アヴェ・マリア!
■ マルチン・ルターの聖伝のミサについての言葉。マルチン・ルターは、旧典礼の典文と奉献文について反対していた。
私はかの厭わしい典文について話している。・・・そこで聖伝のミサはいけにえとなり、そこに奉献文(Offertorium)が付け加えられ・・・そこでミサが司祭の独占物となり始めた。・・・
loquor autem de Canone illo lacero et abominabili, ex multorum lacunis ceu sentina collecto: ibi cepit missa fieri sacrificium, ibi addita offertoria et collectae mercenariae, ibi Sequentiae a prosae inter Sanctus et Gloria in excelsis insertae. Tum cepit Missa esse monopolium sacerdotale, ...
FORMULA MISSAE ET COMMUNIONIS (1523)
■ ジャン・ギトン(Jean Guitton)はパウロ六世が何故新しいミサを作ったかその意図を説明している。(これは、1993年12月19日 パリのラジオ局 Radio-Courtoisie で放送された。)
「パウロ六世とその名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくする、ことだといって間違いはないと思います。言い換えると、
パウロ六世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、カルヴィン派のミサに近づけるという意向がありました。」
"Je crois ne pas me tromper en disant que l'intention de Paul VI, et de la nouvelle liturgie qui porte son nom, c'est de demander aux fideles une plus grande participation a la messe, c'est de faire une plus grande place a l'Ecriture et une moins grande place a tout ce qu'il y a, certains disent "de magique", d'autres "de consecration consubstantielle", transsubstantielle, et qui est la foi catholique. Autrement dit, il y a chez Paul VI une intention ecumenique d'effacer -- ou du moins de corriger, ou du moins d'assouplir -- ce qu'il y a de trop "catholique", au sens traditionnel, dans la messe, et de rapprocher la messe catholique, je le repete, de la messe calviniste (...)".
Aide memoire sur la nouvelle Messe
■ 新しいミサは6人のプロテスタントの牧師らとともに作られた。このうちの一人であるテゼのマックス・チュリアンはこう言っている。
「この新しくなったミサにおいて、福音派のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」
"Dans cette messe renovee, il n'y a rien qui puisse vraiment gener les protestants evangeliques."
(Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)
■ 新しいミサを作った中心人物アンニバレ・ブニーニは新しいミサについてこう言っている。
「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、
(プロテスタントたちにとって) 躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた。」
L'Eglise a ete guidee par l'amour des ames et le desir de tout faire pour faciliter a nos freres separes le chemin de l'union, en ecartant toute pierre qui pourrait constituer ne serait-ce que l'ombre d'un risque d'achoppement ou de deplaisir.
(Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)
オッセルバトーレ・ロマーノには同じことをこう言っている。
“We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants.” - Archbishop Annibale Bugnini, main author of the New Mass, L'Osservatore Romano, March 19, 1965
Annibale Bugnini The main author of the Novus Ordo
■ 聖伝のミサの「奉献文」(OFFERTORIUM)は、ミサ聖祭が罪の償いのためのいけにえであることを表している。
聖なる父、全能永遠の天主、不肖の下僕である私が、活ける真の天主に捧げるこの汚れなきホスチアを受け容れ給え。私は私の数知れぬ罪と侮辱と怠りとの為、又、ここに列席する人々の為、そして生きる者、死んだ者、全てのキリスト信者の為にこれを御身に捧げ奉る。願わくは、これを 私と彼らとの永遠のたすかりに役立つものと成らせ給え。アメン。
Suscipe, sancte Pater, omnipotens aeterne Deus, hanc immaculatam hostiam, quam ego indignus famulus tuus offero tibi Deo meo vivo et vero, pro innumerabilibus peccatis, et offensionibus, et negligentiis meis, et pro omnibus circumstantibus, sed et pro omnibus fidelibus christianis vivis atque defunctis: ut mihi et illis proficiat ad salutem in vitam aeternam. Amen.
■ 新しいミサの「奉納の準備」(Praeparatio donorum)は、
食事の前の祈りになっている。
神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、私達の命の糧となるものです。
Benedictus es, Domine, Deus universi, quia de tua largitate accepimus panem, quem tibi offerimus, fructum terrae et operis manuum hominum: ex quo nobis fiet panis vitae.
■ 新しいミサでの第一奉献文(PREX EUCHARISTICA I)は、
(1)もはや聖伝のミサのようにミサのカノン(必ず守らなければならない義務規定)ではなくなり、
新しいミサではいろいろある選択肢のうちの一つに成り下がっている。
(2)聖伝のミサのように沈黙のうちに唱えるのではなく、
新しいミサでは大きな声で唱えるようになっている。
(3)新しいミサでは、
聖変化の言葉に手が加えられている。
(4)聖伝のミサのように聖変化を起こさせるために低くはっきりした声で聖別の言葉を唱えるかわりに、
新しいミサでは叙述する(物語を語るように述べる)ことになっている。
(5)聖伝のミサのように
聖変化の直後に司祭がする跪きは廃止され、新しいミサでは聖別されたホスチアを会衆に示した後、パテナの上に置いて、はじめて跪いて礼拝することになっている。これは会衆の信仰が聖変化を起こさせるというプロテスタント的な考えを思い出させる。
(6)新しいミサでは
多くの十字架の印が廃止されている。
(7)
新しいミサでは、真実に「主が来られる」聖変化の直後に「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と会衆が唱和する。
従って、新しいミサの第一奉献文は、たしかに似てはいるが、聖伝のミサの典文のそのままであるとは言葉の厳格な意味においては決して言えない。
新しいミサにおけるこれらの変更は、一つ一つを切り離してみれば必ずしもそれ自体で悪いことだとは言えないが、その全体としてみると全てがカトリック信仰を弱める方向に創りあげられている。
だから、
私たちは兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサにご招待致します。
【参考資料】
Free the Mass and the Face of the Earth shall be Renewed / Must We Attend A “Protestantized” Mass?
新しいミサについての権威者のコメント
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