Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

メディカル・ミッション

2009年07月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、ロヨラの聖イグナチオの祝日でした。私は、リザルのタナイ市、サンパロックというところで、水曜日からメディカルミッションのお手伝いをしております。

 フィリピンはもちろん、フランス、アイルランド、アメリカ、韓国などから30名以上の医師や看護婦、ボランティアが、2000名以上の方々に無料の医療を施すことができました。

 フランスからはこのために聖ピオ十世会の司祭2名と助祭1名、またアジア管区の3~4名の司祭が、告解、祝別、その他の仕事に当たりました。

 フランスの医師の指摘で、子供たちの栄養失調の問題が解決されることの必要性が訴えられました。そこで、クチュール神父様から、子供たちの栄養失調の苦しみを和らげるために、援助プログラムを計画することを委ねられ、いろいろと奔走しました。

天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!
聖イグナチオ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・サベリオ、我らのために祈り給え!
聖ピオ十世、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、ロザリオの十字軍を宜しくお願いいたします。栄光あるイエズス会のためにお祈りください。
聖イグナチオ、我らのために祈り給え!聖イグナチオ、すべてのイエズス会のメンバーのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック教会の教える聖寵とは

2009年07月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック教会は、その聖伝によれば、聖寵(grace)とは「私たちの功徳によるのではなく、ただ私たちの主イエズス・キリストの功徳を通して、私たちが永遠の生命を得ることができるために、私たちに与えられる無償の内的な超自然の賜・恵み」であると教えています。

 同じ聖伝の教えによれば、聖寵には二種類あります。成聖の恩寵(sanctifying grace)と助力の恩寵(actual grace)です。

 成聖の恩寵は、私たちの霊魂に内属する超自然の賜・恵みで、私たちをして義化し、天主の養子とし、天国の相続人とします。洗礼を受けた時に初めて与えられ、大罪を犯さない限り霊魂に常駐する無償の聖寵(habitual grace)です。

 助力の恩寵は、必要な時にその都度、全ての人々に与えられる超自然の恵みで、私たちの心を照らし、意志を強め、私たちをして悪を避けて善を行うように助けてくれる恵みです。私たちは、この助力の恩寵に逆らって、与えられた恵みを無駄にすることができます。

 カトリック教会の聖伝の教えによれば、聖寵は主に秘蹟を通して与えられ、秘蹟は成聖の恩寵と、さらに秘蹟の恩寵とを与えてくれます。何故なら、私たちの主イエズス・キリストはご自分の受難とご死去によって、秘蹟に聖寵を与える力を賦与したからです。

 だから、カトリックの大学の神学部の教授が「第二ヴァチカン公会議は、人間の宗教体験における典礼の重要性と、秘跡的体験における言葉としるしの統括性を強調している。秘跡は、すでに与えられた恵みの現実(reality)を、典礼的な工夫を通して意識的に体現する(realization)ものとして理解される。」などという説明を聞くと、本当にカトリックなのだろうか?!と思わずにはいられなくなります。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@タナイでのメディカル・ミッションにて

ロロ・パウロ

2009年07月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、緊急洗礼を受けた華僑のおじいさん、ロロパウロさんは、7月11日の聖母マリアの土曜日に午前6時30分になくなったそうです。Requiescat in pace.

ロロ・パウロさんの霊魂の安息のために愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@フィリピンにて

カトリック教会の秘蹟

2009年07月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 秘蹟とは、カトリック教会の聖伝の信仰によれば、「私たちの主イエズス・キリストが自ら制定した、目に見えない聖寵の目に見える効果的なしるし」です。

 カトリック教会の教えによれば、秘蹟を受けることによって、聖寵を受けるのです。聖寵は、目に見えないので、意識されません。聖寵は、体験されませんし、理解されませんし、意識的に体現されるのでもありません。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カントの新しい宗教

2009年07月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖マグダレナ・マリアは、現実を直視し、天主イエズス・キリストと救霊を究極の目的と理解しました。しかしながら、近代になると、人間を神格化しついには絶望させる思想が現れました。それがカントに始まる観念論でした。

 近代主義と呼ばれる異端説の系譜として、イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年 - 1804年)の思索をもう一度見てみましょう。

 ケーニヒスベルクの思想家であるカントによれば、私たちが物において置く(=感覚する)ことしか、先験的に(=必然的なやり方で)物を知ることが出来ない(『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunft (第二版への序文)。

 カントによれば、人間は「物自体」(Ding an sich)を認識できない。認識の対象は、感覚に与えられ得るものだけであり、人間理性は、ただ感性にあたえられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適応するにとどまる。

 カントによると、人間が物それ自体が何であるかその本性が何であるかその真理が何であるか現実が何であるか、知り得ない。カントは、人間悟性は自分の内部(に映る現象)を知るに留まる、とした。今まで、人間の外部にある物事が、人間の知性を規定してこれが何かを知らしめた、これからはカントによれば、人間の悟性が物を規定する、とした。

 カントによれば、因果性・必然性とは、純粋悟性概念であり、形而上学的な価値を持たない。従って、天主の存在は証明できないとし、創造主である天主と被造物との間にある類比(アナロギア)は知り得ない、とする。従って、天主に関する全ての言説は、神話でしかない。例えば、カントによれば、三位一体とは、善良・聖性・正義という三つの性質が一つになっていることの象徴にすぎない、人間となった天主の聖子とは、英雄的な人間にすぎない(『単なる理性の限界内での宗教』 1793年)。

 道徳において、人間の本性と人間の行動は、常識によれば、その目的によって規定される。しかし、カントは、目的の原理を認めず、善の概念も体験からは得られないとするので、最高の善の存在も知り得ないとする。カントによれば、善なる行為とは、人間の本性に適合する目的・対象をもち、人間を最高究極の目的まで秩序付けるものではなく、ただ純粋な義務による。人間の行為は、全ての対象と目的から独立していて無関係であるからだ。カントは、究極の目的を拒否し、私たちの行為の目的としての善を否定し、最高の善・究極目的としての天主を排除し、「実践理性の自律」を宣言した。これがフランス革命の人権宣言に先立つ、ドイツの天主からの独立宣言であった。

 これが、全てを人間の上に、人間だけの上に築く新しい哲学、新しい宗教、新しい内部からの「啓示」であった。人間の外にある天主もなく、そこからの啓示もなく、全ては人間の上に築かれた。

 カントが幼児に受けた教育は、プロテスタントの敬虔主義であり、これがカントをして文句なしに道徳と宗教の価値を受け取らせた。大学時代にはニュートンの実証科学に影響を受けた。そこで、カントにとって、ニュートンの物理学の明らかさと、自分の心の奥底に道徳律の確実性というこの2つの手を付けて変えることが許されない法則を両立させようとしたのだった(カントの墓碑銘には「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則 Der bestirnte Himmel uber mir und das moralische Gesetz in mir 」と
ある)。

 『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunft では、形而上学は、物それ自体 (Ding an sich) を取り扱うので、不確実であり誤っているとしたが、次の『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft では、自分の敬虔主義を擁護するために、「私は、信仰に場所を与えるために理性を壊した」と言って、形而上学に知の価値を与えている。カントによれば、物それ自体について語る形而上学は、盲目的な信仰に還元されて、道徳生活のために使われるとき有効となる。現実世界の物それ自体は、学問的には間違っているが、生活するために便利である限り道徳的に真であるとする。

 つまり、人間悟性の向こう側の外にある、天主とか世界とかは知の対象ではないが、便利で必要なので存在しなければならない。これらは「そうかもしれない」というレベルであるが、しかし「あたかもそうであるように」生活しなければならない。人間は、物それ自体の知を拒否するが、それについてあたかも知っているかのように行動しなければならない。人間は、悟性の向こう側について決して確実ではないが、しかしこれらが確実であるかのように生活しなければならない。

