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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.10.対東欧政策とキリストの君臨

2010年04月30日 | ルフェーブル大司教の伝記
対東欧政策とキリストの君臨

 第二バチカン公会議は、聖座の対東欧政策に着手させた。「共産国家のもとで、精神病院において主体性を奪われ、実験用モルモットとして利用された人々、あの何百万の殉教者達を思う時、この司牧的公会議が共産主義を非難することを公式に拒絶したことだけをとってみても、全歴史を前に、この公会議を恥じ入らせるには十分な根拠になります。」

 そういう訳で大司教は、ヨハネ二十三世とパウロ六世の指導下で推進されたバチカンの親共産主義的な政策を非難した。先ず、共産主義に抵抗していたラテン諸国において、ビセンテ・エンリケ・イ・タランコン(Vicente Enrique y Tarancon‐ スペイン)や、アントニオ・リベイロ(Antonio Ribeiro‐ポルトガル)、ホアン・カルロス・アランブル(Juan Carlos Aramburu‐アルゼンチン)、さらにラウル・シルヴァ・エンリケス(Raul Silva Henriquez‐チリ)などの枢機卿の地位にある大司教たちを任命し、その国々の政府に対立するこの親共産主義の政策を遂行させた。イタリアでは、最も赤寄りの司教である、イヴレア司教区のルイジ・ベッタッツィ(Luigi Bettazzi)司教がパックス・クリスティ(国連、ユネスコ、ユニセフ、ヨーロッパ議会などに諮問資格を持って参加するNGO)の国際会長に選ばれた。彼はイタリア共産党の党首、エンリコ・ベルリンゲル(Enrico Berlinguer)との文通をする事で知られていた人物である。

 一方の共産主義諸国において、“過去にソ連の様々な拘置所で亡くなった司教たちは、共産主義者たちの協力者である司教らと入れ替えられて、忠実な司祭たちを迫害した。”
 これは裏切り行為である。
「彼らはカトリック教会から殉教者の冠を取り上げているのです。(1983年10月28日、エコンでの霊的講話)」彼らは地下に隠れる司教たちや、地下教会の活動を無視することを望んでいる。“正常化しなければならない”ので、その為空位になった司教座に司教たちが任命されなければならなかった。しかしそれにはどういう条件のもとでだったのか?ルフェーブル大司教はフロリディ(Floridi)神父の言葉を引用した。

「カザロリが聖別したチェコスロヴァキアの司教たちが、共産主義体制の協力者である事が知られている。」「パウロ六世はハンガリー国内の各司教区に司教を配属する事が出来た事に満足だったので、ヤノス・カダル(Janos Kadar) に敬意を表した . . . しかし彼は、この“正常化”にどれだけ高い代価を支払ったのかは説明しなかった。つまりカトリック教会内の(司教職という)重要な地位に“(共産主義者の)パックスの司祭たち ”を任命した . . . . 事実、ミンゼンティ(Mindszenty)枢機卿の後継者であるラズロ・レカイ(László Lékai)枢機卿が“カトリック者とマルクス主義者の間で対話を促進させること”を約束したのを耳にして、カトリック信徒達は驚愕してしまった。」


 ルフェーブル大司教は言う。「ヘルシンキ条約は、最初から最後まで、カトリック教会によって後援されていました 。最初の演説は、この機会の為に大司教に聖別されたアゴスティノ・カザロリによって行われたのです。」

 1980年、ヨハネ・パウロ二世は、この条約に調印した各国に、「良心及び信教の自由」なるメッセージを送る。一年後に、共産主義国家に対して人権擁護を求める教皇からの要請に対する回答が、ソ連の回答と同じように、ポーランド政府による、連帯指導者達の追跡と逮捕(1981年12月13日)によってなされたとルフェーブル大司教は見てとった。

「モスクワによるバチカンに対するこの侮辱は、憎むべき対東欧政策 を打ち壊し、ピオ十一世やピオ十二世の取ったカトリック教会に相応しい唯一無二の態度を取り戻すのに十分なのだろうか?. . .  共産主義者であれ、フリー・メーソンであれ、悪魔とは対話などすべきではありません。悪魔は祓うものです。人権とは、悪魔が私達の聖主イエズス・キリストの権利を廃止する為に発明したものでしかないのです。」

 ローマでは「その発言する内容や行動に、信仰の精神が感じられない。ローマは、世俗の社会ように単に人間的なやり方で行動し反応する人間政府のようだ。ある思想体系や教義、さらに未だ世界政府ではないが、そうなりつつある国連という国際機構によって動かされているいる。これらの全ては、根本的に私達の聖主イエズス・キリストの君臨に逆らうものだ。」と大司教は、友人のドン・プッティ(Dom Putti)のように考察した。

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聖ピオ十世会(SSPX)に関する統計 聖ピオ十世会の司祭の数、司祭叙階の数の動き

2010年04月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会に関する統計をお知らせします。資料元 Freternite en chiffres


聖ピオ十世会の司祭の数の動向
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司祭叙階数の数
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聖ピオ十世会司祭の国籍別の数
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聖ピオ十世会の神学生たちの国籍別数
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トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.9.新しい教導権

2010年04月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
新しい教導権

 ルイ・サルロン氏によって書かれた“エコン事件から公会議後の教会まで ”と題された記事は、大司教にしてみれば“非常に重要だ”と思われたので、彼は“それを入念に読むように”と神学生たちに勧めた。ベネッリ大司教がそう言い、パウロ六世が言及したこの“公会議後の教会”の教導権とは一体どの様なものなのか?大司教はそれについて説明した。

 「自分(の思想原理)を聖伝に基づかせる事が出来ないので‐‐‐何故なら私たちに対する彼らの要求は、聖伝と一致してはいないのですから‐‐‐彼らは新しい教導権というものを立ち上げたのです。それは教導権に関する近代主義の概念であり、回勅パッシェンディで聖ピオ十世が断罪した概念に基づいています。それは生きている教会、つまり進化し変わる教会で、信じる者とその彼の信仰に適合し、それに留まるために変わっていく宗教的信条の表現を表しています。

 確かに、カトリック教会は生きていますが、それでもカトリック教会の教導権は前もって伝えられた事と矛盾する事など出来ません。なそれは説明ではあっても、変更であってはならないのです。ところが、現在、これこそ私達がカトリック教会の中で見ているしている事です。それは、ベネッリ大司教が私たちに“公会議後の教会”に忠実である様にと要求した事を見れば分かります。

 「この忠実とは一体何に基づいているのか?‘カトリック教会’とは区別される‘公会議後の教会’なるものの絶対的改革は何に基づいているのか?私たちはますます不明確になる教導権が、自分自身の望みを宗教生活の最高基準にしているのを目の当たりにしている」とサルロンは問いただしています。」

「これは非常に核心的な事です。この文章は絶対的に重要です。このためにこそ私達が対立しているのです。彼らは「従順!従順!」と命じて、「もし教皇聖化に従順でないなら、あなた方には信仰を持っていない!」と言います。

