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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カトリック教会の健康を取り戻させるために、カトリック教会がこの危機を乗り越えるために

2011年09月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、如何お過ごしでしょうか?


 今日は日本の第二の守護者の大天使聖ミカエルの祝日です。


 ますます私たちの世界は決定的な時代に突入しています。「悪魔の最後の戦い」です。何故なら、真理と偽りがまた善と悪とがますます混同され、混同することをよしとするようになっているからです。

 過去の不可謬の教会の教義を信じ実践する人々には「不従順」の烙印が押され、教会が排斥し続けてきた新し教えを宣伝して実践する人々こそ、「従順」だと言われているからです。

 カトリック教会に本当に従順な人々が圧迫され不当に取り扱われているからです。

 カトリック教会が過去大切にしてきたことをそのまま大切にしているから、カトリック教会の信仰をそのまま信仰し続けているがために、「不従順」なのです。

 多くの人々の無関心。「俺とは関係無いよ」主義。「今の小さな利益・快適さがあれば、本当の莫大な利益は無くてもよい」という態度です。だからカトリック教会はますます失墜しているのです。私たち一人一人の責任です。

 アシジの集会を見て、誰も反対の声を上げません。だからガン細胞はますます増殖しています。カトリック教会の健康を取り戻させるために、愛する兄弟姉妹の皆様の一人一人の力をください。カトリック教会がこの危機を乗り越えるために、もっともっともっと多くの愛する兄弟姉妹の皆様が私たちの聖伝のミサへ参加することが必要です。多くの人々が無関心なら、今後も数世紀、カトリック教会は宗教折衷主義により地上から姿を消してしまうでしょう。極一部の少数は、勿論、カトリック教会として世の終りまで生き延びることでしょう。


 もしアシジに反対する私たちの教勢が増加するなら、もっと大きくその声をローマに、教皇様に届かせることができるからです。

 私たちは、重大な時を行きています。


大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
 ところで、黙想会中には沢山のお祈りをありがとうございます。自然に恵まれたイロイロでは、とても良い黙想会をすることができました。10人のブラザーたち、ノビス、志願者たち、3人の司祭が参加しました。

 私は他のブラザーたちとイロイロのサンタ・バルナバにおります。今日、誓願式がここで行われました。2名が初誓願、他の2名が誓願を更新しました。天主に感謝!!


 さて、今月の聖伝のミサについて、次のような報告をいただきました。感謝つつお知らせします。個人名などは匿名性を保つために手を加えました。ありがとうございます。


愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!!

──────────【大阪】

+アヴェ・マリア!
神父様、お元気ですか?今回の御ミサのご報告です。
昨日、金曜日は、27人(神父様をいれたら28人)が御ミサにあずかりました。
今日、土曜日は、24人(神父様をいれたら15人)が御ミサにあずかりました。

御ミサの後、ミサ(今日は祭壇)で使われる諸道具の意味をレクチャーしていただきました。ミサの中で行われる事、使っているものには全て理由があることがわかり、ホンの一部でしたが知ることができて大変興味深く思いました。

小野田神父様、黙想会中失礼いたしました。
感謝のうちに

──────────【東京】

今日のミサは予定通り行われました。Couture神父はお説教で聖書の読み方には文字通りの解釈に加えて霊的・寓意的な解釈があることを説明され、具体的に今日の福音(ナイムのやもめの息子の話)について複数の読み方を教えてくださいました。また大罪と小罪の違いについて、特によいカトリック教徒であ るためには頻繁な告解が必要であることをお話しになりました。

ミサの後の祈りとAngelusの祈りの後、Couture神父にKyriale II (Kyrie fons bonitatis)を教えて頂きました。

Couture神父を含め15名程で近くの定食屋でお昼をとった後、2時頃からCouture神父の講話がありました。講話では聖伝のミサ典礼に関する様々の規則には実際的意義と霊的意義があることを具体例を使って説明してくださいました。参加した信者は、祭壇が何故石で出来ているか、祭壇が何故東を向いて いるか等の意義を知ることができました。

また短い休憩を挟んだ後、4時頃から夕べの祈りを捧げました。

ミサの参列者数
男: 22人(内、子供1人)
女: 16人(内、子供3人)
計: 38人(内、子供4人)

霊的講話の参列者数
計: 15人

夕べの祈りの参列者数
計: 15人

P.S.
1. 今日のミサの前にCouture神父によって聖伝のフランシスコ会の着衣式が行われました。

2. 今日はCouture神父の福島へのミッションのお金(メダイ代等)のため第 二の献金を行いました。献金はCouture神父にお渡ししました。

3. Couture神父の講話を聞きながら有志がメダイの袋詰め作業を行い、約 1000袋をCouture神父にお渡ししました。

──────────
アヴェマリア。小野田神父様、10月27日に予定されている諸宗教の集いが行われないよう祈って欲しいと書いていらっしゃいます。


なぜ、諸宗教の集いやエキュメニズムが間違っているのか、それは、その前提としてすべての宗教は、すべて、他宗教もプロテスタントもみんな同じ神さまを礼拝していると言うことが、必要条件でなければいけません。

しかしながら、悪魔(聖霊に反する霊)は巧妙です。自分は悪魔だと言えば、誰もそんなものにはめったについていきませんが、しばしば悪魔なのに光の天使などを装ったりするのです。真理と紛らわしいうそをしんじこませたりするのです。よほどしっかりしていなければ、祈りによって神様の助けを願わなくては、私たちの力だけで立ち向かっていける存在ではないのだと思います

聖ピオ十世会のホームページ更新のお知らせ

2011年09月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 日本の聖ピオ十世会のホームページが更新されました。「ロザリオ会の紹介」を御覧ください。よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

来月の予定

2011年09月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 来月10月の予定ですが、クチュール神父様が来日されます。大阪の金曜日の聖伝のミサですが、クチュール神父様の都合でキャンセルになりました。大変申し訳ありません。

 今月はいつもの通りで金曜から聖伝のミサがあります。しかし、来月は特別に土曜からです。飛行機の関係で来月は金曜に来日されミサの時間に間に合わないからです。よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ウィリアム・レヴァダ枢機卿との会見を終えたベルナール・フェレー司教様との対談

2011年09月20日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 「ウィリアム・レヴァダ枢機卿との会見を終えたベルナール・フェレー司教様との対談」を日本語に訳してくださった方がおられますので、深く感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ウィリアム・レヴァダ枢機卿との会見を終えたベルナール・フェレー司教様との対談

 バチカンに於けるベルナール・フェレー司教様<兄弟会総長>及び二名の総長補佐が、教理聖省長官ウィリアム・レヴァダ枢機卿と、2011年9月14日午前10時からバチカンにて行った対談が終了した際、聖ピオ十世兄弟会総長様が我々の質問にお答えになられた。

この会見はどのように行われましたか?

 会見は非常に礼儀正しく誠実なものでした。と言いますのは、我々聖ピオ十世兄弟会がその誠実さにより、<双方間に>残された諸問題から逃げようとしないからです。しかも過去二年間にあった神学上の諸討論も、まさにこの精神に於いて展開されたのです。

 私が去る8月15日に、第二バチカン公会議に自分たちが同意しない事実に私たちは同意していると言明した時、同時に私は、聖三位一体のそれ同様、教義に関わる問題の場合に、その<危険に晒された教義に関する>警告が第二バチカン公会議に見出されたなら、もちろん私たちもそれには同意しますと明言したかったのです。一つの文章をその文脈から切り離して考えてはいけません。私たちが行った神学的討論は、今申し上げた教義上の問題全てを真剣に深く掘り下げると共に明らかにしました。

 バチカン及び兄弟会による共同公式声明は、<2011年9月14日>貴方に手渡された<和解の基本条件が提示されている>教義文書と、やはり貴方に提案された教会法上の解決策のみ発表しております。何か詳細を教えていただけますでしょうか?

 この文書は教義的な前提文書<先日の記事で前書き文と訳しているもの>と呼ばれておりまして、それを徹底的に研究するために私たちに手渡されました。従いまして、この文書は内密なものであり、これ以上の事は私にも言えない事は皆さんご理解頂けますね。しかしながら、この 前提文書 という言葉は、この文書の受諾が、聖座側からの教会法による聖ピオ十世司祭兄弟会全承認に先立つ条件となっている事をまさに示しています。

 この教義的な前提文書に関しまして、その内密性に触れない限りに於いてで結構なのですが、新聞に発表されている様に、信仰に関する‐そして兄弟会が完全に従う‐もの<聖伝>と、第二バチカン公会議そのものがそうあることを望んだ様な、<教義的ではなく>司牧的な公会議を指摘する事で、再び信仰を巻き添えにすることなく、批判の対象にされる事が許され得るものとの間の区別がこの序文には見出されると私たちに確認出来ますか?

 この新しい区別を発表したのは単に新聞だけではなく、私はそれを個人的に別の情報筋から聞いています。早くも2005年には、聖ピオ十世兄弟会が第二バチカン公会議に反対して表明していた全ての異議を五時間に亘り説明したこの私に対して、カストゥリヨン・ホヨス枢機卿が表明しておられました:「貴方の仰った事全てに賛成だとは言えませんが、貴方が仰った事は、貴方が公教会の外にいるという事にしかならないのです。ですから破門を撤回して下さるよう教皇様にお書き下さい。」

 今日私には、この客観性に対して、あの教義的な前提文書の中には侵してはならない教義的領域と、討論の対象となる司牧的領域間の鮮明な区別は見出さないと認める義務があります。これが新聞の公式発表に掲載されている事から、私に唯一つ言える事があります。それはこの序文が「第二バチカン公会議とそれ以降の教導権の公文書に見出される言い回し、もしくは特殊な諸表明に関する神学的研究並びに解説に関しては 正当な討論に完全に委ねながら、教義的諸原理と、公教会の教導権及び『教会と共に考える事』への忠誠の保証に不可欠となるカトリック教義解釈の諸基準を」含んでいるという事です。はい、これ以上でも以下でもありません。

聖ピオ十世兄弟会に提案されるかも知れない教会法上の身分<属人区と訳した事があるが、正確な訳ではない>に関してですが、これは教義的な前提文書の受諾が条件になるのでしょうか?また、ordinariate<教皇直轄司教庁又は裁治権者庁‐訳者試訳>よりも、むしろprelature<オプス・デイが持つ属人区>について我々は話しますが、これは正確でしょうか?

 皆さんが連想している様にこの身分は条件付きのものでありまして、その正確な形式は後になってしか知る事が出来ませんので、依然として議論の対象となっています。

教義的な前提文書に含まれる提案への回答ですが、総長様はそれを何時頃提出するおつもりですか?

 私がこの文書を検討するに必要な時間を手に入れ、聖ピオ十世兄弟会の主要な代表者たちの意見を求めましたら直ぐです。と言いますのも、同等に重要な事柄に関しまして、予め相談もせずに自分で決定を下さないと私は自分の同僚たちに約束しているからです。

 ただ本会の決定は、公教会と霊魂たちの善の為に下されると私は皆さんに保証します。まだ数ヶ月継続される私たちのロザリオ十字軍は、公教会の御母であるマリアの御取次ぎを通して、かつてないほどに必要な理解と力の恩寵の獲得をこの私たちが許されるよう増強しなければなりません。(DICIn.240 du 14/09/11)


お祈りのお願い

2011年09月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の10月27日は、アシジの諸宗教の祈祷集会があります。そのようなことが起こらないようにお祈りをお願いいたします。また10月27日には祈りと断食と償いの1日を過ごして下さるようにお願いいたします。


 また、私事ですが、ブラザーたちと今週の水曜日21日からイロイロで黙想会に入ります。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。マニラには30日に戻ります。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

胡美玉さんの《樂在苦中》 第13章 尋問

2011年09月18日 | カトリックとは
第13章 尋問

 私はあらゆる苦しみを経験してきましたが、最も息苦しく耐え難いと感じたのは尋問の苦しみでした。共産党は人々に弁護士を持つこと禁じただけでなく、尋問をも邪悪なトリックや囚人への心理的な拷問へと変えたのでした。

 共産主義は無神論者です。彼らはあらゆる機会や出来事において、道徳の原則に縛られてはいませんでした。彼らは制限を受けず、しかも自分たちの目標を達成するためにあらゆる手段を用いていました。囚人の書面または口頭による自白を得るために、ある囚人は頭のめまいと目がかすむような強いライトの下で検査され、またある囚人は長くて退屈な説教をされました。取調べ人は当番や交代がありましたが、その間囚人は手錠をかけられつつ真っ直ぐ座ることを要求されました。囚人が少しでも抵抗を示した場合、直ぐに後ろの手錠で罰を受ける可能性がありました。

 私の場合、投獄された8ヶ月の間、120回尋問され、それは全カトリック教徒の囚人の中で最多でした。尋問は時には午前中であり、時には真夜中にも行われました。刑務所の守衛が私の囚人番号を書いた銅のプレートを地面に置いて、「1138、出てこい」というのを聞いた時、私はすぐに前に出て尋問室に行かなければなりませんでした。それはまるで逆らう事の出来ない軍の命令のようでした。後に、私は自分の試練には2つの理由があることに気が付きました。

 私と一緒に投獄された何人かの教区の信者と修道女は、私を気の毒に思っていました。彼らは言いました。「なぜ彼らは彼女に非常に多くの尋問をするのだろう?いったい彼らは何を恐れて学生である彼女を拷問するのだろうか?」 公安機関が何故私に非常に興味を持っていたのかが、私には解りませんでした。どうして彼らは単に私に刑罰を与えるのではなく、日夜の拷問で苦しめたのでしょう?