 カント流の徳とは「尊厳において人間をその人格において維持すること」(『実践理性批判』 Kritik der praktischen
Vernunft)であり、必ずしもこの地上での幸福とは結びつかない。従って、来世における報償者としての天主を要求し想定するのみであり、「天主が人間の理性の外に存在することを断定することが出来ない」(「オプス・ポストムム」コンヴォルートゥム7)。

 カントは、啓蒙とは何かを説明してこう言う。啓蒙とは、罪深い未熟状態から自らを解放することである。未熟状態とは、他人の指導なしには悟性を用いることが出来ないことである、と。天主も宗教も排除して、人間が自分の理性だけで自律し、独立する、それが啓蒙である。フリー・メーソンのレッシングは、「人類の教育」(Die Erziehung des Menschengeschlechts)
で、すでに、天主から解放された純粋な理性の宗教を提案している。啓蒙は、天主がたとえ存在しなかったとしても、有効な普遍の道徳律を築くことを追求した。

 カントの「あたかも天主が存在しているかのように」生活する、という態度が、正に、啓蒙の新しい宗教の態度であった。インマヌエル・カントの神は、観念上の仮定の神、啓蒙思想の寛容の価値を保証する神であった。天主が真に存在し給うが故にではなく、イエズス・キリストが真の天主であるからではなく、もしかしたらそうかも知れないけれども、とにかく天主が存在するかのように(veluti
si Deus daretur)人生をおくらなければならない、と。

 カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ニーチェ、フォイエルバッハ、マルクスなど、ドイツの観念論は、超越する天主を人間の内部に閉じこめようとする闘いであった。カントによって、天主は、人間の道徳の守護者に成り下がり、フォイエルバッハは天主を人間の生み出したものとし、ニーチェはその死を宣言した。その代わりに人間が、全ての基準となり、原理となり、目的となった。


 聖ピオ十世教皇は、回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス』(近代主義の誤謬について)において、近代主義をこう説明して排斥している。

不可知論
6.それでは、哲学者としての近代主義者から始めましょう。近代主義者たちは宗教哲学の基礎を一般的に不可知論と呼ばれている教説に置いています。この教えによれば「人間の理性はことごとく現象の領域、即ち現れ見えるもの、およびそれらのものが現れ見える様態に限定されているのであり、理性にはこの限界を越える権利も力もない」とされています。したがって、「人間の理性は目に見えるものを通して天主にまで自らを上げること、および天主の存在を認識することができない」ことになります。この結果、「天主は決して学問の直接の対象たり得ず、そして、歴史学に関しては、天主は歴史的主題と見なされてはならない」ということが導き出されます。これらの前提を前にすれば、誰もが直ちに自然神学
、[カトリック信
仰の]信憑性の根拠 、外的啓示といった事柄がどのようになってしまうかを見て取るでしょう。近代主義者たちは、これらを完全に取り除けてしまい、彼らがばかばかしく、また久しくすたれた体系と見なす主知主義の中に含めるのです。また、教会がこれらの忌まわしい誤謬を正式に排斥してきたという事実も、彼らにいささかの歯止めを利かせることにもなりません。

 しかし、第一バチカン公会議は、次のように定義したのです。『もし誰であれ、私たちの創り主にして主である真の天主が、創られたものを通して人間の理性の自然的な光によって確実に知られ得ない、と述べるならば、彼は[教会から]排斥されるように』。
 さらに、『もし誰かが、人間が天主および天主に対して払うべき礼拝について、天主的啓示を通して教えられることが不可能、あるいは適当ではない、と述べるならば、彼は排斥されるように』。
 そして最後に、『もし誰かが、天主的啓示は外的なしるしによって信憑性を得ることができず、また、したがって人は自らの個人的、内的な体験あるいは詩的霊感によってのみ信仰に引き寄せられるべきである、と述べるならば、彼は排斥されるように』と定めています。・・・


生命的内在
7.しかしながら、かかる不可知論は近代主義者たちの体系の否定的側面にすぎません。彼らの体系の積極的側面とは、彼らが生命的内在と称するところのものです。このようにして、彼らは一つの教条から他の教条へと進んで行くのです。自然的なものであれ、超自然的なものであれ、宗教は他のあらゆる事象と同じく、何らかの説明の余地を有しています。しかるに、自然的神学が排除され、また信憑性を裏打ちする議論の拒否によって啓示に対する道が閉ざされ、そしていかなる外的啓示も完全に否定されれば、この種の説明は人間自身の外には求められ得なくなってしまいます。

 したがって、これは人間の内に探し求められねばならないことになります。そして、宗教とは一種の生命なのであるから、かかる説明は当然のごとく人間の生命の内に見出されなければなりません。このようにして、宗教的内在の原理が定式化されるのです。さらに、あらゆる生命的現象
───上で述べられたように、宗教もこのカテゴリーに含まれ
ます─── のいわば最初の活動は、ある種の必要ないし衝動によるとされます。しかるに生命について特に述べるとすれば、それは心の動きに源を発するのであり、この動きは感覚と呼ばれます。したがって、天主こそが宗教の対象なのですから、宗教全体の土台にして基盤である信仰は、天主的なるものの必要に起因する、ある種の内的感覚に存するのであると結論せざるを得ません。天主的なるものに対するこの必要は、それ自体としては意識の領域に属し得ず、かえって意識の下に、あるいは近代哲学の術語を借りるなら、潜在意識の中に潜んでいるのだとされています。そこで、かかる必要の根源は見つけられずに隠れているのです。

マグダラの聖マリア

2009年07月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日7月22日は、痛悔女マグダラの聖マリア(聖マリア・マグダレナ)の祝日でした。アビラの聖大テレジアによると、大罪を犯した状態の霊魂は、太陽の光を全く遮られたガラスのようだ言われます。昨日の出来事的にいえば、皆既日食で光を遮られた地球の一部のようです。

 マグダラの聖マリアは、被造物を愛して、天主の代わりに被造物を信じ、被造物に希望を置いていた女性でした。この世の中のはかない快楽と上っ面な虚ろな喜びとを人生の目的と思っていました。何故そうなってしまったのかは、よく分かりません。悪い友人に誘われたのでしょうか、美貌と財産とがあまりに素晴らしく、悪しき人々に騙されたのでしょうか、反抗があったのでしょうか!?この世の繁華街の見かけの賑やかさや、結婚詐欺のような男性の甘い恋愛の言葉に酔ってしまったのでしょうか!?

