご自分の元いた教区の信者の一人、当時「ピンク・シスターズ」(神言会の観想修道女部)[訳注: 永久礼拝聖霊奉侍修道女会。ピンクの修道服を着用するのでこう呼ばれる]の修練女をなんとか説き伏せて、聖伝の方へと「飛び越え」させようとしました。彼女は勝利の聖母教会に到着すると、そこで秘書業務の任命を受けました。そして地元の一家族のもとに滞在しました。聖ピオ十世会のもとへとやって来る退会した修道女たちのためには、なんの用意もなかったからです。

 一年後の一九九七年九月の最後の主日、もう一人の若い女性が勝利の聖母教会にいるクチュール神父様のもとへ現れ、聖ピオ十世会の修道者として入会を認めてもらえるよう懇願してきました。事実、彼女もその日の朝まだきに、十七年過ごした近代主義に染まった修道会を出てきたのです。その日から聖伝の修道生活を送るためでした。この二人目の退会した修道女は、約一ヶ月前にジェネラル・サントスを訪問したラゾ司教様を通して聖伝を発見したのでした。霊魂の益のためには常に熱心なクチュール神父様は、彼女を住まわせる家がまだなかったのですが、この志願者を喜んで迎えました。その家で彼女は最初の夜を過ごし、日中は勝利の聖母教会の教区事務所で働いている三人の女性たちとともに働きました。三人の女性たちは、彼女のように聖伝の修道会に入会することを計画していました。これら四人の志願者たちは、昼間は勝利の聖母教会でともに過ごしましたが、夜になると、二人はそれぞれの家へ、もう二人は下宿先へと別れて帰宅するのでした。このような状況のために、クチュール神父様はついに一つの家を──聖伝の修道生活を目指す女性たちが、聖ピオ十世会の指導のもとで共同体を形作りながら滞在できる家を開設させようとしました。

 それから一ヶ月もしない一九九七年十月二十四日、聖ラファエルの祝日、天主の恩寵を得て、四人の会員たちが入居する借家が聖ピオ十世会司祭の小野田神父様によって祝別されました。小野田神父様は最初の院長様になりました。こうして「ベタニアの家」が誕生することとなったのです。

 なぜ「ベタニア」という名前が与えられたのか、理由を知りたい人がいるかも知れません。それは単純に聖書に出てくるベタニアの家を記念するためです。そこには聖主をお慕いしていたマルタとマリアが住んでいました。ベタニアは、エルザレムとカルワリオをかたどる、毎日のごミサが捧げられる勝利の聖母教会からそう遠くないところにあったのです。

日課と発展

 当初、四人の会員たちは通常「ベタニアの娘たち(Bethanians)」と呼ばれ、勝利の聖母教会の事務所で秘書として手伝っていました。彼女たちは六時半の一時課の朝の祈りと黙想に加わり、七時十五分のミサ聖祭にあずかりました。教区事務所での仕事と祈りの合間、一日の大半を彼女たちは沈黙のうちに過ごしました。修道院が食事を提供し、教会の地下室にあった同じ事務所の隣の台所で食べました。一日の終わりは、夕方の聖なるロザリオの祈り、ミサ、そして夕食で締めくくられました。院長の小野田神父様から指導を受け、同じようにフランス、アヴリエのドミニコ会士、マリー・ドミニク神父様から霊的講話を聞きました。ドミニク神父様は当時フィリピンで聖ピオ十世会のミッションを手伝っていました。ベタニアの家の中の切り盛りはというと、聖主の生きておられた時、ベタニアのマルタのように振舞う年長のベタニアの一人の娘が責任者の任命を受けました。

 一九九八年四月、一人目のベタニアの娘が聖ピオ十世会の奉献女として入会するため、スイス、メンツィンゲンへと出発しました。同じ年の五月初め、奉献女のシスター・マリア・レジナがスイスで指名され、「ベタニアの家」へ来訪し、数週間滞在しました。クチュール神父様は、新しい共同体に好意的な彼女の有益なアドバイスをよく理解され、こうして「ベタニアの家」は新しい養成方法を取ることになりました。それからのちの日課は、霊的講話を含む、祈りと公教要理の勉強、教会史、ラテン語、英語、フランス語、グレゴリオ聖歌にもっと重点的に取り組むようになりました。さらに、ベタニアの娘たちは勝利の聖母教会の司祭たちから霊的指導を受けました。このようにして、志願者の日々の生活は、修道者としての養成の次のステップに向けて、非常に重要な知識と習慣を得ていくことに費やされました。

