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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ラテン語典礼 ローマ聖務日課 2017年11月の聖務日課をKindleの中に入れるためのmovi ファイルをご紹介します

2017年10月31日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 レネー神父様が作って下さった大変良くできた聖務日課のファイルを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。レネー神父様のために、感謝を込めて天使祝詞をたくさん唱えて下さい。

 2017年11月分のローマ聖務日課のmoviファイル

I am very happy to be able to share a well done file in movi format in order to pray the Divine Office (Breviary) during the whole month of November 2017. This was made by Rev. Fr. Laisney. Please offer prayers for him as well while you are praying with his file.

 Breviarium Romanum mensis Novembris anno MMXVII


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ピオ十世会日本 東京での10月の聖伝のミサ(ラテン語ミサ 旧典礼のミサ トリエント・ミサ)の報告

2017年10月31日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日東京で、聖霊降臨後第20主日のミサを行いました。一年前もやはり同じ聖霊降臨後第20主日のミサを10月2日に東京で行っておりました。

 最近、メデュゴリエについて知りたいという方にお会いしました。そこで、メデュゴリエについての記事もアップしてあります。20年前のものですが、どうぞお読みください。

 その方は幼児洗礼を受けた方ですが、お話ししていて子供のころ初聖体を受けた時のことを教えていただきました。まず質問があり、御聖体拝領の時に英語では「我は不肖にして主をわが家に迎え奉るに堪えず、されど一言を宣わば我が霊魂は癒えん」と言うが、日本語では「主よ、あなたをおいて誰のところに行きましょう」という、どちらのほうがラテン語の原文に正しいのか?尋ねられました。英語のほうが正しい訳だ、と答えると、スッキリ納得した、と。何故なら、子供のころ初聖体の時から、主が私のところに来てくれる場面なのに、なぜ自分が「行く」と言うのか場違いで、シックリこなかった、子供ながらおかしいと思っていた、と。

 そのお話を伺ってとても言葉の意味に繊細でなるほどなぁとこちらも気づかされました。

 さてこの前のミサのご報告をいただきましたので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介させてください。

 次の聖伝のミサは、大坂で11月3日(初金)、4日(初土)、
東京で11月5日(主日)、6日(月)です。愛する兄弟姉妹の皆様とミサでお目にかかるのを楽しみにしております。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
御ミサをありがとうございます。
今回は特にとても慰めをいただきました。

毎日の生活のなかでこの世のことに心を遣って家族と過ごす日々です。お恵みにより慎ましくもつつがなく暮らせますことを感謝しています。それでも、いつも内的には、この世の生活は本当の生活へ向かうための準備のものとしか思われません。
家にいても道を歩いていても、自分を流され人・流浪の人と感じていて、哀切の思いでおりました。

この日の奉献文は、なんとこの思いを表してくださったものでしょう。「われらはバビロンの川岸に坐って、シオンの町。汝を思い出して泣いた」。弱い惨めな人間なので、御ミサに与り御聖体をいただきお説教で教えていただかないと倒れてしまったあとの立ち返りも難しいです。ただこの世を生きるためでなく本当に天主のもとに導いてくださるような導きがほしく思います。神父様のお説教にはどれほど慰めをいただいたことでしょう。

この日お説教を聞いて、ご聖体を拝領できることがとてもうれしくありがたく、心から感謝申し上げました。

そして私はひどいものなので み摂理による出来事を通してお恵みにより自分の姿を見せられ、今嘆いているのも罪深いものが罪を償うための時間を与えられているのだと 気づかされました。
もっと真剣に自分の罪を痛悔できますようにと思います。それから罪人の回心を願います。

神父様は「ルシアによると、震える手で書かれたたった2つの手段が与えられているだけだ」、と仰られました。私たちに与えられているのはロザリオと汚れなき御心の信心だけということです。これが残されている最後の手段だと。

それから、とても印象深いお話を伺いました。約400年前のルイ14世の聴罪司祭であったイエズス会司祭 ド・ラ・シェーズ神父様と、フランスの王国のことです。ド・ラ・シェーズ神父は、フランスを聖心に奉献せよという、指し示された、ただひとつのことを、しなかったために、与えられるはずの聖寵がいただけず、およそ100年後にフランスの王政は廃止されイエズス会も廃止された、という話に驚きました。

聖心といえば、マリア・マルガリタ・アラコック修道女を通してイエズス様から語られた聖心の信心はあまりにも有名で、私のようなものでさえ洗礼前から、初金には御ミサに与るものだと思っていました。でも、理由もわからずにそうしていただけで、当時は田舎の教会でさえ初金の御ミサが捧げられていたからに過ぎなくて、マリア・マルガリタ・アラコック修道女やイエズス様の聖心とのつながりがあるとはっきりと知ったのは、回心後でした。

今回、拝聴したお説教を思い出しているうちに、ファチマのマリア様からルシア修道女にいわれたようなこと、つまり、初土の信心と、その深い意味の聖母の汚れなき御心の信心と、それと、世界中の司教様とともに教皇様によるロシアの聖母の汚れなき御心への奉献ということの三つのそれぞれに対応することが、イエズス様の聖心についても同じくあったのだ!と思いました。

この三番目に関して言えば、ド・ラ・シェーズ神父とルイ14世がフランスを聖心に奉献することと対応しているのが、教皇様と司教様達がロシアを聖母の汚れなき御心に奉献することに対応していることになるのかなと思いました。

現在フランスの国は、王政から共和制になってしまい、天主様の聖寵が満ちていた時代とは様変わりです。またイエズス会に関して言うと、霊躁という素晴らしい祈りの方法を残してくださった聖イグナチオ・ロヨラがつくられた霊躁という祈りを思い出しますが、現代では霊躁以外に、解放の神学とかエキュメニズムとか自己実現とか各種の東洋の祈りなどを推奨する神父様たちがたくさんいらっしゃいます。霊魂の救いとは直接には関係ないものかなと感じられます。お説教を伺って、こういったことの背景を教えられたように思いました。ありがとうございます。

そしてはっきりと明らかに、聖心の信心での経緯と、現在まさに進行中のファチマのマリア様からお話いただいている聖母の汚れなき御心の信心の状況は、類似するところが多いと、考えさせられました。

イエズス様の聖心にフランスの国を奉献せよという望みを実行しなかったために廃止されたのが、フランスの王政と一修道会だったとしても、聖母の汚れなき御心に教皇様と世界中の司教様が一致してロシアを奉献せよという望みを実行しないで滅びるのが何であるか・・・、それに対応するのが何であるか想像するのが怖ろしく思います。聖母がお与え下さった救いの手段を真剣に実行しなければならないと思い、ロシアの奉献のために祈ります。

そして、ロザリオと聖母の汚れなき御心の信心を、実行したいと思います。神父様は、それを最後の二発、最後に与えらえた手段と話されて、ほんとうにそうなのだと思いました。

小野田神父様、いつも素晴らしい御ミサとお説教をありがとうございます。


【報告】
月曜日のミサで、御ミサの後に、普段は地理的なことでなかなかトリエント・ミサに与ることが難しいという方とお話する機会がありました。特にこの日は、読誦ミサのため、ラテン語でミサが進行するので、ミサ典書を見ながら順を追っていても、どの箇所がいまミサで行われているのかすぐ分からなくなりがちで・・・という感想でした。日本語でないので、内容もわからないので・・・という感想もありました。

はじめて読誦ミサに与って、特にパフォーマンス的な所が少なくて、一様に感じられたかもしれません。
ああ自分も最初の頃はそうだったなぁと、思い出しました。

それについては、何度もミサに与るうちに、耳が慣れてきて、どの部分が今行われているのかが、わかるようになると経験から、申し上げられるかなと思います。日本語も併記されているので、内容も分かるようになるのでは思います。とても良い参考書もありますし。
それから、教会のお年寄りなどの話から、昔はラテン語のミサの時にはミサの内容がわからないので、ミサ中にロザリオを祈っていたなどという話を聴きますねという話になりました。でも、実際はそんなことはなく慣れてくると、いまミサ典書のどこを祈っているかを集中して見て聞いて祈ることができるという話になりました。どこかで間違った情報がインプットされてしまって、巷に広がったのでしょうという話になりました。
そして、今通常に日本語で行われているミサの内容と、トリエント・ミサのラテン語で行われているミサの内容は、全く違うものだということが、ほとんど知られていないということも、話題になりました。

また、「初めてレオ十三世の作られた『聖会のための祈り」も、御ミサの直後に祈ることができました」、という感想もいただきました。私も10年位前から、ノブスオルドのミサの直後にはいつも一人でこの祈りをずっとお祈りしてきていましたので、こちらで読誦ミサにも与るようになって初めて、神父様と一緒にお祈りができてとても感激したことを思い出しました。歌ミサの後にはこの祈りを唱えないという規定があることも、以前は知らなかったです。

「日本語のミサだと内容がわかるからそれが素晴らしい」という人は、日本語のミサに掲載されている内容が昔のものと違うものに変更されているという事実を知らされていないだけのようです。
聖伝のミサは、単にラテン語での祈りかどうかというだけでなく、そこで祈られている内容が、今のミサのものと全然違うものだから。
そのことに気づかなければ、聖人をたくさん産み出したミサということを理解するのが難しいかもしれません。そのことを良く知れば、トリエント・ミサで祈られている内容に惹かれる人がもっと増えるに違いありません。、
私もそのことを知れば知るほど、聖伝のミサに与りたいと思います。

新しく見えた方と、いろいろ、お話できて、楽しかったです。

今回、台風で始発電車が動かなくて、ミサに与れないかもしれないという恐れがありました。始発の電車までは強風は抑えていただけましたこと、天主様に感謝申し上げます。

【報告】
公教要理では、ユダヤ教とはどういうものかを教えていただき、イエズス様の生きていらした当時の状況を教えていただきました。

1、ユダヤ教は、唯一の天主を信じていたアブラハムという人から始まった宗教で、ユーフラテス・チグリスのイラクの近辺のウルという場所から始まったもの。アブラハムはイエズス様が生まれるおよそ2000年ほども前の人で信仰の人だった。ユダヤ教の始まりを教えていただきました。

2、約1500年前に、モーセが初めて聖書を書いた。モーセはエジプトから民を脱出させたユダヤ教の指導者だった。この時、天主の十戒や、契約の櫃や、いけにえの捧げ方や、安息日の規定などが決まった。

3、カトリックは2000年前も今も変わらない宗教だけれど、ユダヤ教はそうではなかった律法を守るということに関して、移り変わりがあった。

4、ユダヤ教で大切とされているものが二つあって、中心の教えである、安息日と割礼を守るということだった。割礼は、生後8日目に割礼と名前を与えること。

5、安息日をまもるということは、労働を休み天主へお祈りをするためのものだった。しかし形式的なものとなり、身体を動かさないことが重要となった。
(どのように安息日が守られていたか具体的に聞きました。複雑な決まりが口伝で伝えられ、非常に複雑に変化していったとのこと。細かい規定があって意味もなく形式なものでユダヤ人を縛りつけていた例も多かったようだ。一般の人にとっては、ふつうは安息日はお祭りとなるもので晴れ着や御馳走など喜びの日になっていた。)

6、安息日と割礼と、どちらが律法で上位にあたるかについては、割礼が上である。(ヨハネ福音書第7章の22、)安息日でも割礼は施すことができる。

7、アブラハムから始まったユダヤ教には、いまのカトリックの前表が いくつもあるとのことでした。(イサクやイサクの背負った柴、生贄の子羊や、子羊の角が掛っていた藪もそれぞれ新約にあることの前表となっている。)

8、モーゼがエジプトから脱出したこと。(イエズス様が死から命へと移られ、キリスト者たちが罪の状態から洗礼の水を通って天国に行くという前表)

9、過越祭(パスカ)の8日間に「種なしパンの祭り」があり、子羊を屠った。(過越祭は、復活祭の前表)

10、その50日後に、「ペンテコステ五旬祭」が一日だけあった。(聖霊降臨祭の前表)

11、その6か月後の「ティシュリの月」の15日は幕屋祭があった。(神殿奉献祭のことで献堂式にあたる)

12、ティシュリの月の幕屋祭の前の10日は、「キップルの日」でユダヤ人は断食をして、大司祭は神殿に入り、いけにえをほふった。大司祭が仕事をするのは一年でこの日だけであった。(これは、イエズス様が一回だけご自分を生贄として、天の至聖所に入ったということの陰であった)

以上、授業ではもっといろいろな興味深いお話がありましたが、少しだけ箇条書きに書き出して復習をしました。神父様いつも貴重なお話をありがとうございます。

その後今回は、グレゴリオ聖歌の練習をしました。
聖霊降臨後第23主日以降は、主日が何回あっても歌う歌は同じものとなるとのことです。11月12日は御ミサの中で私たちも聖歌を歌えるようにとのことで、教えていただきながら実際に歌ってみました。
入祭唱の「Dicito Dominus Ego・・・ 」をラテン語の読み方からネウマ譜の読み方まで 教えていただいて、小さな小節に別けて歌う練習をしました。意味も教えていただきました。

普段は声を出すことも難しいですが、細かく教えていただいたので、なんとか神父様の音に合わせて、またユーチューブの歌に合わせて、声を出して歌ってみました。
音を思い出せないのですが、YouTubeで探して、自宅でも練習してみようと思います。

主日の御ミサの中で声を出して歌うまで、憶えられるかどうか心配ですが。
楽しく練習できました。神父様ご指導をありがとうございます。


私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その2 カリスマ刷新運動と聖霊降臨運動

2017年10月31日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエの続きを掲載いたします。

第2部メデュゴリエ


 メデュゴリエとキベホの御出現は、古典的なものとは言えません。これはペンテコステ運動と密接な関わりがあります。はっきり言いましょう。メデュゴリエは、その起源からカリスマ運動の出現です。

カリスマ運動の指導者たちによって仕組まれた御出現

 メデュゴリエの御出現は、カリスマ刷新運動の懐で既に予告され、「預言」されていました。

 ルネ・ローランタン師はこう書いています。

「1981年5月、聖母出現がある以前に、ヘルチェゴビナ地方のフランシスコ会神父トミスラヴ・ヴィラシッチ[P. Tomislav Vlasic]は、ローマで開かれた聖霊刷新の指導者のセミナーに参加し、その時自分について述べられた二つの預言を知らされた。

- ブリージ・マッケナ修道女[Soeur Briege McKenna]は、トミスラヴ・ヴィラシッチ神父が予言者のように、群衆の真ん中に座っている姿を見た。そして、彼の椅子のところから、水がこんこんとわき出て流れていった。

- エミリアノ・タルディ[フ]神父[P. Emilien Tardif]は、神から伝えられた予言者として、「恐れるには及ばない。私は御母をおまえに遣わす」という言葉を彼に知らせた。」(『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現 共産主義国家において全世界に与えられた一大メッセージ ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ共著 尾崎正明訳 タルディ著作刊行協会発行1987年、p47)

 この数週間の後、6月24日、メデュゴリエの出現が始まっています。この第5日目にはヴィラシッチ神父はその場に居合わせています。彼は出現を目撃し、幻視者に質問し、御出現を本物であると確信しています。やはりフランシスコ会司祭であった主任司祭に御出現の場所をポッドブルドー(Podbrdo)の丘から、村の教会に移すことを提案しています。(ポッドブルドーというのは、ボスニア・ヘルツェゴビナにある、石だらけで低い山の麓に付けられた地名です。)

 8月18日には既にヴィラシッチ師は、メデュゴリエの主任司祭に任命されています。その時以来彼は、幻視者を絶えず指導し、巡礼に好意的な宣伝を組織し、管理しています。これは、1984年の秋まであからさまになされました。しかし、彼がモスタールの司教によって人事異動を受けてから、密かにこれを続けました。彼は、定期的にメデュゴリエに来ては指導しました。

メデュゴリエの聖母は聖霊刷新運動を激励する

1 メデュゴリエの聖母は幻視者たちに、刷新運動の使徒たちが来ることを約束しています

2 1983年8月23日から25日まで、出現と一致しその祝福をもって、聖霊刷新の使徒たち3人(すなわち、タルディフ神父、マードル博士[Dr Madre]、ランクール神父[P. Rancourt]の3人)は、教区にペンテコステ運動の儀式を導入しています。すなわち、霊の洗礼、異語、異言、預言などです。

3 カリスマ運動の指導者とメデュゴリエを息吹く霊は全く同じです。

幻視者はカリスマ刷新運動に参加の経験があった。

 クリスマスの休暇中には、イワンは「カリスマ運動のセッションに参加するためにフランシスコ会師によって召集を受けていた」("Dernieres nouvelles des apparitions de Medjugorje" par l'abbe Laurentin, n.1 p.9)

 イワンとマリアは青年用の「祈りのグループ」を司会し、ポドブルドの丘に夜の10時に集まっていました。

カリスマ運動推進派はメデュゴリエを保護する

 スプリット大司教の大司教、ユーゴスラビア人のフラニッチFranic大司教は、ユーゴスラビアで唯一、狂信的にメデュゴリエを信奉しています。

「私は、目の前で一つの新しい教会が生まれるのを見ている。聖霊の教会である。・・・聖霊はいろいろな仕方で働く。私たちの教会の中で、また世界中で働く。私の考えでは、これは全体の大きな動きであって、続きである。メデュゴリエは、いわば、この働きの頂点に立つ。これは全て新しい教会に飲み込まれ、新しい教会は、昔の教会を続け、延長する。・・・メデュゴリエは聖霊の活動の頂点のようである。メデュゴリエの役割は、私は特に別の教会の兄弟たちと近づくことにあると思う。ギリシア正教徒の兄弟たちや、イスラム教徒、マルクス主義の兄弟たちと近づくことにある。聖母はここではただ愛を広げるだけだ。・・・メデュゴリエの聖母を崇敬する私たちの目的は、私たちの天主への信仰と人間への信仰を強めることだ。・・・」

メデュゴリエとカリスマ運動は切り離せない

 では、カリスマ運動とは?聖霊降臨運動とは何でしょうか?

 聖霊降臨運動の推進者たちは、カリスマ運動の起源・その源・その根本思想に忠実であり続けています。従ってカリスマ運動を良く知るためには、この運動の起源について(この起源は余り良く知られていないのが実状です)の正確な知識を持つ必要があります。

カリスマ運動の起源

 エドワード・オコーナーの書いた『聖霊降臨運動 ─カトリック教会における─』(小林珍雄訳/エンデルレ書店)は、聖霊降臨運動の始まりをこう書いています。

「その[カリスマ運動=聖霊降臨運動の]主流は1901年元旦に発した。カンサス州トペカのパーラム聖書学校で、迎春のための先夜祭として信心深い祈祷会が行われた。元旦になっても『主の臨在』はまだ残り、『よりすぐれたもののため主を待ち望む心を』しずめてくれた。学生の1人オズマン嬢が、こらえられなくなって、パーラムに、新約聖書にも示されたいるように、聖霊の賜物を受け取れるように、彼女の心臓に彼の両手をのせるように頼んだ。その通りにされると、彼女はいちじるしい霊的経験をうけた。あとでかの女のいったことばをかりれば、『ちょうど活ける水の河が私の内奥の存在から噴出しているようだった』。かの女は、異語で祈りはじめ、その翌日あるボヘミア人は、かの女はボヘミア語を話していたとみとめた。……(13~14頁)」

 これが聖霊降臨運動の始まりでした。

 この運動の特徴は2つあります。

 まず一つは、「聖霊による洗礼」。第2は「異語で語る」ことです。この異語とは(異言とも言う)自動的に訳の分からない言葉で話す gossolalie と言うのと(これを異言と呼ぶのがふさわしいだろう)、普通には自分の知らないことを外国語で話す zenoglossie(これを異語と訳すのがふさわしいだろう)というのとの2つです。ここでは、自分の知らない外国語で話すという意味での「異語」でアグネス・オズマンは話し出したのです。

 しかし、この著者オコーナーはここで全く言及しませんが、よく調べて見ますと、最初の出来事は1901年1月1日と2日の間の夜、正確には午後11時に起こりました。

 メソジストの牧師であるチャールズ・パーラム(Charles Parham)は、聖書を教えるための学校をアメリカ合衆国のカンザス州に作りました。その学校はトペカ(Topeka)の家と呼ばれていました。そして、聖霊降臨運動の最初の一歩は、このトペカの家で起こりました。

 パーラムとその生徒は、現在のプロテスタント教会の活力の無さと初代教会の生命力との違いに引かれていました。『使徒行録』で語られるような初代教会の信者らの霊の現れ、特に異語などはどうして消えうせてしまったのか、とこれらは自問しました。このためにこそパーラム牧師は1901年の元旦に祈りの会を開くのです。

 すると、そこにいた学生の一人であるアグネス・オズマン(Agnes Ozman、彼女は後に結婚し、ラ・バージ(La Berge)夫人となる)は、新約聖書にあるような聖霊の賜物を受けるために、パーラム牧師に按手を願ったのです。パーラム牧師はためらいましたが、それを受け按手しました。「ちょうど活ける水の河が私の内奥の存在から噴出しているようだった」と彼女は後で言っています。これがいわゆる「聖霊による洗礼」でした。

 しかし奇妙なことに、そして非常に奇妙なことには、オズマン自身が書いた自分の体験についての記述は、見つけることが出来ないのです。この運動の創立者の書いたものだといいますのに…。何か、その記述には明らかに悪魔的なものがあるのでしょうか? ともかく、そういう訳で、この運動の起源は、少なくとも闇に包まれています。

 しかしこの我々に与えられたものを見ますと、少なくとも次のことが言えるでしょう。

 まず、この「運動」の起源には天主をさらによく愛そう、贖い主なるイエズスにもっと一致しよう、主のご受難において主キリストともっと親密に一致しよう、そのために愛によって苦しもう、などという考えのかけらもありませんでした。

 もっとひどいことに、天主様の御旨にさらに良く答えるために、天主様のみ旨をより良く生きるために、聖性において成長するために、聖寵の恵みに満たされ、清められるために、聖霊の恵みが欲しかった、などというのでもありませんでした。

 そうではない!ただ単に「聖霊を欲し、『すぐ何らかのしるしで』それを知らせるように神に願った(同書14頁)」のです。それは「こらえられなくなって」しまうので、「すぐ」に、目に見え耳に聞こえる形で、初代のキリスト者たちが持っていた特別の力が欲しかったのです。オズマンは何で私にもこの神の力が貰えないのか?と自問するのです。

 ちょうど奇跡を行う力が欲しく信者を装って、金を持って来て「按手すれば聖霊を授けられるように、わたしにもその能力をください」と言ったあの魔術師シモンとそっくりではないでしょうか!この最初の異端者、宗教詐欺師は、天主への愛などそっちのけで、ただ奇跡を行う力が欲しかったのです!