 先ず、共産主義者の目には、私は堕落していた人々に属していました。ところが、私はカトリック教徒となって僅か6年間だけであったので、彼らは私を共産党の仲間になるように強要することが出来ると信じていました。その上、、私は大学生で私の家族は皆異教徒でした。彼らの言葉によれば、私が「改心」する理由は多かったのです。率直に言いいますと、共産主義者は私を逮捕することを望んではおらず、また、刑罰を与えることすら望んでいませんでした。彼らは単に私を彼らの卑屈なおべっか使いか追従者にしたかったのです。この目的のために、彼らはあらゆる種類の方法を思い付き、何度も私を屈服させるためにあらゆる物を試しました。

 次に、私と一緒にいた若い大学生のほとんどはすでに降参していました。罰を軽くするためと自分自身が信用を得るために、彼らは情報を提供する必要がありました。私は大きな獲物であり、彼らは自分たちの功績のために私を利用することが出来たのです。取調べ人は、常にそういう人々から私についての情報をたくさん得ることが出来ました。彼ら共産主義者によれば、この情報は私と一緒に照合しなければなりませんでした。それは、私に対して成された全ての告発を認めざるを得ないことを意味しました。

 これらの尋問中、私はいつも自分の口をぎゅっと閉じて、黙ったままでした。また、私はどんな表情をも見せませんでした。私は自分のことを報告したカトリック教徒を気の毒に思いました。彼らのある者は事実を誇張し、全ての容疑から身の潔白を証明するために、私にその責任を押し付けました。彼らは自分たちのカトリック信仰を放棄しないだろうと言っていましたが、彼らはいわゆる「自由」と引き換えに私の不幸を利用したのです。もし、天主様の御恵みがなければ、私はおそらく共産主義者の絶え間ない尋問に発狂してしまったことでしょう。

 これらの試練の間、私は死んでいたかのように見えましたが、心の中は怒りの思いに満ちていました。私は魔法瓶のようでした。外側は冷たく感じましたが、内側は熱く沸騰していました。あのような非人道的かつ屈辱的な方法で扱われたら、どうして人は冷静なままでいられるでしょう?しかし、もし私が主張した議論したりしていたならば、眠くなって自身の判断する能力を失い、おそらく口にすべきでないことを言うことになり、その結果として他人を巻き込んでしまったかもしれません。何が起きようとも、私は自分が刑務所に入れられた後、自分の口を閉ざし続けることを考えていました。たた、私の天主様が自分の十字架がどんなに重いかをご存じでした。尋問から自分の牢獄に戻る度に、私は汗でびっしょりでした。心体の両方に対する拷問で私の心は破れ、その苦しみは筆舌に尽くしがたい物でした。

 試練に次ぐ試練で、彼らは私がソフトなアプローチに屈服するだろうと考えたので、私がすべての若者の中で最も有能で賢い女の子だと称賛し、また私が甘い花のようだと誇張し始めました。彼らの行動は不愉快で、それらのお世辞の言葉は全く恥知らずでした。前はゴミよりも悪いと非難され、こき下ろされましたが、今度はこのようなお世辞で賞賛されたのです。それは明らかに単なる劇の筋書きに過ぎませんでした。私は彼らのどんな言葉も、あまり気にしないようにしました。

 数日後、私の古い友人の何人かが私を訪れました。共産主義者に直面したとき、彼らは全員降伏してしまいました。彼らが私に言ったことから、非常によくその企みを知りました。彼らはそれぞれ共産主義者の理論をおうむ返しに言いました「私たちは皆、はっきりと自分たちの罪を認識し、それに説明を与えている。私たちはそうしても、全く自分たちの信仰と矛盾しなかった。今、私たちの心がどんなに平安か見ればいい。多くの司教も同じことをしたし、彼らに出来るのならば、なぜ私たちには出来ないというのだろう?あなた母はとあなたと姉の2人のために沢山苦しみ、泣き明かして目はほとんど盲目だ。神は私たちの両親を愛することを望んでいる。なぜあなたはこの命令に従わないのか?優れた人はその時間の波に乗り、流れに従う方法を知っている」私はこれ以上彼らに耳を傾けることを望まなかったので、こう答えました。「私はすべての物よりも天主様を愛し、そしてすべてを天主様において愛します。もし、誰もが時間の波に応じて浮草のように流れに従うならばどうなるでしょう。そして、どうしてあれほど非常に多くの殉教者がローマの300年間の迫害にいたのでしょうか?残念ですが、私たちは同じ道を進んではいませんし、一緒になることも出来ません。あなたたちは広い道を歩きますが、私は代わりに一本の丸木橋を歩くことを選びます」

 交通大学の俞玉成氏は、容赦なく私を訓戒し続けました。「君はあまりにもに単純だ、美玉。今は非常にしっかりと耐えることが出来ると思っているが、これは1日や1年間の問題じゃない。もし、刑罰を下されて労改農場に送られれば、君はあらゆる種類の虐待を受けるかもしれない。君は家族に甘やかされた娘だ。そんな虐待に耐えられるかい?その時になったら、そこから抜け出す方法を見つけるのは難しいだろう。自分が全生涯苦しむことに耐えられる人はほんのわずかだ。君は新米のカトリックに過ぎない。君は自分が最後まで信仰を保つのに十分な強さを持っていると思うかい?僕の考えでは、もし君が変わろうとするのならば早い方がいい。そうすれば、君は政府から友好的な配慮を得ることが出来るだけでなく、あらゆる種類の有利な扱いを受けるろう」

 私は自分の牢屋に戻ってから、彼の本当の「実用的な哲学」について考え、そして彼は天主様の力について一言も言及しなかったことがわかりました。私の未来は天主様の掌中にありました。私がどのくらい生きられるかは知りませんでしたが、私がこの将来が天主様の手に握られていると主張出来なかったら、今は躓いていたでしょう。彼らは私に望んだことは、この人生の見通しを追求し、それを諦めることでした。私はすでにこの刑務所に来ているのだから、前進し続けて後退は決してしないと決心しました。

 二日後、私がよく知らない陳天宝という名前の広東人の司祭がやって来ました。私は人から彼は過激派で修道女と結婚していたと知らされました。どうしてこのような司祭を信頼出来るでしょう?彼は私を見ると勿体ぶった態度で言いました。「私は神父です。あなたがしなければならないことは、恐れることなく自白を書き、そして私に神の御座の前に責任を負わせるようにすることです。龔品梅(上海の司教)は若者たちに明確な説明を行っていないから非難されているのです。実のところ、レジオ・マリエとして登録することと、龔品梅が反革命分子であると認めることは全く信仰とは矛盾しません」

 私はこの人が友人として来ていないことが分かりました。ですから、私は簡単かつ率直に彼に答えました。「龔司教様は私達と逮捕されました。そして、これは彼が自分の言ったことを実行したことを示しています。いわゆる司祭であるあなたに関して言えば、路上で偽物を売るユダヤ人と同様に虚勢を張ったり、空威張りをするだけです。私はあなたと一緒に行くことはありません。あなたが私のために責任を負うと言った時、私は誰があなたの行動に対して責任を負うのかと思いました。天主様の玉座の前に立つ時は、もう後悔するには遅すぎるでしょう」彼は繰り返し答えていいました。「胡美玉、あなたは非常に悪辣だ。あまりにも悪辣でつける薬はありません」

 共産主義者の最後の切り札は、その時60歳を超えていた私の年老いた母でした。私が逮捕されて以来、母は食べ物や水をあまり取ろうともせず、毎日私に面会するために刑務所に来ました。最初、警察は陰険で、娘は自分の犯罪で刑罰を受けるのに相応しいのだから、何もないところから災いを引き起こすことはないと彼女に警告しました。しかし、母は刑務所に来続けて何時間もそこに座り、「娘と一緒に刑務所に入れて」と彼らに懇願しました。おそらく彼らは母がまだカトリック教徒ではないことを知っていたので、彼らは数日後にこう言いました。「今日、あなたの娘に面会することに同意し、何か食べさせるものを持ってくることが出来るが、彼女が罪を認めるように促さなければならない」母は大喜びしましたがまた単純でもありました。母は一緒に来ていたばあやに、バターマロンケーキと何個かの豚まんを買うように頼みました。

 その日、看守は再び扉の前で「1138、出ろ」と呼び出しました。私は取調室までついていき、母とばあやの2人が手に2つの箱を持っているのを見ました。私が最後に華東大学で母を見た9月3日から何ヶ月も経っていました。この小さな別れは永遠のように感じました。今、私たちが再会したことで、複雑な感情が私たちの心に生じました。それは、イエズス様とマリア様の2人の御心が、大声で泣き叫ぶことなく言語に絶する苦痛を受けた十字架の道行の第四留と全く同じようでした。涙は時にはこの世で最も強い悲しみを表現することは出来ないのです。

 私のママはひどくやつれたように見え、目は真っ赤でした。彼女は衰弱しており、しっかりと立つことが出来ませんでした。刑務所では、私はひどく悩まされました。私の高度の近視の眼鏡は取り上げられ、全身は腫れて顔は青白く見えたので、私の外見は大きく変わっていました。彼女は私を見たとき、私のママは声を出して叫びました。 「なぜ私のかわいい娘がこんな風になったの?」 そこで、ばあやは言いました。「ここにあなたの好きな豚まんがありますよ」ママは続けました。「彼らは今日私たちに特別な好意を寄せてくれました。私たちがあなたのためにいくつかの物を買うために許可したから、バターマロンケーキも持ってきたのよ」

 私は空腹でしたので食べるのを待つことが出来ず、すぐに熱くてジューシーな豚まんを手にしました。ああ、とてもいい匂い!牢獄の中では長い間十分な食べ物を食べたことが無く、いったん自分の好物を手にすると、すぐに口に入れたいと思いました。しかし、最初の一口を食べようとした時、それを食べないようにと自分に言い聞かせました。私は悪魔に欺かれてはなりません。ちょうど、私たちの主イエズス様が砂漠で40日間断食し、悪魔に誘惑されたことを考えました。イエズス様は厳しく言われました。「人はパンのみで生きるには非ず 」他の囚人の身内の者が出来なかったのに、なぜ共産主義者は母が私のために食べ物を買うことを許可したのでしょう?それは、彼らが不純な動機を持っていたためでした。もし、今日この豚まんを食べたら、明日はチャーシューまんを食べ、しばらくしたら私は長い間続くるかもしれない苦難の試練に耐えることが出来ないでしょう。それから、私は自分の信仰を進んで棄てるでしょう。ですから、私はこの豚まんやマロンケーキを食べることが出来ませんでした。たとえ私の口が食べ物のことで涎でいっぱいになったとしても、そして飢えなければならなかったとしても、私は人間の本性のこの側面を制御する必要があります。

 この誘惑に抵抗する御恵みを下さった天主様に感謝。しかし、母が私に持って来た食べ物を食べないために母の心を痛めてしまったので、私は母に言いました。「今私はすでに刑務所にいるのだから、あなたが私に食べ物を持って来ることを期待してはいけません。私は独り立ちして単独でこの刑務所内であらゆるものに直面しなければなりません。そうでなければ、私に食べ物を持って来るのを毎日待つことになるでしょう。そしてその結果、彼らは私を脅すためにこの弱点を利用するかもしれません。だから、私が降参するまでは再び私に食べ物を持って来るのは止めて。 お母さん、ダムにはどんな穴もあってはいけないはずです。どんな小さな穴でもダムの決壊を引き起こすのだから」母はあまり私の言葉を理解していなかったにもかかわらず、共産主義者が何をするにもその目的を持っていたことを知っていました。もし、人が罠にかからなったら、彼らは何も出来ませんでした。逆に、もし人が罠にかかったとしたら、彼らはそう簡単にはその人を離そうとはしません。

