アジアの無原罪の聖母の騎士への手紙第7号
*** 聖母の汚れなき御手の道具となった約束を忘れないために ***
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、
皆さんが無原罪の聖母の騎士として誓約したことに関する古典的問題について皆さんにお示しすることをお許しください。
皆さんは、無原罪の聖母の小さな軍隊に所属するというこの特権に、どのようにして到達したのかを考えてください。皆さんが長い間にわたって聖母を愛してきたのは確かであり、聖母の信じられない御力を信じていました。多分、皆さんは黙想会への参加や静修をしたり、書物や文章を読んだりしたのでしょう。特別な恩寵が皆さんの心に触れ、炎となり、火となり、大きな望みとなったのでしょう。「天の御母、私はあなたのためにもっと(なすべきことを)行うべきです」。
皆さんがファチマでの聖母の汚れなき御心のメッセージを知ったのなら、またそれと共にレジオマリエや無原罪の聖母の騎士のことを知ったのなら、これを私たちの天の御母が皆さん一人一人のためにくださる大きな愛の、まことに特別な恩寵でありかつしるしであるとみなしてください。皆さんは深い感謝をもって思い出すでしょう、皆さんが聖母への美しい奉献によって入会した日のことを。聖母を知らなかったり、御子から離れてしまったりして、罪の中に生き、永遠の地獄への道にある多くの子どもたちを聖母が救うのを助けるために、聖母の汚れなき御手の道具となる約束をしたその日のことを。
しかし、熱心だった最初の数週間のあと、私たちはしばしば、あの誓約を忘れたり脇に置いていたりします。日々の必要とするものや試練のため、光はさえぎられ、炎は小さくなってしまいます。一度、少しの間、司祭のニュースレターや説教を読めば、少しの間はあの望みが目覚めますが、一般的には長くは続きません。
私たちのうちに炎を燃えさせ続け、あの誓約を継続させるには、私たちは何をすべきなのでしょうか。私たちが受けたものを保存するだけでなく、成長し、聖母にもっと近づき、聖母によって導かれ、聖母のあふれる愛によってもっともっと魅了されるために。
第一に、私たちが理解しなければならないのは、この最も高い価値について「忘れる」というこのこと、少しの間の熱心さのあとで怠けるというこのこと、最も偉大な愛に対する無関心というこのこと、これらは、原罪の傷によって起こされた私たちの堕落した本性に受け継がれているということです。この事実に驚いてはいけません。あたかも最悪の罪を犯したかのように、失望に陥ってはいけません。まったく正常なものだからです。私たちは堕落してしまった取るに足りないものですから、私たち自身の力によって、私たちの弱い手や心で天の宝を維持することはできないのです。
第二に、理解しなければならないのは、霊的生活を保ち、私たちのマリア様に対する愛や、誓約への忠実を保つことができるのは、天主の恩寵だということです。しかし、聖性において成長し、天主の栄光への熱意、救霊についての熱意が成長するには、天主の十倍の恩寵が必要です。主がマリア様を通してこれらの恩寵を私たちに与えたがっておられますが、すべての恩寵を得るためには、私たちがそれらを求めなければならないと確信しなければなりません。私たちが主の扉をたたくだけで、主は私たちのために扉を大きく開けてくださり、主のすべての宝で私たちをいっぱいにしてくださるでしょう。ですから、朝夕の祈りは重要なのです。朝はより大きな熱意を請い求め、一日の間忘れないようにと願うのです。「御母マリア様、私はあなたの子です。あなたの奴隷です。あなたの騎士です」。また夕には赦しを願います。私はたびたび忘れ、無視しました。強い決意をもって、次の日はもっとよくなるようまた頑張ります。皆さんの無原罪の聖母の騎士会への入会証明とともに行った奉献の祈りを時々更新することもまた、大変助けになります。