 彼女の霊魂は、快楽の真っ只中で、寂しく、絶望し、太陽が燦然と輝いていても霊魂は真っ暗闇でした。化粧品、高級な香水、高級なワイン、高価な服、貴重な靴、装飾品の数々、何もマグダラのマリアを本当に幸せにすることはできませんでした。

 私たちの主イエズス・キリストと出会って、マグダラのマリアは、人生の究極の目的を天主に置きました。霊魂の救い、天国に置きました。天主を愛し、天主に希望を置き、天主を信じました。私たちの主イエズス・キリストを天主と信じました。

 マグダラのマリアは、自分の過去の罪の生活を悔やみ、苦しく、悲しく思いました。罪を忌み嫌い、忌み憎み、極度に憎悪しました。罪を犯すくらいなら、いかなる犠牲でも、苦しみでも、苦痛でも、この世の損失でも、辱めでも、侮辱でも、罵りでも、すべて受け取る覚悟ができていました。

 マグダラの聖マリアの前では、私たちをして私たちの主イエズス・キリストから引き離そうというすべての「陰謀」は何もかも、無駄でした。マグダラの聖マリアは、私たちの主イエズス・キリストの天主の憐れみを信頼し信じました。聖マリア・マグダレナには、本当の完全な痛悔がありました。罪にはらはらと涙し、過去の肉欲と情欲と虚栄の生活の象徴を砕き割り、私たちの主イエズス・キリストの足に捧げました。あれだけ美しさを自慢していたみどりの黒髪を雑巾であるかのように考えました。これからは、慎み深く、人前に肌を見せないように、自分の美しさゆえに男性を誘惑しないように、償いの生活を始めました。マグダラの聖マリアの私たちの主イエズス・キリストへの信仰と愛徳は、恐ろしい十字架さえも怯ませませんでした。人々の嘲りも揶揄も屈辱も、怯ませませんでした。マグダラの聖マリアの人生の最終目的は、天主にあったからです。

 痛悔女マグダラの聖マリアよ、御身に倣いて、我らをして真の完全な痛悔の心を得しめ給え! 日本の、そして全世界の、美しい女性たちが、聖母マリア様のように、ますます霊魂の美しい慎み深い女性に保護し給え! 特に若い青少年の霊魂を守り給え! 彼らがはかないこの世の栄華に惑わされることなく、真に美しいこと、本当の幸福、本当の愛徳に気がつき、私たちの主イエズス・キリストが与え給うこれらを追求しますように!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

 追伸です。昨日の7月22日には、私はソウルで司祭館の引っ越しがありました。今までソウルの萬里洞というところ(ソウル駅のすぐ裏側)にいましたが、これからは東大門にもう少し近い、ソウルの鐘路1街に移りました。有名な教保文庫の後ろ側(すぐ後ろは、今は工場中ですけれど)です。聖堂により近くなったことは嬉しい限りです。天主様に感謝します。またこのことを取りはからってくださった教友の方々に感謝します。ルフェーブル大司教様とデ・カストロ・メイエル司教様に感謝します。

昨日の日食は、ソウルで少し見ました。多くの人々が外で空を眺めていました。

更に、愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

なべての民よ こえあげよ

2009年07月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今月の日本でのミサ聖祭と私の任務は、天主様の聖寵とお恵みと助けによって、果たすことが出来ました。天主様に感謝します。

 主日のミサ聖祭には、東京では、38名の愛する兄弟姉妹の皆様がミサ聖祭に与る恵みを受けました。そのうち4名が子供たちでした。

 司祭の入堂で愛する兄弟姉妹たちが、きれいにこう歌っていました。感動的でした。

なべての民よ こえあげよ
なべての国よ 歌えかし
御神の御稜威の 尽きざるを
教えのまことの 絶えざるを

 退堂の聖歌はこうでした。こころを打たれました。

あやにくすしき その御名こそ
あめにも地にも たぐいあらじ
呼べばきょうし あらたにこそ
いのちのははに 会う心地すれ

あやにうれしき マリアの御名
おもいいずれば こころ踊る
われはいのらん いまわの時
御ははの来たり 助け給うを

 愛する兄弟姉妹の皆様の良き模範と愛徳と祈りと犠牲に感謝します。天にまします我らの聖父よ、願わくは聖名の尊まれんことを、願わくは日本中で聖名の尊まれんことを、願わくは世界のあらゆるところで聖名の尊まれんことを!

天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!我らを憐れみ給え!

聖フランシスコ・サベリオ、我らのために祈り給え!

日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2009年6月19日に行われたアメリカのウィノナにある聖トマス・アクイナス神学校での叙階式

2009年07月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2009年6月19日に行われたアメリカのウィノナにある聖トマス・アクイナス神学校での叙階式の動画をご紹介します。天主様に感謝! カトリック教会の全ての新司祭たちのためにお祈り下さい。

St. Thomas Aquinas Seminary Ordinations, Winona, MN, 2009 (1 of 2)




St. Thomas Aquinas Seminary Ordinations, Winona, MN, 2009 (2 of 2)



アルスの聖司祭、我らのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

5名の大学教授

2009年07月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?今日は、朝8時のミサ聖祭で15名の方々が与ることが出来ました。

 よく考えてみると、昨日の主日のミサ聖祭には、引退された方々も含めて5名の大学の教授の先生の方々が来られていました。ベトレヘムに来た東の博士たちのように思いました。

 明日の火曜日は、ミサ聖祭はいつも通りの朝7時です。よろしくお願いいたします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

麻生太郎首相が2009年7月7日ローマ教皇ベネディクト十六世を謁見したときの動画

2009年07月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしですか。麻生太郎首相が2009年7月7日ローマ教皇ベネディクト十六世を謁見したときの動画をご紹介します。

麻生太郎 2009年7月7日 ローマ法王



 明日、海の日は、休日であるので東京でのミサは朝の8時からです。よろしくお願い申し上げます。

 今日の聖伝のミサには、新しい方が私の知る限り2名こられ、久しぶりに来られた方々の懐かしい面影に大変嬉しく思いました。心から天主様に感謝いたします。久しぶりのダニエラちゃんには嬉しく思いました。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

明後日の海の日

2009年07月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 暑い夏ですが、いかがお過ごしでしょうか?

 明後日の海の日ですが、朝のミサ聖祭の時間は、朝8時の予定です。しあさっての火曜日は、いつも通りの朝7時です。

 よろしくお願いいたします。寝冷えや夏風邪にお気をつけくださる。目もお大事に。パソコンのやりすぎにご注意ください。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

1908年12月13日、ジャンヌ・ダルクの列福の教書で言われた聖ピオ十世の言葉

2009年07月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 1908年12月13日、ジャンヌ・ダルクの列福の教書(décret de Béatification de Jeanne d’Arc) で言われた聖ピオ十世の言葉をご紹介いたします。

「以前にもまして、現在、悪を為そうと思う人々の最大の武器は、善人の臆病と弱さである。サタンの君臨の力強さの全ては、カトリックの投げやりな弱さ(easy-going weakness)のせいである。
 ああ、予言者ザカリアが霊的に為したようにもしも私が天主なる贖い主イエズス・キリストに「御手のなかでのこれらの傷は一体なんですか?」と尋ねることができるとしたら、その答えは疑いもないだろう。すなわち「これらと共に、私を愛した者たちの家で私は傷つけられた。私は自分の友によって傷つけられた。私の友は私を守るために何もしてくれなかった。彼らは、機会があるごとに、私の敵どもとグルになった。
 そして、この叱責は、全ての国々にいる弱々しい臆病なカトリック信徒たちに言うことができるが、フランスの大部分のキリスト者たち適用させないわけにはいかない。」


« De nos jours plus que jamais, la force principale des mauvais, c’est la lâcheté et la faiblesse des bons, et tout le nerf de guerre de Satan réside dans la mollesse des chrétiens. Oh! S’il m’était permis, comme le faisait en esprit le prophète Zacharie, de demander au divin Rédempteur: «Que sont ces plaies au milieu de vos mains?», la réponse ne serait pas douteuse: «Elles m’ont été infligées dans la maison de ceux qui m’aimaient, par mes amis qui n’ont rien fait pour me défendre et qui, en toute rencontre, se sont rendus complices de mes adversaires» Et à ce reproche qu’encourent les chrétiens pusillanimes et intimidés de tous les pays ne peuvent se dérober un grand nombre de chrétiens de France.»

(St. Pie X: Béatificationde Jeanne d’Arc, 13 décembre 1908).


