Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

東京国立博物館(上野)での特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」

2007年05月31日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!


兄弟姉妹の皆様は、ご存じかもしれませんが、東京国立博物館(上野)で特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」が開催されているそうです。

本館特別5室・平成館特別展示室
2007年3月20日(火)~6月17日(日)

 20代初めのレオナルドが描いた実質的なデビュー作「受胎告知」が、日本に持ち込まれているそうです。これは、フィレンツェのウフィツィ美術館でも最も重要な作品のひとつだそうです。

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トレント公会議(第19回公会議)決議文

第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)

聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)

新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae

グレゴリオ聖歌に親しむ会

教宗良十三世《日久》通諭“Diuturnum Illud”論國家元首 1881年6月29日

教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日

教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日

教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月4日

教宗庇護九世頒布《教會之外無救恩》(Quanto Conficiamur)通諭 重申懲斥邪説謬論 1863年8月10日

教宗良十三世《永生天主》通諭“Immortale Dei”天主教社會訓導 1885年11月1日

聖伝のミサに関するモートゥー・プロプリオ Motu Proprio - Update

2007年05月29日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 いろいろと噂になっているモートゥー・プロプリオについてのニュースについて、フェレー司教様の講演(Youtube に掲載されているファイル:Motu Proprio - Update - #7 をご覧下さい。


 これを見ると、バチカン官僚機構に重大な不従順があることが分かります。たとえば新しい任命について、長官達は教皇様に従っていません。近い将来、教皇様はバチカンにおいて43名の重要なポストを占めている人々を、新しい良い聖職者と取り替えなければなりません。もしこれが達成できれば、バチカンにおいて何らかの改善を期待することができるでしょう。さもなければバチカンのノーメンクラトゥーラの言うがままに教皇様は動き続けなければならないでしょう。フェレー司教様の得た情報によれば、レヴァダ枢機卿はニュー・ヨーク大司教区の枢機卿になる(バチカンを離れる)ことになっているそうです。ベネディクト十六世が典礼などの点において何らかの「保守性」を持っているので、そのためにベネディクト十六世の統治は麻痺している、もしもそれ以上のことをしようとする教皇様が現れていたとするなら、この教皇様は仕事を始める前に消されていた、だろうとのことです。


 ではモートゥー・プロプリオは出るのでしょうか? 出ないのでしょうか? フェレー司教様は、使徒聖トマスの態度を取ることを勧めています。「見るまでは信じない」ということです。


「黙想 
 重い十字架の下にイエスはまたお倒れになります。三度もお倒れになったということについて、何を言うべきでしょうか。おそらく、人間の一般的なつまずきについて、多くに人のキリスト離れについて、神不在の世俗主義に向かう時流について考えなければならないでしょう。しかし、私たちは、キリストがご自分の教会において苦しんでおられることを考えなくてもよいのでしょうか?
 キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。
 私たちはどれほど、イエスについて何の意識も持たないまま、ただ自分たちのミサを行っていることでしょう。
 どれほど神のことばがないがしろにされ、濫用されていることでしょう。
 多くの理論・学説にわずかな信仰、何といむなしい言葉。
 何とひどい汚れが、教会の中に、またすべてイエスのものであるはずの司祭たちのあいだに見られることか。
 何という傲慢、自己満足。
 何という、ゆるしの秘蹟に対する尊敬の足りなさ。イエスがそこで、私たちの罪から立ち直らせるために待っておられるというのに。
 これら全てが、イエスの受難の中に現存しているのです。弟子たちの裏切り、イエスの御体と御血の不謹慎な拝領は、確かに、贖い主の最大の苦痛であり、彼の心(=聖心のこと)を刺し貫くものです。
 魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、憐れんで下さい、と、叫び声を上げるほかありません。「主よ、私たちを救って下さい」。


祈り
 主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。・・・」

「教皇ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行き」より

【参考資料】「マニラの eそよ風」274号

 教会のこの苦しみをよく理解しているはずの教皇ベネディクト十六世が、なさなければならないことを勇気を持ってなして行かれるように、私たちは祈りましょう。


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第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)

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聖ピオ十世会の国際ニュース

2007年05月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

■ サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会(パリ)での堅振式の写真を紹介します。81名が堅振を受けました。
St-Nicolas-du-Chardonnet : confirmations 2007







■ デ・ガラレッタ司教様の堅振の時の御説教のオーディオ・ファイル
Dimanche 20 mai : Sermon de Mgr de Galaretta pour les confirmations a St-Nicolas (Paris)

■ サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会(パリ)の月報であるシャルドネ誌は次からダウンロードできます。
05/2007 Le Chardonnet no 228 [882ko]
04/2007 Le Chardonnet no 227 [716ko]
03/2007 Le Chardonnet no 226 [733ko]
02/2007 Le Chardonnet no 225 [911ko]
01/2007 Le Chardonnet no 224 [867ko]

 過去の分はSaint-Nicolas-du-Chardonnet <== ここをご覧下さい。


■ ベルリンにある聖ピオ十世会の聖ペトロ修道院

■ ドイツの聖ピオ十世会の修道女会の修練院での初誓願(2007年4月)




■ ドイツ管区ではミュンヘンでバイエルン(ババリア)をババリアの守護聖人聖母に聖別(ファチマ御出現90周年を記念して、2007年5月5日)
http://www.fsspx.info/ticker/more.php?show=1178869568

ミサ聖祭(1200余名が参列)




聖母の広場へ行列















【聖ピオ十世会の主な行事】
■ 6月22日ウィノナの聖トマス・アクィナス神学校で司祭叙階式


■ 6月27日エコンの聖ピオ十世神学校で、フェレー司教様の司祭叙階25周年祝賀会

■ 6月29日エコンの聖ピオ十世神学校で司祭叙階式
+ Ordination au SACERDOCE et au DIACONAT
Vendredi 29 juin 2007 : 9 h dans la grande prairie du Seminaire


■ 6月30日ツァイツコーフェンのイエズスの聖心神学校で司祭叙階式

新しく叙階されようとする新司祭たちのためにお祈り下さい。

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トレント公会議(第19回公会議)決議文

第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)

聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)

新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae

グレゴリオ聖歌に親しむ会

教宗良十三世《日久》通諭“Diuturnum Illud”論國家元首 1881年6月29日

教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日

教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日

教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月4日

教宗庇護九世頒布《教會之外無救恩》(Quanto Conficiamur)通諭 重申懲斥邪説謬論 1863年8月10日

教宗良十三世《永生天主》通諭“Immortale Dei”天主教社會訓導 1885年11月1日

その自認によって:ロシアはその諸々の誤謬を広めようと意図している

2007年05月24日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで
アヴェ・マリア!

 最近のロシアについてのいろいろなウェッブ・サイトをご紹介します。

「その自認によって:ロシアはその諸々の誤謬を広めようと意図している」
 ロシアの外務省の外交政策に関する展望はロシアの役割は単にそれ自身の狭い利益を追求することではなくて、調停国としておよび新世界秩序をいかに建設するかについての諸観念を産み出す国としての役割であると強調した。

 まさにそれがロシアが望んでいることである。すなわち、その中でロシアの諸々の誤謬 - 無神論、全体主義、中絶、そして悪の態度 - が規範となり、そしてキリスト教的諸価値並びにそれらの価値の保持者 - カトリック教会 - が抑圧されるようになる一つの新世界秩序である。


 共産主義のシンボルがロシア軍に戻ってくる(Communist symbol returns to Russian Army's flag)


「プーチンは新しい冷戦を始めている」(クリストファー・A.フェララ)

 いわゆる1984年の「奉献」以来、過ぎ去った23年間において「ロシアは回心しつつある」と "彼ら" は20年以上にもわたって言ってきた - カトリック信仰への回心という宗教的にそうではないとしても、少なくとも道徳的に、あるいは少なくとも軍事的には、そうだ、と。

 その「回心した」はずのロシアでは中絶が出産を上回り、人口は猛威を振るっているアル中と暴力犯罪にために年々80万人ずつ減少している。

 それらの主張は、ウラディーミル・プーチンがまったく回心していないロシアのネオ・スターリン的独裁者であることを自ら明らかにするとき、空しいことが判明した。

 ヨーロッパにおけるアメリカが提案したミサイル防御システムが「相互破壊の危険」を増大するであろうというプーチンの指摘が M16 レポートによって述べられている。

 フォックス神父と彼の仲間のファチマ修正主義者たちはこのすべてのことについて何を言わなければならないのか?もちろん何も。23年間にわたって数百万のカトリック教徒たちを誤り導いてきたが、彼らは - たといその誤謬がファチマの聖母が要求なさったことをなすことに失敗するという最終的な結果になるであろう暗さを増して行くこの世の終りの日に貢献したとしても - その誤謬を認めようとはしない。


