Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2020年5月3日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for May 3rd, 2020

2020年04月30日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今週末:2020年5月1日(金)2日(土)3日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 5月1日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭 勤労者聖ヨゼフ

 5月2日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 5月3日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 5月4日(月)  10:30 ミサ聖祭

 5月5日(火)  10:30 ミサ聖祭

 5月6日(水)  10:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では4月12日(日)から会場をしばらく変更してミサを捧げております。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ

5月3日(日)主日ミサが三回捧げられます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。9:00のミサには比較的に参加者が少ないことが予想されるので、なるべく9時或いは12時30分のミサにいらしてください。】

【お知らせ】

来月に予定されていた「聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼」は、新型コロナウイルスの感染拡大回避のための緊急事態宣言が発令され、巡礼はその対応期間となってしまったために、状況を鑑みて、延期とさせていただきます

ご理解をよろしくお願いいたします。

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of May 3rd, 2020.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
Mass location:
Iriya Hall 3F
Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.

Mass schedule in OSAKA:

Fri, May 1st : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, May 2nd : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, May 3rd : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, May 4 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Tue, May 5 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Wed, May 6 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30


良き牧者:イエズス様は私たちの為に苦しまれた。私たちがイエズス様に真似て従う事ができる為に模範を残された。

2020年04月30日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年4月26日(主日)御復活後第2主日(良き牧者の主日)に、東京でのミサ後、メッセージをライブでお送りいたしました。

御紹介いたします。

2020年4月26日(主日)御復活後第2主日(良き牧者の主日)

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


愛する兄弟の皆さん、今日この世界中のパンデミックにもかかわらず、東京で皆さんの為に、皆さんの参加する事のできる公のミサを捧げる事ができて、本当に感謝しています。


この霊魂の医者を必要としているこの時代に、秘跡を与える事ができて、告解の秘跡、御聖体の秘跡、そして祝福を、皆さんの傍に居る事ができ、そして与える事ができて、本当に感謝しています。これはもう奇跡だと思っています。

この色々外出も制限されていて、そして自由にできないようなこの時代に、日本ではまだこのミサが捧げられているというのは、本当に感謝しきれません。

必要としている羊の為に、命を捧げた良き牧者であるイエズス様に倣う事ができているような感じがします。非常に不肖であって、とても遠くいる者ですけども、そしてふさわしくない者ですけれども、それでも御恵みによって、イエズス様に倣う者となる為に、今このような機会が与えられている事を感謝しています。


今日良き牧者の主日で、イエズス様が、「羊の為に自分は命を与える。そして雇人とは違うところは、敵が来ても、困難な事が来ても、決して逃げずに、羊を見捨てずに、羊の近くに居て、羊たちを守る、その為に命をかける、体を張って守る」というイエズス様の福音を読みました。


聖ペトロ、初代教皇様も、イエズス様の代理者、イエズス様の「後継者」ではなく、初代の「代理者」である、聖ペトロも言っています、「イエズス様は、私たちの為に苦しまれた。そして私たちに模範を残された。それはなぜかというと、私たちがイエズス様に真似る事ができる為に、イエズス様に従う事ができる為、その為にイエズス様は、模範を残された。


もしもイエズス様が人間となった、天主の御言葉が人となったのは、それは大地と一致する為ではなく、私たちに模範を見せる為です。そして司祭たちに、良き牧者である模範を見せています。


もしも世界中で良い司祭たちが、聖なる司祭たちが、霊魂たちを回心させた、世界を改革した、教会を改革したとしたら、それは唯一、イエズス様に倣ったからです。イエズス様の聖徳に倣ったからです。良き牧者に倣ったからです。そしてますます、イエズス様の言葉をこだまさせたからです。何も変える事なく、イエズス様それ自体の生き写しとなったからです。


ですから司祭は、良き牧者に倣おうとする司祭は、イエズス様の教えを一つも動かしてはなりません。一ミリも動かしてはなりません、一つも、iotaも、一点も、一角も、変えてはいけません。イエズス様のその道を、真理を、命を、そのまま伝えなければなりません。

たとえそれが難しい状況に置かれても、天主様の御恵みと、御助けと、特別の聖寵によって、それを成し遂げなければなりません。そして私たちはそれを成し遂げる事ができるように祈っています。

特に、そのような良い牧者に習う、良き牧者たちが今現代必要です。

多くの若い青少年がイエズス様に倣いますように、イエズス様の御跡を慕って良き牧者となりますように、第二のイエズス・キリストになりますように。

もしもアシジの聖フランシスコが全教会に大きな影響を与えて、教会を改革する事ができたとしたら、教会をまた聖なるものとする事ができたとしたら、そして今でもその影響を与え続けているとしたら、それはアシジの聖フランシスコが、「イエズス様の生き写しだ」と言われたからです。イエズス・キリストのその真似をしたからです。






願わくは多くの青少年が、イエズス・キリストを真似る、そしてイエズス・キリストを真似る良き牧者たちとなりますように、聖なる司祭たちが生まれますように、愛する兄弟の皆さん、お祈り致しましょう。

特にマリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。








聖パウロの書簡のオーディオ・ブックです。ステイ・アット・ホームを利用して新約聖書の朗読を聞いてみよう!

2020年04月29日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ステイ・アット・ホーム(不要不急の外出自粛)を利用して、ご自宅での滞在が有意義なものとなるように、新約聖書の録音を聞いてみることを提案します。

福音書と使徒行録

聖パウロのローマ人への手紙オーディオ・ブック

聖パウロのコリント人への手紙オーディオ・ブック

ガラチア人への手紙の朗読

ガラチア人への手紙 第一章
ガラチア人への手紙 第二章
ガラチア人への手紙 第三章
ガラチア人への手紙 第四章
ガラチア人への手紙 第五章
ガラチア人への手紙 第六章


エフェゾ人への手紙の朗読

エフェゾ人への手紙 第一章
エフェゾ人への手紙 第二章
エフェゾ人への手紙 第三章
エフェゾ人への手紙 第四章
エフェゾ人への手紙 第五章
エフェゾ人への手紙 第六章



フィリッピ人への手紙の朗読

フィリッピ人への手紙 第一章
フィリッピ人への手紙 第二章
フィリッピ人への手紙 第三章
フィリッピ人への手紙 第四章


コロサイ人への手紙の朗読

コロサイ人への手紙 第一章
コロサイ人への手紙 第二章
コロサイ人への手紙 第三章
コロサイ人への手紙 第四章


テサロニケ人への第一の手紙の朗読

テサロニケ人への第一の手紙 第一章
テサロニケ人への第一の手紙 第二章
テサロニケ人への第一の手紙 第三章
テサロニケ人への第一の手紙 第四章
テサロニケ人への第一の手紙 第五章