カトリックの東京カテドラル聖マリア大聖堂で、9月23日、日本聖公会宣教150年記念礼拝開催

2009年07月17日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 【参考資料】 カトリックの東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)を会場にして、今年9月23日に、日本聖公会宣教150年記念礼拝が開催されるそうです。

 以前にも、1988年 1月6日には、カトリック東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、聖公会のヨハネ武田師の「主教就任式」が執り行われたことがありました。

 その他にも、例えば米国のセント・ルイスのカテドラルでは、1987年6月にルター派の「司教」1名の「任命式」が行われ、同1987年7月にはメソジスト派の3名の「司教」の「聖別式」が執行されています。

主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

参考資料「聖ピオ十世司祭兄弟会関係の年表」

参考資料「ジェファーツ・ショリ米聖公会総裁主教の来日決定 聖公会150年礼拝」 2009年06月19日

米聖公会のジェファーツ・ショリ総裁主教
ローワン・ウィリアム・カンタベリー大主教(英国)

 9月23日に開かれる日本聖公会宣教150年記念礼拝に合わせて、米聖公会のジェファーツ・ショリ総裁主教が来日することが決定した。同礼拝にはすでに、世界中に広がるアングリカン・コミュニオン(聖公会)トップのローワン・ウィリアム・カンタベリー大主教(英国)の来日が決定している。

 礼拝は、日本聖公会(東京都新宿区、植松誠首座主教)が日本での宣教開始から今年で150周年を迎えるのを記念して開催するもの。約2000人収容可能な東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)が会場となる。前日の22日には、立教大学池袋キャンパスで海外からの来賓を招いた交流会やコンサートなどの催しを行う。

 ショリ総裁主教は、記念礼拝に出席するほか、前日のプログラムにも参加する予定だ。
 礼拝には、英国、米国、カナダ、韓国、オーストラリアなど日本へ直接宣教師を派遣してきた各国聖公会や、日本聖公会と関係の深いブラジル聖公会、東アジア聖公会協議会(CCEA)加盟教会の代表者が出席する。日本の他教派・教団の代表者らも出席を予定している

【関連記事】エキュメニズム

2009年7月14日フランス革命の記念日にパリは特異な未知の光に照らされた

2009年07月16日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先ほど、或る方から、フランス革命の記念日にパリは特異な未知の光に照らされたというニュースを教えていただきましたので、ご紹介します。


フランス革命記念のパリの空(2009年7月14日)

フランス革命記念日、夜空が青白く発光する特異な気象現象が発生


2009/7/16 13:04 UTC - フランス革命記念日の14日夜、日没直後のパリの夜空を夜光雲(noctilucent cloud)が覆い尽くすという極めて特異な気象現象が起き、祝賀ムードの中、街頭を埋め尽くした多数の市民によって目撃された。

夜光雲とは日の出前や日没後に青白く発光する雲が中間圏に生じるという極めて珍しい気象現象。歴史的には1885年に初めて観測。それ以前には観測事例がまったくなく、恐らく19世紀後半になってから初めて出現した気象現象ではないかと見られている。

14日夜のパリは、夜空一面に青白く光る夜光雲が覆うなか、フランス革命記念日を祝う花火が打ち上げられるなど、これまでのパリ際とはまったく異なる幻想的な雰囲気に包まれた。

普通の雲は高度10キロまでの対流圏で生じるものであるのに対して、夜光雲は高度80キロ前後の中間圏で生じた氷結が太陽の光を反射することで、夜空を青白く照らすというものとなる。

しかし、発生原因や、なぜ、19世紀後半になってから突然、現れるようになったのか、また、最近になり中緯度の地域でも頻繁に観測されるようになったのかについてはほとんど判っていない。

【引用終わり】


ファティマの聖母マリア様の言葉(1917年7月13日)

「・・・あなたたちが未知の光を見るとき、天主がこの世をその罪のために戦争と飢饉、教会と教皇に対する迫害を使って罰を下そうという大いなる印を天主様があなたたちに下さっているのだと言うことを知りなさい。

 これを避けるために私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう。 もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。

 さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう。多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう。無くなってしまう国々もあるでしょう。

 最後には、私の汚れ無き御心が凱旋するでしょう。教皇様は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう。

【引用終わり】

 ですから、愛する兄弟姉妹の皆様、ロザリオの十字軍に寛大に参加して下さい!
 ですから、全てのカトリック信徒の皆様に、全てのカトリック信仰を持つ愛する兄弟姉妹の皆様に、このロザリオの十字軍にロザリオをもって助けてくださるようにお願いいたします。

カルメル山の聖母マリア、我らのために祈り給え!
ファティマの聖母マリア、我らのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】ファチマの真実(3)より

聖母が預言された「未知の光によって照らされる夜」は1938年1月25日の夜から26日の朝がたにかけてヨーロッパ・北アフリカの空に展開されました。それは専門家が「北極光」(aurora borealis)と呼んだ異常な輝きのことです。1938年1月26日のリヨンの新聞Nouvelliste de Lyonはそれを次のように報じています。

「昨夜、西ヨーロッパの空を異常な大きさの北極光が波打った。それは多くの部局で大騒動を引き起こしたが、最初はそれが大火事だと信じた。.....アルプス地方全域において、多くの人々はこの不思議な光景に非常な興味をそそられた。空は非常に強烈な鮮血色の輝きを発しながら移動する一つの巨大な炉のように燃え立たせられていた。炉の縁はあたかも太陽がまさに昇ろうとしているかのように、白色であった。それは明らかに北極光であったが、しかし、グルノーブル大学理学部のペルス教授によれば、一つの例外的に巨大な北極光であった。

『フランス天文学協会ブレティン、天文学、気象学、地球物理学月刊誌』は50ページにわたる特集でこの現象を次のように報告しています。

例外的な美しさをもった北極光が1938年1月25日火曜日の夕方から26日水曜日の朝にかけてフランス、そしてヨーロッパのほとんどすべての国々において見ることが出来た。スイス、イギリスそして同様に西部、南西部、プロヴァンスに至る南東部地域、そしてさらに南部、イタリアやポルトガル、シシリー、ジブラルタル、そして北アフリカにおいてさえ、この現象はこれらの地域の緯度にしては例外的な強度を示した。....

天気は曇りだった。そして夕暮れ頃にはすこし霧雨になった。太陽は一日中見ることができなかった。しかし今、日没後2時間以上たって、雲がなくなり晴れた。北東、北、そして北西の地平線は、夜明けが再び一面に始まるかのように、明るくなった。実用的な目的からはそれは夜明けであった。....しかし、不思議な光をもった夜の曙である。それは北極光である。

青白い、美しい、青緑の光が北東から北西の空に展開している。徐々に上方へと空が深紅色に変わり、そして不規則的な赤い弧が現れる。紫色に染められた雲の一種が北東に圧縮し、それからあたかも一つの神秘的な息によって吹き払われたかのように、北西の方向へと移動して行く。それは積み重なり、波のようにうねり、消え、そしてまた現れる。一方、その色が真っ赤な色からだいだい色にそして黄色に変わって行く巨大な光線は星を覆いながら、天頂にまで登って行く。その光景は、消えたり現れたりしながら、光の振動で変化し、生き物のようで、心を奪うものである。....