 ベタニアの娘たちの数がかなり増えてきたため、二つ目の家が開設され、「ロレートの家」と名付けられました。すべての会員たちは、み摂理が寛大な恩人たちを通して過不足なく与えてくださる必需品をいただくために、労働と祈りに大いに励まねばなりません。

 二〇〇一年、四年間にわたる激務と献身ののち、小野田神父様は「ベタニアの家」の院長職を、Joven Soliman神父様に譲りました。この家の生活には、ちょっとしたいくつかの変化が起こりました。ベタニアの娘たちは定期的にそれぞれの召命を試すために他の岸辺へと漕ぎ出し、主要な日課はそのまま続けられましたが、二〇〇三年六月なると、聖ピオ十世会の奉献女たちの最初のグループがマニラに到着しました。そのときから「ベタニアの家」は、Soliman神父様が院長のままであるかたわら、同じ奉献女たちによって管理されることになりました。それからすぐに、共同体全体はもっと大きな借家へと引っ越しました。これは四回目の引っ越しで、勝利の聖母修道院から歩いて十五分の距離にあり、共同体は現在もそこに居を構えています。

 「ベタニアの家」は、現在(二〇〇八年一月一日)、奉献女三名、カルメル第三会修道女一名、元フランシスコ会修道女一名(奉献女会への入会許可待ち)、七名の若い娘たちです。奉献女の一人が、娘たちの養成と同じくベタニアの家の家政の責任者です。Soliman神父様は一週間に一度霊的講話をしてくださり、その他に二名の聖ピオ十世会司祭が公教要理とラテン語のレッスンをしてくださいます。その一方で、長上の奉献女が英語やフランス語、グレゴリオ聖歌、修道生活の手ほどきを教えます。娘たちは、家事や将来の修道生活のために有益となる基本的技能の訓練も受けます。

十年後

 この一区切りとなる十年の間、フィリピン人たちに加え、韓国、タイ、スイスからの会員たちが、ベタニアの家の敷居をまたぎました。現在、二十名の会員たちが、全能の天主が彼女たちをお呼びになった修道会──すなわち、聖ピオ十世修道女会(アメリカ、フランス、オーストラリア)、聖ピオ十世奉献女(スイス、イギリス、南アメリカ、フィリピン)、観想ドミニコ会(フランス)、教育ドミニコ会(フランス)、高間の聖母の弟子たちの会(イタリア)、カルメル会(フランス)に、喜んで錨を下ろしました。「ベタニアの家」というこの小さな木から、天主は世界の五大陸中にその実りを広げられたのです。その他二十名の者たちは、召命を試したのち家へ戻り、それぞれの召命に関する天主のご意志に従いました。聖主のみことば「呼ばれる者は多いが、選ばれる者は少ない」の背後に隠された神秘です。残る八名はビザ申請についての心配とともに、自分の番が来た時のために、学び、準備しています。すべての者たちが修道者としての養成に向けてフィリピンを離れ、それぞれの目的地に応じて、聖なる従順の道に従わなければならないからです。ベタニアの娘たちに加え、ベタニアの共同体に加わった修道女たちもいます。同様に、修道召命があるかどうか吟味するために、しばらくの間滞在する訪問者たちもいます。天主がこの家へとさらに多くの、善い、聖なる修道者の召命を送ってくださいますように!

霊的および物的支援

 この家の生みの親なる天主のみ摂理は、恩人と友人の方々の愛徳を通して、常にたゆむことなく会員たちを支えてくださっています。ですから感謝のしるしとして、この共同体の会員一人一人は毎日のミサとロザリオを、それぞれの恩人と友人の方々(生ける者も死せる者も)と、彼らの意向のために捧げています。さらに、絶えざるおん助けの聖母へのノヴェナを毎月十八日から二十六日の間に捧げ、二十七日には、聖ピオ十世会司祭によって同じ意向で捧げられる聖なるミサで締めくくられます。

 最後に、「ベタニアの家」の各会員たちは、全能の天主に、幸いなる童貞マリアに、保護の聖人たちに、ダニエル・クチュール神父様に、トマス小野田神父様に、ヴィセンテ・グリエゴ神父様に、Joven Soliman神父様に、ベタニアの娘たちの養成を支援してくださったすべての司祭、修道者の方々に、この十年間に渡って共同体に霊的および物質的支援をいろいろな方法で与えてくださった恩人と友人の皆さまに、心をこめて感謝申し上げます。全能の天主が、皆さま方にあふれるほどの祝福と、天国における永遠の報いを与えてくださいますように!