 この望みにおいて、どの霊が彼女を訪れえたかを識別するのは大変容易なことです。1901年1月1日の夜11時に機械的に按手によってすぐに叶えられたこの力への欲求に答えるのは天主様なのでしょうか?まさか!さらに言えることは、メソジストの牧師という、司祭の権能の全くないものが天主様の聖寵の運び手となることは、少しも出来ないのです。カトリック教会の洗礼や堅振と根本的に区別される「聖霊による洗礼」は、聖霊降臨運動の彼らが言うように成聖の聖寵を与えるものではなく、「カリスマ(特能)」、「異常の賜物(39頁)」を与えるものです。これが、我々が確信を持って「悪の者はサタンの力にしたがって現れ、力としるしと偽りの不思議をすべて行い、また救いに至る真理への愛を受けなかった滅びるもののために、不義の惑わしをするであろう。(テサロニケ後2;9-10)」と聖パウロの語った「サタンの力にしたがって現れ、力としるしと偽りの不思議」であると判断する根拠の1つです。

《新しいプロテスタント》の誕生

「これから数日の間に、同じ経験が学校内でほかの多くの生徒におこり、いち早く校外にもいいふらされた。彼らに信用されず、大いに反対された。数年の間、聖霊降臨の噂がやたらにひろがり、ことにひそひそと西南部を走った。1906年にロスアンジェルスに[黒人伝道師、パーラムの弟子であるセイモイア(Seymour)の影響の下に]新しい突発がおこり、そこから世界中につたえられることになった。……」

 しかし「この聖霊降臨を受けたものは、たいていは、嘲笑・迫害・破門によって、既成の教会から追放された。そのためかれらは、通常ペンテコスタル(聖霊降臨の)と称せられる新しい教会や宗派に結集するほかなかった。……彼らの多くも、歴史家の多くも、プロテスタントとカトリックとの中間のキリスト教界の「第三勢力」とみなしている。」彼らは、迫害を受け排斥され、新しい「神の集会(Assembly of God)」を作り上げていきました。とくに、この「新しい聖霊降臨」の使徒たちは、「癒し(healing service)」などによって大衆を引き付けました。彼らはこう言っていました。「奇跡の時代は終わっていない。既成の教会、形式主義の組織付けられたプロテスタント教会、カトリック教会では聖霊は窒息してしまった。時の終わりのキリストの光栄ある再臨を告げる最後の目覚めのときである。制度化した教会から離れた聖霊は、我らの上に戻って来た!」と。

プロテスタントらにおける聖霊降臨運動(新聖霊降臨運動)

 英語圏で広まって行ったこの運動は、他の言語圏にも広まっていきました。例えば、1929年には、ダグラス・スコット(Douglas Scott)がフランスにこの運動を導入しました。30年代になるといろいろなカリスマ運動のリーダーたちは「聖霊による洗礼」の儀式を共に、カリスマの霊をプロテスタント諸教会の中に吹き込んでいました。とくに、ダリエール(Dalliere)牧師や、トマス・ロバーツ(Thomas Roberts)の果たした役割は大きかったと言えます。50年代になるとデビド・デュプレシス(David Duplessis)が国際的に動き回り、すべてのプロテスタントの中で働き始めました。彼はこうして最初の宗教統一運動に手を付け始め、それは全く成功裏のうちに終わりました。「身を引いて聖霊降臨派に同道することを拒み、そのかわりに[聖霊降臨派になる代わりに]既に属していた教会にとどまった」人々は、「既成の教会の一人として、カリスマ(特能)が受けられはじめ(同書15頁)」、人々はそのとき、新しくこの運動を「新ペンテコスタリズム(neo-pentecostalism)」と呼び始めました。エピスコパリアン(監督教会派)では、1958年からカリフォルニアで、米国ルター派(ルーテル教会)では1962年から、プレスビテリアン(長老教会派)1967年からの事であったといいます。

「既成のプロテスタント諸教会に聖霊降臨の精神が浸透していたことは、60年代の宗教界の主な兆候であったことは、もうはっきりしている。」(同書17頁)

カトリック教会における聖霊降臨運動の浸透

 オコーナーはこう書いています。「1966年春にさかのぼる。ペンシルバニア州ピッツバーグのデュケーヌ大学(あたかも聖霊修道会士の経営する)で、2人の平信者学生が、いろいろな典礼・黙想・布教的活動に活躍していた。しかし二人とも努力の結果に失望し、初代の信者がしたように力強く福音をのべる才能がなさそうに思えて、びっくりした[ママ]。二人は、互いに祈り合って、聖霊の賜物にみたされるように約束し、毎日、聖霊降臨のミサの続誦を唱えるように協定した。…二人はこの年[1966年]の間ずっとこの祈りをつづけた。その結果何が起こったかの詳述は割愛するが、本書のねらいからいって、ここでは、約20人の学生や職員が、生活上深刻な宗教的変革を経験したというだけにとどめておく。彼らはことに、活けるキリストの真実の親身な接触に入った。この事件はまた、初代教会に見られたようなカリスマ特能的活動の姿によって特徴づけられた。かれらの多くは、異語の賜物をうけ、数人はほかの賜物(予言、知的洞察力、祓魔の力など)をもうけた。この経験は67年2月におきたものだが、その結果小さい祈祷団が結成された。…(同書8~9頁)」そしてオコーナーは「この経験」が起こった「67年の春こそ、恩寵のめぐみの春であった(同76頁)」といいます。

 このオコーナーの文章ではあまり詳しくは分かりませんが、ルネ・ロランタン(Rene Laurentin)神父はその著書『カトリックにおける聖霊降臨運動、危険と将来』(Pentecotisme chez les catholiques, risques et avenir, Beauchesme, 1975, p13, in Medjugorje en toute verite)のなかで、それはデュケーヌ大学(聖霊修道会によってピッツバーグに創立された)で、1967年1月20日に起こった、と書いています。ロランタン神父は公会議の直後、聖霊降臨運動のカトリック教会内で発生したまさにその年、つまり1967年の8月8日『時の印』を求めて、前掲書の著者であるエドワード・オコーナーと会談をしている神父です。

 このロランタン神父によると、1966年の8月、デュケーヌ大学の平信徒の教授たちは、クルシリオ(cursillos de cristianidad、小林訳では、クルセーヨまたは「キリスト教短期新式黙想会」)に参加し、この運動で、生き生きとした信仰を見つけだすことができるだろうと期待していました。彼らは典礼運動、宗教統一運動、使徒職、平和運動などの参加を試みましたが、どれにも失望したからでした。

 同書に語られる「2人の平信徒学生」と言うのは多分にケヴィン(小林訳ではキーバン、時にはキーベン、あるいは、別のところでは、やはりケヴィンと訳されている)・ラナガンとドロシー・ラナガン(Kevin & Dorothy Ranaghan)ですが、彼らの語るところによると、これらの運動は、空っぽで、ダイナミズムに欠き、祈りの生活と行動に力を失っているように思えたそうです。

 このクルシリオの間、教区の学生達の責任者であるスティーヴ・クラーク(Steve Clark)とラルフ・マルティン(Ralph Martin)と出会うのです。スティーヴは、ある1冊の本を読み、その本のことばかり考えていました。スティーヴは、皆にその本を読むように強く進めるのです。それはウィルカーソンの『十字架と飛び出しナイフ』と言う本でした。これは、デイヴィッド・ウィルカーソンという聖霊降臨派の牧師の自伝です。この大学の教授たちはこの本を読み、クルシリオに欠けていたものを、まして伝統的カトリックのやり方に欠けていたものを見つけた、と思いました。それは、聖書であり、聖霊であり、カリスマでした。2カ月間もの間この牧師の本は彼らの祈り、分かち合いの土台となった。彼らは自分の人生の終わりまでにはこのようなものを得たいと願うようになっていた。彼らの1人、ラルフ・カイファー(Ralph Keifer)は、そのときもう一つ別の本を見つけだす。それは、ジョン・シェリル(JohnSherill)の、『彼らは異語で話す』と言う本であった。この本にはどうしたら霊の経験をすることができるか実際的な手段や方法が書かれていた。彼らは、ウィルカーソンが持ていたように思われるこんな力が必要だと気が付くようになって行った。どうしたらこの「力」が受けられるのか。ラナガンによると、その4人の神学の教授がいろいろな可能性を検討したという。まず、カトリックの祈りで聖霊を呼び求めつつ祈り続ける? 彼らは既にやってみた。それはオコーナーの本にも書いてある通りである。しかし彼らはそれはうまく行かなかったという。やってもやっても駄目だ!と愚痴をこぼすのである。では互いに按手し合ったらどうか。しかし彼らにはどうもそれが最善の方法とは思われなかった。結局、もっと別のところに行かなければならないのではないでしょうか?彼らの頭の中にあったのはだだひとつでした。聖霊降臨派の教会へ行こう!と。(「毎日、聖霊降臨のミサの続誦を唱えるように協定した。…二人はこの年[1966年]の間ずっとこの祈りをつづけた。その結果何が起こったかの詳述は割愛するが、本書のねらいからいって、ここでは、約20人の学生や職員が、生活上深刻な宗教的変革を経験したというだけにとどめておく[!]。」と、オコーナー神父は書きますが、これだけを読みますと、普通の読者は、彼らがカトリックの祈りをもってカリスマを受け取ったかのように錯覚を受けるでしょう。)

 もはやサイは投げられました。「霊の力」を求めていずこまでも。彼らはウィリアム・ルイスというエピスコパリアンの「司祭」に電話をしました。ルイス牧師はその教区の聖霊降臨を受けた女性と彼らを引き合わせるように約束します。1月6日、エピスコパリアンの教会にて第1回目の面会。1月13日、プレスビテリアン(長老教会派)の信者で聖霊を受けたフローレンス・ドッジ嬢(Miss Florence Dodge)の家で、第2回目の面会。

 彼女は、その少し前に祈りのグループを作り、ピッツバーグの百貨店で地位の高い教養ある女性であったといいます。そしてこのフローレンス・ドッジに会った1週間後に、カトリック教会の大刷新が行われたというのである!1月20日、デュケーヌ大学の2人の神学教授、ラルフ・カイファーとパトリック・ブルジョア(Patrick Bourgeois)は、彼女に「聖霊による洗礼」を頼み、この祈りのグループの「聖霊を受けた者」達の手から「聖霊による洗礼」を受けました。カイファーはこう語っています。「彼らはただ単に、霊の力がわたしのうちに働きだすように信仰宣言をするように求めただけでした。わたしは異語でかなり速く祈りました。…わたしはむしろ、どこからそんなものが私に出て来るのか、不思議でなりませんでした。」

 我々は、まずカトリック教会における聖霊降臨運動が、その創立に当たって、プロテスタントたちによって指導影響を受けたことが分かります。それだけではありません。その発展段階においても、いつもプロテスタントと一緒であったことがオコーナーの本によっても知られます。

 例えば、同年の3月13日には、レイ・バラードが「ノートルダムに形造られようとしていたカリスマ集団の一種の精神的名付け親になりました。レイ・バラードとは「実業家福音協会の[ルイジアナ州]サウス・ベンド(South Bend)班の会長」、サウス・ベンドのアセンブリイ教会カルワリオ幕屋聖堂の活動分子で教会役員をつとめている」全くの非カトリック者です。(35頁)」

 このレイ・バラードは「自宅の地階で各週祈祷集会をひらき」、3月13日月曜の夕方に9人のカトリックの信者もそこにいました。それは、ケヴィン・ラナガンとドロシー・ラガナン、バート・ゲッチ[30頁](あるいはゲッシ[36頁])とメリイ・ゲッチ、そしてその他5人の大学生でした。その夕方の為にレイは「その地区の数人のすぐれた聖霊降臨教会牧師をふくむリーダーを招いておいた」。「牧師の一人が聖霊の賜物について語り、もう一人は質問に答えたりした。それから居合わせた20人ばかりの聖霊降臨派信者がノートルダムの仲間をかこみ、かれらのために祈りはじめた。かれらは異語で祈り、数分のうちに一人また一人とついにはノートルダム仲間の7、8名も同じように異語で祈った。[!](36頁)」

 彼らは、黙想会中カトリック聖職者の指導を一切受けていませんでした。「すべてが不思議に包まれているさい指示を与えられる者はいないはずだから[!!]指導者はおかぬことにした(51頁)」のです。

 ロイ・ウィード(サウス・ベンド地区におけるアセンブリ・オブ・ゴッド教会の最大のものたるカルワリオ幕屋の牧師)を父に持つダグラス・ウィードは、カトリック信者が自分たちと同じ「聖霊」を、やはり同じく受けることができるか懐疑的でした。しかし、同年4月7日から9日にかけて、ミシガン州立大学での黙想会が、聖霊降臨のカトリック信者の強い影響を受けて開かれ、それを自分の目で確かめに来たダグラス・ウィードは「兄弟らよ、カトリック信者も[!]聖霊[ママ]を受けられるのを見て、いかほど私も喜んでいるか、とても言い表せません」と熱狂しました。

 4月14日以降、「サウス・ベンドの聖霊降臨派の教会の人々は、ノートルダムの祈祷集会に行きはじめ(72頁)」、「やがて聖霊降臨派の既存の教会の連中も、祈祷集会に参集しはじめた。ルーテル派、長老派、プレスビテリアン、バプチストなどの多数が参加した。…宗派のちがいは重大問題をもたらさず、むしろ教理の違いの下でかれらを結束する[!!]キリストの兄弟愛に気づかせた。…この間にも、聖霊降臨集団が、近くのバルパラインのルーテル派大学で盛んになってきた。それとノートルダム集団との間に、暖かい友情のきづなが生じ、お互いの祈祷集会に自分らの仲間をおくりこむようになった[!!]。…多くの宗派の信者は一緒に[=共に]神に[一体どの神に?]祈り、神を礼拝するようになり、その上、自分らの教理[異端と誤謬に満ちた自分の教理]を否定したり縮小したりすることなしに[!]、共通の神の愛、イエス・キリストの信奉によって[彼らは一体どんな信仰を、どんな信奉を持っているというのでしょうか?]そうなったのである。(73~74頁)」

 69年には、4月25日から27日にわたって「全国的[全合衆国的]と言える最初のもの」が開かれました。25~30人のカトリックの司祭もいたそうです。

 オコーナーはこう書いています。「プロテスタントやペンテコスタル諸教会からも客員として多数出席しました。その中には、ペンテコスタル教会の主流派の最も有名な代弁者たるデビド・デュプレシスもふくまれていた。(91頁)」

カトリック信仰は聖霊降臨派のしるしと不思議なことに対し何というか。

 もし、ピオ12世の在任のときに、あるいはピオ12世以前の諸教皇の時に、カトリック信者が『聖霊による洗礼』を授けてください、と聖霊降臨派の牧師に頼もうなどと思ったら、どういうことになっていたでしょうか。

 1948年6月5日、聖省は、カトリック信者が「非カトリックの宗教儀式に、いかなる仕方であれ、能動的に出席し、あるいは参加すること」を禁じている教会法典第1258条について、再度注意を喚起しました。言わんや、プロテスタントの本質的な儀式を受けるのは厳重に禁止されていたのです。なぜなら、宗教儀式は常にある信仰、ある信念の表現であって、儀式とか礼拝様式といったものはその信仰内容と切り離しがたく結び付いているからです。

 聖霊降臨派の『洗礼』を求める、というそのこと自体、その儀式が正当なものであること、その儀式が価値をもち、効果がある、ということを前提にしなければできないことです。つまり、効果がある、ということは、その教えが正しいということを意味しているのです。

 したがって、異端の宗派に全く身を投ずるという、行為をすることによって、彼はカトリック信仰から背反し、背教することを意味しているのです。

 もう一度、この運動がプロテスタントによって、カトリック教会の中に持ち込まれたことを確認しましょう。一体誰が、この運動の創立者の第一歩に、既に背教の行為がなかったなどと言えるでしょうか?

 私たちが、我らの母なる聖なるカトリック教会の懐に洗礼の秘跡によって受け入れられるという、すばらしい恵みをいただき、この不肖なる身にかくもかたじけない名誉を授かった後に、どうして、のこのこと偽りの教会に行けるでしょうか?!

 しかも我々は洗礼という、前代未聞の極み無き恵みをかたじけのうしたばかりか、聖霊の恵みの充満である堅振の秘跡を受け、ご聖体で養われているのです。それにもかかわらず、そのほかに、新しい洗礼、新しい聖霊の賜物を、異端のセクトにどうして物乞いすることができましょうか?!それこそ、キリストとその聖なる花嫁、ローマ・カトリック教会に侮辱をはきつけることではないでしょうか。

 キリストは天主として、ご自分の花嫁であるカトリック教会を、ご自分の聖寵と真理との唯一の保管庫、分配者、として地上に創立されました。だから、聖霊が本当に現存され、実際に働かれる場所である、キリストの本当の神秘体、すなわちカトリック教会にこそ聖霊を探さなければならないはずではありませんでしたか。この救いの方舟、すなわちカトリック教会以外に、主は目に見えて、あるいは目に見えないやり方で、働かれようとは望まれませんでした。主はこの方舟を、私たちの救いのために作り、それ以外のものは一切無効とされるのです。

 聖霊降臨運動の創立者は、一体なぜ、聖霊のいないところに聖霊を探し出そうとするのでしょうか?これこそ聖霊に対する罪ではないでしょうか?忘恩の反逆の子らは、自分の受けた洗礼の恵みを無にして、キリストの真の恵みを軽蔑し、彼らの母なる真の教会によって豊かに与えられた、愛と真理の霊の賜物を侮るのです。カリスマ運動の第一歩はこの裏切りにありました。カリスマ運動の第1の行為はこの背教でした。

しかし、ルネ・ロランタン神父は、はばかりも無く「この運動の起源は模範的である[!]」と書いているのです。オコーナ神父も、「『聖霊による洗礼』の経験、カリスマの出現は、ここでも[カトリック教会でも]よそと同じく[!]聖霊が働いていることは、疑う余地はない」などと平気で書いているのです。もはやオコーナー神父にとって、この運動がカトリック教会内に始まるまでは、カトリック教会で聖霊が働いているのかいないのか疑いの的であったのです!

 この背教の第一歩を踏み出したのをご覧になったキリストのお考えは、いかがであったでしょうか。天主の御独り子は、唯一の教会の花婿にして頭は、これを見て何と思われたのでしょうか。

 預言者イェレミアはこう言う「だが、おまえたちは、そこに入ると、すぐ私の地を汚し遺産をいとわしいものと変え、主はどこにおられるかと、祭司たちも尋ねなかった。律法を学ぶ人々も、私を知らず、牧者は背き、予言者はバアルの名で預言し、役に立たぬものに従った。…私の民は自らの光栄を、役に立たぬ空しいものに取り替えた。天よ、驚け、わななき、驚愕せよ──主のお告げ──。私の民は、二重の罪を犯したのだ。我らは水だめを、ひびが入って、水のたまらぬ水桶を掘ろうとして、生きる水の泉である私を見捨てたのだ。」(2;7~8、11~13)きっとこれを感じられたに違いありません。

 何と嘆かわしい歴史上のスキャンダルか。すぐさま多くのカトリック信者は、司祭は、修道者は、修道院ごと、「聖霊による洗礼」を物乞いし始めるのです。全くカトリックの聖伝に関係ない按手をもって、機械的に、即席に、見よ!「霊の実り」を受けるのです。

 彼らはこのカトリック教会とは無関係のイニシエーションを受けた後、今世紀初頭からペンテコスタルの懐で広まっていた「霊」の感覚的・感情的体験をし、異語で話しだし、預言し、癒しを行うのです。そして彼らはこう言います。「霊が戻って来た!」と。

 「戻って来た」とは、一体何事でしょうか!アグネス・オズマンのお陰により、そしてフロレンス・ドッジに謙遜に(!)カトリック教会にも聖霊を嵐と吹かせてください、とお願いに上がったあの4人のお陰で、ついに聖霊は、戻って来た、と言うのです。この新しい力、新しい能力、1901年以来プロテスタントには吹き荒れていた「霊」は、今吹き始めたのだ!彼らはこう叫んでいるのです!!

 更に、我々は、聖霊降臨派がいくつかの点で、カトリック信仰と全く正反対のプロテスタントの教えを宣言していることを忘れてはなりません。聖霊降臨派の人々は、様々な点でカトリック信仰を非難攻撃し、カトリック信者らを愚かな狂信へと走らせていたことを指摘しなければなりません。

 たとえ彼らが異語で話しましょうと、癒しをしましょうと、はたまたその他さまざまなカリスマをもっていましょうと、彼らはご聖体に於けるキリストの現存を信じていません。いとも聖なる聖母マリアのいろいろな特権を信じていません。彼らはカトリック洗礼の有効性を拒否します。(P. H.-Ch. Chery, L'offensive des sectes, Cerf, 1954, p339, in Medjugorjie en toute verite )

 60年代以前には、ペンテコスタルのリーダーたちがする異語、あるいは癒し(それが本物の癒しであれ、単なる思い込みであれ)が、聖霊の実りである、とするカトリック神学者はただの一人もいませんでした。カトリックの聖伝によれば、聖ヴィンセント・フェリエと聖フランシスコ・ザビエルとは外国語を話す、と言う意味の異語の賜物を受けたと言われていますが、それは確実に実証できる訳ではありません。

 反対に、カトリックの祓魔師たちはこの不思議な異語の現象をよく知っていました。この点に関して聖伝の教えはほとんど一致していました。そのため、『ローマ儀式書(Rituale romanum)』は、知らない言葉で話し出すことを、悪魔に取りつかれた外的印として、その最初に挙げているのです!