第三に、私たちの約束と誓約を守る最も重要な手段は、それらを心に留め、内省し、考え、黙想することです。これは私たちの知性が行うことであって、私たちは天主の光でそれを育てていかなければなりません。私たちが時々「聖母マリアの栄光」について読んだり、考えたり、黙想したりするだけで、私たちの精神は照らされるでしょうし、その結果として心に炎が燃え上がるでしょう。ですから、聖マキシミリアノ・コルベは月刊誌「無原罪の聖母の騎士」や他の本を出版すると大変強く主張したのです。ですから、聖コルベは最も現代的な伝達手段を使いたがったのです。そうすれば、聖母の御心に基づく信じられないほど多くの何百万もの事実、出来事、奇蹟、御出現、回心の恩寵、成聖の恩寵(の話)で(多くの)精神を養うことができるでしょう。人々はこれらのニュースを読むことによって、熱意が高まって、時には英雄的行為にまで至ったのです。
ですから、皆さんはこのニュースレターに感謝し、そして皆さんのために私たちがすでに発行し、また発行を計画中の小冊子やカテキズム、書物にも感謝すべきです。将来には、皆さんのための特別な書店、非常識な(ほど安い)価格でそれらの書物を注文できる書店を持ちたいと思います。そのために私たちは、無原罪の聖母の騎士のウェブサイトも準備しています。以下のリンク先は補足的情報を皆さんに提供します。皆さんが関心を持ってくださればと思います。
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日本語以外のページへ Rycerstwo Niepokalanej Tradycyjnej Obserwancji > SERMONS — VIDEO
日本語以外のページへ MILITIA IMMACULATE
これらのサイトを毎日十分間読んでくださるなら、皆さんは聖母について決して忘れないと確信することができるでしょう。
第四に、知性を養うだけでは十分ではなく、自分の意志によって実行もしなければなりません。これが意味するのは、黙想したことを少なくとも一日に一度、行ってみなければならないということです。たった一つの小さな犠牲によって、どれほどのものを得るのか、皆さんは想像もできないことでしょう。例えば、皆さんが誰かについて怒りたいならば、皆さんは「自分の怒りを殺す」という犠牲を捧げてください。誰かについて悪く思ったり話したりする代わりに、その人のために回心の恩寵と成聖の恩寵を願う小さな祈りをしてください。そうすれば皆さんは、天主に栄光を捧げ、自分を聖化し、効果的に隣人を助けたことになるのです。
聖なる良い行いとは、誰かに贈り物として良い本(小冊子、カテキズム、御絵、ロザリオ、メダイなど)をあげること、不必要なものを買うのをやめて本当に必要としている人(黙想会に参加する支払いのためなど)にお金をあげること、自分の義務を特別な愛と熱意とほほ笑みをもって果たすことです。
これらはまったく簡単な「思い出させてくれるもの」ですが、これらを通して皆さんは聖母を大変お慰めし、聖母が霊魂を救うのを助けるのです。試してみてください。
アジアの無原罪の聖母の騎士会に関するニュース
ご存じのように、私たちは、2017年のファチマのご出現の記念日に向けて、聖母の旗のもとに十万人の騎士を集めるために無原罪の聖母に助けをお願いしています。聖母の汚れなき御手に十万の道具を集めて、悪魔の頭を砕き、非常に多くの生ぬるい霊魂を救うためです。彼らは、天主の恩寵から離れてしまったか、天にあわれみ深い御父と素晴らしい御母がいることを全く知ることがなかった人々です。
ですから、私たちは無原罪の聖母の騎士会がほとんど毎週発展するのを見て大変感謝しています。しかし、忘れてならないのは、最も重要なのは騎士の数ではなく、その質なのです。無原罪の聖母の騎士の中に、熱心で従順で忠実な騎士が一人いれば、あまり熱心でなかったり無関心だったりする騎士たち千人にまさる勝利を獲得するのです。
この日(2015年6月30日)、私たちはアジアで1,918人の騎士を数えるのなら、こんな美しい「成績」が得られたことを聖母に必ず感謝すべきです。前回のニュースレター以来、騎士の数がほとんど倍になったことになります。私は特にティム・ファイファー神父様に感謝します。フィリピンの無原罪の聖母の騎士会のモデレーターとして、私たちの聖母の軍隊に入会するよう、ミンダナオの多くの信者に準備してもらっていたのです。また、アジアのほかの二つの国、中国とインドネシアの信者も、この数週間で無原罪の聖母の騎士会に加わりました。
