アヴェ・マリア!
聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様のインタビューを日本語に訳して下さった方があります。これは以前に頂いていたのですが、愛する兄弟姉妹の皆様にすぐにご紹介することが出来ませんでした。遅ればせながら一部を修正してご参考にご紹介いたします。日本語に訳して下さった方に心から感謝いたします。
その他にも、まだまだご紹介するばかりの日本語に訳された記事があるのですが、私の時間がとれずにご紹介できていないものも多々あります。出来るだけ早くご紹介するつもりであります。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をひたすらにお願い申し上げます。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ソウルにて
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兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
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ルフェーブル大司教様とのインタビュー
<>和訳者補足
このインタビューは、司祭会がフランスで発行する雑誌フィデリテール の1989年7-8月号に掲載された。これは例により明快で意味深い、正式の教会が置かれた状態と、司祭会とこの教会の関係を分析したものである。
1:何故司教聖別を?
質問:おそらく、司教たちの聖別をしようという重大な決断を貴方が下された理由と目的を思い出す事は適切だと思います。ちょうどあの時、貴方はこの聖別がローマ側に猛反発を引き起こすだろうと自覚されましたね。貴方は司祭職と秘蹟の継承が継続する事を御望みになったからこそ、「破門され、離教者としてさっさと片付けられる」という危険を冒す事を引き受けたのです。
ルフェーブル大司教様:ええ、確かに、それは用意されるべき決断でした。この決断はある日突然下されたわけではないのです。既に数年に亘り、歳もとっている事から、私は自分の後継者を確保する必要がある事をローマに理解してもらおうと努力していました。何時かは誰かが私を引き継いでくれると保証する必要が私にはあったのです。司教なくして、誰も神学校や神学生たちを持つ事など出来ませんから。人々もまた、信仰と秘蹟、それも特に堅振の秘蹟を伝承してくれる司教を必要としているのです。ローマの当局者たちはこの現実を非常に良く分かっています。私は数回それ<司教聖別>を仄めかしてから、最終的に私は、それを公然と行ったのです。ローマでは、誰一人として私が彼らの不意をついた‐つまり彼らは不意に嵌められたとか、あるいは私が隠れて行動したなどと言う事は出来ません。彼らは数年前から何通もの手紙や、手元に彼らが持っている私の説教の録音、それからデ・カストロ・マイヤー司教様と私自身が教皇聖下に宛てた手紙を通じてはっきり警告されたのですから。
この警告は、私たちに対する彼らの態度にある種の変化をもたらしたと私は思います。彼らは司教聖別を恐れてはいたのですが、私が実際それを行うとは信じていなかったのです。それから1987年6月29日に、私が司教聖別候補者たちについて公にお話した時でさえ、ラッツィンガー枢機卿は少し狼狽しただけでした。ローマでは、私が司教聖別に取り掛かりはしないか当局者たちは恐れていましたので、彼らは私たちが常に要求してきた事‐つまり御ミサ、秘蹟、そしてヨハネ二十三世の1962年版典礼様式に則った司教儀式‐に対して、少しではありますがより寛大になろうという決定を下したのです。あの時、彼らには第二バチカン公会議に賛成するよう私たちに要求する気は一切なかったようです。彼らはそれについて何一つ触れませんでしたし、彼らは私たちが私の後継者となる司教一名を持つ可能性にそれとなく言及さえしたくらいです。
ところで、それは確かに彼らが見せた幾分意味深く根本的な変化でした。だからこそ、私のやるべき事を知るという問題が生じたのです。総長様やその補佐たちと会って、貴方がたはどうお考えなのか?また差し伸べられている手を私たちは受け入れるべきか?それともそれを拒絶するか?と尋ねる為、私はリッケンバッハ(Rickenbach)まで行きました。
私は言いました
「私自身、個人的には、彼らを全く信用していません。何年も何年も私はこの種の人たちと付き合って来ましたし、数年間私は彼らの行動様式も見て来ました。私にはこれ以上彼らに対する信頼がありません。」それでも、司祭会と聖伝界内部の人々が、"貴方には関係修復を試みてみることが出来ましたね、討論と対話に入る事によって貴方は何一つ失わなかったじゃないですか" と後になって言い得る事を私は望みません。これは総長様とその補佐たちの意見でした。彼らは言いました「貴方は差し出されている提案を考慮すべきです。それを無視すべきではありません。彼らと話し合う事は依然として無駄ではないのですから。」