 母は泣き叫びながら刑務所の外に出て行きました。彼女が立ち去る時の弱々しい背中と白髪を見つめることしか私には出来ませんでした。母は何度も何度も私を振り返って立ち止まり、涙にむせびながら言いました。「美玉、お母さんはあなたを心配せずにはいられないし、あなたを手放すことは出来ません!」私が痛みを伴う瞑想に沈んでいたちょうどその時、看守は怒鳴りました。「美玉、刑務所に戻れ!おまえは精神に異常がある、刑務所で生活するために良い生活を諦め、しかも米のお粥を食べて豚まんを拒否した。おまえは本当に深刻な精神障害を持っている」

 私が独房に戻った時、私は静かに考え始めました。私は自分自身を引き渡すべきでしょうか?そうすることは、実際に降伏と裏切りを意味しました。私は看守から紙とペンを求め、そしてその問題に議論を限定しようというつもりでした。それにもかかわらずどういううわけか、ペンを上げるたびに私の心は数千匹の昆虫にかまれていたように感じました。たとえ私が真実をほんの少し明らかにした場合でも、共産主義者は確実に全てを検証しようとしたでしょう。それは「単にレジオ・マリエのメンバーが反逆者であることを認めればそれでいい」と彼らが求めるようなものではなかったのです。

「誰も2人の主人に兼ね仕えることはできない」この世のすべての物の考えは真実に反します。私はイエズス様に従う必要があり、私が平和に良心を保てる唯一の方法は、カルワリオの丘までの自分の道を歩いていくことでした。もし私がそうしなかったら、刑務所から解放された後、私はおそらく本当に精神的に病気になっていたでしょう。結局、人は互いに相異なる物の両方を保ち続けることは出来ないのです。

【参考資料】聖ピオ十世会についてのバチカンの報道発表 日本語訳

2011年09月16日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、ブログ「バチカン・インフォメーション・サービス」による英語訳のバチカンの聖ピオ十世会に関する公式発表をご紹介しましたが、日本語訳を作って下さった方がおりますので、感謝してご紹介します。なお、この日本語訳は、原文のフランス語及びイタリア語に忠実であるように訳されております。英語訳は、ブログ Rorate Caeli に掲示されているもの、或いは、DICI に掲載されているものの方が忠実です。


聖ピオ十世会に関する公式発表


2011年9月14日、水曜日

 2011年9月14日、教理聖省の本部に於いて、当聖省長官であり『エクレジア・デイ』教皇庁立委員会の委員長でもあるウィリアム・レヴァダ枢機卿(William Levada)と、当聖省で事務長を務めるイエズス会のルイス・ラダリア(Luis Ladaria)大司教、そして当教皇庁立委員会の秘書グィド・ポッゾ(Guido Pozzo)司教らは、聖ピオ十世会総長のベルナール・フェレー司教並びに、総長補佐のニクラウス・フルーガー(Niklaus Pfluger)神父と、アラン・マルク・ネリ(Alain-Marc Nely)神父と面会した。

 聖ピオ十世会総長から教皇聖下ベネディクト十六世宛てに為された2008年12月15日の訴えの続きとして、教皇様は、ルフェーブル大司教が聖別した四名の司教に対する破門宣告を撤回し、また同時に、教義上の困難と問題を乗り越え、現存する折損を癒す目的で、当司祭会との教義上の話し合いの開始を決定した。

 教皇様の意志に従い、聖ピオ十世会及び教理聖省から選ばれた顧問たちで構成された共同の研究委員会が設立され、それは2009年10月から2011年4月の間に、ローマで八回に亘って面会した。これらの話し合いの目標は、論争のある諸点についての主要な教義上の問題を特定しかつ深く検討する事であり、双方の教義的見解とその動機を明らかにするという目的を果たした。

 第二バチカン公会議を聖伝との断絶とする『断絶の解釈』(2005年12月22日、ローマ教皇庁へのベネディクト十六世の訓話で言及された解釈)と対立するものとして、カトリック信仰の完全性を守る事に対して聖ピオ十世会が提示した懸念と要求を考慮し、教理聖省は、使徒座との完全な和解に至る為の根本的基礎として、教義に関する前置き文書の承認であるとし、この文章は2011年9月14日に会合の間に手渡された。この前置き文書は、公教会の教導権に忠実であること、また『sentire cum Ecclesia<公教会と共に考える>』ことを保証するのに不可欠な、カトリック教義を解釈する教義的な原理や基準を述べている。同時に当文書は、第二バチカン公会議の諸公文書とそれ以降の教導権に含まれる個別の表現や言い回しに関する検討及び神学的解釈について、正当な討論の可能性を残している。

 さらに同会合に於いては、聖ピオ十世会の教会法的な解決策を模索した幾つかの要素からなる提案が為されたが、もしかしたら期待された和解が続くかもしれない。



以下は、「レヴァダ枢機卿との面会」後のフェレー司教とのインタビューです。

Interview with Bishop Bernard Fellay after his meeting with Cardinal William Levada

At the conclusion of the meeting that Bishop Bernard Fellay and his two General Assistants had at the Vatican with Cardinal William Levada, Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith on September 14, 2011, at 10:00 a.m., the Superior General of the Society of St. Pius X answered our questions.

How did this meeting go?

The meeting was conducted with great courtesy and with equally great candor, because for the sake of honesty the Society of St. Pius X refuses to evade the problems that remain. Moreover the theological discussions that took place during these past two years were held in this same spirit.

When I stated on August 15 of this year that we were in agreement on the fact that we did not agree about the Second Vatican Council, I also made sure to explain that when it comes to dogmas, like the doctrine of the Trinity, we are quite obviously in agreement when we find them mentioned in Vatican II. One sentence must not be taken out of its context. It is to the great credit of our theological talks that they seriously examined and elucidated all these doctrinal problems.

The joint press release by the Vatican and the Society announced that a doctrinal document was delivered to you and that a canonical solution was proposed to you. Can you give us any particulars?

This document is entitled “Doctrinal Preamble”; it was handed over to us for in-depth study. Hence it is confidential, and you will understand why I say no more about it to you. However the term “preamble” does indicate that acceptance of it is a preliminary condition for any canonical recognition of the Society of St. Pius X on the part of the Holy See.


On the subject of this doctrinal preamble, to the extent that this does not concern its confidentiality, can you confirm that it contains, as announced in the press release, a distinction between what is de fide [essential to the faith]―to which the Society fully adheres―and what is dependent on a pastoral council, as Vatican II itself claimed to be, and thus could be subjected to criticism without calling the faith into question?



This new distinction was not only announced in the press release; I have personally heard it from various sources. As early as 2005, Cardinal Castrillon Hoyos told me, after I spent five hours explaining to him all the objections to Vatican II that the Society of St. Pius X had formulated: “I cannot say that I agree with everything that you have said, but what you have said does not mean that you are outside the Church. Write to the pope therefore and ask him to lift the excommunication.”

Today, for the sake of objectivity, I must acknowledge that in the doctrinal preamble there is no clear-cut distinction between the inviolable dogmatic sphere and the pastoral sphere that is subject to discussion. The only thing that I can say, because it is part of the press release, is that this preamble contains “certain doctrinal principles and criteria for the interpretation of Catholic doctrine, which are necessary to ensure faithfulness to the Church’s Magisterium and to "sentire cum Ecclesia" [thinking with the Church]. At the same time, it leaves open to legitimate discussion the examination and theological explanation of individual expressions and formulations contained in the documents of Vatican Council II and of the later Magisterium.” There you have it; no more and no less.

As for the canonical status that is said to have been proposed to the Society of St. Pius X, on the condition that it adheres to the doctrinal preamble: there has been talk about a [personal] prelature rather than an ordinariate; it this correct?

As you correctly note, this canonical status is conditional; only later on will we be able to see the exact modality of it; it still remains a subject for discussion.


When do you think you will give your answer to the proposal in the doctrinal preamble?

As soon as I have taken the time necessary to study this document, and to consult with those who are chiefly responsible for the Society of St. Pius X, because in such an important matter I have promised my confreres not to make a decision without consulting them first.

But I can assure you that our decision will be made for the good of the Church and of souls. Our Rosary Crusade, which continues for several more months, must be intensified so as to enable us to obtain, through the intercession of Mary, Mother of the Church, the graces of light and strength that we need more than ever. (DICI no. 240 dated September 14, 2011)



【参考資料】バチカンの報道発表聖ピオ十世会について

2011年09月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、参考資料としてバチカンの報道発表をご紹介します。

COMMUNIQUE CONCERNING THE SOCIETY OF ST. PIUS X (VaticanInformation Service)



<http://visnews-en.blogspot.com/2011/09/communique-concerning-society-of-st.html>

COMMUNIQUE CONCERNING THE SOCIETY OF ST. PIUS X

VATICAN CITY, 14 SEP 2011 (VIS) - At midday today the Holy See Press Office released the following communique concerning the postion of the Society of St. Pius X:

"On 14 September at the offices of the Congregation for the Doctrine of the Faith, Cardinal William Joseph Levada, prefect of the congregation and president of the Pontifical Commission 'Ecclesia Dei'; Archbishop Luis Francisco Ladaria Ferrer S.J., secretary of the congregation, and Msgr. Guido Pozzo, secretary of the pontifical commission, met with Bishop Bernard Fellay, superior general of the Society of St. Pius X, who was accompanied by Fr. Niklaus Pfluger and Fr. Alain-Marc Nely, respectively first and second assistant general to the society.

"Following the appeal of 15 December 2008, addressed by the
superior general of the Society of St. Pius X to His Holiness Pope
Benedict XVI, the Holy Father decided to remove the excommunication
against the four bishops consecrated by Archbishop Lefebvre. At the
same time, he approved the opening of discussions with the society in
order to clarify doctrinal problems and to heal the existing rift.

"In order to put the Holy Father's instructions into effect, a
joint study commission was set up, composed of experts from the
Society of St. Pius X and from the Congregation for the Doctrine of
the Faith who met in Rome on eight occasions between October 2009 and April 2011. Their discussions, which aimed to identify and study the
essential doctrinal difficulties in the controversial issues, had the result of clarifying the positions of the two sides and their
respective motivations.

"While bearing in mind the concerns and demands presented by the
Society of St. Pius X about protecting the integrity of the Catholic
faith against Vatican Council II's 'hermeneutic of rupture' with
Tradition (a theme addressed by Pope Benedict XVI in his address to
the Roman Curia on 22 December 2005), the Congregation for the
Doctrine of the Faith maintains that the fundamental basis for
achieving full reconciliation with the Apostolic See is the
acceptance of the text of the Doctrinal Preamble, which was handed
over during a meeting on 14 September 2011. The Preamble defines
certain doctrinal principles and criteria for the interpretation
Catholic doctrine, which are necessary to ensure faithfulness to the
Church Magisterium and 'sentire cum Ecclesia'. At the same time, it
leaves open to legitimate discussion the examination and theological
explanation of individual expressions and formulations contained in
the documents of Vatican Council II and later Magisterium.

"At the same meeting, certain suggestions were made for a canonical
solution to the position of the Society of St. Pius X, with a view to
achieving the desired reconciliation".
OP/VIS 20110914 (450)
-----


--
Fr Thomas Onoda, FSSPX




トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

胡美玉さんの《樂在苦中》 第12章 聖母マリア様と同じ日に生まれた

2011年09月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
第12章 聖母マリア様と同じ日に生まれた

 1955年9月3日から9月8日、彼らは私を沈黙の中に座らせ続けました。共産主義者はさまざまな方法で人々を扱いました。絶えず活発に批判するか、またはただ一人で座らせました。

 彼らが私を一人にした時、私はこの余った時間を自分の目を閉じたり、束の間の休息を取ったり祈り続けるために利用することが出来ると考えていました。学校は権威と権力を持っていましたが、彼らは私の心を支配することは出来なかったのです。

 9月8日の10時頃の私が既に床についた後、私の学友が突然やってきて、起きるように私を促しました。彼女は私たちの学長である劉仏年氏が私と話をしたいと言いました。こんな真夜中に私と話を?私はその時が来たことが分かりました。私は学長室の建物まで歩き、パトカーがそこで待機していたのを見付けました。自然と私は十字を切り、「フィアト(主よ、御旨のままに)」と唱えました。

 私が歩いて中に入る時、劉学長は非常に真剣に私に言いました。「学校は君を救うために多くの事をしたよ、胡美玉。しかし、君は常に反抗し続けた。さお、9月3日付のこの逮捕予告を見たまえ。私たちは君のために尽くしているが、すべては無駄のようだ。9月8日の今日の時点で、私たちは君を逮捕しなければならないが、学校は一年間、君の学籍を保留する。政府はいつも、若者、特に大学生に対して寛大を旨としている。刑務所にいたとしても、まだ選択肢があるだろう。君が自分の罪に気付いた時にしなければならないのは、君がしたことを告白することだ。そして、学業を続けるために学校に戻ってきなさい」

 これらの言葉の後、警官が私のところに来て、逮捕状に署名するよう私に要求し、彼らは手錠をかけました。連行する前に、彼らは私の衣服、石鹸、タオル、その他の日用品を集め、パトカーに載せることを私のクラスメートに要求しました。

 いわゆる反帝愛国反動は既に至る所で見られたので、逮捕されたことは、私にとっては驚くことではありませんでした。誰もが社会的関係や3代前までの個人的な歴史の調査を受けることにより、この重大なテストに合格しなければなりませんでした。彼らカトリック司祭、修道士、修道女、そしてレジオ・マリエの何人かの若いメンバーは、既に標的として選択されていました。私は、多くの海外との関わりを持つ資本家の家族に生まれ、レジオ・マリエの会長でした。私はまた、カトリック系大学の学生を指導する責任を負っていました。したがって、私は彼らの大きな獲物であり、どうして彼らが私をそう簡単に逃がすことが出来たでしょうか?