実際に修道生活を送っているベタニア出身の娘たち

RELIGIOUS NAME (Origin) ORDER/CONGREGATION(2008年1月1日現在)

1 Sr Maria Concepcion (South Cotabato)  Oblate of the SSPX, Manila, Philippines
2. Sr Rosaire (Rizal)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
3 Sr Maria Giuseppina (Manila)  Discepole del Cenacolo, Velletri, Italy
4 Sr Marie des Victoires (Bohol)   Teaching Dominican, Brignoles, France
5 Sr Maria Jacinta (South Cotabato)  Oblate of the SSPX, Johannesburg, South Africa
6 Sr Ignatius Mary (South Cotabato)  SSPX Sister, Sydney, Australia
7 Sr Isabella Marie (Cebu)  SSPX Sister, Browerville, USA
8 Sr Marie Agnes (Manila)  Oblate of the SSPX, Menzingen, Switzerland
9 Sr Diana (Cebu)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
10 Sr Maria Josepha (Manila)  Oblate of the SSPX, Highclere, England
11 Sr Dominica (Bohol)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
12 Sr Maria Ancilla (Dumaguete)  Oblate of the SSPX, Highclere, England
13 Sr Maria Vicenta (Siquijor)  Oblate of the SSPX, Manila, Philippines
14 Sr Ancilla (Bulacan)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
15 Sr Maria Salome (Thailand)  Oblate of the SSPX, Salvan, Switzerland
16 Sr Marie Laetitia (Switzerland)  Novice, SSPX Sisters, France
17 Sr Maria Remedios (Iloilo)  Novice, Oblate of the SSPX, Salvan, Switzerland
18 Sr Maria Fidelis of Christ the King (Switzerland)  Novice Carmelite, Eynesse, France
19 Sr Mary Monica (Bohol)  Novice, SSPX Sisters, Browerville, USA
20 Isabel Cadayao (Iloilo)  Postulant, SSPX Sisters, Browerville, USA


ベタニアの家への支援は、“For the house of Bethany”「ベタニアの家のために」とお書き添えの上、アジア管区にご寄付くださいますようお願い致します。






この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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コルベ神父様のお言葉がそのまま本に 『無原罪聖母のお導きのままに』 聖ピオ十世会出版

2015年01月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 コルベ神父様のお言葉を、テーマごとにまとめて編集した本が聖ピオ十世会アメリカ管区のアンジェルス・プレスから出版されました。Let Yourself Be Led by the Immaculate (無原罪聖母のお導きのままに) です。



 その日本語訳を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「無原罪聖母のお導きのままに」

はじめに


 聖マキシミリアノ・コルベの生涯と教えについて多くの優れた本が書かれている。が、残念なことに、イタリア語やボーランド語を知らない英語圏の人々が、聖コルベ自身が語ったままの言葉に触れるのは簡単ではない。これは大変遺憾なことだ。なぜなら、これらの言葉の数々には深遠な単純さと、聖霊だけが与えることのできる力があるからである。さらには、聖人による膨大な量の個人的著作物と、間違いなく聖人のものであると確認が取れている講話の記録がある。それらは文書として配布されており、最も手厳しい評論家たち──特に聖人の著作に関心のある人々──の真偽のほどの批判要求にも耐えうるもので、あらゆる方面からの保証を得ている。Cristoforo Zambelli 神父による不朽の名著「コルベ神父著作集(Scritti Kolbiani)」では、マキシミリアノ・コルベ神父の著作の全集がみごとなイタリア語に訳されており、聖人の論文、手紙、そして聖人が保存しておいた新聞記事、黙想やその他の出来事についての個人的メモさえもその中に含まれている。[1]

[1] マキシミリアノ・コルベ著作集(Rome: Editrice Nazionale M.I., 1997)[Scritti di Massimiliano Kolbe (Rome: Editrice Nazionale M.I., 1997).]のこと。以下、SKと省略し、ナンバーをふってある。コルベ神父のあらゆる種類の著作物を確認するため、この本の中で使用されるナンバーに一致している。[Section sourcesは読みやすさを考慮して、巻末の注に書かれている]

 同じく、聖コルベが、ポーランドと日本で修道士たちに行った霊的講話に関する、修道士たちが書き留めておいたメモの収集物も存在する。[2]これは聖コルベの数々の言葉の小さな選集が集められたこの膨大な宝の数々に、英語圏の人々がすぐに手に取ることができるようにするためである。