私はこれらの騎士たちから手紙を受け取りました。彼らは孤立したところに、カトリックの信仰、特に聖伝のカトリックに敵対的な人々の中に住んでいます。彼らは自分たちが聖母のこの小さな軍隊に今属していることに大変感謝していますし、もう自分たちだけ孤立しているとは感じていません。彼らは、他の多くの人々が同じように孤立していて、聖母のために霊魂たちを勝ち取る同じ闘いに霊的に加わっているということを知っています。そして、このことは彼らを信仰においてより強くするのです。これが、忠実な騎士たちに対する聖母の愛の美しいしるしではないでしょうか。
将来、2―3カ月以内に、私たちのアジアのチャペルすべてで入会式が行われ、騎士の数は増え続けることを期待しています。テラジアン神父様はもうすぐ、南インド(ナーガルコーイル、クリスティラヤプラム、シンガンパライ、クーノア、トリチ=ティルチラッパリ=)の私たちのチャペルで新たな騎士を受け入れるでしょうし、私自身は9月にもう一度フィリピンを訪問して、イロイロ、バコロド、セブでの誓約の儀式に参加します。フォルティン神父様はタナイ、バギオ、アグーで入会式を行ないます。
そのあと、今度は皆さんの番です。私たちには皆さんの努力が必要です。皆さん一人一人が最初に、無原罪の聖母の騎士会へ入会する少なくとも2人の人を見つけてください。今からこのことについて考慮してください。聖母の道具として皆さんが行動するための小冊子や他の書物を求めてください。
*** ファチマ2017に向けて ***
ファチマの重要性を理解するために、1917年の出来事に直接関係したシスター・ルチアへの聖母の最後のご出現から始めることができるでしょう。1917年7月13日、天主の御母は、ファチマで「私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、月の第一土曜日の償いの聖体拝領を求めるため」もう一度やって来ることをお告げになりました。事実、天主の御母は、幼子イエズスと共に1925年12月、ポンテヴェドラの修道女志願者だったシスター・ルチアにご出現になり、聖母の汚れなき御心への奉献の本質を説明されました。1929年6月13日の夜の11時から12時の間には、トゥイでご出現があり、その中でマリア様は聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献をお求めになりました。シスター・ルチアはこの幻視を次のように説明しています。「突然、チャペル全体が超自然の光で明るくなり、祭壇の上に天井まで伸びた光り輝く十字架が現れました。さらに明るい光の中で、十字架の上方に男性の顔が現れ、その体は腰まで見えました。その胸の前には全体が光の鳩がいて、 また、十字架に釘づけられたもう一人の男性がいました。その臀部の少し下には空中に浮いているカリスと大きなホスチアがあり、その上に十字架のつけられた男性の顔と傷ついた脇から血のしずくが流れ落ちていました。血のしずくはホスチアの上に流れ、そこからカリスの中へ落ちていました」。
「十字架の下の右側には、ご自分の汚れなき御心を手にもった聖母がいらっしゃいました。(それはご自分の汚れなき御心を左手にもち、剣や薔薇ではなく茨の冠に囲まれ、火のついた、ファチマの聖母でした。)」
「十字架の下の左側には、透明な水で書かれたような大きな文字があり、十字架に付けられた人の手から祭壇の上に流れていて、『恩寵と御慈悲』という言葉を示していました。」
「至聖なる三位一体の神秘が私に示されていることがわかりました。そして私はこの神秘について、私が明らかにすることを許されていない直観を受けました。」
この後シスター・ルチアは天主の御母がこの幻視の際におっしゃった言葉を書き記しています。それは、教皇が世界の全ての司教達と共に、ロシアを汚れなき御心に奉献することを求められたことと、それによってロシアが救われる、ということです。
この御出現の第一の目的は確かにロシアの奉献であって、ファチマにおける聖母マリアを通した天主の偉大なる御約束の履行でした。しかし、なぜ聖母マリアはこのメッセージと、至聖なる聖三位一体の幻視を結びつけようとされたのでしょうか?それはもちろん、聖母の御出現の究極の目的、最も深遠な意義はこの神秘に基づいているからです。言い換えれば、聖母がファチマ(や他の御出現)を通して世界に与えようとされる個々の聖寵は全て、大変深遠な現実つまり天主の神秘と贖いにおける無原罪の聖母の真の意義に人々の心を向けさせるためのものです。
