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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学とは同じ幾何学ではない。

2006年03月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!


 ユークリッド幾何学は五個という少ない公理のうえに成立している。つまり次の五つだ。

   1. 点と点を直線で結ぶ事ができる
   2. 線分を延長して直線にできる
   3. 一点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる。
   4. 全ての直角は等しい(角度である)
   5. 直線が 2 直線に交わり、同じ側の内角の和を 2 直角より小さくするならば、この 2直線は限りなく延長されると、2 直角より小さい角のある側において交わる。(平行線公理、第五公理)。


(これを次のように易しく?言い換えることもできる。)

   1. 任意の点と、これと異なる他の任意の点とを結ぶ直線は、一つ、そしてただ一つ引くことができる
   2. 任意の線分は、これを両方への望むだけ延長することができる
   3. 任意の点を中心として、任意の半径で円をかくことができる
   4. 直角はすべて相等しい
   5. 一直線が二直線に交わるとき、もしその同じ側にある内角を加えたものが二直角より小さかったならば、二直線はこの方向へ延長してゆけば、必ず交わる

http://www5a.biglobe.ne.jp/~ktanioka/lacan/essay11.htm



 この第五公理は次のようにも発展させることができるようだ。「任意の一直線とその直線上にない任意の一点があるとき、その点を通るその直線との平行線は一つ、そしてただ一つだけ引くことができる。」


 もしも第五公理を否定したとすると、別の幾何学が成立する。非ユークリッド幾何学だ。


 ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学とは同じ幾何学ではない。

 


 幾何学から算数に話を移す。
「2+2=4が真であり、これ以外の答えは間違いだ」とする算数がある。これを私たちは普通使っている。

 もしも、「2+2=4が真であり、それと同時にある人にとっては2+2=5でもあり、また別の人にとっては6でもあり、さらに他の人にとっては7でもあり、それぞれ人によって違うが、それもみな同じ答えの違った現れ方だ、これを否定する考えをする答えは間違いだ」という「算数」が出てきたとすると、後者は前者と同じ「算数」なのだろうか? 別の算数と言うべきではないか。


 「AはBである」という命題が真であるなら、それと同時に、同一の意味で同一の観点で「AはBでない」という命題は真ではない。これは私たちの日常生活を成立させている矛盾律の公理だ。

 この公理を土台にして、宗教に話を移してみる。

 もしも、

(1)「イエズス・キリストは、世界と私たちを創造した唯一の真の天主である。」この命題こそが真理でありそしてこれを否定する宗教は(矛盾律の公理ゆえに)真理の宗教ではない、という宗教と、

(2)「イエズス・キリストは、世界と私たちを創造した唯一の真の天主である。」この命題は真理であるがそれと同時にこれを否定する宗教も真理の宗教である、という宗教と、

これら二つの宗教があったとしたら、この二つは同じ一つの宗教なのだろうか

 (2)は(1)の認めている矛盾律の公理を否定しているから、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学とは同じ幾何学ではない、と言う時と同じ意味で、これらは二つの別の宗教なのではないだろうか。

 天主の御母聖母マリア様は、何とおっしゃるだろうか?
 故ルフェーブル大司教様は、何とおっしゃるだろうか?

 


明日は、ルフェーブル大司教様が亡くなって十五年目

2006年03月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


アヴェ・マリア!


 明日三月二十五日は、聖母のお告げの祝日であり、同時にルフェーブル大司教様が亡くなって十五年目だ。今さらに偉大な信仰の司教だったとつくづく思う。


 二年前の話したが、ドイツのツァイツコーフェンの神学校では、様々な教区司祭たちが共に集い合った。そこに出席した或る教区の主任司祭は「カトリックの空気」を吸ったと、記事を書いている。
 聖ピオ十世会の神学校で、神学のテーマの講話を聴き、聖ピオ十世会司祭と話し、共に聖伝の聖務日課を祈ったその教区司祭は、いままで自分が体験した教区の司祭の集まりとは全く違っていた、と喜んでいるのがよく分かる。私は、このような神学校を現代にまで残してくれたルフェーブル大司教様に感謝する。

http://www.fsspx.info/ticker/more.php?show=1142600040

フランス語
http://www.fsspx.org/fran/rome/Divers/2006-ReunionPretre-Zaitzk.htm

 


 さてマスコミの言うことはあまり信じていないが、三月二十三日にベネディクト十六世教皇様は、百九十三名の枢機卿たちと会って、第一のトピックとして、聖ピオ十世会と聖伝のミサについての話をなされたそうだ。

 第二に、司教様たちの引退の年齢を元后の七十五歳から八十歳に引き上げることを話したそうだ。

 ベネディクト十六世教皇様のために祈ろう。


http://www.catholicnewsagency.com/new.php?n=6313

Pope Benedict, Cardinals discuss lifting excommunications on Lefebvrists, free use of Latin missal


http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=43152

Vatican extending "open arms" to Lefebvrists


http://www.forbes.com/home/feeds/ap/2006/03/23/ap2616867.html

Benedict has made clear he wants relations with the group to be normalized, but thorny issues remain. In August, he met with the current head of the society, Bishop Bernard Fellay, who is one of the excommunicated bishops. Both sides said afterward they had agreed to take steps to resolve their differences.

 


「教皇ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行き」より

2006年03月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!


 昨年の4月19日には、聖ピオ十世会総長ベルナール・フレー司教様は、新しいベネディクト16世教皇様が誕生したことを祝って祝辞を述べた。http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila274.html あれからもう1年になろうとしている。



 一年前の聖金曜日、教皇ベネディクト十六世(当時の信仰教義聖省長官ラッツィンガー枢機卿)は、十字架の道行きの黙想を指導していた。その内容は今年の2月に女子パウロ会の貝原敬子姉妹によって「教皇ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行き」(女子パウロ会)という本になって紹介されている。


 私は 「マニラの eそよ風」274号 http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila274.html では、次のように訳した。


「・・・
 私たちは、キリストがご自分の教会自身において苦しんでいるに違いないと言うことを考えなければならないのではないだろうか。

 御聖体において虚ろで悪い心が頻繁に入っているが、私たちはキリストの現存する御聖体を、どれほど多く乱用しているだろうか!