■ 黙示録第13章より
「私はまた、海から一つのけものがのぼるのを見た。それは十の角と七つの頭とをもっていて、角には十の冠、頭には冒演の名があった。私が見たけものは、豹のようで、その足は熊、その口は獅子のようである。竜はこのけものに自分の力と位と大きな権威とを与えた。私はその頭の一つが致命傷を受けているのを見たが、その致命傷がなおったので、全地の人々はおどろいて、けものについていった。」
(【コメント】竜とは、共産主義のことなのだろうか。共産主義は致命傷を受けたように見えるが、まだ健在だからだ。)

「私は、他のけものが地からのぼるのを見た。それは、小羊のような二本の角をもっていたが、竜のように話していた。またそれは、さきのけものにつかえて、あらゆるところに、その覇権の地を定め、致命傷をいやされた先のけものを礼拝するため、地とそこに住む者を連れてきた。また人々の前で天から地に火を降らせるほどの大不思議をおこない、さきのけものに奉仕するためにおこなったこの不思議な業によって、地に住む人々をまどわし、刀で打たれても命をとりかえしたけものの像をつくれと命じた。それからそのけものの像に命をあたえて口をきかせ、けものの像を礼拝しない人々をみな殺しにすることをゆるされた。」
(【コメント】カトリック教会は、天主の子羊の作った真の教会だ。しかし本当のカトリック教会は子羊のように話すべきだ。しかし、名前だけが「子羊のような」けものは、「竜のように話」すことだろう。見かけは子羊のようだが、共産主義を説くということなのだろうか。)
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アントニオ・ソッチがベルトーネ枢機卿の第三の秘密に関する新しい書物を反駁する

2007年05月24日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで
アヴェ・マリア!

面白いファチマに関する記事があります。

「アントニオ・ソッチがベルトーネ枢機卿の第三の秘密に関する新しい書物を反駁する」

に目を通されることを推薦します。

 ヴァチカン国務省長官タルシジオ・ベルトーネ枢機卿の『ファチマの最後の幻視者』はアントニオ・ソッチの『ファチマの第四の秘密』(2006年11月出版)を反駁しようとする。

 しかしベルトーネの書物は、ソッチや他の人々によって出された問いに答えていない。ただソッチ自身に対する個人的攻撃をするだけ。ベルトーネ枢機卿は自分自身の証言以外にはいかなる証拠をも提供しない。・・・

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アウグスティノ・ベルト神父著『エクアドルの大統領、ガルシア・モレノ』(1889年)の伝記

2007年05月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

 英語の本ですが、アウグスティノ・ベルト神父著『エクアドルの大統領、ガルシア・モレノ』(1889年)の伝記を推薦します。次のリンク先から本を丸ごとダウンロードできます。

本文(PDFファイル)

本のカバー(PDFファイル)


くわしくは次のサイトをご覧下さい。
Garcia Moreno: President of Ecuador 1821-1875 (1889)


Title Garcia Moreno: President of Ecuador 1821-1875
Creator Rev. Fr. Augustine Berthe
Media Type texts
Date 1889
Public Date 2007-05-10 12:58:25
Contributor Fr. Paul Kimball
Publisher Dolorosa Press
Language English

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第二バチカン公会議の幾つかの教えは新しいので because they are new

2007年05月23日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 カトリック聖伝と第二バチカン公会議との矛盾点については、私たちが前から主張してきたことですが、あまりよく理解されていないようなので、繰り返したいと思います。


■コンガール枢機卿

 「信教の自由に関する宣言は、1864年のシラブスとは内容的に別のことを、ほとんど正反対のことを言っていると言うことを私たちは否定することが出来ない。」
【Yves Congar, La crise de l’Eglise et Mgr Lefebvre, le Cerf, 1977 p. 54. ピオ9世教皇は、「シラブス」という誤謬の命題の一覧を発表して、それらの誤謬を排斥している。】


■ラッチンガー枢機卿(『カトリック神学の原理』Tequi, 1982, p. 426)

「もし私たちが『現代世界憲章』の全体にわたる文責分析を求めているのなら、私たちは、(信教の自由に関する文書と世界の諸宗教に関する文書と関連して)ピオ9世の『シラブス』の見直し、ある種の「反シラブス」であると言うことが出来るでしょう。・・・今ここに『現代世界憲章』が、1789年のフランス革命以降現れた現代世界とカトリック教会とを公式に和解させようとする試みである限りにおいて、『現代世界憲章』は「反シラブス」の役割を演じていると認めましょう。」