テサロニケ人への第二の手紙の朗読

テサロニケ人への第二の手紙 第一章
テサロニケ人への第二の手紙 第二章
テサロニケ人への第二の手紙 第三章


ティモテオへの第一の手紙の朗読

ティモテオへの第一の手紙 第一章
ティモテオへの第一の手紙 第二章
ティモテオへの第一の手紙 第三章
ティモテオへの第一の手紙 第四章
ティモテオへの第一の手紙 第五章
ティモテオへの第一の手紙 第六章



ティモテオへの第二の手紙の朗読

ティモテオへの第二の手紙 第一章
ティモテオへの第二の手紙 第二章
ティモテオへの第二の手紙 第三章


ティトへの手紙の朗読

ティトへの手紙 第一章
ティトへの手紙 第二章
ティトへの手紙 第三章


フィレモンへの手紙の朗読

フィレモンへの手紙



ヘブレオ人への手紙の朗読

ヘブレオ人への手紙 第一章
ヘブレオ人への手紙 第二章
ヘブレオ人への手紙 第三章
ヘブレオ人への手紙 第四章
ヘブレオ人への手紙 第五章
ヘブレオ人への手紙 第六章
ヘブレオ人への手紙 第七章
ヘブレオ人への手紙 第八章
ヘブレオ人への手紙 第九章
ヘブレオ人への手紙 第一〇章
ヘブレオ人への手紙 第一一章
ヘブレオ人への手紙 第一二章
ヘブレオ人への手紙 第一三章




聖パウロのコリント人への手紙(前・後)オーディオ・ブック : ステイ・アット・ホームを利用して新約聖書の録音を聞いてみよう!

2020年04月29日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ステイ・アット・ホーム(不要不急の外出自粛)を利用して、ご自宅での滞在が有意義なものとなるように、新約聖書の録音を聞いてみることを提案します。

聖パウロのコリント人への手紙(前・後)オーディオ・ブックです。目の悪い方でも、車の中でも、電車の中ででも「読む」ことができる、いわば「聴く新約聖書」です。

では、どうぞ!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

コリント人への第一の手紙の朗読

コリント人への第一の手紙 第一章
コリント人への第一の手紙 第二章
コリント人への第一の手紙 第三章
コリント人への第一の手紙 第四章
コリント人への第一の手紙 第五章
コリント人への第一の手紙 第六章
コリント人への第一の手紙 第七章
コリント人への第一の手紙 第八章
コリント人への第一の手紙 第九章
コリント人への第一の手紙 第一〇章
コリント人への第一の手紙 第一一章
コリント人への第一の手紙 第一二章
コリント人への第一の手紙 第一三章
コリント人への第一の手紙 第一四章
コリント人への第一の手紙 第一五章
コリント人への第一の手紙 第一六章


コリント人への第二の手紙の朗読

コリント人への第二の手紙 第一章
コリント人への第二の手紙 第二章
コリント人への第二の手紙 第三章
コリント人への第二の手紙 第四章
コリント人への第二の手紙 第五章
コリント人への第二の手紙 第六章
コリント人への第二の手紙 第七章
コリント人への第二の手紙 第八章
コリント人への第二の手紙 第九章
コリント人への第二の手紙 第十章
コリント人への第二の手紙 第十一章
コリント人への第二の手紙 第十二章
コリント人への第二の手紙 第十三章


新約聖書の録音を聞いてみよう!ローマ人への手紙オーディオ・ブック

2020年04月29日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ステイ・アット・ホーム(不要不急の外出自粛)を利用して、ご自宅での滞在が有意義なものとなるように、新約聖書の録音を聞いてみることを提案します。

聖パウロのローマ人への手紙オーディオ・ブックです。

目の悪い方でも、車の中でも、電車の中ででも「読む」ことができる、いわば「聴く福音書」です。

では、どうぞ!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローマ人への手紙の朗読

ローマ人への手紙 第一章
ローマ人への手紙 第二章
ローマ人への手紙 第三章
ローマ人への手紙 第四章
ローマ人への手紙 第五章
ローマ人への手紙 第六章
ローマ人への手紙 第七章
ローマ人への手紙 第八章
ローマ人への手紙 第九章
ローマ人への手紙 第一〇章
ローマ人への手紙 第一一章
ローマ人への手紙 第一二章
ローマ人への手紙 第一三章
ローマ人への手紙 第一四章
ローマ人への手紙 第一五章
ローマ人への手紙 第一六章




新約聖書の録音を聞いてみよう!福音書オーディオ・ブック(ナレーター:トマス小野田神父)

2020年04月29日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ステイ・アット・ホーム(不要不急の外出自粛)を利用して、ご自宅での滞在が有意義なものとなるように、新約聖書の録音を聞いてみることを提案します。

福音書オーディオ・ブックです。

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべであるトマス小野田神父が、ナレーターをつとめて心を込めて朗読してみました。

目の悪い方でも、車の中でも、電車の中ででも「読む」ことができる、いわば「聴く福音書」です。

では、どうぞ!

マテオによる聖福音の朗読


マテオによる聖福音 第一章
マテオによる聖福音 第二章
マテオによる聖福音 第三章
マテオによる聖福音 第四章
マテオによる聖福音 第五章
マテオによる聖福音 第六章
マテオによる聖福音 第七章
マテオによる聖福音 第八章
マテオによる聖福音 第九章
マテオによる聖福音 第一〇章
マテオによる聖福音 第一一章
マテオによる聖福音 第一二章
マテオによる聖福音 第一三章
マテオによる聖福音 第一四章
マテオによる聖福音 第一五章
マテオによる聖福音 第一六章
マテオによる聖福音 第一七章
マテオによる聖福音 第一八章
マテオによる聖福音 第一九章
マテオによる聖福音 第二〇章
マテオによる聖福音 第二一章
マテオによる聖福音 第二二章
マテオによる聖福音 第二三章
マテオによる聖福音 第二四章
マテオによる聖福音 第二五章
マテオによる聖福音 第二六章
マテオによる聖福音 第二七章
マテオによる聖福音 第二八章