[2] Konferencje Swietego Maksymiliana Marii Kolbego (Niepokalanów: Wydwnictwo OO. Franciszkanów, 1990). この著作に関しては、霊的講話の番号に続く頭文字のKとだけ記された人物によって触れられている。批評家たちは普通、これらのメモの信憑性の確実さを疑うが、たとえそのメモの数々が常に完全でなく、時として正確ではないかもしれないということが確かだとしても、すぐれた努力と入念な配慮で用意されていることは間違いない。たとえそれが聖コルベの言葉によるものではない事柄だとしても。メモの数々は軽視されてはならない聖コルベの教えの、計り知れないほど貴重な源をそのままに保っている。このメモは、聖人の最も身近な弟子たちへの個人的教えの貴重な証言だからである。




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聖ピオ十世会 クリスマス 大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)でのお説教

2015年01月07日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 レネー神父による、12月25日「主のご降誕の大祝日」のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



12月25日「主のご降誕の大祝日」のお説教

 
 親愛なる兄弟の皆さん、天主は私たちを気遣ってくださいます。
 
 「天主は御独り子与え給うたほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を得るためである」(ヨハネ3章16節)。御降誕の祝日は、私たちの主イエズス・キリストに関するこの宣言を美しく表してくれます。そうです、実に、天主は私たちを愛しておられます。取るに足らない人間という存在である私たちに、御独り子を、永遠の御父の永遠の御子、全能の御父の全能の御子、無限に完全な御父の無限に完全な御子をお与えになったほどに愛しておられます。誰のためでしょうか。取るに足らない人間という存在、非常に弱く、非常に短い期間しか生きられない私たちのためです。「あなたがみ心にとめられるこの人間とは何者か。あなたが心を配られるこの人の子とは何者 か」(詩篇8章5節)。
 
 天主から来るものは、天主に帰るべきです。実際、無限の善である天主が、究極の目的として無限の善でない目標を持つことは不可能です。ですから天主は、天主ご自身以下の何物も究極の目的として愛することはできません。天主にとって、究極の目的を被造物に置くことは大罪であり、不合理です。天主が一部の被造物を「彼ら自身のために」望んだのであり、究極的に天主に帰るよう命じはしなかったと考える人がいるならば、天主の完全性を理解していないことになります。天主は全世界を創られました。そして、この世の被造物が天主に帰るように命じられました。聖書は言います。「主はすべてのものを、ご自分のためにお創りになった」(箴言16章4節)。どのようにしてできるのでしょう か。私たちは、どのようにして天主に帰るのでしょうか。
 
 天主は私たちを必要とはされません。天主がお持ちでないもので、私たちが天主に「お与え」できるものは何もありません。ですから、どのようにして「天主に帰る」ことができるのでしょうか。聖パウロは言います。「すべては天主からであり、天主によってであり、天主のためである。天主に代々、栄光あれ。アーメン」(ローマ11章36節)。また詩篇作者は歌います。「天は天主の栄光を語る」(詩篇18章2節)。すべてのものは、天主に栄光を捧げるために天主に帰らなければなりません。天主に栄光を捧げることは、天主の完全性にさらに何かを加えることではありません。私たちが天主に栄光を捧げたからといって、天主がより善くなられたり、より幸せになられる訳では ありません。天主は私たちを必要とはされません。しかし、被造物にとって、天主に栄光を捧げることは「ふさわしく、かつ正しいのです(vere dignum et justum est)」。まさに、天主の知恵によって命じられたのです。私たちの完徳と永遠の幸福は、天主に栄光を捧げることにあり、完全に天主のために存在し生きることにあるのです。
 
 この「栄光」とは何でしょうか。人間にとって、多くの人々から高く評価されるなら栄光を受けたことになります。このように、栄光とは広く名が知られ、かつその価値を高く評価されることにあります。このように、天主の栄光は、至高の完全な存在であり、天主、万物の創り主として霊的被造物によって広く知られ、かつ被造物によって、何にもまして愛されることにあるのです。「あなたはすべての心、すべての霊、すべての力、すべての知恵をあげて主なる天主を愛せよ」(ルカ10章27節)
 