 しかし、教皇は信仰の奉仕者なのです。信仰が教皇の奉仕者なのではありません。彼には信仰に指令する事など出来ません。教皇は、既に聖伝にあるものを定義し、それを明示する事は出来ても、聖伝を自分の望みのままに処理する事など出来ません。さもなければ、教皇は、まさに“自らの望みを宗教生活の最高基準に”していることになります。ここに問題の全てがあります。」


 ルフェーブル大司教は、真の教導権に固有に属する教義の継続性に関するピオ九世の主張を引用し、その次に、サルロンによって引用された第二バチカン公会議の顧問らの告白に言及した。それによると、第二バチカン公会議とそれ以前の教導権の間にある(教義的継続の)断絶を「信じられないほどの率直さ」で認めている。“歴史的意識”の名によって、あるいは“誰一人として歴史上のある時期に凝り固まっている事など出来ない”という事実の名前によって、この断絶を正当化している。

 大司教はこう締め括った。「このようなことでは、もう真理は何一つ存在しえません。彼らは何時でも、今日言った事はもう当てはまりませんと、明日になれば言う事が出来るのです。何故なら、明日になれば、私達は違った社会的状況にいるからです。そこにはもはや信仰や、天啓の遺産などというものは何一つありえなくなります。何も残りはしません。(1977年1月14日、エコンでの霊的講話)」


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第3次ロザリオの十字軍は全世界から1900万環以上のロザリオが集まりました

2010年04月28日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 聖ピオ十世会本部のウェブ・サイトによると、第3次ロザリオの十字軍ですが、全世界から1900万環以上のロザリオが集まりました。

本部・神学校
メンツィンゲン    31 257環
エコン        67 034環
ウィノナ       32 422環
ツァイツコーフェン  41 567環
フラヴィニー     28 102環
グルバーン       9333環
ラ・レハ       47 032環
サルヴァン      13 918環

管区
アフリカ      2 819 395環
ドイツ        689 417環
南米         601 678環
アジア       2 919 257環
豪州         439 555環
オーストリア     142 973環
ベルギー・オランダ  137 075環
カナダ        719 777環
アメリカ合衆国   5 356 189環
フランス      3 037 941環
イギリス       218 645環
イタリア       172 960環
メキシコ       335 794環
スイス        417 574環
スペイン・ポルトガル 102 169環
アイルランド     147 575環
東欧         327 903環

友人の修道会
ドミニコ会      74 660環
カルメル会      19 014環
御変容の兄弟会    39 357環
カプチン会      69 397環
聖ピオ十世会の修道女会28 913環
コッサード      11 853環

      総計 : 19 100 652環

愛する兄弟姉妹の皆様のご協力を深く感謝しております。
5月1日から始まる、カトリック教会のための召命を求める期間のため、多くのロザリオや祈りをよろしくお願いいたします。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック教会に多くの聖なる召し出しが与えられるようにたくさんお祈り下さい!

2010年04月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の5月1日から11月1日まで、聖ピオ十世会のアジア管区では、カトリック教会のために多くの聖なる召し出しがありますように祈るための特別の期間を設定しました。いわば、ロザリオの十字軍のアジア管区版のようなものです。

 「カトリック教会に多くの聖なる召し出しが与えられるように」という意向で、ロザリオ、連祷、犠牲、その他多くの祈りを捧げる期間です。

 そこで、この期間の間(5月1日から11月1日まで)に、「カトリック教会に多くの聖なる召し出しが与えられるように」という意向を付けて捧げてくださったお祈りを是非ご報告ください。また、ロザリオの十字軍の時のように、お友達やご家族の方々にもお祈りを呼びかけてください。

 真理や天主やイエズス・キリストやカトリック教会を守るために、罪の償いのために天主に受け入れられる唯一のいけにえであるミサ聖祭を捧げるために、日本から聖なる召命の恵みがたくさん与えられ、多くの寛大な霊魂たちが輩出しますように! カトリック教会がまた再び、主をお慰めする霊魂であふれますように! 若い霊魂たちが、学生たちが、永遠の命が懸かっている召命に目覚めますように! 日本中に、いえ、世界中に日本からの聖なる召命が飛び立ち、イエズス・キリストのために誤謬と罪とに戦いを挑みますように!

 愛する兄弟姉妹の皆様がロザリオの十字軍の時に見せてくださったときと同じような、更なる寛大なご協力をお願い申し上げます。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.8.自由主義者、教皇パウロ六世

2010年04月28日 | ルフェーブル大司教の伝記
自由主義者、教皇パウロ六世

 それと同じ事が教皇に関しても言える。
「私達が教皇を支持するのは、彼が聖伝に共鳴し、信仰を伝えるという御自身の役割に忠実である時です。しかし、聖伝に反していて、信仰を脅かす新しい事柄に従順であるように拘束されているなどとは私達は感じてはおりません。」

 しかし、このように一教皇が新奇な物を好んだり、信仰の遺産の継承を中断したりする事がどうして出来るのだろうか?大司教は、パウロ六世が世代の子であるというだけで事足りると答えた。さらに、これは、一世紀前にフリー・メーソンによって予言され、計画された事である。カルボナリのアルタ・ヴェンディータ(Alta Vendita) は、自分達が“至上の攻撃”と呼ぶ計画を考案した。ヴォルペ(Volpe)はヌビウス(Nubius)に書き送った。「我々が求め期待すべきものは、我々の欲望に従う教皇である。」さらにそれを実現するためには「この教皇(獲得)の為に、我々が夢見る統治に値する世代を作り出す必要がある。」数年後には、「我々の教義に」どっぷり漬かった一司祭が教皇として選出される事もあり得るだろう。さらに彼らの目標についてはこう記されている。「聖職者らが、常に使徒的鍵(歴代教皇の至上権)の旗印の下に歩んでいるのだと確信しつつ、実は我々の旗印の下で歩む事であり. . . お前達は、十字架と旗を持ち行進するティアラとカッパ (をまとった教皇)の中に革命を成し遂げているであろう」さらに、「従って、我々は教皇を通してこそ、この革命という勝利をもたらす事になる。」

 大司教はしばしば自分の講話の中で上述の文書を引用し、そこに書かれている事がパウロ六世という人において実現されていると理解した。

「教皇パウロ六世に関して言えば、ここに真実があると私は考えています。同様に、彼の友人、ダニエルー(Danielou)枢機卿は、死後に出版された自著の中でこう言っています。「パウロ六世が自由主義者の教皇であることは明白である」と。これは歴史的真実です。つまりこのパウロは、自由主義の実のりのようなものです。彼は自由主義の内に生き、その全生涯は自由主義者たちによって影響を受けました。彼はそれを隠すことはありませんでしたし、第二バチカン公会議で、彼が任命した公会議議長4人中3人は自由主義者でした。これは、彼が共鳴する立場を証明しています。ルイ・サルロン(Louis Salleron)は、パウロを“二つの顔を持った人”であると描写しつつ、これを上手く説明しました。これは現実においてと同様に道徳においても真実です。時折、彼は聖伝寄りに話しますが、その次には、全くそれと背反する行動を取り、常に矛盾の狭間をよろめき、そして振り子のように聖伝と改革の間を整然と揺れ動くのです。」