ルカによる聖福音の朗読

ルカによる聖福音の朗読 第一章
ルカによる聖福音の朗読 第二章
ルカによる聖福音の朗読 第三章
ルカによる聖福音の朗読 第四章
ルカによる聖福音の朗読 第五章
ルカによる聖福音の朗読 第六章
ルカによる聖福音の朗読 第七章
ルカによる聖福音の朗読 第八章
ルカによる聖福音の朗読 第九章
ルカによる聖福音の朗読 第一〇章
ルカによる聖福音の朗読 第一一章
ルカによる聖福音の朗読 第一二章
ルカによる聖福音の朗読 第一三章
ルカによる聖福音の朗読 第一四章
ルカによる聖福音の朗読 第一五章
ルカによる聖福音の朗読 第一六章
ルカによる聖福音の朗読 第一七章
ルカによる聖福音の朗読 第一八章
ルカによる聖福音の朗読 第一九章
ルカによる聖福音の朗読 第二〇章
ルカによる聖福音の朗読 第二一章
ルカによる聖福音の朗読 第二二章
ルカによる聖福音の朗読 第二三章
ルカによる聖福音の朗読 第二四章



マルコによる聖福音の朗読

マルコによる聖福音の朗読 第一章
マルコによる聖福音の朗読 第二章
マルコによる聖福音の朗読 第三章
マルコによる聖福音の朗読 第四章
マルコによる聖福音の朗読 第五章
マルコによる聖福音の朗読 第六章
マルコによる聖福音の朗読 第七章
マルコによる聖福音の朗読 第八章
マルコによる聖福音の朗読 第九章
マルコによる聖福音の朗読 第一〇章
マルコによる聖福音の朗読 第一一章
マルコによる聖福音の朗読 第一二章
マルコによる聖福音の朗読 第一三章
マルコによる聖福音の朗読 第一四章
マルコによる聖福音の朗読 第一五章
マルコによる聖福音の朗読 第一六章



ヨハネによる聖福音

ヨハネによる聖福音 第一章
ヨハネによる聖福音 第二章
ヨハネによる聖福音 第三章
ヨハネによる聖福音 第四章
ヨハネによる聖福音 第五章
ヨハネによる聖福音 第六章
ヨハネによる聖福音 第七章
ヨハネによる聖福音 第八章
ヨハネによる聖福音 第九章
ヨハネによる聖福音 第一〇章
ヨハネによる聖福音 第一一章
ヨハネによる聖福音 第一二章
ヨハネによる聖福音 第一三章
ヨハネによる聖福音 第一四章
ヨハネによる聖福音 第一五章
ヨハネによる聖福音 第一六章
ヨハネによる聖福音 第一七章
ヨハネによる聖福音 第一八章
ヨハネによる聖福音 第一九章
ヨハネによる聖福音 第二〇章
ヨハネによる聖福音 第二一章



使徒行録の朗読

使徒行録 第一章
使徒行録 第二章
使徒行録 第三章
使徒行録 第四章
使徒行録 第五章
使徒行録 第六章
使徒行録 第七章
使徒行録 第八章
使徒行録 第九章
使徒行録 第一〇章
使徒行録 第一一章
使徒行録 第一二章
使徒行録 第一三章
使徒行録 第一四章
使徒行録 第一五章
使徒行録 第一六章
使徒行録 第一七章
使徒行録 第一八章
使徒行録 第一九章
使徒行録 第二〇章
使徒行録 第二一章
使徒行録 第二二章
使徒行録 第二三章
使徒行録 第二四章
使徒行録 第二五章
使徒行録 第二六章
使徒行録 第二七章
使徒行録 第二八章

(続く)


2020年4月26日、復活後第二主日の「良き牧者の主日」に東京で録画した小野田神父のメッセージ

2020年04月29日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2020年4月26日、復活後第二主日の「良き牧者の主日」に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

 チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。


マリアの御手をとおして、人となった永遠の叡智イエズス・キリストに、自分自身を奉献する

2020年04月28日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、ある地方や修道会では、聖ルイ・マリ・グリニョン・ド・モンフォールの祝日です。

聖グリニョン・ド・モンフォールによるマリアを通したイエズスへの全面的奉献をすることを提案しています。

そこで、この奉献文の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!












マリアの御手をとおして、人となった永遠の叡智イエズス・キリストに、自分自身を奉献する

ああ、人となられた、永遠の叡智よ!ああ、いとも愛すべき、拝むべきイエズス、まことの天主、まことの人、永遠の聖父のひとり子にして終生童貞マリアの子よ!
永遠にわたって聖父のふところにおいてまた聖父の栄光の輝きのうちに、さらにまた、御身の御托身の時間においてましまし、御身のいともふさわしい御母なるマリアの童貞なる胎内のうちにましましたもう御身を、われは深く礼拝し奉る。

われを悪魔の残酷な奴隷状態から解放するため、御身は奴隷の姿を取りご自分を無にし給うたことを、われは御身に感謝し奉る。御身は、聖なる母マリアに万事において服従することをお望みになり給いしが、そは聖母を通してわれを御身の忠実な奴隷となすためなり。われは、御身を褒めたたえ、栄光を帰し奉る。

されど、悲しいかな、何と忘恩にして不忠実なることか、われは洗礼の時のかくも荘厳に御身になした誓いと約束とを守らざりけり。われは、自分の義務を果たさざりき。御身の子とも、御身の奴隷とも、われは呼ばれるに値せぬなり。われには、ゴミ同然で御身の怒りしか値するものが無きがゆえに、われ自身では御身の聖にして偉大なる御稜威に敢えて近づくを得ず。

それゆえわれは御身のいとも聖なる御母の取り次ぎと御憐れみに寄りすがるなり。御身は聖母を御身の御許における仲介者とわれに与え給えたるがゆえなり。御身から痛悔とわが罪の赦し、智恵の獲得と保存とを得ることができるとわれ期待するは、聖母の手段を通してなり。
めでたし、ああ、汚れなき御母聖マリア、天主の生ける聖櫃よ、御身において隠れたる永遠の智恵イエズスは、天使らからも人々からも、礼拝されることを望み給うなり。
めでたし、おお、天と地の元后よ、御身の支配のもとに、天主より下のものはみな全て服従するなり。
めでたし、おお、罪人の安全なよりどころよ、御身のあわれみは全ての人に及ぶなり、天主の智恵についての我れが抱く望みを聞き入れ、わが卑しさが御身に捧げる約束と奉献を受け入れ給え。