通りではパニックが起こっている。『パリが火事だ!』地方のいくつもの村では消防隊が動員されている。....巨大な深紅の光が空いっぱいに拡がっていた。」

同じ雑誌はフランスと外国の特派員からの多くの報告を載せています。

アルプス・ピック・デュ・ミディの観測所で:
「この珍しいオーロラはピック・デュ・ミディ観測所で観測された最初のものであった。それはこの緯度としては非常に稀な現象である。....最初の印象は一つの巨大な火災のそれであった。....」

メーヌ・エ・ロワールのラ・シャペル・サン・ローで、10歳になる生徒の記録:
「昨晩は一つの大きな雲があった。それは血で染めた紙のようだった。それからその雲は大きくなった。それは大きな赤い糸の列になり、上の方へ上がって行った。その下にチョークの線のような白い糸の列が現れた。」

オワーズで、アンリ・ブラン氏:
「最初、それは巨大な地獄の気味の悪い反射だと思われた。....この現象の変則と強度に打たれて村人たちの多くは彼らの家の窓枠から幾分神経質になって観察した。....これらの赤い色の輝きが見られ、また消えた。そして後でかなり長い時間が経って再び現れた。....これらの光り輝く現象はときどき非常に空高く上がり、そして色、輝きにおいてそれらは一つの猛烈な近くの地獄の非常に生々しい反射にまったく比較され得るものであった。....この例外的な天空の光景の強烈さ、その素晴らしい輝き、その巨大な範囲、特にわれわれの地域におけるこの強度で[見られることが]非常に稀であること、一年のうちでこの季節に見られることはさらにもっと稀であることなどは、直ちに社会に教えるべき価値があるとわれわれには思われる。....」

ピカルディーで:
「5時15分に私は北北西の方向に、私が最初遠くにある地獄の結果であると考えた一つの赤熱に気づいた。....10分後に大きな紫色の点がオリオンの方へまっすぐに私たちの頭上を越えて拡がって行った。次ぎに他のもっと小さい、もっと青白い点が現れ、そして消えて行った。しばらく後に、燃える空が私たちの顔に反射した。私の側でその現象に賛嘆していた妻が、私には非現実的に思われる赤い反射の中で私に現れた。7時45分に、赤い輝きはその最高の強度に達した。ほとんど空全体が火事になっているように見えた。第二の[天にできた]ひだは素早く燃え上がった。その輝きは私が腕時計を見て時間を言うことができるほどの明るさだった。その光景は並外れていた。ニュースを求めて私の側にやって来た一人の農夫は非常に真剣に、それは世の終わりを告げていると信じた。....明らかにこの常ならぬオーロラによって頭がおかしくなった雄鳥が日の出であるかのようにときをつくり始めた!」

カーンの小神学校で:
生徒たちは寄宿舎から「大きな赤いシーツ」を見た。「そのシーツを通していくつかの星を見ることができた。」

ヴォークリューズのある証人は同じ表現を使っている:
「空に非常に大きい赤いシーツを見て私は驚いた。しばらくの間それは周辺の地域のどこかでの火事であると私には思われた。その燃える光が雲に反射していた。....私はその現象が続いている間村と周辺の地域の犬どもが吠え始めたことに気がついた。彼らは10時半頃まで吠えるのをやめなかった。」

北アフリカからの証言:
「このオーロラはチュニジアのほとんどすべての場所から見ることができた。それは、同様なものが1891年以来報告されたことがなかったから、一つの非常に稀な現象である。....一般に、それは巨大な赤い色あるいは桃色の光のように見え、多かれ少なかれ白い縞が入っていた。....非常に驚いた土地の人々はその中に神の怒りの警告を見た。ヨーロッパ人たちはそれは一つの巨大な遠くの火事であると考えた。

この現象それ自体は超自然的な奇跡ではなく、単に「一つの例外的な自然現象」に過ぎませんが、しかし、それは前もって予告されたものであり、神が世界をその罪のために罰しようとしておられる「しるし」として神によって与えられたものだと理解されるのです。現象自体が客観的に意味を持っているというのではなく、その現象に神は一つの意味をお与えになったと考えることができます。この現象の直後にシスター・ルシアは司教、カノン・ガランバ、修道会の上長、聴罪司祭たちにこの現象の超自然的、預言的な意味を説明しました。しかし、教会の司牧者たちはシスター・ルシアがこの自然現象における神の意志の意味を説明したことを無視して、信徒たちにそのことを明らかにしませんでした。「人々が神に背くことをやめ」て痛悔し、回心するようにという天の要求は聞き入れられず、世界は戦争、それも史上最大、最悪の戦争になだれ込んで行きました。

1946年にジョンゲン神父がシスター・ルシアになぜ戦争前にこのことを公表しなかったのか?と問うた時、それに対して彼女は「誰もそのことを私に求めなかったからです」と答えています。シスター・ルシアが預言者のように、完全に独立して行動することを意図して、彼女の上長の同意なしに、彼女自身の権威に基づいて秘密を明らかにするということは神の御意志ではなかったのです。神の御意志はシスター・ルシアの上長、聴罪司祭や司教たちが協力することを通して聖母マリアの秘密が世界に公表されることでした。ですから、戦争が終わってから公表された秘密の責任をシスター・ルシアに負わせることはできませんし、ましてシスター・ルシアが事が起こった後になってそれを秘密の内容としてでっちあげたというダニス神父の主張はとんでもない誤解です。

フレール・ミッシェルによれば、ファチマにおいて神が第一に目的とされたことは、人々に直接的に、そして民主的に、彼らに回心するように警告を発することではありませんでした。シスター・ルシアが自分のイニシャティヴで秘密の預言を公表したのであれば、そうだったでしょう。そうではありませんでした。神の御計画はそれとはまったく異なっていました。神はマリアの汚れなき御心への信心を通じて世界を救うことを望まれました。しかし、神はまたカトリック教会の司牧者たちがその神的な権威を用いてその信心を荘厳に確立することをも望まれたのです。シスター・ルシアが1917年に聖母から託された秘密を教会の上長たちに知らせて、彼らを通して時期が来れば世界へ、信徒たちへ公表されることを願って、自ら公表することをしなかったのは、神の御意志に忠実であった証拠です。

1941年8月31日に書かれた第三の手記においてシスター・ルシアは懲罰を告知する大いなるしるしの後に彼女が経験した不安な期待の数ヶ月について彼女の司教に思い起こさせました。

「そうであると思いますが、(この天空の現象の正確な本性に関して)神は、その正義が罪ある国々をまさに打とうとしているということを私に理解させるためにこのことを利用されました。この理由で、私は初土曜日の償いの聖体拝領とロシアの奉献をしつこく懇願し始めました。私の意図は全世界のためばかりでなく、特にヨーロッパのために憐れみと赦しを得ることでした。....

神がその無限の御憐れみにおいて、恐るべき瞬間が近づいたということを私に感じさせられたとき、猊下は、機会が提供されるときにはいつでも、私がどのようにそれを指摘する機会を捉えたかを思い起こしてくださるでしょう。」 

ところで、1904年3月30日、ポルトガルのポルトの北にある小さな村バラザルに生まれたアレクサンドリナ・マリア・ダ・コスタは1955年10月13日に亡くなるまで多くのカリスマや神秘的な恵みを受けて聖なる生活を送り、1967年1月14日ブラガで列聖調査が行われ、1973年4月14日にはその調査が成功裡に終わりました。このアレクサンドリナに、1935年8月1日、主が御出現になって、教皇に手紙を書いて、世界をマリアの汚れなき御心に奉献するように求めなさいと次のようにおっしゃいました。

「かつて私は私の聖心に人類を奉献するように求めた。今、私は私のいとも聖なる御母の汚れなき御心に人類を奉献するように求める。」

彼女の聴罪司祭のイエズス会士ピニョ神父は1936年9月11日にパチェッリ枢機卿に手紙を出しました。枢機卿は聖座にアレクサンドリナの調査を命じ、1937年にブラガの大司教にさらに彼女についての情報を提供するよう求めました。1938年6月にファチマに黙想のために集まった(この時司教たちに説教したのはピニョ神父でした)司教たちは、ダ・シルヴァ司教が教皇に聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の願いを出してすでに1年を経過しても何の返事も貰えなかったので、今度はポルトガルの司教たちの連名で、聖マリアの汚れなき御心への世界の奉献の要求を教皇に対して送りました。ポルトガルにおけるマリアの汚れなき御心によって働かれたきわだった平和の奇跡に教皇の注意を喚起しようとしてのことでした。