そこで、私はラッツィンガー枢機卿と会う事に承諾し、ラッツィンガー枢機卿に、誰かが(こちらの方に)来て、司祭会を訪問すべきだと要求しました。この様な訪問は、聖伝の維持という利益に帰着するかも知れないと私は考えたのです。それと同時に聖伝の影響が認められることがはっきりと分かると思ったのです。それは、私たちの立場をローマにあって力づけてくれ、聖伝を守る事を旨とした数人の司教とローマ委員会<の設立>とを獲得する為に自分の行う依頼には、さらなる成功のチャンスがあるだろうと私は考えました。
しかしながら、時を待つまでもなく私たちは正直でない方々と取引している事に気付いてしまったのです。この訪問の直後にガニョン(Gagnon)枢機卿とモンセニョール・ぺルル(Msgr. Perl)がローマに戻ると直ぐに、私たちは彼らの物笑いの種となってしまいました。ガニョン枢機卿は新聞紙面で信じられない発表をしてくれたのです。彼曰く、もし私が司教聖別の話しを進めるなら、私たちの内の80%は司祭会を去って行くだろうというものでした。私たちは認可を模索している最中だったのです。そしてローマは、私たちとの和解と、その為に私たちが自分たちの過ちを認める事を模索していました。司祭会の諸々の施設を訪問した方々は、結局自分たちは会の外見しか見なかったという事‐つまり天主のみ人の心の内にあるものが見えるのであるから、この訪問は、単なる訪問であって、それ以上の価値がないという事を口にしました . . . 要するに、彼らはこの訪問それ自体の間に、自分たちが行い、口にした事とは全く異なる事を語っていたのです。それは想像を絶するように思えました。彼らはバチカンに戻り、ローマの有害な影響下に入っただけで、またローマのメンタリティーを取り入れ、再び私たちに食ってかかったり私たちを蔑んだりしたのです。
それでも、私は会話をする為にローマへ行きはしましたが、会話の成功に対する自信など一切ありませんでした。私は1月の初めにオラニエ(Aulagnier)神父様に宛てて手紙を書きました。私は6月30日に司教たちを聖別しているだろうと確信しています。私には実際彼らに対する信頼が全くないので、それは司教聖別の年となるでしょうと。
それでも、私たちがどんな良い意志を持っているかを証明する為に、出来るだけ耐えようと私は望みました。私たちが聞きたくもない公会議の問題を彼らが再び持ち出して来たのはその時なのです。合意の為の定式は、まさに私たちにとって承諾可能な限界のものが見つけられました。次に彼らはミサ<トリエントミサ/聖ピオ五世のミサ>と典礼書を与えてはくれたのですが、ローマ委員会と司教聖別に関しては私たちの要求を受け入れたくなかったのです。ローマ委員会に於いて私たちが獲得出来たのは、七名の構成メンバーのうちの二名‐しかも議長席、副議長席はもらえません‐だけで、私の要求していた司教三名については、たった一名しか獲得出来ませんでした。既にこれはほぼ容認出来ない事でした。また<議定書の>署名の前でさえ、私が何時この司教を頂けるのかと尋ねた時、それに対する答えは回避的か、意味を成さないものでした。彼らはいつかを言うことが出来なかったのです。11月は如何ですか?‐彼らには言うことが出来ませんでした。それでは降誕祭は如何でしょう?‐彼らは言うことが出来ませんでした。. . . ですから日付を聞き出す事は不可能でした。
合意を容易にするあの<5月5日の>議定書に署名した後で、ようやく私は腰を据えて考えました。不信と沈黙の蓄積は、5月5日に私がローマへ預けてきた三人分の関係書類<司教聖別候補者三名分のプロフィール>の中から、6月30日に向けた司教一名の任命を求めるよう私を駆り立てたのです。つまり司教一名を任命してもらうか、私が自分の望むものを司教聖別するかの何れかでした。この様な選択の機会に直面して、ラッツィンガー枢機卿様は言われました「そういう事であれば議定書は終わりです。それは終わりとなって、これ以上議定書はありませんよ。貴方は関係を壊しているのですから。」そう言ったのは彼であって、この私ではありません。
5月20日に、私は教皇様に手紙を書いて、自分は議定書に署名をしましたが、司教たちを頂きたい事、しかも6月30日に司教たちを是非頂きたいと彼に伝えました。
しかし実際には、合意に至る道などありませんでした。私はラッツィンガー枢機卿様にあの選択肢を突きつけ、そして彼の方は8月15日に司教一名を私たちに与えるという趣旨の事を言っていた一方で、その彼はバチカン<教皇ヨハネ・パウロ二世>によって敷かれた要求を満たす司教一名を聖座が選ぶ為に、さらに多くの聖別候補者に関する書類を私に要求していたのです。ところで、それはいったい何処にわたしたちを導く事になっていたのでしょうか?