 苦しみを恐れることは、人間の本質の一部です。誰も自分の家族を放棄し、囚人になることを望んではいません。しかし、このような状況が私に起こると、殉教者か裏切り者であることしか選択出来ませんでした。殉教者でないならば、私は確実にユダとなるでしょう。このような厳しい試練に直面し、ほとんどの人が、永遠の命を賭けない選択をするのではないかと私は思います。そのような深刻な状況下で、カルワリオの丘までずっとイエズス様に従うのと同様に、マリア様に従うために、自宅や学校から離れ、全ての世俗的な望みに別れを告げて、すべてを賭けなければなりませんでした。

 9月8日は聖母マリア様御誕生の祝日でした。天主様は、私たちがこの日に投獄されるようにお選びになりました。それは、別の新たな犠牲の生活を始めるためと、過去に属していた全てのものを捨て去るために、私たちが刑務所で童貞聖母マリア様と共に生まれることをお望みになられたからです。

 私はパトカーの中に座り、人の人生はドラマに過ぎないという黙想をしていました。もし、私自身が女優であるならば、今日私は「投獄されること」を演じるつもりでした。どんなに酷く虐待され、どれほど多くの悲劇があるかが、この劇の筋書きの要素となるはずでした。私がしなれればならないことは、上手く自分の役割を演じることでした。聴衆が誰であるということに関すれば、私たちには天国の勝利の教会、数多くの聖人と天使、私たちの天主様、そして聖母マリア様がおられました。そして、私たちの犠牲と祈りによって天主様の御恵みを受け、天国に上げられるのを待ち望んでいる煉獄の霊魂。世界中の教会も私たちを見ていました。教皇様がお導きになる教会は、拷問や試練を受けていた人たちの行動を心配していました。キリスト様がこの祝宴に与るために私を御招待して下さったのなら、私はどんな言い訳をしても拒むことはないでしょう。饗宴の食卓の上で、私は天主様の子供であったことを忘れることはありません。たとえ、思春期が過ぎ去ったとしても、また命を諦めさせられたとしても、私は決して途中で止めることはありません。勝利とは、人生の最後まで信仰と忠誠心を維持することです。誰もがある期間は熱心であるかもしれませんが、何年間、何十年間、最後までそして永遠に続けた人だけが貴いのです。

 刑務所に到着すると、私は多くの教区の信者に出くわし、真夜中になってからも男子刑務所には、多くの人が来ました。このことは、本当に驚異的な嵐だったことを意味しました。私は姉の梅美珍が心配でした。私のように不運な目にあったかもしれなかったからです。そして、母のことを考えられずにはいられませんでした。年老いて、どうして自分の娘2人を両方失ったことに耐えられるのでしょう?私は聖母の汚れなき御心に母を委ねずにはいられませんでした。天主様は私たち自身の母親を含めた全ての者よりも自分を愛するように私達にお求めになりました。ですから、この刑務所に入ってから私は固く決心しました。もし、母が私をつまずかせる原因になるのならば、私は天主様に私の魂をより早く受け取るか、または母がより早く天に上げられるかをお願いしようと。私にとって、最も大きな誘惑は、母への親孝行でしたので、私は天主様の慈悲にすがらなければなりませんでした。何が起ころうとも、私は自分自身を天主様から引き離すことはないと。

 刑務所は非常に混雑しており、ひどい臭いでした。彼らは、囚人が自殺するのを防ぐために、メガネと腰のベルトが刑務所では許されないことを告げました。その結果、私は自分の強度な近視用の眼鏡を外すことを余儀なくされました。彼らはまた、囚人が歯ブラシを使用することを禁じました。どうして、人が自分の歯を磨くことなく生活することが出来るのでしょう?囚人が歯を磨くのを防ぐ理由は、歯ブラシが自殺をするために用いることが出来ることでした。もう一つは、トイレの使用の制限でした(私たちは牢屋内で鍵をかけられ、警備員は私たちがトイレに行けるよう、1日4回だけ扉を開きました)。彼らはこうしたのは、単に私たちが動物よりも悪い生活を送るように意のままに操るためだけのようでした。

 一日には2度の食事しかありませんでした。彼らは一種の糊のように見える腐った野菜やカボチャの皮と一緒に調理したお粥を与えました。私は食後の度に吐き出したので、私の体重は急速に落ち、僅か35キロになりました。天主様により早くお会い出来るように望んでいたので、私はもっと重い病気になるように望んでいました。

 彼らは私の為に、特別に白いご飯や白い麺を運んできたので、私の意図を見通していたのかもしれません。最初は、「なぜ私に特別扱いをするのですか」と問いかけて、食べることを拒否しました。しかし、陳マザーとここの刑務所の他のカトリックの友人が、食べるように私を説得しました。彼らは私の体が弱く、私が何も食べ物をとらなかった場合、私の精神(意志の力)に影響を及ぼす可能性があり、体と同様に弱くなるかもしれないからと言いました。もっとも、彼らは私の病気のために食べ物を運んできたのですから、私は単に食べるべきでした。

 私は、王培珍、潘霞雯、顧進、陳桂マザー等が、刑務所で私と共にいたことを記憶しています。彼らは皆、非常に勇敢で、多くの異教徒や他の不信仰者に善い模範を示し、その人たちを感動させました。

 私の家族がまだ異教徒のままであり、私がカトリックになって6年しか経っていなかったという事実を彼らが知った時、天主様が私をお選びになったのだから、私が受けた恩寵に背を向けないようにと励まして下さいました。

【参考資料】

 我們將開始播送《樂在苦中》。那時,我們將讓她自己來說明。現在我們且誦讀《樂在苦中》書中的第一篇序,藉此介紹著者胡美玉這位昔日公青。

  我認識作者胡美玉女士已達半個世紀之久,她出身富裕的外教家庭,受過高等教育,青年時代,她反覆思索尋求真理,不顧家庭的傳統束縛和反對,領洗信仰羅馬公教。
  在一九五五年大陸的天主教教難中,她和千萬公教青年一起為了堅持教會的至一至公性,不畏強暴,不受利誘,毅然被迫離開家庭,放棄學業,寧被流放到荒無人煙的窮鄉僻壤,數十年來,歷經坎坷的生涯,為主作證。

***

 胡美玉說得好,她的大姐「內在有個心結」。在這個心結尚未解開之前,她的大姐,雖然在家中「阿四身上看到宗教的力量」,而且也學習了教理,總是沒有領洗進教的意願。大姐在甚麼時候解開了內在的心結呢?胡美玉記述,說,有一天


  她對姐姐直言不諱地說:「姐姐,你一生是個好人,但有一件事很遺憾,你對小女兒的愛護太不夠了!你不能因自已受到委屈而虧待她,使她幼小的心靈即蒙上一層陰影,其實說到底,我們每人身上都有罪惡和過錯,天主是仁慈的,再大的罪只要悔改,天主一定赦的。」聽了這話,她姐姐便對她說:「你說得很有道埋,我即將離開這個世界了,我應該對自已的言行作一總結,待我好好想一想再和你談。」



胡美玉さんの《樂在苦中》 第11章 嵐の前の突風

2011年09月13日 | カトリックとは
第11章 嵐の前の突風

 私の枕元には、小さな包がいつ用られるか分らないまま置かれていました。そして、その包は3年以上もそこにありました。警察が突然来たら、人は気付かない内に捕まってしまうでしょう。しかし、時には彼らの到来を察知するための、特定の手がかりがあります。1955年8月20日の暑い日、2人の学友が突然私の家に来た時、私は昼寝をしていました。学長と共産党の秘書が私に会わなければならないというので、彼らは、何着かの服をとって来るように私を急かし、すぐに学校に戻りました。私はそれに伴って脅威を感じ、そしてそれは明らかに悪い前兆でした。ですが、私は従う他にありませんでした。私達が学校に到着した途端、クラスの会長は、私がたった今から自由を失い、挙動を監視する4人のクラスメートによって見張られることを発表しました。私はこのすべての大騒ぎの背後にある理由を知らせるよう求めましたが、彼らは無口のままで、私に言った唯一の事は、後で分かるということでした。

 学長は、政府がカトリック教会内部の反革命分子を排除するための大規模な運動を開始することを、私に告げました。彼らが持っていた情報によれば、私は重大な反革命的犯罪により有罪であるということでした。私が若くて、単に深く毒されていたことを考慮して、彼らは私が最短の期間で機転がきくように学習し、カトリック教会内部の帝国主義者と反革命的なメンバーを報告することや、暴露することを望みました。その結果、政府の寛大さにより、私が正直であれば罪を軽くするかもしれないということでした。同時に学長は、はっきりと念を押して、私が司教と他の人の今後の人民裁判に出席し、彼らに面と向かって批難することを要求しました。私は彼の最後の言葉を鮮明に覚えています。「胡美玉、あなたは膨大な数の若者たちと教会のメンバーに影響を与える可能性があり、普通の人の大半に変化を引き起こすでしょう」

 それは私の信仰が試される時間でした。私は、「三つの否定」(三不)を確実に用いて、悪魔からの誘惑に抵抗せよという神父様の教えを、すぐに思い出しました。"三つの否定とは"読まない、聞かない、答えないことを意味していました。私たちの祖先のイブが誘惑に直面したとき、悪魔に話しかけず、耳を傾けなかった場合、禁断の果実を食べることはなかったでしょう。私はすでに洗礼の時に、神聖で善き天主様を怒らせるよりは、むしろあらゆる苦難の中に身を投げると誓っていました。しかし、今ではその言葉を実行する時でした。自分が素手で戦っている、ただ無力でか弱い若い女の子だったことを考えると、どうして私がそのような権力や専制政治と対抗することが出来るというでしょう?しかし、私には全能の天主様が私の側におられたことは疑いようがなく、従って私は何も恐れませんでした。

 翌朝、彼らは全力でまるで大砲のように私を攻撃しました。それは、クラス会長が私自身の自由を失ったことを発表し、二人のクラスメートが一日24時間中私を交代で監視することから始まりました。階下の寮には、私の犯罪行為をびっしりと書き立てた二つの大きな黒板がありましたが、わざわざ一目見ようという気にもなりませんでした。それらは、「反革命分子胡美玉を打倒せよ」や「完全な説明こそが、あなたの唯一の方法だ」等の大きな文字で書かれたスローガンやモットーで覆われていました。どんなに多く書いても、気にしなければ全く単に役には立たず、せいぜい臆病な人に威圧的であるかもしれないと私は考えました。 

 彼らは朝の8時に「批判会議」を開始しました。クラスの会長は甲高い声で言いました。「私たちの間に隠れていた反動分子の胡美玉をここから追い出そう!」 二人のクラスメートは私を引きずったり蹴ったりし、私は荒々しく前面に押し出されました。何回か、彼らは強制的に自分の手で私の頭を押さえつけ、そして私はその度に頭を上げようとしました。私のクラスメートは完全に怒り狂っていました。彼らは私がクラスの恥になる可能性を恐れたためか、または階級敵に対する憎悪なのかは分かりませんでしたが、誰もが自分の手を振り上げ、自分の声が聞こえるように努めました。彼らが何を話していたのかはっきり聞くことが出来ませんでしたが、私は何人かの親友が、震える声で言うのを聞きました。「胡美玉、私たちはあなたとは境界線を引きます」親愛なる友よ、その言葉を言うことでしか身を守ることが出来なかったことは理解しています。そして、あなたの心が震えていたことも。

 その時、私は本当に自由が何であるかに気付きました。私は気が楽になっていました。私は自分が望まないことは何も言いません。私の自由意思は常に自分の掌中にありました。ところが、悲しいかな、私ととても仲の良かったクラスメートは、心にない言葉を言うことで自分自身を救おうとしていました。彼らは心の自由意思を失ってはいなかったでしょうか?私は彼らが気の毒でなりませんでした。

 批判会議は4時間続きました。そして、昼食の後、学部長は望んで私と一緒に数時間続いた話をしましたが、私は黙ったままでした。

 毎日、このような会議や会話による攻撃は10時間以上続き、彼らは何度も繰り返し同じことを言いました。教会の中で彼ら外国人と中国人の司祭は帝国主義者で反動主義者であると私が告白するのを聞く他には何も望んでいない。私は彼らによって毒され、浸食されていた。彼らの企みを暴露して文書にし、自分のような毒された若者のリストを手渡せば、私は自分の教育を続しけ、明るい未来を持てると。

 私は天主様の子です。私は悪魔の立場からこの問題を捉えることが出来ませんでした。私たちのカトリック教会はその教えにより、私たちの霊魂を救います。それがどうして害毒であるのでしょう?私が他人に自分の責任をなすりつけるならば、それは悪魔のロジックと企みです。最後の審判で、天主様の前に立ち、「私は罪を犯すつもりはありませんでしたが、誰かが私にそうするよう強制しました」とどうして言えるでしょう?その上また、私は裏切り者となり、慈善の美徳に矛盾した「功績」を立てることが出来るでしょうか?