教皇ピオ十一世はこのポルトガルの司教団の要求に沈黙を守りました。カレイェイラ枢機卿が1967年に証言したところによれば、レイリアの司教には戦争の7ヶ月前に戦争が切迫していること、その暴力と範囲が伝えられていました。1939年2月6日付けのシスター・ルシアの手紙には、「聖母によって予告された戦争」が切迫していること、「ポルトガル司教団によってなされたマリアの汚れなき御心への奉献のおかげで」ポルトガルには聖母の御保護が約束されていることが述べられていたようです。また、次のように書かれていたと言われています。

「主たる懲罰は霊魂たちにおける神の国を破壊しようとした国々に対する懲罰でしょう。ポルトガルも同様に罪があり、懲罰のあるものを受けるでしょう。しかし、マリアの汚れなき御心がポルトガルを護るでしょう。よき主はポルトガルが償いをなし、自らと他の国々のために祈ることを求めておられます。スペインは罰せられるべき最初の国でした。スペインはまだ終わっていないその懲罰を受けました。そして他の国々に対する懲罰の時が迫っています。神は霊魂たちにおける神の国を破壊しようと欲するすべての国々をその血において純化することを決断なさいました。にもかかわらず、神は、もし人々が祈りそして痛悔するならば、怒りを和らげ、赦しを与えると約束なさいました。」

この手紙が書かれて数日後、1939年2月10日教皇ピオ十一世は亡くなられました。

シスター・ルシアは1939年3月(あるいは5月)に、主から次のメッセージを受け取りました。

「初土曜日にマリアの汚れなき御心を讃えて償いの聖体拝領が広められらることを願い、しつこく願いなさい。私の正義の厳正さがさまざまの国々の罪を罰する時が来ている。それらのうちのあるものは絶滅させられるであろう。遂に霊魂たちにおける私の支配を破壊しようとする者たちの上に私の正義の厳格さが厳しく降るであろう。」

1939年3月19日アパリシオ神父に宛てた手紙の中でシスター・ルシアはこう述べています。「世界の平和かそれとも世界の戦争かということは、マリアの汚れなき御心への奉献と共にこの信心の実行にかかっています。これが私がそのように大いにそして特別にそれが広められることを望んだ理由です。なぜなら、それは私たちのよき主と私たちの愛する天の御母の御意志だからです。」

それから3ヶ月後、6月20日シスター・ルシアはアパリシオ神父に次のような手紙を送りました。

「聖母は、もしこの信心が広められ、実行されるならば、戦争の懲罰を遅らせると約束なさいました。私たちはその信心を広めるために努力がなされる程度に応じて彼女が懲罰をそらされるのを見ます。しかし、私は私たちが今している以上にはすることができないということ、そして神がその怒りにおいてその憐れみの手を挙げられ、世界をこの懲罰によって荒らされるにまかせられるということを恐れています。それは以前には決してなかったそのように恐ろしい、恐ろしい懲罰でしょう。」

シスター・ルシアが以前の聴罪司祭であるアパリシオ神父に説明した同じことを、彼女はきっと司教や修道会の上長にも説明したことは疑いのないところでしょう。

しかし、時はもう遅すぎました。1939年8月22日、独ソ不可侵条約が締結され、9月1日ヒットラーはポーランドを侵略し、その2日後イギリスはフランスを誘ってドイツに宣戦布告しました。たびたびの天の警告は顧みられませんでした。ヨーロッパはこの戦争の中に自らを盲目的に投げ込みました。これは聖母が忠告なさった人類の懲罰だったのです。もう一度1917年7月13日の聖母の預言をまとめて聞きましょう。

「戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。....このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」

実にこの戦争で4000万人以上の人が死にました。


【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

皇帝の新しい旗 その6

2009年07月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

皇帝の新しい旗 その6

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フランツヨーゼフ皇帝との謁見のため、アソ県の知事フランシスコはマルコパウロ地方の以前の州都があったオデから、帝都アモールへと道を急ぎました。広大な帝国領土を移動するのは飛行機が一番便利でした。

 アソ県知事フランシスコは、オデ空港に向かうため車に乗った時からロザリオを手にして祈っていました。今回の謁見が何らかの実を結ぶように、と。マスメディアはフランシスコを常に誹謗し、おとしめていました。ある大学教授は、フランシスコ県知事のことを、帝国から遠く離れたアジアの国の一つである日本の幕末の老中であったが、根拠のない醜聞により失脚させられた逸材、安藤信正に喩えていました。

 フランシスコは、時々、ロザリオをつまむ手を休めて、窓からマルコパウロ州の美しい自然の風景を眺めながら、マルコパウロ地方のことを考えていました。

 誰に言う話しかけるともなく、車の後ろに座りながら、フランシスコはポツリとこうつぶやくのでした。
「新しい帝国旗が導入されて以来、政治は権力獲得のための絶え間ない闘争の場となってしまったようだ。政治権力は、人間の全てとなってしまった。権力は、全ての物事を手に入れるための手段となった。権力は人間を神とさせる、と同時に、人間を卑しめ、人間を破壊している。・・・」

 アソ県知事は、昔とはすっかり変わってしまったマルコパウロ地方の人々のことを思いました。カトリック信徒は、聖パウロの言うとおり、全ての権能・主権は天主から由来することを知っていました。しかし、新しい帝国旗は、彼らに別のイデオロギーを押しつけていたのでした。

 それは「全ての主権は民に由来する」というイデオロギーです。人間を神とするイデオロギー。人民をおだてて、彼らを神とし、「有権者様は神様でございます」と人民を礼拝させるイデオロギーのことです。ちょうどヴァレー県知事の好きな七福神的な、神々となった人民、神々の民というイデオロギーでした。

 フランシスコは思索を巡らしてつぶやきました。
「以前は、天主の御名によって、天主の主権の名によって、法令が出された。臣民は、天主への愛のため、天主に従っていた。しかし、新しい帝国旗の精神によれば、人民の名によって人民に命じ、人民の自由を制限するのだから、人民は自分の思い通りすればよいことになる。人民は誰にも責任を負わず、人民は暴君となり、国が倒産しても国が滅んでも自分の利益だけを追求するようになって行った。Vox populi, vox Dei (人民の声は、天主の声)か・・・。」

 大手マスコミの支配者や株主は、自分たちの都合のいいような情報操作をしていました。マルコパウロ地方の人々は、「みんながしているから」という理由が好きだったので、テレビが言うとおり、新聞が書くとおり、右に倣え式に判断していました。そして人民がマスメディアの言うとおりに投票すると、一斉に「民意の審判が下った」「民意は選挙にあらわれた」と、書き立てたのでした。特に歌手や俳優やコメディアンなどが選挙に出ると、人民は喜んで彼らに票を入れました。じつはマスメディアの言うとおりに彼らは動いていたのですが、しかし、人々は、自分たちが政治を動かしている、という錯覚を抱き続けていました。

 アソ県ではもうすぐ知事選が控えていました。フランシスコ自身は「保守党」という名前の政党に属していました。

 野党は幾つかありましたが、その中でも勢力を伸ばしていたのが「博愛党」でした。「博愛党」は社会主義の政党で、以前は「社会党」と言われていました。博愛党は、人民の正義と平和を求め、同時に神聖にして犯すべからざる自由を理想的に追求しようとしていました。この党の主張によれば、気まぐれで自分勝手な人民の意志が国の利益と一致することを、無秩序と秩序とが一致することを、自由放埒と国家の権威とが同じであることを信仰していました。

