Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考資料】 ダウンロード用聖伝ミサのミサ典書のPDFファイル

2007年09月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
聖伝ミサのミサ典書のPDFファイルが次からダウンロードできます。ただし1920年版です。

【参考資料】
聖伝のミサ典書(1920年版)

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【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式韓国語訳
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和1と2
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和3と4
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和5,6,7.8
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 9,10,11
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 12,13,14,15

第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
■ 現在、教会に危機は存在するか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?(つづき)
■ イエズス・キリストは、市民社会の王であるか?
■ イエズスは「自分の王国はこの世からのものではない」と言われたのではないか?
■ 第二バチカン公会議はどこが特別なのか?
■ ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ 決して廃止されたことのないこの古い典礼を求める新しい刷新された関心 聖伝のミサは廃止されているか?
■ どのように御聖体拝領をすべきか?
■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?
■ ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励はいいアイデアか

【参考資料】聖書の録音ファイルの紹介

2007年09月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
今日は福音史家聖マテオの祝日ですね。
そこで、聖書の録音ファイルを幾つか紹介します。

【参考資料】
ギリシア語の新約聖書朗読
MP3 Files for Greek New Testament Audio (by Anonymous)

ギリシア語の新約聖書朗読
Marilyn Phemister's Greek New Testament MP3 Files

ギリシア語の新約聖書朗読

ギリシア語の新約聖書朗読


ラテン語の新約聖書朗読

ヘブライ語 旧約聖書朗読
MP3 Recordings of the Hebrew Bible


ヘブライ語 創世記とヨナの書などの朗読

ヘブライ語 
Hebrew New Testament - Listen to the Hebrew Bible


中国語 新旧訳聖書の朗読(ただしプロテスタントの聖書だと思われます)

タガログ語 新旧訳聖書の朗読(ただしプロテスタントの聖書だと思われます)

アラビア語の新約聖書朗読

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第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務 Notre charge apostolique』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和1と2
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和3と4
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和5,6,7.8
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 9,10,11
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 12,13,14,15

フォルトゥナトゥス作 ヴェクシラ・レジス VEXILLA REGIS PRODEUNT

2007年09月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
9月14日は、十字架称賛の祝日でした。
ローマ聖務日課では、Vexilla Regis という讃歌を歌います。(この讃歌は御受難の主日と聖木曜日にも歌います。)大変有名な歌なので、紹介します。

 これは、ヴェナチウス・フォルトゥナトゥス(Venantius Fortunatus (530-609))によって書かれました。しかし、典礼ではフォルトゥナトゥスの作詞した通りではなく、2,7,8節が省略され、更にローマ聖務日課では1632年にウルバノ八世教皇が変更が加えた通りに歌います。次の通りです。

Vexílla Regis pródeunt:
Fúlget Crucis mystérium,
Qua vita mortem pértulit,
Et morte vitam prótulit.

Quæ vulneráta lánceæ
Mucróne diro críminum
Ut nos laváret sórdibus,
Manávit unda et sánguine.

Impléta sunt quæ cóncinit,
David fidéli cármine;
Dicéndo natiónibus:
Regnávit a ligno Deus.

Arbor decóra et fúlgida,
Ornáta Regis púrpura,
Elécta digno stípite,
Tam sancta membra tángere.

Beáta, cujus bráchiis,
Prétium pepéndit sæculi:
Statéra facta córporis,
Tulítque prædam tártari.

O crux, ave, spes única;
Hoc Passiónis témpore,
Piis adáuge grátiam,
Reísque dele crimina.

Te, fons salútis, Trínitas,
Colláudet omnis spíritus:
Quibus Crucis victóriam
Largíris, adde præmium.
Amen.


 ネウマ符とMIDIは次をご覧下さい。
VEXILLA REGIS PRODEUNT
VESPERS HYMN OF PASSIONTIDE
Venantius Fortunatus, d.609 / Mode 1


 この日本語訳は次のサイトをご覧下さい。
VEXILLA REGIS PRODEUNT ラテン語の歌詞による聖歌(受難の主日)

王の御旗、前進す、
十字架の神秘、輝き光る、
ここ(十字架)にて、
命は死を取り尽くし、
死によりて命を返し給ふ。


 フォルトゥナトゥスの作詞のラテン語は、次のサイトをご覧下さい。
Vexilla Regis (Royal Banners)

 良くみると例えば、
Vexilla Regis prodeunt:
Fulget Crucis mysterium,
Qua vita mortem pertulit,
Et morte vitam protulit.