「私たちは介入しません。私たちはあなたの神への信仰には反対しません」と共産主義者は繰り返します。しかし、いつでもどこでも、彼らは慈善の美徳に背くよう私たちに要求します。慈善という法律に背いて罪を犯す人々の信仰は、単に砂の上に築かれているだけに過ぎません。どうして、彼らは安全でいられるでしょうか?もし、彼らが大釜の下から薪を取り除いたならば、どうして火を起こすことが出来るしょうか?いつも私に明晰な頭脳と、賢明な意識を与えて下さった天主様に感謝。教会は私に毒を盛ろうとはしませんでしたが、共産主義者はそうしました。彼らは強制的に私が天主様を棄てるために、脅迫と賄賂を用いました。

 およそ二週間後は、新しい学期の始まりである9月3日でした。彼らは、クモの巣だらけでほこりまみれの空き部屋に一日中私を閉じ込めました。部屋の真ん中に小さな木製の腰掛がありました。私は壁に向かって黙想するように命じられました。多分、それは彼らが私のために作った模擬の刑務所でした。私のクラスメートがあまりにも私を批判するのに忙しすぎ、かつ私は決心をしていたので、彼らは冷淡かつ無関心な態度で私を扱いました。聖パウロはこう言われました。「すべては神を愛する者にとってすべては良い」(ローマ第8章、28節)様々な物の変化に対し、私は一貫して不変で対応するという基本原則に固執することにしました。そして、私は誘惑に抵抗するための祈りを増やしました。
夕食後、私のクラスメートは、寮から教室に私を連れて行きました。私が教室に足を踏み入れた途端、私は母と姉の美珍がそこに座っているのを見ました。私は再び2人を見たので嬉しく思いました。私の心には喜びと悲しみが入り混じっていました。私が家を出ることについてあまりよく考えておらず、母が晴れやかだったのが私には嬉しく、この見世物が続くとしたら、それは逮捕で終わるかもしれなかったので私には悲しかったのです。

 姉の美珍は、直ぐに寧波の方言で私に話しかけました。「あなたが苦難を耐え忍ぶことが出来ずに、自分自身をユダにしてしまうのではないかと思うと恐い」私は彼女に言いました。「美玉は、むしろ教会を裏切るくらいなら死んだ方がましだというメッセージを神父様にお願い。でも気を着けて!嵐が来ている」

 母は、当時は異教徒でしたが、すでにかなりカトリックの方に傾いていました。毎日、彼女はロザリオ数十環を私のために唱え、何度も何度も私に言いました。「私の美玉、いい子でいなさい。苦しむことを恐れないで。お母さんは反抗的な娘は要りません」私は天主様から御恵みを得て、その言葉を聞いた途端、私の心の中の痛みは消えていました。私の愛する異教徒の母は、確かにある勇気を持っていたのです!そして、本当に母はカルワリオの丘まで、他の信心深い女性たちと一緒に聖母マリア様について行ったのです。この世の人間にとって、これより大きな御恵みがあるでしょうか?

 私はその後、自分の時計と金の鎖を外して自宅に持ち帰るように母に願いました。私は深い愛情を持って母に言いました。「お母さん、娘は忠孝の両方を全うすることは出来ません。ですが、私たちの善き天主様が報いて下さるよう祈ります」

 学校の人々は私たちが話していることがよく解らなかったのですが、私たちの表情を観察した後、彼らはそれが有利な状況ではなかったことを知ったので、すぐに私の母と妹を追い出しました。何人かのクラスメートは、悪意を持って言いました。「何と反動的な一家だ!」彼らは母娘間の愛を利用することによって私の信仰を揺さぶろうと目論んでいましたが、誰が正反対の結果を得られると知っていたでしょう!母の信仰は、その後いっそう堅固になりました。

 9月4日、学校の人は私の教区の信者で、交通大学の学生である兪玉成氏と楊文奎氏の2人が提供した二件の文書を、私に見せました。彼らはいくつかの情報を書き、私を有罪としていました。私はそれぞれの文書が10ページを超えていたと思いました。いつもの習慣通り、私はそれらを脇に置きました。

 校長は言いました。「君はまだ信じられないかもしれないし、私たちが君を騙していると考えているかもしれない。だが、君に告げよう。今夜は2人共自ら姿を見せるだろう」

 夕食後、彼らは大学のスクールバスでやって来ました。彼らが私と対面したとき、彼らはまっすぐな目付きで私を見ようとはしませんでした。その後、学校の会長は、「君たちの思想はもう明らかにされているのだから、自分自身の経験について、美玉に教えてやりなさい」と発言して彼らを促しました。最初、彼ら2人は、それらの文書が、自分自身の自由意志で書かれていたことを認めました。そして、彼らは口実を見つけ、私に不正直な多くの理由をつけて、私たちは将来や私たちの家族のことを考えるべきで、政府は私たちの信仰を放棄するよう命令していないのだから、私たちは極端な行動をとるべきではないと言いました。彼らは皆、私を彼らに従わせようと望んでいただけで、それぞれの役を演じました。私は単純に答えました。「私たちは同じ道を歩んではいません。従って、私たちは一緒に集うことは出来ません。あなたは、広い道を行きますが、私は代わりに一本の丸木橋を歩くことを選びます」

 彼らの2人は功績を立てるために、どこでも告発大会に参加したし、多くの人を告発したので、彼らは共産党からの刑事処罰を免除されただけでなく、民主青年組織の代表となりました。さらに、彼らは天主愛国協会(中国共産党によって設立され、コントロールされている組織)の幹部にすらなったのです。

 彼らの口から、その時十人あまりの若い大学生が学校に戻って自白するように命じられたことを聞きました。ところが、固く信仰を守るために逮捕されたのは、僅かに私ともう一人の学友だけでした。

 現在、楊氏と兪氏の二人は、病気で亡くなっています。私はアメリカに行く前に彼らを訪問しました。兪氏は、真剣な言葉と思慮深い心で、私にこう言いました。「あなたは最善の道を選んだよ、美玉。あなたは長生きし、米国に行く幸運を持つような天主様の祝福がある。私は自分があなたより劣っていたのを後悔とともに認める」 私は答えました。「あなたは私が非常に弱いことをよく知っています。しかし、天主様の慈悲は常に私達と共にあります。すべての栄光と賛美は、天主様に帰せられますように。私たちはみな、過ちを犯します。ですから、私たちは天主様の御慈悲にすがる必要があります。私たちは罪人であり、私たちはみな、罪の赦しのために天主様の御慈悲を必要としているのです。ユダが最後に自分の重い罪のために後悔の念を感じた時、彼はキリストの御慈悲を信じておらず、真の希望を持っていなかったので、自殺しました」

 私は彼の目に涙を見ました。私たちは30年以上にわたり、離れ離れになっていました。私たち皆に、人生の最後の段階がやって来ます。個人的な恨みや感謝の気持ちは、その時には少しも重要ではありません。私たちの急務は、自分自身で準備し、神の楽園で互いに会いまみえる様に希望することです。
数年前、私は彼が脳出血で死亡したと告げられました。実際、何年もの間、彼は物質上または公的な業績において、いずれも幸運ではありませんでした。彼は非常に懸命に働いていたものの、上司の信頼を得ることが出来ず、国立の大学で良い位置を得ましたが、昇進することが出来ませんでした。彼の大きな不安と彼の働きぶりが認められず、また彼の上司から信頼されていなかったという事実のために、彼の心は平穏ではありませんでした。イエズス様は私たちに語りました「人はふたりの主人に仕えることはできない」(マタイ第六章、24節)こうも言われました。「あなたがたにいっておく。私の名前のために、家または兄弟や姉妹や父親や母親や子供や土地を捨てる人には、100倍かそれより多く受けるだろう、そして永遠の命を受け継ぐだろう」(マタイ 第19章、29節)

 当時、私は司教や他の多くの司祭と共に、9月8日の聖母の祝日に出席する招待状を受け取りました。 9月4日から毎日、私は深く祈りに埋没し、十字架の道のために自らを準備しました。

香港とフォルカード司教

2011年09月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は聖母マリアの御名の祝日です。

 ところで、香港のカトリック教会は1841年4月22日に創立しました。(香港は1841年1月26日に創立しました。)

 最初はスイス人司祭のジョゼ神父が責任者になりました。1842年2月26日に最初のカトリック教会で最初のミサが捧げられます。しかし、当時、香港は疫病が流行っておりジョゼ神父は、1842年8月に亡くなります。

 そんな時、中国大陸を目指ししばらく香港にいたイタリア人司祭のフェリチアニ神父が後継になります。ただし、数年間は違いました。何故なら、当時、日本に行くことができなかったパリ外国宣教会のフォルカード司教がしばらくの間香港の教区長になったからです。この時、パリ外国宣教会の極東本部はマカオから香港に移りました。(1847年)

 フォルカード司教の姉妹はフランスでシャルトルの聖パウロ会のシスターでした。そこで1848年、自分のシスターを香港に呼んでいます。

 フォルカード司教もフェリチアニ神父も香港を去って目的地に行くと、アンブロージ神父が後継になります(1855年)。アンブロージ神父が1845年に香港に来た時は香港には二万人が住んでいました。1855年には73,000人になっていました。現在の香港の人口は7,500,000人だそうです。


 そんなフォルカード司教様の跡を慕って、フォルカード司教様がしていた同じ聖伝のミサを聖ピオ十世会は香港でも捧げています。

フォルカード司教よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@香港「山頂」にて
アヴェ・マリア!

ところで、昨日9月11日の香港での聖伝のミサには31人が与りました。22名が聖体拝領をしました。天主に感謝!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

教義の問題、信仰の問題、真理の問題

2011年09月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 「悪魔の最後の戦い」が、最近、三上教授のブログ「けれど」に連載されています。是非、お読みください。

 ベネディクト十六世教皇も言うとおり、聖ピオ十世会は教義の問題を提起しています。

 正に、教義の問題です。正に、信仰の問題です。正に、真理の問題です。

 ルフェーブル大司教がエキュメニズムを受け入れ拒否をしたのは、アシジの精神を拒否したのは、教導権からの明白な教えによるからです。レオ十三世の回勅 Satis Cognitum (1896)、ピオ十一世の回勅 Mortalium Animos (1928)、1949年12月20日のエキュメニズムに関する聖座の教えなどです。

 ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会にとって受け入れられる唯一のエキュメニズムとは、唯一なるキリストの教会、ローマ・カトリック教会への他の信仰告白の成員たちの無条件の立ち帰りを求めるエキュメニズムです。

 カトリック教会は二千年の間、「アシジの祈祷集会」に見る「アシジの精神」のエキュメニズムを拒否し排斥してきたからです。

 私たちは、天主の御助けで、過去の一貫として変わらないカトリック教会の信仰を信じます。もしも、信仰を何も変えない聖ピオ十世会が間違っていたとしたら、過去のカトリック教会は二千年の間間違っていたことになります。そんなことはあり得ません。

 過去のカトリック教会の信仰と教えを捨てて、新しい教えを呑み込めとは、ローマも私たちに従順を強要できません。先ず、しなければならないのは信仰です。

 信仰のために従順があるのであって、従順のために信仰があるのではありません。

 私たちは第二バチカン公会議以後、「従順」の名前によって背教を強要されていました。今こそ、それに目覚める時です。


 至聖なる聖心よ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第10章 反帝愛国運動

2011年09月09日 | カトリックとは
第10章 反帝愛国運動

 共産主義とカトリックは相容れません。どのような状況下でも、共産主義者はカトリック教会を破壊する為の行動を取ります。共産主義者の目には、すべての外国人司祭(彼らが中国を除いたどこの国に所属しようとも)と修道女は「帝国主義者」に映りました。1951年にはレジオ・マリエは標的であり、その僅か2年後には共産党政府は、上海のすべてのカトリック教会を閉鎖し、ほとんどすべての司祭や何人かの修道女を逮捕しました。