全てのものは、御子を世に送られ、御子と共に聖霊を息吹かれる御父である天主から来ています。御父こそが、全ての存在するもの、全ての生けるもの、全ての愛の起源です。御父の聖心から御子が生まれ、聖霊が息吹かれるのです。
御子の使命は十字架の上で世を贖うことです。トゥイにおける幻視では、十字架が祭壇から天井に至る部屋全体を占めていました。十字架は天主の愛全体を表しています。十字架に付けられた御子を通じて、全ての『恩寵と御慈悲』が私たちに与えられます。贖い主の傷から流れ出る血はホスチアとカリスの神秘に集められます。つまり、キリストの贖いの業全ては至聖なる御聖体の内に現存し、これによってカルワリオでの犠牲が再現され更新されるのです。
聖霊の使命は、贖いの業全てを『照らす』こと、つまり天主の愛全てを光、恩寵、力として光り輝かせ、天主の御業を完成に至らしめることです。この聖霊の業、天主の自己犠牲、私たちと私たちの救霊のための天主のこの世への御降臨は全て、無原罪の聖母の御心に集められます。無原罪の聖母の御心は全て聖霊の光からの光であって、天主の愛全てを受けいれます。聖母の御心は、聖霊に満たされた聖母の霊魂、底知れない叡智に満たされた聖母の知性、献身と愛に満たされた聖母の意志とから成る聖母の深奥の目に見える現れです。聖母は、キリストと共に人類を贖うため、新しいアダムの側の新しいエバとして、お一人で十字架の下に立っておられます。聖母がそこに立っておられるのは、贖いの犠牲の初穂としてです。聖母の無原罪の御宿りの奇蹟はこの犠牲によってなされたのです。聖母の御心がキリストの茨の冠で刺された形で現れるのは、聖母が全ての被造物の中で最もキリストのお苦しみを共にされた共贖者であることを示しています。聖母はこの御心を手に、その御心を私たちに差し出し、私たちにくださいます。聖母が私たちの御母であるからです。愛の霊に強められ、聖母の御心は子どもたちのために燃えます。聖母はカルワリオの山で子どもたちのために幾多の痛みを忍ばれ、今、子どもたちをなんとか永遠の破壊から救い出そうという望みをいだいておられます。
無原罪の聖母は輝く御心を通して私たちの世界に触れられます。三位一体からの溢れる愛が聖母から霊魂に流れ込みます。これこそが天主の無限の愛の第一の動き、すなわち教会博士たちが『exitus(天主から出る)』と呼んだ、十字架につけられた主の傷から『恩寵と御慈悲』としてこの世に流れ出る、生ける水に例えられるものです。
私たちは、無原罪の聖母を通した天主からのこの『恩寵と御慈悲』の呼びかけに答えなくてはなりません。天主が御光臨されたのは、まさに私たちが天主に帰るためです。これは教会博士たちが『reflexus(天主に帰る)』と呼んだ、被造物が天主に帰ることです。天主が御光臨になったのと同じ道を通じて、私たちは天主に帰るのです。「私の汚れなき御心はあなたたちの避難所であり、天主に繋がる道です!」この御出現の際の聖母のメッセージは、ファチマの主要なテーマである三つの言葉にまとめることができます。それは、consecratio(奉献)、reparatio(償い)とconversio(回心)です。聖母マリアはキリスト世界が困難の内にある時に助けに来られ、人々を聖母の汚れなき御心に呼ばれ(奉献)、天主の下に導き(回心)、キリストの王としての統治の確立に参加するよう呼ばれます(償い)。
「ときがやってきました…」と言って、聖母マリアはトゥイでのメッセージを始められました。今、終わりのとき、被造物が天主に帰る始まりとして、聖母マリアが全ての恩寵の仲介者として世界に知られるよう、天主がお望みになることがファチマにおいて全世界に対して明らかにされました。聖母マリアの御心は天主の子どもたちを集め、暗い世界のただ中で恩寵の光を保つようにされます。私たちは聖母の御心において、最後までキリストの十字架の下で耐え忍ぶことができるのです。このようにして、私たちはマリアを通してキリストへ、聖霊において父なる天主へと帰ることになるのです。
2017年に向けての準備をするため、皆さんの心の中で聖母の言葉を繰り返してください。「ときがやってきました!」「親愛なる騎士のみなさん、みなさんが私を世界に知らせ、限りなく私に信頼し、数多くの霊魂を救うための私の汚れなき手の温和な道具となるときがやってきました。」
聖伝のM.I.(Militia Immaculatae 無原罪の聖母の騎士会)についてのまとめ