アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
12月25日、主の御降誕(クリスマス)の聖伝のミサ聖祭の時間をお知らせいたします。どなたでもミサ聖祭に参加できます。予約は不要です。
聖なる日本の殉教者聖堂(大宮)
真夜中 00:00 歌ミサ(真夜中の第一ミサ)
午前 10:30 歌ミサ(日中の第三ミサ)(YouTube でライブ中継)
午後 18:00 読誦ミサ(あかつきの第二ミサ)
【守るべき祝日ですのでなるべく多くの方々がミサに与ることができるようにミサの時間を設定してあります。】
聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
真夜中 00:00 歌ミサ(真夜中の第一ミサ)(YouTube でライブ中継)
午前 09:00 歌ミサ(あかつきの第二ミサ)
午前 10:30 歌ミサ(日中の第三ミサ)
December 25th, the feast of the Nativity of the Lord (Christmas) is the feast of obligation. We would like to inform you of the time of the Holy Mass on this feast. Everyone is welcome to attend the Mass. Reservations are not required.
Japanese Holy Martyrs' Chapel (Omiya)
00:00 a.m. Sung Mass (First Mass of Midnight)
10:30 a.m. Sung Mass (Third Mass during the day) (Live on YouTube)
18:00 p.m. Low Mass (Second Dawn Mass)
The Mass times have been set so that as many people as possible can attend Mass since it is the feast of Obligation.
Immaculate Heart of Mary Chapel (Osaka)
00:00 a.m. Sung Mass (First Mass of Midnight) (Live on YouTube)
09:00 a.m. Sung Mass (Second Dawn Mass)
10:30 a.m. Sung Mass (Third Mass during the day)
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。
【東京】 住所: さいたま市大宮区東町2ー256ー8 林ビル2F
Google マップ: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
※ JR 大宮駅から北東方向に1キロメートルほど歩いたところにある、ベージュ色の3階建のビル、林ビルの2階です。
大宮駅まで: JR 大宮駅へは、JR 宇都宮線・高崎線で東京駅から 31 分、上野駅から 25 分です。
大宮駅から: JR 大宮駅東口から、北東方向に歩いて約 14 分です。(ファイル New Chapel in Omiya-20231009.pdf をご覧ください) 大宮駅から新しい聖堂へ歩いての行き方ファイル:Walking from Omiya Station to the New Chapel
聖堂には専用の駐車場はありません。車でお越しになる方は周辺のコインパーキングなどに停めるようによろしくお願いします。🙇
主日ミサは2回捧げられます。(8時30分と10時半です)
ミサの前後で告解の秘蹟を受けることができます。ミサの間にも告解をすることができるように告解のために司祭は待機しております。
08:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
10:30 ミサ聖祭 歌ミサ(YouTube でライブ中継)
平日の火曜日、水曜日、木曜日は毎朝7時00分から聖伝のミサが捧げられます。金曜日は午後6時(18:00)から、土曜日は午前11時から聖伝のミサが捧げられます。
聖ピオ十世会では、毎月一回、「亡くなった会員と恩人の方々のため」の意向でミサ(Monthly Requiem Mass for the members and benefactors)」を捧げています。
大宮の「聖なる日本の殉教者聖堂」におけるミサの詳しい予定表はここをクリックしてください。
【「暁の星の聖母」修道院】
住所:埼玉県さいたま市見沼区大和田町2丁目820番地3
日本聖ピオ十世会:「暁の星の聖母」修道院
T 337-0053
【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図)
聖堂には専用の駐車場はありません。車でお越しになる方は周辺のコインパーキングなどに停めるようによろしくお願いします。🙇
【大阪 Osaka】【特別の事情により変更される可能性もあります】
ミサの予定 : 2024年6月から11月までの大阪での聖伝のミサの予定 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
【名古屋】名古屋においても毎月最終主日に、聖伝のミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。予約不要です。【ただし、2024年10月から、毎月最終主日の代わりに毎月第三主日のミサに変更される予定です。ご注意ください。】
日時:9月29日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解 16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
My dearest Brethren!
*****Mass times in Tokyo:*****
On all Sundays in October there will be two (2) Masses.
08:30 - Low mass :
10:30 - Sung mass : YouTube live
Mass location: Address: Hayashi Building 2F, 2-256-8, Azuma-chô, Ômiya-ku, Saitama City
Google Map link: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
* The chapel is on the 2nd floor of Hayashi Building, a beige-colored 3-story building, located approx. 1 km north-east of JR Ômiya Station.
To Ômiya Station: JR Ômiya Station is a 31-minute train ride (on JR Utsunomiya Line or JR Takasaki Line) away from JR Tôkyô Station, or a 25-minute ride from JR Ueno Station.
From Ômiya Station: From the East Exit of JR Ômiya Station, walk approximately 14 minutes in the north-eastern direction to reach the chapel. (Please see the file New Chapel in Omiya-20231009.pdf.)
File : Walking instruction from Omiya station to the New Chapel
There is no parking space at the Chapel. Please kindly use the coin parking around and not park on the street. Thank you so much for your cooperation.
For the detailed schedule of the Traditional Latin Mass in Omiya, please click here. Thank you.
*****Mass schedule in OSAKA:*****
Please see this link for the details. https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/6c3b177c4fe524c762e27a58406fc98b
*****Stella Matutina Priory*****
Society of Saint Pius X Japan
Stella Matutina Priory
Owada-cho 2-820-3, Minuma-ku, Saitama-City, Saitama,
Japan T 337-0053
*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month at 4 PM (16:00), However from October 2024 on, Mass will be on the third Sunday of the month. ] *****
[Mass Location] 6F Ishihara Bldg. 1-3-14 Meieki-Minami, Nakamura-ku, Nagoya-shi, Aichi
July 28(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
August 25(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
September 29(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
October 20(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
November 17(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
December 15(Sunday) 15:20 Rosary & Confessions ; 16:00(4 PM) Holy Mass
【聖ピオ十世会とは】
聖ピオ十世会、SSPX (the Society of Saint Pius X)とは、1970年11月1日にスイスのフリブール教区においてローマ・カトリック教会の教会法に従って創立されたカトリック教会の修道会の一つです。創立以来、カトリック信者の要請に応える形で、全世界での使徒活動をますます拡大しています。
* 教皇フランシスコは聖ピオ十世会の司祭たちに適法に使徒職を果たす権能をお与えになっています。教皇は書簡「ミゼリコルディア・エト・ミゼラ」で、聖ピオ十世会の司祭たちが世界中ですべての信者のために告白の秘蹟を行う権限を持つと宣言されました。
さらに教皇は聖ピオ十世会の婚姻の秘蹟が有効に執行するように全世界の司教たちに彼らの協力をお求めになられました。
* 聖ピオ十世会の司祭は、ラテン語でカトリック聖伝のミサ(Traditional Latin Mass)を捧げています。ミサの典文(Canon)の中では、教皇フランシスコの名前と当地の教区長の名前(浦和司教区でミサを捧げる時はマリオ山野内司教、東京大司教区ではタルチシオ菊地大司教、大阪大司教区ではトマス・アクィナス前田枢機卿、名古屋司教区ではミカエル松浦司教など)を唱えます。教皇ベネディクト十六世は自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」の中で、全てのカトリック司祭は聖伝のミサを捧げる権利を有していると宣言されました。何故なら、聖伝のミサは一度も廃止されたことがないからです。
「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」(ベネディクト十六世)
* 聖ピオ十世会の司祭たちは、伝えられたままの純粋なカトリック教えをそのまま伝えようと全力を尽くしています。カトリック教会が、信じてきた全てのカトリックのドグマと信教(Credo)をそのまま変えずに信じ、信仰宣言しています。また同時にカトリック教会によって排斥された全ての異端に対して反対しています。過去から変わることなく伝えられた正統信仰こそ真理における一致を促進し、分裂を避けさせるものです。
* 聖ピオ十世会の司祭たちは、カトリック教会がそう信じ続けてきた同じカトリック信仰を信じています。特に御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存を深く信じています。また、カトリック教会以外には霊魂の救いがないと信じます。
*教皇庁教理省は「同会の聖職者は、教会法上の制裁から解放されている」(いかなる制裁も受けていない)と認めています。
* 聖ピオ十世会の司祭は、必要の状況に置かれた信徒たちのために、教会法によって補足された法的身分(裁治権)を有しています。しかし領域的な(司教区)の法的身分(裁治権)も属人的裁治権も有しておりません。ところで、私たちの主イエズス・キリストは霊魂の救いと聖化のためにの通常で主要な手段として秘蹟を制定されました。カトリック教会は、必要とする人々が秘蹟(特に改悛の秘蹟)をいつでも受けることができることを欲しています。何故なら教会の最高の法は霊魂の救い(教会法1752条)だからです。
* カトリック教会は、教会法の規定(144条)によって、組織上の当局を通さずに法的身分(裁治権)を補足します。カトリック信者は、いつでも告解を必要とするとき、その判断と助言を信頼することができると思う司祭から改悛の秘蹟を受けることができます。しかもその司祭が通常のやり方で法的身分(裁治権)を有していなくてもそれができます。さらには、しかも教会法(1335条)の言葉によると「いかなる正当な理由でも」信徒がこれを求めるのであれば、聖職停止あるいは破門された司祭であってもこれができます。
【お知らせ】
一般社団法人日本聖ピオ十世会の銀行口座が開設されました。
御寄附や四旬節の献金、また教会維持費などのためにお使いくだされば幸いです。
愛する兄弟姉妹の皆様の暖かいご支援を感謝申し上げます。
銀行名:住信SBIネット銀行
金融機関コード(銀行コード):0038
支店名:法人第一支店
支店コード106
支店番号-口座番号:106-1951537
漢字氏名:一般社団法人日本聖ピオ十世会
カナ氏名:シヤ)ニホンセイピオジツセイカイ
2024年9月15日(主日)聖母の七つの悲しみの祝日 東京 10時半のミサの説教
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、聖母の七つの御悲しみの祝日を祝っているので、マリアさまの悲しみ・苦しみについて一緒に黙想いたしましょう。この苦しみを通して、聖母が共償者、つまりイエズス・キリストと共同して人類の罪を贖ったという神秘を黙想いたしましょう。
いったい、まず、なぜマリアさまは苦しまれたのでしょうか。その苦しみの意味は何だったのでしょうか?
まず、マリアさまはなぜ苦しまれたのかを黙想いたしましょう。
【1:聖母はなぜ苦しまれたのか?】
考えても見てください。聖母は、「無原罪の御宿り」という特別の特権をもって、原罪の汚れを一切持たずに孕(やど)られました。マリア様は聖寵に満たされて、その充満のうちにお生まれになりました。ご生涯に亘(わた)ってひたすら天主だけをお愛しされて、罪の影さえもあらず、聖なる一生を過ごされた方です。しかし、罪のないマリアさまの御生涯は、悲しみと苦しみに満たされておられました。
『キリストに倣いて』によれば、「キリストのご生涯は、十字架と殉教とであった」とありますが、まさにそれと同じく、マリアさまのご生涯は十字架と殉教の連続でした。マリアさまは自分のためではなくて、主の御旨に従って、天主のために生き、そして天主のみ旨に生きれば生きるほど、マリアさまは人類の贖いのために、御子とともに苦しみの生涯をおくらなければなりませんでした。
今日の『七つの悲しみの典礼』――七つの苦しみそれぞれ――を黙想すると、まさにそれを教えています。
【2:苦しみの価値の違い】
なぜ、罪がなかったにもかかわらず、マリアさまは苦しまなければならなかったのでしょうか?