■ ピオ9世教皇は、回勅 Quanta Cura の中で、次のように言っている。

====引用開始====

 尊敬する兄弟たちよ、あなた方がよく承知しているように、昨今、いわゆる「自然主義」の不敬虔かつ不条理な原理を市民社会に適用して、「公民社会の最良の構築ならびに世俗社会の発展のためには、宗教を-あたかもそれが存在していないかのごとく- いささかも考慮に入れず、あるいは少なくとも真の宗教と偽りの宗教との間の一切の区別なしに、人間の社会が運営され、統治されることが必要である」との教説を述べてはばからない者たちが少なからずいます。彼らは聖書と教会、教父らの教えに反して「市民社会にとって最良の状態とは、カトリック宗教を傷つける者たちを、公共の平和がそれを必要とする場合を除き、法制に基づく刑罰によって抑圧するいかなる義務も、世俗権力に対して認められていないことである」と公言してはばかりません。統治に関するこの全く誤った考えから、彼らはカトリック教会および霊魂の救いに及ぼす影響において、至って致命的な見解、先任者グレゴリオ16世が「常軌を逸した考え」と呼んだ見解、すなわち「良心の礼拝の自由は、各人の個人的権利であり法律のかたちで宣言され、全てのしかるべく構築された社会において、正当なこととして主張されねばならないものである。また、市民には、絶対的自由に対する権利が存し、教会のであれ国家のであれ、いかなる権威によっても、これは抑制されてはならない。かかる自由によって市民は公かつ明け広げに自らの思想を、それがでのようなものであれ、口頭で、あるいは出版物をとおして、またはその他のいかなる手段ででも表明し、宣言することができる」とする見解です。しかし、無思慮にも、このような断定を下す彼らは、自分たちが「滅びへと導く自由」を説いていること、また、「もし人間の議論に、常に自由に議論をなす余地が与えられたならば、真理に抵抗し、人間的知恵に基づくひびきの良い弁説に信を置く者たちに決して欠くことはない」という事実に気づかず、思いもよりません。「しかるに、主イエズス・キリストの教えそのものから、キリスト教的信仰と知恵とは、どれほどの注意をもってこの種のきわめて有害な詭言をさけるべきかを、私たちは承知しています」。

====引用終了====


 この中でとりわけ次の命題を誤りとして排斥していることがわかる。
(つまり、以下の命題は、誤謬であり受け入れることが出来ない、という意味である。)

A 「良心の礼拝の自由は、各人の個人的権利である」

B 「市民社会にとって最良の状態とは、カトリック宗教を傷つける者たちを、公共の平和がそれを必要とする場合を除き、法制に基づく刑罰によって抑圧するいかなる義務も、世俗権力に対して認められていないことである」

C 「(良心の礼拝の自由は)法律のかたちで宣言され、全てのしかるべく構築された社会において、正当なこととして主張されねばならないものである。」




■ ところで、第2バチカン公会議は「信教の自由に関する宣言」の中でこう言っている。

====引用開始====

2(信教の自由の目的と基礎) このバチカン教会会議は、人間が信教の自由に対して権利を持つことを宣言する。この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力の強制を免れ、したがって、宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信にしたがって行動するのを妨げられないところにある。なお信教の自由の権利は、人格の尊厳に基づくものであり、神の啓示のことばと理性そのものとによって認識されることを宣言する。信教の自由に対する人格のこの権利は、社会の法的制度において、市民的権利として受け入れられるべきものである。

====引用終了====


 ここには次のような命題がある。

A’ 「このバチカン教会会議は、“人間が信教の自由に対して権利を持つこと” を宣言する。」
B’ 「この自由は、... 宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するように強制されることなく、また私的にあるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信に従って行動するのを妨げられないところにある。...」
C’ 「信教の自由に対する人格のこの権利は、社会の法的制度において、市民的権利として受け入れられるべきものである。」

 従って、A=A’、B=B’、C=C’と言える。

 つまり、第2バチカン公会議はピオ9世によって既に排斥されている。


【その他の参考資料】第二バチカン公会議について
発信:2002年6月18日 トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



■ ヨハネ・パウロ2世教皇様は自発教令 Ecclesia Dei Adflictta

「公会議と聖伝との継続性に光を当てるように、特に、もしかしたらその革新のために教会の一部においてまだよく理解されていなかった、公会議の教えの幾つかの点に光を当てるように」

Indeed, the extent and depth of the teaching of the Second Vatican Council call for a renewed commitment to deeper study in order to reveal clearly the Council's continuity with Tradition, especially in points of doctrine which, perhaps because they are new, have not yet been well understood by some sections of the Church.