 1953年6月16日の夜は特別でした。私たちの教区の君王堂では、壮大なパーティが開催され、ステージの上では、「聖アグネス」という素晴らしい劇が上演されていました。ゲームや会食もありました。それは非常に賑やかな夜のパーティーで、誰もが素晴らしい時間を過ごしました。しかし、暗闇の中からギラギラと光る警官の目が私たちを見ていたことにに、だれが気が付いたでしょう?彼らは私たちにとびかかりました。翌朝、教会の門の前には、手に銃を持った警備兵が立っていました。私たちの神父様の一部は逮捕され、残りは自分の部屋に拘束されました。一部の信者が朝ミサのために教会に来たとき、彼らは門が閉じられているのを見ました。何か普通でないことが起こったようでしたが、それでも彼らは去ろうとはしませんでした。彼らは駐車場で待ちに待ちました。午前9時30分頃、警察は、朱洪声神父様に、説教や告白を聞くことなく、だだミサを捧げるために御御堂に入ることを許可しました。ミサの後、彼らは再び神父様を自分の部屋に連れて行きました。私たちは朱神父様の目が両方赤くなっているのを見ました。多分、彼は前の晩によく眠っておらず、また、涙を流していたのでしょう。彼は腫れた腕と手首をさすり続けました。長い年月の後に神父様は、彼がミサを捧げることを許された理由を私に語りました。朱神父様は豊かな家庭に生まれ、若かっただけでなく、海外から戻って数年しか経っていませんでした。共産主義者の計画では、彼を逮捕するのではなく、甘い言葉で誘惑して裏切者にしようという方針を立てていました。朱神父様は固く拒絶し、最終的に逮捕されました。

 当時は、まだ定期的な礼拝はありませんでしたが、ますます多くの信者が来続けました。毎朝ミサの後に私たちは、朱神父様に祝福を求めるためにセメントの地面に跪きました。私たちの内の数人は、神父様の手にパンとクッキーを握らせる危険を冒しました。ある者は大声で、「私たちは母なる教会、そして敬愛する神父様を永遠に熱愛します」と言いました。私たちの小教区付近の南昌路にある別の司祭の司祭館も、立ち入りが制限されていました。若い学生のカップルは、顔がレーニンにそっくりなそこのハンガリー人司祭に食糧を届けました。二人の若い学生は、司祭に食糧を与えたために学校から追放されました。敵が羊を攻撃しようと望んだとき、常に先ず確実に羊飼いを攻撃します。私たち羊の群れは、臆病者ではありませんでした。私たちの司祭にパンを送るために、互いに手を取り合って体で壁を築きました。そして、私たちは簡単には恐れないことを示すために、地面に跪き続けました。これにより、共産主義者は一定の間、私たちに対してこれ以上狂気の行動を起こすのを止めました。

 上海の私の小教区「君王堂」は、イエズス会のカリフォルニア管区に所属していました。私たちには4人のアメリカ人司祭がおりました。フィリップス神父様は主任司祭で、ジョン・ハウル神父様は助任司祭でした。彼らは2人ともその夜に逮捕され、(1953年6月16日)、懲役4年の刑を宣告されました。刑に服した後、1957年に彼らは強制送還されました。私たちには、1955年に逮捕されて懲役20年の刑を宣告されたザビエル朱樹徳神父様と、同じく逮捕されて懲役18年の刑を宣告されたヴィンセント朱洪声神父様の2人中国人司祭がおりました。

 フィリップス神父様とハウル神父様が逮捕された時、彼らの家族はアメリカにいたので、誰も彼らが刑務所にいた頃に食糧や日用品を送っていませんでした。宣教師司祭として中国に来るために、彼らはすでに快適な生活を放棄していました。今、彼らは単に司祭であるというだけで刑務所に入れられました。彼らは十分な食糧と十分な衣類を持つことが出来ませんでした。それは確かに途方もない犠牲でした。そのうえ、彼らは時には昼夜審理を受けました。彼らはいかなる自由も無しに、一つの牢屋に閉じ込められました。彼らの苦痛は、私たちよりもはるかに酷い物でした。

 私は上海に住んでいた頃、毎朝副主任司祭のジョン・ハウル神父様を見ました。しかし、ごくまれにしか彼に話しかけませんでした。私は彼がビッグライトやマイクを設定するためによく高い所に登ったり、地面の上で体を曲げるのを見ました。私は1989年にアメリカに来るまで、私は彼の行動について全く何も知りませんでした。多くの信者はハウル神父様を知っていたので、彼を尊敬しました。彼らは神父様が4年間刑務所にいて、重度の脊椎の疾患や関節炎で苦しんだと私に言いました。彼はずっとベッドの中で身を横たえていました。彼の状態はますます悪化しました。彼は長年にわたって聖テレジア病院(アメリカのアルカディア)に滞在しました。 1990年に彼は意識不明となり、多くの人々が彼の奇跡のために祈りました。彼は長上は彼のベッドに聖マーガレット・メアリーの霊的指導者であった聖クロード・ド・ラ・コロンビエールの聖遺物を置きました。数日後に聖クロードは彼を癒しました。 X線検査は、ハウル神父様が患っていた肺の腫瘍が消えたことを示しましたが、天主様はさらに多くの犠牲を行うことを彼にお求めになりました。

 彼はまだ脊椎の障害や筋肉痛を患っていました。私は数回彼を訪問しました。彼は私が彼の小教区の信者であり、長年もの間刑務所にいたことを知ったとき、非常に興奮して「神の素晴らしい摂理に感謝!誰が私たちがここで会う恩恵があることを知ったでしょうか?私は司祭の祝福を与えます。あなたが日ごとにますます天主様を愛するように望みます」と言いました。

 私が彼を最後に見たのは、1997年6月の終わりに向かう頃だったのを覚えています。彼は全く骨と皮ばかりになり、殆ど死にかけていました。病院は、彼が伝染病を患っていたので、誰にも彼に面会することを許可しませんでした。私は入口に立ち、病棟の窓を通して彼を見つめました。それはまるで、ベッドに横たわっったピオ神父様を見ているようでした。彼は体の調子が悪かったけれども、両方の目は輝き、精気に満ちていました。私は泣き出しました。彼は苦痛の最中にあるかのように見えましたが、非常に穏やかでした。

 彼はしっかりとロザリオを握っていましたが、話すだけの強さは有りませんでした。彼は数語の簡単な言葉だけを口にしました。「祝福を受けたいですか?」私は継続的に自分の首を縦に振りました。それから彼は、非常に無理を押して自分の手を上げ、力を振り絞って十字を切りました。

 1998年に、私が彼の葬式に行き、彼の聖なる御遺体を見たところ、彼の穏やかな表情は私を惹きつけました。誰かが何度も何度も私が移動するように促すまで、私は数分の間動かずに彼の棺のそばに立っていました。彼は実に20世紀の殉教者でした。

 上海教区には他に2人のアメリカ人司祭がいました。ガッツ神父様とパーム神父様です。ガッツ神父様は、告解を聞くことに時間の大半を費しました。私は週に一度、告解をするために彼のところに行きました。私は拙い英語で話しましたが、彼は助けて下さいました。時々、私が英語を話すのが難しいのを見ると、彼は中国語で話すようにと告げられ、「天主様は中国語もわかりますよ!」と優しく言われました。告解の時、彼は私が恐怖を乗り越えるために助けて下さいました。 1953年6月16日の同じ夜、彼とパーム神父様は3階の屋根裏部屋に閉じ込められました。6月は非常に暑く、新鮮な空気を得るために彼が窓から頭を突き出しているのが時々見られました。

 私たち信者は彼を目にすると、連絡するために手による合図を用いました。彼は私たちを祝福するためにあらゆる機会を利用しました。ガッツ神父様は、より簡単に連絡を取るために、自分のノートに多くの信者の住所や電話番号を書き入れる習慣を持っていました。彼が閉じ込められた時に心配していた唯一つのことは、彼のノートでした。何をすればいいのでしょう?焼いたりその他の方法で処分する場所はありません。最終的に彼が見つけた方法は、先ずノートを1ページずつ引き裂いて、徐々に小さな断片に切り分け、最後にそれを飲み込むことでした。どれほど大変でしたでしょう!どうして彼はこれ成し遂げられたのでしょうか?天主様への深く誠実な愛を持っている人だけが、これを行うことができます。他人のために進んで非常に苦しもうとするのは誰でしょう?ガッツ神父様はその一人でした!

 パーム神父様は私たちの教会の「ビング・クロスビー」でした。彼は甘い声を持っていただけでなく、天主様へと聖母マリア様への非常に霊的な献身を持っていました。彼の美しい歌は、しばしば私たちを天国の黙想へと導きました。その夜、彼は自分の部屋で拘束されました。何人かの信者は彼を窓から見ていました。三ヵ月後、人々は窓に彼の靴一足がつま先を外側に受けてぶら下がっているのを見ました。それにより、私たちは彼が国外に追放されていたことを認識しました。パーム神父様は台湾に送られました。

 ちょうど音楽に休止符があるように、通りには止まるよう合図を出す信号機が常にあることを皆知っています。 中国共産党の支配の下で、私たちは、いわゆる「運動」から少しばかり経験を得ました。毎偶数年に、私たちは少し休息を取ることが出来るかのようでした。そして、毎奇数年は非常に厳しいものであるように見えました。 1953年は「反帝国主義」の年でした。1952年にレジオ・マリエのことで私は約翰大学を去りましたが、その年の7月に新たに大学を受験することに決め、華東師範大学の化学部に入りました。

 朱樹徳神父様は逮捕されました。朱洪声神父様は、私たちのために朝ミサを捧げることを許可されました。時間になると、より多くの信者が教会に来ました。その後突然、誰ともなくロザリオを先唱しました。私たちはロザリオ一連を次々に唱えました。何ヶ月が過ちました。警察は、私たちがしていた事に対し、いかなる不法行為をも見つけることができませんでした。時間が経つにつれ、彼らはより寛容になりました。 1954年4月に、警察の警備員は私達の教区から撤退しました。私たちは歓喜に満ちていました。 中国共産党は天主様への愛を減らすことができませんでした。 1953年より後、さらに多くの子供たちが、公教要理のクラスに参加しました。彼らは合計で300人程いました。聖ペテロ教会ではおよそ600人でした。徐家匯ではさらに多く、900人位でした。彼らが共産党が私たちを攻撃すればするほど、私たちの教会が成長をしたことを示しました。彼ら宣教師司祭と修道女は、強制送還されたのにもかかわらず、自分たちの犠牲を以て私たちを助けて下さいました。光はどこにあるのでしょう?私たちは霊的な生活を深め、より良く私達の若い世代を教育するために、自分たちの道を急ぐ必要があります。

 1954年はまるで小休止のようでした。実際は、彼らは大きな魚を捕まえるために、長い釣り糸をを垂れていたのです。1955年にカトリック教会に深刻な打撃を与える準備をするために、彼らは情報収集に追われていました。


カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在7163環のロザリオが集まりました

2011年09月08日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?こちらマニラでは、八月の終わりから九月の初めにかけて司祭の黙想会がありました。ジェイムズ・ピーク神父様が黙想会の指導をして下さり、10名の司祭が黙想会に参加しました。愛する兄弟姉妹の皆様の僕は、アンダーソン神父様と韓国に行く必要があり、今回の黙想会には参加することが出来ませんでしたが、9月末に準備されているブラザーたちのための黙想会に参加する予定です。
 今週は、昨日まで、マニラには8名の司祭がおりました。

 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2011年8月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 7163 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。

 私も、拙いながら、記録を付け忘れた日が多々ありましたが、少なくとも8月分として35環をお捧げしました。

 また、てんとうむしクラブさんの8月分集計 656環、みつばちクラブ(学校ロザリオ 夏季のため少なめ)さんの8月分集計 4環、てんとうむし・みつばち集計 660環を心から感謝します!!

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
+J,M,J, Ave Maria ☆!

今日は初土曜日で、しかも聖ピオ十世教皇様の祝日、おめでとうございます!
小野田神父様、聖務に御忙しいのに、ブログを更新くださってありがとうございます!
小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。

第四次ロザリオ十字軍の意向で、つたなくも唱えましたロザリオの報告をさせていただきます。
家族と友人の8人で
8月分として435環を御捧げしました。

もっと頑張らなければ!!