相互理解に至る事は不可能だと理解しましたので、6月2日に再び私は教皇聖下に宛てて手紙を書きました。これらの会話と接触を継続するのは無益です。また私たちは同じ目的を持っていません。聖下は和解を利用して私たちを公会議に向けさせたいと思っておられますが、私たちが望むのは、ありのままの私たちが認められる事です。私たちは、聖伝を今行なっているようにこれからも継続する事を切望しますと。
それ<和解交渉>は終わりました。隠れて行動したくなかった事で、私が6月15日に記者会見をすると決定した時、和解交渉は終わってしまいました。聖伝主義者の司教なくしては、永続性のある聖伝など決してあり得ないのです。それを頂く事は絶対に不可欠なのです。だからこそ、聖ペトロ会やル・バルー(Le Barroux)はお伽の国にあるのです。彼らが聖伝主義者の司教たちを持たないからです。
2:聖ペトロ会に与えられる司教?
質問:聖ペトロ会に司教一名が与えられるかも知れないという噂が徘徊しておりますが。
ルフェーブル大司教様:どの司教様でしょうか?‐第二バチカンの要求を満たす司教様ですか?その場合、彼らは、ゆっくりゆっくりと、自分たちを公会議へと向けさせる司教様を持つ事になるでしょう‐それは分かりきった事です。生粋の聖伝主義者であり、公会議の誤謬や公会議による刷新に反対する司教様を彼らが持つ事は決してありません。ですから、実際のところ、聖ペトロ会は私たちの署名したのと同じ議定書には署名しなかったのです。それは彼らが司教を持たないからなのです。私がラッツィンガー枢機卿様と署名した議定書は、私たちが司教を持つ事が出来ると規定しました。それにより、あるやり方で、ローマは司教一名の任命を承認してくれたのです。人々は、貴方は教皇聖下に背いていますよと私たちに言って来ます。部分的に背いているのですが、根本的にはそうではありません。ラッツィンガー枢機卿様は、司祭会のメンバー一名を司教として持つ事に対して書面による認可を私たちに与えてくれました。私が四司教を聖別したのは本当です。しかし一名又は二名の司教を持つという基本方針そのものは、教皇聖下から与えられました。その反対に、私たちと縁を切った人々<聖ペトロ会等>は、どんな司教も、あるいはローマ委員会に於けるどんな代表も獲得しなかったので、自分自身を引き渡し、身動きが取れなくなって進歩主義者の手中へと陥ったのです。この様な状況下に於いて、彼らには決して聖伝を維持する事が出来ないでしょう。欲しいものは何でも頂いていると彼らは言っているのですが、完全に思い違いをしているところなのです。
これら聖伝主義者の<四>司教たちを持つ事は私の義務であるし、信徒や神学生たちにとっては必然だったと思っています。
繰り返しますが、もしこの信仰と聖伝への忠誠がこれらの司教たちにないとしたら、共同体というものが信仰と聖伝に忠実に留まる事が出来るとは思いません。それは不可能です。貴方が何と言おうと、公教会は先ず最初に、そして真っ先に司教たちから成り立ちます。例え司祭たちが貴方の考え方を持っていたとしても、この司祭たちは司教方から影響を受けるのです。そうやって貴方がそれを眺めようと、司教方が司祭たちを作り上げるのであって、まただからこそ神学校に於いて、あるいは説教か、黙想会に於いて、でなければかなり多くの方法を使って司祭たちを指導するのです。進歩主義者の司教たちと一緒では聖伝を維持する事など出来ないのです。