 マルコパウロ地方にも共産党がありました。彼らは民主主義の原理を徹底的に、狂気に至る程度まで適用させ、その結果がどうなろうと怯まない人々でした。過去を消し去り、将来は無秩序(アナーキー)を作り出そうとしていました。ただし、彼らが政権を取ったその瞬間、一党独裁の警察国家を作り上げることでしょう。

 「保守党」は、現実主義者的な政党でした。革命家たちが壊そうとしている物質的な精神的な遺産を、秩序を不完全ながらも保守しようとする人々でした。しかし、最近では民主主義の選挙ゲームにどうやって勝つかということにますます夢中になっていました。そのために残念ながら、世論支持率やテレビ番組の司会らのコメントに、風見鶏のようにくるくると意見を変えていました。

 フランシスコ知事は、フランス革命のことを思い出しながら、今度は、隣にいた秘書のドミニコに語りかけました。
「フランス革命は、天主に反対し、天主の代理者であったが故にフランス王に反対した。革命家は自由を求めると同時に特権の廃止を求めた、つまり平等だ。ところでフランス革命から派生した、経済自由主義は、市場の完全な自由による機会の均等と製品の平等を保証することになっていた。しかし現実は、競争者の力が同等ではないのだから、弱肉強食となり、持てるものはますます持つこととなり、持てぬものはますます失っていった。社会主義は、この資本階級と労働階級とが平等ではないことを不正義であると告発している。」

「そうですね」とドミニコは合いの手を入れました。「彼らは、正義を実現させようという情熱に燃えています。富める者たちによって搾取され、こき使われ、捨てられた貧しい人々のために戦おうとしています。」

フランシスコ「そうだ。社会主義は、選挙と議会の反対勢力としては輝いて見える。野党にいるときは、何を言ってもリスクはない。しかし、社会主義が政権を取った国々を見てみよ。
 社会主義が一度政権を取ってしまうと、いままでの保守政権が貯蓄してきた全ての蓄積を使い果たしている。彼らはユートピアの世界にいるようだ。政治的な責任も経済的な責任も、無視するかのようだ。彼らは夢見たいなマニフェストを書くだろう。財源などは不問だ。現実を見ずに、メシアを夢見て待望している国民にとって、政権交代という言葉がロマンチックに響くのだろう。」

 ドミニコは博愛党のマニフェストを手にとってパラパラと開いてみた。

「労働時間の縮小、一週間30時間労働、給与のアップ、所得1.5倍増
 失業をなくす闘い、 最低賃金、2倍にアップ
 地方分権、全ての組織の徹底した民主化

 教育制度の改革、子供一人当たり6000ドル支給
 高校と大学の無償化、経済力格差による教育格差解消
 希望者全員に平等に奨学金制度

 高速道路の無料化、
 消費税一時廃止。
 60歳以上、公共交通機関の無料化

 医師の数を3年で3倍に増加、
 集中治療室の増加、救急病院の増設、介護施設を3倍に増加
 国民の声を聞き、がん死亡率を改善、成人病ゼロへ

 振り込め詐欺撲滅、泥棒・強盗・万引きゼロ
 車にではなく、人間に優しい町作り
 車道を、歩道に変え、緑を創出
 温暖化対策、云々」


ドミニコ「空想と幻想の世界で遊ぶのは楽しいかもしれませんが、それによって国民生活が保障されるという錯覚を与えることはほとんど犯罪に近いですね。」

 すると、前に座っていたベネディクトはこう言いだしました。
「これをやったらどうなると思いますか? まず製造業の人件費が安い海外への工場移転が急激に進みます。次に、今ギリギリの経営状態でやっている飲食業・コンビニなどを中心に、大量の企業倒産が発生します。また、上昇した分の人件費はそのまま販売価格に上乗せされますので、インフレが発生します。街の本屋さんなんかは全て倒産して、人件費がかからないアマゾンドットコムだけになるかも。素人考えでは給料を上げたらいいだろうということになりますが、世界経済が相互依存を増し、輸出入が国内取引と同じ感覚で行われる時代に、政府が介入して人件費を上げるということは、そういう最悪の結果を招きます。結局物価はあがるし、失業者も増えます。よい事は何もありません。」

ドミニコ「その通りですよ。ベネさんのように知性的な人は、一を聞いて十まで理解してしまうのです。しかし、調べる時間もない一般庶民は、うまい内容を鵜呑みにしてしまう危険があります。うちの知事を今マスコミがものすごい勢いで叩いてますよね。知事は自分の立場を散々貶められてもじっと我慢しておられる。使命感なのだとおもいます。我が党が政権を取り続けることは、マルコパウロにとってラストチャンスです。ほとんどの有権者は博愛党の増税のことすら知りません。一般人はマスコミのニュースにしかふれる時間がないのです。このまま博愛党をメシアだと信じて裏切られたと分かったとき、国民のメシアへの待望は共産党へと写ってしまうのではないでしょうか。」


ベネディクト「ええ、ジレンマは、今の世の中、責任のあることをいっても評価されないことです。無責任な党が人気を集める世相になっているからです。ですから、我が党も、博愛党と同じ無責任なことを言って、選挙に勝ってしまってから何もしなければいいのです。必然的にポピュリズムに堕する民主主義政治で、国民に義務や責任を求める発言や正論は禁句なんですよ。例えば、官僚の天下りの全面禁止なんて、そんなことはできるわけがないのですが、とりあえずやりますと言えばいいのです。大衆なんて、政治家が何かやっていると思えば支持するのですから。
 実際、公務員労組の支持を受ける博愛党が天下り禁止改革なんてするわけない。マスコミ向けの話題つくりに言っているだけなのに。権力を握るためならウソだってなんだってついたらいいのです。 とにかく権力をとることです。人気タレントに、出馬をお願いしたらどうでしょう。目玉・客寄せパンダです。人気者の票のお裾分けにすがればよいのです。権力を持っていないなら、何を言っても聞く耳はもたれません。妥協してリベラル面には面従腹背して、保守派の大同団結のため、正論を言うのを控えたらどうでしょうか。そのためには保守党本来の価値観や政策の実現を追求するなどという孤高を貫くやり方はだめです。政治理念、外交政策、長期的視点、価値観、信念を守る、そんな共産党みたいな態度をとっていたら、だれもついていきません。政権維持に矮小したと言われてもいいのです。博愛党みたいにウソついてでも医療費は増やしますって言って、選挙済んでからやっぱ減らしますってやるしかないでしょう。我が党の最大の欠点は、正論を言えば大衆はちゃんと理解してくれると信じていることです。正論が理解されるなら、ルーブル大臣もいわゆる「破門」などされなかったでしょうよ。最近ですが、アソ県の医師団体の1266人が保守党を離党しました。丸ごと保守党から離党し博愛党へ移籍しています。我が党が、消費税増税と並んで将来の医療費抑制なんて公約をするから、こんなことになるんです。医療費減らすなんて言ったら医師会が離反するのは当然ですよ。
 この新聞記事を見て下さい。博愛党のばらまき政策が嘘だという証拠です。博愛党の最高顧問は、若手の議員に、「財源はどうにでもなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」と語っていると報道されています。我が党も、彼らの賢さをまねるべきです。」

ドミニコ「ベネさんの主張も理解できます。しかし、私たちから遠く離れたアジアの国の話ですが、例えば、日本では昔、自民党という政党が政権奪還をしようと、社会党の村山という政治家を抱き込んだことがありました。たしかに政権は奪還できましたが、同時に「村山談話」を生み出してしまったじゃないですか。
 我が党が、保守党本来の価値観や政策の実現を追求し続けなければ、誰が政治理念、外交政策、長期的視点、価値観、信念を守るでしょうか。マルコパウロ地方のための本当の共通善を訴えていかなければなりません。政権維持に矮小化してはなりません。」