われ(名前)、信仰薄き身なれど、今日、御身の御前に、御手のうちに、洗礼の約束を新たにし、確認し奉る。われは、悪魔とその栄華とその業とを永久に捨てんことを誓い奉る。われは人となり給いし天主の叡智なるイエズス・キリストの御跡に従い、死に至るまで人生の全ての日々、おのが十字架を担い、今より後は一層主に忠実ならんがため、われ自身を全て主にささげ奉る。
われ今、天国の全ての諸天使諸聖人の前にて、御身をわが母、わが元后(Maîtresse)として選び仰ぎ、われはみずからを奴隷として御身にささげ尽くし、わが身も霊魂も、わが内的善も外的善も、過去・現在・未来におけるわが善業の功徳をもことごとく御身に捧げ奉る。
われと、われに属する全てを現世においても来世においても余すところなく、天主の最大の御栄のために御身の御旨のままに計らい自由に処理する全権を御身に委ね奉る。

ああ、優しき童貞マリアよ、永遠の叡智なるイエズスが母なる御身になし給うた服従を褒め称え、この服従に一致して、われを奴隷として御身に奉るこのささやかなる捧げ物を受け入れ給え。主と御身とが二人とも、この小さき虫けら、このあわれな罪人の上にもち給う力を褒め称え、聖三位一体が御身に与え給う諸特権に感謝し奉る。
これから後、われは御身の真の奴隷として、御身の誉れを追求し、万事において御身に従順たることを、荘厳に宣言し奉る。

ああ、いとも感ずべき御母よ、われを永遠の奴隷として、御身の愛する御子イエズスにささげ給え。御身を通してわれを贖いし主が、御身を通してわれを受け入れ給うためなり。

ああ、あわれみの御母よ!天主の真の叡智を得るみめぐみを我になし給え。そのために、御身の子かつ奴隷として御身が愛し・教え・導き・養い・保護し給う者たちの数にわれをも加え給え。

ああ、真実なる童貞よ、われをして、全てにおいて、人となった叡智である御子イエズス・キリストのいとも完全なる、御身の御取り次ぎと、模範とによりて、地上にてはイエズスの生涯の充満に、天国においては、主の栄光の充満に到達するほど完全なる、弟子、模倣者、奴隷となし給え。

アーメン。



「良き牧者」とは一体何か?

2020年04月27日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

2020年4月26日(主日)御復活後第2主日(良き牧者の主日)を御紹介いたします。

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は良き牧者の主日です。
福音で、私たちの主イエズス・キリストの「良き牧者である」という事を読みました。

「良き牧者」とは一体何でしょうか?

良き牧者というのは、羊の為に命を与えて、羊の前を行って羊を導き、そして良い牧草の所まで連れて行って、良い草を与えて、そして羊の為に命をかけて守る牧者です。

イエズス様こそ、イエズス・キリスト様こそ、私たちの本当の良き牧者です。なぜかというと、私たちに本当の食べ物、本当に健全な良い食べ物を、「真理」と「愛」と「聖寵・御恵み」、そして私たちに「天国に対するものすごい望み」を与えてくれるからです。

イエズス様は仰いました、「私は門である。私を通してでなければ、聖父の元に行く事はできない。」「私は道である、命である、私は真理である。私は道・真理・命。聖父に向かう唯一の道。これを通らなければ、聖父に行く事ができない」と仰います。

イエズス様は私たちに「真理」を教えてくれます。私たちは何を信じるべきか、何をするべきか、何をどうやって天国に行くべきかを教えてくれる、真理です。

イエズス様は私たちに「命」を与えてくれます、超自然の命を、特に御聖体において、御自身を与えてくれます。このような良き牧者を持つ私たち羊たちは、何と幸せな事でしょうか。

ところで、イエズス様は同じ福音で、私たちにこうも言います、「でも、雇い人がいる。雇い人というのは、少しでも自分の身に危険があると逃げ去ってしまって、そして羊のことは心にかけない。どうなってもいい。そして羊たちは指導者を失って、牧者を失って、散らされてしまう。打ち捨てられてしまう。」

今、何か私たちは、この時代を生きているかのようです。教会は攻撃を受け、危険に晒されて、この世から、「もっと教えを変えた方がいいんじゃないか」と責められています。するとあたかも、私たちにイエズス・キリストへの愛を、イエズス・キリストへの礼拝を、イエズス様への信仰を教えるべき人が、「あぁ、イエズス様じゃなくても、他の宗教でも救われるんじゃないか」とか、「どの宗教でも、どんな道を通ってもいいんじゃないか」「私たちはもっと自由であればいいんじゃないか」「他の人がこういう風にやりたいと思ったら、じゃあそういう事も、結婚として認めてあげたらいいんじゃないか」「もしもこの人がそれを、罪を犯したいならば、それも権利じゃないか」などと。

そして「イエズスを礼拝したい、御聖体を愛したい、敬いたい」という人はむしろ、牧者から排斥されたり、あるいは罵られたり、馬鹿にされたりします。

御聖体のみならず、「マリア様に対してお祈りをしたい。マリア様に対してお祈りをする」と言うと、「そうしてはいけない」と。

「マリア様が共贖者である、イエズス様と共に私たち人類を贖う為に、共に十字架の下で、私たちの救霊の為に贖いをして下さった第二のエヴァだ」と言うような人には、「あぁ、そんな馬鹿げた話は無い」と。

今までカトリック教会が2000年間大切にしてきたものを、そのまま信じようとすると、そのまま実行しようとすると、却って「破門だ」とか、あるいは「異端だ」とか、あるいは「教会の外にいる」とかと言われます。

あたかも天主ではなくて人間が、天主の座に座りつつあるかのようです。

愛する兄弟の皆さん、この教会の今、この暗闇の時代において、牧者が逃げてしまっているかのように見える、そして羊たちが散らされてしまっているかのように見える今この現代、私たちは、イエズス・キリストを良き牧者として、眼をはっきりとそこに留める事に致しましょう。それに固定する事に致しましょう。イエズス様をしっかりと見つめる事に致しましょう。

イエズス様こそ、私たちに本当の超自然の命の源を与えてくれます。「御聖体」です。

イエズス様こそ、この地を聖化してくれました。何故かというと、御血を流されて、そしてこの私たちに恵みを与えて下さったからです。最も大切なのは、「イエズス様の十字架の、イエズス様御自身」であって、この大地ではありません。

イエズス様こそが、唯一の良き牧者、そして唯一の救い主。

イエズス様の捧げるいけにえ、「十字架のいけにえ」こそが、唯一の本当に、天主の心に適ういけにえ。

そしてイエズス様の歩いた「十字架の道」こそ、唯一復活に導く、超自然の命へ導く道。

そしてイエズス様の立てた「聖なるカトリック教会」こそが、唯一の真のキリストの群れ。それ以外にはありません。

この真理を、この世は拒否するかもしれません、「もっと別のイデオロギーとか、もっと別の思想を受け入れるべきだ」と言うかもしれません。

でも私たちは、イエズス・キリストに、良き牧者に従いたい思います。天主様の御恵みによって、特別の御助けによって、真の良き牧者の仰る、本当の声を聞き分けたいと思っています。イエズス・キリストのみを真の救い主として、真の天主として、人となった真の天主として、礼拝したいと思っています。天主様の御恵みによって、イエズス・キリストを信じ、イエズス様の御教えに忠実でありたい、2000年間ずっと忠実であったその教会が、ずっと教え続けてきたその教えに、忠実でありたい、それを信じ続けたい、それと同じ事を信じ、実践し、愛したい、と願います。