その答えは、イエズス様が聖母とともに贖いの事業を行うことをお望みだったからです。言いかえると、マリアさまは天主の御旨に従って、第二のエワとして、罪のない被造物として、第二のアダムであるイエズス・キリストの贖いの業に完璧に、良き伴侶として協力されたということです。
イエズス様の御苦しみ、特に十字架のご受難は、自分のためではありませんでした。そうではなく、全人類のため、この世の罪を贖うために、捧げられました。マリアさまの生涯の苦しみも、同じです。御子の苦しみと同じく、自分の罪――罪はありませんから――の償いのためではなく、イエズス様が人類のために捧げた苦しみに自分の苦しみを添えて、天主に捧げ、それを人類の贖いの業の協力と同伴と共同の捧げものとしてお捧げになったのです。
では、イエズス様とマリアさまの苦しみはおんなじだったのでしょうか?もし違ったとしたらどう違ったのでしょうか?
イエズス様の苦しみとマリアさまの苦しみの違いは、価値が違いました。なぜかというとイエズス・キリストの苦しみは天主の苦しみだったからです。人となった天主の御言葉が苦しんだので、イエズス・キリストの苦しみには、御言葉の無限の尊厳のために、無限の価値がありました。ですから、厳格な正義に基づいて、イエズス様の御苦しみにおいては、全歴史に亙(わた)るすべての人類のすべての罪を贖ってまだ余りがありました。ところでマリアさまの苦しみには、限界があります。つまり有限の価値、しかなかったということです。
【3:なぜ聖母の苦しみに偉大な価値があったのか?】
しかし、有限の価値だったとしても、イエズス様の苦しみにあまりにもよく参与していたので、マリアさまの苦しみの価値にはきわめて莫大な力がありました。苦しみが持つすべての効果は、贖いの効果は、イエズスの苦しみから由来します。マリアさまの苦しみにもしも贖いの価値があったのは、イエズス様の苦しみに与っていたからです。そしてイエズス様が、マリアさまのために特別のお恵みを与えて、マリアさまが苦しむことができるようにしました。もう少し詳しく言うと、イエズス様のお恵みは、マリアさまをして、イエズス様のために、イエズス様によって、言いかえるとイエズス様のせいで、またイエズス・キリストとともに、苦しむことができるように、お恵みを与えたのです。マリアさまはお恵みがあったからこそ、イエズス様と共に苦しみ、この全世界の罪を贖うためにそれを捧げることができました。
聖ピオ十世教皇は1904年に回勅でこう書いています。
「御子と聖母の生活とは、苦しみを絶え間なく共にし、(…)御子の最期の時が来たとき、イエズスの十字架の傍らには、御子の母マリアが立っていた。マリアは、ただ残酷な光景を眺めるだけではなく、御子が全人類の救いのために捧げられたことを喜び、御子の受難に完全に与った。そして、キリストとマリアの間で、意志と苦難とを共にしたことから、聖母は最もふさわしく、【聖寵に】失われた世界の共同の償う者【coreparatrix】となった。そして、救い主がその死と血によって私たちのために贖われたすべての賜物の分配者(Dispensatrix)となることができた。」« En vertu de la communion de douleurs et de volonté qui l'attachait au Christ, Marie a mérité de devenir la très digne Réparatrice du monde perdu, et en conséquence la Dispensatrice de toutes les grâces que Jésus nous a acquises par sa mort sanglante.» とあります。
つまり、マリアさまは、キリストともに苦しみを捧げることによって、キリストとともにその贖いの功徳を得たということです。
キリストのために苦しむことができるんでしょうか? キリストの苦しみは完全ではないでしょうか?
聖パウロはこう書いています。実は、キリストは私達がキリストのために苦しむことを望んでいる、と。聖パウロの言葉を引用します。「私は今、あなたたちのために受けた苦しみを喜び、そこで、キリストの体である教会のために、私の体をもってキリストの御苦しみの欠けた所を満たそうとする。」(コロサイ1:24)キリストの御苦しみの欠けたところを満たす――それが、キリストが望まれていることです。
こうすることによって、マリアさまはイエズス様とともに苦しみ、そして全世界の苦しみのために、必要な功徳を共に贖うことができました。
功徳というのは一体なんでしょうか?
功徳というのは、聖寵の状態で、つまり大罪を赦されて罪を赦されて、まったく自由に、天主を愛するために、ならかの善意を行ったり、苦しみを耐え忍ぶときに、わたしたちは功徳を積むことができます。この功徳というのは天主と人間との愛の交流・友情関係から生じます。
マリアさまは有限とは言え、イエズス様への深いそして強烈な愛をこめて、まったく自由にすべてをお捧げになりました。そこで、マリアさまの行いや苦しみは、まずマリアさまの聖徳の高さ、それからマリアさまとキリストの一致の深さによって、また主の深いマリアさまへの愛と憐れみと御厚意によって、天主の御心に非常に叶うものであって、最高に価値のあるものとして功徳を得ることができました。ですから、聖ピオ十世のいいかたによると、聖母は、全世界の救いのために、もっとも相応しい価値があるやり方で「デ・コングルオ」のやりかたで、功徳を得たといいます。
では、マリアさまが、キリストとともにわたしたちの罪を贖った、その功徳を得たということは、いったい何を意味するのでしょうか。その意味は、三つあります。
まず第一は、わたしたちの霊的生活にとって非常に大切なことです。これは、マリアさまは、わたしたちの霊的に生みの母となったということです。マリアさまは確かにイエズス様を肉体的に御産みになりました。マリアさまがイエズス様を御産みになったときには、陣痛の苦しみも一切の苦しみもなく、傷もつけずにマリアさまの胎内から奇跡的に御産まれになりました。マリアさまはキリストを御産みになる前も御産みになる時もその御産みになった後も、傷のない童貞でした。
ところが、イエズス・キリストとマリアさまはともに、わたしたちを霊的にお生みになります。それは十字架のもとで、のことでした。イエズス・キリストとマリアさまがともにわたしたちを霊的に超自然の命に生み出そうとするとき、その二人は苦しみました。特にマリアさまは陣痛の苦しみがありました。それが七つの悲しみにあらわれています。この苦しみがあったからこそ、マリアさまは、わたしたちを霊的に生むことができる本当の霊的な母親となることができました。
そのことを確認するかのように、イエズス様は十字架のもとで聖ヨハネを通して、全人類に宣言します。
「おまえの母親だ」と。
そしてマリアさまにはこう言います。
「婦人よ、お前の子を見よ」と。
苦しみのうちに、マリアさまはわたしたちを超自然の命に生み出した本当の母親です。ですからマリアさまは、母親のような方ではなくて、本当の母だといわなければなりません。苦しみの中に、わたしたちを生んでくださいました。
第二はその結果です。もしも、罪のないイエズス・キリストが、聖なる天主であるイエズス・キリストが、苦しみを受けたのならば、また、原罪の汚れのない罪を一切知らないお方がこれほどの苦しみを受けたのならば、実はこの世で苦しみは避けることができない、という事実があります。これが第二のわたしたちに教えることです。
第三に、キリスト教がわたしたちに捧げることができる救い・福音とは、一体なんでしょうか。これはまず、わたしたちが苦しみを避けることができない、ということです。しかし、それは第三の点に行きます。苦しみを避けることができないけれども、イエズス・キリストの十字架によって、イエズス・キリストの十字架だけによって、わたしたちはこの苦しみを救いの手段と変えることができる、天国への道とすることができる、天国への王なる王の黄金の道とすることができる、ということです。それを、マリアさまの悲しみが、わたしたちに教えています。
【4:遷善の決心】
では最後に選善の決心をたてましょう。
第一のエワは、自分の個人的な自由な行動によって、全人類の破滅のために第一のアダムに協力しました。二人で、アダムとエワは罪を犯しました。聖母は、自分のまったく個人的な自由な行動によって、愛をこめて、全人類の罪の贖いに協力しました。
聖ペトロ・ダミアノは、わたしたちにこう言っています。「一人の女性エワを通してこの地上に呪いが来たが、一人の女性マリアによってこの地上の祝福が回復した。」(A curse came upon the earth through a woman; through a woman earth's blessing is restored.) と。
聖アウグスチヌスも同じことを言っています。引用します。「人間を騙すために、一人の女エワを通して毒が人間に差し出された。人間の贖いのために、一人の女マリアを通して救いが人間に差し出された。」(In man's deception, poison was served him through a woman; in his redemption, salvation is presented him through a woman.)と。
ですから、今日、わたしたちの本当の母であるマリアさまに、そして苦しみを受けたマリアさまに、感謝いたしましょう。わたしたちが、聖母を通して超自然の命を受けたということを、感謝いたしましょう。わたしたちはでは、選善の決心として、何をたてたらよいでしょうか。わたしたちも十字架のもとに、マリアさまとともに立たなければなりません。そのために、いったい何が一番良い手段でしょうか。それはミサ聖祭です。ミサ聖祭においてイエズス・キリストの十字架が再現されるとき、マリアさまも霊的にわたしたちとともにおられるからです。
ではマリアさまとともに、わたしたちの十字架と苦しみを主にお捧げすることが出来るお恵みを求めつつ、ミサを捧げましょう。
「私にも御傷を負わせ、御血を流し給える御子の十字架によって私を酔わせ給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
昨日、聖なる日本の殉教者聖堂において、。聖歌隊の方々、侍者の方々には特にお礼申し上げます。中には、青森県、岩手県、山梨県などから来られた方々もおられ、感謝申し上げます。
明日の8月22日(木曜日)は、聖伝の典礼暦(1962年版)によれば、聖母の汚れなき御心の祝日です。聖母の汚れなき御心は、日本の主要な守護者です。大宮の聖なる日本の殉教者聖堂で朝7時から聖伝のミサがあります。
8月23日(金曜日)は、大阪の聖母の汚れなき御心聖堂でも、シスターアグネス笹川の追悼ミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様のご参加をお願い致します。
聖なる日本の殉教者聖堂(大宮)でも、夕方の6時からミサがあります。
8月25日(主日)、聖なる日本の殉教者聖堂(大宮)の10時30分の歌ミサは、聖ピオ十世会初の韓国人司祭として6月にアメリカで叙階されたロンジーノ金神父様の日本での初ミサです。多くの愛する兄弟姉妹の皆様のご参列をお願いします。ミサの後には、ロンジーノ神父様を囲んで、記念パーティーを企画しております。予約は不要です。
大阪の聖母の汚れなき御心聖堂では、ワリエ神父様の司式で午後6時30分からミサがあります。
名古屋のミサ会場では、午後4時から聖伝のミサがあります。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
故シスターアグネス笹川カツ子(1931年5月28日ー2024年8月15日)の追悼ミサが次の場所と時間で行われます。愛する兄弟姉妹の皆様のご参加をお願い致します。予約の必要はありません。
シスターアグネス笹川は、秋田で1973年7月6日、8月3日、10月13日の三回にわたり、木彫りの聖母から全人類に関わる重大なメッセージを受けました。それの真実性を確認するかのように、木像の聖母からは101回の涙が流れ(1975年1月4日から1981年9月15日まで)多くの人々がその客観的事実を目撃しています。秋田の聖母に関する出来事については、これを公式に調査した当時の新潟教区長ヨハネ伊藤庄治郎司教によって認可されました。秋田の聖母の出来事は、全世界の人類全体とカトリック教会全体に関するきわめて重要な出現であり、日本のカトリック教会の歴史上においてこのような出来事が起こったことは初めてだったと言えます。
シスター笹川は、聖母から、もし人々が罪を悔い改めないなら、全人類の上に、ノエの大洪水よりも重い、いままでにない罰があるという警告を受けました。聖母は、シスター笹川を通して、ロザリオの祈りを毎日いのることによって、祈りと償いの業をするようにと、私たちを励まし、迫っている災難から助けることができるのは、聖母だけであること、聖母に寄りすがる者は、助けられることを約束されました。
シスター笹川は、2024年8月15日聖母被昇天の大祝日に主に召されました。