のところが、

VEXILLA Regis prodeunt;
fulget Crucis mysterium,
quo carne carnis conditor
suspensus est patibulo.


となっていること

或いは、

Qua vulnerata lancea
Mucrone diro criminum
Ut nos lavaret sordibus,
Manavit unda et sanguine.



Quo vulneratus insuper
Mucrone diro lancea,
Ut nos lavaret crimine,
Manavit unda et sanguine.

となっていることに気が付きます。このもともとの歌詞(聖務日課のものと共に)は、次にも楽譜付きで掲載されています。
VEXILLA REGIS PRODEUNT
LENT AND PASSIONTIDE --Tradtional Melody (1699)--


 この歌は極めて有名でダンテの神曲の「地獄編」にも、サタンがキリストのパロディーをするということで登場します。

 地獄編第34曲(Inferno: Canto XXXIV)はこう始まります。

≪Vexilla regis prodeunt inferni
verso di noi; pero dinanzi mira≫,
disse 'l maestro mio, ≪se tu 'l discerni≫.

 ここでダンテの師(maestro mio)であるウィルギリウスはイタリア語ではなくラテン語で言うのですが、
「王の御旗、前進す」の代わりに inferni をつけて、「地獄の王の旗、前進す」と言い出します。
(Vexilla regis prodeunt inferni というサタニストの歌を歌うロックグループもあるそうです。怖ろしいことです。)


「地獄の王の旗、我らに向けて前進す。
そら、前を見よ、わかるか」師は言い給う。

≪Vexilla regis prodeunt inferni
erso di noi; pero dinanzi mira≫,
disse 'l maestro mio, ≪se tu 'l discerni≫.

 ダンテの神曲の日本語訳は次のサイトをご覧下さい。
ダンテと沙漠と詩 著作:中西治嘉  

 LibriVox による朗読ファイルもあります。
イタリア語原文 La Divina Commedia by Dante Alighieri

英語 The Divine Comedy translated by Henry Wadsworth Longfellow

T.S. Eliot の言葉
「ダンテとシェイクスピアは世界を自分たちの間で分けている。彼らに続く第三番目のものはない。」
"Dante and Shakespeare divide the world between them -- there is no third." --- T.S. Eliot

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【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式韓国語訳
【参考資料】第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和1と2
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和3と4
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和5,6,7.8
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 9,10,11
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 12,13,14,15

■ 松浦悟郎司教さまが呼びかけ人になって、良心の自由を理由に「日の丸」と「君が代」の拒否をすすめているが、どう思うか
■ 異端とは何か? 離教とは何か?:ダブルスタンダード?! 聖伝主義に対する態度とエキュメニズム
■ ヨハネ・パウロ二世の書簡「エクレジア・デイ」について
■  「聖ピオ十世会のミサは有効であり主日の義務を果たすか」教皇庁立委員会エクレジア・デイの回答
■ 聖ピオ十世会、聖伝ミサに関する問い合わせ
■ 新しいミサでは「王であるキリストの祭日が終末を表す年間最後の主日に定められていることも意義深いものです」
■ 「王たるキリスト」祝日の根拠
■ 「自身の良心に従う」とは?
■ 第二バチカン公会議とは?
■ 第二バチカン公会議のモットー
■ 新しい「光りの玄義」について
■ 東方正教会
■ カトリックのエキュメニズム運動
■ 過ぎ越しの神秘
■ ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿とその思想は?教皇ベネディクト十六世の考えをよく理解するために

アルマンジョン師の『この世の終わりと未来の生命の玄義』

2007年09月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 有名なアルマンジョン師『この世の終わりと未来の生命の玄義』をインターネット上で読むことが出来ます。


 聖テレジア自叙伝「カルメル山の小さき花」(カルメル会修道院訳 1951年初版 112-113ページより)

「久しく前から私は自分の霊的生活を『基督に倣いて(イミタシオ)』の中に含まれている「純粋な小麦粉」で養っておりました。その頃私はまだ福音の中に隠されている宝を見出すことを存じませんでしたので、これが私のためになる唯一の本なのでございました。この小さい本は片時も私の側から離れませんでした。それで家の者は面白がり、叔母上などは度々『イミタシオ』をとって、どこでも手当たり次第に開けながら、丁度出た章を私にそらで言わせて御覧になるのでした。