私たちが前進する上で他に方法はありませんから、カトリックの聖伝を守り、信仰を保つ司教たちを持つ事が私たちに今保証されているのをとても嬉しく思います。何故なら、危険に晒されているのは信仰だからです。それは小さな問題ではありません。少しの細事に関する問題ではないのです。
3:「ルフェーブルは教会内に留まるべきである。」
質問:ある人々は言います:「そうですね、ただルフェーブル大司教様はローマとの合意に受け入れるべきでしたね。というのも、いったん聖ピオ十世会が認められ、聖職停止が解除されるなら、彼は公教会の内側でもっと効果的に活動する事が出来たからです。しかし彼は今教会の外側にいます。」
ルフェーブル大司教様:こういう事は、言うのは簡単です。公教会の内側に留まる為、あるいは公教会の内側に身を置く為にそう言うのは簡単なのです‐それはどういう意味でしょうか?第一に、どの教会について私たちは話しているのでしょうか?もし貴方が「公会議の教会」について話しているとすれば、二十年もの間カトリック教会を望むと言う理由から公会議と戦って来た私たちは、恐らく、この「公会議の教会」に、それをカトリックにする為に戻らなければならない事になります。それは全くの幻覚です。長上たちを作り上げるのは配下の者ではなく、長上たちが配下の者を作り上げるのですから。
全ローマ聖省の間で、そして進歩主義者である全世界の司教方の間で、私は完全に圧倒されている事になるでしょう。何も出来ずにいるでしょう。私には信徒も神学生も守る事が出来なかったかも知れないのです。ローマは私にこう言ったでしょう「大丈夫、私たちは叙階式執行の為に、これこれの司教様を貴方に差し上げるつもりです。ただ貴方の神学生たちは、これこれ教区からやって来る教授たちを受け入れなければなりません。」考えられません。聖ペトロ会に於いて、彼らはアウスブルグ教区から来る教授たちを迎えています。これらの教授たちは誰なのでしょうか?彼らは何を教えるのでしょう?
4:離教の危険?
質問:最後になって、善き天主が貴方を御自分のもとにお呼びになる時、この分裂は徐々に広がって行き、一部の方々が“可視的教会<公会議型のカトリック教会>”と呼んでいるものと並ぶ並行教会<対立/離教教会>に直面するかも知れないという心配をお持ちにはなりませんか?
ルフェーブル大司教様: ドン・ジェラール(Dom Gerard)師<聖ベネディクト修道会に属する、ル・バルーの聖マリー・マドレーヌ大修道院長>やマディラン(Madiran)氏の主張する“可視的教会”についての話は馬鹿げています。
私たちが代表し、継続しようと試みているカトリック教会と対立するものとしてこの「公会議の教会」を“可視的教会”として話しが出来るのには驚きです。私たちこそがカトリック教会だと私は言っているのではありません。私は決してそんな風には言いませんでした。これまで自分を教皇の上に置こうと望んだと私の事を非難する事は誰にも出来ません。しかし私たちは真にかつてのカトリック教会を代表しています。
何故なら私たちは公教会が常に行なった事を継続しているからなのです。可視的教会の特徴、即ち、唯一、聖、公、そして使徒継承の特徴を持っているのは私たちです。この特徴は、可視的教会を特徴づけるものなのです。