シスターアグネス笹川のための追悼ミサ:大宮
【日時】2024年8月20日(火曜日)午後6時
【場所】聖なる日本の殉教者聖堂:さいたま市大宮区東町2ー256ー8 2階
【内容】グレゴリオ聖歌によるレクイエム・ミサおよび赦祷式
シスターアグネス笹川のための追悼ミサ:大阪
【日時】2024年8月23日(金曜日)午後6時30分
【場所】聖母の汚れなき御心聖堂:大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階
【内容】グレゴリオ聖歌によるレクイエム・ミサおよび赦祷式
【参考情報】
1973年7月6日(初金)聖母の最初のお告げ
午前3時頃 守護の天使の出現:
「【6月28日夕方から現われたシスター笹川の左手の傷について】恐れおののくことはない。あなたの罪のみでなく、すべての人の償いのために祈ってください。今の世は、忘恩と侮辱で、主の聖心を傷つけております。あなたの傷よりマリア様の御手の傷【木彫りの聖母像の右の手からは出血があった】は深く、痛んでおります。さあ行きましょう」。
守護の天使に導かれて聖堂へ行くと、聖母像が目もくらむほどの光につつまれていた。その場にひれ伏すると、極みなく美しい声がひびいた。
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう。」
聖母像からの声と、守護の天使の声にあわせて祈ると、「御聖体のうちに"まことに"まします」と唱えるようにと教えられる。
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ。」
1973年8月3日(初金)午後2時頃 聖母の第二のお告げ
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主(みあるじ)をお慰めするために祈ってください。」
「あなたが心の中で思っていることは、まことか? まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」。
1973年10月13日 聖母の第三のお告げ
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい。」
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。
その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。
特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと償いの業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。」
「あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。
ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう。」
1975年1月4日(初土)午前9時頃 聖母像からの落涙現象が始まる。
聖母の涙について、守護の天使は説明する。
「聖母のお涙を見てそのように驚かなくてもよいのです。聖母は、いつも一人でも多くの人が改心して祈り、聖母を通してイエズスさまと御父に献げられる霊魂を望んで、涙を流しておられます。今日、あなた方を導いてくださる方が、最後の説教で言われた通りです。あなた方は見なければ信心を怠ってしまう。それほど弱いものなのです。
聖母の汚れなき心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです。しかも秋田のこの地をえらんでお言葉を送られたのに、主任神父様までが反対を恐れて来ないでいるのです。
恐れなくてもよい、聖母はおん自ら手をひろげて、恵みを分配しようとみんなを待っておられるのです。聖母への信心を弘めてください。今日聖母を通して、聖体奉仕会の精神に基づいて、イエズスさまと御父に献げられた霊魂を喜んでおられます。このように献げられる準会員の霊魂を軽んじてはなりません。あなた方が捧げている“聖母マリアさまを通して、日本全土に神への改心のお恵みを、お与えくださいますように!”との願いをこめての祈りは喜ばれています。
聖母のお涙を見て改心したあなた方は、長上の許しがあれば、主と聖母をお慰めするために、一人でも多くの人々に呼びかけ、聖母を通して、イエズスさまと御父に献げられる霊魂を集めて、聖主と聖母の御光栄のために、勇気をもってこの信心を弘めてください。
このことをあなた方の長上とあなた方を導くお方に告げなさい。」
1976年5月1日
守護の天使は、聖母の涙についてさらに説明する。
「“世の多くの人びとは聖主を悲しませております。私は聖主を慰める者を望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人びとの忘恩、侮辱の償いのために改心して祈ってください。ロザリオの祈りはあなた方の武器です。ロザリオの祈りを大切に、教皇、司教、司祭のためにもっとたくさん祈ってください”
この(マリア様の)みことばを忘れてはなりません。聖母はいつも一人でも多くの人が改心して祈り、聖母を通してイエズスさまとおん父に捧げられる霊魂を望んで涙を流しておられるのです。外の妨げにうち勝つためにも、内なる一致をもって、みなが心を一つにし、信者はもっと信者の生活をよくして、改心して祈ってください。
聖主と聖母の御光栄のために、今日の日を大切に。みなが勇気をもって一人でも多くの人びとにこの信心をひろめてください。このことをあなた方の長上とあなた方を導く方に告げなさい。」
1981年9月28日
守護の天使は、聖母の涙についてさらに説明する。神秘的な光を帯びた大きな美しい聖書がシスター笹川の目の前に開かれ、ある個所を読むように指示される。そこに「三章十五節」という数字をみとめたときに、天使の声が聞こえる。
「聖母像の涙はこの個所に関係があります。」
「お涙の流されたこの101回という数字には、深い意味があります。一人の女によって罪がこの世に入って来たように、一人の女によって救いの恵みがこの世に入って来たことを、かたどるものです。数字の1と1の間には0があり、その0は、永遠から永遠にわたって存在する神を意味しています。はじめの1はエワを表し、終わりの1は聖母を表すものです。創世記の三章十五節を読みなさい。このことをあなたを導いておられる神父様に伝えなさい。」
2023年10月6日(日)の午前3時半頃に、
シスター笹川に守護の天使が現れ、次のようなメッセージを受けたと伝えられている。
「灰をかぶって悔い改めのロザリオを毎日祈ってください。あなた【シスター笹川】は幼子のようになって、毎日犠牲を捧げてください。」
【参考資料】
シスター笹川が1983年5月に作った秋田の聖母讃歌
緑さやけき苑にぞ立ちて
十字架にないし聖母のみかげ
アヴェ・アヴェ・マリア、アヴェ・マリア
ああ尊しやありがたき
悩める多くのエワの子我らを
慈悲の心で見守り給う
アヴェ・アヴェ・マリア、アヴェ・マリア
ああ尊しやありがたき
御母を慕いて集える我らを
両手を拡げて招き給う
アヴェ・アヴェ・マリア、アヴェ・マリア
ああ尊しやありがたき
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
8月2日から4日までパリオリンピックの開会式の冒涜の償いの三日間償いの日が行われました。
パリのオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いの三日間(第一日目)冒涜するよりも恐ろしいものは何もない
侮辱された愛の秘跡である御聖体を、わたしたちは感謝と愛をもって償いましょう。
聖母の被昇天を黙想する:初土の信心:マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために
フランス革命で頂点に達したキリスト教文明に対する戦争:革命とは何か?聖寵の無限の全能の力
8月2日には、有志の方々で、午後3時30分より、フランス共和国大使館前にて、償いのためにロザリオ5連が唱えられました。
パリの現地時間で、8月11日(主日)午後9時からオリンピックの閉会式が始まるそうです(日本時間では8月12日月曜日の早朝4時)。
閉会式では、冒涜が繰り返されることがないことを祈り、8月12日には大阪の午前10時半からのミサ聖祭で、私たちは世界と日本のために祈ります。またオリンピックに出場されて努力された選手の方々のために祝福を祈ります。
2024年8月2日(初金)御聖体降福式の黙想
(いまから数分間、御聖体のうちに真にまします給うイエズスの聖心の御前で、
礼拝と感謝と讃美と罪の償いをお捧げいたしましょう。)
侮辱された愛の秘跡である御聖体を、わたしたちは感謝と愛をもって償いましょう。
イエズス様の御名が、讃美されますように。
尊ばれますように。
崇められますように。
礼拝されますように。
すべての人々から愛されますように。
特に御聖体が尊敬され、人々から最大の愛を受けますように。
わたしたちを愛するがために、
パンの形をとって、
昼夜わたしたちを見守り、
わたしたちにすべてを与え尽くされる愛の天主、
イエズス・キリストの聖心。
この愛を、わたしたちは感謝をもって受け取りましょう。
主の愛を知らない人々に、イエズス・キリストの愛が知られますように。
闇が光によって照らされますように。
どれほど恐ろしい屈辱を与えてしまったかということを、悟りますように。
イエズスの聖心が ご聖体が侮辱されて、
深く傷ついたすべてのキリスト者と心を合わせて、
諸聖人とマリア様と合わせて、
この償いをお捧げいたしましょう。
この私たちを憐れんでくださいますように。
カトリック教会の長女であるフランスが、また過去のすばらしい栄光ある姿を取り戻しますように。
あれほど多くの聖人・聖女たちを生み出したこの国が、またその聖なる徳に燦然と輝きますように。
パリのオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いの三日間(第一日目)
2024年8月2日(初金)説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日から三日間、ミサを連続して、パリのオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いのために捧げます。三日間連続で、ミサの直後に償いのためのご聖体降福式も行われます。皆さん、どうぞいらしてください。そして、いま実際にミサに与れない方でも、YouTubeのライブによって、一緒にお祈りを捧げてくださるようにお願いいたします。
【1:イエズス・キリストの御業への侮辱】
ちょうど一週間前の金曜日の夜のことでした。パリのオリンピックの開会式では、全世界の人々の目前で、見ている前で、私たちの主イエズス・キリストを侮辱するパーフォーマンスが行われました。フランス共和国の大統領政府が、国家行事としてのオリンピックの開会式で、この冒涜を行いました。しかも、キリスト教の最も大切な部分が、非キリスト教的なやり方で侮辱されました。
もう少し具体的に申し上げます。わたしたちの宗教行事の中核の一つである、十字架の犠牲の先取り、つまり最後の晩餐、最初のミサ聖祭が、侮辱されました。
いったい、ミサでは何が行われたでしょうか。最後の晩餐では何が行われたでしょうか。イエズス様が、つまり、人となった天主ご自身が、わたしたち罪人に対する無限の憐れみをもって、深い憐れみ深い愛をこめて、ご自分をわたしたちに与えようとされたのです。パンをご自分の体に聖変化させて、そしてブドウ酒をご自分の御血に聖変化させて、すべてわたしたちに与え尽くしました。その愛の御業の行われた行事でした。その瞬間でした。また同時に使徒たちを新約の司祭たちと叙階した最初のカトリックの叙階の席でもありました。また、ミサ聖祭は、わたしたちキリスト教信者が古代から全世界において2000年間の間大切に捧げ続けてきたものです、ミサ聖祭です。
このわたしたちの宗教の信仰の最も大切な部分、愛の御業が、嘲笑と軽蔑と侮辱の対象となりました。天主の愛の最高の業が、冒涜されました。わたしたちの天主・救い主・贖い主・王、私たちの愛が、足蹴にされました。主のなさった愛の最高の業が、屈辱を受けました。これは、主がなさったすべてのことに対する冒褥であり、主を信じる人々・弟子たち・信者たちに対する嘲笑以外のなにものでもありません。
しかも、これはオリンピック開会式という公式の儀式の場で、公然と行われました。そしてこの侮辱を行われるのを、わたしたちは全世界の人々は、その目にしました。この冒涜的な屈辱に、世界中の至る所にいるカトリック信者たちは、キリスト者たちは、深い悲しみを覚えて、傷つきました。