Ecclesia Dei Adflicta, D.C. no. 1967 du 7 aout 1988, p. 789.】

■ 結論 第二バチカン公会議の幾つかの教えは、聖伝と第二バチカン公会議とは相互に矛盾するほど全く新しい。


■ 第一バチカン公会議の宣言

3070 聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは,聖霊の啓示によって,新しい教義を教えるためではなく,聖霊の援助によって,使徒たちが伝えた啓示,すなわち信仰の遺産を確実に保存し,忠実に説明するためである。

■ ルフェーブル大司教様の言葉
 Tradidi quod et accepti. 私は受けたものを伝えただけだ。


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パウロ六世には、カトリックのミサをカルヴィン派のミサに近づける意向があった

2007年05月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!


■ マルチン・ルターの聖伝のミサについての言葉。マルチン・ルターは、旧典礼の典文と奉献文について反対していた。

 私はかの厭わしい典文について話している。・・・そこで聖伝のミサはいけにえとなり、そこに奉献文(Offertorium)が付け加えられ・・・そこでミサが司祭の独占物となり始めた。・・・
loquor autem de Canone illo lacero et abominabili, ex multorum lacunis ceu sentina collecto: ibi cepit missa fieri sacrificium, ibi addita offertoria et collectae mercenariae, ibi Sequentiae a prosae inter Sanctus et Gloria in excelsis insertae. Tum cepit Missa esse monopolium sacerdotale, ...
FORMULA MISSAE ET COMMUNIONIS (1523)

■ ジャン・ギトン(Jean Guitton)はパウロ六世が何故新しいミサを作ったかその意図を説明している。(これは、1993年12月19日 パリのラジオ局 Radio-Courtoisie で放送された。)

「パウロ六世とその名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくする、ことだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ六世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、カルヴィン派のミサに近づけるという意向がありました。

"Je crois ne pas me tromper en disant que l'intention de Paul VI, et de la nouvelle liturgie qui porte son nom, c'est de demander aux fideles une plus grande participation a la messe, c'est de faire une plus grande place a l'Ecriture et une moins grande place a tout ce qu'il y a, certains disent "de magique", d'autres "de consecration consubstantielle", transsubstantielle, et qui est la foi catholique. Autrement dit, il y a chez Paul VI une intention ecumenique d'effacer -- ou du moins de corriger, ou du moins d'assouplir -- ce qu'il y a de trop "catholique", au sens traditionnel, dans la messe, et de rapprocher la messe catholique, je le repete, de la messe calviniste (...)".

Aide memoire sur la nouvelle Messe


■ 新しいミサは6人のプロテスタントの牧師らとともに作られた。このうちの一人であるテゼのマックス・チュリアンはこう言っている。



「この新しくなったミサにおいて、福音派のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」

"Dans cette messe renovee, il n'y a rien qui puisse vraiment gener les protestants evangeliques."

(Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)


■ 新しいミサを作った中心人物アンニバレ・ブニーニは新しいミサについてこう言っている。
「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、(プロテスタントたちにとって) 躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた。

L'Eglise a ete guidee par l'amour des ames et le desir de tout faire pour faciliter a nos freres separes le chemin de l'union, en ecartant toute pierre qui pourrait constituer ne serait-ce que l'ombre d'un risque d'achoppement ou de deplaisir.
(Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)

オッセルバトーレ・ロマーノには同じことをこう言っている。
“We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants.” - Archbishop Annibale Bugnini, main author of the New Mass, L'Osservatore Romano, March 19, 1965

Annibale Bugnini The main author of the Novus Ordo


■ 聖伝のミサの「奉献文」(OFFERTORIUM)は、ミサ聖祭が罪の償いのためのいけにえであることを表している。

聖なる父、全能永遠の天主、不肖の下僕である私が、活ける真の天主に捧げるこの汚れなきホスチアを受け容れ給え。私は私の数知れぬ罪と侮辱と怠りとの為、又、ここに列席する人々の為、そして生きる者、死んだ者、全てのキリスト信者の為にこれを御身に捧げ奉る。願わくは、これを 私と彼らとの永遠のたすかりに役立つものと成らせ給え。アメン。

Suscipe, sancte Pater, omnipotens aeterne Deus, hanc immaculatam hostiam, quam ego indignus famulus tuus offero tibi Deo meo vivo et vero, pro innumerabilibus peccatis, et offensionibus, et negligentiis meis, et pro omnibus circumstantibus, sed et pro omnibus fidelibus christianis vivis atque defunctis: ut mihi et illis proficiat ad salutem in vitam aeternam. Amen.