我々は、聖霊降臨運動を新しいセクト(党派)だと考えなければならない。

 歴史の中には、現代のカリスマ運動と似たものがいくつもありました。聖霊降臨派のリーダーたちが癒しを行うという「奇跡」については、歴史上異端者どもがかつてさまざまな不思議をして見せたことがあります。そして、カリスマ運動もそのうちの一つとして数えることができます。

 例えば、2世紀のモンタン(Montan)という男によって始められたモンタニズムがそうです。彼は172年頃、フリジアで脱魂し、霊に乗り移られたと称しました。脱魂のうちに、かれは予言し訳の分からぬ言葉を吐いていました。その御告げによると、彼自身、Paraclitus(慰め主)と自称していたようです。モンタンと一緒にマクシミッラとプリシッラという女性がいましたが、彼女たちも脱魂し、予言を始め、大群衆に新しい予言の教えを説いていました。モンタンは、天のイェルサレムがすぐ降臨し、選ばれたものたちが主とともに1000年間君臨すると説いていました。祈りの集会では人々は祈り予言し、異言を語りました。彼らは厳格な禁欲、度重なる長い断食、肉とブドウ酒を断つこと、独身、童貞性、迫害にあっても逃げないことなどを説いていました。しかし、アジアの司教たちは彼らの著作を調査し、会議を開き、その異端を排斥しました。教皇たちも強い態度で排斥して来ました。

 中世には、異端説を唱え、不思議な業をもって信者たちをたぶらかした多くのグループがありました。ボドワ派(Vaudois)、アモリス派(amauriciens)、自由な霊の兄弟(frere du libre Esprit)、フロールのヨアキムの弟子(disciples de Joachim de Flore)、フラティセル(fraticelles)、天主の友、ボゴミル派(bogomiles)、16世紀にはスペインでアルンブラードス(alumbrados)と言うのが出ました。彼らは明らかにイエズス・キリストの霊にも、その唯一の教会の霊にも息吹かれたものではありませんでした。彼らは、正当に、賢明に、理由があって、合法的かつ正統的教会位階によって排斥されたのです。

 聖霊降臨運動は、また16世紀に出たプロテスタントの再洗礼派の新しい形とも言えます。

 17世紀には、フランスのドフィネーとラングドックのプロテスタントらにも「霊」の嵐が吹いたことがあり、18世紀にはセヴェンヌとヴィヴァレのカミザールらに「霊」が吹きました。その時、数百人の予言者や、啓示を受けたものと自称するものが立ち、超人間的な力を身につけていました。当時、彼らは、今日のカリスマ運動の人々の様に、歌を歌い、異言を話していました。さらには、幻視、ご出現、脱魂。驚くべき予言、心を読み取る、などもしだしました。空には不思議が現れ、星が秘密の祈りの会場を示し、天使が羊飼いに現れ、無学なものが学者しか知らないような上品なフランス語を話し出しました。8000人が霊の吹くままに全く一致して同時に同じことを語りました。彼ら自称「新しい人」は、こう主張していました。

「私たちにこの世を軽蔑することと愛徳を息吹いていたこの霊は、すなわち、私たちに内的喜びを与えていたこの霊は、私たちに、カトリックの偶像崇拝への恐ろしさをも息吹いてくれました。私たちにそれにもう参加しないようにと教えてくれました…。」

 これらのすべての不思議は、唯一の真のイエズス・キリストの教会に彼らが戻ろうとするのを妨げ、カトリックの教えと、「教皇崇拝のミサ」に対する、憎しみを植え付けるものに過ぎなかったのです。(Joseph Bizouard, Les rapports de l'homme avec le demon, essai historique et philosophique, Ed. Gaume 1895; Pere J. de Bonniot, Le miracle et ses contrefacon. Retaux, Paris 1895.参照)

 更に、18世紀には、パリのヤンセニストの助祭、フランソワ・ド・パリの墓に祈りに来た人々に、癒しの奇跡が次々に起こり、その上、痙攣、予言、異語などをしだしたことがあります。この既に死んだヤンセニストの墓に祈りますと、現代の聖霊降臨派のしているような不思議や、クリスチャン・サイエンスの信者らが行っている不思議と同じような不思議なことが起こりました。

 さらには、聖霊降臨運動は、19世紀の、モルモン教、セブン・デイズ・アドヴェンティスト、エホバの証人、などと言ったセクトの延長線上にあるのです。

 聖霊降臨の祈りの集会において、本当に自然を越える現象があったとしますと、これらの自然外の現象は、天主からのものではなく偽りの君、サタンからのものだということは明らかです。

 教父は、そしてカトリック神学者は、異端のふところで、異端の名において、異端の利益のためになされたこのような不思議が天主からのものではあり得ないといつも考えました。1960年、イエズス会のルイ・モンダン(Louis Monden)と言うルーヴァン大学の教授は、その著者の中でこう書いています。

「本当の奇跡というものは、しばしば天主から使命を受けたということの確認であり、その保証である。サタン的な不思議は、無神論のために行われるのではない。この[無神論という]唯物主義の宣伝のために、かかる不思議が行われるのではない。寧ろ、[もし何らかの不思議な現象がサタンによってなされたなら、その]奇跡は、異端や誤謬を、見せかけ上、保証するためになされる。つまり、[異端の自称する]「教えの純粋さ」とか「単純な福音」とか、あるいは、カトリック教会のあまりにも人間的なところに、異端者たちの美徳をもって反対するために、これらの主張の後ろに隠された、カトリック教会に対する反乱・反抗をカモフラージュするためになされるだろう。…[彼らは、サタンの霊によって不思議な業を行い、その後にこう言うだろう。]『教会は我々を排斥しても、奇跡は天主様が我々とともにましますことを証明している!』と。偽りの奇跡の出現は、一般的に言って、相対主義・偽りのエキュメニズム・宗教統一主義への突破口になるだろう。」(Le miracle, signe de salut, p139; DDB. 1960, in Medjugorjie en toute verite)そして聖霊降臨のカリスマといわれているものは、まさにこれなのです。

カスリン・クールマンの教え

 オコーナー神父の本には、度々、アン・アルボル(Ann Arbor)の集団についてのことが言及されます。我々は今ここに、聖霊降臨運動に典型的な一つのエピソードを載せ、この項を終えることにしましょう。これはロランタン神父の前掲書に基づいています。

 1974年6月1日、アン・アルボルのカリスマ運動の人々は「癒し」をするためにカスリン・クールマン(Kathryn Kuhlman)と言う、プレスビテリアン(長老派のセクト)の女性を招きました。ロランタンの言うことを聞きましょう。

「人々は朝の5時から集まる。私たちが8時半頃に到着すると、2500人の人で教会は一杯であった。…約束の時間に、中年の背の高く痩せた女性であるカスリン・クールマンは色鮮やかな長いヒラヒラしたチュニックを着て、格好をつけて立ち振る舞う。会衆は拍手喝采するが、彼女はすぐに『主を褒めたたえよ』と言う。しぐさでリズムをつけた歌が歌われる。人々は近づく。まず糖尿病の人。彼女が彼らに触ると彼らはひっくりかえる。それを倒れないように支えていた2人の男性たちも、触られると倒れそうになる。とくに彼らが疲れてくると。彼女は何人かを医者に見せるように送る。病人が倒れると彼女は頻繁にこう繰り返した。“What a power!"(何という力!)しかし彼女はこう言う。『あなたがたを癒すのはカスリン・クールマンではなく、主であります。主のみであるということを覚えてください。』[しかし、多くの人は、“Healing service"(癒しのサービス)をうけて、天主よりも彼女を信じた、とロランタン神父はいう。]次に、別の病気の人々が続く。カナダ人のカトリックの2人のシスターたち。彼女はこの2人のうち一人の難聴を癒し、もう一人の目の悪いのを癒した。シスターたちは喜びの余り泣く。何と言って感謝してよいのか分からない。」

 カスリン・クールマンは群衆の真ん中を通り過ぎます。彼女は参加者に触れます。幾人かが倒れます。彼女は祝福します。ステージの上にいる女に彼女は言います。「そこにいるあなた、あなたの子宮ガンは治りました。あしたお医者さんのところに行きなさい。」

 癒しがあるたびごとに、彼女はその病人がどの教会に属しているかを聞いていました。そして自分の所属の教会に忠実を守るようにと勧めていました。どこの教会にも属していないこの女には、彼女はこう言いました。「天主様がどんなによいお方か分かったでしょう。感謝するのを忘れないでください。自分の好きな教会をひとつ選んでそこに所属しなさい。」

 カスリン・クールマンのこの言葉を見ますと、フリーメーソンの教義を明確に支持しているのに気が付きます。つまり、フリーメーソンとともに、彼女はすべての宗教はどれも同じで価値がある、だから好きなように宗教を選べ、霊はどこにでもいる、と言うのです。

 フランスにある「ユダの獅子(Lion de Juda)」というグループの創立者、ブラザー・エフライムは、このカスリン・クールマンの下で教えを受けようと、わざわざ米国に行っています。彼はこのプレスビテリアンの女性を、イエズス・キリストの新しい御托身であるかのように考えています。彼はこう言います。

「長老派教会のアメリカ人の私たちの兄弟によって、信仰の賜物が私たちに伝わりました[!!]。(Les pluies de l'arriere-saison, naissance d'une communaut nouvelle, p25, Ed. Fayard, 1985, in Medjugorjie en toute verite)

 カスリン・クールマンと同じ不思議の力を受けたカナダ人のカリスマ運動推進者、メデュゴーリエ支持者エミリアン・タルディフ神父(P. Emilien Tardif)は、クールマンと同じスタイルの祈りと癒しの集会を組織しています。タルディフ神父は、プロテスタントの教会でも、カトリックの教会でも、ペンテコステの運動を進めています。「新しい道の共同体(Communaute du Chemin neuf)」の創立者は、「霊は、…我らの禁止と我らの教会の垣根を越えて世界中に広まったが、それは、按手から按手による国際的・諸宗教の集いでの中でのことであった。」と書いています。

 まさに、それこそこの運動が奇妙で不気味なものである理由です。そしてこれこそがこの運動が反カトリック的であり、私たちの主イエズスの教えに反していると、私たちが主張する理由です。

 我々は残念なことに次の書物を入手していません。しかし聖霊降臨運動についてのカトリックの教えをよくまとめたすばらしい本だと聞いています。読者諸賢の中にこの本を日本の人々に紹介してくださる方がおられれば、我々は本当に幸いです。

Connaissance elementaire du Renouveau charismatique. Aout 1985, 150 pages: Action familiale et scolaire, 31, rue Rennequin, F-75017 Paris, FRANCE.

 我々は、この研究を通して次の質問にこう回答しましょう。

(1)「聖霊運動」とはどのようなものなのですか。

「聖霊運動とは、その起源をプロテスタントに持ち、カトリック教会とは全く関係のない別の宗教運動です。この運動でなされる不思議な業は、確実に、明確に、イエズス・キリストの霊によるものではありません。」

(2)この運動をカトリック司祭が主催することの是非。

「カトリック司祭は、教会法の精神にのっとって、聖霊運動に参加すべきではありません。」

(3)この運動をカトリック教会ですることの是非。

「カトリック教会は、我らの主イエズス・キリストが制定された聖霊の真の運河である7つの新約の秘跡を持っています。カトリック教会は、この秘跡を施すために建てられたのであって、プロテスタントの礼拝行事をするためではありません。カトリック教会に悪霊は無関係ですので、この運動がなされてはなりません。」

(4)この運動にカトリック信者が関与することの是非。

「イエズス・キリストのお望みにしたがって、教会法の精神にのっとって、カトリック信者はこの非カトリックの宗教行事に関与すべきではありません。」

 以上のことを確認した後に、私たちはファチマの御出現の時に確認した幾つかのポイントをメデュゴリエの出現に適応してみましょう。

(続く)

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ カトリック教会は、どの様な精神を持って御出現を識別するのか

2017年10月30日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

20年前に「私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ」という文書を書きました。ここに掲載いたします。


「私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ」

 天主は全能なお方です。私たちの信仰は、天主に出来ないことはない、と私たちに教えます。天主は、奇跡を起こすことが出来ます。奇跡を起こすことが出来ると言うことは、私たちの日常生活に直接的に干渉することが出来るということです。ですから、カトリック教会は今までに数多くの奇跡が起こったことを公認してきました。例えば、教会は聖母が私たちに御出現になったという事実を幾つか公認しました。例を挙げると、フランスのルルドにおける聖母の御出現(1858年)、或いは、ポルトガルのファチマにおける聖母の御出現(1917年)などがあり、これらは大変有名なことです。しかし、カトリック教会はこれらの事実を公認する前には、常に非常に慎重で賢明な調査を繰り返しました。カトリック教会は、真の御出現と偽の御出現を調査し、区別し、判定する権利と義務があるからです。

 私たちは、ここで母なる教会の導きに従って、御出現の識別について研究してみましょう。

 カトリック教会は、どの様な精神を持って御出現を識別するのでしょうか。ここではその手本に、ファチマの御出現を取ってみましょう。

そして次に、その原則をその他の御出現に適応させてみましょう。ここでは、その適応の例として、メデュゴリエの出現を取ってみましょう。

1997年9月8日トマス小野田神父

第一部 ファチマの聖母


ファチマにおける聖母の御出現は極めて典型的である

1御出現を受ける以前の幻視者

 まず第1に問われなければならないのは、御出現を受ける以前の幻視者についてです。

ファチマでは、幻視者たちは、どんな人だったのでしょうか。

 この問いに関して、私たちはまず、彼らの年齢の低さに驚かされます。天が彼らのような幼子をその伝令に選んだことは以前にはありませんでした。1917年の御出現の年には、ルチアは10歳、フランシスコは9歳、ヤシンタはわずか7歳に過ぎませんでした。彼らは読み書きを知りませんでした。彼らの両親は農業を営み、非常に貧しかったのです。彼らの生活は困難で、生活の糧を得るので精一杯でした。

 しかし、彼らには深くキリスト教の信仰が生きていました。彼らは子供たちに、罪の恐ろしさを良く教えていました。特に、子供たちは嘘をついてはいけないことを厳しく躾けられていました。ヤシンタとフランシスコの父親ははっきりとこう断言することが出来ました。「うちの子供らは、嘘をつくことなど出来ないのです」と。

 このことは、最年長のルチアについても同じでした。1917年、医者も彼らを検査して、彼らの肉体上・精神上の健康を確認しています。

 彼らは、敬虔です。特に1916年、ポルトガルの守護の天使の御出現を受けてからは、ますます敬虔になりました。真の御出現か否かを識別するために教会が定めている伝統的な基準に基づきますと、この敬虔さと、正直なことは、ファチマの御出現を肯定的に考えさせる点です。彼らは、洗礼の聖寵のうちの罪のなさを保ち、純粋な霊魂を持っていました。

2最初の御出現の際の状況

 第1の御出現がどの様にして起こったのでしょうか、その状況を詳しく調べるのは非常に重要です。1917年5月13日日曜日、朝早く三人はボレイロス(Boleiros)の聖堂に行き、第1のミサに与っていました。彼らは、家につくやいなや、羊の群をコヴァ・ダ・イリア(Cova da Iria)に連れていきました。昼頃に彼らは昼食を取ります。そして、これは重要なことですが、ロザリオを唱えます。それから、無邪気に遊び始めます。

 ルチアはこのときの状況をこう語ります。

「私たち、フランシスコとヤシンタと私は、コヴァ・ダ・イリアの坂の上で、茂みの周りに塀を作って遊んでいるところでした。すると突然、私たちは、稲妻のようなものを見ました。私は、従兄弟たちにこう言いました。『家に戻った方がいいわ。ほら、稲妻が光っているから。夕立が来るかもしれない。』『わぁー、ほんとだ!』それで私たちは坂を下り始め、羊の群を道の方に押しやりました。坂のだいたい真ん中ぐらいまで来ますと、そこにあった大きな緑の柏の木の高さぐらいのところにまた別の稲妻を見ました。それから、また数歩行った後に、今度は背の低い緑の柏の木の上に、真っ白な服を召されたご婦人を見ました。この方は、太陽よりも輝き、透き通った水の入ったクリスタルのカップに激しい日の光が貫き通るよりももっと明るい、強烈な光で輝いておられました。」

3御出現を受けた幻視者の反応

 ルチアは、御出現を受けてどの様な反応を示したのでしょうか。

「私たちは、この御出現にびっくりして立ち止まりました。私たちは、この方のほんのすぐそばにいたために、この方を包んでいた、と言いますか、この方から放たれていたその光の中にいました。だいたい1メートル半ぐらいの距離でした。」

 すぐさま、彼らは恐れる必要はないと言われます。

「恐れないで下さい。私はあなた達に悪いことはしません。」

この婦人は彼らの恐れをはらされました。そして、この子どもたちは、丁度、バルブデットの納屋の前で御出現を受けたポンマン幻視者たちのように、パリのリュ・ド・バックの聖堂で御出現を受けた聖カタリナ・ラブレーのように、大きな信頼と安心と平和に満たされました。

 御出現が終わると、彼らは喜びにあふれ、はち切れんばかりでした。ヤシンタはじっとしていることが出来ませんでした。彼女は『わぁ、きれいな女の方!あぁ、きれいなお方!』と何度も何度も繰り返しました。そしてその夕方には、(ルチアにこのことを黙っている、と約束したにもかかわらず)ヤシンタは母を見ると自分の見たことをつまびらかに語って見せました。

4御出現の頻度

 第1の御出現の時から、ファチマでは、いつ、何回御出現があるかが正確に定められていました。1度で、もはや、この御出現がこれからどこに行くのかが分かっていました。

「『あなた様は私に何をお望みですか』と(ルチアが)聞きますと、『私は、あなた達がこれから6ヶ月の間、月の13日の同じ時刻にここに来ることを求めに来ました。それから、私はあなた達に私が誰が、そして私が何を望むかを言いましょう。後に私はまたここに7回目に戻ってきましょう。』」

 毎月聖母は約束を守りここに御出現になりました。そして、全ては、最終の10月13日の御出現へと秩序付けられていました。聖母は、ご自分の言われた約束を正確に一字も違わずに守られました。ここには曖昧さが少しもありません。ハイはハイ、イイエはイイエです。

5御出現の言葉遣い、態度、たち振る舞い

 ファチマの御出現は、完璧に天主の御出現にふさわしいものでした。「聖母にしては、ちょっと・・・」と思わせるようなことも、「まさか聖母が・・・!」と思わせるようなことも、全く何もありません。御出現は常に厳粛で、憐れみに満ちています。

 子供たちからも、1つも無駄な質問がありませんでした。

「『あなた様はどこからいらっしゃったのですか?』と(ルチアが)尋ねますと、『私は天からのものです』と答えられました。」

6御出現前後の聖職者の態度

 これも全てがはっきりしています。御出現前にはこの子どもたちのことを良く知っていたという司祭は1人もいませんでした。最初の5月13日の御出現の後に、そして、毎月の13日にルチアの母親は子供たちを司祭館に連れていきました。主任司祭であったフェレイラ神父は、彼らを冷たく詰問し、厳しく脅迫します。恐るべき審問。人を冷たくこわばらせるほどの厳しい尋問。彼らに何らかの同情と愛情をいくらかでも示した司祭がいたとすればそれは、フォルミゴンFormigao師が最初でした。しかし、フォルミゴン師がアルジュストレルAljustrelに来たのが9月の13日のことでした。しかし、メッセージのテーマは全てその前に告げ知らされていました。

7脱魂

 ファチマでは幻視者は固有の意味での脱魂をしていません。ルルドでは、この固有の意味で脱魂の現象が見られました。ルチアが聖母に語るときには、大きな声で語り、周囲にいる人々は彼女の声を聞くことが出来ました。

 ファチマでは肉体上の変化は乏しいが霊魂上に生じた霊的変化には特筆すべきものがあります。

まず、天国へのあこがれです。彼らは、自分の目で無原罪の童貞女を見、全くこれに引きつけられました。その美しさに夢中になりました。彼らをある熱烈な望みが掴んではなしませんでした。天国に行く!これでした。ルチアが聖母に尋ねた最初の質問のうち、その一つはこのことでした。

『それから私も天国に行くでしょうか。』

『はい、あなたは行くでしょう。』

『それからヤシンタは?』

『ヤシンタもです。』

『それからフランシスコは?』

『フランシスコもです。でも、フランシスコはロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。』

 6月13日、第2の御出現に時には、ルチアはフランシスコとヤシンタの名前でもう一度聖母にこう言って尋ねました。

『私はあなた様に、私たちを天国に連れていって下さるようにお願いしたいと思います。』

『はい、私はヤシンタとフランシスコを、もうすぐ天国に連れて行くでしょう。でも、ルチア、あなただけはもうしばらくここに残ることでしょう。イエズスはあなたを使って、私を知らせ、愛させるようにしたいと望んでおられます。彼は、世界に、私の汚れなき御心への信心を確立させたいと望んでおられます。』

 この天国へのあこがれは、この御出現が天からのものであると言うことの、議論の余地のない証拠の一つです。この後、3人の牧童の全生涯は、この天国へのあこがれによって、深く性格付けられています。ある日、フランシスコは将来何になりたいのかと聞かれました。司祭になりたいのか、それとも何か別の職業がいいのかと。するとフランシスコは、天晴れにもこういった。

『いいえ。僕は司祭になりたくありません。』

『そうかい、じゃあ、一体何になりたいのかい。』

『僕は何にもなりたくありません!・・・僕は死んで天国に行きたいのです。』

 3人が受けた神秘的な聖寵のもう一つの印は、私たちの主を傷つけ、侮辱し、苦しめる人々の罪を思い、それを悲しく思うことです。

6月と7月13日の御出現の後、フランシスコはこう言います。

『天主様はどんなだったか、ですか?説明できません。本当です、説明できません。そんなことを言える人は誰もいません。でも、天主様が、多くの罪のせいであんなにも悲しまれているというのは、つらいことです。あぁ、もし僕が天主様をお慰めすることが出来たらなぁ!』

フランシスコの今後の関心事は祈りと犠牲によって、天主様をお慰めすること、聖母をお慰めすること、これに尽きるようになります。

 ヤシンタは、非常に多くの霊魂たちが地獄の火に落ちるのを見、彼らの罪を償うために全てをし、全て苦しみを堪え忍びたいと望むようになります。そして、マリアの汚れなき聖心から彼らが回心する特別のお恵みを勝ち得たいと望みます。ヤシンタは如何なる犠牲を払っても、彼らが救われることを望みます。彼らが永遠の破滅へと落ちないように!