この儀式が終わった直後すぐに、外国にいる聖ピオ十世会ではない司祭から、私は連絡を受けました。この今日金曜日午後4時に全世界で償いの祈りを捧げるからという招待のメッセージでした。また日本におられる多くのフランスの方々からも、神父様今日この金曜日に私たちは何か償いをしましょう、このミサを償いのために捧げましょう、と要請を受けました。わたしは喜んで、もちろんそうする!そうする!と答えました。そして、三日間の償いの日々を企画して、そして東京と大阪で同時に行うことになりました。
フランスという国が、カトリック教会の長女であるフランスが、同時に汚されるのをわたしたちは目の当たりにしました。フランスの方々は非常に傷つきました。涙を流しました。唖然としてショックを受けました。多くの方々がそのことを、あるいはYouTubeであるいはツイッターであるいはそのほかの方法で、嘆いています。フランスの最も大切な文化・伝統・フランスの特徴はまったく無視された。そのかわりに外国から来たイデオロギー・反キリスト教的なイデオロギー、あるいは道徳的な退廃、あるいは暴力的革命を賛美するようなものが歌われているのを見て、非常に傷つき悲しみました。また同時に、多くの人々は、スポーツの選手たちも、健全であるスポーツが汚されるのを穢されるのを見て、悲しみ傷つきました。
もしもこの開会式で、韓国の選手が北朝鮮の選手だといって間違って紹介されたために国際オリンピック委員会の会長が直接韓国の大統領におわびしてそしてその他公式の文章を出して謝罪したとしたならば、このオリンピックの侮辱を見て、オリンピック国際委員会はそしてそのすべての代表者は、イエズス・キリストに、三位一体に、そしてカトリック教会に、そしてイエズス・キリストを信じるすべての人々に、心からの謝罪と罪の償いを捧げなければならないはずです。
【冒涜】
いったい、なぜこれほどの大きなこととなり、そして、謝罪をし、償いを果たさなければならないのでしょうか。なぜかというと、これは、冒涜であるからです。冒涜というのは、天主を傷つけるなんらかの言葉や行いのことです。天主の御稜威にふさわしくないことを、述べたり、行ったり、あざわらったり、嘲笑したりすること、それが冒涜といわれます。天主を軽蔑し侮辱することです。
ミサ聖祭と十字架は、天主が私たちのためになさった愛の最高の大傑作です。もしも冒涜の対象が聖なるものであれば聖なるものであるほど、愛が大きければ大きいほど、その罪は重大になります。
したがって冒涜というのは、いろいろな罪のなかでもっとも恐ろしい罪です。聖ヒエロニモは、預言者イザヤの一節(18:2)を解説してこう言っています。引用します。
自分の口にいとも高き者の、つまり天主を置いて冒涜するよりも恐ろしいものは何もない。(言葉を続けて)全ての罪は冒涜と比較するならばより軽い罪となる。(nihil enim horribilius blasphemia, quae ponit in excelsum os suum. ... omne quippe peccatum comparatum blasphemiae, levius est. )
“すべての罪は、冒涜と比較するなら、軽い罪だ”、と。この聖ヒエロニモの言葉は、聖トマス・アクィナスの神学大全で引用しています。
人間の犯す罪のなかで最も重い罪だと考えられる殺人であっても、それがどのような恐ろしいものであったとしても、冒涜に比較すればはるかに軽い罪だと聖トマス・アクィナスは言います。
なぜかというと、冒涜は、天使よりもはるかに聖なる天主であり創造主である天主を直接に屈辱するものであるからです。天主に反するものであるからです。しかし、殺人はどれほどおそろしいものであっても、被造物に対するものであるからです。しかも、冒涜を行う人は天主の名誉に危害を加えようとすることを意図しているので、絶対的な意味では、冒涜者は殺人者よりも重大な恐ろしい罪を犯したことになります。(II, II, q13, art 3 ad 1)
では、冒涜が最も恐ろしい重い罪であるということは、いったいどんなことを意味するでしょうか。つまり、これは、冒涜にはもっとも厳しい最も恐ろしい罰が現世そして来世に待っている、ということです。正義がそれを要求する、ということです。
もしかしたら、パリのオリンピックは、この来るべき恐ろしい罰の前兆であるかもしれません。つまり公式に天主・創造主を否定して、そして創造主と被造物の区別をなくしてしまった。その結果いったい何が起こったかというと、男と女の区別がわからない。ですから、女性のスポーツ・女性の試合に男が混じって、女性を殴ってそして男が勝つ。そしてそれがフェアプレーだとされたり、あるいは汚い水を飲まなければならなかったり、あるいは貧しい食事をしなければならなかったり、あるいは暑さに耐え忍ばなければならなかったり、あるいは盗みや八百長や嘘八百などがまかり通る世界にわたしたちは生きなければならないということを暗示しているのかもしれません。イエズス・キリストが馬鹿にされる・屈辱される世界はそういう世界だということを、全世界の前でわたしたちに予告しているのかもしれません。
【償い】
では、わたしたちはそのような冒涜を見て、イエズス・キリストに対してなされる屈辱を見て、何をしなければならないのでしょうか。わたしたちは、その冒涜を何とかして償わなければなりません。もしもそれを行った人が償わないならば、誰かが代ってそれを償ってあげなければなりません。もしも冒涜を見て償わないでいたら、それを止めないでいたら、それに対して沈黙を守っていたならば、それは冒涜に賛成したということであり、冒涜を助けた、幇助した、ということになります。つまり、冒涜したと同じような責任をもつことになります。
歴史のなかには、冒涜を見て、そしてそのまま何もしなかったがために町全体が滅んでしまったという例が存在しています。例えば1902年3月28日聖金曜日に、マルティニーク島のサンピエールという町でこんなことが起こりました。この聖金曜日には一部の人々によって、キリストの十字架像が馬鹿にされました。
彼らは十字架像をもって、屈辱を浴びせながら、町をでて、近くにあったプレ山という山に向かいました。十字架の道行きの信心を嘲るために――聖金曜日にカットリック教会ではそれを行うので――道すがら十四回わざと留まって十字架を屈辱しました。そして最後には、冒涜を繰り返したのちに、その十字架像をプレ山の噴火口に投げこみ嘲笑いました。このことを知って、これに抗議の声をあげる人は誰もいませんでした、残念ながら。
そののち、同じ年の5月8日、キリストの昇天の祝日に、突然、マルティニーク島にあるプレ火山が噴火しました。早朝のことでした。そしてサンピエール市はすべて火山灰のもとに埋められてしまい、壊滅しました。そこにいた約4万人が死亡しました。助け出ることができたのは、非常に朝早く出勤のためにその町を離れたほんの数名だけでした。
ですから、わたしたちは、そして世界中の心ある人たちは、この冒涜を見て、ノー!と叫んでいます。
「わたしたちはこれを受け入れない!」
「わたしたちはこのような屈辱を見て、イエズス・キリストに対する償いを果たしたい!」
「特に御聖体が、ミサ聖祭が屈辱されたので、わたしたちはミサ聖祭において、そして御聖体に対して特別の愛をあらわして、罪を償いたい!」
「冷淡に対して、愛をもって応えたい!」
と思っています。
ですから、愛する兄弟の皆様は、今日はここに与りました。どうぞご聖体拝領を、愛をこめてなさってください。そしてイエズス様のご聖体を、心から礼拝してください。世界中のカトリック信者たちと心を合わせて、この償いの業を果たしてください。
もしかしたら私たちの数はそんなに多くないかもしれません。しかし、ソドムとゴモラの町を破壊しようと、罰せようとした天主に対して、アブラハムは、こう言ったではないでしょうか。
「いや、天主よ、憐れんでください。もしもこの巨大な町、ソドムとゴモラに、たった五十人でも義人がいるならば、その五十人たちのためにこの町を容赦してください、そうしてくださいますか?」
「そうしよう。もしも五十人いたらこの町を救おう、罰しない。」
アブラハムはもっと憐れみを願います、四十人、三十人、二十人、十人。主はいいます。
「十人でも、義人がいるならば、私はソドムとゴモラを滅ぼさない。」
しかし、アブラハムにはさらに言葉を続けることができませんでした。残念ながら、ソドムとゴモラには、その十人さえもいませんでした。そして滅ぼされてしまいました。
わたしたちは、ですから、主に、わたしたちの少ない人数にもかかわらず、愛をもって捧げることによって、主に特別の愛を、あわれみを請い求めましょう。
三日間、償いのミサと御聖体降福式を行いましょう。わたしたちの主がこのわたしたちのつたない祈りと愛を見て、宥められ、そしてわたしたちを憐れんでくださいますようにお祈りいたしましょう。また、マリア様の御取次をも願いましょう。
Deus propitius esto nobis peccatoribus!
天主よ、罪人である私たちを憐れみ給え!
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
8月2日(初金)、3日(初土)、4日(主日)には、パリオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いの三日間とすることを提案します。
大宮の日本の聖なる殉教者聖堂と、大阪の聖母の汚れなき聖心聖堂で、ミサと聖体降福式が冒涜の償いの意向で行われます。
預言者イザヤの一節(18:2)を解説して、聖ヒエロニモは、冒涜よりも恐ろしいものは何もない。全ての罪は冒涜と比較するならより軽い罪だ。nihil enim horribilius blasphemia, quae ponit in excelsum os suum. ... omne quippe peccatum comparatum blasphemiae, levius est. と言っています。
聖トマス・アクィナスによると、冒涜とはもっとも重い犯罪です。
殺人と冒涜とを比較すると、まず罪の対象に関して、冒涜の方が殺人よりも重い罪であると言います。何故なら、冒涜は直接天主に反するものですが、殺人は隣人に(人間)に関するものだからです。【危害の観点について言えば、隣人を殺害する方が、天主に加える危害よりも大きい。】
しかも、罪の邪悪さは、行動の結果と言うよりは、悪を行おうとする意志によります。冒涜を行う人は天主の名誉に危害を加えようとすることを意図しているので、絶対的な意味では、冒涜者は殺人者よりも重大な罪を犯します。(II, II, q13, art 3 ad 1)
パリオリンピックの開催式には、まさに恐ろしい冒涜が行われました。開会式には、ドラァグクイーン(女装した男性)らによるレオナルド・ダヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」のパロディ、そのパロディの前でほとんど全裸で横になって歌を歌うディオニュソス(酒と祭典の神)が出てきます。
異教の偶像崇拝もあります。黄金の小牛の偶像や、金属製の馬に乗ってセーヌ川を駆ける下る武装した女性もでてきます。開会式を準備した人々によるとこの女性はケルトの神サクァナを象徴するとのことです。
不倫の三人関係を描いた登場人物や、首を切断されたフランス王国最後の王妃マリ・アントワネット(フランス革命によって1793年に37歳でギロチンで殺害された)もでてきます。全ては反キリスト教を意味しています。パリオリンピックの開会式は悪魔的でした。反キリスト的でした。
アメリカのリンカーン司教区のコンリ司教(Bishop Conrey)は
最後の晩餐の描写はキリスト教に対する公然とした直接の攻撃であること、イエズス・キリストが十字架の死を予見してご自分の御体を私たちに御聖体としてお与えになるという最高の愛を、このようなやり方で馬鹿にすることはできない、と言われます。司教は、この嘲笑を償つために、祈りと断食をささげるように招いておられます。
聖パウロはこう言います。「あなたたちも、賞を受けるために走れ。力士はみな、万事をひかえ慎む。それは、朽ちる栄冠のためであるが、私たちは朽ちない栄冠のためである。」
人となった真の天主イエズス・キリスト、私たちのために十字架の苦しみを受け復活されたイエズス・キリストの与える永遠の命を受けるために、私たちは償いを捧げましょう。
日本でも、多くの方々が罪の償いに参加されますように、聖ピオ十世会は多くの愛する兄弟姉妹の皆様をご招待いたします。
大宮の日本の聖なる殉教者聖堂
8月2日(初金)初金のミサ(読誦ミサ)午後06時:引き続いて償いの聖体降福式
8月3日(初土)初土のミサ(読誦ミサ)午前11時:引き続いて償いの聖体降福式
8月4日(主日)午前08時30分(読誦ミサ)、午前10時30分(歌ミサ)、ミサの後の祈りが終わったのちに「償いの聖体降福式」【⇐追加されました。】
大阪の聖母の汚れなき聖心聖堂
8月2日(初金)初金のミサ(歌ミサ)午後06時30分:引き続いて償いの聖体降福式
8月3日(初土)初土のミサ(歌ミサ)午前10時30分:引き続いて償いの聖体降福式
8月4日(主日)午前09時(歌ミサ)【!ミサの時間にご注意ください】
Deus propitius esto nobis peccatoribus!