 物質的被造物でさえ、知識を授けられていないにもかかわらず、人間や天使に「使われる」ことによって、天主に栄光を捧げます。人間や天使は、物質的被造物に、すべての芸術家のうちで最も偉大で最も力強いものとして、全能の天主の知恵の働きを見て、そのわざによって天主を讃美するのです。人間と天使は、言葉にならないほど素晴らしい物質的被造物のゆえに、天主に讃美を捧げます。空の星々について、次のように書かれています。「天は天主の栄光を語る」(詩篇18節2章)。最も大きな物質的被造物から最も小さな被造物まで、創造主の知恵は表れています。「それらの力と働きに感嘆したのなら、それをつくった方が、いかに勢力あるかを推しはからねばならない。被造物の偉大さと美は、そ の創り主を類比によって推しはからせる」(知恵13章4―5節)。聖パウロは、偶像崇拝者である異邦人の罪を非難します。「彼らは天主を知りながら、これを天主として崇めず、感謝しなかったからである」(ローマ1章21節)。
 
 これが人類のドラマなのです。小さな被造物にすぎない人間が、しかし知性を授けられ、創造主かつ至高の天主を知ることができるにもかかわらず、偉大な天主を無視して自分を創られたものに向けてしまう。天主のために創られたにもかかわらず、被造物に究極の目的を置く。これが大罪の本質なのです。罪が人類を傷つけたため、すべての人は生まれながらに原罪を持っています。(私たちの主イエズス・キリストの特権によってインマクラータである聖母は除外されます。)でも天主は、人類を罪があるままにしてお見捨てになりませんでした。人類の贖い主かつ救い主として、御独り子を送られたのです、「罪から民を救うために」(マテオ1章21節)。
 
 さて、私たちが天主に捧げる最初の本質的な栄光は内的であり、霊的なものです。知ることと愛することです。至高の存在として天主を知り、何にもまして天主を愛することです。さらに、天主が明らかにされたのは、永遠におけるご自身の内的生命の神秘でした。三つのペルソナ、御父が永遠において御子を生み給い、共通の愛の霊として共に聖霊を発出させ給うということです。天主は私たちに対して、ご計画を明かされました。私たちを罪から救い、天国において天主と共に永遠の幸福に導いてくださることです。天主がおっしゃるならば、人は信じなければなりません。信じるとき、私たちは天主の誠実さを褒めたたえ、天主の真理を褒めたたえます。「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ1 4章6節)。この褒めたたえることは、まことの信仰、カトリック信仰によってなされます。「その証明(御父が御子にお与えになる証明)を受け入れる人は、天主が真実であることを証認する」(ヨハネ3章33節)。これは、天主の誠実さを褒めたたえるということです。
 
 しかし、信仰だけでは十分ではなく、私たちはまた、何にもまして天主を愛さなければなりません。このことは、あらゆる戒めの中で最初であり、かつ最も重大なものです。「すべての心、すべての霊、すべての知恵、すべての力をあげて、主なる天主を愛せよ。これが第一のおきてである」(マルコ12章30節)。天主を愛することによって、私たちは、そうです、天主は至高の善であり、それゆえに至高の愛を捧げるべき方であることを具体的に証言するのです。口では、天主は至高の善であると言いながら、天主よりも被造物を愛するならば、行動によってそれを否定しているのです。「彼らは天主を知っていると言うが、その行いによって天主を否定している」(ティト1章16節)。
 
 天国にいる善き天使たちと聖人たちは、天主を知ることによって、天主に完全な栄光を捧げています。至福直観が、知識の最大限の完全性をもたらします。ですから彼らの天主に対する愛は何にもましています。天主を知り、愛しながら、彼らは永遠に生きるのです。「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります」(ヨハネ17章3節)。このように、心を尽くし、霊を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛をもって天主を黙想することは、天主に栄光を捧げることであり、ここに私たちの究極の目的があるのです。私たちが生きるのは、実に自分のためではなく天主のためなのです。ここに私たちの究極の喜び、天国での永遠の幸福があ るのです。これを準備するのは、この黙想、啓示された神秘を愛する信仰という眼差しなのです。
 
 しかし、私たちはどのようにすれば、その段階に至るのでしょうか。その目標には、私たちの力では及ばないのではないでしょうか。私たちの本性の力、特に罪の傷ののちの本性の力では、そんな高い目標に至るには十分ではありません。でも、天主が気遣ってくださいます。天主は、私たちを罪から救い、「天主の子となれる力を私たちに授ける」(ヨハネ1章12節)ために、御独り子を送られました。ですから、私たちは御降誕祭にこのことを見るのです。天国に行くにはどのようにすればよいか。私たちの主イエズス・キリストを黙想し、主に従いましょう。
 