 私たち自身でさえも、どれほど多く、キリストの現存を意識さえもせずにミサを執行していることだろうか!

 キリストのみ言葉がどれほど多く歪められ曲げられていることか!

 非常に多くの理論において、何という信仰の欠如があることか!

 どれほど多くの空っぽの言葉があることか!

 教会においてどれほどの汚れがあることか!

 特に司祭職においてキリストにまったく属しているべき者たちにおいて、どれほどの汚れがあることか!

 何という傲慢そして自己充足!

 キリストが私たちの失墜から立ち上がらせてくれるために私たちを待っておられる和解の秘蹟に対して、何という関心の欠如があることか!

 これら全てはキリストの御受難に存在している。弟子達の裏切りとキリストの御体と御血を相応しくないにもかかわらず拝領することは、確かに、贖い主の最も大きな苦しみ、聖心を貫く苦しみである。・・・


 主よ、私たちにはしばしば、御身の教会は沈みかけている小舟のように、あちこちから水が入っている小舟のように思えます。私たちは、御身の畑において良き麦よりももっと頻繁に毒麦を見いだします。御身の教会のかくも汚れている服と顔は、私たちをして恐れさせます。しかしこれを汚しているのは私たち自身なのです。私たちの美しい言葉ときれいなジェスチャーの後で、毎回御身を裏切っているのは、私たち自身なのです。・・・」

 






 しかし今、貝原敬子姉妹のさらに分かりやすい訳を見よう。

「黙想 

 重い十字架の下にイエスはまたお倒れになります。三度もお倒れになったということについて、何を言うべきでしょうか。おそらく、人間の一般的なつまずきについて、多くに人のキリスト離れについて、神不在の世俗主義に向かう時流について考えなければならないでしょう。しかし、私たちは、キリストがご自分の教会において苦しんでおられることを考えなくてもよいのでしょうか?

 キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。

 私たちはどれほど、イエスについて何の意識も持たないまま、ただ自分たちのミサを行っていることでしょう。

 どれほど神のことばがないがしろにされ、濫用されていることでしょう。

 多くの理論・学説にわずかな信仰、何といむなしい言葉

 何とひどい汚れが、教会の中に、またすべてイエスのものであるはずの司祭たちのあいだに見られることか。

 何という傲慢、自己満足

 何という、ゆるしの秘蹟に対する尊敬の足りなさ。イエスがそこで、私たちの罪から立ち直らせるために待っておられるというのに。

 これら全てが、イエスの受難の中に現存しているのです。弟子たちの裏切り、イエスの御体と御血の不謹慎な拝領は、確かに、贖い主の最大の苦痛であり、彼の心(=聖心のこと)を刺し貫くものです。

 魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、憐れんで下さい、と、叫び声を上げるほかありません。「主よ、私たちを救って下さい」。


祈り

 主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。・・・」



 教会のこの苦しみをよく理解しているはずの教皇ベネディクト十六世が、なさなければならないことを勇気を持ってなして行かれるように、私は祈る。

 

 


タブーの終わりか

2006年03月22日 | カトリック・ニュースなど


アヴェ・マリア!


 バチカン専門のジャーナリストサンドロ・マジステルの記事によると、ローマでは第二バチカン公会議の批判が少しずつタブーではなくなりつつあるようだ。


 第二バチカン公会議によってどれ程カトリックの教えが変わってしまったかと言うことを様々な分野において記録した本がある。『イオタ・ウヌム(Iota Unum)』だ。

 その著者であるロマノ・アメリオは、第二バチカン公会議を批判したために今まで40年間、無視されてきた。彼に注目を払ったのはカトリック聖伝を守ろうとする人々だけであった。


 しかし今や彼と同じことを考える人が教皇となった。ベネディクト十六世教皇だ。教皇ベネディクト十六世は聖ピオ十世会との平和を望んでいる。


http://www.chiesa.espressonline.it/dettaglio.jsp?id=45538&eng=y


The End of a Taboo: Even Romano Amerio Is “A True Christian”
Amerio was the leading figure of the traditionalist opposition in the Church of the twentieth century, and was punished for this through a general ostracism. But now it turns out that his central thesis is the same as that of Benedict XVI who wants to make peace with the Lefebvrists

 


教会 「あなたは天主の教会に何を求めますか?」

2006年03月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


アヴェ・マリア!


 ドイツ語の世界でも聖ピオ十世会のことはもはや無視できないニュースとなっているようだ。


 聖伝のミサや聖ピオ十世会について語ることは、もはやダブーではなくなったようだ。


 私たちは、カトリック信者としてカトリック教会に何を求めているか、もう一度、見直さなければならない時期に来ている。


 私たちは教会で洗礼を受ける時、すなわち、キリストの神秘体である教会の一員となる時、教会からこう尋ねられた。


教会   「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者「信仰を


教会   「信仰はあなたに何を与えますか?」
洗礼志願者「永遠の命を


 私たちは、カトリック教会に私たちの主イエズス・キリストが教えて下さった、変わらない信仰を求めているのだ。何故なら、真の信仰こそが、私たちに永遠の命を与えてくれるからだ。何故なら、信仰なくしては天主に嘉されることができないからだ。


 だから、私たちはローマに永遠に変わることのない信仰を求めている。私たちがローマに求めているのはかつてローマから排斥された近代主義の教えではない。



 ウィリアムソン司教様「たとえ人がローマをもうけても、信仰を失ったらなんの利益があるだろうか」


http://www.kreuz.net/article.2474.html

http://www.kreuz.net/article.2897.html

(ウィリアムソン司教様の東京での堅振式の写真が使われている。)

 

 


聖伝のミサを全世界で使うことを認める

2006年03月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!