『祈りなさい。罪人たちのためにたくさん祈り、犠牲を捧げなさい。何故なら、彼らのために犠牲をし、祈る人が誰もいないので、多くの霊魂が地獄に堕ちるからです!』

 聖母は、8月19日に上のように言われ、このことが、ヤシンタの頭から離れることはありませんでした。

 シスター・ルチアは、こう書いています。「地獄を見たことで、[ヤシンタは]自分のする償いや、苦行は、霊魂たちを地獄へ堕ちないようにするには不十分であるように思えるほど、恐ろしがりました。・・・彼女はしばしば地面や石の上に座って、考え込んだようになり、こう言い始めるのでした。『あぁ!地獄!地獄!地獄に落ちる霊魂たちがかわいそう!』・・・そして半分ふるえおののきながら、手を合わせて跪き、聖母がお教え下さった祈りを唱えるのでした。『ああ、イエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より守り給え。全ての霊魂、ことに、最も必要とする霊魂を天国に導き給え。』」

 天国、地獄、聖母マリアの汚れなき御心の全能の仲介、これがファチマの第1の秘密です。彼らはこれを強烈に生きました。祈りと犠牲の生活、これがこの3人のその後の生活でした。

8癒し

 聖母は何度も病の癒しを下さいました。しかし、非常にしばしば、聖母は賢明に、そして堅く、まず病人のまじめな回心の意志がある印を求めになりました。

 10月13日、ルチアは幾人かの病人の癒しを聖母に願いますと、聖母はこうお答えになりました。

「治る人もいますが、治らない人もいます。彼らが生活を改めて、罪の赦しを求めなければなりません。」そして、もっと悲しそうな表情で、「願わくは、人々がもうこれ以上天主、私たちの主を侮辱しないように。何故なら、主はもう既に侮辱され過ぎておりますから。」

9謙遜の雰囲気

 ファチマでは、全ては全くの謙遜のうちに事態が進展しました。天主は、傲慢や虚栄心をあおるような啓示は決してなさいません。

 聖母は、ファチマで、かつてないほど大きな奇跡と印をもって現れ給うた。しかし、この御出現自体については、以前の御出現を上回るものであるとか、と言うことを一言も言われませんでした。長い間ファチマは、ルルドの小さなポルトガル版であるぐらいにしか思われていませんでした。

 人類は傲慢によって罪を犯しました。

 天主は、私たちに謙遜の徳を教えるために、私たちが洗礼の水によって、罪の赦しを受けることを望まれます。たかが、水によって!天主は、僅かなパンの中に隠れて住み給います。天主は、私たちに模範をもって謙遜を教えられます。

 10月13日には、実際、ファチマの聖母はごく僅かなことしかご要求になりませんでした。

「私はあなたたちに、人々がここに私の名誉のために、小聖堂を一つ(capelhina = a small chapel)建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。願わくは、毎日ロザリオをいつも唱え続けるように。」

 この日に、全人類がかつて体験したこともない、未聞の大奇跡を7万人が見ています。フォルミゴン神父はルチアにこう質問しました。

「聖母は各地から多くの人々がここに来るようにとお望みになると言われたのですか。」

 ルチアはこう答えました。「いいえ、聖母は人々がそこに来るようにとは、誰にも命じられませんでした。」

 これが天のなさるやり方です。

 秘密については、幻視者たちはそれを明らかにする権限を与えられていません。彼らはこのことに関して全く口を閉ざしています。私たちは、天主様の時に、このメッセージの全容が公開され、これが一字一句実現するのを見てその重大さを知ることでしょう。

10誰にでもはっきりと分かる明確な印

 ファチマの牧童の慎ましさに関わらず、ファチマではこの御出現が真実のものであることを証明する全くはっきりとした印が与えられました。

 1917年10月13日には、7万人が太陽のダンスを目撃しています。一人残らず全員が目撃しました。当時、ポルトガルはフリーメーソンの政府によって全く牛耳られていました。フリーメーソンは報道機関を全て買い取っていました。ポルトガル共和国政府は、反聖職者主義、反カトリックを全面に押し出していました。政府は、ファチマへの巡礼が発展するのを全力を使って阻止しようとしていました。

 しかし、それにも拘わらず、いかなる報道機関にも、この奇跡が起こったことの事実を否定する記事は載りませんでした。また、太陽の奇跡を見なかったと主張する証人のリストが掲載されたことも、そのような話が載ったことも、一度もありませんでした。

 太陽の奇跡は確実に起こりました。それは誰も否定できません。この太陽のダンスは、天文学上の現象ではありませんでした。太陽は現実に踊ったわけではありませんでした。それは明らかです。この奇跡は、自然現象でもありませんでした。しかも、これは集団催眠でもありませんでした。幻覚、錯覚というのは必ず個人的現象であって、集団に発生するものでは決してありません。これについては、例えば、フランス語で1543ページからなるTraite des hallucinations, par H. Ey. Ed Masson, 1973という専門書が、集団幻覚と言うことがあり得ないと証言しています。ましてや7万人の集団錯覚というのは考えられません。

 これは、天主からのものです。天主だけがこの様な現象を引き起こすことが出来ます。しかし、この奇跡については既に7月のうちから預言されていました。聖母は約束の通り、約束の日に、約束の時間に、約束の大きな奇跡を起こされました。

 ルチアは、御出現の途中で突然叫びます。「太陽を見て!」前夜から朝までかけてひっきりなしに降り続いた雨はその時ぴたりとやみました。空には雲がなくなりました。人々は、それでも太陽をじっくりと凝視することが出来ました。

 火の車のように太陽は動き始めました。太陽は回りながら虹の全ての色を次々にとって、光を放ちました。しばらくたちますと、太陽は止まり、また回り始めました。太陽は3回踊り、突然群衆は叫び声をあげだしました。太陽は空から離れて、血のように真っ赤に染まって、地上に落ちてくるように見えたからです。火の固まりによって群衆は押しつぶされるようでした。全く恐ろしい瞬間でした。そして、太陽は元の位置に戻り、喜びがみなぎりました。人々は使徒信経(クレド)や、サルベ・レジナを歌い始めました。大群衆は、口々にこう言いました。「私たちは天主の印を見ました。私たちは天主の印を見た」と。

 これこそ、カトリック信仰の大勝利、天主の大勝利、聖母の汚れなき御心の大勝利の瞬間でした。

11幻視者の生活における超自然の実り

 これについては、シスター・ルチアの回顧録を読む必要があります。ここにヤシンタやフランシスコの聖徳が書かれています。彼らは聖徳の香りのうちに死んでいます。教会は近いうちにおそらく彼らを列聖することでしょう。

 シスター・ルチアについては、彼女の正直さ、彼女の慎ましさ、謙遜さが輝いているとだけ言いましょう。彼女は、天主のご計画が実現するためにいかなる犠牲を払うこともいといませんでした。

12信者の霊魂における超自然の実り

 ファチマはポルトガルの救いの曙でした。当時、一世紀以上にわたって、特に1910年の革命以来、聖マリアの地はフリーメーソンによって支配されていました。しかし、御出現の後、あからさまな迫害は止み、サラザールSalazarはあからさまなカトリック政府を作ることが出来ました。リスボンの総大司教であったチェレジェイラCerejeira枢機卿は、サラザールとともに、聖母がファチマの御出現によってポルトガルを救われたと公言するほどでした。

 ポルトガルの司教たちは、聖母のご要求に答えるという素晴らしい功徳を積みました。彼らは全員一致でポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献したのです。その後、聖マリアの地に、天からの祝福が雨あられと降りました。回心の奇跡。全国各地で、カトリック信仰の復興が起こりました。政治社会的刷新の奇跡。スペイン内乱中における平和、第二次世界大戦中の平和。ポルトガルは聖母によって奇跡的に保護され、守られました。

13メッセージ

 ファチマのメッセージは全くカトリック的です。

 1917年7月13日、聖母がされた第三回目の御出現の模様を、ルチアはこう書いています。

 「この光景は一瞬間しか続きませんでした。私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです。もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう。

 恐れのあまり、助けを求めるかのように私達は聖母に向かって目を上げました。聖母は優しく悲しそうにこう言いました。

『あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。・・・』」

 これが第一の秘密です。

 そして、第二の秘密が始まります。聖母は、汚れなき御心に対する信心を、世界の救いと、平和の条件の最終の手段として提示されます。

「もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。

 戦争は終わるでしょう。しかし、もし天主を侮辱することを止めないなら、ピオ11世の統治下で別の更にひどい戦争が起こるでしょう。

 あなたたちが、知らざる光によって照らされた夜を見るとき、天主がこの世をその罪のために戦争と飢饉、教会と教皇に対する迫害を使って罰を下そうという大いなる印を天主様があなたたちに下さっているのだと言うことを知りなさい。

 これを避けるために私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう。

 もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう。多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう。無くなってしまう国々もあるでしょう。」

 ここで第三の秘密が来ます。

「ポルトガルでは信仰のそのドグマが常に守られるでしょう。等々[ママ]」

 この部分は1943-44年に書かれ、1957年にはヴァチカンに運ばれています。ピオ12世はこのことを知っていたがこれを読もうとはしませんでした。ヨハネ23世はこれを読みました。内容は、もはや世界の平和のことでも原爆のことでもありません。教会に関することです。カトリック教会にとって一番重大なこと、すなわち、公会議前後から始まった信仰の喪失の危機に関わることです。

 ファチマの第三の秘密は、教会の牧者たちが信仰を失ってしまうこと、教会の指導者たちの罰、聖母と悪魔との決定的な戦いの告知、サタンの時が来たことの告知、最後の時の大離教の時が来たことの告知です。

 聖書に預言されていたとおり、特に黙示録の12-13章に書かれているとおり、ファチマの秘密の内容は、これに一致します。

 しかし、この「悪魔的な方針の間違い(diabolic desorientation)」が終わりますと、カトリック復興の素晴らしい時代が来ることでしょう。これは、無条件の約束です。

 「最後には、私の汚れ無き御心が勝利を収めるでしょう。教皇様は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう。」

「ファチマのメッセージは、呼びかけであり、希望であり、この黙示録的な時代における救いです。ファチマは諸国の希望になりました。」「丁度パレ・ル・モニアルがイエズスの聖心の信心のためにあったように、ファチマは、マリアの汚れなき御心の信心のためにあるでしょう。ファチマは、或る意味で、パレ・ル・モニアルの続き、いやむしろ、その結論です。ファチマは、天主が贖いのみ業において一つに結びつけた二つの聖心を、堅く結びつけるものです。」(Cardinal Cerejeira)

 そうです、ファチマは、聖カタリナ・ラブレーに伝えられた「汚れなき仲介者たる聖母」のことを想起させます。その意味で、リュ・ド・バックの御出現の続きでもあります。

 ファチマは、聖ルイ・マリ・グリニョン・ド・モンフォールと、聖マクシミリアノ・コルベによって伝えられたマリア論の確認です。「聖母マリアが全ての聖寵の仲介者である」という教えの確認なのです。


栄えの玄義黙想(2017年5月4日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)

2017年10月29日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは!

今日は聖伝の典礼暦によると王たるキリストの祝日でした。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、ソウルで聖伝のミサを捧げました。ミサの前に赤ちゃんが一人洗礼を受けました。ミサの直後には御聖体降福式を行いました。午後には終油の秘跡を行うために病者の訪問に参りました。

今年の秋田巡礼で、シュテーリン神父様が私たちに提案されたロザリオの栄えの玄義の黙想をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


栄えの玄義黙想(2017年5月4日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父


『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』

もしもファチマのメッセージ、あるいは秋田のマリア様のメッセージが涙と悲しみに満ちていたとしても、これがマリア様の最後の言葉ではありません。救い、喜び、幸福というものがなければ、マリア様は悲しみとか苦しみをもってお現れなる事はありませんでした。秋田のマリア様の御涙は、私たちを大きく招いている涙です。

私たちの涙は死をもたらすものですが悲しみだけですが、マリア様の涙は命を与えます。マリア様が私たちの心に入るのを私たちが許すならば、マリア様はすぐに私たちを連れて、悲しみから取り離して喜びへと導いて下さいます。

マリア様は私たちを連れて、カルワリオに連れて行ってくれます。マリア様は墓に葬られたイエズス様をお見せになり、私たちを連れて行きます。そして3日間そこに留まるようにお命じになります。マリア様がその御悲しみの最高潮にある時、聖土曜日の真っ只中で、暗闇にいる時に、イエズス様は復活の、栄光ある復活をなさいます。ですから涙と喜びとは、マリア様については密接にかかわっています。

聖金曜日は私たちに、「苦しみが多ければ多いほど、より多くの栄光が待っている」という事を教えています。

ここ秋田でマリア様は、両手を広げて、「ご覧なさい、私の涙を。ご覧なさい、教会の聖金曜日を。多くの全てが今苦しんでいるという事を。」聖金曜日のように全てはもうこれで終わってしまったかのように思われています。私は今、新しい別のドアを開けます。ここのドアからこの門から光が入ってきます、「私に留まり、私と共に苦しむなら、私と共に報いも受けるでしょう。終わりのない命を受けるでしょう。それはこの命とは、死からよみがえった私の御子です。」

私たちはマリア様の御元に馳せ寄りましょう。そしてマリア様に申し上げましょう、「マリア様、お母様、私にその光を下さい。」

『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』

マリア様は私たちに、「死の後に命がある、苦しみの後に喜びがある」という事のみならず、「苦しみの後に、天国が待っている」という事を教えようとしています。復活したイエズス様は弟子たちに、「見よ、私はお前たちの為に場所を準備しに行く。」

天国というのは、向こうの方から遠くの方から眺めているだけの何か蜃気楼のようなものだけではなく、私たちが永遠の楽しみを、永遠の命を受けるその事です。マリア様がそこに私たちを導いて下さいます。マリア様の汚れなき御心だけが、私たちをそこに導く道です。

イエズス様の教えははっきりしています。私たちはそこのその天国に、十字架なしにカルワリオを通らずに行く事はできません。愛をもった苦しみを経なければ行く事ができません。この天国は、マリア様の御涙に、御心を刺し貫く茨のおかげで開かれました。なぜなら救いの大事業において、第2のアダムであるイエズス様と共に第2のエヴァマリア様が、共に苦しみを捧げて下さったからです。

秋田のマリア様の御像は、十字架とマリア様がくっついています。十字架に付けられた新しいアダム、新しいエヴァです。新しいアダムが天国へ上げられると昇天し給うと、マリア様もその後をついて行きます。

「おぉイエズス様、マリア様、御身は私の為に全てそれをなさって下さいました。私は弱い、罪を犯す小さな子供ですが、どうぞ御身の腕で私を天国に引き寄せて引っ張って下さい。マリア様、どうぞ私をイエズス様の方に運んで下さい。私の小さな心は、御身の汚れなき御心とイエズス様の至聖なる聖心の間にあります。この2つの聖心は天国に今永遠におられます。もしもマリア様とイエズス様の聖心においてあるなら、私も何らかのやり方で天国にあると言えます。」

マリア様は、「その為には1つだけ条件がある」と言います。「その条件とは、あなたの眼差しをいつも私の方に向けていなさい。そして私と共にいたいという願いを持っていなさいという条件です。あなたを天国に行かせないようにしているのは罪ではありません、なぜなら私は、御子の赦しをあなたにもたらす為にやって来たからです。あなたを天国に行かせないように妨げているものは、あなたが、私がせっかく与えようとしているこの喜びと幸せを、無関心と冷淡な心で受け止めているからです。」

「おぉマリア様、我が母よ、私は御身が私の救いをそれほどまで望んでいる、そのお望みに応えたいと思います。天国で御身と共に永遠に一緒にいたい、という大きな望みをもって応えたいと思います。」


『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』

おぉインマクラータよ、御身は一体どなたですか?マリア様、御身は一体どなたなのでしょうか?

御身は聖アンナ、聖ヨアキムの娘です。天使が御告げを告げたその瞬間、御身は「はい」と答えました。その時から御身は天主の御母となりました。カルワリオの時から、御身は私たちの母となりました。

御身の最も偉大な特権とは何でしょうか?御身の一番深い玄義とは何でしょうか?御身が天使たちや聖人たちをはるかに勝って、偉大な大聖人とされたのは一体なぜでしょうか?

それは、天主が御身をイエズス様の御母とした、その選びにかかっています。御身を良き天主の御母と、ふさわしい者とする為に、イエズス様は御身の一番深みに入り、そして御身の存在すべてを変えられました。イエズス様のその功徳はあまりにも、その力はあまりにも強く、御身が原罪の汚れさえも免れる事をお望みになりました。永遠の天主の愛である聖霊が御身を守り、御身を保護されました。天主聖父と天主聖子は共に、聖霊を御身に与えようと望まれました。

天主聖父と聖子は、全世界に聖霊を送りたいと望みますが、しかしそれが送られるにふさわしい場所はたった1つしかありませんでした。それはマリア様、御身の汚れなき御心です。天使は御身の御心について言います、「聖寵充ち満てる御方、」御身は聖寵の充満であります。

御身は聖寵の充ち満ちと天主の充満を受けています。その天主の充満よりも更である天主が御身にはあります。天主・聖子・聖霊は御身に全く一致しているので、御身は聖霊の浄配となられました。御身は聖霊の充満をもって、そして御身の御心は聖霊の充満に充ち満ちておられます。

御身が話されると、それは聖霊が話されます。御身が私たちの心を動かす時に、それは聖霊が御身を通して私たちを動かすのです。聖霊は私たちの心の回心の全ての恵みをもたらしますけれども、それが働くのは、御身を通してだけ聖霊が働くのです。聖霊は聖化の実りを私たちに与えますけれども、しかし聖霊は御身を通してのみやって来ます。御身は非常に豊かで、そして偉大な私の御母であります。御身は永遠の命の御母です。

イエズス様は聖霊を御身に全く委ねました、与え尽くしました。ですからある意味で御身は、聖霊をご自分のお望みのままに動かす事ができます。御身がもしも小さな霊魂を見つけて、その霊魂が御身に開かれているのを知っているならば、それが分かるならば、御身は聖霊の全てのお恵みと賜物をその霊魂に与えるでしょう。

希望を失ったような人々が御身の元にやって来ると、必ず彼らは希望をもって帰ります。ですからこそ、罪人が御身の元にやって来ると、罪を赦されて帰って行きます。だからこそ、疑いで満たされた霊魂が御身の元にやって来ると、光に満たされて帰って行きます。
御身は全く汚れのない美しいものであります、“Tota pulchra es.”

私たち、汚い私たちが御身の元にやって来ると、御身は私たちをきれいにして返して下さる事ができます。


『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』

マリア様が被昇天をされたのは、私たちを天国へと連れて行く為であります。マリア様の汚れなき御心に対する信心を持っている人たちに、マリア様は凱旋を、大勝利を、天国への凱旋を約束しました。

私たちの人生の成功とは何でしょうか?それは、マリア様が私たちを全く聖化して、変えて下さる事です。マリア様が私たちをお望みのままに、私たちを変える事です。私たちの汚い手でも、それをマリア様に与える事ができる事です。もしもそうするならばマリア様は、私たちの手を取って、私たちを天の国へと運んで行く事ができます。

そこで御出現の所ではいつもよくある事ですけれども、秋田でもその通りですけれども、マリア様は両の手を広く開いて、私たちを招いています。天地の元后であるマリア様が私たちの元にやって来て、この謙遜な木造の御像の中にご自分を閉じこめておられます。なぜならマリア様は私たちを、今マリア様がいらっしゃる天の国に運びたい、私たちを連れて行きたい、という大きな望みがあるからです。

愛する母親の大きな望み、幸せというのは、愛する子供たちが幸せであるという事です。ですから私たちはマリア様に応えて、私たちの手をマリア様に差し伸べましょう。私たちがマリア様に手を差し伸べるのは、巡礼の時や、あるいは危機の時、あるいは重要な時においては簡単です。しかし私たちにとって苦しい時、試練が辛い事がある時に、マリア様の御元に手を差し伸べ続けているのは非常に大変です。私たちがそのマリア様から逃げてしまわないで、その代わりにマリア様の手を一生懸命ぎゅっと握りしめているお恵みを乞い求めましょう。

私たちがマリア様の手を握りしめて、マリア様と共にいなければならない2つの時があります。

それは「今」です。なぜなら今、私たちは生きているからです。多くの人々は誤解しています。マリア様に自分の手を与えたというのは過去の事である。しかしこの過去の事はもう終わってしまった事です。ある人はマリア様の手に自分の手を差し伸べる事を望みますけれども、それは未来の事です。しかし未来はまだ来ていません。しかし今現在、今この瞬間、私たちの考えはマリア様と共には一緒にいません。今私たちが考えているのは、自分の苦しみや、自分の悲しみや、自分の問題、抱えている問題、自分の感じている辛い事などです。マリア様の事ではありません。今私たちが考えているのは、携帯や、あるいはゴシップや、あるいは噂話や、あるいはその他世のニュースです。

「マリア様、御母よ、私は今、今この瞬間、私の全てを御身に委ね、御身の手を握っていたいと思います。そして御身のない今がないようにして下さい。私が一体どこにいようと、何をしようと、いつも私が今御身と共にいるようにして下さい。」

マリア様の手を握りしめていなければならない時は、また別の第2の時があります。それは「死の時」です。それは私の人生で一番恐るべき時です。死の瞬間というのは、悪魔の私たちの攻撃の時であります。

「マリア様、ですからどうぞ私をしてマリア様から遠ざける事がないように助けて下さい。特に臨終の時に、御身から離れる事がないように助けて下さい。マリア様、このあわれな罪人である私の為にお祈り下さい。今、そして臨終の時に、私の霊魂を御身と共に連れて下さるようにお祈り下さい。」


『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』

マリア様はファチマでも秋田でも、最も良い母として来られましたが、マリア様は母のみならず、元后でもあります。マリア様は地球の上に立たれます。これは「全ての人を支配している」という事のシンボルです。

「マリア様、御身の御像は謙遜に満ちておられますけれども、栄光にも満ちておられます。マリア様、私の霊魂は敵の攻撃の力強さに恐れています。霊魂を狙う敵は、私を永遠の破滅へと向かわそうと一生懸命やっています。しかし御身はそこに立ち止まって、尊厳をもって力強く立ち止まっておられます。御身こそ天と地の元后であります。御身はたった一人で、世界中の異端を滅ぼし尽くし給うた御方です。御身は御一人で、サタンの頭を踏み砕くという特権をいただきました。そして御身のたった1つの行為で、たった1つの言葉で、御身はサタンの頭を踏み砕くでしょう。」

「マリア様、御身は天から私たちをご覧になっています。私の眼をご覧になっています。御身は御手とそして御心を開いておられます。御身はこう私に語りかけます、『おぉ子よ、なぜ恐れているのですか、なぜ疑っているのですか、なぜ泣いているのですか。絶望する理由などありません。私と共にいるなら恐れる事などありません。私は天と地の元后ではありませんか。全世界の人々に対して御子イエズスが私に力を与えたのを知らないのですか。」

「御子イエズス・キリストと共に私と共に天国の王となって下さい。そして全ての悪に打ち勝って凱旋して下さい。」

「もしもあなたが私と共にいるなら、私は悪魔に命じます。そうするならば悪魔はあなたから離れなければなりません。子よ、私にお前の暗闇に光をもたらさせて下さい。そして決してこれを忘れてはいけません、最後に私の汚れなき御心は凱旋するでしょう。もしも私と共に留まるなら、永遠に凱旋するでしょう。」

聖なるロザリオの黙想【苦しみの玄義】-2016年5月4日秋田巡礼にて シュテーリン神父様
苦しみの玄義黙想(2016年5月4日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様) 同時通訳:小野田圭志神父『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するば......