 人間の知識はすべて、感覚から始まります。感覚で把握したデータから、アイデアを抽象化し、霊的なものや万物の創造主のことを知るに至ります。罪に落ちた人間は、この世のものに注意を向けました。その罪に落ちた結果、天国の真実に目を上げることが難しくなりました。そのため天主はこの世に御子を送られました。「み言葉は人となり給うた」(ヨハネ1章14節)。御子は人間の本性を取られ、私たちと同じように身体と霊魂をお持ちです。それは、私たちが身体の目で御子を見、耳で御子の言葉を聞き、手で御子に触れることによって、イエズスの人間の本性を通してその天主の本性を知るに至るようになるためでした。聖ヨハネは、このことについてたいそう喜んでいましたから、第一の手紙の最 初に次のように書いています。「初めからあったこと、私たちの聞いたこと、目で見たこと、ながめて手で触れたこと、すなわち命のみ言葉について―そうだ、この命は現れた、私たちはそれを見て証明する。御父のみもとにあって今私たちに現れた永遠の命をあなたたちに告げる―、あなたたちを私たちに一致させるために、私たちは見たこと聞いたことを告げる。私たちのこの一致は、御父と御子イエズス・キリストのものである」(ヨハネ第一1章1―3節)。
 
 聖三位一体の知識に私たちを最も良く導いてくれるのは、私たちの主イエズス・キリストの人間の本性についての知識です。まぐさおけの中で静かに眠る幼子イエズスを見るとき、絶えまない祈りによってイエズスの霊が御父をあがめ、私たちを取り成してくださることで、私たちは内的生活の価値をまことに理解するのです。人間はこの世のもの、富や安楽、外からくる名誉や楽しみを好みます。天主の御子が地上に来られたとき、そのどれもお選びになりませんでした。大変な貧しさ、寒さ、困難の中でお生まれになり、この世の君主たちに知られず、知られあがめられたのは、童貞聖マリアと聖ヨゼフ、そして純粋な魂をもつ羊飼いや大きな心をもつ賢者たちでした。天主の御子である主は、富や楽しみ、こ の世からのほまれを受けるよりも、童貞聖マリアやこれら数少ない信心深い霊魂たちの礼拝と愛の方に価値を見いだされるのです。私たちは次のように理解します。「天主は霊であるから、礼拝者も霊と真理をもって礼拝せねばならぬ」(ヨハネ4章24節)。
 
 この幼子は、この世においては貧しいですが、天使の軍勢は羊飼いたちに宣言し歌います。賢者たちには不思議な星によって宣言されます。幼子はまことに、天と地、見えるもの(星)見えざるもの(天使たち)すべての創造主なのです。
 
 この幼子は、全能の天主であられます。しかし、悔い改める罪びとを恐れさせはせず、むしろ私たちすべてに幼子への愛を持つようお求めになります。幼子が自ら小さく貧しくなられたのは、人間の本性を取られた幼子をお助けすることで、私たちが天主の本性による助けと恩寵を得るようにするためなのです。このことは、主の身体のお世話をした聖母と聖ヨゼフにとって真実であるだけでなく、主の神秘体のメンバーを助けるすべての人々にとっても真実です。「まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章40節)。
 
 聖アウグスティヌスは言います。幼子たちは私たちの愛を求める技を、自分たちを愛させる技を持っている、と。このように、全能の天主は、私たちの愛を求めるために幼子になられたのです。イエズスの人間の本性を愛することによって、私たちは天主の本性を愛するように導かれます。
 
 しかし、それについてはさらに言うべきことがあります。羊飼いたちの礼拝を受けた幼子イエズスは、天主の小羊です。私たちの罪を償う犠牲において捧げるため、最も完全な犠牲によって天主のほまれを回復させるために捧げるために、主は御体と御血をおそなえになったのです。イエズスは救い主であり、天主の医者であって、私たちの霊魂を罪から癒やし、驚くべきことに天主との友人関係にまで、いや、「天主の養子」にまで高めてくださるのです。天主の子が人の子となられました。その結果、人の子らは天主の子らになりうるのです。まことに天主は気遣ってくださいます。天主は、言葉で表せないほどの愛なのです。
 
 親愛なる兄弟の皆さん、ご托身という偉大な神秘を黙想すればするほど、ご托身における天主の完全性がそこに反映されていることをさらに深く黙想することができ、また心を尽くし、霊魂を尽くし、精神を尽くし、すべての力を尽くし、すべてに超えて天主を愛するよう、私たち自身が一層高められるのです。このご托身という神秘の美しさを表現できる言葉はありません。沈黙のうちに黙想すべきです、夜の沈黙の中でご托身の神秘が起きたように。これこそが、聖三位一体に栄光を捧げるのです。
 