 マス・メディアの情報は、もちろん、あまり信用できないし、鵜呑みをすることは全くできない。その前提で、ニュースを読まなければならない。マスコミにとっては、センセーショナルに書いて記事が売れればそれでいいのだから。


 報道によると、2月の会議で教皇様が枢機卿らに聖伝のミサ典書を全世界で使うことを認めることについて意見を求めたが、その続きとして、4月7日にはローマではクリア特別会議が招集されるそうだ。そして聖ピオ十世会についても話し合われるようだ。

 教皇様がなさなければならないことを勇気を持ってなされることを祈る。


http://www.catholicnewsagency.com/new.php?n=6268

The extraordinary April 7th meeting announcement comes after an ordinary meeting which took place last month, at which the Holy Father asked the dicastery heads about universal approval of the Missal of St. Pius V, the rite which was in force prior to Vatican II


 


ローマ・クリア(行政機構)の改革とルフェーブル大司教様のいわゆる「破門」を撤回

2006年03月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


http://www.iltempo.it/approfondimenti/index.aspx?id=886587


 イタリアの「イル・テンポ」紙によると、教皇ベネディクト十六世の最初の枢機卿会議(三月二十四,二十五日)で、十五名が新しく枢機卿になると共に、二十三日には百九十三名の全ての枢機卿を招集するとのこと。そこでの緊急の二つの課題について取り扱われるようだ。ローマ・クリア(行政機構)の改革とルフェーブル大司教様のいわゆる「破門」を撤回すること、とのこと。


 教皇ベネディクト十六世が勇気を持って自分のしなければならないことを果たされるように祈る。

 

 


「エクレジア・デイ」の内容から明らかにされる点

2006年03月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


 さらに補足として「エクレジア・デイ」の内容から明らかにされる、次の点も指摘しておきたいと思います。


 【6】「エクレジア・デイ」は「第二バチカン公会議が聖伝と継続しているということを明確に明らかにするためにより深く研究する決意を刷新することを求めている」と言い、「特に、教えの幾つかの点が新しいものなので」と第二バチカン公会議で今までになかった「新しい教え」が導入されたと認めています。


 そしてその新しい教えが「おそらく教会の一部においてよく理解されていなかった」ので、深く研究するようにと励ましています。つまり、「エクレジア・デイ」は、第二バチカン公会議に「新しい教え」が存在していることを認めていると、指摘できます。



 だから、ラッツィンガー枢機卿(現ベネディクト十六世教皇様)もこう言っているのです。

 「この文書(=「現代世界憲章」のこと)の全体的評価を求めるなら、信教の自由に関する文章と世界における諸宗教に関する文章との関連において、この文書はピオ九世の『シラブス』の修正であり、ある意味で『反シラブス』であると言うことが出来るだろう。・・・この文書は、教会が、フランス革命以降このようになった世界と公式に和解しようと試みている意味において、シラブスの反対の役を果たしている。」【Cardinal Ratzinger, Principes de Theologie catholique, Tequi 1985, p. 426-427.】


 だからコンガール枢機卿もこう言いました。


 「『教会憲章』は、カトリック教会だけが排他的に唯一の教会であるという説を放棄した。」【Yves Congar, Essais oecumeniques, le Centurion 1984, p. 216.】


 「第二バチカン公会議の公文書である『エキュメニズムに関する教令』が、数世紀にもわたって教会が理解してきた意味においての『教会の外に救いなし』という格言とは別のことをいろいろ言っていると言うことは、明らかであり、隠すのも虚しい」【Yves Congar, Essais oecumeniques, le Centurion 1984, p. 85.】



 「エキュメニズムに関する教令」がピオ十一世教皇の「モルタリウム・アニモス」と明らかに矛盾している【Yves Congar, Essais oecumeniques, le Centurion 1984, p. 85.】

 「信教の自由に関する宣言は、(ピオ九世の)1864年のシラブスとは内容的に別のことをほとんど正反対のことを言っていると言うことを私たちは否定することが出来ない。」【Yves Congar, La crise de l’Eglise et Mgr Lefebvre, le Cerf, 1977 p. 54.】



 「第二バチカン公会議の教会は、『信教の自由に関する宣言』と、教会および現代世界に関する『現代世界憲章』とによって、過去において偉大であったことを否定せず、明らかに今日の多元的世界の中に自らを置き、中世から脈々と繋がりを持ち得たその絆を断ち切った教会は歴史の一時代に留まっていることは出来ない。」


 だからスーネンス枢機卿もこう言いました。

 「第二バチカン公会議の以前にはローマで『唯一真実である』として教えられていた学説であるが、しかし公会議の教父たちによって否定された多くの説が数多くある。私たちは、それらの学説の目を見張るばかりの大きなリストを作ることが出来る。」【Cardinal Suenens, Informations Catholiques Internationales, du 15 mai, 1969.】


 だからロランタン神父はこう言いました。

「第二バチカン公会議の信教の自由に関する宣言は、その限界と不完全さを持つにもかかわらず、一歩の前進であった。この宣言は、シラブスによって象徴される過去の概念との断絶であり、また同時に、教会の現実主義的な断言であり教会が現代世界において受け入れられることの出来る唯一の場所の証言である。」【Abbe Laurentin, Bilan du Concile, le Seuil, 1967, p. 207 et 213.】

 だからハンス・キュンクもこう言ったのでした。



 「ルフェーブルには、信教の自由に関する公会議の宣言を疑問視する正統な権利がある。何故なら、いかなる説明もなしに第二バチカン公会議は、第1バチカン公会議の立場を正反対にしたからである。」【Hans Kung, National Catholic Reporter, October 21, 1977.】


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(!ポイント!)第二バチカン公会議には、教会全部によく理解されていない「新しい教え」がある。「教会は第二バチカン公会議によって脈々と繋がってきた過去との絆を断ち切った」(コンガール)




 【6】「エクレジア・デイ」は第二バチカン公会議には新しい教えがあると認めています。しかしカトリック教会の信仰によれば、教皇様の不可謬権は「新しい教え」を作るためにあるのではありません

 聖伝は変更を許さないものです。誰も、教皇様と言えども過去の公会議や教皇様がたの不可謬の教えを変更することはできません。なぜなら、過去の不可謬の公会議や教皇様の不可謬の教えは過去のものではないからです。聖伝は、時代を超越した性格を有し、あらゆる時代と場所に当てはまるものなのだからです。


 従って、過去と断絶しているような第二バチカン公会議の新しい教えを私たちに強制することはできません。何故なら、

 私たちの主はこう言っていたからです。

「私の教えは私のものではなく、私を遣わされたお方の教えである」(ヨハネ7:16)