聖なるロザリオの黙想【栄えの玄義】-2016年5月5日秋田巡礼にて フォルティン神父様、小野田神父
栄えの玄義黙想(2016年5月4日 秋田巡礼にて フォルティン神父様、小野田神父)同時通訳:小野田圭志神父『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙......

旧約時代は来るべき救い主イエズス・キリストを意味していた前兆だった。ルフェーブル大司教1979年10月28日の王たるキリストの祝日でのお説教

2017年10月28日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ルフェーブル大司教様は、1979年10月28日の王たるキリストの祝日でのお説教で、イエズス・キリストこそ私たちの真理であり法である、と言います。私たちは王たるキリストに知性も意志も従わせなければならない、と。



その中でルフェーブル大司教は、旧約時代、契約の櫃の中にあった十戒の石版は単なるイエズス・キリストの前表に過ぎなかった、しかし現在では私たちの御聖櫃においてはイエズス・キリストご自身がおられる、新約は旧約を遙かに勝っている、と教えています。

旧約の冷たい石版ではなく、新約では生けるイエズス・キリストご自身が法である、全てがそれによって創造された天主の御言葉ご自身が法である、イエズス・キリストこそ霊魂の、知性の、意志の法である、それのみならずイエズス・キリストは全自然の法である、大自然は、全被造物は、天主の法に従っている、だから私たちも自由にイエズス・キリストに従わなければならない、と。

ここで、私たちも旧約の様々な要素が、イエズス・キリストの前兆であったということを黙想してみます。旧約の全てがイエズス・キリストを意味していたので、私たちはここでそれを全て言い尽くすことはできません。

聖トマス・アクィナスの考察を以下に、ほんの一部だけを取り上げてみます。

キリストご自身が「甘美な香りのため天主に自分を捧げた」(エフェゾ5:2)という最も主要な犠牲を前兆するために旧約の全ての犠牲の理由がある。ちょうど不完全なものが完全なものを予告しているように。ヘブライ人への手紙10章11節には、旧約の
司祭の犠牲は罪を取ることができなかったが、キリストは一度で永久に罪のために犠牲を捧げたとある。

旧約には聖所と至聖所があった。聖所は旧約時代を意味していた。(ヘブレオ9:6~)何故なら、聖所には司祭が毎日入って犠牲の聖務を果たしていたから。しかしより内部にあった至聖所は、天国の栄光あるいは来たるべき新約の新法の状態を意味していた。大司祭が一年に一度だけ至聖所に入ることによって、後者の状態に私たちが導かれたことを意味した。聖所と至聖所を区別するベール(垂れ幕)は、旧約の犠牲の元に霊的な犠牲が隠されていたことを意味した。
このベールは4つの色で飾られていた。麻色:肉の貞潔を意味するため、赤紫色:天主のために聖人たちが耐えた苦しみ、二回染められた緋色:天主への愛と隣人への愛、青紫:天国の観想の印。
旧約時代には、一般民衆と司祭とは別の状況におかれていた。民衆は広場での肉的な動物の犠牲を見ていただけである。しかし司祭らは犠牲の内的な意味を考えていた。何故なら、司祭らはキリストの神秘をより明示的に知っていたからだ。そこで司祭たちは聖所に入ることができた。広場と聖所との間にはベールで区別されていた。何故なら、司祭たちには知られていたキリストの神秘に関しては民衆に隠されたものがあったからだ。だからといって全てが啓示されていたわけではない。(エフェゾ3:5)

「契約の櫃」はキリストを意味していた。契約の櫃がセティムの木を木材に作られたように、キリストの体も全くきよい肢体から成っていたからだ。契約の櫃が金で鍍金されていたようにキリストも金によって表される知恵と愛徳にあふれていた。契約の櫃の中には黄金の器--キリストの聖なる霊魂を意味する-- の中にマンナ-- 天主性の充満(コロサイ2:9) -- があった。櫃の中にはアアロンの杖もあった。キリストの司祭の権能を意味する。キリストは永遠の司祭である(ヘブレオ6:20)。また契約の石版もあり、キリストご自身が立法者であることを意味した。

燭台もキリストを意味した。キリストは「私はこの世の光である」(ヨハネ8:12)と言われたからだ。七つの枝の灯火は聖霊の七つの賜物を意味した。
パンをおく台もキリストを意味した。キリストは「生けるパンである」(ヨハネ6:41-51)と言われたからだ。12のパンは十二使徒を意味した。
燭台とパンの台は教会の教えと信仰を意味した。光を与え力づけるからだ。
燔祭の祭壇と香の祭壇との二つの祭壇はキリストを意味した。何故なら、全ての聖徳の業は私たちがキリストを通して天主に捧げなければならないからだ。燔祭の祭壇でなされていたように、私たちの肉体を苦しめるものも、香の祭壇で捧げられていたように監督への霊的な望みも、ともにキリストにおいて天主に捧げられなければならない。(ヘブライ13:15)

旧約には7つの主要な荘厳な典礼の祝日があり、一つの継続する祝日があった【民数28,29章】。
継続する一つの祝日とは、毎日朝と夕に子羊が捧げられていたから。この継続する祝日は天主の至福が絶えず継続することを意味していた。

7つの主要な荘厳な典礼の祝日のなかで、第1は、毎週繰り返された。これは「安息日」であり全宇宙の創造の業の記念として祝われた。
第2の荘厳な祝日は「新月」であり毎月祝われた。これは天主の統宰の業の記念として祝われた。満月ではなく新月に祝ったのは、満月に月に犠牲を捧げていた偶像崇拝者の礼拝を避けるためである。天主の創造と統宰の祝福は全人類に共通のものであり、頻繁に繰り返されて祝われた。
その他の5つの祝日らは一年に一度祝われた。特にユダヤ民族に与えられた恵みを記念するものだった。
第一の月に「過ぎ越し祭」があり、エジプトから解放された恵みを記念した。
その50日後に「五旬祭」があり、掟が与えられた恵みを記念した。
残りの3つの祝日らは第7の月に祝われ、第7日目を祝うように、ほとんどこの第7の月が3つの祝日で使われた。
第7の月の第1日目は「ラッパの祝日」で、イサアクの代わりとなる犠牲の牡羊が角が茂みに絡んで動けなくなっているのを見つけた記念を祝い、角をラッパにして鳴らし、次の10日目の祝日を守るように招いた。
第10日目は「償いの祝い」(キップルの日)であり、モーゼの祈りによってユダヤの民が牛を礼拝した罪を天主が赦し給うたことを記念する。
この後、月の15日目に幕屋祭(シェノペジア)があり七日間続いた。彼らが砂漠のなかを幕屋のうちに過ごした間、天主が彼らを導き保護し給うたことを記念する。この八日目には別の「集会の祭り」があり天主の礼拝に必要な費用を集めた。

これらの祝日らの前兆としての意味は、次の通り。
子羊が絶え間なく犠牲と捧げられていたのは、天主の子羊であるキリストが永久性ことを意味する。ヘブレオ13:8「イエズス・キリストは昨日も、今日も、代々に同じである」
安息日は、キリストによって与えられた霊的安息を意味した。(ヘブレオ第4章)

新月はキリストが初代教会を説教と奇跡で照らしたことを意味した。
五旬祭は、聖霊が使徒たちに降臨したことを意味した。
ラッパの祭は、使徒たちの宣教を意味した。
償いの祭は、キリスト者らが罪から浄められることを意味した。
幕屋祭は、 キリスト者らがこの世で徳に前進して歩き巡礼をしていることを意味した。集会の祭りは、天国の王国でキリスト者たちが集うことの前兆であった。従ってこの祭りは「最も聖なるもの」 (レビ 23:36)と言われている。
最後の三つの祝日は続けて行われたがそれは、罪の償いをした者たちは聖徳に進まねばならず、それは天主を至福直感で見るまでのことだからだ。このことは詩篇83:8に書かれている。

旧約の完成であり、天主が約束したメシア、イエズス・キリスト。
全人類の待望した真の救世主イエズス・キリスト。
私たちの贖い主にして、私たちの王なるイエズス・キリスト。

新約時代に生を受けた恵みを感謝し、イエズス・キリストに知性も意志も従えて生活することができますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2017年7月16日 聖霊降臨後第6主日 「私たちのキリスト教生活が一体何であるか、その核心とは何か」

2017年10月26日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年7月16日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年7月16日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ
小野田神父 説教


日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年7月16日、聖霊降臨後第6主日の御ミサをしております。このミサの直後に、司祭の退場の前に、ファチマのマリア様の意向に従って、この巡回教会一同、皆さん一同、この教会と信徒の方々と司祭、全てのお友達と隣人の方々と、その住んでおられる所の方を全て、マリア様の汚れなき御心に奉献したいと思っています。そしてその後で、そこの額の後ろにずっと保存して、マリア様の汚れなき御心にいつも守って下さるようにと思っています。

その後に退場をして、いつものように感謝のお祈りがあります。14時からは公教要理があって、聖書の続きがあります。ヘロデ大王やその後継者、或いはポンシオ・ピラトという男はどういう男だったのか、などという事を垣間見る事にします。16時からはいつものように晩課があります。

明日は海の日ですが祝日で、朝のミサの時間が10時30分となっています。10時30分から歌ミサがあって、聖母の汚れなき御心の随意ミサを捧げようと思っています。それから夕方の16時からは、築地教会から国会議事堂の方に向かう、日比谷公園まで3キロほどのマーチ・フォー・ライフというのがあり、それに参加しようと思っています。このマリア様と一緒に、私たちの祖国日本の為に、そして多く亡くなってしまっている多くの子供たちの為に、それがもう無くなりますように、また罪の償いの為に、罪人の回心の為に、イエズス様を愛する為に、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為に、 ファチマの精神で聖母行列を、私にとっては聖母行列ですけれども、聖母行列をしようと思っています。もしもできる方はいらして下さい。

8月は、8月6日第1主日に10時30分からミサがあります。



“Et nos in novitate vitae ambulemus.”
「私たちも、新しい命に於いて歩もう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日聖パウロの書簡で、非常に深い、「私たちのキリスト教生活が一体何であるか、一体その核心とは、その最も本質的なものは何であるか」という事が述べられます。

次に福音ではイエズス様は、一体その新しい福音の、パウロが言った生き方というのはどのようであるか、という事を実践しようとされます。

そこで私たちも、このミサの順序に従って、聖パウロの言っている神学、私たちのキリスト教生活とは一体何か、という事を見て、

次に、イエズス様のではなさった事を、どのような事をなさったのかを見て、

最後に、私たちも、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

聖パウロは言います、「私たちは洗礼を受ける事によって、キリストの神秘体の中に入った、その一員となった。そのキリストという木に接木された。でもそれはちょうど、私たちがキリストの死に於いて洗礼を受けたのだ。ちょうど洗礼で水の中に浸るように、私たちもキリストと共に墓に葬られたのだ。洗礼を受けるというのは、キリストと共に罪に死んで、キリスト共に墓に葬られた事だ。しかし、」話を続けます、「キリストの死に倣ったように、同じく復活にも倣う者となった。私たちの古い人は十字架に付けられたけれども、罪の体は十字架に付けられて死んだけれども、しかし私たちはキリストと共に生きている。新しい人を生きている。キリストを着て生きている。罪に死んで、天主の為に生きている。“Vivit Deo,mortuos et peccato.”天主の為に生き、私たちは生き、罪に死んだ者である。」

そこで聖パウロは言うのです、「キリストが、聖父の栄光を通して死から復活したように、私たちも新しい命を歩もう」と。

私たちの歩む命というのは、「天主の為に生きる」という事であり、「罪に死ぬ」という事です。

では福音ではイエズス様は、どのような形で「天主に生きる」という事を表わされたでしょうか?

そのイエズス様の言葉を、もしも今日の福音の中から一言取るというと、それは「“Miserereor super turbam.”この群衆を、私は憐れむ。」

イエズス様の「憐れみ」という事こそ、イエズス様の御生涯でした。イエズス様は私たちを憐れむが為に、罪から救おうとするが為に人となられ、そして御自分の命を私たちに与えられようとされました。イエズス様は確かに、私たちの超自然の命の為に人となられ、苦しみを受けられました。私たちにとって最も大切なのは永遠の命であって、その為にこそ天主は人となりました。

ところがイエズス様の御生涯を見ると、その私たちに対する御関心と憐れみというのは、更に超自然の命を超えて、更にある事が分かります。

それはとどのつまりは、超自然の命の為のものだったのですけれども、イエズス様が公生活を始める時に、最初に水をワインに変えられました。何故かというと、宴会でワインが足りなかったからです。天主の御一人子が人となって、ものすごい大奇跡、人となる事までして最初の奇跡が、宴会に足りなかったワインを増やす、水をワインにする事でした。

今日の奇跡は、「イエズス様の御言葉を聞きたい」として、遠くからはるばる3日間、御言葉を聞こうと集まって来た4000人以上の人々を、7つのパンで養った、7つのパンと少しの魚でその人々を、食べ物でパンで満たした、パンの増加の奇跡をしたという事です。超自然の命のみならず、自然の善さえも心を砕いて下さるという事が分かります。

イエズス様は更にこうも言います、例えで、「最後の審判の日にはこうなるだろう」と。「義人にはこう言われるだろう、『私が飢えていた時には食べさせ、お前は私が渇いていた時に飲ませ、旅に出た時には宿を与え、裸でいた時には服をくれ、病気でいた時は看病してくれ、牢にいた時には見舞ってくれた。』」「え!?一体、私が一体、いつあなたがそんな時にそうしたでしょうか?」と言うと、「最も小さな者にした事は、私にした事だ」とイエズス様は仰いました。「だからお前たちは、永遠の祝福に入れ」と、「永遠の昔から聖父によって準備された、その喜びの中に入れ」と言われます。

「最も小さな者にした事は、たとえそれが服であれ、それが看病であれ、訪問であれ、水を与える事であれ、それは私にした事だ」と言われるのです。

イエズス様は更にこうも言いました、「お前たちがして欲しいと思う事を、お前も隣人になせ。」

私たちは一体どのような事をしてもらいたいと思うでしょうか?もちろん、私たちは大切に思われ、私たちが尊重され、私たちが安全で、平穏に、喜びの内に生きるという事を、平和の内に生きるという事を、他人からしてもらいたいと思いますが、やはり私たちも「そのようにせよ」と言います。

イエズス様は最後に、今までの与えた自然の奇跡、病人を治したり、或いは死人をよみがえらせたりなどしたその後に、究極的な超自然の奇跡を与えます。それはパンを御自分の御体に変える事であり、ワインを御自分の御血に変える事であり、そして御自分自身が復活をして、信仰の恵みを与える事でした。罪の赦しを与える事でした。聖霊降臨のお恵みを与える事でした。

そしてイエズス様は最後に、亡くなられる前に、こう私たちに新しい掟を命じられました、「私はお前たちに模範を示した。私のしたようにお前たちもせよ。私がお前たちを愛したように、お前たちも互いに愛し合え。」

イエズス様が私たちを愛されたように、私たちも隣人を愛さなければならない。それのご要求はどれほど大きなものでしょうか。

イエズス様がいつも私たちを憐れみ給うて、超自然の、そして自然の善を施そうとして下さったものに、私たちも倣わなければならない。これが罪に死に、天主に生きるという新しい道の歩み方です。新しい命の歩み方です

罪は、「私たちの快楽や、私たちの都合や、自分の利益の為に、天主も掟も無い」という生き方をしますけれども、しかしイエズス様は私たちに、救霊の為に、隣人の為に、友人の為に、自分の命を与えるという、苦しみを受けるという、御受難を選びました。

罪は、「たとえ罪のない人であっても弱い者をいじめて、自分が得をすれば良い」と言いますけれども、しかしイエズス様は、罪人を救う為に、御自分がその苦しみを、償いを、御自分の身に負われました。

罪は、「邪魔者は殺せ。」ちょうどヘロデのように、「邪魔者は消せ」と言うかもしれませんが、しかしイエズス様は、「 友人の為に命を与えるほど大きな愛はない。互いに愛し合え」と言われます。

イエズス様はそれだけではありませんでした。私たちが裸でいるのを見て、何とかその永遠の地獄の火から守ろうと、マリア様を送って下さいました。例えば今日、実はカルメル山のマリア様のスカプラリオの記念日です。ファチマでは子供たちを通して、全人類を訪問して、そして私たちが永遠の地獄の火に落ちないように警告して下さいました、「多くの人々が地獄に落ちている。何故ならば、祈り、犠牲を捧げる人がいないからだ。」

ではイエズス様のその憐れみの生き方を見て、私たちはどのような決心を取らなければならないでしょうか?

私たちも聖パウロの言葉に従って、イエズス様の教えた新しい命を歩む事に致しましょう。それは「霊魂の救い」という道です。永遠の命の為の道のりです。

その私たちがその道を上手く歩む為にも、マリア様が送られました。7月13日、マリア様はこう言われました、「何度もこの祈りを唱えなさい。特に犠牲を捧げる時にはこう言いなさい、『これはイエズス様を愛する為、罪人の回心の為、またマリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。』」と。

ですから私たちも、この新しいイエズス様の道に従って、この道を歩む事に致しましょう。マリア様の声に従って、私たちの人生はこの3つの意向で生きる事に致しましょう。

「イエズス・キリストを愛する為」
「罪人たちの回心の為」
また、「聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為」

そう私たちの人生が全てその意向の為に捧げられる時、多くの霊魂が救われます、永遠の命に救われます。そして私たちは、最も小さな者に罪人たちの回心の為に、多くの善を為す事になります。その時に私たちは、イエズス様と同じ事を言う事ができます、「彼らを憐れむ。」「イエズス様、どうぞ多くの霊魂を救って下さい。彼らに御身の永遠の命を、そして永遠の命のパンを与えて下さい。」

今日、聖霊降臨後第6主日の内にこの決心を立てて、ミサを捧げ続けていく事に致しましょう。

“Et nos in novitate vitae ambulemus.”
「私たちも、新しい命に於いて歩もう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2017年6月18日(主) 御聖体の荘厳祭の説教 「三位一体の天主の無限の愛による大発明」

2017年10月25日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年6月18日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年6月18日(主日)聖霊降臨後第2主日のミサ 御聖体の荘厳祭
小野田神父 説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年6月18日、聖霊降臨後第2主日、御聖体の荘厳祭をしております。

今日のこの御ミサの直後には、御聖体降福式があります。本来ならばもしも事情が許すならば、イエズス様、王の王であるイエズス様を、教会の典礼に従って公道を練り歩いて、そしてイエズス様に花びらを撒いて、そしていくつかの仮祭壇において、この街々の角々を祝福して頂くように、イエズス様に道を歩いて頂きたいと、東京の道を歩いて頂きたいと思うのですけれども、まだその事情が許さないでおります。

そこで今回は御聖体降福式のみを致します。どうぞこのミサの直後に続きますので、司祭の退場までお帰りにならずに、どうぞそれも与って下さい。

今日の14時30分頃から公教要理の続きがあります。それは聖書の地理的な、或いはそして歴史的な背景についてお話をしたいと思っています。16時からは主日の晩課があります。晩課は聖霊降臨後第2主日の晩課です。明日は7時から、朝の7時からミサがあります。

7月は、7月2日の主日と18日の主日、そして海の日にもミサがあります。海の日には特別に午前中の10時30分、主日の同じ時間帯でミサをしたいと思っております。特にその日には随意ミサを、聖母の汚れなき御心に捧げられた随意ミサを行いたいと思っています。
そしてその後で午後には、公教要理の代わりに講演会を、命の大切さについての講演会を開いて、そして16時から17時、或いは17時半位まで聖母行列を行いたいと思っております。それはマーチ・フォー・ライフのマーチにマリア様をお連れして、マリア様にぜひ日本の主要の一番大切な東京駅の所から、皇居の前から国会議事堂の方へとマリア様に歩いて頂いて、そして日本の国を祝福して下さって、日本の平和の為に是非、マリア様にお願いをしたいと思っています。そこでできれば多くの方々が参加して下さると、マリア様もきっと喜ぶと思います。どうぞお時間を作って下さって、参加をお願い致します。



「私の体は真の食べ物であり、私の血は真の飲み物である。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は日本の典礼に従って、習慣に従って、御聖体の祝日の荘厳祭を祝っています。

本来ならば、世界中でもどこでもこの主日に荘厳祭を祝う事ができるのですけれども、その条件が1つあります。1つは、「必ず聖体行列をするならば、この御ミサをする事ができる」となります。しかし「日本の場合は特別に、たとえ聖体行列をしなくても、この荘厳祭を祝う事ができる」となっています。そこで私たちはこれを利用して、これに感謝して、この特に御聖体への讃美の為に、今日この主日を使いたいと思っています。そこで皆さんに、この御聖体の神秘の黙想の中に入るように招きたいと思います。

一体何で今日、今頃、聖霊降臨が終わって、その後で三位一体の主日があって、それからその直後の木曜日に御聖体の祝日があって、今度のすぐ来たる金曜日は聖心の祝日だ。何で三位一体・御聖体・聖心などと立て続けにそんなに一級大祝日だとかがあるのだろうか?一体御聖体というのはどんな位置付けがあるのだろうか?という事を黙想して、そのそこから、教会はイエズス様の御聖体に対してどのような思いを持っているか、という事を黙想しましょう。

そしてその後、当然私たちが持つべき、教会と同じ心を持つべき態度を取らなければならないと感じますけれども、では一体私たちがそのような態度を取っているかどうか、というのを見る事にします。

最後には、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。3つのポイントを黙想する事に致しましょう。

では一体何で、今頃、御聖体の祝日を祝うのか?そもそも御聖体というのは聖木曜日に制定されたのだから、聖木曜日に祝うので良いんじゃないか?