 このご托身の黙想をするのを最も助けてくださるのは、童貞聖マリアをおいてほかにおられません。聖母はこの神秘と非常に密接に結ばれておられ、最も深く理解しておられます。聖母の御助けによって、私たちが、このいとも驚くべき神秘をさらに理解することができますように、またそれによって、私たちが、今から永遠に至るまで御父と御子と聖霊に栄光を捧げることができますように。アーメン。
 
 フランソワ・レネー神父
 
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聖ピオ十世会 SSPX JAPAN 東京と大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告

2015年01月04日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨年12月の聖伝のミサと新年1月のミサ聖祭とのご報告を戴きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 12月25日には、レネー神父様が大阪でクリスマスの素晴らしいお説教をして下さいました。その内容は、改めて、別の記事としてご紹介いたします。

 多忙な年末年始ですので、ミサ聖祭に来られるのは難しい方も多くいらっしゃったと思います。新年には大雪が降り、交通も乱れて、ミサ聖祭に来るのを断念された方々もおられました。それにもかかわらず、多くの方々がミサ聖祭にあずかるお恵みを受けられて、天主様に感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

クリスマスの御ミサの報告をお送りいたします。
12月25日(木) 主の御降誕の大祝日 の御ミサには、26名が与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!!!
御ミサが始まる前に1時間以上、クリスマスキャロルと、ロザリオを繰り返して馬小屋にお眠りになる幼きイエズス様にお捧いたしました。
ベトレヘムの静かな夜を想像させる美しい入祭唱とともに御ミサがはじまり、クリスマスならではの大きな喜びに満ちた祈りを捧げることが出来ました。
韓国での御ミサを終えて日本の為に 御ミサを捧げに来て下さったレネー神父様に心から感謝いたします。
御ミサの後、会場を移してささやかなパーティーをしてクリスマスの喜びを皆でわかちあいました。
私達、人間のため、人となり給うた天主、イエズス様の大きな愛を感じることのできた幸福な2014年のクリスマスでした。

12月26日(金) 最初の殉教者聖ステファノの祝日には、12名が、
12月27日(土) 福音史家使徒聖ヨハネの祝日には17名が引き続き、イエズス様のご降誕の喜びに浸りながら御ミサに与るお恵みを頂きました。

27日には特に、12月9日に霊魂を天主様にお返しになった私達の姉妹、テレジアさんの追悼の意向で捧げられました。
テレジアさんの大好きだった聖歌 「みもたまも」を心をこめてお捧し、テレジアさんの永遠の安息を祈りました。
26日、27日はクリスマスの喜びを小野田神父様と一緒に分かち合うことが出来、今年の大阪での定例ミサは感謝と喜びのうちに終了致しました。

今年一年、頂きました数々の御恵みを天主様に感謝いたします。
聖母マリア様の御保護とお取次ぎに感謝いたします。
小さな羊の群れのために『銀の翼をもって空を飛び回る使徒』、聖ピオ十世会の神父様方に感謝いたします。

【報告】【東京】

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 18人(内、子供2人)
女: 18人(内、子供0人)
計: 36人(内、子供2人)

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2015年の大阪での御ミサは、初金曜・初土曜の御ミサで始まりました。聖ピオ十世会の神父様方のご厚意に御礼申し上げます。

1月2日(初金曜) 至聖なるイエズスの聖心のミサには23人が、
  3日(初土曜) 聖母の汚れなき御心のミサには  25人が、御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

御ミサの後、ローマの習慣にならって、幼きイエズス様の美しい御像に接吻させて頂きました。
3日には4人の子供達も御ミサに与っておられました。子供達はイエズス様への接吻の時には、心配そうな顔で順番を待っていましたが、大人よりずっと上手に「チュッ」とイエズス様にキスをしていて、ミサ会場も大変穏やかで温かい雰囲気がありました。子供達があふれる聖堂が日本に早く出来ることを強く願いました。

金曜日のお説教は、イエズス様の聖心の神秘について、
土曜日のお説教はマリア様の母の御心についてでした。
土曜日の御ミサの後は、公教要理があり、「天主」について勉強をいたしました。
概要 私達の周りにある色々な物の運動には、その運動の始まり、原因となる存在が必要で、これが天主である。
天主の存在は、1、知性を使って 2、啓示によって 知ることが出来る。
天主は天地万物を造り、これを司り給う完全な霊であられるが、天地創造は天主をあらわす定義ではなく、つまり天主の本性ではなく、天地を創造される必要はなかったにもかかわらず、ただその愛によって創造された。