天主よ、罪人である私たちを憐れみ給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
追記:有志の方々で、8月2日午後3時30分より、(フランス)共和国大使館前(住所:〒106-8514 東京都港区南麻布4-11-44)にて、償いのためにロザリオを5連を唱えます。
皆様お誘い合わせの上、ご参加ください!世界中に償うことを一番早くするのは私たちです。お気軽にお知らせください。すべてのカトリック信者を歓迎します。聖母に、イエズスの聖心に償いの祈りを捧げたい方、だれでも大歓迎です。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
日本で活躍されたカトリック宣教師の一人イポリト・ルイ・カディヤック神父様(パリ外国宣教会司祭 Hippolyte-Louis-Auguste CADILHAC, M.E.P.)をご紹介します。
カディヤック神父様は、1859(安政6)年3月17日に、南フランスのアヴェロン県Aveyron、教区はロデス教区RodezのミロMillauという町の近くにある農村ラ・カヴァルリ(La Cavallerie)の家に12人兄弟の6番目の子どもとして生まれました。
神父様は12歳の時ベルモンBelmontの小神学校に入り、1879年にパリ・ミッション(パリ外国宣教会)の神学校に入学しました。1882(明治15)年9月23日、23歳で司祭に叙階されました。その年の12月26日パリ・ミッションの宣教師として横浜港に到着され、その後は1930(昭和5)年11月19日、71歳で帰天されるまで再び故国の土を踏むことなく48年間引き続き日本に在住しました。
1883(明治16)年6月に先輩のF・P・ヴィグルス神父(Vigroux)の助任に任命されました。二人の神父の宣教担当地区は千葉・茨城・埼玉・栃木・群馬・福島の六県でした。1891(明治24)年ヴィグルス神父が東京副司教に転任すると、カディヤック神父は福島県をのぞく関東「5県を一手に」引き受けました。のちにカディヤック神父様は、1883年から1891年の間が、自分の人生で一番素晴らしい時だったと回想しています。何故なら、ヴィグルス神父と二人で、意見も仕事も財産も(スータンさえも)共有していたからだそうです。カディヤック神父様は、「歩く宣教」"Mission Itinérante" ("l'ambulance")の模範とされました。
神父様は、1891年には、宇都宮市にミッションの中心地を確立しました。1891年から1930年まで宇都宮の主任司祭を務めました。神父様の清貧の精神と多くの方々の寛大な援助(神父様の生まれ故郷のラ・カヴァルリの二人の孤児からの援助も含めて)で、宇都宮、前橋、水戸、千葉などに教会を建てる土地を購入しました。宇都宮には立派な教会も建てられました。しかしこの教会の完成を見ずに神父様は他界されました。墓は、神父の念願どおり宇都宮の松が峰教会の墓地内にあるそうです。
カディヤック神父様は「歩く宣教師」と呼ばれ、宇都宮教会の洗礼台帳によると、明治26年9月から昭和5年3月までのおよそ36年間に神父様から洗礼を授けられた受洗者の数は987名(!)だったと記録が残っています。神父様は「一にも祈り、二にも祈り」と祈りの大切なことを教え、公教要理を厳しく教えたそうです。
カディヤック神父様が養成した宇都宮教会出身の最初の日本人司祭は、後に横浜司教となりました。ルカ荒井司教様(横浜司教 1952 ~ 1980)です。
それでは、栃木県出身の東大名誉教授である、久保正幡教授(1911~2010)の書かれた「宣教と日本の風土」をご紹介します。久保正幡著「宣教と日本の風土」は、1978(昭和53)年11月25日、聖心女子大学キリスト教文化研究所主催の公開講座でおこなった講演の筋書に、その後多少補訂の筆を加えたものです。
ここで久保教授は「宣教というのは、なかなか動かない風土を動かしていくところに意義があるのではないか」と反語で主張し、日本におけるカトリックの代わりに「日本的カトリック」という表現に疑問を付しています。何故なら「日本的」というところに力点が置かれると「カトリック」でなくなってしまい、言葉として形容の矛盾におちいることになりますから、と説明しています。
宣教と日本の風土
久保正幡
はじめに
今日の私の話は、実は最近に私の読んだ一冊の本、それを皆さんに紹介することです。そのような話で勘弁してもらえるかしらと主幹の吉沢さんに相談しましたら、この講座のひとこまとして、ここに掲げてあるような立派な、どうにも私の話には過分な演題を頂戴した次第です。さて早速に話の本筋に入りたいのですが、その前にこの「宣教と日本の風土」という演題について少しばかり説明をしておくことにしましょう。
先ず「宣教」というのは、申すまでもなく、キリストの教え、福音を宣べ伝えることです。キリスト教および教会の歴史、今日までの過去およそ二千年の間に宣教はほぼ全世界に行きわたっているようですが、それでもまだ充分に行きとどいていないところもありますので、われわれの教会は特に宣教地とか布教地域という制度をかまえて、そのような地域に福音を行きとどかせようと努めています。こうした教会の宣教活動については、御承知の方も多いと存じますが、先頃の第二回ヴァティカン公会議関係の教令の一つ、「教会の宣教活動に関する教令」(1965年12月7日)と題する文書が公にされ、日本語にも訳されています。これは長文でなはなく、われわれが一読して、宣教とはなにか、それを知ることができ、しかもそれをよく心得ることができるような文書ですから、皆さんには一読なさることをおすすめします。
次に「日本の風土」について。風土という言葉はもともと、風は気候、土は土地のありさま、つまり自然の風土を意味するものと解されますが、近頃は、思想的風土、精神的風土というような言葉づかいも通用しています。ここで日本の風土という場合、風土という言葉は自然の風土だけでなく、思想的風土とか精神的風土とかいうようなものまで合わせ含む意味のものと、そう解するのが適当でしょう。ところで、近頃わが国で、特にカトリック・プロテスタントの別なくキリスト者の間で、宣教との関係において日本の風土の問題が取り上げられ、しばしば話題や論題にされています――例えば、いわゆる日本的カトリックの問題とか、わが国におけるキリスト教の土着化の問題などがそれです――が、それはなぜでしょう。わが国ではこのところ宣教が伸びなやんでいる、なにか壁にぶつかっている、それを打開して宣教を推し進めるにはどうすればよいか。日本の風土は福音が最初に告げられたイスラエルの風土ともちがうし、また、福音がわが国に伝来したのは西洋――ここで西洋というのは、ヨーロッパおよびその延長と見なされるアメリカのことです――を経由してのことですが、西洋の風士ともちがう、そういう風土のちがいが宣教をはばむ壁になっているのではないか、それならば宣教は日本の風土にどう対処したらよいか――こうして宣教と日本の風土という問題が生ずることになります。
宣教と風土、この問題はしかし、いま且つここで生じた新たな問題とばかり見るわけにはいかないように思われます。宣教の歴史を願みますと、福音はイスラエルの地から発してギリシャ・ローマなど古代地中海世界に伝えられ、それから中世ヨーロッパ世界に、そして近世以降はヨーロッパからヨーロッパ外の世界各地にも伝えられるようになって今日にいたっているのです。宣教はこのようにその都度ちがう風土の世界を相手に展開されてきたわけで、その意味で宣教の歴史は、ちがう風土との対決の歴史であると言えましょう。以上は、きわめて巨視的に全教会の宣教の歴史について見てのことですが、日本の教会のそれについても、やはり同じことが言えるでしょう。わが国で宣教活動に従事してきた人々はだれしも、「宣教と日本の風土」、この問題に実際上取組みながら活動したわけで、その事蹟が宣教の歴史にほかならないのですから。そこで私はこの問題について、問題がわれわれにとって切実な、重要なものであるだけに、この問題を考えるにはよくよく宣教の歴史――全教会のそれとともに日本の教会のそれ――を願みてそれを参考にすることが大切であると思います。今日の話も私のこのような思いからのことです。
『歩く宣教師 イポリト・ルイ・カディヤック』について
さて、話のまえおきはこのくらいにして、話の本筋に移ることにします。私がこれから皆さんに紹介する本は、これです。書名は『歩く宣教師 イポリト・ルイ・カディヤック』(昭和53年5月)、著者は田中美智子という方です。私はこの本で著者を知っただけで、面識はありません。著者がこの本に記しているところによりますと、著者は昭和53年3月に清泉女子大学文学部キリスト教文化学科を卒業して、同じ年の4月から母校の宇都宮海星女子学院高等学校の社会科講師に就任しています。この本は著者の大学卒業論文ですが、「宇都宮の教会の創設者であるカディヤック神父をテーマに選んだので、論文執筆時から信者の方々より出版の要請を受けた。学士論文とは名ばかりの未熟な論文であるが、父母の厚意に甘えて‥‥‥」と著者が記しているような次第で私家版として出版されたものです。私家版のこの本を私などが、しかも出版後間もなく、どうして手にするようになったかというと、横浜教区の荒井勝三郎司教さま――荒井司教は生まれて翌日カディヤック神父から洗礼を授けられ、同神父の導きで司祭への道を志されたというそれこそ本当の教え子です――から頂戴したからです。
この本の内容は本文と別冊との二部から成り、第一部の本文は、著者が書き上げたカディヤック神父の伝記です。第二部の別冊は、別冊というのはおそらくもとの卒業論文の名ごりでしょう、この本では本文と合わせて一冊になっています。それは資料篇ともいうベきものです。すなわち、この本に寄せられた宇都宮松が峰教会主任司祭野口義美師の序文には「宇都宮の神父と呼ばれたカディヤック神父ではあるが、宇都宮の教会には……神父の生涯を伝える記録は洗礼台帳以外に何も残されていない」ほど乏しく、その他にも文書や記録の類の「確実な資料が殆んど残されていない現状から神父の生涯を論文としてまとめることは至難の業であったに違いない。それは図書館の中で書かれた論文ではなく、「歩く宣教師」の面影と生きざまを求めて数十名の生き証人を訪ね、彼等のおぼろげな記憶の糸を紬いで、その中から信憑性のあるものだけを集めて織り上げた手織の論文……足で稼いだ集大成である」とあり、また著者も序論で「今日、私たちが信仰を持つことができるのは、カトリック復活時代といわれた幕末から明浴・大正にかけて来日し、日本中を宣教して歩いた当時の宣教師たちのおかげである。私たちはあまりにも彼らを忘れてはいないだろうか。いま、彼らについての記録・考察を怠ったならば、永遠に明治・大正期の宣教師たちの影がうすくなってしまう」ことになろう。
カディヤック神父を直接知っている生き証人は少くなるばかりだが、「今なら間に合う」と「資料集めに走り回」り、「日本を愛し、日本人を愛し」て、来日以後「一度も帰国することなくその宣教の生涯を終えた」神父の「生涯はどんなものであったのだろうか。また、カトリック教ならぬカディヤック教、とまでいわしめた神父の独得の宣教法とはどのようなものか。その、神父をささえるバックボーンとは何か。神父のどこが偉大といわれるゆえんなのだろうか。以上をテーマとして」それを「文献だけでなく、神父を知る人々から聞いた話にもとづいて考察しようと思う。私なりの考察で、生きた神父をつかむつもりである」と述べているところから明らかなように、別冊には、著者が荒井司教、デルボス神父、塚本昇次神父はじめ計14~15名の生き証人を訪ねまわって、証人から聞かされた「歩く宣教師」についての思い出話、それを証人別に忠実に記録したのが載っています。
この本は、本文と別冊と合わせて80頁ほどのもの(そのほか参考文献表、写真、年譜、地図が附いています)ですが、本文と別冊と両々相俟って「歩く宣教師」の生涯をよく浮彫りにしているように思われます。
カディヤック神父宣教の足跡
それでは以下、この本によってカディヤック神父の宣教の足跡をたどりながら私のそこはかとなく抱かされた感想を述べていくことにしましょう。最初に神父の略歴を申しますと、1859(安政6)年南フランスのアヴェロン県、教区はロデス教区――私どもの大雑把な地図ではトゥールーズの東北方、さして遠くないところです――の農村の家に生まれ、小神学校から進んでパリ・ミッション(パリ外国宣教会)の神学校に学び、1882(明治15)年9月、23歳で司祭に叙階され、その年の12月パリ・ミッションの宣教師として海を越えて来日、その後は1930(昭和5)年11月、71歳で帰天されるまで再び故国の土を踏むことなく48年間引き続き日本に在住、その間は東京副司教や司教代理もつとめたが、その生涯はそれこそ歩く宣教師と称すべきものでした。墓は神父の念願どおり宇都宮の松が峰教会の墓地内にあります。