はい。もっともな意見であって、聖木曜日に教会は最後の晩餐のミサを行ないます。しかし教会はその翌日に控えている聖金曜日、イエズス様の御受難にあまりにも心を捉えられているので、喜びを表す事が十分にできませんでした。そこで特にウルバノ4世教皇様が聖トマス・アクィナスに命じて、1264年、「新しく聖体の祝日を制定するので、新しい聖務日課と典礼とミサを作るように」と命じました。そして今日、その以後祝われて、同じミサをしています。

何故かというと、イエズス様の御来臨を待ち望む4千年を記念する「待降節」、イエズス様が私たちの為にお生まれになった御降誕を記念する「クリスマス」、また3人の博士が東の国から真の王、真の救い主、真の天主として礼拝した「御公現」、或いはイエズス様の御受難を記念して私たちも一緒に苦行を捧げる「四旬節」、それから「聖週間」、イエズス様の復活と勝利を祝う「復活節」、或いは「御昇天」、そして「聖霊降臨」というのは私たちの贖いの、イエズス様の贖いの歴史の一環として記念してきたものでした。

しかしその背後にあったのは、そこの贖いの業を完成したのが、その主導権を持ってそれを為したのが三位一体の天主、この世を創造した、創り、私たちに命を与えて、超自然の命へと招き、遂にはそこに辿り着かなければならない「三位一体の天主」という事を最終的に、贖いの業を飾る王冠として教会は祝いました。

そして更に、その贖いの元となった三位一体、そして究極点である三位一体が、私たちの地上に残した最高の宝物、御恵み、プレゼント、贈り物、世の終わりまで続くこの贈り物「御聖体」について、特別の喜びを以って、感謝を以って、讃美を以って祝うように、と教会を招きました。
そして御聖体という、私たちの目にはパンの形しか見えないその背後には、イエズス様の愛があった、という事を私たちに思い出させる為に、目に見える形としてのイエズス様の「聖心」、心臓の神性の宿るイエズス様の御心臓を聖心を私たちが讃美するように、愛の愛熱の炎である、竈であるこの聖心を讃美するように、という三位一体・御聖体・イエズス様の聖心という3つを、教会が立て続けに祝う事を望んでいるのです。

イエズス様はまさに、この御聖体の秘跡によって、私たちに究極の贈り物をプレゼントされました。

イエズス様がまず御生まれになる事によって、私たちと共に「生涯の伴侶」としてあろうとされました。

イエズス様が弟子たちと一緒に食事をされる事によって、伴侶のみならず、「食料」として「糧」として留まろうと思われました。何故かというと、それはイエズス様が十字架の上で亡くなったというその記念が永遠に残る為です。

何故かというと、御聖体と御血が分離して聖別されるという事はつまり、イエズス様の犠牲が屠りが完成されているという状態を秘跡的に示すからです。「贖いの値」として私たちに与えられました。

それのみならず、究極の三位一体の天主の永遠の命を、無限の幸せを、終わりのない命を私たちに与えるという「保証」として、「もしも私の体を食べるなら、永遠に生きる」という嘘のない約束をして、御自分の体を渡されました。

ですから私たちは「生涯の伴侶」と、「霊的な食糧」と、「贖いの代償」と、また「永遠の報償」とを同時に、御聖体の内に持っている事になります。この事を見ると、イエズス様は私たちにただ単に、私たちの善をのみ、私たちに与える事のみを、私たちを愛する事のみを望んでいる、という事が分かります。

この御聖体の秘跡は、こうやってただ、「あ、」と思い付いた事ではありませんでした。永遠の昔から三位一体が考えて、考え続けた愛の大傑作でした。

旧約の聖書の中にこの前表が残っています、たくさんあります。過越の子羊とか、天から降ってイスラエルの人々を養ったマンナとか、或いはエリゼオの為に灰の中で焼かれたパンとか、或いはメルキセデクが捧げたパンとブドウ酒、或いはモーゼが打った岩から出てきた水と蜜などです。

まさに私たちの天主は、永遠の昔から、私たちをどのようにして養おうかと考えました。ちょうど一生懸命働いて、日常の糧を稼いでくる家父のようです。額に汗し、労働して、食料を子供たちに与えるお父さんのようです。しかしイエズス様は、どこかの食糧を買って来てではなく、自分の体を糧として、子供たちに私たちに与えようと思いました。

それを見ると、ちょうど白い乳で子供を養う母親のようです。赤子を養う母親のようです。「イエズス様は、」これは幼きイエズスの聖テレジアの表現ですけれども、「私たち幼子を養う母のようだ。白い御聖体は乳のようだ。イエズス様の御血は本当に私たちを養う乳のようだ」と。母よりも更に母親らしいイエズス様の愛。それによって私たちは、「イエズス様の血を御体を受けて、イエズス様と一つになろう」と招かれています。

ユダヤ人たちは血筋にこだわっていました、「ユダヤの血筋はアブラハムの子孫だ。」イエズス様は血筋にはよるのではなく、天主の御旨によって、御自分の御血を私たちの中に流そうとされました。これこそ天主の血統の家族です。何と高貴な身分に招かれている事でしょうか。何という計り知れない贈り物でしょうか。何と寛大な天主様からの御配慮でしょうか。どれほど高い高貴な位に私たちは上げられた事でしょうか。

天主にそんなにも近く、そんなにも親しく親密に一つとなる事ができるほど招かれたとは、他のどこの宗教を探しても、このような宗教はありません。真の宗教であるからこそ、これほど大胆な事を考え付く事ができました。天主はこの事を思い付きました。これによって私たちの為に、どれほど愛されているかという事を示そうとされました。何故かというと、私たちが天主の愛に、愛で応える事ができるようにする為です。

もしも天主様がイエズス様が、私たちの人性を人間の本性を取って人間となったならば、それは私たちに天主の本性を与える為でした。私たちが天主のように永遠に幸せに、永遠に生きる為でした。もしもイエズス様が人間になったのならば、私たちがいわば天主のように生きる為でした。もしもイエズス様が人間の体を取ったならば、私たちにそれを与える為でした、いけにえとして十字架の上に私たちの名前によって屠られて、そして私たちに食される為でした。もしも私たちと同じ血を、御自分の中に流そうとお望みになったならば、それは私たちの罪の贖いの血としてそれを流し、遂には私たちの体の中に、天主の御血を入れる為でした。

何という神秘的な交換をイエズス様は考えて下さった事でしょうか。この特別のプレゼントを前に、天主が私たちの為に食べ物となるというその驚異の前に、単に人間本性を聖化したのみならず、大自然さえも聖化して下さった、このパンとブドウ酒さえも聖化して下さったというこの驚異の前に、その大きな愛を前に、私たちはただ単に、讃美と、感謝と、その天主の愛に対する礼拝をしても、し尽くされません。教会が、「聖木曜日では足りない。特別の祝日をどうしても作らなければならない」と思った理由が、痛いほどよく分かります。

イエズス様は御聖体の外見の内に、その見かけの内に私たちと共に永遠に留まります。教会はこれを「全実体変化」と言います。これは特別に作られた、御聖体の為に特別に作られた用語です。「実体」というのは、「これは何か」という事を表す為の哲学用語なのです。偶有とか、或いは付帯性とか、或いはアクシデントというのは、「たまたまそうだ」という事です。日本人であるとか、或いはピアノが上手いとか、或いは背が高いとか、或いは体重はどうだ等というのは、たまたまある事です。しかし「それが何か」である事は一つです。「人間だ」という事です。

全実体変化というのは、「これは何か」と言った時に、「もうこれはパンではない。パンではなくて、イエズス・キリストの御体だ」とどうしても言わなければならない、「実体が変わる」という事です。ただ見かけとか、外見とか、色とか、重さとか、というアクシデントがそのまま残るけれども、実体が変わっている。「実体変化」において、私たちの元に御聖体は留まります。

どうぞこの聖トマス・アクィナスが作った素晴らしい続誦の歌詞を一つ一つ黙想なさって下さい。イエズス様を、「真のイエズス・キリストの御体」という信仰から滲み出るこの詞の美しさ、その内容の深さには、本当に感嘆するばかりです。イエズス・キリストの御聖体の神秘を素晴らしく、美しく、完璧に表現してあります。

「イエズス・キリストを受けるのは、私たちが成聖の状態でなければならない。」
「一人で受けるのも、千人で受けるのも、同じ効果である。」
「たとえこのホスチアが二つに分かれたとしても、この部分には、完壁なイエズス様が残っている。イエズス様が割かれるのではない」等々。

このような神秘を前に、教会はただただ讃美と感謝で胸がいっぱいで、私たちをそれに招いています。

ではそのような教会の心を以って私たちは、「イエズス様の御聖体を、日々讃美しなければならない」と招かれているのですけれども、実際はどうなのでしょうか?

残念ながら、イエズス様の御聖体は愛されていません。信じられていません。無関心と、冷淡と、冷たい態度で扱われています。もっと言ってしまうと、足蹴にもされています。

「イエズス様の御聖体を御聖体として、真の天主の御体として跪いて礼拝して、御聖体拝領したい」という人々は却って、実はいじめられています。「イエズス様の御聖体を大切にしたい」という事はますます蔑ろにされています。

立って、手で、聖体拝領をしたり、あたかも普通のパンであるかのように、司祭ではない人々が御聖体を配ったり、或いは御聖体を単なる普通のパンに過ぎないかのように、今取り扱われております。

もしもプロテスタントの人々が、「聖体を信じない」などと言っているのならば、私たちは悲しみますけれども、しかし同じカトリックの人々の中でもそのような事があるとしたら、私たちの心はもっと傷付きます。

私たちはでは、どのような態度を取ったら良いのでしょうか?遷善の決心を立てる事に致しましょう。

私はぜひ皆さんに今日、御聖体を、讃美と感謝と罪の償いの為に聖体拝領なさるように、このミサで御聖体拝領して下さるように乞い求めたいと思います。この前も申し上げましたけれども、ファチマの天使が送られました、「人々の罪によって恐ろしくも“horribly”、恐ろしくも冒瀆されているイエズス・キリストの御体を受けなさい」と言って、子供たちは神秘的な聖体拝領をしました。同じ意向をもってどうぞ聖体拝領をなさって下さい。そして聖体拝領をした後で、イエズス様を愛し、礼拝し、希望し、お愛し申し上げて下さい。そしてイエズス様を信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の為に、罪の赦しを乞い求めて下さい。

ファチマの天使の祈りを唱えて下さい。三位一体を深く礼拝して、世界中の御聖櫃の内に在し給うイエズス様を捧げて下さい。それからイエズス様の至聖なる聖心の功徳によって、無限の功徳によって、あわれな罪人の回心を乞い求めて下さい。これがファチマの精神です。

この3つの祈りを見ると、「あれ?どこかでで聞いた事がある。教会の典礼と同じだ。三位一体の祝日・聖体の祝日・イエズス様の聖心。」まさにその通りです。

二人の子供たち、聖ジャシンタと聖フランシスコは見なかったのですけれども、今から88年前に、6月にルチアは見ました。三位一体の荘厳なビジョンが、トゥイという所で現れました。ルチアは修道女になって、特に御聖体に対する愛を示そうと、聖時間を毎週木曜日の夜中の23時から夜中の0時まで、金曜日まで1時間、許可をもらって聖堂の中で一人で御聖櫃の前で礼拝していました。

6月13日、1929年6月13日、いきなり、真っ暗で聖体ランプしか灯していなかった教会が皓然と輝いて、光に輝く十字架が見えたのです。その十字架の上には一人の人の影が腰から上まで見えました、聖父の姿でした。その聖父の胸の辺りにハトのような形が見えて、聖霊が現われました。十字架の上には聖子が掛かっていました。三位一体が現れたのです。

その直後に、イエズス様の聖心から御血が流れて、その宙に浮いた御聖体にその御血がかかっていったのです。その御血がかかった御聖体から御血がタラタラと滴り落ちて、その下にあったカリスに落ちていました。御聖体の神秘でした。

その次に、イエズス様の聖心の代わりにマリア様の御心がありました。マリア様が、この額縁のマリア様のように、ファチマのマリア様が出てきて、ご自分の御心を取って、そしてその全てのお恵みを自分の御心から、ルチアに光で与えていたのです。

このビジョンを以って、「イエズス様の聖心とマリア様の御心が一つである」という事を知らせようとしました。どうぞ今日このビジョンを思いながら、イエズス様の御聖体を礼拝なさって下さい。

そして最後に提案したいのは、イエズス様から与えられた特別の賜物があります。御聖体の秘跡、そしてマリア様の汚れなき御心、また私たちの人間の命。特に目では見えないような人間である、お母さんのお腹の中にある赤ちゃん。この命のお恵みが人工妊娠中絶、つまり堕胎によって今、酷く嘆かわしい方法で扱われています。ですからその罪の償いをしたいと思って下さい。その罪の償いをする為に、どうぞ私たちの日常の生活の苦しみや、祈りを捧げて下さい。

昨日計算してみました。2015年だけの統計を見ると、3分に一人の日本の赤ちゃんが亡くなっているという事は知っていましたけれども、1948年の7月13日から2015年までの統計を計算すると、どうも1分間に一人の赤ちゃんが亡くなっていたと計算されます。夜も、昼も、絶え間なく。その罪の償いを私たちが祈りと犠牲を以ってお捧げしなければならないのではないか。今日のこの御聖体をもその意向でお捧げ下さい。

「私の体は真の食べ物であり、私の血は真の飲み物である。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2017年7月14日 教会博士証聖者司教聖ボナヴェントゥーラの祝日 「聖ボナヴェントゥーラの伝えようとしたこと」

2017年10月24日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年7月14日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年7月14日(金)教会博士証聖者司教聖ボナヴェントゥーラのミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年7月14日、聖ボナヴェントゥーラ司教教会博士証聖者の祝日です。
今日この御ミサの後には、ミサの後の感謝の祈りの後に、いつものように終課を唱える事に致しましょう。

12月ですが、12月は第2主日からミサがいつものように、レネー神父様がミサにいらして下さいます。初金・初土もいつものようにあります。予定通り第2主日にもミサがあります。レネー神父様が来て下さいます。
その後には毎日、レネー神父様が、平日には夕方の18時から、それから土曜・日曜には10時30分から、クリスマスまでミサを捧げて下さる事になりました。どうぞ皆さんいらして下さい。



「私が律法を廃止する為に来たと思うな。廃止する為ではなく、完成する為に来た。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖ボナヴェントゥーラの祝日です。そこで聖ボナヴェントゥーラという方が一体どういう方だったのか?いつ生きていて、一体どんな生涯を送ったのか?という事を概観する事にします。

第2に、ボナヴェントゥーラの時代に一番の問題点は何だったのか?そこで、そのボナヴェントゥーラはどのようにそれを解決したのか?聖ボナヴェントゥーラの教えというのは一体何だったのか?という事を次に黙想して、

最後に、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。

聖ボナヴェントゥーラは、イタリアのバニョレアという町に生まれました。詳しい生まれた年代はよく正確には分からないのですけれども、学者の研究によれば、今からちょうど800年前の1217年の事でした。そして1274年の7月14日に、今日、リヨンで亡くなりました。

お父さんはお医者さんでした。非常に有名な、頭が良い、技術の高いお父さんで、ジョヴァンニ・デ・フィデンツァという名前で生まれました。ところが子供の頃、これは聖ボナヴェントゥーラ自身が語るのですけれども、子供の頃、もうとても重大な病にかかり、その当時の名医であったお父さんでさえも、その子供をどうしても治療する事ができず、全てを尽くしてみても、もうこの子の死を待つしかありませんでした。医者も匙を投げた、お父さんでさえも匙を投げたのですが、お母さんは違いました。

そのつい最近、そのちょうどしばらくちょっと前に列聖されたアシジの聖フランシスコの、その名声高い聖人にお母さんはお願いしました、「もしも子供のジョバンニを治してくれたら、私はこの子をあなたの為に捧げます、天主に捧げます、あなたの修道会に捧げます。」お母さんのお祈りの後に、その子は奇跡的に治りました。

その後にジョヴァンニ・デ・フィデンツァは、非常に優秀で頭の良い子だったので、特にその時有名だったパリで勉強します。パリの大学に行って勉強をし、そして非常に優秀な成績を収めて、その特ににパリでも一番学識のあったアレクサンダー・デ・ハレスという先生の元に付いて、聖書や神学、哲学の知識をますます深めていきました。そしてパリの大学で教える資格も取り、学生たちから非常に高い人気をもって、多くの人気を保っていました。

しかしこのボナヴェントゥーラのその素晴らしさは、単に学識が深かったのみならず、その生活が清らかであり、罪のない生活、謙遜、甘美であって、この地上のものを非常に軽んじて、天国の事を深く思っていました。

ジョバンニもパリで勉強している内に、ちょうどパリについ最近来た、フランシスコ会の修道者たちの生活に興味を持ち、そして自分もアシジの聖フランシコの取り次ぎによって奇跡的に治ったという事もあり、ついにフランシスコ会の門を叩いて、自分の一生を聖フランシスコの兄弟会、最も小さき会の兄弟会に入会して、そして修道院に入る事を決定します。

既にその当時パリにいた時代からその親友であった聖トマス・アクィナスからは、「聖人だ」と言われていました。完徳のモデルであり、模範であって、天の事を深く思っていました。いつも主に対する愛に燃えていたので、特にボナヴェントゥーラは、イエズス様の御受難を黙想したり、或いはマリア様に身を全く捧げて、マリア様の事をいつも考えていました。それのみならず、このイエズス様への御受難とマリア様への愛を他の人にも伝えようと、言葉や書き物や、或いは模範で、その信心を伝えようとしていました。

こうやって36歳になると、全会員の一致をもって、フランシスコ会の偉い人たちの投票で、フランシスコ会の総長として選ばれます。その当時、フランシスコ会には世界中に3万名の会員がいました。もちろんヨーロッパにはいましたけれども、中東や北アフリカや北京にも、その当時フランシスコ会がいました。その世界に広がるフランシスコ会をうまく統治するというのは、非常に知恵と、聖徳と、愛が必要でした。聖ボナヴェントゥーラは17年の間、総長として非常に立派に統治しました。

聖グレゴリオ十世によって第二リヨン公会議というものが開かれて、特に「ギリシャ離教の人たちをカトリックに帰一するように」という事でその公会議が開かれたのですけれども、その時の公会議の教父として、聖ボナヴェントゥーラが選ばれました。そこでアルバノという所の司教、そして同時に枢機卿として任命されて、「公会議に参加するように。準備して参加するように」命じられました。

公会議では非常に立派な仕事をして、多くの成果を収めました。しかし残念ながら天主様によって、公会議のその最中だったのですが、57歳にして、1274年にリヨンで霊魂を天主にお返しになりました。その時にちょうど、やはり同じく教皇様によって「公会議に参加するように」とリヨンへと旅立った聖トマス・アクィナスも、やはり同じ年に同じ所で亡くなっています。

今この二人の、この二人はたとえ修道会が違ったとしても、一人はフランシスコ会、一人はドミニコ会ですけれども、カトリック教会を代表する教会博士として、この13世紀を照らす、また現代を照らす光として輝いています。

特に聖ボナヴェントゥーラは、アシジの聖フランシスコの生涯について非常に関心を持ち、その伝記を書きました。聖トマス・アクィナスがその事を知ると、「聖人が、他の聖人の伝記を書くのを書くままにさせるのが一番良い。聖人の伝記は、聖人が書くのが一番良い」と言っていました。

公会議で、公会議の最中だったのですけれども聖ボナヴェントゥーラが亡くなると、その公会議の記録をしていた記録係の人が、「偉大な、天主と人から愛された偉大な聖人が亡くなった」と私たちに記録を残しています。

或いは聖ボナヴェントゥーラを知っている人たちは、「聖ボナヴェントゥーラよりももっと美しく、より学識が深く、より聖なる人はいなかった」と書いているほどです。

では聖ボナヴェントゥーラは一体何を、どんな事を、おもに私たちにその教えとして伝えようとしたのでしょうか?

聖ボナヴェントゥーラは特に、アシジの聖フランシスコを通して、その「聖フランシスコが第2のキリストである、キリストを真似る者である。だから私たちもアシジの聖フランシスコのように、キリストに真似なければならない。キリストの生涯を私たちの生涯としなければならない。これこそが私たちの理想である。キリストの弟子たちの理想である」という事を教えました。

聖ボナヴェントゥーラの書いたアシジの聖フランシスコ伝というのは、最も重要な文献になっていますけれども、読むべき伝記の文献となりましたけれども、聖ボナヴェントゥーラは特に、キリストを真似るアシジの聖フランシスコを見ていました。実はこれは総長として、フランシスコ会をまとめる為に、あるべきフランシスコ会会員の姿を描く為に、非常に重要なものでした。一体その当時どのような問題が起こっていたのでしょうか?