 十四歳になりました頃、天主様は私の知識欲を御覧になって、純粋な小麦粉に、更に「密と油とを豊かに」添えねばならないとお考えになりました。そしてこの密と油とをアルマンジョン師の『この世の終わりと未来の生命の玄義』という講義録の中で味わわせて下さいました。この本を読みながら私の霊魂はこの世ならぬ幸福の中にひたり、天主様が御自分を愛し奉る者のために備えておおきになるものを既に予感したのでございます。そしてこの世の些細な犠牲には余りにも釣り合わないほど大きな永遠の報いを見て、私はイエズス様を愛したい、もう熱中してお愛しし、今この世でまだ出来る間に、出来るだけ沢山いろいろと優しい愛のしるしをお捧げしたいと望みました。」

Depuis longtemps je soutenais ma vie spirituelle avec « la plus pure farine » contenue dans l'Imitation. C'était le seul livre qui me fît du bien ; car je n'avais pas découvert les trésors cachés dans le saint Evangile. Ce petit livre ne me quitta jamais. Dans la famille on s'en amusait beaucoup; et souvent ma tante, l'ouvrant au hasard, me faisait réciter le chapitre tombé sous ses yeux.

A quatorze ans, avec mon désir de science, le bon Dieu trouva nécessaire de joindre à « la plus pure farine, du miel de l'huile en abondance ». Ce miel et cette huile, il me les fit goûter dans les conférences de M. l'abbé Arminjon sur la fin du monde présent et les mystères de la vie future. La lecture de cet ouvrage plongea mon âme dans un bonheur qui n'est pas de la terre; je pressentais déjà ce que Dieu réserve à ceux qui l'aiment; et, voyant ces récompenses éternelles si disproportionnées avec les légers sacrifices de cette vie, je voulais aimer, aimer Jésus avec passion, lui donner mille marques de tendresse pendant que je lé pouvais encore.


日本初のカトリックの首相が誕生することを祈りつつ

2007年09月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 日本初のカトリックの首相が誕生することを祈りつつ、心から麻生氏のために、日本のために祈ります。

 至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!
 聖母の汚れ無き御心よ、我らを憐れみ給え!
 大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
 アシジの聖フランシスコ、我らのために祈り給え!
 幼きイエズスの聖テレジア、我らのために祈り給え!
 日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!

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■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 新しいミサの神学的な問題点: 新しいミサの基礎になっている考えとは何か?
■ ミサ聖祭とは何か? (『聖ピオ十世の公教要理』による説明)
■ 新しいミサについて(第二ヴァチカン公会議が始まるわずか数年まえのピオ十二世の言葉)
■ 新しいミサに関するベネディクト十六世教皇の言葉
■ 新しいミサについての権威者のコメント
■ ミサ聖祭とは何か。1952年の「公教要理」による説明と今の流行の説明
■ 聖伝のミサの自由化:リベラルな司教様たちは反対、何故か?

聖ピオ十世会韓国のホームページ
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式韓国語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』


兄弟姉妹の皆様を聖伝ミサに心から歓迎します! 2007年9月 聖伝のミサの予定

2007年09月15日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか。今月も兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 

(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきですが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ五世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、「トリエント公会議ミサ」「公会議前のミサ」(カトリック新聞の表現による)・・・などとも呼ばれています。)

■何故なら、聖伝のミサは、聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭だからです。(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』


■何故なら、聖伝のミサは、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡によって確認された通り、今迄決して法的に廃止されたことがなく、常に正当で合法的な許されていたミサ聖祭だからです。


■従って、トリエントミサはバチカン公会議で廃棄されたというのは全くのウソだからです。何故なら、これこそ「福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)だからです。


■従って、「福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)」は、第二バチカン公会議後も、1969年以降も、それ以前と同じいわばカトリック教会における「普通のミサ」としての法的地位を保っているべきであるからです。


■何故なら「古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計り知れないもの」(a breach into the history of the liturgy whose consequences could only be TRAGIC.)」
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 162~163ページ)だからです。