聖パウロは言います、「たとえ、天からの天使であろうと、もしも他の福音を伝えるならば、彼は排斥されよ。」

イエズス・キリストの御言葉は決して過ぎ去る事はありません。天と地が過ぎ去っても、イエズス様の御言葉は、真理は、そのまま残ります。

イエズス様は私たちに本当の礼拝を教えてくれました。被造物が私たちの天主に為さなければならない、第一の義務です、「被造物として、創造主を認識して、そして愛を込めて礼拝する」という事です。

知性もそして意志もない動物植物たちは、この大地は、ただ有る、存在しているだけで主を礼拝します。自然の本能に従って、主を讃美します。

しかし知性と意思を持っている私たち人間は、この「理性」を使って、全ての被造物をその手段として、これを通して、主の為にこれを使い、主を創造主として認めなければなりません。これは人間にのみ、理性的な存在にのみ課せられている、特別な義務です。「礼拝」という事です。

私たちはその事を教えて下さった、イエズス・キリストに従いたいと思います。

私たちは今言われているような、全ては、私たちの心も、体も、精神も、全てを込めて、環境を大切にする、そうではなくて、心を尽くして、力を尽くして、全てを尽くして、「真の主なる天主を愛し、そしてその尊き御旨を果たす。イエズス・キリストがいつも教えて下さったその教えを、信じ続けたい、やり続けたい」と思います。

つまり私たちは、integralな、欠ける事のない、そのままのカトリック信仰を信じる事によって、その声を聞き分ける事によって、真の牧者イエズス・キリストに付き従いたいと思います。

過去、私たちにはそのような立派な牧者たちが、イエズス様に倣う聖なる牧者たちがいました。日本に遠くから来て下さった聖フランシスコ・ザビエル、あるいは日本の為に殉教した多くの司祭たち、あるいは司教様等々、私たちもそのような牧者たちの声に従いたいと思います。

過去そのような方々もいましたが、つい最近でもいました。それはルフェーブル大司教様です。ルフェーブル大司教様こそ、私たちに、「イエズス様に従う、今この現代において、従うとはどのような事か」という事を、模範を以て示して下さいました。自分の名誉とか、自分の利益よりも、霊魂の為に、超自然の命の為に、命をかけて、体を張って、私たちに聖伝の教えを、カトリックの教えを伝える事ができるように助けて下さいました。

私たち聖ピオ十世会の司祭も、非常に不肖ながら、そして非常に力は劣るものでありながら、天主様の御助けによって、マリア様の御助けによって、イエズス様の御跡を従いたいと思っています。

そして特に今のこの時代、感染病が流行っている今この時に、皆さんの傍に留まる事ができて、私は本当に天主様に感謝しています。良き牧者としてミサを捧げる事ができて、そしてイエズス・キリストを与える事ができて、イエズス様の教えを何とかして伝える事ができて、本当に感謝しております。

願わくは、イエズス様に従う多くの聖なる司祭が、イエズス様を真似る良き牧者たちが、第2の牧者たちが、日本から、それから世界中から出てきますように、与えられますように、お祈り致しましょう。

マリア様にお祈り致します、聖母の汚れなき御心、大司祭イエズス様の御母であるマリア様、私たちの為にいつもお祈り下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。







2020年4月26日 復活後第二主日のミサ報告 SSPX Japan Traditional Latin Mass on April 26

2020年04月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

天主に感謝!マリア様に感謝!

日本では、3月と4月の2ヶ月にわたって、毎週主日に東京と大阪で聖伝のミサを捧げることができました!八主日連続です!

コロナウイルス感染による疫病が一刻も早く終息しますように、ミサで祈り続けています。

良き牧者の主日には、東京で総計51名が、大阪では16名の方々が、聖伝のミサに与ることができました!

東京では、より換気の良い場所でミサを捧げておりますが、会場の準備やミサの祭壇設営その他の様々な仕事の為に、多く兄弟姉妹の方々の寛大で献身的なご協力を頂いております。深く深く感謝いたします。

今のところ、このまま五月も同じように主日のミサを捧げる予定です。

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

09:00のミサ
男: 12人(内、子供1人)
女: 11人(内、子供2人)
計: 23人(内、子供3人)

11:00のミサ
男: 10人(内、子供3人)
女: 8人(内、子供4人)
計: 18人(内、子供7人)

12:30のミサ
男: 4人(内、子供0人)
女: 8人(内、子供0人)
計: 12人(内、子供0人)

3回のミサの合計(ダブルカウントの2人を除く)
男: 24人(内、子供4人)
女: 27人(内、子供6人)
計: 51人(内、子供10人)











2020年4月26日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for April 26, 2020

2020年04月26日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今週末:2020年4月24日(金)25日(土)26日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 4月24日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 4月25日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 4月26日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 4月27日(月)  平日(4級)白  6:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では4月12日(日)から会場をしばらく変更します。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ

4月26日(日)主日ミサが三回捧げられます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。9:00のミサには比較的に参加者が少ないことが予想されるので、なるべく9時のミサにいらしてください。】

【お知らせ】

来月に予定されていた「聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼」は、新型コロナウイルスの感染拡大回避のための緊急事態宣言が発令され、巡礼はその対応期間となってしまったために、状況を鑑みて、延期とさせていただきます

ご理解と御譲歩をよろしくお願いいたします。

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of April 26, 2020.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
Mass location:
Iriya Hall 3F
Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.