さて、神父が歩く宜教師としてどこの地方を歩きまわったかというと、神父は来日して築地の大司教館で日本語の習得を始め、それから半年後の1883(明治16)年6月に先輩のF・P・ヴィグルス神父の助任に任命されたのですが、二人の神父の宣教担当地区は千葉・茨城・埼玉・栃木・群馬・福島の六県でした。その後やがて福島県は別になり、1891(明治24)年ヴィグルス神父が東京副司教に転任すると、カディヤック神父は関東「5県を一手に」引き受け、宇都宮の教会を本拠にして巡回する個所は「380にも及ぶという忙しい身となった」のですが、その「神父の労苦は、若い宣教師が来日して〔埼玉、千葉、水戸など〕各地に赴任することで、少しずつ減っていった」ということです。
この関東から東北にかけての6県ないし5県は、この本が記しているように「カトリック不毛地帯」でして、神父がこの地方で宣教活動を始めたのは、わが国の明治憲法発布より5年あまりも前のことです。鉄道も開けず、その頃からようやく高崎線、東北線が段々に開通を見るというようなところですから、遠い道のりも先ずは歩くほかない、そして「道を歩けば「ヤソ、ヤソ」とののしられ、ときには石を投げられる。「ヤソ講」といわれた辻説教を始めると熱湯をかけられそうになったこともあったりで、命取りにもなりかねない巡回であった。しかし、神父は無知な人々をのろう代りに祝福するのであった」と著者は述べています。実は私も栃木県の生まれです――もっとも生まれたのは、神父が宇都宮に居を据えた当時から優に一世代も後のことですが――ので、著者のこのあたりの記述を読みながら、神父が宣教に苦労をかさねた頃の田舎の世情など、私が父や郷里の人々の昔話として聞かされていたことを思い合わせました。著者の記述はよく真相を得ているのではないでしょうか。また「無知な人々を祝福する」という神父の気持、これがなかったならば、神父は宣教の苦労を耐え忍びそれにうち克つことはできなかったろうと思います。
ところで、この地方の宣教は特に苦労の多い仕事であっただけに、神父が先輩のヴィグルス神父を助けて二人で従事していた8年間に千葉布教所のほか新たに足利、会津若松、宇都宮と次々に仮聖堂とか教会を設けて宣教の足がためをしたのは、本当にえらいことです。またその後、神父が仕事を一手に引き受けるようになってからも、宇都宮教会の洗礼台帳によると、明治26年9月から昭和5年3月までのおよそ36年間に神父から洗礼を授けられた受洗者の数は987名で、この数は「一人の神父の実績としてはかなり高いものであることが分かる」と著者が述べているとおり、これもまた本当にえらいことです。
この地方の宣教は困難な仕事であったのに、これほど実りの多い成果が挙げられたのはなぜか。それにはいろいろな事由が考えられるでしょうが、その一つ、私がここで指摘したいと思うのは、1909(明治42)年神父の先輩で恩師のヴィグルス神父が帰天されたその年に、「あたかもヴィグルス神父の生まれかわりのように、〔二人と〕同じロデス教区の出身で後輩であるJ・フロジャック神父が来日。かつてカディヤック神父がヴィグルス神父に預けられたように、今度はフロジャック神父がカディヤック神父に預けられ、歩く宣教師としての修行を積むことになる」とこの本にある点です。フロジャック神父のことは御存知の方や、くわしい伝記の書物がありますから、お読みになった方も多いでしょう。カディヤック神父はフロジャック神父の恩師になるわけです。
およそ宣教というようなそれこそ永続的な、そして根気の要る仕事にとっては、同じ世代に属する人々の間の――いわば横の――協力、それが大事なこともちろんですが、そればかりでなく、それにもまして大事なのは、前後世代を異にする人々の間の、先輩から後輩へとか師弟相承けてというように仕事のバトン・タッチをしていく――いわば縦の――協力であると思います。ヴィグルス、カディヤック、フロジャック、この三人の神父のコンビがこの場合陰に陽に大いにものを言っている、大きな働きをしているのではないでしょうか。
「歩く宜教師」の宣教方法
それからもうーつ、右の事由をたずねますと、話は、この本ではカディヤック神父の巡回、独得の宣教法、バックボーンという題目のあたりに移ることになります。この辺はこの本の中でも圧巻の部分です。それだけに、下手な紹介は禁物、やはり私の感想を主に話していくことにしましょう。この本の巻頭などに掲げてある神父の肖影を見ますと、神父は、日本人の目には一見してはっきり西洋人・異人とわかるような風貌の持主です。明治の昔北関東を巡回していた頃、神父の姿は地方の人々の目にはよほど物珍しく見えたに相違ありません。
それでも神父は、接する人に「外国人という異和感を全く感じさせない人」で、「親類のおじさんというイメイジであった」ということです。おそらちく神父は、人種・国籍・職業など生まれや暮らし方はちがっても、互いに人間であることにはちがいはない、根本の人間性においては共通であるという、そういう気持で人に接したからでしょう。人間の気持は微妙なもので、神父がそういう気持で接すると、相手はそれほどの用意がなくても、それに触発されて同じような気持で神父に接することになる、そのせいではないでしょうか。
次に、神父の独得の宣教方法というのは、神父がふだん「自然と人間の現実をよく観察し」ていて、人々に身近な、人々の目の前にあるような物事を引合に出してそれをたとえにしながら教理を説くという、その話し方です。神父のこのようなたとえ話の実例がこの本の中にたくさん記されています。それを読みますと、いかにも神父は「言葉が上手というよりも話し上手」で、神父の話には強い説得力があったということに感心させられますが、同時にまた、神父が「一にも祈り、二にも祈り」と初りの大切なことや公教要理をそれは随分厳しく教えたということも見のがしてはならないと思います。
話し手の神父自身は「巡回しながら「日本人はよく聞いてくれる。それが喜びだ」と言われていた」とのことですが、神父の宣教の話は、さだめし、聞き手が耳で聞いて頭で理解するだけでなく、心で聞いて得心することをねらいとするものであったのでしょう、そして聞き手がそれをそのとおり受けとめたことが神父を喜ばせたのではないでしょうか。宣教は、そこではじめて成り立つことになると言えましょう。
なお、神父が巡回しながら信者の日常生活の実際に触れて造林や畑作、貯蓄やお金の使い方などを教えたり、緑談の世話、けんかやもめ事の仲裁など上手にしたということや、経済の話はしたが、政治の動きには関心を示さなかったということ、また邦人司祭養成のために宇都宮の教会では早くも神父の在任当時から子どもたちが一人毎月一銭ずつ竹筒の貯金箱に入れて神父学校へ寄附するようにしていたということなど、すべて神父の宣教方法につながりのあることですので、ここに申し添えておきましょう。
さて次は、カディヤック神父が宣教と風土、との問題にどう対処したかという点です。この本で著者が述べているように、パリ・ミッションの神学校の伝統的校風や神父在学中の読書から推測して、神父は「日本宣教の困難さを承知」覚悟のうえ「来日したのであろう」と思われます。そして神父は「パウロの「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい」(コリント第一、11・1)の言葉どおりに生き、後輩の神父たちにもこの言葉を贈って指導した」のですが、そもそもキリストがパウロなど使徒たちになんと命ぜられたかというと、先頃の「数会の宣教活動に関する教令」にもあるように、「主は使徒たちに「あなたがたはすべての国に行って教え、父と子と聖霊との名によって洗礼を授け、わたしがあなたがたに命じたことをすべて守るように教えよ」(マタイ、28・19以下)、「あなたがたは全世界に行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えよ。‥‥‥」(マルコ、16・15以下)と命じた」のです。
神父は歩く宣教師として使徒パウロにならい、このキリストの言葉をそれこそ地でいった者と言えましょう。神父の独得の宣教法というのは、上に述べましたように、教えを説く神父の説き方にあったのでして、説く教えそのものにあったのではないと思います。心のやさしい神父が公教要理は随分厳しく教えたというのも、その証拠ではないでしょうか。また神父は「教会史を読めば、‥‥‥世界の布教方法も各教会のいきさつも、すべてわかるね」と言って、ロールバーケルの教会史という24~25巻もある大きな書物を20回以上も繰り返し読んでいたということですが、おそらく神父はそこから宣教と風土、あるいは教とその説き方などの問題について多くの教訓や示唆を得て、それを自分の宣教活動の上に生かしていたのではないでしょうか。
「忍耐によって霊魂を救え」――これは、神父が叙階の際に聞かされて終生座右の銘とした言葉ですが、これこそ、清貧を守り断食しながら宣教師として歩き続けた神父のバックボーンと見ることができましょう。忍耐というのは消極的でなく、積極的にこうも強く働くものかと思います。上記宇都宮の野口義美師の序文には末尾に「48年問一度も日本を離れず、食物、生活の違いやいろいろの偏見、封建的因習等の困難苦労をものともせず、ひたすら日本人の救霊と教会づくりに専念されたカディヤック神父の宣教に対する情熱はわれわれ司祭、信徒の模範とすべきであろう」とあります。
著者は「神父の人徳と信仰をそのまま受け継いだ人々を見たとき、私は「永遠なる命」を信じられるような気がした」と述べていますが、著者のこの実感は、文字どおり労作のこの本の出来栄えとともに、貴重な収穫であったと思います。なお著者はこれも結論のところで、「カディヤック神父の宣教法を、もし現代社会にそのまま持ってきて宣教したら、果たして成功するだろうか」と疑問を投げかけていますが、この点は、今後の課題でもよいのです、著者の説明なり分析をもっと聞かせてほしいと思いました。
おわりに
以上でこの本の紋介を終りますが、最後に、宣教と風土、この問題について私の思うことの一・二をごく簡短に附け加えておきましょう。その一つは、風土というもの、それはなにか固定していて動かないものと考えられがちですが、われわれはそれを動かないものではなく、動かせば動くものというように考えてよいのでなはないか。
宣教というのは、なかなか動かない風土を動かしていくところに意義があるのではないでしょうか。それからもうーつは、近頃「日本的カトリック」という言葉をよく耳にしますが、問題はその言葉の意味です。「日本的」というところにあまりにも力点が置かれると、それによって肝心の「カトリック」というところにひびが入ることになり、言葉としてもいわゆる形容の矛盾におちいることになりますから、そのおそれはないか、その点の念入りな検討が必要と思われますが、どうでしょう。
ところで、このような一・二の問題を考える場合にも、上に一言しましたように、温故知新、われわれは宣教の歴史をたずねることが大切です。それによってわれわれの考は宙に流れることなく、地についたものになるのですから。それには先ずもって宣教の歴史、これは音から宣教に従事した先人たちの貴重な経験――成功の経験であれ失敗のそれであれ――の積み重ねにほかならないのですが、これをできるだけ明らかにすることが必要です。このような意味で重要な宣教の歴史を明らかにする仕事にこの本は寄与しているわけで、しかもこの本の場合、その寄与がカトリック大学のひとりの学生の卒業論文によってなされていることを私は特にうれしく感じた次第です。
これで私の話を終ります。つたない話でしたのに皆さんの御静聴、ありがたく存じます。
(本稿は、1978(昭和53)年11月25日、聖心女子大学キリスト教文化研究所主催の公開講座で私のおこなった講演の筋書に、その後多少補訂の筆を加えたものです――久保附記)
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、大宮の「聖なる日本の殉教者聖堂」での聖伝のミサの時間です。
Dear Brethren, the Traditional Latin Mass time at the SSPX Holy Japanese Martyrs Chapel in Omiya.