はい。フランシスコ会が世界中に3万人の人々を数えるというのは、それだけでもものすごいのですけれども、聖ピオ十世会は世界中で活動していますが、司祭は600数名です。3万人の会員を数えるその修道会にとって、ある分裂の危機がありました。一体どんな分裂の危機があったかというと、ちょうどシトー会の修道士であった、そして1202年に亡くなった、ヨアキム・デ・フィオーレという修道者が、異端的な事を主張をしたのです。

これは何を言ったかというと、「キリストの統治の後に1000年が終わったので、新しい時代が来る。」ちょうど時は1100年、「新しい時が来る。」それはどういう時かというと、「旧約の時代は、聖父の時代であった。そしてイエズス・キリスト様が到来したのは、これは新約の時代の1000年である。しかしこのそれが終わったら、新しい聖霊の時代が来る。聖霊の時代が来ると、その聖霊が全てを刷新するので、今までのような教会の制度は必要なくなるし、もっと自由に活動する修道会ができるだろう」というような予言を、「それが黙示録に言われる『永遠の福音』だ」という事を言っていたのです。

それでそのような考えに影響された一部のフランシスコ会たちは、「自分たちこそが霊的なフランシスコ会であって、今までの教会の制度や、教会の秩序や、位階秩序とは全く関係なく、自由に活動するものである。これこそがこのヨアキム・デ・フィオーレが予言した、新しい聖霊の時代の修道会である」という、そこで「今までの教会とは全く断絶された、別の新しい時代が始まった。それを私たちが今からするのだ」という主張をし出したのでした。

そこをボナヴェントゥーラは、「そうではない。」ボナヴェントゥーラはこのように、「そうではなくて、聖父と聖子と聖霊は、唯一の、同じ天主である。」

そしてちょうど主の御受難をアシジの聖フランシスコが黙想している間に、セラフィム、熾天使が現れて、その6つの羽で顔を覆いながら、その聖フランシスコに光を出して、そしてイエズス・キリストと全く同じになる聖痕でさえも、十字架の傷さえも、全くイエズス・キリストと似通った者となるように、聖痕さえも奇跡的に与えた事があります。

「そのセラフィムの6つの羽は、この世の創造の6日間を表していて、そして7日は安息日であるけれども、しかし6つは切り離されてはいない、発展はあるのだけれども、断絶があるのではない。そして聖父から聖子、聖霊を通して、私たちにますますその神秘が深められるのだ」と教えました。

「聖霊というのも、聖父と聖子と全く別のものではなく、聖父と聖子から発せられるものである。キリスト教に於いては、キリスト教というのが無くなってしまったり、交代する事があるのではなくて、発展する事のみがあるのだ」と教えました。

こうして聖ボナヴェントゥーラは、「聖フランシスコ会というのも、今までのカトリック教会の伝統とその秩序の中に則った、その福音を生きる、より良く生きる為の団体であって、断絶ではなくて、その発展である」と教えたのでした。

では私たちには一体どのような事を、聖ボナヴェントゥーラは教えているでしょうか?

まず聖ボナヴェントゥーラは私たちに、あるべき聖徳の理想を示しています。それは彼もそうだったように、そして彼の属したその敬愛する方がそうだったように、つまりアシジの聖フランシスコがそうだったように、「イエズス・キリストに倣うという事が、私たちの理想である」という事です。

「この世の後には、もう主から教えられた事の真理から離れて、作り話に耳を傾けるような日が来るだろう」と聖パウロが言いましたけれども、そしてイエズス様は、「私は律法を廃止するのでなくて、完成する為に来た。一点一角も廃れる事はない」と言われますが、つまり、「イエズス様の教えにいつも忠実に留まる事が必要だ。そのイエズス様が過去の教えを廃止されたり、或いは将来イエズス様とは別の福音が将来来るという事は全くない。私たちの理想は、イエズス・キリストに倣う事だ。」これをまず教えています。

ですから聖ボナヴェントゥーラは、イエズス様の特にその御受難と、聖母への信心を伝えようとしました。

聖ボナヴェントゥーラが第2に教えるのは、「キリスト教のこの教えに於いては、これからは新しい時代が始まって、過去の時代の教えとは全く別の時代が来るという事は決してない」という事です。ですから私たちも、もしかしたらよく聞くように、「あぁ、第二バチカン公会議の前はこうだったけれども、公会議後はこうだ。」「公会議の後は全く別の事があるのだ。ミサも変わるし、秘跡も変わるし、教えも変わるし、道徳も変わるし」という事はありえない、という事を教えています。「そうではなくて、私たちは過去の教会の教えを『更に深める事』だけがあるのだ」という事です。

では第3に、どのような事が深められるでしょうか?イエズス・キリスト様を、どのようにしたらますます真似る事ができるでしょうか?聖霊の働きによって私たちは一体、もっとイエズス様の神秘の深みに入るには私たちがどうしたら良いと教えるでしょうか?

聖ボナヴェントゥーラは、マリア様の信心を私たちに伝えようとしますが、教会は聖霊はこの今、2017年、イエズス様にますます倣う為には、私たちが簡単にイエズス様の似姿になるには、「マリア様に、聖母の汚れなき御心に行くのが一番良い」と教えています。

ですから今日、聖ボナヴェントゥーラは私たちに、「マリア様の信心をするように」と、「これこそが教会の最高の信心の発展である、この神学の発展である」という事を教えていると思われます。

今日は聖ボナヴェントゥーラにお祈り致しましょう。聖ボナヴェントゥーラはシクスト四世によって1482年に列聖されました、1482年。残念ながらカルバン派によって、リヨンにあった聖ボナヴェントゥーラの遺体は、腐敗されずに残っていたはずの遺体は、1562年に頭を残して、これは守られたのですけれども、焼かれてしまいました。

しかしシクスト五世によって1588年に、セラフィム的な熾天使的な博士として教会博士として、私たちに教会博士として与えられました。聖ボナヴェントゥーラの御取り次ぎによって、私たちもその理想に、キリストに倣う理想にますます近付くようにお祈り致しましょう。

「私は律法を廃止する為ではなく、完成する為に来た。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


ヨハネによる聖福音を朗読しました。通勤の時、運転の時、目が疲れた時などのために、朗読のMP3ファイルをご紹介いたします

2017年10月24日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは! 
マテオによる聖福音の朗読
マルコによる聖福音の朗読
ルカによる聖福音の朗読
の続きとして、ヨハネによる聖福音の朗読ファイルもご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ヨハネによる聖福音

ヨハネによる聖福音 第一章
ヨハネによる聖福音 第二章
ヨハネによる聖福音 第三章
ヨハネによる聖福音 第四章
ヨハネによる聖福音 第五章
ヨハネによる聖福音 第六章
ヨハネによる聖福音 第七章
ヨハネによる聖福音 第八章
ヨハネによる聖福音 第九章
ヨハネによる聖福音 第一〇章
ヨハネによる聖福音 第一一章
ヨハネによる聖福音 第一二章
ヨハネによる聖福音 第一三章
ヨハネによる聖福音 第一四章
ヨハネによる聖福音 第一五章
ヨハネによる聖福音 第一六章
ヨハネによる聖福音 第一七章
ヨハネによる聖福音 第一八章
ヨハネによる聖福音 第一九章
ヨハネによる聖福音 第二〇章
ヨハネによる聖福音 第二一章


2017年7月2日(主) 「聖ペトロの舟と魚」

2017年10月23日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年7月2日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年7月2日(主日)聖霊降臨後第4主日のミサ
小野田神父 説教


日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年7月2日、聖霊降臨後第4主日のミサを行っています。そしてマリア様のご訪問の祝日の記念も行っています。

今日このミサの後には、14時30分からいつもの通りに公教要理があります。今回も聖書の舞台の背景となるパレスチナについて、歴史や地理などの理解を深めていく事にします。特にヘロデ大王やその子供たち、イエズス様の時代に出てくるような人物について今回は考察します。

16時から晩課があります。明日と明後日とは、朝7時からミサがあります、月曜日と火曜日です。

実は来週の主日もミサをする予定でした。何故なら、休暇を取って帰省する予定だったからです。しかし残念ながらその休暇をどうしても縮めなければならなくなって、そこで確かに帰省する事はするのですけれども、主日にはマニラに行かなければならなくなりました。そこでここで主日のミサをする事ができずに、非常に残念に思います。その代わりに火曜日の朝にもミサがありますので、もしもよろしかったらいらして下さい。

そして再来週の7月16日の主日にも予定通りミサがありまして、17日の海の日にも朝10時30分から主日と同じようにここでミサがあります。再来週は、主日と月曜日に10時30分からミサがあります。その後にはマーチ・フォー・ライフというのが計画されています。私も参加したいと思っていますので、どうぞ皆さんも、もしよろしかったらいらして下さい。



“Ex hoc iam hómines eris cápiens.”
「今からお前たちは、人を漁る者となるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日私たちの主が、新しいイメージを私たちに出しています。漁る者、漁夫、漁師。

そこで、何で一体そうなるのか?実はそのちょうど、聖ペトロとパウロの殉教の記念がちょうどこの頃、6月29日ですけれども、毎年あるのでその事もあって、御摂理的に教会はこの「人を漁る者となるだろう」というペトロの最初の召し出しの言葉を、私たちが黙想するようにとイメージを出しています。

そこでこの典礼の精神に従って、第1のポイントには、教会の出しているイメージはどんなものなのだろうか?

第2に、では聖ペトロのその与えられた役割というのは一体何なのか?

これを2点を黙想して、次に私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。

教会は、「聖霊降臨」という三位一体の私たちに与える特別の賜物を黙想した後に、更なる愛のイメージを、更なる愛を黙想しました。それが「御聖体」でした、御聖体の秘跡でした。そしてその御聖体の秘跡の後に、御聖体の秘跡へと私たちを招く寛大な晩餐を準備するその人「イエズス様の聖心」について黙想しました。実は先週の主日には教会は、「良き牧者」のイメージを私たちに出しました。

聖霊を与え、御自分の体を与え、そして良き牧者として、人類を探しにこの地上までやって来たこの牧者のイメージを、私たちにありありと見せつけたのですけれども、教会は今度は、イエズス様が与えた別の画像を見せてくれます。それは「漁る者」です、「漁夫」です。そこで今日の福音に従って、このイメージを黙想する事に致しましょう。

その福音によると、一晩中一生懸命、魚を捕ろうと、ゲネサレトのガリレアの湖で、夜中くたくたになって働いて、結局一匹も取れずに、「あぁ、一体どれだけの苦労をした事か」という事でがっかりして、岸で網を洗っているペトロやアンドレアやヨハネなど、2艘の舟があった所をイエズス様がやって来ます。

そしてイエズス様のお話を御言葉を聞こうと、多くの群衆がイエズス様の後をぞろぞろぞろぞろとやって来ました。すると彼らに自分の声がよく聞こえるように、イエズス様はペトロの舟を選んで、最初にその群集たちに説教を始めます。ペトロの舟に乗って説教を始めた、というのは特別な意味がありました。

そして説教が終わった後に、「さぁ、沖に出て網を降ろせ。」「主よ、私たちは一晩中一生懸命、光を灯して、魚を誘って、一生懸命やったのですけれども、何も釣れませんでした、一匹も釣れませんでした。でも仰るのですから行きましょう」と言って網を降ろすと、福音書によるとラテン語によると、「網は裂けていた。“rumpebátur”」

あまりにも重くて、舟が沈みそうになってしまうのです。それを見て「これはやばい」と思った、もう一艘あった舟が助けに行って、その2艘の舟が沈みそうになるほど、ものすごい大量の魚が捕れたのです(conclusérunt píscium multitúdinem copiósam)。それを見て、「え!?何でこんなにも? こんな事が起こるのか!?」と思って、「主よ、私から離れて下さい」と言うと、するとイエズス様はペトロに、「いや、何も恐れる事はない。これからお前は、人々を漁るだろう。」「人々を魚釣るだろう」と言われたのです。

ここに、聖ペトロの祝日と重なる、イエズス様が聖ペトロに特別の使命を与える、という前兆がイメージが表れています。

「ペトロの舟」、イエズス様が最初にお説教を始めたその舟は、もちろん「カトリック教会」です。それによってイエズス様がそこに乗りつつ、全世界において真理の御言葉を語りかける、カトリック教会のイメージです。

「網」、これはイエズス様の命令によって人々を水の中から救い出そうとして、そして霊魂を救おうとする「使徒たちの働き」です。使徒たちは今ではその後継者、司教様たちや或いは司祭たちに助けられています。

私たちは「小さな魚」だ、とテルトゥリアノは書いています、「私たちは小さな魚たちだ。キリストの魚だ。ちょうど網で救われたのだ。そして永遠の命の為に救われたのだ」と。

それでちょうど魚が暗い水の中から出て、光の中に入るように、入祭誦も、「主よ、あなたこそ私の illuminatio、光であります。私を照らすものであります。洗礼の水から私たちが出された時に、あなたの魚となりました。あなたの元にいる事になりました。」

魚は網からペトロの舟にそのまま置かれた、たくさん乗せられたという事も、「私たちが、ペトロの教会の一員となったその小さな魚たちだ」という事を意味しています。

古代教会初代の教会から、この魚のイメージは、キリスト教信者にとって非常に大切なものでした。ですからカタコンベなどにはそのイメージがたくさん載っています。

あるイメージによれば、網の中に小さな魚があって、その網は柱にくっついています。その柱の形が"T"の形をしています。意味はこうです。網は教会です。Tの形をした柱はイエズス様の十字架です。網はこの柱にくっついています。何故なら教会の力は十字架から出るからです。十字架無しには、単なる人々の団体でしかありません。しかし十字架とくっついて、人々を救う力、救いの恵み、全ての力、祝福を得ています。十字架から、私たちの霊魂に天主様の命が流れ出て、それを私たちは教会の施す洗礼や御聖体から受けています。主日に私たちが聖伝のミサに与るのは、十字架にくっついている網の中に私たちは入っているということを意味するためです。

それは「イエズス様の十字架によってくっついている、救われた霊魂たち」というカタコンベのイメージです、壁画です。

そして実は彼らは、初代のキリスト教信者は、ものすごい事を考えました。

“ΙΗΣΟΥΣ”
“ΧΡΙΣΤΟΣ”
“ΘΕΟΥ”
“ΥΙΟΣ ”
“ΣΩΤΗΡ”

「イエズス」
「キリスト」
「天主の」
「御子」
「救い主」

の頭文字を取って縦に並べると、“ΙΧΘΥΣ”「魚」となっている。そこで私たちは小さな魚だけれども、イエズス様は大きな魚だ。そしてイエズス様の秘密のシンボルは、魚だ。

それでよくカタコンベには、或いは秘密の暗号として、迫害当時のキリスト教信者は、イエズス様、キリスト様、救い主の代わりに、「魚」という暗号を使って、合い言葉を使って、秘密のコードを使って、会話をしていました。

このイエズス様の救いの御業は、ペトロに与えられたという事を私たちはよく記憶しなければなりません。第2のポイントはそこで、ではペトロには一体どんな役割が与えられたのでしょうか?

人を漁る者、人を救う者、そのかしらとして立てられました。

ペトロは実は、イエズス様を御受難の時に3度も裏切ってしまいます、「私はこの人を知らない。」「知らない。」「知らない。」

しかし御復活の後、同じようにイエズス様は奇跡的な漁を見せます。その時には網は破れませんでした。その時には、「153匹も魚がいた」と数まで数えられています。

聖アウグスティヌスによると、「復活の前の奇跡的な漁は、これは私たちの教会のこの現世での働きで、ですから網が破れて逃げてしまう魚もいるかもしれない。しかし復活の後には、救われた魚はもう確定されて、そして時が満ちて、その救いが決まる」と聖アウグスティヌスは解釈しています。

しかし聖ペトロは、カイザリアのフィリッポという所で約束をされた通り、「私はお前の上に教会を立てる」という約束を受けた通り、復活の後にこう聞かれます、「ヨナの子シモン、お前は私を愛するか。」イエズス様は3回これを聞きます。その時にペトロは、涙を流して答えました、「主よ、御身は私がどれほど愛しているかを知っています。」

ペトロは生涯、鶏の鳴く声を聞くと、イエズス様を否んだ事を思い出して、苦い涙を流した、そしてその頬にはその涙の痕が生涯付いていていた、と言われています。

しかし67年、西暦67年の6月29日、聖ペトロは今度は涙ではなく血を流して、イエズス様の十字架に付けられて、「いや、イエズス様と同じ十字架ではもったいないので、頭を逆さまに、足を上にして欲しい」と十字架に付けられて、血を流しながら、「主よ、御身は知っています。私が御身どれほどを愛しているかという事を」という事を、愛を、殉教で示しました。

旧約時代の大司祭は、アーロンもレヴィ族も死にはしませんでした、殉教はしませんでした。何故かというと、聖パウロによれば、シナゴーグ、つまり、ユダヤの会堂は、しもべであって、召し使いであって、奴隷の女であったからです。しかし教会は、妻であって、花嫁であるので、その花嫁の為にイエズス様は血を流し、そのイエズス様の代理者であるペトロも血を流しました。

イエズス様を十字架に付けたエルサレムは、呪われた所となってしまいました、天主を死に至らせた所として。しかしペトロがイエズス様の為に血を流したそのローマは、祝福された所となりました。そしてあたかもイエズス様の全ての十字架の恵みが、ローマに移ったかのようです。ローマは昔、ロムルスとレムス、二人の双子が作ったといわれますが、そして旧約時代には、大司祭にはアーロンとモーゼがありましたが、新約ではぺトロとパウロが、そのローマで血を流して聖別して、イエズス・キリストの教会の基礎を定めました。

これを見ると、旧約時代の恐れの律法の文字だけのところから、聖ペトロの舟には殉教の愛が表れているという事が分かります。イエズス様も仰いました、「友の為に命を与えるほどの大きな愛はない。私はもはやお前たちの事を、」ペトロたちに向かって、「お前たちの事をしもべとは言わない。何故ならば、しもべは主人のしている事を知らないからだ。しかし私はお前たちに、私のする事を全て教えた。だからお前たちは私の友だ。私の愛に留まれ。」

そしてこのイエズス様への愛に結ばれた聖ペトロとその後継者は、イエズス様の司祭職、大司祭の特権を、今に至るまで繋げています。

では私たちは一体今日、どのような遷善の決心を立てたらよろしいでしょうか?

まず第1に、教会の精神に従って、私たちも小さな魚であって、イエズス様が大きな魚であって、イエズス様が私たちの救いを望む漁夫である、と同時に、大きな魚であるという事を黙想致しましょう。

そしてイエズス様は、私たちを洗礼の水によって救い出し、私たちに御聖体を以って養い給い、そして天国の本当の光へと導こうとされている、という事です。ですから書簡書も、「今のこの世の苦しみ、困難は、来たるべき栄光に比べれば、全く比べものにもならない」と言っています。その比べものにもならない喜びを与える為に、私たちは救い出されました。

その為にイエズス様は、特別の位階秩序を作り、そしてその位階秩序は十字架の秩序であって、愛の秩序であって、そしてぺトロは最もその高い愛を血を以って流し、証し、私たちの救いの道具として、イエズス様の道具として立てられました。

ですから私たちは、このイエズス様の立てたペトロの舟、イエズス・キリストのカトリック教会、そしてその代理者の為にお祈り致しましょう。ファチマの子供たちもそうでした、教皇様の為にたくさん犠牲と祈りを捧げました。

第2には、この教会のイメージは実は、マリア様のイメージとぴたりと重なります。何故かというと、マリア様というのは教会の典型であるからです。典型的なイメージであるからです。これこそが教会の姿だ、というのをマリア様が表して体現しているからです。マリア様は御自身の中に、イエズス様を御聖櫃のように運ばれました、今日。そしてマリア様はそのお言葉を以って、胎内に居る、目に見えないイエズス様のお恵みを伝えました。それによって洗者聖ヨハネは、全ての罪が赦されました。

ですから今日、聖ペトロのローマの聖座、カトリック教会について思いを馳せると同時に、マリア様の教会における役割をも果たしましょう。マリア様がいらっしゃる所には、イエズス様のお恵みが全て行きます。願わくは、私たちがいつもマリア様のようになりますように、イエズス様をいつも私たちの身に運ぶ者となりますように、そしてカトリック教会がいつもマリア様のイメージを実現する事ができますように。

では最後に、これは私の提案ですけれども、今日の教会の漁師と魚のイメージを見ると、光の中に出る事ができずに、そのまま邪魔者扱いをされてしまっている小さな赤ちゃんたちが、お母様のお腹の中で闇に葬られてしまうような赤ちゃんたちが、残念ながら日本でいます。何とかその子供たちの命が助かる事ができますように、お祈りをお願い致します。

そのような残酷な事をしようと言う人たちは、お腹の中にある赤ちゃんが、本当の人間であるという事を認めようとしません。でもマリア様は、マリア様のご訪問で私たちにはっきり教えています、「どんなに小さくても、イエズス様は真の人であり、真の天主であり、洗者聖ヨハネもその受胎の瞬間から真の人間である。だからたとえ小さくても大きくても、まだほんの数日、或いはほんの数週間の命であっても、立派な人間の命であるから、私たちは必ず守らなければならない。」その事も教会の教えとして、マリア様のご訪問の神秘として私たちに教えられているので、是非その事も私たちは今日、確認する事に致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

” 100th anniversary of Fatima ” by Fr. Laisney SSPX

2017年10月23日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「ファチマ100周年」【英語原文】をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

100th anniversary of Fatima
Sermon – Osaka 15 October 2017 –

My dear Brethren,

Two days ago, we had the centenary of the great miracle of Fatima, the conclusion of the six visions of our Lady that so much influenced the Church in the 20th century and even now. She helped many millions of faithful to keep the faith. But others have rejected her message, and neglected it for the great damage of other millions of souls. One of the great evils she denounced is Communism, and she came to bring remedy to it.

The root of communism is materialism, the complete refusal of the spiritual dimension of man: for communism, man is merely an assembly of chemicals. This fundamentally destroys the freedom of man, the dignity of man created in the resemblance of God; it fundamentally destroys all morality, and becomes the open door to the most brutal tyranny of all times. Indeed, man becomes a mere machine, which can be used and disposed at will by unscrupulous leaders such as Stalin or Mao, who counted for nothing the deportation of millions into gulags of horror.