 ましてや誰にも、聖伝と断絶する新しい教え・定義を作る権利はないからです。

 第一バチカン公会議もこう言う通り、教導職は啓示された信仰の遺産を伝達するためにあるからです。

「何故なら、聖霊はペトロの後継者に約束されたが、それは彼らが聖霊の啓示のもとに新しい教義を知らしめるためではなく、使徒たちによって伝えられた啓示、すなわち信仰の遺産を、聖霊の助力を持って彼らが聖なるものとして守り、忠実に提示するためであった」(第1バチカン公会議)

 さらに、聖ピオ十世教皇は教皇職についてこう言っているからです。

「主の群を養うという、天主から私に託された職務にキリストによって定め与えられた主要な責務の一つは、涜聖的な新しい言葉づかいと、誤って知識と呼ばれる異議異論とをしりぞけ、最大の注意を払って聖徒らに託された信仰の遺産を守ることである。」
(聖ピオ十世回勅『Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日)。


 聖トマス・アクイナスは、もし権威者が自分の範囲外のことに関して権威を行使するときには、彼らに従ってはならないと言っているからです。

「もし長上が目下に、自分がその長上の下に属していない範囲のことについて命令を下すとき、この目下は自分の長上に従う義務を負わない。」(II-II, q. 104, a. 5)

 カトリック教会の聖伝に反する教え・定義を作るということは、公会議や過去の教皇さまの常なる教えに逆らって新しいことを教えるということは、誰にも権限がないことです。それは権限の乱用に過ぎません。


 カトリック神学はこう教えているからです。
 Bonum est integra causa, malum ex quocumque defectu.

 つまり「善が成り立つためには全てが揃っていなければならず、必要なものが欠けている場合には、それが何であろうと悪いものとなる」ということです。

 教導職の目的とはなんでしょか。教導職の存在理由は、天主のした啓示をそのまま伝達することです。もし「そのまま」ではなく、伝える内容に別物を入れてしまったとしたら、教導職の対象を変えてしまい、ついには教導職の本質までも変えてしまうことになります。それがたとえ一つの不純物であっても、全てが悪となってしまいます。

 

 さらに第二バチカン公会議は、パウロ六世によれば不可謬の公会議ではなかったからです。

 何故なら、教皇パウロ6世は、1965年12月7日、公会議閉会演説において「教会は特別の教導権によって、特別の教義を定義しなかった」と次のように宣言したからです。

「しかし、ここで次のことに注意しなければなりません。教会は特別の教導権によって、特別の教義を定義しませんでした・・・」

 また、パウロ6世は、1966年1月12日の一般謁見の時に、「公会議は不可謬の印を伴うドグマの全ての特別宣言を避けた」ことをこう説明しているからです。

「公会議は教会の教導職の不可謬権を行使した荘厳な教義決定的な定義を避けました・・・」

  ↓↓↓↓↓↓↓

(!ポイント!)「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは,聖霊の啓示によって,新しい教義を教えるためではない」(第一バチカン公会議)
 第二バチカン公会議の新しい教えは、不可謬ではありえない。つまり信じる義務は無い。

 

 


【Q and A】 ヨハネ・パウロ二世の書簡「エクレジア・デイ」について

2006年03月15日 | 質問に答えて


【質問】
 聖ピオ十世会について、カストゥリヨン・オヨス枢機卿がトレンタ・ジョルノ誌で「本当の離教ではなかった」とか、イタリアのテレビで「私たちは異端を前にしているのではありません。正しい、正確な、厳密な意味で離教があるとは言うことは出来ません。教皇の許し無く司教聖別をすることの中には、離教的な態度があります。しかし彼らは教会の内部にいます。」 と言っているそうですね。
 ところでヨハネ・パウロ二世は、1988年7月2日付けの使徒的書簡 "ECCLESIA DEI" (http://www.vatican.va/holy_father/john_paul_ii/motu_proprio/documents/hf_jp-ii_motu-proprio_02071988_ecclesia-dei_en.html) で「破門された」と言っています。
 どう理解したらよいのでしょうか?

【2018年8月30日追記】ここで話題になっていた、(無効な)いわゆる「破門」については、すでに2009年1月21日付で公式に一方的に撤回しています。 それについては、ヴァチカン:1988年7月1日付けの教令は栽治権上失効したと宣言します。2009年1月21日をご覧ください。 バチカンの文書はDECREE REMITTINGをご覧ください。


【答え】

 アヴェ・マリア!
 ご質問をありがとうございました。

 ヨハネ・パウロ二世教皇様の自発的使徒的書簡について考察してみたいと思います。教会法的に専門的になりますがご容赦下さい。


 自発的使徒書簡「エクレジア・デイ」によれば、次のようにあります。
「・・・
3. この行為(=教皇許可無しの司教聖別)は、それ自体において、教会の一致のために極めて重大な最高の重大性の事柄におけるローマ教皇への不従順の行為であり、このような不従順は実際的にローマ首位権を拒否することを暗示し、離教的行為を構成する。(注3:カトリック教会法典751条)このような行為を執行することにより、昨6月17日に司教聖省の長官枢機卿によって送られたカトリック教会法典に基づく公式の警告にも関わらず、ルフェーブル大司教と司祭ベルナール・フェレー、ベルナール・ティシエ・ド・マルレ、リチャード・ウィリアムソン及びアルフォンソ・デ・ガラレッタらは、カトリック教会法典で予定された重大な制裁(注3:カトリック教会法典1382条)が適応された。

 4. この離教的行為の根元は、聖伝に関する不完全で矛盾する概念にあると考えられる。不完全、何故ならそれは聖伝の生ける性格を充分に考慮していないからである。第二バチカン公会議がはっきりと教えたように「この使徒たちから出る聖伝は、教会において聖霊の援助によって進歩する。実際、伝えられた事物やことばの理解は、それを心の中で思いめぐらす(ルカ 2・19 および 51参照)信者たちの黙想と研究によって、あるいは霊的なことがらについての体験の深い理解によって、あるいはまた、司教職の継承とともに真理の確かなたまもの(カリスマ)を受けた人たちの宣教などによって、深くなる。」(注5:神の啓示に関する教義憲章8)・・・