Mass schedule in OSAKA:

Fri, April 24 : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, April 25 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, April 26 : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, April 27 : Holy Sacrifice of the Mass at 06:30


イエズス・キリストこそ真の良き牧者 御復活後第2主日の説教 Sermon for Good Shepherd Sunday

2020年04月26日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

御復活後第2主日は「良き牧者の主日」と呼ばれています。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeでの録画の説教の動画をご紹介いたします。

今日の主日を聖として良くお過ごしください。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


90年前の4月24日、聖マクシミリアノ・コルベは日本に

2020年04月25日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今から90年前のことです。

1930年4月24日に聖マクシミリアノ・コルベ神父は、ゼノ修道士、ヒラリオ修道士ら3人で長崎に到着しました。

無原罪の聖母(インマクラータ)の騎士、しもべ、奴隷、子供であるコルベ神父様を日本に送り下さった三位一体に感謝いたします。







幼きイエズスの聖テレジアの詩「愛に生きる」 Vivre d'Amour をご紹介いたします

2020年04月24日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

幼きイエズスの聖テレジア(1873 - 1897)の詩「愛に生きる」 Vivre d'Amour をご紹介いたします。
幼きイエズスの聖テレジアは、ほとんどの詩を従順によって書きましたが、この詩については1895年2月26日自発的に心からわき起こったものです。三日間これを暗記していましたが、灰の水曜日になる前日の火曜日にこれを書き留めました。

これを読むと、リジューの聖テレジアの模範は、全てイエズスへの愛に基づいていることがわかります。「インテグラル・エコロジー」などではなく、ただイエズス・キリストだけ、それだけを熱烈に愛し求めていることがひしひしと伝わってきます。

Vivre d’amour 愛に生きる
Au soir d’Amour, parlant sans parabole 愛[なる主の人生]の夕べ、たとえを使わずに話されて、
Jésus disait : "Si quelqu’un veut m’aimer イエズスは言われた。「もしも誰かが私を愛したいのなら、
Toute sa vie qu’il garde ma Parole 一生の間、私の御言葉を、守ること。
Mon Père et moi viendrons le visiter. 私の御父も私も彼を訪れに来るだろう。
Et de son cœur faisant notre demeure その心を私たちの住処とし、
Venant à lui, nous l’aimerons toujours !… 彼のところに来て、私たちは彼をいつまでも愛するだろう!
Rempli de paix, nous voulons qu’il demeure 平和で満たし、私たちは彼に留まる、
En notre Amour !…" 私たちの愛のうちに!
Vivre d’Amour, c’est te garder Toi-Même 愛に生きる、それは御身を守ること
Verbe incréé, Parole de mon Dieu, 創られない御言葉、我が天主の言葉を。
Ah ! tu le sais, Divin Jésus, je t’aime ああ、天主なるイエズス、御身は知り給う、私が御身を愛することを。
L’Esprit d’Amour m’embrase de son feu 愛の霊は、ご自分の火で私を包む
C’est en t’aimant que j’attire le Père 御身を愛しつつ、私は御父を引き寄せる。
Mon faible cœur le garde sans retour. 私の弱い心は、後戻りせずに、これを守る。
O Trinité ! vous êtes Prisonnière ああ、三位一体よ!御身は囚われの身、
De mon Amour !… 私の愛の囚人!
Vivre d’Amour, c’est vivre de ta vie, 愛に生きる、それは御身の命を生きること、
Roi glorieux, délice des élus. 栄光の王よ、選ばれた者たちの喜びよ。
Tu vis pour moi, caché dans une hostie 御身は私のために、ホスチアに隠れて生きておられる。
Je veux pour toi me cacher,ô Jésus ! おお、イエズスよ、私は御身のために身を隠したい!
A des amants, il faut la solitude 愛する二人には、孤独が必要、
Un cœur à cœur qui dure nuit et jour 心と心で、昼も夜も、
Ton seul regard fait ma béatitude 御身の眼差しだけで、私は至福になる、
Je vis d’Amour !… 私は愛に生きる!
Vivre d’Amour, ce n’est pas sur la terre 愛に生きる、それはこの地上で
Fixer sa tente au sommet du Thabor. タボル山の頂に自分の幕屋を作ることではない。
Avec Jésus, c’est gravir le Calvaire, むしろイエズスとともにカルワリヲを登ること、
C’est regarder la Croix comme un trésor !… 十字架を宝のように眺めること!
Au Ciel je dois vivre de jouissance 天国では、私は喜びを生きるに違いない、
Alors l’épreuve aura fui pour toujours その時は、試練は永遠に逃げ去ってしまうことだろう。
Mais exilée je veux dans la souffrance でも、逐謫(ちくたく)の身なる私は苦しみのうちに
Vivre d’Amour. 愛に生きたい!
Vivre d’Amour, c’est donner sans mesure 愛に生きる、それは程度なく与えること
Sans réclamer de salaire ici-bas この世での報いを求めず、
Ah ! sans compter je donne étant bien sûre ああ、計算せずに私は与える、もちろん
Que lorsqu’on aime, on ne calcule pas !… 愛するときには計算などしないから!
Au Cœur Divin, débordant de tendresse 優しさのあふれ出る天主の聖心に、
J’ai tout donné… légèrement je cours 私はすべてを与えた… 身軽になって私は走る。
Je n’ai plus rien que ma seule richesse 私にはもう何も残っていない、ただ私の唯一の宝は
Vivre d’Amour. 愛に生きることだけ。
Vivre d’Amour, c’est bannir toute crainte 愛に生きる、それは全ての恐れを追い払うこと、
Tout souvenir des fautes du passé. 過去の過ちの数々の全ての記憶も。
De mes péchés je ne vois nulle empreinte, 私の罪は、何の跡形も私は見ない。
En un instant l’amour a tout brûlé….. 瞬間に、愛はすべてを焼き尽くした…、
Flamme divine, ô très douce Fournaise ! 天主の炎よ、おお、いとも甘美なかまどよ!
En ton foyer je fixe mon séjour 御身の家に、私は住処を定める、
C’est en tes feux que je chante à mon aise : 御身の火において、私は安心して歌う、
« Je vis d’Amour !… » 「私は愛に生きる!」と。
Vivre d’Amour, c’est garder en soi-même 愛に生きる、それは自分において
Un grand trésor en un vase mortel 死すべき器において、偉大な宝を守ること、
Mon Bien-Aimé, ma faiblesse est extrême 私の愛する方よ、私の弱さはあまりにもひどく、
Ah je suis loin d’être un ange du ciel !… ああ、私は天の天使からは程遠くにいる!
Mais si je tombe à chaque heure qui passe しかし、毎時間、私が倒れても、
Me relevant tu viens à mon secours, 御身は私を助けに、私を起こしに来てくださる。
A chaque instant tu me donnes ta grâce 各瞬間、御身は私に恵みを下さり、
Je vis d’Amour. 私は愛に生きる。
Vivre d’Amour, c’est naviguer sans cesse 愛に生きる、それは航海すること、絶えず
Semant la paix, la joie dans tous les cœurs 平和、喜びを全ての心に種まきながら、
Pilote Aimé, la Charité me presse 愛する水先案内人よ、愛徳は私を急がせる
Car je te vois dans les âmes mes soeurs 私の姉妹たちの霊魂に御身を見るから。
La Charité voilà ma seule étoile 愛徳、それが私の唯一の星
A sa clarté je vogue sans détour その光で私は後戻りせずに旅する。
J’ai ma devise écrite sur ma voile : 私の帆の上には私のモットーが書かれている、
« Vivre d’Amour. » 「愛に生きる」と。
Vivre d’Amour, lorsque Jésus sommeille 愛に生きる、イエズスが眠られているとき。
C’est le repos sur les flots orageux それは、嵐の波の上でのお休み
Oh ! ne crains pas, Seigneur, que je t’éveille ああ、主よ、心配し給うな、私は御身を起こしません。
J’attends en paix le rivage des cieux… 私は平和のうちに天国の岸を待つ…。
La Foi bientôt déchirera son voile 信仰は、もうすぐそのベールを破るだろう、
Mon Espérance est de te voir un jour 私の希望は、ある日、御身を見奉ること、
La Charité enfle et pousse ma voile 愛徳は膨らみ、私のベールを取る
Je vis d’Amour !… 私は愛に生きる!
Vivre d’Amour, c’est, ô mon Divin Maître 愛に生きる、おお、天主なる師よ、それは
Te supplier de répandre tes Feux 御身の火を広げてくださるように懇願すること、
En l’âme sainte et sacrée de ton Prêtre 御身の司祭の聖なる神聖な霊魂において、
Qu’il soit plus pur qu’un séraphin des cieux !… 願わくは、司祭が天国のセラフィムよりももっと純潔であるように!
Ah ! glorifie ton Eglise Immortelle ああ、不死の公教会に栄光を与え給え!
A mes soupirs, Jésus ne sois pas sourd 私の懇願に、イエズスは聾者ではない、
Moi son enfant, je m’immole pour elle 私はその子供、教会のために自分を屠る、
Je vis d’Amour. 私は愛に生きる。
Vivre d’Amour, c’est essuyer ta Face 愛に生きる、それは御身の御顔(みかお)を拭(ぬぐ)うこと、
C’est obtenir des pécheurs le pardon それは罪びとたちに赦しを得ること
O Dieu d’Amour ! qu’ils rentrent dans ta grâce 愛の天主よ!願わくは彼らが聖寵に入り、
Et qu’à jamais ils bénissent ton Nom…. とこしえに御身の聖名を祝せんことを…。
Jusqu’à mon cœur retentit le blasphème 私の心にまで、冒涜が響く
Pour l’effacer, je veux chanter toujours : それを消し去るために、私は永久に歌いたい、
Ton Nom Sacré, je l’adore et je l’Aime