 「このような教皇はカトリック教会の敵に大いなる好機を与える事になるでしょう。」従って、敵はこの教皇を励まし支持するのである。1976年9月13日、イズベスチア紙 は聖職停止処分を受けた大司教を、ファシスト、不寛容な司教だとして非難してパウロ六世の肩を持った。

「このようなコミュニストの友人を持つ事は、少しばつが悪いですね。(1977年3月18日、エコンでの霊的講話)」

 いずれにせよ「カトリック教会内で、この無秩序を全てもたらしたければ、教皇が自由主義者であれば十分(1979年2月22日、エコンでの霊的講話)」なのだ。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.7.この公会議を受け入れるか、拒絶するか?

2010年04月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
この公会議を受け入れるか、それとも拒絶するか?

 カトリック教会の歴史は、多くのエキュメニカル公会議(世界教会会議)において、不可謬の権威を持つと見做すよう私たちに教えて来た。しかし、もしも第二バチカン公会議が自由主義と近代主義たちの誤謬の導管であるなら、この事実は神学的問題を提起する。つまり、それははたして本当の公会議なのか?それはむしろ“集団討論”だったのではないか?それでもパウロ六世はこの公会議の教令の全てを、司教団の超大多数からの支持を受けて公布してしまった。

 ルフェーブル大司教が認めている様に、これは本当の事ではあった。しかし、多くの第二バチカン公会議の観察者たちと共に大司教が強調したのは、パウロ六世が告白したように「不可謬のしるしを帯びた教義の宣言を避けた」だけではなく、教義的な公会議(仮に教義がこの公会議公文書の至る所に存在していたとしても)である以上に、「司牧的」である事を欲していたこのエキュメニカルな公会議に見られる異例な特徴であった。

 しばしば大司教は、公会議事務局長が1964年11月15日に公会議でなした告知 に言及した。それは、公会議が掲げる司牧的目的ゆえに、この公会議が信仰に関する教義を明確に定めるのは、唯一、それがそうであると教義の明確化を明言する時だけであり[実際には、教義が明確にされる事は決してなかった]、さらに公会議公文書の信頼性は、各公文書の種類に依存する。

 ルフェーブル大司教は批評した。
「故意に、かつ聖霊の恵みによって、このカトリック教会は司牧的である事のみを望みました。」
「この公会議は、教導権の非不可謬な行為であって、だからこそ、悪霊によって影響されることは可能です。」
それ故に識別を行使する事はふさわしく、大司教は聖伝という基準を用いる事を提案した。そうすれば、“この公会議を聖伝の光に照らして受け入れる事”は可能になるだろうと彼は言っている。それはつまり、“この公会議を聖伝が有する不変の原理に従って修正する事”を意味する。
 「さらに、これはパウロ六世教皇が始めたことです。パウロ六世が、公会議の様々な公文書の中に、現代世界憲章の中の予備解説的注釈(Nota Explicativa praevia)を置いたのですから。このような事は公会議において前例がない事を私達は認めなければなりません。ですから私達は、何を保ち、何が明確化される事を必要とし、さらに何が却下されるべきなのかを知る為に、異なる第二バチカン公会議の公文書に聖伝の基準を当てはめてみる必要があるのです。」


 しかし、ジョゼフ・ド・サント・マリ神父(Joseph de Sainte Marie)のような神学者である友人らが“この公会議と、公会議の誤った解釈との識別”を試みた。

 それに対して、教会法学者のドン・コンポスタ(Don Composta)に引き続いて、大司教は、全ての改革、つまり典礼、秘蹟、神学校、修道会などの改革が、公会議にもかかわらず(つまり公会議の意図に反してそうなった)ではなく、公会議の名によって実行に移された事を示した。

「同じ顔ぶれが公会議の公文書を書き、さらにそれを実行しました。彼らは自分達が行っていることを十分承知していました。その結果として、これらの改革は、公会議の正真正銘の解釈となっているのです。さらに、一連の改革が、カトリック教会の中に極めて大きな混乱を巻き起こしてしまったのですから、カトリック教会内の破壊の起源は、改革の中だけではなく、改革をもたらした公会議の中にあると言う事が出来ます。(1979年2月22日、エコンでの霊的講話より)」

 大司教はこう締め括った。
「従って、『これらは乱用だ、行き過ぎだ、あるいは公会議の誤った解釈だ。だから、そこから生じる被害を食い止め、“本物の”公会議を再発見して、それを実行する為に助けてほしい』などと言って来る方々に、いいえ、違います、と答えます。この公会議が聖伝と対立する限り、私達は公会議を拒絶するのです。(同上)」



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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.6.自由主義のエキュメニズム

2010年04月26日 | ルフェーブル大司教の伝記
自由主義のエキュメニズム

 エキュメニズムは(キリスト教)諸教会を近づけて、結合する計画を有している。それは全聖伝によって排斥され、特にピオ十一世によって断罪された危険な試みなのだ。ピオ十一世は、エキュメニズムではなくむしろ、教会を離れている者たちがカトリック教会との一致への立ち返りを説いた。

 それ故に、ルフェーブル大司教はエキュメニズムを非難した。彼はしばしば“誤ったエキュメニズム”について語ったが、シグマリンゲンの聖フィデリス(Fidelis of Sigmaringen)や、サレジオの聖フランシスコがどが持っていた、教会を離れた者たちの改宗という宣教精神以外には、真のエキュメニズムを知らなかった。

「エキュメニズムとはカトリック教会の使命ではありません。カトリック教会はエキュメニカルではなく、宣教的です。宣教的なカトリック教会は改宗を目的とします。エキュメニカルな教会は、誤謬の中に、誤ってはいないものを見出し、その水準に留まろうと努力ことを目的とするのです。それは、カトリック教会の真理を否定することです。このエキュメニズムのお陰で、いまではカトリック教会には一つたりとも敵が存在しません。誤謬に漬かっている人々は、そのままでいるべき兄弟だ、だから誤謬と戦う必要性が全くない、敵意を持つことを止めよう!と。(エコンで1978年4月14日に行われ霊的講話)」

 だからこそ大司教は、パウロ六世によるエキュメニカルな行為を非難した。それは、教皇パウロ六世が“一般信徒であってフリー・メーソン、さらに異端者である”英国国教会の主席“総主教”ラムゼイに頼んで、城壁外の聖パウロ大聖堂に集まった枢機卿及び司教たちを祝福させたからである。大司教は、パウロ六世の“姉妹なる諸教会”という考えを拒絶した。何故ならそれは“教会それ自体が分裂していること”を含意するからだ。

 しかし間もなく、“自由主義のエキュメニズム”が、宗教というもの全てに接触しようと試みた。大司教はそれに対応しなければならなかった。カトリック教会は、聖伝に従って、“霊魂を救いに導くことが出来、天主の聖旨に従いたいという超自然的な心構えに成立する暗黙の望みの洗礼”を認めている。しかし、イスラム教徒たち、あるいは仏教徒達が、彼らの信奉する宗教によって救われると考えるのは間違っている。“もしかしたら、彼らの宗教 の中に いながらも救われるかもしれないが、彼らの宗教 によって 救われるのではない。”何故なら、聖霊にとって(他宗教という)誤謬は障害物であるからだ。もしも人間がどんな宗教の中にも救霊を見出し得るなら、何故聖主は御自分の使徒達に対し、「諸国の民に教えなさい」と仰ったのか?