 5. 
b) ・・・実に、第二バチカン公会議の広がりと深さは、第二バチカン公会議が聖伝と継続しているということを明確に明らかにするためにより深く研究する決意を刷新することを求めている。特に、教えの幾つかの点が新しいものなので、おそらく教会の一部においてよく理解されていなかったその諸点について特にそうである。・・・」

 

 【1】まず注意したいことは、「聖ピオ十世会」を組織として一度も破門だと宣言したことはないし、離教だと言ったこともない、ということです。

 だからこそ、ニューヨーク大司教区のジェラルド・マーレイ神父(Fr. Gerald E. Murray, J.C.D.)は、グレゴリオ大学で「故マルセル・ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会との平信者の教会法上の地位:彼らは破門されているか、或いは離教状態なのか」というテーマで教会法の博士号を獲得し、次のように言ったのです。

 「私は教会法の博士号を獲得しました。私の博士号論文のテーマとしてルフェーブル大司教の破門を取りました。・・・彼ら(=聖ピオ十世会)は離教者として破門されていません。なぜならばバチカンは彼らが教会を離れたとは一度も言わなかったのですから。」

 「聖ピオ十世会の内部について、バチカンは一度もいかなる司祭も、平信徒も離教的である[教会を離れている]と宣言したことがありません。」

 「聖座は、誰かが聖ピオ十世会の司祭が捧げるミサに与っただけで教会を離れたことになるなどとは一度も言ったことがありません。」(Latin Mass Magazine, Fall, 1995)


(!ポイント!)バチカンは聖ピオ十世会が教会を離れたとは一度も言っていない。


 【2】次に「エクレジア・デイ」の論理は、次の通りであると指摘できます。


大前提  「教皇許可無しの司教聖別」は「離教行為」である。
ところで 「離教行為」は「破門」に相当する。
結論   「教皇許可無しの司教聖別」は「破門」に相当する。

 これをイコールの記号(=)を使って書くと、

  「教皇許可無しの司教聖別」=「離教行為」
                           「離教行為」=>「破門」
  「教皇許可無しの司教聖別」            =>「破門」

 となっています。


 しかし、カトリック教会法典によれば、「教皇許可無しの司教聖別」1382条は、カトリック教会法典の第2部「刑罰の部」の第3項「教会の権能の横領とその執行における犯罪」TITULUS III "DE MUNERUM ECCLESIASTICORUM USURPATIONE DEQUE DELICITIS IN IIS EXERCENDIS" の項(カトリック教会法典1378-1389条)に含まれるものであり、「離教行為」であるとは想定されていません

 カトリック教会法典によれば「離教行為」に関する罰則は、それとは別に「刑罰の部」の第1項「宗教及び教会の一致に反する犯罪」TITULUS I "DE DELICTIS CONTRA RELIGIONEM ET ECCLESIAE UNITATEM" で扱われているからです(カトリック教会法典1364-1369条)。
http://www.codex-iuris-canonici.de/liber6.htm#0101

 従って、カトリック教会法典を厳密に見る限り、大前提となる「教皇許可無しの司教聖別」は「離教行為」である、は正しくありません。

 カトリック教会法典では「罰を与える時には厳密でなければならない」odiosa sunt restringenda ので、特に「破門」という重大な罰則の適応については極めて正確で厳密でなければなりません。

 従って、
「教皇許可無しの司教聖別」はすなわち「離教行為」だから「破門」に相当する、という論理は成立しません。

 つまり、イコール記号(=)を使って書くとこうなります。


  「教皇許可無しの司教聖別」≠ 「離教行為」
                            「離教行為」=>「破門」
  「教皇許可無しの司教聖別」            ≠>「破門」

 

 だから「教会法の正当解釈のための教皇庁立委員会」の委員長カスチーヨ・ララ枢機卿(Castillo Cardinal Lara, J.C.D.) も、
 ミュンヘン大学神学部教会法学者のゲリンガー(Geringer)教授も、
 パリのカトリック学院教会法学部長パトリック・ヴァルドリニ(Patrick Valdrini)も、
 フロレンス大学の元教会法教授、ネリ・カッポーニ伯爵も
 「ルフェーブル大司教の司教聖別は離教行為ではない」と最初から発言していたのでした。


(!ポイント!) 「エクレジア・デイ」の論理は、厳密な意味では、カトリック教会法典に基づいていない。

 カトリック教会法典を正確に見ればこうなる。

  「教皇許可無しの司教聖別」 「離教行為」
                              「離教行為」=>「破門」
  「教皇許可無しの司教聖別」            ≠>「破門」


(!ポイント!) 単なる司教聖別だけでは、離教行為ではない。従って破門もあり得ない。

 

【3】さらに「エクレジア・デイ」では、「教会法典で予定された重大な制裁(注3:カトリック教会法典1382条)が適応された」と言って、「自動破門」という自動的に(=ipso facto)制裁が適応された、と「確認する」する形を取っています。

 しかしこれは、刑罰に関するカトリック教会法典の他の条項を無視している、と指摘できます。つまり「自動破門」(1382条)について語っている同じカトリック教会法典(1323条の4)によれば、いかなる刑罰も成立しませんし、少なくとも、いわゆる「自動破門」は成立しません。

 何故なら、

(あ) 必要の状態(緊急状態)に迫られて法を犯す人は、刑罰の対象にならない(カトリック教会法1323条の4)

(Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
4°metu gravi, quamvis relative tantum, coactus egit, aut ex necessitate vel gravi incommodo, nisi tamen actus sit intrinsece malus aut vergat in animarum damnum)
とあるからです。

カトリック教会法典の英訳は次をご覧下さい。
http://www.vatican.va/archive/ENG1104/_INDEX.HTM


(!ポイント!)「必要の状態に迫られて法を犯す人は、刑罰の対象にならない」(カトリック教会法1323条の4)

(!ポイント!) 教会の危機という緊急状態のため必要に迫られて司教聖別を執行したルフェーブル大司教は、カトリック教会法典での刑罰の対象とはならない。


 しかもカトリック教会法典には、次の規定もあるからです。
(2)、そもそも、客観的に見て「必要の状態」などというものがたとえ存在しなかったとしても
(2- a) もしも誰かが必要の状態があると過失なく思いこんで、その行為を行った場合、
----> 刑罰を受けない(カトリック教会法1323条の7)。

(Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
7°sine culpa putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in nn. 4 vel 5.)