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフよ、われらのために祈りたまえ。
聖ピオ十世教皇様、われらのために祈りたまえ。

【お便り】
アヴェ・マリア!小野田神父様へ

今日は、以下の動画をYou tube で発見しました。
「聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画(1)と(2)」
このようなものが、何ヵ国語にもなって翻訳されたDVDがあるとは驚きました。
教会が力なのない「風景」でしかなかった頃の私のイメージから、SSPXに来てから、かなり変わってきております。
力強さを感じます。

ただ、同時に疑問が1つ湧いてきました。
先日の「天使の話」と同じですが、このような「完璧なミサ」は、どのようにして出来たのでしょうか?
「ミサは、このように行いなさい」というような啓示があったのでしょうか?
また、お聞きしたいことがあれば、かかせていただきます。

【お返事】
こんにちは! 2007年に、聖伝のミサは廃止されていない、という教皇様の発表に合わせて、世界中にいる司祭たちのために「聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画を作りました。これはフランス語が言語ですが、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語、ベトナム語、韓国語、日本語、その他いろいろな言葉に翻訳されています。
 このような「完璧なミサ」は、カトリック教会にそれを制定する権威が与えられました。歴代の教皇様は、カノン(典文)と呼ばれているミサの中核は、使徒から(多分に聖ペトロから)由来すると繰り返し教えていました。もうすぐ2000年になろうとする聖伝によって私たちに伝えられました。カノンの部分はほぼそのまま使徒から伝えられました。(聖人の名前が幾つか後世に付け加えられました。)その他の部分は、大聖グレゴリオの時代にはほぼ今の形になったと考えられています。


【お便り】
突然申し訳ありません

初めまして。
突然申し訳ありません。
自分は、専門学校に通っているものなんですが、今年が最後で卒業研究があります。
テーマを階段として、ロレットチャペルについて調べたいんですが、資料などが無く困っています。
そこで、階段の詳しい写真や寸法が分かるものがあれば教えていただきたいと思いまして、ご連絡させていただきました。
もしよろしければご連絡よろしくおねがいいたします。

【お返事】

聖ヨゼフの階段


 上の写真は「聖ヨゼフ」誌(the Saint Joseph Magazine)1960年4月号からのものです。

 この階段は、33段あり、高さ22フィートで完璧に360度の2回転をしています。釘は使われていません。この木材はニュー・メキシコのものではありません。

The staircase is twenty-two feet high, and has thirty-three steps forming two complete circular turns of 360 degrees each - without a center support. There were absolutely no nails used. The entire structure is held together with wooden pegs. The hardwood is spliced in seven places on the inside, and in nine on the outside. Each piece forms a perfect curve.

聖ヨゼフの階段


【お便り】
アヴェマリア
小野田神父 様

ここ数日、ローズ・フーさんの「苦在楽中」が神父様のブログに掲載していただいているので、拝読しています。
命をかけた真実への行為には、心が打たれます。
命をかけた洗礼の決意の 第3章。

このような本が何かの賞を受賞するべきでしょう。 そして、多くの人に読んでもらうべきでしょう。

ただ、今日は内容が多くて、すべて(科学の話など)は読みきれませんでした。
また、続きを後日読ませていただきます。


【お便り】
アヴェ・マリア!
小野田神父様

 聖ピオ10世教皇さまの祝日のお祝いを申し上げます。

 今月は25日、26日ですね。研修先の実習が今月から始まり、なかなか余裕がつくれないのですが、どちらかに伺えたらと思います。

 ヘンリ・ナウエンの「放蕩息子の帰郷(レンブラント)」を読みました。読み終わってみると絵には父親と弟息子、兄息子、母らしき人、傍観者と説明されているのですが、わたしには修道院長さまと帰郷した修道者、副院長さま、傍観者に見えてきます。

聖なる御手の中に存在しそれぞれの命を輝かせることができますようお祈りします。小野田神父さまもご自愛ください。

「母の胎内にわたしを組み立ててくださった。…秘められたところでわたしは造られ、深い地の底で織りなされた」(詩編139・13、15)

【お返事】
 こんにちは!今月(2011年9月)は、26日(月)はキャンセルになり、その代わりに27日(火)にミサがあります。どうぞ、お間違えのないようにお願いいたします。

【お便り】
アヴェ・マリア!
小野田神父 様

「マニラのeそよ風」の2003年4月11日と4月25日;
神父様が聖ピオ十世会の司祭におなりになるまでの経緯のお話を拝読しました。

教会の混乱と「なぜ、御聖体を跪き、口で頂くのか」が、よくわかりました。
私たち家族は、たまたま「聖ピオ十世会」にきましたが、かなり「奇跡」に近かったのだな、と痛感しました。・・・

高校のときから筋が通っているのは、すごいと思いました。
高校時代から信じられる人(神父様)がいたのは、恵みなのでしょうね。


【お返事】
 本当にお恵みだと思っています。
 ヨゼフ神父様が藤枝教会を去った後、今から、およそ30年前、跪いて口で聖体拝領することは厳しく禁止されました。私は、御聖体拝領をすることが許されませんでした。跪いて口で聖体拝領をしようとしたからです。
 いまは、その反対のことを(跪いて口で聖体拝領をしなければならないと)ローマは言うようになりました。
 ヨゼフ神父様は、信仰を守ることを教えてくれました。風見鶏のように風向きによってクルクルまわるのではなく、信仰にしっかりと立つようにと教えてくれました。それが本当の従順であることを教えてくれました。

 ルフェーブル大司教様に出会ったのもお恵みでした。カトリックの聖伝の信仰にしっかり立つことこそが私たちにとってできるカトリック教会と教皇様とへの最大の奉仕であることを。それこそが本当の従順であることを。

 天主様に感謝!

【お便り】
+ 聖母の汚れなき御心に賛美 !

小野田神父様,

土曜日、無事に条件付堅信を、受けました。受けてよかった、と思います!
12人くらいの子供たちと一緒に受けました。
ガラレタ司教様は、とてもやさしく頬をたたいてくださいました。
何年か前に、ウイリアムソン司教様が来られたときは、強くたたかれるので、堅信者の頭がスイングするほどだったそうです。(^^;

ガラレタ司教様は、日曜のお説教では、聖母の汚れ無き御心のお話をなさいました。ファチマのことと、(秋田のことにも?) 触れてくださいました。
とても幸いな週末でした。
 日本の皆様にも、望まれる方には、条件付堅信の機会がありますように、お祈りしています。感謝のうちに。

【お返事】
 堅振おめでとうございます!

【報告】
アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。
7月14日から8月21日22時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて43環でした。
小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!


【お便り】
小野田神父様

最近、毎日のように掲載されている「ローズ・フーさん」の文章を読ませていただいています。

読んでいて、「共産主義というのは本当に怖いものだなあ」と痛感していますが、この「共産主義」というのが、この世に出てくることなどは予言されていたのでしょうか?

【お返事】
 黙示録第13章には、二匹のけものが出てきます。「海からのけもの」と「陸からのけもの」です。
「海からのけもの」は、十の角と七つの頭とをもっていて、角には十の冠、頭には冒涜の名があり、豹のようで、その足は熊、その口は獅子のよう、七つの頭のうちの一つが致命傷を受けていしたが、その致命傷がなおったので、全地の人々はおどろいて、けものについていきます。
 人々は「だれがこのけものと比べられようか。だれがこれと戦えようか」とそのけものを礼拝して言います。海からのけものには、傲慢と冒涜とのことばをいうことがゆるされ、四十二ケ月間活躍する権力が与えられ、天主をけがし、そのみ名とその幕屋と天に住む者たちをけがすために口をひらき、聖徒たちと戦って勝つことがゆるされ、すべての部族と民とことばと国とをつかさどる権力が与えられます。
 海は、いつも変化しているので、この世の象徴です。
 大天使聖ミカエルは、「誰が天主に如くものあるぞ!」「だれが天主と比べられようか、誰が天主に逆らえようか!」と雄叫びを上げますが、この海からのけものの前に、人間たちは「だれがこのけものと比べられようか。だれがこれと戦えようか」と言います。
 おそらく、天主に反乱する革命の権化が「海からのけもの」で、その格言は「汝の欲する所を為せ、それが法となる」とか「自分のやりたいことをなせ、なんでもいいけど、本当にやりたいことをやれ」という人間中心主義です。いわば、人間の良心こそが最も神聖にして犯すべからざるものである見なす人類教で、民主教だとおもいます。リベラルな革命の精神「自由・平等・博愛」で、それの究極の形が共産主義だと思います。

 もう一匹の「地からのぼるけもの」は、「小羊のような二本の角」をもっていたが、竜のように話し、さきのけものにつかえて、あらゆるところに、その覇権の地を定め、致命傷をいやされた先のけものを礼拝するため、地とそこに住む者を連れ、人々の前で天から地に火を降らせるほどの大不思議をおこない、さきのけものに奉仕するためにおこなったこの不思議な業によって、地に住む人々をまどわす、と預言されています。
 これは、「子羊」(つまり天主教)の外見をしていますが、「海からのけもの」つまり民主教に仕え、話す内容は竜のよう(つまり「民主教」)です。天主教と革命との融合のように思えます。


【報告】
アヴェマリア。小野田神父様、お元気ですか。私たちも元気です。
8月6日からサントニーニョ様のご像が私のうちを訪問してくださっています。一緒に豊中の空き家になっている母のうちを経由して家に来られたあと、岡山のうちや、整理をして売りに出す準備をしている鳴門のうち、神戸のうちに寄って帰ってきました。昨日、母のところに電話すると、母がおなかが痛くて近くの内科に行ったと言っているので、急いで母のうちにサントニーニョ様をお連れしました。今日はどうかな、と思い母に電話すると、『吐き気も止まったし、お粥や卵などが少し食べられるようになった。』と喜んでいました。独り暮らしで、近くに住んでいる妹も8月9日に初孫が生まれて広島に手伝いに行っています。私が何かしてあげると言っても、薬ももらったし、何もしてもらわなくても、何でもあるからゆっくり静かに寝かせて、と言うので後はサントニーニョ様に御願いしてかえってきたのですが、さすがだなとサントニーニョ様に感謝しました。

 小野田神父様は夙川のカトリック教会に行かれたことはありますか?サントニーニョ様を車に乗せて、神戸の兄のうちを出て、2号線に出るつもりがひとつ手前の道を走っていると夙川の教会の前を通りかかったので、一度行ってみたいと思っていた教会だったので、サントニーニョ様と一緒にご聖体訪問をすることにしました。驚きました。昔の聖なる雰囲気がそのまま未だ残っています。祭壇の真ん中にテーブルが置かれているのは仕方ありませんが、それでも祭壇の壁に静謐が置かれ、その上に本当のイエズス様の大きな十字架があり、ステンドグラスがあり、左にはピエタの彫刻とイエズス様のごぞう、右には幼子イエズス様を抱く聖ヨゼフ様のごぞうのある祭壇とうつくしいせい母マリア様のごぞうがあって、フランスやイタリアなどの昔の教会そのものの雰囲気です。まるで時が止まっているかのような、昔ながらの教会に来たと言う気がして、本当に感激しました。祭壇に上がる3段の階段もそのまま、柵のある木の聖体拝領台もそのまま。ここなら聖伝のラテン語ミサが今すぐにでも奉げることができるでしょう。

 まだこんな聖なる雰囲気の教会があること、ここに是非来たかったと言うことを、サントニーニョ様が教えてくださったような気がしています。サントニーニョ様がお説教台の上に立っているお姿が、この聖なる教会にぴったりだと言う気がしました。

 遅くなりまして申し訳ありません。6月7月分のロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。
6月  フランシスコ  30環
     モニカ    90環
     テレジア  120環
7月  フランシスコ  31環
     モニカ   93環
     テレジア  124環
(厳密に言うともう少し違うかもしれません。少なくとも、これくらいと言う数字ですみません)

神さまからの祝福とお恵みが小野田神父様と聖ピオ十世会のみなさまのうえにありますように。祈りつつ。
デオグラチアス。

【報告】
聖母の愛して居られますトマス小野田圭志修道院長様

十主の平安
アヴェ・マリア   
昨日は、  主イエズス・キリストの御変容の大祝日
おめでとうございました
7月は、サント・ニーニョ様の聖像有難うございました御可愛いですね♪
フィリピンでの奇跡の御話しも有難うございました♪
とても、素晴らしく♪面白かったです♪
本当に、火消の放水に塩を振りかけられて、聖水に凄いですね♪
火事の跡地が教会の所有地になりました、と神父様が仰いました時にパウロさんが、祝別済みですね♪と仰いました、マサシク!ですね♪
ジョゼフ・ロートンさんも、いよいよ!神学校!ですね、皆で祈っています!

遅くなりまして申し訳ありません、
7月の聖なるロザリオの十字軍の御報告です♪

*シスター   93環
*ヨゼフ マリア 62環
*ヨゼフ・パウロ 93環
*マリア     95環
*テレジア     6環
*ベルナデッタ  40環
*バルナバ     1環
*エリザベト   20環
*テレジア    97環
*マリア     49環
*マリア     31環 (今日は、ロザリオ唱えたかな、と思う習慣が着いたよ♪と仰いました、嬉しいです♪)
*マリア     50環
*マリア・ローザ  124環(御祈り御願い致します!)
*アンナ 32環

合計 829環です、どうぞ宜しく御願い致します。

神父様に頂いております(有難うございます!)「煉獄と地獄」の御本の42ページ下の段に、「救については、人に頼むよりも、まず自分で心配しなければならない。良い最期をとげられるように、存命中にミサを捧げて貰うべきである。聖アンセルモは言った死後にたててもらう千の御ミサより・・・」と書いてあります・・・
デオ・グラチアス!!