 「私達の聖主イエズス・キリストの神性を信じる事において、容赦ない論理があります。それは、もしも天主の神性を信ずるなら、彼こそが人となった私達の天主であると信じなければならないからです。ですから私達には、イエズス・キリストの宗教だけが真の宗教だと信じる義務があるのです。その理由は、彼は天主であり、この天主が創立した唯一の宗教は、カトリックの宗教だからです。従って、他にある様々な宗教は本当の宗教ではないのです。それは偽りの宗教であり、悪魔が真の宗教から何百万という霊魂を連れ去って、誤謬の中で奴隷にする為の手段だったのです。(1978年6月8日、エコンでの霊的講話)」

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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.5.信教の自由、それは地獄の汚臭

2010年04月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
信教の自由、それは地獄の汚臭

 聖座は教皇大使たちに命じて、公会議で可決された教令の実行として、カトリック諸国に対し、カトリック宗教のみを認めるという原理に放棄するよう要求させた。コロンビアでは例えば、スペイン同様に、国家元首たちが公にこのような聖座からの介入に嫌悪感を表明しているにもかかわらず、憲法がこの方法で改正されてしまった。カトリック宗教を承認しているヴァレー州憲法に記された宗教承認を謳っている条項の削除を是認するように求めて、ヴァレー州のアダム司教は、自分の司教区のカトリック信徒たちに書簡を送った。
 ルフェーブル大司教は回想した。

 私はベルン駐在の教皇大使に会って、幾つか尋ねようと出掛けました。

「ヴァレーでアダム司教様がされている事をご存知ですか?」

「はい」とアンブロジオ・マルキオーニ(Ambrogio Marchioni)枢機卿は答えると、「私が彼にそうするよう依頼しました。」と仰ったのです。
「何ですって?私たちの聖主イエズス・キリストは、もうヴァレーには君臨してはいけないということですか?」 
「オォ!しかし今やもうそれは不可能な事ですよ。」
「では、教皇ピオ九世の回勅『クワス・プリマス』をどうしてしまうのですか?」
「オォ!教皇はもうそんなことは書かないでしょうね。」

  このように公会議の名によって、聖座はカトリック諸国の死に手を貸した。
 「結果は、巨額の資産を有する北アメリカのセクトによるラテン・アメリカの侵略です。今までカトリック諸国はこの種のセクトを禁じる事で、自国民の信仰を保護して来ました。四千万から六千万人のカトリックがこうして棄教した事が推定されています。(1968年から1988年までの統計による)」
 「聖主が御自分の使徒達に要求したのは、全ての国に行って福音を述べ伝える事であって」、自由を宣教することではない!

 「公会議の終わりに送られた“政府に対するメッセージ”の中で、既にパウロ六世はこう問いかけていました。「カトリック教会は何を貴方達に求めるのでしょうか?」そして彼はこのように自答しました。「カトリック教会はただ自由だけを貴方達に求めます。」それはぞっとさせるものです!私にはそれがおぞましいと思います。何故ならそれは地獄の汚臭がするからです。自由は天主への従順のためにこそ存在するのです。つまりそれは真理と善に依存し、さらに天主に依存しています。しかし、彼らは違います。自由主義者らは、一切のものに関して参照させる事なく、自由というものを絶対化させたいのです。それが“信教の自由”です。ピエトロ・ロッサーノ(Pietro Rossano)司教様は、ピエトロ・パヴィン(Pietro Pavin)司教を引用しながら、パウロ六世自身こう言いました。「そうです。私達は(自由の)基準を変えたのです。この基準はもはや真理などではなく、人間のペルソナです」と。この明言は重大です。それは公会議による革命の全てだからです。」

 大司教は、この原理こそが、家族やカトリック教会、及び修道会において、あらゆる権威の荒廃をもたらした事を明らかにした。

「これは正に内部革命です。Non Serviam! これはサタンの叫びです。これは‘我は(天主に)仕えず!’を意味します。私は仕えたくない!俺をほっとけ、やりたいようにさせろ!自由を与えよ!と。」



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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.4.公会議の“三部作”

2010年04月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
公会議の“三部作”

「第二バチカン公会議それ自体が、これら近代世界の思想である「自由、平等、兄弟愛」を、信教の自由、(司教)団体主義、及びエキュメニズム(宗教一致主義)などという、この公会議の教義に変質させたのです。」 、「さらにこれら上述の教義は、十八世紀の哲学者たちによって作り出され、フランス革命に導いた自由主義の三原理なのです。」

 自由主義者らはこのように疑問を投げかける。「人間には、人間本性を理由として、社会秩序におけるいかなる“拘束からの免除”があり、さらにこの免除は権利として定義され得るか?」と。

 それに対して、ルフェーブル大司教は答えて、人を惑わすこの問いを拒絶して次のように答える。つまり拘束の免除をもって自由を定義するのは間違っている、と。地獄の脅迫以上に恐ろしい拘束が一体どこにあるのか?ところでこの脅迫を振りかざしているのは天主である!過失や罪があるために、真の自由には有益な拘束がなくてはならない 。」

 “公共の秩序を混乱させない限り個人拘束を課してはならない”と言われている。一方で人々はカトリック的礼拝や道徳から公然と離れているが、「この発言は、宗教と道徳上の方針を提供する能力、又は、個人を多少なりとも束縛する能力を持っている市民社会の全ての立場を潰してしまうだけ」だ。「彼ら(自由主義者たち)は、国家には宗教的な事項に関して無能であり、どれが本当の宗教なのかを決定することも出来ないとさえ言うほどである。」

 コロンボ枢機卿はこう言明した。「国家は非宗教的でしかあり得ない」(Lo stato non puo essere che laico.)」と。この見解から出発して、カトリック教会は非宗教国家並びに市民社会の世俗化に祝福を与えるに至った。
 大司教は言う。「これぞ、フリー・メーソンと、さらには自由主義者たちが常に願っていた事です。」
「おそらく、彼らは、カトリックが過半数を占める社会では、カトリックの教義を優遇する社会という思想を拒絶はしないでしょう。しかし、同じ事が、イスラム教徒によって過半数が占められている所でも発生するのです。ところが、唯一真の宗教だからと言う理由でカトリック宗教を優遇する事となると、それは彼らの望むところではありません!」