Je vis d’Amour !…
「御身の聖名を私は礼拝し、愛し奉る
Je vis d’Amour !…" 私は愛に生きる!」と。
Vivre d’Amour, c’est imiter Marie, 愛に生きる、それはマリアをまねること、
Baignant de pleurs, de parfums précieux, 涙にずぶ濡れとなり、貴重な香水で、
Tes pieds divins, qu’elle baise ravie 恍惚と接吻した天主の御足を
Les essuyant avec ses longs cheveux… その長い髪で拭く…
Puis se levant, elle brise le vase 次に立ち上がって器を壊す
Ton Doux Visage elle embaume à son tour. 御身の甘美な御顔に、香油を塗る。
Moi, le parfum dont j’embaume ta Face 私が、御身の御顔に塗る香水は、
C’est mon Amour !… 私の愛!
« Vivre d’Amour, quelle étrange folie ! » 「愛に生きるなんて、何と逸脱した愚かなこと!」
Me dit le monde, " Ah ! cessez de chanter, この世は私にこう言う、「さあ、歌うのをやめなさい、
Ne perdez pas vos parfums, votre vie, あなたの香水を、あなたの一生を無駄にしなさるな、
Utilement sachez les employer !…" もっと有益にお使いなさい!」と。
T’aimer, Jésus, quelle perte féconde !… イエズスよ、御身を愛するとは、何と実りの豊かな損失か!
Tous mes parfums sont à toi sans retour, 私の香水は、お返しなく、みんな御身のもの、
Je veux chanter en sortant de ce monde : 私はこの世を出るとき、こう歌いたい、
« Je meurs d’Amour ! » 「私は愛に死ぬ!」と。
Mourir d’Amour, c’est un bien doux martyre 愛に死ぬ、それは本当に甘美な殉教
Et c’est celui que je voudrais souffrir. それこそ私が苦しみたいこと。
O Chérubins ! accordez votre lyre, おお、ケルビムよ、あなたたちの竪琴をください、
Car je le sens, mon exil va finir !… 何故なら、私の逐謫(ちくたく)がもう終わりそうだから!
Flamme d’Amour, consume-moi sans trêve 愛の炎よ、手加減することなく私を燃やし尽くし給え、
Vie d’un instant, ton fardeau m’est bien lourd ! 一瞬の命、御身のくび木は私にはとても重い!
Divin Jésus, réalise mon rêve : 天主なるイエズスよ、私の夢を実現させ給え
Mourir d’Amour !… 愛に死ぬ夢を!
Mourir d’Amour, voilà mon espérance 愛に死ぬ、それが私の希望
Quand je verrai se briser mes liens 私が鎖を断ち切るのを見るだろう時、
Mon Dieu sera ma Grande Récompense 私の天主は、偉大な報いとなるだろう、
Je ne veux point posséder d’autres biens. 私はその他のものを所有したいと全く思わない
De son Amour je veux être embrasée 私は、天主の愛に燃え上がりたい、
Je veux Le voir, m’unir à Lui toujours 私は天主を見たい、とこしえに天主に私を一致させたい
Voilà mon Ciel… voilà ma destinée : これが私の天国… 私の運命
Vivre d’Amour !!!… 愛に生きる!!!