(2)さらに、そもそも、客観的に見て「必要の状態」などというものが存在しなかった、しかも、
(2- b) 必要の状態があると、過失的に思ったうえで、この行為を行った場合、
----> 自動的刑罰は受けない(カトリック教会法1324条§3及び§1の8)

(Can. 1324 - § 1. Violationis auctor non eximitur a poena, sed poena lege vel praecepto statuta temperari debet vel in eius locum paenitentia adhiberi, si delictum patratum sit:
8° ab eo, qui per errorem, ex sua tamen culpa, putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in can. 1323, nn. 4 vel 5;

Can. 1324 - § 3. In circumstantiis, de quibus in § 1, reus poena latae sententiae non tenetur.)

からです。


(!ポイント!) 「教会の危機という緊急状態のため必要に迫られて」というのが、実は個人的な思い込みであって本当は存在しなかったとしても、


==>> 個人的過失がなく、そう思った場合、---> ルフェーブル大司教は、刑罰の対象とはならない。(カトリック教会法1323条の7)


==>> 個人的過失があって、そう思った場合、---> ルフェーブル大司教は、自動的な刑罰の対象とはならない。(カトリック教会法1324条§3及び§1の8)

 

(3) また同じカトリック教会法典によると、教会法による刑罰は、悪意や怠慢などにより、主観的に罰せられるべき大罪を犯したときに限られる(カトリック教会法1321条§1、1323条の7)とあります。

(Can. 1321 - § 1. Nemo punitur, nisi externa legis vel praecepti violatio, ab eo commissa, sit graviter imputabilis ex dolo vel ex culpa.

Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
7° sine culpa putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in nn. 4 vel 5.)


 つまり、たとえ客観的に見て大罪であっても、主観的に罪ではないと信じ込んで行った、善意で行った「犯罪」の場合、カトリック教会法典による刑罰は受けることはできないのです。


 ところが、ルフェーブル大司教は、カトリック教会の緊急状態に迫られて司教聖別を行わなければならない良心上の義務があったと考えて善意で司教を聖別しました。

 ルフェーブル大司教は、カトリック司祭職が継続するため、天主に従順であるため、必要の状態に迫られて司教聖別を行わなければならない良心上の義務があったことをはっきり宣言しているので、カトリック教会法によれば、ルフェーブル大司教も司教聖別された司教たちも、刑罰を受けることはありえないからです。



(!ポイント!)「教会法による刑罰は、悪意をもって行ったが故に大罪を犯したときに限られる」(カトリック教会法1321条§1、1323条の7)

(!ポイント!) 教会の危機という緊急状態のために、善意で司教聖別を執行したルフェーブル大司教の場合、カトリック教会法典で罰を受けることはできない。

 

 【4】残念なことに、1988年7月2日、ヨハネ・パウロ2世教皇は教令「エクレジア・デイ」において、以上のことから分かるようにカトリック教会法典を誤って適応させてしまいました。(カトリック信仰によれば、教皇は、誰かを刑罰をする時に不可謬権は無い。)


 だから、そのことをよく知っているバチカンは、聖ピオ十世会をいつもカトリック教会内部にいるものとして取り扱ってきたのでした。

 だからカストゥリヨン・オヨス枢機卿は、

「(聖ピオ十世会は)本当の離教ではなかったとも、
(聖ピオ十世会について)「私たちは異端を前にしているのではありません。正しい、正確な、厳密な意味で離教があるとは言うことは出来ません。教皇の許し無く司教聖別をすることの中には、離教的な態度があります。しかし彼らは教会の内部にいます。」とも発言したのでした。

 だから「キリスト者の一致のための教皇庁立委員会」委員長エドワード・カッシディー枢機卿は次のように書いたのでした。

 「聖ピオ十世会は宗教統一運動(エキュメニズム)のリストの中には入っていません。この会の会員の状況はカトリック教会内の内部問題に過ぎないのです。聖ピオ十世会は、このリストの中でつかれて言う意味においての別の教会や別の教会的団体ではないのです。もちろん、この会の司祭によって執行されているミサは秘蹟は有効です。司教達は非合法ですが有効に聖別されています。」(1994年5月3日の手紙)


 だからジェラルド・マーレイ神父は、

 「ルフェーブル大司教彼自身破門されていなかったと証明することが出来ます。ですからその他の人も誰も破門されていません。私の結論は、教会法上、彼は教会法によって罰せられるべき離教行為を罪を犯していません。彼は教皇に対する不従順の罪を犯したかも知れません。しかし彼は教会法がその行為に対して自動破門の制裁をすることがないように行為したのでした。」
(Latin Mass Magazine, Fall, 1995)

と発言したのでした。


(!ポイント!)バチカンは聖ピオ十世会が教会を離れたとは一度も言わなかった。ルフェーブル大司教自身、カトリック教会法典によれば破門されていなかった。


 【5】最後に、私たち聖ピオ十世会は、最近のカストゥリヨン・オヨス枢機卿の発言があった、そら見たことか、といって、今まで聖ピオ十世会を悪し様に言ってきた人々について憎しみや非難を投げかけようなどと言う意図はさらさらありません。私たちはむしろ、カストゥリヨン・オヨス枢機卿始め、バチカンの方々が勇気を持って事実を認めてそれを率直に発言して下さったことを感謝します。

 以上で、何故、聖ピオ十世会について、カストゥリヨン・オヨス枢機卿が「本当の離教ではなかった」などと言ったのか、ご質問にお答えできたと期待します。

 また同時に、ヨハネ・パウロ二世教皇様の、1988年7月2日付けの使徒的書簡 "ECCLESIA DEI" の内容が、何故カトリック教会法典にもとったものであったということができるのかがご理解いただけたかと思います。


(!ポイント!)聖ピオ十世会は、事実を率直に発言して下さった枢機卿たちに感謝する。

 

 


聖伝のミサの予定 2006年3月

2006年03月14日 | 聖伝のミサの予定

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【お知らせ】

東京には、聖ピオ十世会オーストラリア管区長のエドワード・ブラック神父様がお越しになります。



2006年の特別の意向
わが祖国日本から、聖伝を守る司祭の聖なる召命が多く出ますように。
私たちの家族、特に子女に聖なる生けるカトリック信仰が確かに伝わるように。



3月
聖ヨゼフの月です。聖ヨゼフの連祷をロザリオの後で付け加えましょう。聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!