 国家世俗化の目的とは、
「フリー・メーソンの背後にいる悪魔の目的でもあるカトリック教会の破壊である。[その目的とは]全ての偽りの宗教に表現の自由を認めると共に、私たちの聖主イエズス・キリストの社会的君臨の為に機能するのを国家に禁じる事による教会の破壊である。」
「一体どれだけのカトリックが、聖主による贖罪の業は、市民社会という道具を通しても実現されるという事を依然として承認することが出来るだろうか?」しかし、彼らが承認しなくともこれが真実である。何故なら、「全ては聖主イエズス・キリストの為に創られた(1977年9月23日、エコンにおける霊的講話)」からである。


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.3.自由主義者の陰謀と第二バチカン公会議

2010年04月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
自由主義者の陰謀と第二バチカン公会議

 ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議で行われた事が明らかにされると共に、摘発され無ければならないと求めている。教会における転覆の出発点が第二バチカン公会議にあるからである。

「あらかじめ準備されていた陰謀が第二バチカン公会議に存在していたのです。当事者たちはこの陰謀の必要性と遂行手段を承知していました。彼らは誰が事を始動するのかも知っていたのです。全てが事細かに準備されていました。現在、私たちはこの陰謀の成功ゆえに死につつあります。私は主日にそこにいたロランタン(Laurentin)神父に対して『二世紀半の間、カトリック教会の中でお互いに激しく戦う、保守派と自由主義派の二つの思想があった事をあなたは良くご存知のはずです』と話していました。」

 ドン・ドラット(Dom Delatte)はこれらの二派を次のように定義している。一つは「カトリック教会の活動の自由と、依然としてキリスト教的であった社会におけるカトリック教会の権利擁護をその第一の関心事」とする“完璧なカトリック”であり、もう一つは、通称“リベラル”カトリックである。彼らは「先ずどの程度のカトリック教義ならば近代社会は許容しうるかを測定しようと試み、その次に、教会の教えがその許容範囲にまで還元しようと試みる。」

 ルフェーブル大司教は付け足して言った:

「1世紀半の間、教皇たちは自由主義者たちを非難しましたが、彼ら[自由主義者たち]が第二バチカン公会議で勝利を収めた事を私は認めなければなりません。・・・優柔不断な教皇[ヨハネ二十三世]と、急進的な改革の味方に首尾よく引き込まれた教皇[パウロ六世]を利用する事で、・・・カトリック教会の敵が非常に切望するエキュメニカル革命を確実に起こす為に、自由主義者たちは運転装置のレバーを手に入れてしまったのです。この司牧的公会議において、時が来ればカトリック教会の制度を完全に破壊することになる時限爆弾を至る所に仕掛けながら、誤謬と虚言の精神は気楽にっその仕事をすることが出来ました。」

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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.2.自由主義と第二バチカン公会議

2010年04月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
自由主義と第二バチカン公会議

 1975年に彼はこう書いた。

 「教皇たち[ヨハネ二十三世とパウロ六世]はアッジョルナメントが有する曖昧さを優遇した。そのやり方で、自由主義思想が第二バチカン公会議の中に多く導入された。自由主義は次の三つの自由化(解放)をなすと彼らは主張する。

 --- 押し付けられた全ての客観的真理から知性を解き放つ:人々は絶え間なく真理を探究すると共に、それを作り上げ、誰一人としてこの真理を排他的に所有するとは主張出来ない。
 --- 教義から信仰を解放する:永遠に定められる、天主の啓示に基づく真理の承認は不可能である。
 --- 法や掟から意志を解放する:法の束縛は人間の尊厳と良心に反対しているので、法から意志を自由にする。
 このようにして、如何に自由主義者が私たちの聖主イエズス・キリストとその教会に対立しているかを私たちは理解することが出来る。」

 自由主義がもたらす結果の中から、次のことを列挙しなければならない。
「超自然の否認、従って原罪の否認、(成聖の)恩寵による義化の否定、御託身の本来の動機の否定、十字架の犠牲の否定、カトリック教会の否定、さらに司祭職の否認!」

 聖なるミサは、霊魂に贖いの業を適応させることを目的としなくなった。「典礼改革の全てはこの方針の影響を被っている。」自由主義はさらに、信教の自由や、エキュメニズム(教会一致思想)、神学的探求と、カトリック教会法の改訂、また「唯一の救いの箱舟であると主張するカトリック教会の勝利至上主義(的表現)」軽減させている。

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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.1.公会議を告発する?

2010年04月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
第18章 聖主の社会的君臨奪還の砦


I 衝突がかかっている賭け


公会議を告発する?

 1975年までは、ルフェーブル大司教は第二バチカン公会議と教皇に対する非難を差し控えた。1971年5月30日の神学生たちにした講話の中で、彼は言明した。
「何よりもまず、‘大司教は教皇と公会議に反対している’などと絶対に言わないで下さい。事実はそうではないからです!」

 しばしば彼は自分が“これらの指令が本当に教皇から来ているのかどうか知らなかったし、知りたくもなかった”と言っていた。長い間、彼はパウロ六世に疑心を挟むのを避けて通りたかった。

 一方で彼は、「パウロ六世は良い人であるが、その側近によって幽閉されている」という趣旨の、いわゆる聖母からのと言う疑わしいメッセージを通して影響を受けているカトリック信徒たちがするような、問題の単純化に頼る事もなかった。

 しかし、1975年にパウロ六世が“教皇自身を縛っている第二バチカン公会議と、公会議後の改革とその方針への服従のの公の行為を”ルフェーブル大司教に対して要求して来た時、大司教は宣言した。

「今より、私は第二バチカン公会議とそれがもたらす様々な結果に関する私の見解を明確にする事を余儀なくされるでしょう。その結果として、私は必然的に教皇の問題に触れなければならないでしょう。私にはそれを避けて通る事はもう出来ません。それを慎重に、しかしまた出来るだけ客観的に行なうよう試みます。」

 大司教は、1975年9月3日の「友人と恩人の皆様への手紙 第9号」をはじめ、1976年9月発行の『私は公会議を告発する』や、1974年に自由主義に関する講話の編集物、更に1987年には『彼らは彼(キリスト)から王冠を剥奪した-自由主義から棄教へ、公会議後の惨劇』 と言うタイトルの下で行われたあり、1987年には同タイトルで編纂された書籍などの発行をもって、文字通りにこの計画を遂行した。

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.4.4.パウロ六世への謁見

2010年04月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
パウロ六世への謁見

 「もしも教皇聖下が私に謁見の機会を下さるなら. . . . 」
 しかし、全く思いがけない事にブサンソンでのミサの後、ドン・ドメニコ・ラベッラルテ(Don Domenico Labellarte)神父が近寄ってきたとき、ルフェーブル大司教はこの謁見の可能性を信じていなかった。