7月19日 金 証聖者聖ヴィンチェンチオ・ア・パウロ(3級祝日)白 18:00
7月20日 土 証聖者聖ヒエロニモ・エミリアノ(3級祝日)白 11:00
7月21日 日 聖霊降臨後第9主日(2級)緑 8:30, 10:30
7月22日 月 悔悛女マグダラの聖マリア(3級祝日)白 7:00
7月23日 火 殉教者司教聖アポリナリス(3級祝日)赤 7:00
7月24日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
7月25日 木 使徒聖ヤコボ(2級祝日)赤 7:00
7月26日 金 童貞聖マリアの御母聖アンナ(2級祝日)白 18:00
7月27日 土 聖母の土曜日(4級)白 11:00
7月28日 日 聖霊降臨後第10主日(2級)緑 8:30, 10:30
7月29日 月 童貞聖マルタ(3級祝日)白 7:00
7月30日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
7月31日 水 証聖者聖イグナチオ(3級祝日)白 7:00
8月1日 木 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
8月2日 金 教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白 18:00
8月3日 土 聖母の土曜日(4級)白 11:00
8月4日 日 聖霊降臨後第11主日(2級)緑 8:30, 10:30
8月5日 月 雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白 7:00
8月6日 火 私たちの主イエズス・キリストの御変容(2級祝日)白 7:00
8月7日 水 証聖者聖カイェタノ(3級祝日)白 7:00
8月8日 木 証聖者聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネー(3級祝日)白 7:00
8月9日 金 殉教者聖ラウレンチオの前日 18:00
8月10日 土 殉教者聖ラウレンチオ(2級祝日)赤 11:00
8月11日 日 聖霊降臨後第12主日(2級)緑 8:30, 10:30
8月12日 月 童貞聖クララ(3級祝日)白 No Mass
8月13日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
8月14日 水 童貞聖マリアの被昇天の前日(2級) 7:00
8月15日 木 童貞聖マリアの被昇天(1級祝日)白 10:30
8月16日 金 童貞聖マリアの御父聖ヨアキム(2級祝日)白 18:00
8月17日 土 証聖者聖ヒヤチント(3級祝日)白 11:00
8月18日 日 聖霊降臨後第13主日(2級)緑 8:30, 10:30
8月19日 月 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白 No Mass
8月20日 火 教会博士大修院長聖ベルナルド(3級祝日)白 7:00
8月21日 水 寡婦聖ヨハンナ・フランチスカ・フレミオ・ド・シャンタル(3級祝日)白 7:00
8月22日 木 聖母マリアの汚れ無き御心(2級祝日) 7:00
8月23日 金 証聖者聖フィリッポ・ベニチオ(3級祝日)白 18:00
8月24日 土 使徒聖バルトロメオ(2級祝日)赤 11:00
8月25日 日 聖霊降臨後第14主日(2級)緑 8:30, 10:30
8月26日 月 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
8月27日 火 証聖者聖ヨゼフ・カラサンティ(3級祝日)白 7:00
8月28日 水 教会博士証聖者司教聖アウグスティノ(3級祝日)白 7:00
8月29日 木 洗者聖ヨハネの断首(3級祝日)赤 7:00
8月30日 金 童貞リマの聖ローザ(3級祝日)白 18:00
8月31日 土 証聖者聖ライムンド・ノンナート(3級祝日)白 11:00
9月1日 日 聖霊降臨後第15主日(2級)緑 8:30, 10:30
9月2日 月 証聖者聖ステファノ王(3級祝日)白 7:00
9月3日 火 証聖者教皇聖ピオ10世(3級祝日)白 7:00
9月4日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月5日 木 証聖者司教聖ラウレンチオ・ユスティニアノ(3級祝日)白 7:00
9月6日 金 聖霊降臨後の平日(4級)緑 18:00
9月7日 土 聖母の土曜日(4級)白 11:00
9月8日 日 聖霊降臨後第16主日(2級)緑 8:30, 10:30
9月9日 月 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月10日 火 証聖者トレンティノの聖ニコラオ(3級祝日)白 7:00
9月11日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月12日 木 童貞聖マリアの至聖なる聖名(3級祝日)白 7:00
9月13日 金 聖霊降臨後の平日(4級)緑 18:00
9月14日 土 聖なる十字架の称賛(2級祝日)赤 11:00
9月15日 日 聖霊降臨後第17主日(2級)緑 8:30, 10:30
9月16日 月 殉教者教皇聖コルネリオ、殉教者司教聖チプリアノ(3級祝日)赤 No Mass
9月17日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月18日 水 9月の四季の斎日 水曜日(2級)紫 7:00
9月19日 木 殉教者司教聖ヤヌアリオとその伴侶(3級祝日)赤 7:00
9月20日 金 9月の四季の斎日 金曜日(2級)紫 18:00
9月21日 土 使徒福音史家聖マテオ(2級祝日)赤 11:00
9月22日 日 聖霊降臨後第18主日(2級)緑 8:30, 10:30
9月23日 月 殉教者教皇聖リノ(3級祝日)赤 11:00
9月24日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月25日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月26日 木 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
9月27日 金 殉教者聖コスマとダミアノ(3級祝日)赤 18:00
9月28日 土 殉教者聖ウェンチェスラオ王(3級祝日)赤 11:00
9月29日 日 大天使聖ミカエル(1級祝日)白 8:30, 10:30
9月30日 月 教会博士証聖者司祭聖ヒエロニモ(3級祝日)白 7:00
10月1日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
10月2日 水 守護の天使(3級祝日)白 7:00
10月3日 木 童貞女幼きイエズスの聖テレジア(3級祝日)白 7:00
10月4日 金 証聖者聖フランシスコ(3級祝日)白 18:00
10月5日 土 聖母の土曜日(4級)白 11:00
10月6日 日 聖霊降臨後第20主日(2級)緑 8:30, 10:30
10月7日 月 ロザリオの聖母(2級祝日)白 No Mass
10月8日 火 寡婦聖ビルジッタ(3級祝日)白 No Mass
10月9日 水 証聖者聖ヨハネ・レオナルド(3級祝日)白 No Mass
10月10日 木 証聖者聖フランシスコ・ボルジア(3級祝日)白 No Mass
10月11日 金 天主の御母たる童貞聖マリア(2級祝日)白 No Mass
10月12日 土 聖母の土曜日(4級)白 No Mass
10月13日 日 聖霊降臨後第21主日(2級)緑 8:30, 10:30
10月14日 月 殉教者教皇聖カリスト1世(3級祝日)赤 No Mass
10月15日 火 童貞聖テレジア(3級祝日)白 7:00
10月16日 水 寡婦聖ヘドヴィジス(3級祝日)白 7:00
10月17日 木 童貞聖マルガリタ・マリア・アラコック(3級祝日)白 7:00
10月18日 金 福音史家聖ルカ(2級祝日)赤 18:00
10月19日 土 証聖者アルカンタラの聖ペトロ(3級祝日)白 11:00
10月20日 日 聖霊降臨後第22主日(2級)緑 8:30, 10:30
10月21日 月 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
10月22日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
10月23日 水 証聖者司教聖アントニオ・マリア・クラレット(3級祝日)白 7:00
10月24日 木 大天使聖ラファエル(3級祝日)白 7:00
10月25日 金 聖霊降臨後の平日(4級)緑 18:00
10月26日 土 聖母の土曜日(4級)白 11:00
10月27日 日 王たるキリストの祝日(1級祝日)白 8:30, 10:30
10月28日 月 使徒聖シモンとユダ(2級祝日)赤 No Mass
10月29日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
10月30日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
10月31日 木 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月1日 金 諸聖人の祝日(1級祝日)白 18:00
11月2日 土 全ての死せる信徒の記念(1級)黒 11:00
11月3日 日 聖霊降臨後第24主日(2級)緑(御公現後第4主日) 8:30, 10:30
11月4日 月 証聖者司教聖カルロ(3級祝日)白 10:30
11月5日 火 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月6日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月7日 木 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月8日 金 聖霊降臨後の平日(4級)緑 18:00
11月9日 土 至聖救世主(ラテラノ)大聖堂の奉献(2級祝日)白 11:00
11月10日 日 聖霊降臨後第25主日(2級)緑(御公現後第5主日) 8:30, 10:30
11月11日 月 証聖者司教聖マルティノ(3級祝日)白 No Mass
11月12日 火 殉教者教皇聖マルティノ1世(3級祝日)赤 7:00
11月13日 水 証聖者聖ディダコ(3級祝日)白 7:00
11月14日 木 殉教者司教聖ヨザファト(3級祝日)赤 7:00
11月15日 金 教会博士証聖者司教大聖アルベルト(3級祝日)白 18:00
11月16日 土 童貞聖ジェルトルード(3級祝日)白 11:00
11月17日 日 聖霊降臨後第26主日(2級)緑(御公現後第6主日) 8:30, 10:30
11月18日 月 聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の奉献(3級祝日)白 7:00
11月19日 火 寡婦聖エリザベト(3級祝日)白 7:00
11月20日 水 証聖者ヴァロワの聖フェリクス(3級祝日)白 7:00
11月21日 木 童貞聖マリアの奉献(3級祝日)白 7:00
11月22日 金 殉教者童貞聖チェチリア(3級祝日)赤 18:00
11月23日 土 殉教者教皇聖クレメンテ1世(3級祝日)赤 11:00
11月24日 日 聖霊降臨後第27主日(2級)緑(聖霊降臨後第24主日) 8:30, 10:30
11月25日 月 殉教者童貞聖カタリナ(3級祝日)赤 No Mass
11月26日 火 大修院長聖シルヴェステル(3級祝日)白 7:00
11月27日 水 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月28日 木 聖霊降臨後の平日(4級)緑 7:00
11月29日 金 聖霊降臨後の平日(4級)緑 18:00
11月30日 土 使徒聖アンドレア(2級祝日)赤 11:00
12月1日 日 待降節第1主日(1級)紫 8:30, 10:30
12月2日 月 殉教者童貞聖ビビアナ(3級祝日)赤 7:00
12月3日 火 証聖者聖フランシスコ・ザビエル(3級祝日)白 7:00
12月4日 水 教会博士証聖者司教聖ペトロ・クリソロゴ(3級祝日)白 7:00
12月5日 木 待降節の平日(3級)紫 7:00
12月6日 金 証聖者司教聖ニコラオ(3級祝日)白 18:00
12月7日 土 教会博士証聖者司教聖アンブロジオ(3級祝日)白 11:00
12月8日 日 聖母マリアの無原罪の御宿り(1級祝日)白 8:30, 10:30
12月9日 月 待降節の平日(3級)紫 No Mass
12月10日 火 待降節の平日(3級)紫 7:00
12月11日 水 証聖者教皇聖ダマソ1世(3級祝日)白 7:00
12月12日 木 待降節の平日(3級)紫 7:00
12月13日 金 殉教者童貞聖ルチア(3級祝日)赤 18:00
12月14日 土 待降節の平日(3級)紫 11:00
12月15日 日 待降節第3主日(1級)バラ色(或いは紫) 8:30, 10:30
12月16日 月 殉教者司教聖エウゼビオ(3級祝日)赤 7:00
12月17日 火 待降節の平日(2級)紫(12月17日から12月23日) 7:00
12月18日 水 待降節の四季の斎日 水曜日(2級)紫 7:00
12月19日 木 待降節の平日(2級)紫(12月17日から12月23日) 7:00
12月20日 金 待降節の四季の斎日 金曜日(2級)紫 18:00
12月21日 土 使徒聖トマス(2級祝日)赤 11:00
12月22日 日 待降節第4主日(1級)紫 8:30, 10:30
12月23日 月 待降節の平日(2級)紫(12月17日から12月23日) 7:00
12月24日 火 平日の主の御降誕の前日(1級)紫 7:00
12月25日 水 主の御降誕(1級祝日、八日間付き)白 00:00, 10:30, 18:00
12月26日 木 最初の殉教者聖ステファノ(2級祝日)赤 7:00
12月27日 金 使徒福音史家聖ヨハネ(2級祝日)白 18:00
12月28日 土 幼子殉教者(2級祝日)赤 11:00
12月29日 日 御降誕の八日間内の主日(2級) 8:30, 10:30
12月30日 月 御降誕の八日間内の第6日目(2級) 7:00
12月31日 火 御降誕の八日間内の第7日目(2級) 7:00
2024/07/19 金 St. Vincent de Paul, Confessor (III class) White 18:00
2024/07/20 土 St. Jerome Emilliani, Confessor (III class) White 11:00
2024/07/21 日 Ninth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/07/22 月 St. Mary Magdalene, Penitent (III class) White 7:00
2024/07/23 火 St. Apollinaris, Bishop, Martyr (III class) Red 7:00
2024/07/24 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/07/25 木 St. James, Apostle (II class) Red 7:00
2024/07/26 金 St. Anne, Mother of the Blessed Virgin Mary (II class) White 18:00
2024/07/27 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White 11:00
2024/07/28 日 Tenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/07/29 月 St. Martha, Virgin (III class) White 7:00
2024/07/30 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/07/31 水 St. Ignatius of Loyola, Confessor (III class) White 7:00
2024/08/01 木 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/08/02 金 St. Alphonsus Liguori, Bishop, Confessor, Doctor (III class) White 18:00
2024/08/03 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White 11:00
2024/08/04 日 Eleventh Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/08/05 月 Dedication of the Church of Our Lady of the Snows (III class) White 7:00
2024/08/06 火 The Transfiguration of Our Lord (II class) White 7:00
2024/08/07 水 St. Cajetan, Confessor (III class) White 7:00
2024/08/08 木 St. John Mary Vianney, Confessor (III class) White 7:00
2024/08/09 金 Vigil of St. Lawrence, Martyr (III class) Violet 18:00
2024/08/10 土 St. Lawrence, Martyr (II class) Red 11:00
2024/08/11 日 Twelfth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/08/12 月 St. Clare, Virgin (III class) White No Mass
2024/08/13 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/08/14 水 Vigil of the Assumption (II class) Violet 7:00
2024/08/15 木 The Assumption Of The Blessed Virgin Mary (I class) White 10:30
2024/08/16 金 St. Joachim, Father of the Blessed Virgin Mary (II class) White 18:00
2024/08/17 土 St. Hyacinth, Confessor (III class) White 11:00
2024/08/18 日 Thirteenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/08/19 月 St. John Eudes, Confessor (III class) White No Mass
2024/08/20 火 St. Bernard, Abbot, Doctor (III class) White 7:00
2024/08/21 水 St. Jane Frances Fremiot de Chantal, Widow (III class) White 7:00
2024/08/22 木 The Immaculate Heart of Mary (II class) White 7:00
2024/08/23 金 St. Philip Benizi, Confessor (III class) White 18:00
2024/08/24 土 St. Bartholomew, Apostle (II class) Red 11:00