意向:聖なるカトリック教会のため
実践すべき徳:天主への愛徳
守護の聖人:カトリック教会の守護者である聖ヨゼフ。




【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

10日(金)四季の斎日 金曜日(2級)紫 午後5時半

11日(土)四季の斎日 土曜日(2級)紫  午前11時

12日(主)四旬節第2主日  (1級)紫   午前10時半




【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

18日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://www.geocities.jp/cantusgregorianus/
     午後8時40分 グレゴリオ聖歌による終課

19日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          四旬節第3主日(1級)紫   午前10時半(歌ミサ)
     午後2時半 ブラック神父様による霊的講話
     午後4時半 グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

20日(月)童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白 午前7時 + 午前7時45分(ミサ聖祭2回)

21日(火)平日(3級)紫 午前7時




それでは、皆様のおこしをお待ちしております。



3.観想的な哲学の学生(続き その6) 聖なる軍隊に入隊

2006年03月14日 | ルフェーブル大司教の伝記


第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


3.観想的な哲学の学生(続き その6)


聖なる軍隊に入隊


 1925年の聖年は、ルフェーブル神学生が聖職者という軍隊に第一歩を踏み入れた年であった。12月 19日 ラテランにあるローマ神学校教会で、彼は教皇代理枢機卿の副官であるジュセッペ・パリカ (Giuseppe Palica)  大司教によって剃髪式を受けた。さあ、これからは「天主の打ち立てた制度により、一般信者とは区別される、叙階及び裁治権の位階制に属するために、天主の召し出しにより「聖職者 clerus」として離され (can. 107)、 '天主の役務に献げられた' (can. 108, §1) ものとなった。


 1926年3月20日、四旬節第四主日後の (Sitientesの) 土曜日、聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂で、教皇代理枢機卿であるポンピリ(Pompilj) 枢機卿から守門と読師との最初の二つの下級品級を受けた。


 ついに、イエズス会のド・ラ・タイユ (de La Taille) 神父がキリストの司祭職と王権とについて神学校で説教した復活祭の黙想会ののち、4月3日の聖土曜日、ローマ神学校付属教会で、パリカ大司教によってマルセル・ルフェーブルは払魔師及び侍祭という終わりの二下級品級を受けた。


 それと同時に隣のラテラノ大聖堂では上級品級の叙階式の長い儀式が並行して信仰していた。そこで教皇代理枢機卿はマルセル・ルフェーブルの先輩や友人たちを司祭に叙階していた。その中でも、将来のソレムのベデディクト会士であり通常教皇教導権に関する神学者ポール・ノー(Paul Nau)、既に述べたアルフォンソ・ルール(Alphonse Roul)、将来のヴェルサイユ司教区の教会法学者であり、ローマ通信(Courrier de Rome)紙のローマ特派員となったレモン・デュラック(Raymond Dulac)、ル・フロック神父にとても愛され、理性と情熱とによるローマ人、「喜びの聖母の家」の創立者、聖霊女子ドミニコ会をドミニコ会に接ぎ木した指導者ヴィクトール・アラン・ベルト(Victor-Alain Berto)などがいた。特にベルト神父は、背丈が低かったが、聖トマス・アクィナスが染み込んだ形而上学者であり、特に「学識豊かで敬虔 (pius com doctrina)」、第二バチカン公会議の時にはルフェーブル大司教の神学者となるだろう。



(続く)

 

 


【メモ 教皇ピオ十一世の回勅「クアス・プリマスQuas Primas」 日本語訳】

2006年03月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言


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 フェーグルティ(Voeglti)神父1925年12月11日に発表された回勅『クァス・プリマス Quas Primas』を注解していた 。・・・


教皇ピオ十一世の回勅「クアス・プリマスQuas Primas」 日本語訳
http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/quasprimasjp.html


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3.観想的な哲学の学生(続き その5)

2006年03月01日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)


3.観想的な哲学の学生(続き その5)


ウンブリア地方での休暇 --- 試練をうける召命


 勉強で疲れた頭は喜んで小さな休暇、特に復活祭の休暇を受け入れた。サン・ヴァレンティーノの田舎の家はアルプス登山練習者たちのコロニーとして開かれていた。前年マルセルはイタリア・アルプス登山クラブに登録しており 、すでにピッズート山に上っていた 。ところが今年は、マルセルは太古の巡礼者たちをまねて、徒歩で杖を片手にリュックを背負ってウンブリア地方の古いフランシスコ会修道院や小さな町の司祭館に泊まらせてもらいながら巡礼者の功徳に与ろうとしたようだった 。マルセルはこう語っている。


「私たちはこれらの小さな村々で夜を過ごし、司祭がそこで占めていた地位を見て素晴らしいと思いました。司祭は全てでした。裁判官、市長、皆をよく知り、全ての家族から喜んで受け入れる存在でした。司祭なしには何もされず、司祭は熱心に、素晴らしい献身的態度で、極めて清貧に生活しながら全ての仕事をしていました。フランスでは世俗精神があまりにも深く浸透してしまい、司祭は村においてほとんどよそ者であると考えられていますが、そのフランスから来た私には極めて大きい違いでした 。」


 若き神学生マルセルはアシジで自分の第2の守護の聖人の墓で熱心に祈った。彼はこの巡礼で全ての点において強められ、第3学期の最後の努力を払いきり1925年6月27日哲学博士号を "feliciter" (優秀)の評価で受けた 。


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【注】マルセル・ルフェーブルは、マルセル・フランソワ・マリ・ジョゼフという名前を受けていた。
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 その夏は、或る小教区司祭をその青年団のもとで手伝いながら、気分転換をすることができた 。マルセルは司祭たちの中には次のような司祭がいたのを見て極めて驚いた、と言う。