 このイタリア人司祭は、フラスネ(Frasne)近郊に住むアルベルティーニ・デ・ブッタフォコ伯爵(Count Albertini de Buttafoco)のアンジェリーネ婦人を介して、教皇の私的な友人であるキエティ (Chieti) の大司教から送られており、ルフェーブル大司教にこう保証した。

「何かが変わりました。あなたは謁見が出来ます。キエティの大司教が、あなたの教皇聖下への謁見の責任を引き受けてくれます。」

 大司教は承諾し、ドミニコ会修道女たちによりその訪問が期待されていたファンジョ(Fanjeaux)訪問の後、運転手のマルセル・ペドゥローニによってアルバノまで行った。そこで予期せぬ事が起きた。マルセル・ルフェーブルが、謁見を求める簡略な懇願書を書いたのだ。

「私はカトリック教会に反対して行動するつもりなど御座いませんし、まして聖下を傷つける事などはことさら考えてもおりません。もし私が発した何らかの発言、あるいは文書が聖下を傷つけてしまったのでしたら申し訳ないと思っております。」

 パウロ六世は動揺して、国務聖省長官ヴィヨ枢機卿に電話をかけた。枢機卿は、感じやすいパウロがルフェーブル大司教に対して譲歩するままになるのではないかと恐れた。通話の終わりに枢機卿は言い張った。
「立会人もなく、聖下はルフェーブル大司教に謁見を賜ることなど出来ません。聖下は立会人が必要です。ベネッリをお選びください。」

 1976年9月11日の人気のないカステル・ガンドルフォ内で、午前10時30分にルフェーブル大司教はパウロ六世から謁見を賜った。べネッリ大司教は既に教皇の事務所に待機していた。彼は一言も発する事なく、ルフェーブル以上にただモンティーニつまりパウロ六世を監視していた。

 「あなたは私を非難していますね。」パウロ六世が苛立って口火を切った。「私が近代主義者であるとか、プロテスタントだとか。これには我慢できません!あなたは悪しき業をしています。」

 ルフェーブル大司教は、教皇聖下が個人攻撃を受けていると思っているのだと感じた。

 パウロ六世は自分の言いたいことを言い終えてこう言った。
「ではあなたの番です。話しなさい。」

「教皇聖下、私は“聖伝主義者の指導者”などではなく、むしろ多くの信徒や司祭ら同様に信仰を守り、さらにまた聖下への服従を望みつつも引き裂かれている一司教であります。現在私たちは、公会議以降に採られた方針が、私たちを聖下の前任者の教皇たちから引き離していることを認識しております。平服に身を包んだ修道女たちは歓迎されますが、2日前に私が会った修道女たちなどは平信徒の身分に変えさせられ 、司教様は彼女たちに修道服を放棄するように要求して修道院に5回も来ました。同様に、永久に変わらない公教要理と自分たちの叙階当時のミサに忠実である司祭たちは外に蹴り出され、それからもはや司祭とは言えない人々が快く思われているのです。」

「認められないことは、公会議の要求を拒絶することです。」

「私は自分が常に行って来た事を続けているだけえです。30年の間、私は司祭養成に努めましたが、突如として聖職停止処分に付されたのです。」

「それは、あなたが改革、つまり公会議を承認したくなかったからです。」

「おっしゃる通りです!この公会議がもたらした成果をご覧下さい。空っぽになった神学校を。一方で、私たち神学校には、様々な困難にもかかわらず35名の召命があります。」

「どうして公会議を受け入れないのですか?あなたはその全公文書に署名したではありませんか。」

「私には署名しなかった公文書が二つあります。」

「その通り、二つです。信教の自由に関する宣言(Dignitatis Humanae)と現代世界憲章(Gaudium Spes)です。」

 ルフェーブル大司教はこう思った。「その時、私は、教皇聖下を顧慮したからこそ私は他の公文書にも署名したのに、と。彼は続けた。

「それにどうして信教の自由がいけないのですか?」

「それには、グレゴリオ十六世やピオ九世が教えた事に一語一語そのまま反している表現が入っているからです。」

「これについては脇に置きましょう!私たちがここにいるのは、神学を論じる為ではありません。」

 ルフェーブル大司教は、心の中で「これはひどい話だ、信じられない!」と思ってしまった。

「あなたには公会議に反対する権利などありません。あなたはカトリック教会にとって躓きです。あなたはカトリック教会を破壊しています。恐ろしいことです。あなたはキリスト者らを教会と公会議に反対するようにそそのかしているのです。良心の呵責をあなたは何も感じないのですか?」

「全く何も。」

「あなたには良心がないのです。」

「私はカトリック教会を存続するという良心があります。良い司祭を養成しているのです。」

「それはウソです。あなたは教皇に反抗する司祭たちを養成しているのです。あなたは、彼らに教皇に反抗する署名と宣誓をさせているではありませんか。」

「私が?!」

 ルフェーブル大司教はこう回想する。この信じがたい申し立てを聞きながら、私は手で頭を覆ってしまいました。依然として頭を覆っている自分、さらにこう主張している自分に気づく事が出来ました、と。

「教皇聖下、聖化はどうしてそんな事を私に言う事が出来るのですか?私が教皇に反抗する署名と宣誓を司祭たちにさせているなどと。では、その‘宣誓’の写しを私に見せて頂けませんか?」

 パウロ六世は驚嘆した。彼は、恐らくはヴィヨ枢機卿から伝えられた事を真相だと余りにも信じきっていた。さらに彼は続けた。

「あなたは教皇を非難しています!どんな命令を私に下さるおつもりですか?私は何をすべきですか?私の辞表を受領して下さい。そうすれば私の地位に就く事が出来るんじゃないのですか?」

「ああ!(頭を手で覆い)教皇聖下、そういう事を仰らないで下さい。そうです。そんな事は仰るべきではありません。話を続けさせて下さい。聖下は御自分の手の中に解決策をお持ちなのです。聖下はただ司教様方に一言、“聖伝と、聖伝によるミサと秘蹟、及び永久に変わらぬ公教要理に固執するこれらの信徒グループを思いやって歓迎しなさい。彼らに礼拝の場を与えなさい”と仰るだけで良いのです。これらのグループはカトリック教会となるでしょうし、聖下はその中に召命を見出し、彼らはカトリック教会において最も優れた人材となるでしょう。司教様方はそれを認めることになります。神学校を私に残して下さい。そして聖伝の実験をやらせて下さい。私は、エコンの神学校にやって来る、聖下によって命名される委員会を通して、真に聖座との正常な交流をしたいのです。しかし、言うまでもなく私たちは、この聖伝の実験を守り継続しつづけることを望みます。」

「良いでしょう。それについて考え、祈り、教皇枢密会議と教皇庁に助言を求めます。これは難しい問題ですから。(結論が出れば)あなたに手紙を書きます。では一緒に祈りましょう。」