マディラン氏は抗議しました:「ですが、公式な教会はさらに不可謬性も持っています。」しかしながら、不可謬性の問題については、デュラック(Dulac)神父様が教皇パウロ六世について、暗示的な一節において言ったように、私たちは言わなければなりません:「何年も前に、公教会に数人の教皇たちがいた頃、人々は彼らの内から誰か一人を選ぶ事が出来ました。しかし今や、私たちは一人の中に二人の教皇を持っています。」私たちには選択の余地がないのです。これら最近の教皇たちの各々が、まさに一人の中の二人の教皇なのです。彼らが聖伝‐つまり<公会議前の>教皇たちの聖伝、そして不可謬な聖伝‐を代表する限りに於いて、私たちはこの教皇に一致します。彼がペトロの後継者を継続している限りに於いて、また彼にされた<聖霊の守りによる>不可謬性の約束がゆえに、私たちは彼に結びついているからです。彼の不可謬性にしがみ付くのは私たちなのです。しかし、例え限定された事項<信仰と道徳>に関しては、彼が教皇であるという意味において、彼がこの不可謬性を持っているとしても、彼は自分の意向と考えによりそれ<不可謬性>に対立しています。それは、彼がもはや不可謬性により行動する事を望まないからそうなるのです。彼はそれを信じていないので、不可謬性のスタンプを押された行為をする事が一切なくなります。
そういう訳で、彼らは第二バチカンが教義的公会議ではなく、司牧的公会議である事を望んだのです。彼らは不可謬性を信じないからです。彼らは決定的な真理を望みません。<彼らにとって>真理は生きているべきであり、また進化すべきものなのです。ゆくゆく、それは時と共に、また歴史と共に、知識などと一緒に変わってしまうかも知れないのですが . . . . その一方で、不可謬性は<真理の>表現形式を一度で定める事から、それは不変の真理を作り上げる‐つまり不変の真理にスタンプを押す‐のです。この事を彼らは信じる事が出来ませんし、またそれだからこそ私たちは不可謬性の支持者となるし、公会議型の教会はそうならないのです。「公会議の教会」は不可謬性に反対しています‐それは確実で間違いありません。
ラッツィンガー枢機卿は不可謬性に反対しています。教皇様は御自身が受けられた哲学的養成ゆえに不可謬性に反対しているのです。私の言う事を正確に理解して下さい!
‐私たちは教皇様が変わることのない使徒座、つまりペトロの座の全価値を代表する限りに於いては、彼に反対しません。が、教皇様が御自身の不可謬性を信じないで、エキュメニズムを実施する近代主義者である限りに於いて、私たちは彼に反対します。言うまでもなく、彼らが如何に否定しようと、潜在的に(virtually)離教的である「公会議の教会」に私たちは反対します。実際問題として、この教会はそれが近代主義であるという理由から、潜在的に(virtually)破門されている教会です。私たちはしばらくの間破門される者となりますが、何故ならカトリックのままでいたいと望むからです。カトリック教皇及びカトリック教会と共に留まりたいと思いうからです‐そこが<ドン・ジェラール師とマディラン氏が指摘する事との>違いです。
それを別とすれば現状について正しい理解をお持ちのマディラン氏が、私たちは“可視的教会”ではないという事‐つまり私たちは不可謬なる“可視的教会”から去っている‐と言っている事についてですが、この発言の全ては、単に現実と合致しない言葉にしか過ぎません。
5:司教たちの必要性?
質問:大司教様、カトリック司祭職に向けて養成されている神学生たちには自分たちを叙階するカトリック司教たちが必要だ、という結論に至ることなく、司教聖別に賛成も反対もせず、またこの司教聖別に関して如何なる立場も取らず、さらに貴方がエコンを創立する際に模範を示して下さった様な司祭養成を奨励する事は可能でしょうか?