From her very first apparition, our Lady of Fatima refuted that materialism. Indeed, her greeting was simple: “I am from Heaven!” This affirmed simply and beautifully the existence of the spiritual kingdom of God. Man has a soul and is called to a most elevated, spiritual happiness in Heaven!

Pope Pius XI denounced communism in his encyclical Divini Redemptoris of 19th March 1937. He starts by pointing that communism promises a “paradise on earth”, promises of perfect happiness on earth. The fallacy of such promise is that materialism completely destroys such paradise: what “happiness” can a mere machine have? If man is a mere blob of chemicals, what happiness can it have? Moreover, it completely ignores original sin, and provides no remedy to it. God did create us in an earthly paradise, but we lost it by sin. Our Lady is Immaculate, free from all sin especially from original sin. She brings the remedy for original sin: our Lord Jesus Christ! There is no other remedy: “There is no other name under heaven given to men, whereby we must be saved” (Acts 4:12). She calls to the imitation of her Immaculate Heart by humble docility to the grace of our Lord Jesus Christ: this is the remedy for sin.

Communism pretends that the mere fighting of material forces brings progress, and therefore, in order to accelerate that progress, they foster the fight, and preach “class struggle”. Nothing is more opposed to fraternal charity than class struggle! Our Lord Jesus Christ preached: “Thou shalt love thy neighbour as thyself” (Mt. 22:39). Communism preaches: “Fight your neighbour!” Such struggle destroys and does not build; such fight multiplies hatreds: it renders evil for evil and that has never solved injustices.

On the contrary, our Lady brings the remedy, which is “not to render evil for evil” (1 Pet. 3:9), but rather “overcome evil by good” (Rom. 12:21), especially by the good of Sacrifice. “Are you willing to offer yourselves to God and bear all the sufferings He wills to send you, as an act of reparation for the sins by which He is offended, and of supplication for the conversion of sinners?” A good Mother does not want to see her children fighting; she brings peace, true peace, which is the tranquillity of true ORDER: the order of virtue, of true justice. Justice among men requires first of all that men be subject to God, subject to our Lord Jesus Christ: if we do not even honour God, how are we to respect our neighbour? Our Lady brings peace with God first, by a true conversion, and then peace among men. At Fatima she announced the end of the first world war the next year. She protected Portugal from World War II.

Communism pretends to suppress classes, but practically it establishes a new ruling class, that of the members of the Communist Party, who end up by completely oppressing the rest of the population, as happened both in Russia and China. Why is it so? Because it is a totalitarianism: all for the party! The party is supposed to bring out the good of the working class; in fact the party draws out all the riches for the party members, exploiting the work of everyone else.

Our Lady, on the contrary, brings true unity and equality among men: she is the mother of all equally, and cares for each one of us. She asks those who have received more to give to those who have received less. This is a general principle of Divine Providence: God does not give equally to all, but He wisely distributes His goods so that Charity may reign among all. When He gives more to some, He wants them to give in their turn to those who received less: He wants parents to give to their children; He wants to healthy to care for the sick; He wants the strong to protect the weak; He wants to rich to provide for the poor; He wants the learned to teach the ignorant; and more importantly He wants the more devout to pray for the sinners. This is explicitly what our Lady insisted upon at Fatima: “Sacrifice yourselves for sinners… offer sacrifices in reparation for sins committed against the Immaculate Heart and pray for the conversion of sinners.” Such charity does not exploit anyone, but rather unites all men in the Heart of Jesus through the Immaculate Heart of Mary.

Another frightful aspect of communism is LIES: since they do not believe in God, they do not have the fear of the Lord and do not flee from the perversion of lies. They do not even have any notion of the evil of lies. For communism, there is no truth, or rather that is true today which profits to the party, even if it is far from reality. They reject the principle of non-contradiction, so they have no hesitation to say one thing one day and the opposite the next day. As a consequence, they developed a propaganda full of lies, distorting history, distorting facts, accusing falsely anyone who would stand in the path of communism and especially the Catholic Church. One recognises there the work of the “Father of lies”, the Devil: “He was a murderer from the beginning, and he stood not in the truth; because truth is not in him. When he speaketh a lie, he speaketh of his own: for he is a liar, and the father thereof” (Jn. 8:44).

At the opposite, we find our Lord Jesus Christ, who is “the Way, the Truth and the Life” (Jn. 14:6). He is “full of grace and truth” (Jn. 1:14). He said: “For this was I born, and for this came I into the world; that I should give testimony to the truth. Every one that is of the truth, heareth my voice” (Jn. 18:37). He gives us to know the truth about God, about the Three Divine Persons, and the truth about ourselves, as sinners yet called to repentance and to eternal life. And he commands us through St Paul: “putting away lying, speak ye the truth every man with his neighbour; for we are members one of another” (Eph. 4:25). St Paul summarises Christian life thus: “doing the truth in charity” (Eph. 4:15). St John concludes: “it is the Spirit which testifieth, that Christ is the truth” (1 Jn. 5:6).

Our Lady gave us her Son, our Lord Jesus Christ, the Truth! Eve listened to the Devil, the father of lies, and she led all mankind into death because of the lies of the Devil. Our Lady listened to the good angel, and believed the truth from Him, and gave us Christ Who is the Truth, to save us from the lies of the Devil. The lies of communism are repugnant for our Lady and for those who are devoted to her. We must be aware of them and not take for granted its propaganda, which is still often prevalent in many areas.

It is a fact of history that many clerics compromised with communism. This is due to a double cause: first communist leaders in Russia had decided to send some members to enter into seminaries in order to destroy the Church from within. That plot came to light in the late 40s, but by that time there were several of them already at work within the Church. Secondly a weakness in many who loved the world and wanted to please the world: they lent an easy ear to the seduction of the first ones. And one finds later “worker priests” who abandoned their spiritual duties and tried to work in factories: practically they became communist agents! One finds also in Catholic newspapers in the 1950s, such as “Témoignage Chrétien” in France many articles favouring communism and accepting the (apparently) “friendly hand” which the communists were offering: how could they believe in the “friendly hand” of the Devil? However, Pope Pius XI had very strongly condemned such attitude, saying in this encyclical: “See to it, Venerable Brethren, that the Faithful do not allow themselves to be deceived! Communism is intrinsically evil, and no one who would save Christian civilization may collaborate with it in any undertaking whatsoever” (#58).

However, Pope Pius XI himself did not cooperate with our Lady and did not promote Fatima. Pope Pius XII did consecrate the world to the Immaculate Heart, certainly in an effort to respond to our Lady’s request at Fatima, but it was not exactly what she had asked: she wanted Russia explicitly mentioned, and all the bishops of the world to do it with the Pope. Later in 1960, the deadline that our Lady had given for the manifestation of her third secret, the requests of our Lady were buried in a drawer and not heeded. The results were the drama of Vatican II and a true “diabolical disorientation” as Lucia said.

In the early 90s, though direct persecution has diminished in Russia, the errors of communism, especially its materialism, have spread far and wide in the West: European culture which used to be really Christian is being destroyed by this materialism, and socialism which is a form of communism. As our Lady prophesied, the errors of communism are spreading in the whole world. Now more than ever, we need the protection of our Lady of Fatima, to obtain the grace of our Lord Jesus Christ and bring the remedy to our sick world, and to the Church.

Practically what should we do? First, let us ask our Lady of Fatima for an increase of Faith: faith in the reality of the after-life: Heaven and Hell. She said she was from Heaven, hence in a certain way giving us a glimpse into Heaven; and she showed Hell in a very vivid way to the children. “She opened Her hands once more, as She had done during the two previous months. The rays of light seemed to penetrate the earth, and we saw as it were an ocean of fire. Plunged in this fire were demons and souls in human form, like transparent burning embers, all blackened or burnished bronze, floating about the air by the flames that issued from within themselves together with great clouds of smoke, now falling back on every side like sparks in huge fires, without weight or equilibrium, amid shrieks and groans of pain and despair, which horrified us and made us tremble with fear. The demons could be distinguished by their terrifying and repellent likeness to frightful and unknown animals, black and transparent like burning coals. Terrified and as if to plead for succour, we looked up at Our Lady, who said to us so kindly and so sadly: You have seen hell, where the souls of poor sinners go. To save them, God wishes to establish in the world devotion to My Immaculate Heart.”

A strong faith in these two simple truths will help us a lot to straighten our lives: Heaven is worth every effort! “That which is at present momentary and light of our tribulation, worketh for us above measure exceedingly an eternal weight of glory” (2 Cor. 4:17). “I reckon that the sufferings of this time are not worthy to be compared with the glory to come, that shall be revealed in us” (Rom. 8:18). And sin is the most foolish thing to do since it leads to Hell: “For what doth it profit a man, if he gain the whole world, and suffer the loss of his own soul? Or what exchange shall a man give for his soul?” (Mt. 16:26).

Secondly, let us do what she asks and pray the Rosary daily, without fail. If possible, pray it as a family; if the children are small, at least have a part of it together and let the parents finish their Rosary on their own. Have a special devotion to the Immaculate Heart of Mary, striving to imitate her purity, without any compromise with sin at all! Practice that devotion especially on the first Saturdays, with special prayers to her and Holy Communion if possible.

Thirdly, be missionary! In your family, in your workplace, in your neighbourhood, among your friends and acquaintances, profess the Faith without fear and without compromise with the errors of the world, especially with the errors of communism. “So let your light shine before men, that they may see your good works, and glorify your Father who is in heaven” (Mt. 5:16). Especially be missionary by your prayers and sacrifices: “Sacrifice yourself for sinners and say many times, especially when you make some sacrifice: O Jesus, it is for love of You, for the conversion of sinners, and in reparation for the sins committed against the Immaculate Heart of Mary.” Our Lady’s great concern for the conversion of sinners is manifest at Fatima. She cares! She wants their salvation: do we want it as we should? Pray for vocations of priests, monks and nuns who will dedicate their whole life for the conversion of sinners!

Let us pray to Jacintha and Francisco that they may ask our Lady of Fatima for us, that She may obtain for us these graces of faith, devotion, zeal, apostolic charity and that spirit of sacrifice! All these graces we can obtain in the holy Sacrifice of the Mass. May she open our hearts to the action of our Lord, so that He may fill us with Himself, with His Charity, that we may be instruments in His hands for the salvation of souls! Amen.

聖ピオ十世会 2017年10月の聖伝のミサ(ラテン語ミサ・旧典礼)の報告 SSPX Japan Traditional Mass in October 2017

2017年10月23日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回も、大阪と東京とで聖伝のミサを捧げることができ、多くのお恵みを祈ることができて嬉しく思いました。

 先先週の主日には、レネー神父様の大阪のミサで21名の方々が主日のミサに与ることができました。天主様に感謝!

 昨日の主日には、東京では台風のため(?)参加する人々が50名に達することができなく、すこし残念でした。多くの方々が聖伝のミサに与れば与るほど、日本にお恵みがあるので、日本が天主様からの祝福を受けることができますように、多くの方々が与ることができるようにお助け下さい。毎回、主日に100名の方々が聖伝のミサに与って、カトリック教会と日本全体のために祈ることができますように!

 今日の東京では、早朝はまだ台風の影響があったにもかかわらず、9名の方々が聖伝のミサに与り、中には青森からの方もおられました!日本の隅々にまで、カトリックの聖伝を知り、これの恵みを受けたいと思われる方々がふえているので幸福に思います!天主様に感謝!聖母の汚れなき御心に感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

大阪でのミッションをありがとうございました!
神父様の土曜日のお説教のなかの、「イエズス様が震える手で人類救済の最後の切り札を差し出された・・・」というお言葉、特に「震える」という言葉が心に突き刺さりました。
イエズス様の至聖なる聖心がどれほど私たちの救霊を望まれて、心を砕かれていらっしゃるかをあらためて理解できました。
本当にどんなことでも犠牲として、マリア様の汚れ無き御心とともに、御心のうちにはいって、
ファチマの聖なる3人の牧童たちのように、
「イエズス様の愛のため、罪びとの回心のため、聖母の汚れ無き御心に加えられる侮辱を償うためです」と申し上げて、
マリア様の汚れ無き御心に、すべてをお捧げしようと決心いたしました。

また最後の切り札である、「聖母の汚れ無き御心への信心」と「ロザリオ」を心から実践するために
初土の信心の実践のために、初土の聖母とともに15分間黙想を良くお捧げするために、
毎日その練習をする。いつもロザリオの玄義を黙想する。片時もマリア様のことを忘れない、初土に良く黙想できるように毎日願う。とのご提案は、これこそマリア様への子供として、奴隷として、騎士としての誠実な姿勢だと思いました。

あらためて、インマクラータの騎士、道具となるように、ファチマの償いの精神でマリア様に協力する、ファチマの真の使徒となるように決心いたしました。

とても強く、大きな台風が近づいているようです。
小野田神父様のフィリピンへの帰路のご無事をお祈りしております。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは!

20日の金曜日は大阪での御ミサ・終課など、お忙しくお疲れの中、日本でのミッションを本当にありがとうございました!(*^▽^*)

盲目になっていた所に自分のやるべき事が照らされて、目が覚めるような感じがしました。ありがとうございます。弱い私ですが、マリア様の汚れなき御心のお恵みにより、マリア様の御心の中という新しい生活を日々歩んでいく事ができますように!

おお、汚れなき童貞聖マリア、いとも聖なるロザリオの元后、太陽を身に着けたる婦人よ、我らのために祈り給え!
デオ・グラチアス!

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 23人(内、子供2人)
計: 38人(内、子供3人)


ナイジェリアの司教団は、2017年10月13日にナイジェリアを聖母の汚れなき御心に奉献:その際に太陽の奇跡があった(司教団のフェイスブックによる)

2017年10月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

いかがお過ごしでいらっしゃいますか?今日は、東京で聖伝のミサがありました。

ところで、ナイジェリアの司教団のフェイスブックによると、司教様たちは今年10月13日にファチマの聖母の100周年を記念して、全国聖母マリア大会がベニン市で行われ、ナイジェリアを聖母の汚れなき御心に奉献しました。











その時に、太陽の奇跡があったと司教団のフェイスブックは伝えています。
"History has repeated itself here in Benin City, Nigeria during the National Marian Congress. Just like what happened 100 years ago at Fatima, Portugal reoccurred on 13th October, 2017. What a great miracle from our mother Mary, Our Lady of Fatima..."









 これが本当に「太陽の奇跡」だったのか、ナイジェリアの司教団のフェイスブックをどこまで信用できるのか、ノーコメントで情報としてお知らせいたします。

 私たちは、新しい奇跡よりも、ファチマの聖母のおっしゃったことに注目したいと思います。

 1917年10月13日、聖母は悲しそうな様子になられて、こう言われました。
聖母-彼らはもうこれ以上天主なる私たちの主に罪を犯してはなりません。すでに主はあまりにも多く犯されています。-
ルシア-何かもっと望んでおられることがありますか?-
聖母-これ以上はありません。-

願わくは、日本の司教様たちも、日本の聖母の汚れなき御心への奉献を更新されますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2017年7月15日 証聖者聖ヘンリコ王皇帝のミサでの説教 「聖ヘンリコ皇帝の生涯を黙想して」

2017年10月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年7月15日(土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。

2017年7月15日(土)証聖者聖ヘンリコ王皇帝のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年7月15日、皇帝証聖者聖ヘンリコ二世の祝日を祝っています。

今日この御ミサの後にはいつものように、ミサの後の感謝の祈りの後に公教要理があります。今日はこの前の続きの、聖書の時代の背景について、特にヘロデ大王とその子供たちについてお話したいと思っています。

明後日の海の日には、東京で国会議事堂の方へと日比谷公園の方まで、築地教会から日比谷公園まで、午後の16時から17時頃まで3キロの道を、マーチ・フォー・ライフというものがあります。もしも東京の方に行かれるのであれば参加なさって下さい。

特にファチマの100周年でもありますし、特に日本に祝福がありますように、また罪の償いの為に、堕胎や不潔の罪の償いの為に、このマーチができればと思っています。

もしも東京にいらっしゃる方があれば、いらして下さい。もしも距離的に難しいという方は、どうぞお祈りを以って日本の為に、子供たちの為にお祈り下さい。



聖ヘンリコ、我らの為に祈り給え。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日はローマ皇帝聖ヘンリー二世(ラテン語で聖ヘンリコ)の祝日ですので、この王様がこの皇帝がどのような人だったのかという事を黙想して、そして私たちも一体この聖人から学ぶ事はどのようなものがあるか、という結論を立てる事に、引き出す事に致しましょう。ですからまず、聖ヘンリコの生涯を垣間見る事に致します。

聖ヘンリコは王家に生まれました。最初はババリアの王、次にドイツのゲルマニアの王、次にローマの皇帝となりました。

聖ヘンリコは、自分が王家の嫡子として王権を受けるという事を知っていながらも、一時はベネディクト会に入会して修道士として、清貧と貞潔と従順の生活をしようとさえも望んでいた事がありました。聖ヘンリコはこの地上の王冠よりも、地上の王位の笏よりも、更に天上の王冠の方をより多く求めていました。地上の王であるという事よりも、永遠の王に仕える事を望んでいました。永遠の王のしもべとしていつも行動していました。ですから永遠の王のイエズス・キリストのしもべとして、イエズス・キリストの名誉の為に、その王権の為に、自分の持てる全てを捧げようと思いました。

一体どうしたかというと、まず自分の持っている権力と力と財産を使って、遺産を使って、それをイエズス様の家を飾る為に、修道院を建てたり、教会を建てたり、それをきれいにしたりしました。ある時にはクリュニーの修道院には、自分の持っていた宝石を、「イエズス様の為に」と言って捧げたほどでした。

いつも聖ヘンリコは何かをする時には、必ずお祈りをしてから始めました。お祈りをせずに始めなかった仕事はありませんでした。その為にヘンリコがした事業は全て祝福されました。

実はその当時、イタリアの南部はギリシャ人が占領していました。そこでその為にローマを守る為に、ヘンリコは軍隊を出す事を要請されました。その時にもちろん、祈りを以ってその軍を指導、指揮しましたけれども、その時にヘンリコは、多くの守護の天使たちが、或いは殉教者たちが、代わって戦ってくれているのを何度も目撃していました。そしてヘンリコは剣によってよりはむしろ、祈りによって勝利を収めたと言われています。実に、主に仕えるという事は、統治する事であります。

ヘンリコは今のハンガリア、当時はパンドニアという名前でしたが、当時その今のハンガリーの所はカトリックの信仰を受けていませんでした。そこで、「その王様が、もしもステファノが、もしもカトリックの信仰を受けて洗礼を受けるならば、という条件で、自分の妹を嫁に与える。」そしてその事によって、王ステファノをカトリックの信仰に導いた事さえもあります。

その妻は聖クレゴンティアであって、聖ヘンリコも聖人でしたが、妻のクレゴンティアも聖女でした。二人とも結婚の時に婚姻の時に、「貞潔を守る」という約束を立てて、そして、「共に、天の王国のイエズス・キリストに仕える」という約束を立てました。聖ヘンリコが病気になって、モンテ・カシーノでその病に苦しんでいた時に、妻を結婚する前のその同じ状態で、何も傷付けずに両親に返したと言われています。そのように返しました。

こうして聖ヘンリコは1024年に、遂に天の王国の中に霊魂を呼ばれて、天での戴冠式を受ける事になります。その遺体はバンベルクという所に建てられた、聖ペトロパウロ使徒の教会に、カテドラルに埋葬されました。そのお墓に於いて、ものすごいおびただしい数の奇跡が起こった為に、教皇エウゼビオ三世によって1145年に列聖されました。

もしも私たちがミサの時に、使徒信教を唱えたり歌ったりする事があるとしたら、それは聖ヘンリコのおかげです。聖ヘンリコが教皇様にお願いして、「是非ミサの時に、例えば主日に、或いは大祝日に、使徒信教を私たちが唱える事ができるようにして下さい」とお願いしたので、それが認められました。

聖ヘンリコの人生をこうやって垣間見ると、私たちに一体何を教えてくれるでしょうか?

1つは、聖ヘンリコがこの地上の物事よりも、この地上での利益よりも、この地上で何か財産を、或いは名誉を、或いは権力を高く貯めるよりも、むしろ永遠の王に仕える、永遠の王国の中に入る、永遠の王冠を求める、朽ちない宝を積む、という事をより大切にしていました。まさに聖ヘンリコは、「私たちの人生の本当の目的がどこにあるか」という事を身を以って教えていました。たとえ王の身であっても、「それは本当に儚いものであって、それを道具に使って天国に行かなければならない」という事を教えていました。

考えてもみて下さい。日本の天皇陛下が、日本の国内を、或いは皆がこう手を振って歓迎したとしても、その「この地上でのものは全く儚い。全てはイエズス・キリスト様の為にある」と公言して、そしてその事を実践した、という事を。日本の天皇陛下は日本の国だけでしたけれども、聖ヘンリコはヨーロッパの全ての王の上に立つ皇帝でした。その皇帝が自らの模範を示して、「この地上のものは、全ての名誉と財産は儚い」と私たちに教えています。

第2は、聖ヘンリコの清い心でした。主を純粋な心で求めるが為に、遂には婚姻という事さえも、貞潔に、清いまま、完壁に過ごしたという事です。そうする事によって、「この地上の楽しみというものも全て、主の為にある」という事を身を以って示しました。

では私たちは、この聖ヘンリコの良い偉大な模範に従って、ますます天の国を求めるように致しましょう。そして清い心を私たちが持つ事ができますように。特にこの現代世界は、「この地上での快楽、地上でのお金さえあれば、この地上での面白おかしく過ごせば全てだ」という考えが非常に広まっています。聖ヘンリコの模範は私たちに燦然と輝いています。またこの肉体を汚すような、貞潔に背くような模範があまりにもたくさんありますが、聖ヘンリコは私たちにそれを、「そうではない」と教えています。

最後に天の女王である、そして聖ヘンリコがやはり愛し、その母として仕えていた、その女王と、自らの女王として仕えていた、元后として仕えていたマリア様にお願い致しましょう。マリア様が聖ヘンリコを守ったように、聖クレゴンティアと共に守ったように、私たちも、私たちを守って天の王国にまで清く導いて下さいますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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