 パウロ六世とルフェーブル大司教とはラテン語で「主の祈り」と「聖霊に向かう祈り」さらに「天使祝詞」を唱えた。パウロ六世は歩行もぎこちなくルフェーブル大司教を隣の部屋に案内した。

「対話は不可能ではありませんね」と締めくくって二人は別れた。

 しかし、パウロの決断とは一体どの様なものであろうか?2日前にジャン・ギトンは、教皇に聖ピオ五世のミサをフランスにおいてはむしろ認めることを提案していたが、ギトンに教皇モンティーニは回答した。

「認める?そんな事は決してできません!エコンで見受けられるあの聖ピオ五世と言われるミサは、第二バチカン公会議非難の象徴になっています。私は、象徴によって公会議が非難されることなど決して認めません。もしも例外が設けられるとしたら、公会議全体が異議を唱えられ、仕舞いには第二バチカン公会議の使徒的権威が疑われることでしょう。」

 実際に、この教皇による決断、ラテン語で書かれ、さらにタイプされた18ページから成る1976年10月11日付きの手紙に明確に表わされた決断は、ルフェーブル大司教の提案を拒絶するものだった。パウロ六世は「第二バチカン公会議と教皇の権威を一緒に認める事」を大司教が拒否したので、その「反乱」と「本質的な点に関する歪められた教会論」故にルフェーブル大司教を叱責した。

 「あなたは自分だけが聖伝に関する判事であると主張しています。・・・あなたが言及する“聖伝”の概念は誤っています。聖伝は固定されたもの、あるいは死んだもの、つまり歴史上のある限定された時点での、カトリック教会というこの活発な有機的組織体の生命を凍結してしまう、何か静的なものではないのです。」「カトリック教会の聖伝の内」で、不変の聖伝と、現代風に変えるべき聖伝とを“識別する”資格を有しているのは教皇と公会議である、と。

 しかし、誤っているのはパウロ六世の教会論である事を告白しなければならない。何故なら、天啓の二つの源泉の一つである聖伝は不変だからである。さらに、聖伝とは基準である。つまり、聖伝が有する幾つもの導管、つまり教父、公会議、教皇、博士、典礼と共に、この聖伝の正確な反響音以外の何ものでもないものでなければならない教導権の基準である。教皇によるこれらの叱責の背後には、進化し、生ける聖伝という誤謬や、自分自身が基準であることを欲する絶対的な教導権、つまり新しきローマの教導権の顔が見え隠れしている。

 「ローマは解決策を封じ込めてしまったのです。そこにはもう開かれた態度を取るの気配はありません。ローマで、彼らは私の答えを待っています。さて、唯一の返答は事実にあり、と思っています。私たちはエコンの神学校の存在によって対応します。さらに、私は人々を照らして啓発し、そして有効な秘蹟を彼らに授ける為に、ヨーロッパ中を行き、世界を駆け巡り続けるでしょう。“Omnia instaurare in Christo”、つまりキリストの内に万事を確立し復興する為に。」

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.4.3.「暑い夏」

2010年04月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
「暑い夏」

 初め、大司教は酷く傷つけられたが、やがて元気を盛り返し、7月29日付けで『“聖職停止処分”に関する論考』を出版した。そこにはこう書かれている。

「結局この停止は、新しいミサを捧げること、あるいは新しい秘蹟を授ける事を私に禁じています。ベネッリ大司教がそう呼んだ“公会議後の教会”、まさにその教会に従いなさいと要求されたのです。しかしこの公会議後の教会は、永遠なるカトリック教会を捨て去っているがゆえに離教的教会です。この新しい教会には新しい教義(人間のペルソナの尊厳)、新しい司祭職、新しい制度、新しい典礼があるのです。そしてこれらは、これまで余りにも多くの公式かつ権威あるカトリック教会の文書によって非難されて来たものなのです。」

 このすでに論争的口調は8月4日にフィガロ誌 の依頼に答えてルフェーブル大司教が行ったインタビューにおいてさらに鋭くなった。

「第二バチカン公会議は聖伝に背を向け過去のカトリック教会と断絶してしまったので、離教的な公会議なのです。・・・もし20世紀にわたり、カトリック教会によって教えられてきた信仰に一切の誤謬が存在し得ないことが確かであるならば、教皇が真に教皇であることの確実性はさらに少なくなります。異端、離教、事効的破門、あるいは無効の教皇選出などが、教皇がひょっとすると決して教皇ではなかったか、もはや教皇ではないことの原因になります。」
 「究極的にはパウロ六世の教皇職の初めから、全カトリック信徒たちの良心及び信仰に、深刻な問題が直面しています。聖霊の助けを保証されているペトロの真の後継者たる一教皇が、これまでにどんな異端の祖でも成し遂げられなかった事、つまりカトリック教会の歴史において、あまりにも短い期間に、最も深く最も急進的で、敏速かつ広く行き渡ってしまったカトリック教会の破壊を司ることがどうして出来るのでしょうか?」

 この問いは、問われるに値するものではあるが、大司教はそれに答えず、解答はカトリック教会に任せた。しかし、彼は第二バチカン公会議とこの公会議から派出した新しい教会像の離教的本性とその傾向を指摘する事に躊躇いはなかった。

 1976年のこの暑い夏に、ルフェーブル大司教の評判はこの夏の気温と共に上昇した。マスメディアの調査では、フランス人の27%は大司教の考えに“賛同し”、24%が反対、23%はノーコメント、更に25%は彼の行動に無関心であると回答した事が明らかにされた。

 文学者や、芸術家、さらに学者たちは非常に動揺した。フランスにいる8名の有名人がパウロ六世に手紙を書き、自分たちは“ローマ略奪(Sacco di Roma)”を見守っていると伝えた。12月1日、30名の大学教授たちが“ルフェーブル大司教と彼らを結ぶ思想の一致”を表明し、「大胆にも立ち上がって、沈黙という陰謀をやぶって信徒たちの為に真の正義を行って下さるよう教皇に要求したこの勇気ある司教」に敬意を表した。

 フランス政府右翼もまた行動を起こした。彼らは、“ルフェーブル派”である有権者たちの期待を破る事は避けなければならなかった。ヴァレリ・ジスカール・デステン(Valery Giscard d’Estaing)大統領は、元聖座駐在大使であったルネ・ブルィエ(René Brouillet)氏に報告を依頼した。

 ジャック・シラク(Jacques Chirac)首相は、パウロ六世の腹心であったアカデミー・フランセーズ(Academie Française )のジャン・ギトン(Jean Guitton)氏と会見した。しかし、ラ・コレーズ(La Corrèze)地方の元代議士であるシラクは、短期間チュールの司教として活躍したルフェーブル大司教が、このコレーズ地方の教会に与えた活性化を忘れてはいなかった。7月16日、彼は大司教に“敬意を示す友情と信頼の”手紙を書き送った。