■新しいミサによって「第二バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度、制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた」"What happened after the Council was something else entirely: in the place of liturgy as the fruit of development came fabricated liturgy. We abandoned the organic, living process of growth and development over the centuries, and replaced it--as in a manufacturing process--with a fabrication, a banal on- the-spot product." (Cardinal Joseph Ratzinger)(ラッツィンガー枢機卿、現ベネディクト十六世教皇)からです。


■従って、「(聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は)その敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)からです。


■何故なら、聖伝のミサは、五世紀以来の教皇たちが使徒聖ペトロに由来するものだからという理由で要求してきた「ローマ典文」をそのまま何も手を付け加えずに使用しているからです。何故なら、教皇たちはこの典礼様式は使徒からの聖伝に基づくと何度も繰り返し述べている事実があるからです。


■何故なら「教皇には教会の最高牧者として聖伝の典礼様式を廃止する権能があると述べられている文章は、カトリック教会法典を含めて一つも存在していない」(モンシニョール・ガンバー)からです。


■しかし「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えています。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えています。それにより典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまいました。しかし1870年第一バチカン公会議は教皇を絶対君主としてではなく、啓示された天主の御言葉に従順な保護者として定義したのです。教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えると言うことに縛られています。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきています。いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ません。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎないのです。」(ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』)


■日本では400年前、聖フランシスコ・ザベリオの来日以来、ラテン語で聖伝のミサを捧げ、多くの実りをもたらしたミサ聖祭であるからです。

「ラテン典礼は教会の様々な形式においてキリスト教時代のいつの時でも霊的生活において極めて多くの聖人達を生みだし、そして同時にかくも多くの民族を宗教の徳において強めまた彼らの敬虔を豊かにしたことが認められている」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)からです。

「ラテン典礼の司祭が、感謝のいけにえを、これを基準として捧げてきたばかりでなく、福音の宣布者は地球上ほとんど至る所に、これ(=聖伝のミサ)をたずさえて行ったのであります。また教皇グレゴリオ一世が、その大部分を企画編集したローマ・ミサ典礼書にある聖書朗読と祈願を通じて無数の聖徒が、神に対する信仰心を豊かに養ってきた」(パウロ六世『ミサーレ・ロマーヌム』)からです。


■日本では、ヴィヴァルディー、バッハ、モーツアルトを始め、更には西洋美術、絵画、建築までヨーロッパのカトリック文化が浸透しており、この原点である聖伝のミサに立ち戻ることは、まさに深い文脈的な意味があるからです。

 日本においてバッハの声楽曲をドイツ語の歌詞を大切に歌い演奏することは文化的に価値があるように、聖伝のミサをラテン語の言葉を大切に捧げることは大きな価値があるからです。


■ベネディクト十六世教皇様も認めているように、現在カトリック教会に危機が存在しており、「私たちが今日経験している教会の危機は、「あたかも神が存在していないかのような」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっている」(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ)からです。


■何故なら「カトリック者にとって、典礼は共通の母国であり、自分のアイデンティティの源泉そのものである。このためにも典礼は、祭式を通じて神の聖性が顕現されるのだから、"あらかじめ設定され"、"何ものにも煩わされないもの" でなければならないのである。ところが、"規則に縛られた古くさい厳格さ" と呼ばれ、"創造性" を奪うと非難された典礼に対する反発は、典礼をも "手作り" の渦の中に巻き込んで、私たちの凡庸さに見合うものにし、凡俗化した」(『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』166ページ)からです。


■また、ベネディクト十六世教皇様も言うように、新しいミサしか知らずに育ったけれども、後に聖伝のミサを知った「若い人々もまたこの典礼の形式を発見し、その魅力を感じ、その中に至聖なるミサ聖祭の神秘との出会いの形を見出し、そして特にその形が彼ら自身に適していることに気づいた、ということが明らかに証明されてきた」からです。(it has clearly been demonstrated that young persons too have discovered this liturgical form, felt its attraction and found in it a form of encounter with the Mystery of the Most Holy Eucharist, particularly suited to them.)