ルフェーブル大司教様:その様に考える人々は、ド・ミルヴィル(de Milleville)司教様に似た司教方を持つ事になるでしょう。彼らは叙階式を行う為に私服でフォンゴンボー(Fontgombault:ソレム系聖ベネディクト修道会支院)まで来ました。彼が説教をしたとしたら、私はただ彼がこれらの神学生たちに何と言ったか、そしてどんな模範を彼らに与えかを知りたいですね。それはもはやカトリック教会ではありません。それは不快な結果を全て備えた「公会議の教会」なのです。彼らは公教会の破壊に貢献しているのです。デュラック神父様が言われた様に、一人に於いて二人の教皇であり始めたのはヨハネ二十三世でした。彼こそがこの世に対して公教会の開放を始めた方です。その瞬間から、私たちは曖昧さと二面性という、自由主義者固有の行動様式に立ち入ってしまいました。
ですから、私たちはこれらの司教聖別について、少しも躊躇したり、あるいは疑念を抱いたりすべきではないと思います。
私たちは離教徒でも破門されたものでもなく、教皇様に反対しているのではありません。私たちはカトリック教会に反対などしていません。また私たちは並行教会を作っているのでもありません。これらの指摘はどれも馬鹿げています。私たちは常にそうであったように‐つまりカトリック教徒(Catholics carrying on)であり続けているのです。それだけです。余計な複雑化を探す必要性はありません。私たちは、ポペール氏(Paupert)がその著書 Torn-Away Christians<引き裂かれたキリスト教徒たち>で書いた様な、“小さな教会”を作っているのではありません。この本の終わりに彼が書いている事は貴方を身震いさせます。「もう自分が誰なのか私には分からない!」と。
ポペール氏は神学生‐恐らくは司祭‐でした。しかし彼は信仰を失ってしまい、その後それを多少取り戻して、聖伝主義者の思考に心が傾いているのですが、公会議の教会を去る事を怖がっています。そういう理由から、彼は自分がカトリック教徒なのかそうでないのか、また自分は信仰を実践しているのかいないのか分からなくなっているのです。「近頃教会にいても、私は自宅にいない様な気がする。だから私は聖体拝領に行かないのだ。」
彼は知的な方ですが、自分が出口のない袋小路にいる事に気がついています。それはぎょっとさせます。またこれは、聖伝への一歩を断固拒絶するカトリック教徒の全てが抱えている問題です。彼らは司教座を占拠している人々、即ち司教たちと一緒に留まりたいと考えるのですが、自分たちが若かった頃に実践したカトリック信仰と、これ以上一切の関係を持ちたくないのです。そしてこれを再び身に付けようという意志を持っていないのです。無数のカトリック教徒たちがこの状況に置かれていると考える時、それは実に恐れおののくべき事です。ですから、彼らの多くはもはや日曜日に教会へ行かない傍らで、他の人々はセクトに入会するか、全く何も実践しないので、信仰を失っている最中です。
6:大司教様は来た道を引き返せないのか?
質問:最近出版されたEcone, How To Resolve The Tragedy <エコン、この悲劇をどう解決するのか>という本の中で、ド・マルジュリィュ(de Margerie)神父様は、貴方がこれまで常に拒絶してきたものを受け入れる事により、ローマと和解するよう貴方に助言しておられます。それについてどうお考えですか?
ルフェーブル大司教様:個人的に私はド・マルジュリ神父様と面識がありません。彼は矛盾に満ちています。信教の自由を擁護してから、それが聖伝と一致しており、何ら<聖伝との>断絶は存在しないと言明するようになる時、彼が大いに恥ずかしい思いをするのは目に見えています。それは擁護する事の出来ない立場です。何故なら、「公会議の教会」の指導者たち、例えばラテラノ大学学長、あるいはローマに於ける重要人物である(潜在的に、教皇たちの社会回勅の全てを書いた人物である)パヴァン司教様(Msgr. Pavan‐現在枢機卿)同様に、「公会議の教会」の最も傑出した人々は、昨年の五月のヴェニスの会議で、信教の自由について公に「そうです、何かが変わりました」と言われたのです。ラッツィンガー枢機卿やこの問題に関して数多くの著書を書かれた神学者たちのような他の方々は、信教の自由なる学説が聖伝と一続きである事を立証しようと努力しています。以前であれば、自由というものは、真理との基本的関係の中で常に主張されました。現在、自由は人間の良心と関係があるとされるのです<つまり真理と関係は無視された>。これは真理の選択を人の良心に委ねる事を意味します<良心が真理だと認めれば、それがその人の真理となる>。またそれは公教会の死となるのです。<第二バチカン公会議が神聖なものとした>人権が公教会から承認される時、それは革命の毒を持ち込む事を意味します。少なくとも、ラテラン大学の学長とパヴァン司教様とはこの事実を認めているのです。他の方々は、私たちを黙らせようと奮闘しつつ言いたい事を言うでしょう。しかしそこには「市民社会である国家は、根本的にどれが真の宗教であるかを知る事が出来ない」と白地に黒で書かれているのです。公教会の全歴史は、私たちの聖主の時以来ずっと、この様な主張への抗議に始まります。ジャンヌ・ダルクや聖人たち、そして聖なる人々であり、公教会を擁護した王子や王たちはどうですか‐彼らは真の宗教を識別する事が出来ませんでしたか?どうしてこんなとんでもない事を書けるのか人は不思議に思います!