イエズス様の聖心をみて、イエズス様が私達をどれほど愛して下さっているかを知り、その愛に少しでもお応えするよう に、今年一年の全てを聖母マリア様のみ心にお捧げしようと決心致しました。

【報告 その2】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

新年の初金・初土の御ミサを日本で捧げてくださり本当にありがとうございました!(*^O^*)/m(_ _)m
初金・土の信心を、実際に聖心の御ミサと共に実践出来るというものは喜びがとても大きいです!
今年一年の全てをイエズス様の聖心に、私達のお母様であるマリア様の汚れなき御心を通してお捧げすることができますように、お祈りいたします(>人<;)✨
いつも愛を愛でお返しすることができますように!

また、今回は御ミサ会場が変わったにも関わらず、綺麗な祭壇の準備、その他色々な準備をして下さった方々にも心から感謝します!

デオ・グラチアス!


【報告】【東京】
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 16人(内、子供0人)
計: 31人(内、子供1人)




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インマクラータなる聖母マリア様の新年となりますように 聖ピオ十世会アジア管区

2015年01月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新しい2015年が、愛する兄弟姉妹の皆様にとって天主の恵みと祝福で満たされる年でありますように、新年のご挨拶を申し上げます。

 聖ピオ十世会アジア管区では、新しい管区長シュテーリン神父様の指導の下に、2017年のファティマ100周年を準備しはじめることになりました。何故なら、2017年は、天主の聖母、終生童貞なる聖マリアを愛する人々にとっても、また、カトリック教会に反対する人々にとっても、重大な記念の年になるからです。何故かというと、マルチン・ルターによる宗教革命の500周年、フリーメーソンの最初のロッジの300周年、ボルシェビキ共産革命100周年であるからです。他方で、ファティマの100周年、また聖マクシミリアノ・コルベのインマクラータの騎士創立100周年だからです。

 無原罪の童貞女は、私たち無しに、勝利し凱旋することができます。その方がより簡単になるのかもしれません。しかし、天主の無限の憐れみと智恵とは、私たちがインマクラータなる聖母マリアの勝利に参与することをお望みです。私たちがインマクラータのために、インマクラータと共に力を尽くすことをお望みです。
Dignare me laudare te, Virgo sacrata! Da mihi virtutem contra hostem tuos!
聖なる童貞女よ、我をして御身を賛美するを得しめ給え!御身の敵どもに反対する力を我に与え給え!

 もしも私たちが骨折をしたら、私たちは何をしても無駄だ、私たちが何もしなくても天主様が何かしてくれるのを待っていよう、とは言いません。私たちは、祈りと行動を起こします。私たちが祈るのみならず、病院に行って治療を受けることを天主がお望みのように、私たちも、インマクラータなる聖母マリア様の勝利のためのに祈りと、私たちにできる限りのことをいたしましょう。

 私たちの目標は、2017年5月13日で、その直前の準備期間として、2016年8月13日から始まる9ヶ月に亘るノベナを実行する予定です。

 私たちにとってまず必要なのは祈りです。聖コルベ神父はこう言っています。
「聖グリニョン・ド・モンフォールが言うように、聖母マリアがあなたに実際に聖母の神秘を理解するため恵みを与えて下さったことをインマクラータに感謝しなさい。聖母は他の人にもこの恵みを譲ってくださるように祈りなさい。事実、これらの崇高な神秘を確信することが私たちの心に浸透し、そこで発展することができるのは、聖霊の恵みによってであり、私たちの限られた知性でというのではないからだ。しかし、ここにおいて、多くの、非常に多くの謙遜が不可欠である。」
Thank the Immaculate that she has given you the grace to understand practically her mystery, as Blessed Grignion says, and pray that she deign to concede this grace also to the others. In fact, it is not so much with our limited intelligence as by the grace of the Holy Ghost that the conviction of these sublime mysteries penetrates our hearts and develops there. But here it is indispensable to have much, very much humility.

 この2015年の間、聖霊に祈り、インマクラータに祈り、聖母マリアの神秘の中に深く入ることが出来る恵みを祈り求めましょう。

《罪なく宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。また、御身に寄り頼まぬ全ての人々のため、ことに、フリーメーソンのため、また、御身に依頼された人々のために、祈り給え。》
“O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to Thee, and for all those who do not have recourse to Thee, especially for the Masons and for all those who are commended to Thee.”

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 追伸:今日から大阪で聖伝のミサがあります。今日と明日は特別にコロナホテルでミサ聖祭を行います。ご注意下さい。




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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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