■ 新しいミサの「奉納の準備」(Praeparatio donorum)は、食事の前の祈りになっている。

神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、私達の命の糧となるものです。

Benedictus es, Domine, Deus universi, quia de tua largitate accepimus panem, quem tibi offerimus, fructum terrae et operis manuum hominum: ex quo nobis fiet panis vitae.


■ 新しいミサでの第一奉献文(PREX EUCHARISTICA I)は、
(1)もはや聖伝のミサのようにミサのカノン(必ず守らなければならない義務規定)ではなくなり、新しいミサではいろいろある選択肢のうちの一つに成り下がっている。

(2)聖伝のミサのように沈黙のうちに唱えるのではなく、新しいミサでは大きな声で唱えるようになっている。

(3)新しいミサでは、聖変化の言葉に手が加えられている。

(4)聖伝のミサのように聖変化を起こさせるために低くはっきりした声で聖別の言葉を唱えるかわりに、新しいミサでは叙述する(物語を語るように述べる)ことになっている

(5)聖伝のミサのように聖変化の直後に司祭がする跪きは廃止され、新しいミサでは聖別されたホスチアを会衆に示した後、パテナの上に置いて、はじめて跪いて礼拝することになっている。これは会衆の信仰が聖変化を起こさせるというプロテスタント的な考えを思い出させる。

(6)新しいミサでは多くの十字架の印が廃止されている。

(7)新しいミサでは、真実に「主が来られる」聖変化の直後に「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と会衆が唱和する。

 従って、新しいミサの第一奉献文は、たしかに似てはいるが、聖伝のミサの典文のそのままであるとは言葉の厳格な意味においては決して言えない。

 新しいミサにおけるこれらの変更は、一つ一つを切り離してみれば必ずしもそれ自体で悪いことだとは言えないが、その全体としてみると全てがカトリック信仰を弱める方向に創りあげられている。


だから、

私たちは兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサにご招待致します。


【参考資料】
Free the Mass and the Face of the Earth shall be Renewed / Must We Attend A “Protestantized” Mass?

新しいミサについての権威者のコメント

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トレント公会議(第19回公会議)決議文

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新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae

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去る5月13日は、ファチマの聖母の最初の御出現の90周年記念日でした

2007年05月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、

 去る5月13日は、ファチマの聖母の最初の御出現の90周年記念日でした。
 それに因んで中国語で書かれたファチマの御出現についての記事をご紹介致します。

法 蒂 瑪

吾主耶蘇,請赦我們的罪過,救我們於永火之中,求爾把衆人的靈魂,特別是那些需要憐憫的靈魂,領到天國裡去。

和平之后,為我等祈。
中國之后,為我等祈。
罪人之后,為我等祈。


更に中国語で書かれた教皇文書もご紹介します。

教宗良十三世《永生天主》通諭“Immortale Dei”天主教社會訓導 1885年11月1日

教宗良十三世《日久》通諭“Diuturnum Illud”論國家元首 1881年6月29日

教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日

教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日

教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月4日

教宗庇護九世頒布《教會之外無救恩》(Quanto Conficiamur)通諭 重申懲斥邪説謬論 1863年8月10日

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新潮彌撒的批評論文概要(奧他菲厄爾樞機 (A. Card. Ottaviani)和巴捷爾樞機 (A. Card. Bacci))

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ローズ胡美玉さんの『楽在苦中』

2007年05月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

 五月六日の主日には東京での聖伝のミサの後、午後二時半からアメリカ在住のローズ胡美玉さんの講話がありました。ローズ胡美玉さんは、もと中国の上海生まれで中共のカトリック教会迫害のもとで21歳の時に投獄され、26年強制労働をさせられました。
 ローズ胡美玉さんの著書『楽在苦中』は、第九〇章まであるのですが、第八〇章までオンラインで読めますのでご紹介します。(原文は繁字体ですが、オンラインでは簡略体になっています。)


【参考資料】:
兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。

「Joy in Suffering (苦しみにおける喜び)」

「Human Suffering is Spiritual Joy(人間の苦しみは霊的喜び)」

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聖霊に対する九日間の祈り(ノベナ)にご招待します

2007年05月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 聖伝のミサの典礼暦によれば、今日は私たちの主イエズス・キリストの昇天の大祝日です。
 聖伝によれば今日から聖霊降臨まで聖霊に対する九日間の祈り(ノベナ)を開始します。
 今年は特に、ベネディクト十六世教皇様が聖伝のミサの真実を勇気を持って発表することができるために聖霊に祈りましょう!