それから私たちが様々な仲介者を通してローマに送った異議に対するそのローマからの回答は、どれも変更は存在せず、むしろ単に聖伝の継続があるという事を説明する傾向がありました。これらの主張はこの公会議が打ち出した 信教の自由に関する宣言 に見る主張より酷いものです。それではまさに嘘を伝える官僚世界(officialdom)です。
ローマに於いて、彼らが信教の自由やエキュメニズム、さらに司教団体性などの公会議の思想に愛着したまま留まっている内は、誤った道を進んでいます。これは深刻ですよ、というのも、それは事実上の結果に帰着するからです。その事を教皇様によるキューバ訪問が証明しています。教皇様は、拷問人あるいは暗殺者を、まるで正常な人間くらい正直でもあるかのように、その手をキリスト教徒たちの血で染めている共産主義指導者たちを訪問し、又は謁見中に彼らを迎え入れたのです。
7:共産主義に反対する聖職者たち?
質問:リュスティジェ(Lustiger)枢機卿が<ウクライナの首都>キエフに行けない事というニュースの流出がありましたが。
ルフェーブル大司教様:ロシアに行った結果、モスクワがカトリックになったと彼は考えました。それは思慮の欠如です。彼らが言うには、教皇様は、スリピ(Slipyi)枢機卿様の後を継いだ現職の総主教を取り替える事で、ウクライナの<首都キエフ>総主教の任命権をモスクワに多かれ少なかれ与えたそうですが、代わりに任命される人は、当然の事ながら、ピメネ(Pimene)同様にソ連工作員となるでしょう。
これらカトリックによる訪問の全てはソ連を有利にしてしまいます。ソ連は遂に、自分たちの欲がるものを獲得するでしょうが、それは特に、政府の支配下にある階級制を利用してウクライナ人を自分のポケットに入れる為です . . . . ちょうどハンガリーのミゼンティ枢機卿様の後に、彼らがレカイ(Lekai)を任命した時にやった様にです。つまりレカイのスキャンダルです!以前なら、これら全ての枢機卿と司教たちは監獄に投げ込まれましたが、それは彼らがカトリック宗教を擁護していたからです。ですが今ではその彼らが、真にカトリックの司祭たちを監獄に投げ込んでいるのです。私たちはそれとちょうど同じ状況にあります。つまり司教たちは、私たちがカトリックのままでいるからこそ、その私たちを迫害しているところなのです。私たちを追い詰めているのは、無神論政府や社会主義者、あるいはフリーメーソンたちではなくて、一般的に考えられているところではカトリックの司教たち‐つまり公会議派司教たちなのです。
同じ事が共産主義の国々で起こっています。彼らはカトリックの司教たち、それも共産主義政府に同意する“平和の司祭たち(Pax Priests)”である司教方を持っています。
私はあるハンガリー人司祭から1通の手紙を頂きましたが、そこにはこう書いてありました:「議論が起きると、政府は司教と司祭たちに賛成してもらおうと努め、政府は“善人”役を演じています。」信じられません!教皇様は、真理と徳に対するのと同じ敬意を誤謬と悪にも払うというこのやり方を使って、多くの損害を与えています。それは小さな民族にとっては大惨事となるのです。またそれは全キリスト教道徳の、あるいは道徳の基盤それ自体の崩壊であるどころか、社会生活の完全な崩壊なのです。
8:道徳を擁護する教皇?
質問:ヨハネ・パウロ二世は家族の団結を擁護していますし、彼は司祭の結婚や、堕胎にも反対しています。道徳の点で、多くの方は彼が良い教皇だと考えておりますが。
ルフェーブル大司教様:自然道徳に関する特定の原理についてそれは本当です。良い事は言われていますが、それなら、避妊に賛成する司祭たちには、例えばの話し、御咎めがありません。誰も<彼らに対して>強硬な態度を取らないのです。私たちがまず反対しない自然道徳の一部を成す一般的な指導がそこにはあるだけです。合衆国のブッシュ大統領が<もちろん政治的な理由で>堕胎に反対しているのなら、ではどうして教皇が堕胎に賛成出来るというのでしょうか?