「太古からの特権により、カトリック教会の長女たるキリスト教国フランスは、これまでペトロの後継者に対する忠誠を表明すべく変わらぬ証を立てて参りました。・・・有しておられる才能により、閣下が和解の言葉の見つけ方をご存知である事を私は確信しております。忠誠というものがこれほど繰り返し蔑まれ、真の愛が悲惨にも破壊されている現代、閣下は何と言う模範を与えようとされていることでしょうか。閣下による信仰とカトリック教会の為の戦いは、それによってこそ、本物である事を証明する目を見張るような刻印を受けることでしょう。品行の完全なる潔白さと、犠牲の受諾によって与えられる刻印を。」

 もしそれが自分個人の意見に関わる問題を犠牲にすることならば、大司教はこの申し出を呑んでいたであろう。しかし、それは信仰の為の闘いであるからこそ、ジャック・シラクが彼にその実践を促した犠牲は全く別の次元を有していた。つまり、己が名誉の犠牲であった。聖職停止処分、“反逆者”、“離教者”、これら中傷のレッテルを、マルセル・ルフェーブルは信仰とカトリック教会に対する愛のために苦しみつつも、断固として受け入れた。

 彼はシラク首相に短い返信を書き、平静にフランス各地への訪問を続けた。ジュネーヴでは、ロック神父が捧げる初ミサに、そしてブザンソン(Besançon)では、グロッシュ神父が捧げる初ミサに与るため一堂に会した数千人に及ぶ人々の前に彼は姿を現した。“聖伝連盟(Traditional Associations)”支部の議長ジェラール・サクリエ・ド・ラ・バツィー(Gerard Saclier de La Batie)氏と彼の友人数名が、ルフェーブル大司教が信仰の擁護者として現れるように、特別な式典をおこなってくれることを依頼した。そこでリール(Lille)が選ばれた。
 初め、大司教は拒否した。
「いいえ、私には出来ません。もしそんな事をすれば、ローマはそれを挑発と受け止めるでしょう。」

 しかし、翌朝8月22日、彼は秘書のマルグリット修道女に伝えた。
「一晩寝て考えましたが、やはりリールに行こうと思います。日程としては8月29日を提案します。」

 新聞各紙の見出しでは、次のような記事が掲載された。
「離教への新たな一歩‐ルフェーブル大司教、日曜日のリールのミサで世界的物議を醸し出す事を望む」
「ローマに挑戦する時は過ぎた。今や力試しの時」
「ルフェーブル大司教、禁じられたミサで、今日、パウロ六世に挑む。」

 8月15日付けのパウロからの新たな手紙を受け取ったにもかかわらず、8月29日、大司教はリールでの荘厳ミサを執り行った。7千に及ぶ人々が、この機会の為に巨大な聖堂へと転換されたリールの展覧会場に詰め寄せた。ローマでの御告げの祈りの間、パウロ六世は、(いわゆる)“キリストによって私の手に置かれたこの鍵に対する挑戦的態度”を公然と非難した。大司教は説教の中で抗議した。
「違います、親愛なる信徒の皆さん、これは挑戦的態度などではなく、あなた方が持つカトリック信仰の表明なのです。」

 大司教による説教を、筆者が次のように要約することを読者が許してくれることを願います

「革命は殉教者たちを生みだしました、第二バチカン公会議が成し遂げた事に比べたらなんでもありません。第二バチカン公会議の後では多くの司祭らが司祭職を捨て去ったのです!このカトリック教会と革命との結合はリベラル・カトリックによって望まれました。彼らは「第二バチカン公会議と共に、我々の説は受諾された」と主張して勝ち誇っています。しかしこの結合は姦通です。さらにこの不倫な結合から生み出されるものは私生児だけです。ミサの新しい典礼様式は私生児の典礼様式です。新しい秘蹟は私生児の秘蹟であり、新しい神学校から生まれる司祭たちは、やはり私生児の司祭となります。彼ら司祭は私たちの聖主イエズス・キリストの聖なる犠牲を捧げるために祭壇に昇るよう叙階されることを知りません。」
「私たちの聖主イエズス・キリストだけが「我は天主なり」と言う事の出来る唯一の人であります。従って、彼は人類にとって唯一の王なのです。聖主イエズス・キリストの統治なくして、地上には如何なる平和も存在する事はないでしょう。聖主の統治‐天主の十戒による統治‐は正義と平和を成し遂げるでしょう。原理と権威を兼ね備えた政府が出来て以来、アルゼンチンではそれが実現しています。」


 報道陣は大慌てでこの“独裁制賛美”(とも取れる言葉)を書き下ろした。さらに大司教は続ける:

「そういう訳で、私たちはさらに聖ピオ五世のミサを望みます。何故ならそれは、天主は木によって統治された(Regnavit a lingo Deus) でお分かりの様に、この十字架(の木)によって統治する私たちの聖主イエズス・キリストの王権を表現しているからです。」
「私は誠実な良心と平静で穏やかな心を保ちつつ、カトリック教会破壊に貢献する事は私には出来ないことです。私に下された聖職停止処分(への服従)や、私の神学校の閉鎖、さらに私による司祭叙階の拒否などによって、カトリック教会破壊に協力することを望みません。死の床で、聖主は私に「お前はお前の司教職をもっていったい何をしたのか、お前に与えた司教職と司祭職の恩寵をもってお前は何をしたのか?」と私に尋ねるでしょう。そのとき「お前はカトリック教会の破壊のために他の者たちに加担したのだ」私は聖主がこう言うのを聞きたくありません。」
「ある報道記者たちはこう私にこう尋ねました。「大司教閣下、閣下は自分が孤立しているとお感じになりませんか?」私は答えました。「いいえ全く感じません。私には二〇世紀の歴史を持つカトリック教会が付いていますから。」私はこうも言われました。「あなたは教皇を裁いています。」ベネッリ大司教は私に面と向かって言いました。「あなたが真理を作るのではありません!」もちろんです。私が真理を作るのではありませんし、教皇聖下が作るのでもありません。」



 上述の言葉は会衆全体に波紋を引き起こし、ある報道記者の中には、この“断絶の言葉”を編集部に伝えようと退場する者が目撃された。しかし大司教は続けた。

「真理、それは聖主イエズス・キリストです。あなた方は全教会が教えた事を思い出さなければいけません。教皇聖下を裁くのは私ではなく、裁くのは聖伝です。5歳の子供でも、公教要理を使って一、二の事を自分の司教様に教える事が出来ます。もし、司教様が誤りを宣言するとしたら、誰が正しいのですか?正しいのは公教要理です!」
「もし、全ての司教様たちが、教会をたった一つ私たちに、カトリック信徒たちに使わせてくれさえすれば . . . 「教皇聖下、私たちにやらせて下さい、聖伝の実験を」、もしも教皇聖下が私に謁見の機会を下さるなら、私が教皇様にお願いする事はこれです。」



聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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