     <2007年9月の予定>

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

28日(金)午後5時半 殉教者伯爵聖ウェンチェスラオ(3級祝日)赤
29日(土)午前11時  大天使聖ミカエル(日本の守護者)(1級祝日)白 (事情が許すかぎり、歌ミサの予定です。)


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

29日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
30日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
午前10時半  聖霊降臨後第十八主日(2級)緑

     午後2時半  霊的講話、カトリック教養講座(予定)
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
10月
1日(月)午前7時 平日(4級)緑
2日(火)午前7時 守護の天使(3級祝日)白

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2007.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2007, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2007" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

■ 過ぎ越しの神秘
■ ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿とその思想は?教皇ベネディクト十六世の考えをよく理解するために
■ 地球交響楽:「ガイア理論」はニューエイジ
■ 薬物(マリファナ、大麻など)の使用について
■ 宗教とは何か?
■ 第二ヴァチカン公会議の「洗礼の秘跡による信徒の祭司職」について
■ 松浦悟郎司教さまが呼びかけ人になって、良心の自由を理由に「日の丸」と「君が代」の拒否をすすめているが、どう思うか
■ 異端とは何か? 離教とは何か?:ダブルスタンダード?! 聖伝主義に対する態度とエキュメニズム
■ 新しいミサについて(第二ヴァチカン公会議が始まるわずか数年まえのピオ十二世の言葉)
■ 新しいミサに関するベネディクト十六世教皇の言葉
■ 新しいミサについての権威者のコメント
■ ミサ聖祭とは何か。1952年の「公教要理」による説明と今の流行の説明
■ 聖伝のミサの自由化:リベラルな司教様たちは反対、何故か?
■ 「信教の自由」と新しいミサの多くのオプション。「平信徒の声を聞く、開かれた教会、今までの権威主義ではない信徒のための信徒による信徒の教会、手作りの教会、草の根の教会」というモットー。しかし跪いての口での御聖体拝領は厳禁。何故か?

ベネディクト十六世:堕胎は人権であり得ない。まさに人権に反対している。

2007年09月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

堕胎は人権であり得ない。まさに人権に反対している。
Abortion cannot be a human right -- it is the very opposite



兄弟姉妹の皆様、
オーストリア訪問中に言われたベネディクト十六世教皇様の言葉を引用します。

「その他の多くの権利の前提である基本的人権は、生命それ自身への権利である。」

「これは受胎の瞬間からその自然な終わりまでの生命に関して真である。」

「従って、堕胎は人権であり得ない。まさに人権に反対している。」

"The fundamental human right, the presupposition of every other right, is the right to life itself," the pope told members of the government and the diplomatic corps at the Hofburg, the seat of the Austrian presidency.

"This is true of life from the moment of conception until its natural end," he said in German

"Abortion, consequently, cannot be a human right -- it is the very opposite."

From Pope Benedict XVI slams abortion on Austria visit

聖母の汚れ無き御心よ、私たちのために祈り給え!

【関連記事】
ローマ法王:中絶は人類の権利ではない
オーストリア訪問:教皇、大統領を表敬訪問(2007.9.8)
Abortion not a human right, says Pope Benedict XVI
Benedict makes statement on abortion


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■ 第二ヴァチカン公会議の「洗礼の秘跡による信徒の祭司職」について
■ 何故、新しい神学が過去の公教要理の教えを否定してまでも新しい教理を教えているのか?
■ 「贖い」ということについて公教要理をみてみます。
■ ピストイア教会会議って知っていましたか?
■ だから私たちは「カトリック新聞」の聖福音の説明を読むとびっくりするのです
■ 第二バチカン公会議の『教会憲章』の曖昧な表現についてどう考えるべきか?
■ 第二バチカン公会議の文書の曖昧な性格は何に由来するのか?

天主に感謝!教皇ベネディクト十六世 自発教令公式日本語訳、ついに掲載

2007年09月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
天主に感謝!聖母の汚れ無き御心に感謝!

教皇ベネディクト十六世 自発教令
スンモールム・ポンティフィクム
――1970年の改革以前のローマ典礼の使用について――


および

教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙
1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって


の公式日本語訳が日本カトリック中央協議会のホームページに掲載されたそうです!天主に感謝!

 この自発教令により、日本の至る所で聖伝のミサが捧げられることをこころから祈り願い望みます。

 ちなみに、中国語の自発教令の翻訳は台湾の司教団のサイトにあります。
教宗本篤十六世「自動詔書」

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

【推薦図書】
聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?
脳内汚染からの脱出
小さきものよ,われに来たれ
神との親しさ(6)
収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察 by ソルジェニーツィン

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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