Veni Creator Spiritus,
Mentes tuorum visita,
Imple superna gratia,
Quae tu creasti, pectora.

Qui diceris Paraclitus,
Altissimi donum Dei,
Fons vivus, ignis, caritas,
Et spiritalis unctio.

Tu septiformis munere,
Digitus Paternae dexterae,
Tu rite promissum Patris,
Sermone ditans guttura.

Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus,
Infirma nostri corporis
Virtute firmans perpeti.

Hostem repellas longius,
Pacemque dones protinus;
Ductore sic te praevio,
Vitemus omne noxium.

Per te sciamus da Patrem
Noscamus atque Filium;
Teque utrius que Spiritum
Credamus omni tempore.

Deo Patri sit gloria,
Et Filio, qui a mortuis
Surrexit, ac Paraclito
In saeculorum saecula.
Amen.

V. Emitte Spiritum tuum, et creabuntur
R. Et renovabis faciem terrae.

Oremus.
Deus, qui corda fidelium Sancti Spi ritus illustratione docuisti:
da nobis in eodem Spiritu recta sapere;
et de ejus semper consolatione gaudere.
Per Christum Dominum nostrum.
Amen.


創造主なる聖霊よ、来たり給え、
御身の信者らの心を訪れ給え、
彼らの心を御身が創造し給うた
上からの聖寵で満たし給え。

御身は慰め主、
いと高き天主のたまもの、
活ける泉、火、愛、
霊的注油と言われてまします。

御身は七つのたまものにより、
聖父の右手の指、
聖父の由緒正しき御約束、
言葉を発する舌なり。

五官に光をつけ給え、
心に愛を注ぎ給え
我らの体の弱さを
とこしえの力で強め給え。

敵を遠くに押しやり、且つ
素早く平和を与え給え。
御身はを統率者として、戦いにおいて
我らは全ての害悪を避けよう。

御身によりて我らは聖父を知り、
且つ聖子を知り、
そして聖父と聖子からの御身を知り、
常に信じる恵みを与え給え。

聖父に栄光あれかし
死によみがえられ給いし聖子に
そして慰め主なる聖霊に栄光が、
代々とこしえにあれよかし。
アメン

御身の霊を遣わし給え、さればそれらは創造されん。
▲御身は地のおもてを新たにし給う。

祈願 
聖霊の光りをもって信者の心を照らし給いし天主、
同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、
その御慰めによりて常に喜ぶを得しめ給え。
われらの主キリストによりて願い奉る。▲アーメン。


参考資料:「マニラの eそよ風」

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新しいミサの修道会における「悪魔的な方向感覚喪失」

2007年05月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

 新しいミサの修道会は、この世の精神をますます受け入れてしまっています。これこそシスター・ルチアが言っていた「悪魔的な方向感覚喪失」ではないでしょうか。このような修道会があと20年後にどうなっていることでしょうか??

■たとえばオーストリアのマリエンクロンのシトー会大修道院。
元々は、この世の罪の償いのために祈りを捧げる観想女子修道院なのですが、いつの間にかエステとヨガのセンターになってしまいました・・・。

【参考資料】(慎みのない写真などがありますので、ご覧にならない方がよいかもしれません。シスター方のためにお祈り致しましょう。

体操

体操

マッサージ

コスメチック

入浴


■ たとえばイエズス会のケネディー神父 Fr. Robert E. Kennedy は、禅の老師となっています。禅をするのは構わないけれど、聖伝のミサだけはぜったにダメ!! これも「悪魔的な方向感覚喪失」です。

Morning Star Zendo



■ 秋田の聖母のメッセージ

秋田の聖母の第3のメッセージ(1973年10月13日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
 悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
 勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。・・・」
(さらにつづけて)
 ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」



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兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!

2007年05月16日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!

 兄弟姉妹の皆様、お久しぶりです!

 兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 
(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきですが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ5世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、・・・などとも呼ばれています。)

何故なら、聖伝のミサは、聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭だからです。(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』



■ 「私たちの天主であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ10・14)父である天主に自分をささげて、救いのわざを完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7・24、27)、敵の手に渡される夜(1コリント11・13)、最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に目に見える供え物を残したのである(人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。この供え物によって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶が世の終りまで続き(1コリント11・23以下)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠の司祭」(詩編109・4)であると宣言して、自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主にささげた。そして、使徒たちを新約の司祭として制定し、パンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒たちとその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)という言葉で、それをささげるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである(第2条)。」(DzS 1740)

「ミサにおいて真実の供え物が天主にささげられないとか、これをささげるのはわれわれにキリストを食べさせるためだけであると言う者は排斥される。」(DzS 1751)

トリエント公会議、第二十二総会決議文



【参考資料】 ミサに関するマルチン・ルターの言葉
ミサを転覆させるなら、私たちは教皇制度を転覆させたことになると私は考える。何故なら、巌の上に立てられたかのようにミサの上に全教皇制度はその修道院、司教、大学、祭壇、聖務者、教義などが立てられており、その上に全ての重量が寄りかかっているからだ。これら全ては、冒涜的で厭わしいミサが倒れると共に全て倒れるに違いないからだ。
(「英国王ヘンリーに反対して」)

【英訳】
Having triumphed over the Mass, I think we have triumphed over the whole papacy. For upon the Mass as upon a rock is built the whole papacy with its monasteries, its bishoprics, its colleges, its altars, its ministers, its doctrines, and leans on it with its whole weight. And all these things must fall with the sacrilegious and abominable Mass.
Martinus Lutherus contra Henricum Regem Angliae



 彼らのうちの諸悪のなかでそれ以上のものはないものは、彼らの酷いミサである。それをもっていけにえとなし、善行とし、・・・
(修道誓願について)

127 Atque ut aliud nihil malorum apud eos sit, ipsae execrabiles Missae eorum, quibus in sacrificia et opera bona uersis abominanda peruersitate retribuunt suis benefactoribus spiritualia, id est, faciunt eos fidere in mendacia, et secum trahunt in profundum, caeci caecorum duces,
(De votis monasticis)




■ 次のプロテスタント牧師たちは聖伝のミサを拒否するが、新しいミサは問題なく捧げることができると言っている。
マックス・テュリアン(Max Thurian, in La Croix, 30 mai 1969)
ジークバルト(G. Giegvalt, in Le Monde, 22 novembre 1969)
ロジェ・メール(Roger Mehl, in Le Monde, 10 septembre 1970)
オットフリート・ヨルダン(Ottfried Jordahn, in his conference at Maria Laach, 15 June 1975)

アルザス・ロレーヌ地方のアウクスブルク信仰告白派の1973年12月8日公式宣言でも新しいミサは問題なく捧げることができると宣言された。


■ 聖アルフォンソ・デ・リグオリの言葉
「ミサは教会でもっとも良いものであり最も美しいものである・・・悪魔は常に、異端者達を通してミサをこの世から取り除こうと常に努力してきた。そうすることによって彼ら異端者達は、反キリストの先駆者となった。・・・

La messa e il piu buono e piu bello della chiesa, secondo predisse il profeta... E percio il demonio ha procurato sempre di toglier dal mondo la messa per mezzo degli eretici, costituendoli precursori dell'Anticristo, il quale, prima d'ogni altra cosa, procurera d'abolire, ed in fatti gli riuscira d'abolire, ...

S. Alfonso Maria de Liguori
Messa e officio strapazzati



■ 新しいミサの実り
イタリアのラ・チヴィルタ・カットリカ誌は司祭職を辞めた司祭たちの記事を載せた。イエズス会師ジャンパオロ・サルヴィニ神父の記事だ。それによると、40年で69063名がカトリック司祭職を辞めた。それと同時に11213名が司祭職に復帰している。従って、結婚した司祭は57000名以下だろうとのことである。
DICI



■ 秋田の聖母マリアのことば

秋田の聖母の第3のメッセージ(1973年10月13日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
 悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
 勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。・・・」
(さらにつづけて)
 ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」




     <2007年5月の予定 その2>

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

11日(金)午後5時半 使徒聖フィリポとヤコボ(2級祝日)赤
12日(土)午前11時  殉教者聖ネレオ、アキレオ、殉教者童貞ドミチッラ及び殉教者パンクラチオ(3級祝日)赤
13日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
  午前10時半  復活後第5主日(2級)白


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」


19日(土) 午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/)
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
(19日に予定されていたミサ聖祭は、都合によりキャンセルになりました。よろしくお願いします。)

20日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
午前10時半  御昇天後の主日(2級)白
     午後2時半  霊的講話
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
21日(月)午前7時 平日(4級)白
22日(火)午前7時 平日(4級)白


それでは、皆様のおこしをお待ちしております。


 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2007.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2007, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2007" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/



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アヴェ・マリア・インマクラータ!
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【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】