ベネディクト「博愛党が政権を取ったら、マルコパウロはめちゃくちゃになるでしょう。しかし、人民がそれを望みそれを選ぶなら、しかたないでしょう。やはり一度、博愛党に政権を預け、悲惨なほど能力が無いことを国民に実感させるより方法はないのでしょうか。」

ドミニコ「そんなやけになって投げやりなことをいってはだめですよ。きれいな色をした毒入りジュースを飲もうとしている人に、毒であることを言っても分からないだろうから、痛い目にあって分かってもらおうというのと一緒じゃないですか。私たちは弱い人々を守らなければなりません。マルコパウロ地方の、右も左もよく分からない愛する兄弟姉妹のために、皆ための本当の善を訴え続けなければなりません。博愛党みたいにウソついてでは、我が党が歴史に汚点を残します。確かに大衆はマスコミの言いなりになっています。しかし、正論をちゃんと理解してくれると信じるほかないではないですか。」


ベネディクト「ところで、ニコさん、あなたは全能の天主様が世界の全てを動かしていることを信じますか? 信じないならカトリック信者とはいえません。信じるなら、新しい帝国旗ができたのも新しい県ができたのも、パインビーチさんが県知事となったのも、全て天主様がそうお望みになったからであり、今でも新しい帝国旗が続いているのは天主様がそれをお望みだからです。もしそうでなければ、神様がお望みでないことは一瞬でも続く事はできないからです。もしそうであるなら、帝国は、なるようになるのです。もしそうでないなら、天主は存在しないということになります。」

ドミニコ「もちろんですよ。全能の天主様が御摂理によって世界の全てを統宰していると信じています。この世界に起こることは、全て、天主様のお許しによって生じています。しかし、カトリック神学は、天主様の意志を二つに区別しています。「望みの意志」と「許しの意志」です。天主様は、善が生じることを「望み」給い、悪が生じることを「許し」給うのです。この世に起こることが全て、天主様がそれをお望みだ、だから善である、としたら、この世には「罪」が存在しないことになります。しかし、現実には罪が存在しています。罪は天主様のお望みでも御旨でもありません。しかし、罪が生じてしまうことを、天主様はお許しになるのです。何故か? 天主様が存在するにもかかわらず、何故この世に悪が存在するのか? それについては聖アウグスティヌスは、生じてしまうことを許された悪よりもさらに大いなる善をその悪から引き出すために、天主は悪が生じることを黙認すると。だから、私たちは善のために戦わなければなりません。努力しなければなりません。悪に勝たれるままにしていてはなりません。カトリックの世界観は、この世に悪が存在しないということではありません。この世の全てが甘美で美しく善であるとは限りません。天主様の神秘的な許しによって、この世には悪が存在することが許されています。人間は天主を十字架に付けて殺してしまうほど邪悪であり得るのです。天主はそのような邪悪でさえも、その神秘的な摂理によって存在することを許し給うのです。」


 彼らの話題が別の方に行ったのに気がついたフランシスコ知事は、またこう言い出しました。
「フランス社会党第一書記であった当時、フランスの大統領戦に向けて、フランソワ・ミテランはこの「共通プログラム」と言われるものを公約に掲げた。 « La destruction réelle et complète de tous les modes d’exploitation de l’homme par l’homme suppose l’avènement de la démocratie économique dont le point de départ reste l’appropriation collective de tous les grands moyens de production, d’investissement et d’échange. » 」

ドミニコ「どういうことですか?」

フランシスコ「つまり、『人間の人間による搾取の全ての手段を現実に完全に破壊すること、そのためには経済的民主主義の到来が措定される。この経済的民主主義の出発点は、生産と投資と交換の手段を集団所有物化することにある』ということだ。フランスの社会党、フランス共産党など左派の共通のプログラムとして1972年に署名された。そしてミテランは1981年の5月からこれを実行したが、結果は惨憺たるものだった。
 彼らによれば、不平等の根源は私有財産制度にある。だから、これを廃止させようと企んだ。新社会主義は、企業の運営や投資の指針あるいは企業計画など個人的な権力さえも、不平等の原因だかうら廃止を狙っている。労働者の、労働者による企業の自己運営(l'autogestion)、つまり自立だ。これを全てのレベルで、国の単位で、全国民による国民経済の自立といわれる共同運営を求めた。
 平等のために、社会主義はさらに富の再分配と所得の再分配を求める。不平等の根源であるものを廃止する。つまり、市場の廃止だ。それに伴ってカネの廃止だ。できることなら人間の心から「利益」という概念さえも排除させようとするだろう。彼らは利己主義を捨てて、共同の利益で活きることになるだろう。つまり、共生(convivialité)だ。社会主義の理想である共生社会(la société conviviale)が出現するだろう。これは、元カトリック司祭で社会主義者であったイヴァン・イリイチの主張だ。
 「自立と共生」のスローガンの元に、個人の手から所有財産や営業権を取り上げ、人民の名前において全ての力を国家に与えようとしたのだ。国家は唯一の所有者として、唯一の権力者として、国の富を経営し、運用し、全ての経済活動を行うことになっていた。むやみやたらな投機もなくなり、人間を奴隷化する最大利益の追求もなくなり、需要供給のアンバランスもなくなり、過剰競争もなくなり、国家の完璧な経済運営が期待された。そして巨大な国家テクノクラートたちが生まれた。
 しかし、超金持ちはそのまま残った。中小企業だけがコントロールを受けて成長が止まってしまった。集団化とインフレで、超金持ちは豊になり、社会主義による財産の再分配にはずれた人々はますます貧しくなっていった。
 社会主義は、スウェーデンでも失敗している。ユーゴスラビアでもそうだ。」

ベネディクト「自立と共生、どこかで聞いた言葉ですね。まあ、社会主義は、国家主義に通じますからね。官僚がやたらに増えることは分かっています。官僚がなぜ我が党を与党の座から引き摺り下ろそうとしているのかですが、構造改革の総仕上げである公務員改革を恐れているからです。現政権が進める人事権の県庁府への権限移管は、天下り先を県庁府が斡旋するという内容で、それをやられたら官僚は誰も県知事に歯向かえなくなりますから、そのため官僚は物凄い抵抗をしているのです。博愛党が公務員改革をできるというのは、大嘘ですね。自治労・官公労を支持母体にする彼らに公務員の待遇向上はできても公務員改革など絶対にできません。」

ドミニコ「そういえば、私も共生という言葉を聞きました。人間文化共生学部という新しい学部や学科を創って、経営に失敗した大学がフォレスト県にあるそうです。共生、共生と、彼らは、夢を見ているようですね。本当に人間が皆、自由で平等だと身にしみて分からせてくれるのは、マルクス革命でしょうね。共産党が、目を覚まさせてくれるでしょう。・・・」

ベネディクト「そうそう、人間は皆、平等に飢餓で腹を空かせるし、平等に死にますからね。国家が全ての富と自由を独占して、人民を完全な奴隷としますから、そのときには奴隷たちには秩序と平和が来たということに気づくのでしょう。」

 県知事は、もう一度ロザリオを手に持ち直して、ドミニコとベネディクトにこう促しました。
「空港までもう少しあるから、一緒にロザリオを唱えよう。マルコパウロの人々のために。苦しみの玄義だ。第一玄義、この一連を捧げて主がゲッセマニの園にて憂い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、罪を痛悔する恵みをこいねがわん」

(つづく)



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】