われらの主なる、いとも御優しいイエズス様
被昇天の聖母マリア様
汚れなき御心の聖母マリア様
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!
トマス小野田圭志修道院長様! ♪
ウイリアムソン司教様
アンダーソン神父様
を御護下さいませ!!
お祈りのうちに アレルヤ!


【お便り】
+御心に賛美
小野田神父様、

 日本では、皆さん 霊名で呼び合うのですね。とてもステキですね。「エレナさん」、なんて言われても、ステキすぎて、一瞬 誰のことか分かりませんでしたが...(^^;

もうすぐ日本でも御ミサですね。心を合わせて、お祈りしております。

PS.もう一つだけ。ご存知かもしれませんが...。

(引用)
コンピューター監視法案が可決されたようです。
しかも、ニュースになっていません。ツイッターの情報だけが今のところ頼りです。
衆議院法務委員会を退席したのは京野きみこ議員(民主)、相原しの議員(民主)、橘秀徳議員(民主)の三名。金融ハザール隷属法務委員会はいまやどうしようもない。また、これに反対するデモ等に参加したり、署名したりすると人物特定をされるという悪循環が始まるのでしょうか?何とか廃止に追い込みたいものです。

コンピューター監視法が可決されてしまったようです。原案通り可決で修正もなかったそうです。しかも、たった2分で可決です。
http://johokosa.blog98.fc2.com/blog-entry-262.html

【お返事】
 こんにちは。「コンピューター監視法」ですか・・・。初めて伺いました。
 私たちは、こうやって、ジョージ・オーウェルの「1984」にますます近づいているのでしょうか?? その世界では、ビッグ・ブラザーと呼ばれるコンピューターが、テレビを監視カメラとして全てを監視しています。

 テレビのアナログ放送が終了して、地上デジタル化しました。いままでテレビ局からの一方通行でしたが、これからはテレビはテレビジョン側からも情報を送ることが出来るようになります。これからはテレビではなくなり、コンピューター・スクリーンになるのでしょうか??

 携帯電話も、これからは電話ではなく、iPhoneと呼ばれるような小型コンピューターになっていくのではないでしょうか。国民が全てコンピューターをケータイしたら、「カレログ」や『オッパミッチ』ではなく「タミログ」のアプリが必須になる(もうなっている??)のでしょうか?
【これは想像での話ですが、例えば、タミログとは、国民が現在どこにいるかを把握するスマートフォンのGPS機能を用いた位置情報通知サービスです。あらかじめ国民の持つAndroid携帯電話に、タミログアプリをインストールしておけば、国民の現在のGPS位置情報を常にあなたはチェックすることが可能です。タミログに必要なものは、(1)位置を知りたい人のの携帯電話がGPS 機能を搭載しているAndroid スマートフォン(OS2.2 以降)であること。(2)位置を把握したい人の(アナタ)がインターネットに接続できてタミログサイトにアクセスできるパソコンがあること。
★携帯の位置をGPSで特定できます。
★端末のバッテリー残量もわかる!
★サービス利用はバックグランド操作で行うから、どのタイミングで情報取得しているかは彼氏の端末で一切わかりません。
★さらに!携帯電話通話記録まで、リアルタイムに入手可能!もう浮気や電話代の無駄使いは絶対にさせません。
★さらに携帯電話にインストールしたアプリも丸わかり!
●すべて丸みえ…最強の追跡アプリ、行動、考え、友人関係、すべてを知り尽くしたいという願望を叶えてくれるのが『カップル覚書』。恋人同士がアプリを設置し、互いを認証すれば、位置共有、位置追跡、通話内容、メッセージ共有など恋人の行動がすべて監視できてしまう。監視アプリの中で「最も恐ろしいアプリ」と呼ばれるのはそのせいだ。また、特定の場所に相手が到着するとアラームで知らせる機能が付いていたり、通話やメッセージ内容を監視する機能まであるという。】

 私たちを愛する天主様が私たちを見守って下さっているので、私たちは天主の御前にいつも正しく生きなければなりません。私たちにとってこのようなコンピューターによる「監視」は、愛する天主から逃げようとする人間が、こんどは恐ろしい監視に置かれなければならなくなる運命の皮肉のように思えます。以上、ひとり言でした。

天主様の祝福が豊かにありますように!


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愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第9章 平凡の中の非凡

2011年09月08日 | カトリックとは
第9章 平凡の中の非凡

 平凡とは何でしょう?非凡とは何でしょうか?私には定義することもできません。すべての人間は天主様の創造物ですので、その意味で私たちは天主様の目には平凡であると言えるでしょう。しかし、人間にお生まれになった天主様の御子が、私たちに天国への門を開くために十字架の上でお亡くなりになったという事実により、私たちは天主様を天の御父と呼ぶ資格を持ちました。こうして、私たちは実に非凡な者となりました。私たちが平凡か非凡であるかは、私たちが本当に天主様の子供であるかどうかにかかっています。

 長姉のアガタ胡瑞琴は、私より18歳年上で1953年に亡くなりました。彼女は道端の草と同じくらい平凡でした。彼女の時代の中国では、人々は大抵、封建的な思想を持っていました。寧波(私の故郷の町)の人は、特に女性を高等学校に通わせようとは考えませんでした。姉は余り教育を受けず、中学校を卒業しただけで、その生涯で高い地位を得たことはありません。彼女が18歳のときに、私の両親は典型的で封建的である富裕な家の一人息子に彼女を嫁がせました。その家は嫁に「三従四徳」を要求しました。「三従」は、結婚前は父へ、結婚後は夫へ、さらに夫の死後は息子への従順を指します。「四徳」は 適切な話し方、控えめな作法、勤勉な働きぶり、そして道徳のことです。

 長姉は、これらすべてを満たすために、最善を尽くしました。しかし、天主様は御自身の摂理をお持ちでした。長姉は4人の子供がいましたが、、全員女の子でした。そして、彼女の夫は彼の家の一人息子でした。彼女が子供を産む度に、家族全員が目を大きく開けて彼女を凝視しました。子供が生まれる前ですら,彼らは凍りつくような皮肉と、燃えさかるような風刺を口にしました。「親不孝は三つあるが、最も大きいのは跡継ぎがいないことだ。嫁として、もし跡継ぎを持てなかったら、それはお前の責任だ」長姉は、男の子を産まないことで罪悪感を持っていました。彼女が二番目の子供を産もうとしていたとき、既に非常に心配してしまい、心臓に疾患が起こり始めました。私の両親は、彼女を落ち着かせしようと、「多分次は男の子になるさ」と言いましたが、長姉は全く自分自身を気に掛けませんでした。彼女は心臓の疾患を抱えていたものの、子供を産み続けました。彼女は四番目の子供を産んだ時、全く消耗しており、心臓はますます悪くなっていました。長い間彼女は混乱してしまい、その精神と心はひどく影響を受けました。四番目の子供が生まれた途端、彼女はその子供を直ぐに嫌いました。その子供が彼女に全ての不幸をもたらしていたと思い込んだのです。私の両親はとても悲しみましたが、私たちと一緒に暮らすために彼女を引き取るより他にありませんでした。彼女は寝たきりであることから、深刻な心臓病と肝臓の疾患を抱えていました。

 姉のマリアと私は、彼女の霊魂が心配でした。時々、私たちはカトリック信仰について彼女に話をしましが、彼女はまったく興味を持ちませんでした。ところが、1952年に兄のアウグスティヌスは、改心して完全に変わりました。長姉は私に言いました。「アウグスティヌスの変化には大いに驚きました。山を動かすのはそう難しくないけれど、人の心を変えるのはそう簡単なことではありません。カトリックの教えが、アウグスティヌスにどう働きかけているか、私には分かります。さあ、何か読む本を下さい」私は自分の教区から何冊かの本を借りました。それらを読んだ後に長姉は、私たちの信仰についての詳細を知るようになりました。彼女は何冊か本を読みましたが、心に秘めた悩みを持っていたので、十分ではありませんでした。彼女が死にかけていたのを見て、私は霊魂を救うことは、「鉄は熱いうちに打て」というようなものだと思いました。もう待つことは出来ません。1953年3月、アガタは再び病院に入院しました。医者は彼女が長くても1か月しか生きられないと告げました。この重要な時期に、私は直接的に姉に言いました。「親愛なる姉さん、あなたはとても素敵な女性ですが、自分の末娘の世話をしなかったことは残念です。娘に酷い扱いをするべきではありません。あなたは、小さな子が一生涯うつ病の影を抱えるようなことを引き起こしました。実際、私たちは皆罪人です。完璧な人間などいません。天主様は慈悲深くいらしゃいます。その慈悲は、私たちの罪よりもずっと大きいのです。天主様は私たちを許して下さいますが、私たちは自分たちの罪のために悔い改める必要があります」アガサは答えました。「それはいいことのようだから、少し考えさせてちょうだい。死ぬ前に私は自分の言葉や行動を吟味していきます」二日後、彼女は洗礼を受けようという強い願望を持っていました。私はヨセフ陳神父様に、姉に洗礼を施すように求めました。洗礼前に彼女は告白しました。彼女が洗礼を受けた後、枕元に4人の娘を呼びました。一人一人を抱きしめ、そして特に末娘に話しました。「あなたが生まれて以来、あなたに母親の愛を与えなかったお母さんを許してちょうだい。私は死ぬ前にあなたの許しを求めます」喜びと感謝の涙が私の頬を流れました。公然と、自分の娘に赦しを求めるような謙虚な母親を見るのは非常にまれです。アガサは、自分は単に十字架上のイエズス様に倣っただけだと語りました。イエズス様は彼を迫害したすべての人々許し、「彼らは何をしているかが分からないのです」と天の御父に仰せになりました。何とイエズス様の御心は親切さに溢れているのでしょう!長姉は進んで、少しずつイエズス様を模倣していきました。彼女は臨終の秘蹟を陳神父様から施されました。

 彼女が洗礼を受けた日である2月10日以降、私とマリアは長姉と一緒に昼夜を過ごしました。私たちは、時々長姉の為に何冊かの霊的な本を読み、一緒にロザリオを祈りました。約一か月の間、善き盗賊が十字架の上でどのように自分の罪を悔い改めたかを話しました。イエズス様は彼に仰せになりました。「アーメン、アーメン。私があなたに言う、今日楽園で私と共にいる」ファリサイ人は一生涯を正しく行動したように見えましたが、結局そこからは何も得ませんでした。このように、すべては無駄でした。天主様に仕えることは時間ではなく、私たちの心によるのです。アガタは心を尽くして、善き盗賊を模倣しました。彼女は自分の罪を考えたとき、頻繁に泣き出しました。彼女が霊的な生活の中でも進歩したのを見て、私たちは心の底から非常に喜びました。彼女は私たちに言いました。「マリア、ローズ、私はあなた達よりもずっと祝福されています。多分、明日私は天国に行くでしょう。ねえ、何と天主様は素晴らしいのでしょう。私は10年間寝たきりで、苦しみに満ちていたけれど、もうすぐその苦しみは終わります。マリア様はきっと私をお迎えに来て下さるでしょう。あなたたちにして欲しいことが、一つあります。私が死んでも泣かないで。あなたたちは、私に本当の信仰と、自分がどれだけ罪深いかを認めさせた恩寵という最も貴重な賜物をお与えになった天主様に感謝しなければなりません。それは祝われるべきことなのです」

 1953年3月7日の彼女が亡くなった日、彼女は穏やかで平安に満ちていました。彼女は自分の為に死に臨む人の祈りを唱えるようマリアと私に頼みました。彼女は何度も「私はもう行きます、マリア様が来られます」と言いました。それから、彼女は自分の手にマスクを握り、私たちにそれを着けるよう言い張りました。彼女は、「死ぬ人はよく、多くのバクテリアを人にうつします」と言った後、私たちは彼女にこう言いました。「あなたは心臓の病気で死ぬのに、どうしてマスクを着ける必要があるのでしょう」それから彼女は繰り返し、「マリア様が来られます」と言いました。

 突然、部屋にバラの強い香りがしました。その香りは、姉の死で泣かないようにと、私たちに気付かせてくれました。

 長姉のアガタが言ったように、彼女は私たちより多く祝福されています。そして、彼女は私たち自身よりもはるかに早く天主様を仰ぎ見ています。

 親愛なるアガタ、私のために祈ってください。私もいつかあなたに天国で会えるように祈ります。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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