以下は、私の自由な日本語訳です。

愛の主は、秘密を明かす。「愛すとは、主のみことばを、守る者なり。」
「愛ゆえに、また聖父も聖子と共に来て、愛し給いて、慈しむなり。」
「相(あい)共に住処を定め、聖父と聖子は、平和をのこし、恵みを与ゆ。」

愛に生く、主の御言葉を守る時、三位は我に留まり給う。
愛に生く、我を愛してホスチアに隠れ留まる御身のために。
愛に生く、御身と共に、十字架を宝の如く担い苦しむ。

愛に生く、この世に生きるその間、御身のために愛に生きたい。
愛に生く、報い求めず惜しみなく、主の聖心に全て与える。
愛に生く、過ぎし過ち、罪、とがは、主の愛の火に焼き尽くされて。

愛に生く、無限の宝、胸に秘め、いつも恵みに助けられつつ。
愛に生く、慶び平和まき散らし、隣り人らに、主を見いだして。
「愛に生く」、帆に書かれたる合い言葉、愛の星へと航路一途に。

愛に生く、嵐の海に休む主よ、眠り続けよ!主に信頼す。
愛に生く、御身をまみゆその日には、信仰は失せ、希望は消える。

愛に生く、天使らよりも司祭らが愛に燃ゆるを祈り求める。
愛に生く、主の教会が栄ゆため、いけにえとして我を捧げる。

愛に生く、御顔をぬぐい、罪人の罪の赦しを、ただこいねがう。
愛に生く、主のあざけりを思いつつ、我、主の聖名をとわに愛さん。

愛に生く、香油を捧ぐマグダラをまねて御足に口づけをせん。
愛に生く、御顔に捧ぐ、わが香油、それはわが愛、主にのみ捧ぐ。

愛に生く、この世は叫ぶ、さげすみて「愚かなことよ、時間の無駄だ」と。
愛に生く、なんと豊かな損失か!ついに歌わん「我、愛に死す!」

愛に死す、焼き尽くしませ、愛の火よ、わが夢に見るは愛に死すこと。
愛に死す、主こそ報いよ、わが希望、主を見る日まで、我、愛に生く。


アシジの聖フランシスコの「被造物たちの賛歌」別名「兄弟なる太陽の賛歌」Il Cantico del Frate Sole

2020年04月23日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

アシジの聖フランシスコ(1181 – 1226)の「被造物たちの賛歌」別名「兄弟なる太陽の賛歌」をご紹介いたします。

原文はウンブリア地方の訛りのあるイタリア語で書かれており、病気の快復をした死の前の1224年ごろにアシジの近くのサン・ダミアノで書かれたと言われています。また聖フランシスコの死の直前に、彼の死の床で、最後の「姉妹なる肉体の死」の節も付け加えられて歌われたと伝えられています。

聖フランシスコ自身は、その時すでに盲目で光を失っていたけれども、心の目で被造物をよりはっきり「見る」ことができた、と言われています。

これを読むと、聖フランシスコが、被造物から、天主へと心を挙げていることがわかります。
それと同時に被造物の虚しさ・はかなさをも理解し、全ては、天主の賛美のための道具になっています。

聖フランシスコは、天主の御旨を愛し、天主を愛するがために全てを赦し、平和のうちに、天主への愛のために病を耐え忍び、悪を甘受し、十字架を担ったことがわかります。

聖フランシスコは、自分の十字架を耐え忍ぶことによってイエズス・キリストともっともよく似たものとなったと言われています。天主は人間となりました。私たちが真似ることができるため。イエズス・キリストが人となったのは、私たちに天主への礼拝を教えるためでした。

聖フランシスコの歌は、多くの人がこれを朗読しています。

Il Cantico del Frate Sole (Cantico della Creature) 兄弟太陽の賛歌、あるいは、被造物たちの賛歌
Altissimu, onnipotente bon Signore, いと高き全能の善き主よ、
Tue so' le laude, la gloria e l'honore et onne benedictione. 御身に賛美と栄光と誉れとすべての祝福あれ。
Ad Te solo, Altissimo, se konfano, いと高き御者よ、それらは御身のみにふさわしく、
et nullu homo ène dignu te mentovare. いかなる人間も、御身の名を呼ぶに値しない。
Laudato sie, mi' Signore cum tucte le Tue creature, 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、御身の全ての被造物とともに。
spetialmente messor lo frate Sole, 特に兄弟なる太陽さんとともに。
lo qual è iorno, et allumini noi per lui. 彼は昼であり、彼によって我らを照らし給い、
Et ellu è bellu e radiante cum grande splendore: 彼は美しく、偉大な輝きをもって光を放ち、
de Te, Altissimo, porta significatione. いと高き御者よ、彼は御身のしるしとなっている。
Laudato si', mi Signore, per sora Luna e le stelle: 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、姉妹なる月と星々のために。
in celu l'ài formate clarite et pretiose et belle. 天に明るく、貴く、美しく、御身は形作られた。
Laudato si', mi' Signore, per frate Vento 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、兄弟なる風のために。
et per aere et nubilo et sereno et onne tempo, また大気と雲と晴天と全ての天気のために、
per lo quale, a le Tue creature dài sustentamento. 彼らを通して、御身の被造物を維持し給う。
Laudato si', mi Signore, per sor'Acqua. 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、姉妹なる水のために。
la quale è multo utile et humile et pretiosa et casta. 彼女はとても有用で、謙遜で、貴く、貞潔なり。
Laudato si', mi Signore, per frate Focu, 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、兄弟なる火のために。
per lo quale ennallumini la nocte: 御身は彼で夜を照らし給う。
ed ello è bello et iocundo et robustoso et forte. また彼は、美しく、楽しく、たくましく、力強い。
Laudato si', mi Signore, per sora nostra matre Terra, 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、姉妹なる母なる大地のために。
la quale ne sustenta et governa, 彼女は、我らを維持し治め、
et produce diversi fructi con coloriti fior et herba. 色とりどりの花と草とともに様々な果実を生み出す。
Laudato si', mi Signore, per quelli che perdonano per lo Tuo amore 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、御身への愛のために赦す人々のために。
et sostengono infrmitate et tribulatione. また病いと艱難を苦しむ人々のために。
Beati quelli ke 'l sosterranno in pace, 平和のうちに耐え忍ぶ人々は幸いなるかな、
ka da Te, Altissimo, sirano incoronati. いと高き御者よ、彼らは御身により栄冠を受けるだろうから。
Laudato s' mi Signore, per sora nostra Morte corporale, 我が主よ、御身は賛美せられさせ給え、我らの姉妹なる肉体の死のために。
da la quale nullu homo vivente pò skappare: いかなる生ける人間は誰も、彼女から逃げることができない。
guai a quelli ke morrano ne le peccata mortali; 大罪のうちに死ぬ人々は、わざわいなるかな。
beati quelli ke trovarà ne le Tue sanctissime voluntati, 御身のいとも聖なる御旨のうちにある人々は、幸いなるかな。
ka la morte secunda no 'l farrà male. 第二の死が、彼らを害することはないだろうから。
Laudate et benedicete mi Signore et rengratiate 我が主を、賛美し、祝福し、感謝せよ、
e serviateli cum grande humilitate. 大きな謙遜もて主に仕えよ。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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