「激しい論争をし、厳しく辛く当たり、冷淡とほとんど断絶を呼び起こすような司祭たち。これを見て神学校時代私は召命をためらう程、私はこれに苦しんでいた。私は独り言を言っていた。もしもこのような条件で、反対意見ばかり聞かされる司祭館で生活しなければならないのなら、辛いことだ。」


 マルセル・ルフェーブルは全生涯の間の教訓を得た。「私たちは固い決心を立てなければならない。どんなことがあっても躓きの元となってはならない、と 。」

 


教会論のおもしろさ


 マルセル・ルフェーブルは1925年11月2日付けでグレゴリオ大学の神学専攻に進んだ 。ファブロ(Fabro)神父の基礎神学の授業中、マルセルは次のように講義をノートした。「非カトリックは教会に属していない。何故なら彼ら(成人)には、そうであると気が付いていない異端によって信仰の一致という社会的絆が "妨げられて" いるから」


 この講義が強調したことは、目に見える生ける教導権(ルターの唱えた「聖書のみ」に反対して)が存在すること、教皇教座から(ex cathedra)教皇が語るときの不可謬性、そして「教皇の通常不可謬性に参与する 」公会議の不可謬性であった。


 この教会論神学は、ベルト神父が素晴らしく表現しているように、「ローマ性の神学」言い換えると「神学的ローマ性」であった。ローマで学ぶ神学ということだけではなく「根本的にローマ的な神学」であった。ベルト神父によると、この神学の最初の命題は正しく「ローマ教皇は、キリスト教教義の不可謬の教師であるのみならず、神学をする教会の第一神学者である 」だ。


 何と幸せな時代であろうか! 教皇ピオ11世のさまざまな回勅は、デンヅィンガーに掲載された全ての言葉を養ってきたこのローマ神学によって、影一つなく、教会を照らし続けていた。神学校でのローマ愛熱は、ペトロの後継者の教えに対する熱烈な信心となった。マルセル・ルフェーブルもこの愛熱に取り憑かれていた。マルセルにとって教導権、あるいはローマ教導職への言及があれば、それだけで全ての議論は終了し、全ての逸脱から軌道修正するのに充分であった。

 


私たちの主イエズス・キリストの司祭職と王権


 若き神学生マルセルは神学の最初の講義を受けて晴れ晴れとしていた。しかし彼の霊魂は、グレゴリオ大学よりもフランス神学校のほうにもっと身を置いていた。サンタ・キアラではフェーグルティ(Voeglti)神父が私たちの主イエズス・キリストのペルソナについての情熱的な連続講話会をし、今年は1925年12月11日に発表された回勅『クァス・プリマス Quas Primas』を注解していた 。


 セリュル(フランスのピュイ・ド・ドーム県)の聖霊修道会小神学校(スコラスティカ部修練院)の元院長であったマルク・フェーグルティ神父は1909年以来、サンタ・キアラでの「霊的父」であった。神父は、「霊的父」として霊的講話と神学生たちの大部分の霊的指導を行っていた。マルセルも神父の霊的指導を受けていた一人である。


 講師フェーグルティ神父は、その低い声と信仰に満ちた精神とで「畏敬の念をおこさせて」いた。神父は「時として、たとえ彼が逆説的で、しばしば故意に極端で絶対の隅で記されたような考えを出す時でも、人々を魅了していた。何故なら彼は聖トマス・アクィナスの命題の友であったからだ 。」だが神父は、何という「言葉に言うことも出来ない程の柔和」、何という「賜物、知恵を伝え、イエズスとその教会の味わいを知らしめてくれる極めて優れた賜物 」であったことだろうか!


「彼の教えは単純であった。彼は私たちの主、王たるイエズス・キリストについてのみ語っていた。・・・彼は司祭職の完全性、極みまで推し進められた司祭職の論理、つまり私たちの主イエズス・キリストの統治のための司祭のいけにえということを教えていた。全てはこの観点から判断されていた 。」


 神父はよくこう言っていた。「私の愛する友らよ、私の力の及ぶ限り、私はあなたたちにお願いする。私たちの主イエズス・キリストを愛しなさい!」あるいは「私の愛する友らよ、あなたたちの心を全て込めて私たちの主イエズス・キリストを説教しなさい! 」


 12名の神学生たちが共同署名でした証言は次のようにある。この中にはアンリ・バレ、エミール・ロラン、ジョゼフ・トロシュなども含まれていた。


「私たちが私たちの主イエズス・キリストを、王、全ての中心、全ての問題の解決、糧、思想、生命、全てであると見ることを学んだのは、神父様のおかげである。・・・これこそ神父様が私たちに刻みつけようと望まれたことであり、この教えは私たちの内に刻まれたまま残るだろう! 」


 50年後、神父の数少ない忠実な弟子の一人であるマルセル・ルフェーブルも、「聖書の言葉から取られた、私たちの主イエズス・キリストが誰であるかを示す極めて単純な講話・・・私たちの全生涯の間、心に残った!」その講話によって、消し去ることのできない強い印象を刻みつけたことを証言している。


 これは神学生マルセルの念頭のテーマとさえなった。


「私たちの主イエズス・キリストがどなたであるか、私たちは黙想し、探究してもしきれないだろう。・・・イエズス・キリストこそが、私たちの思索のルールとなければならない。イエズス・キリストは私たちの聖性の原因であり、私たちの創造主である。何故なら天主の御言葉なしは、つまり御言葉である私たちの主イエズス・キリスト無しにはに何も、一切何もなされなかったからである。だから、私たちの全ての考え、私たちの全ての観想は、私たちの主イエズス・キリストのためにあるべきである。そしてこのことが、これが人生を変えてくれる! 」


 神学生としての自分の体験を語るとき、彼の口で言葉は不足する。フェーグルティ神父の神秘的な言葉は、キリストの神秘の味わいと深さへと、智慧と知性の精神をマルセルにおいて目覚めさせ、それと同時に、物事を超自然的なまなざしで見ることと、私たちの主イエズス・キリストの統治のために実際的に働く望みとをマルセルに与えてくれた。


(続く)


 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】