2024/08/25 日 Fourteenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/08/26 月 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/08/27 火 St. Joseph Calasanctius, Confessor (III class) White 7:00
2024/08/28 水 St. Augustine of Hippo, Bishop, Confessor, Doctor (III class) White 7:00
2024/08/29 木 Beheading of St. John the Baptist (III class) Red 7:00
2024/08/30 金 St. Rose of Lima, Virgin (III class) White 18:00
2024/08/31 土 St. Raymund Nonnatus, Confessor (III class) White 11:00
2024/09/01 日 Fifteenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/09/02 月 St. Stephen, King, Confessor (III class) White 7:00
2024/09/03 火 St. Pius X, Pope, Confessor (III class) White 7:00
2024/09/04 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/05 木 St. Lawrence Justinian, Bishop, Confessor (III class) White 7:00
2024/09/06 金 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 18:00
2024/09/07 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White 11:00
2024/09/08 日 Sixteenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/09/09 月 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/10 火 St. Nicholas Tolentino, Confessor (III class) White 7:00
2024/09/11 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/12 木 Holy Name of Mary (III class) White 7:00
2024/09/13 金 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 18:00
2024/09/14 土 Exaltation of the Holy Cross (II class) Red 11:00
2024/09/15 日 Seventeenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/09/16 月 Sts. Cornellius, Pope; Cyprian, Bishop, Martyrs (III class) Red No Mass
2024/09/17 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/18 水 Ember Wednesday of September (II class) Violet 7:00
2024/09/19 木 St. Januarius & Companions, Martyrs (III class) Red 7:00
2024/09/20 金 Ember Friday of September (II class) Violet 18:00
2024/09/21 土 St. Matthew, Apostle, Evangelist (II class) Red 11:00
2024/09/22 日 Eighteenth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/09/23 月 St. Linus, Pope, Martyr (III class) Red 11:00
2024/09/24 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/25 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/26 木 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/09/27 金 Sts. Cosmas & Damian, Martyrs (III class) Red 18:00
2024/09/28 土 St. Wenceslaus, Duke, Martyr (III class) Red 11:00
2024/09/29 日 Dedication Of St. Michael The Archangel (I class) White 8:30, 10:30
2024/09/30 月 St. Jerome, Priest, Confessor, Doctor (III class) White 7:00
2024/10/01 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/10/02 水 Holy Guardian Angels (III class) White 7:00
2024/10/03 木 St. Theresa of the Child Jesus, Virgin (III class) White 7:00
2024/10/04 金 St. Francis of Assisi, Confessor (III class) White 18:00
2024/10/05 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White 11:00
2024/10/06 日 Twentieth Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/10/07 月 Our Lady of the Rosary (II class) White No Mass
2024/10/08 火 St. Bridget of Sweden, Widow (III class) White No Mass
2024/10/09 水 St. John Leonardi, Confessor (III class) White No Mass
2024/10/10 木 St. Francis Borgia, Confessor (III class) White No Mass
2024/10/11 金 Maternity of the Blessed Virgin Mary (II class) White No Mass
2024/10/12 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White No Mass
2024/10/13 日 Twenty First Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/10/14 月 St. Callistus I, Pope, Martyr (III class) Red No Mass
2024/10/15 火 St. Teresa of Avila, Virgin (III class) White 7:00
2024/10/16 水 St. Hedwig, Widow (III class) White 7:00
2024/10/17 木 St. Margaret Mary Alacoque, Virgin (III class) White 7:00
2024/10/18 金 St. Luke, Evangelist (II class) Red 18:00
2024/10/19 土 St. Peter of Alcantara, Confessor (III class) White 11:00
2024/10/20 日 Twenty Second Sunday after Pentecost (II class) Green 8:30, 10:30
2024/10/21 月 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/10/22 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/10/23 水 St. Anthony Mary Claret, Bishop, Confessor (III class) White 7:00
2024/10/24 木 St. Raphael, Archangel (III class) White 7:00
2024/10/25 金 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 18:00
2024/10/26 土 Saturday of the Blessed Virgin Mary (IV class) White 11:00
2024/10/27 日 Christ the King (I class) White 8:30, 10:30
2024/10/28 月 Sts. Simon & Jude, Apostles (II class) Red No Mass
2024/10/29 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/10/30 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/10/31 木 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/01 金 All Saints Day (I class) White 18:00
2024/11/02 土 Commemoration of the Faithful Departed (I class) Black 11:00
2024/11/03 日 Twenty Fourth Sunday after Pentecost (II class) Green (Fourth Sunday after Epiphany) 8:30, 10:30
2024/11/04 月 St. Charles Boromeo, Bishop, Confessor (III class) White 10:30
2024/11/05 火 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/06 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/07 木 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/08 金 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 18:00
2024/11/09 土 Dedication of the Archbasilica of the Holy Savior (II class) White 11:00
2024/11/10 日 Twenty Fifth Sunday after Pentecost (II class) Green (Fifth Sunday after Epiphany) 8:30, 10:30
2024/11/11 月 St. Martin of Tours, Bishop, Confessor (III class) White No Mass
2024/11/12 火 St. Martin I, Pope, Martyr (III class) Red 7:00
2024/11/13 水 St. Didacus, Confessor (III class) White 7:00
2024/11/14 木 St. Josaphat, Bishop, Martyr (III class) Red 7:00
2024/11/15 金 St. Albert the Great, Bishop, Confessor, Doctor (III class) White 18:00
2024/11/16 土 St. Gertrude, Virgin (III class) White 11:00
2024/11/17 日 Twenty Sixth Sunday after Pentecost (II class) Green (Sixth Sunday after Epiphany) 8:30, 10:30
2024/11/18 月 Dedication of the Basilicas of Sts. Peter & Paul (III class) White 7:00
2024/11/19 火 St. Elizabeth of Hungary, Widow (III class) White 7:00
2024/11/20 水 St. Felix of Valois, Confessor (III class) White 7:00
2024/11/21 木 Presentation of the Blessed Virgin Mary (III class) White 7:00
2024/11/22 金 St. Cecilia, Virgin, Martyr (III class) Red 18:00
2024/11/23 土 St. Clement I, Pope, Martyr (III class) Red 11:00
2024/11/24 日 Twenty Seventh Sunday after Pentecost (II class) Green (Twenty Fourth Sunday after Pentecost) 8:30, 10:30
2024/11/25 月 St. Catherine of Alexandria, Virgin, Martyr (III class) Red No Mass
2024/11/26 火 St. Sylvester, Abbot (III class) White 7:00
2024/11/27 水 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/28 木 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 7:00
2024/11/29 金 Feria in time after Pentecost (IV class) Green 18:00
2024/11/30 土 St. Andrew, Apostle (II class) Red 11:00
2024/12/01 日 First Sunday of Advent (I class) violet 8:30, 10:30
2024/12/02 月 St. Bibiana, Virgin, Martyr (III class) Red 7:00
2024/12/03 火 St. Francis Xavier, Confessor (III class) White 7:00
2024/12/04 水 St. Peter Chrysologus, Bishop, Confessor, Doctor (III class) White 7:00
2024/12/05 木 Feria of Advent (III class) Violet 7:00
2024/12/06 金 St. Nicholas, Bishop, Confessor (III class) White 18:00
2024/12/07 土 St. Ambrose, Bishop, Confessor, Doctor (III class) White 11:00
2024/12/08 日 Immaculate Conception Of The Blessed Virgin Mary (I class) White 8:30, 10:30
2024/12/09 月 Feria of Advent (III class) Violet No Mass
2024/12/10 火 Feria of Advent (III class) Violet 7:00
2024/12/11 水 St. Damasus I, Pope, Confessor (III class) White 7:00
2024/12/12 木 Feria of Advent (III class) Violet 7:00
2024/12/13 金 St. Lucy, Virgin, Martyr (III class) Red 18:00
2024/12/14 土 Feria of Advent (III class) Violet 11:00
2024/12/15 日 Third Sunday of Advent (I class) Rose or violet 8:30, 10:30
2024/12/16 月 St. Eusebius, Bishop, Martyr (III class) Red 7:00
2024/12/17 火 Feria in time of Advent (II class) Violet 7:00
2024/12/18 水 Ember Wednesday in time of Advent (II class) Violet 7:00
2024/12/19 木 Feria in time of Advent (II class) Violet 7:00
2024/12/20 金 Ember Friday in time of Advent (II class) Violet 18:00
2024/12/21 土 St. Thomas, Apostle (II class) Red 11:00
2024/12/22 日 Fourth Sunday of Advent (I class) violet 8:30, 10:30
2024/12/23 月 Feria in time of Advent (II class) Violet 7:00
2024/12/24 火 Vigil (weekday) of the Nativity of Our Lord (I class) violet 7:00
2024/12/25 水 The Nativity of Our Lord Jesus Christ (I class, with Octave of II class) White 00:00, 10:30, 18:00
2024/12/26 木 St. Stephen, First Martyr (II class) Red 7:00
2024/12/27 金 St. John, Apostle (II class) White 18:00
2024/12/28 土 Holy Innocents, Martyrs (II class) Red 11:00
2024/12/29 日 Sunday within the Octave of the Nativity (II class) White 8:30, 10:30
2024/12/30 月 Sixth Day Within the Octave of Christmas (II class) 7:00
2024/12/31 火 Seventh Day Within the Octave of Christmas (II class) 7:00
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
大宮の聖なる日本の殉教者聖堂で午前10時半から荘厳ミサが捧げられる予定です。
司式司祭:ワリエ神父、助祭:小野田神父、副助祭:フィルベン神父
午後三時からは日比谷公園でマーチフォーライフがあります。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)