【参考情報】Abp. Viganò on the Great Reset and New World Order
ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」(後半)
【参考情報として、ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」の続きをご紹介いたします。前半はここにあります。この続きは、直視するにも言葉にするにも、恐ろしい内容が含まれています。しかし、アダムとエワの時から人類が直面している、天主とサタン(ルチフェル)との戦い、光りと闇との闘いの最終の戦いにたどり着こうとしているという思いさえ抱かせます。大天使聖ミカエルの祝日を前に、天軍の総帥にひたすら保護を祈りならがら、愛する兄弟姉妹の皆様に、参考資料としてご紹介いたします。】
世界の人口減少化計画
この「邪悪な合意」(pactum sceleris)の仲間には、教皇庁生命アカデミーの何名かのメンバーも含まれなければならないはずです。同アカデミーは、最近、ベルゴリオがその組織構造を覆し、教導権に最も忠実なメンバーを排除し、代わりに人口減少、避妊、中絶を支持するメンバーを配置したからです。聖座がワクチンを支持していることに驚きはないでしょう。
2011年6月、「ソブリン・インディペンデント」(Sovereign Independent)紙は一面に次のような見出しを掲げました。「強制ワクチン接種による人口減少。炭素排出量ゼロの解決法!」(こちら)。
その見出しの横には、ビル・ゲイツの写真と彼の次の言葉が掲載されていました。「現在、世界の人口は68億人です。それが約90億人に向かっています。今もし私たちが新しいワクチン、ヘルスケア、リプロダクティブ・サービス(中絶や避妊)などで素晴らしい仕事をすれば、おそらく10〜15%は下げることができるでしょう」。これは、ビル・ゲイツが11年前に言ったことです。今日では、彼は、ワクチンを製造する複数の製薬会社に資金を提供するブラック・ロック・グループの株主の一人であり、世界保健機関(WHO)のメイン・スポンサーの一人であり、健康に関連する無数の公私の団体のスポンサーでもあります。奇妙なことに、彼のそばには、「オープンソサエティー財団」の「慈善家」であるジョージ・ソロスがいます。同財団は、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」とともに、最近、新型コロナウイルス感染症検査用の綿棒を製造する英国企業に投資しています(こちら)。
また、私たちは経済問題について話題にしていますから付け加えますと、聖座は、避妊薬を製造した二つの製薬会社に約二千万ユーロ相当の株式を保有していることを思い起こしたいと思います(こちら)。さらに最近では、聖座は、地政学的危機やパンデミック危機の発生時に、国際通貨への投機によって非常に高い利益を保証するファンド --- メリルリンチ投資銀行が運営する「ジオ・リスク」ファンド --- に、聖座は投資しました。しかし、パンデミック発生後の最初の数カ月間で利回りが急上昇したため、「ジオ・リスク」ファンドは閉鎖しなければなりませんでした(こちら)。その他にも、「聖ペトロ使徒座への献金」収集から得られた資金は、さまざまな取り組みに使われ、エルトン・ジョンの自伝的映画「ロケットマン」などを手がける(イタリアの)ビジネスマン、ラポ・エルカン氏との協力関係(コラボレーション)さえも実現しました。不動産投機や、ロンドンのスローンアベニュー60番地のビルを購入については、私たちは報道で十分に知っていますから言うまでもないのですが、信頼できる筋からの情報で私は知っているところでは、その購入はベルゴリオ自身が決定したとのことです。
そして、中国です。ベルゴリオが大切にしている「一貫性(coherence)」と「貧しい者のための貧しい者の教会」の名の下に、イエズス会とセオドア・マカリック元枢機卿が用意した秘密の協定は、カトリック信者の迫害や人権侵害に対するバチカンの沈黙と引き換えに、北京の共産主義政権から多額の資金を得ていたのではないかと考える人々がいます(こちら)。
同じことが、移民騒動についても当てはまります。移民を受け入れることで利益を得ているのは、各国が不法移民の受け入れのため多額の資金を提供しているバチカンの諸委員会や各国の司教協議会です。ベルゴリオがサン・ピエトロ広場に建立したブロンズ製のボートの恐ろしいモニュメントは、この教皇職の特徴的なしるしである偽善を造形で表現したものです。最近の水曜日の謁見では、私たちはこのような言葉を聞かされました。「偽善者とは、顔に仮面をかぶって生活し、真実を直視する勇気がないために、偽りの見せかけを示したり、お世辞を言ったり、だましたりする人々のことです。[・・・]教会での偽善は特に憎むべきものであり、残念ながら教会には偽善が存在し、多くの偽善的なキリスト信者や役務者がいます」(こちら)。コメントの必要はないと思います。
ディープ・ステートの干渉
教会の生活にディープ・ステートが干渉した例は数多くあります。ジョン・ポデスタとヒラリー・クリントンのメールを忘れることはできません。そこには、ベネディクト十六世を教皇座から追放し、進歩主義的かつグローバリスト的な新しい「教会の春」を始めようとする意図が表れていました。これは後にベネディクトの辞任と、かのアルゼンチン人の選出によって実現しました。
また、「ブナイ・ブリス」(B'nai B'rith)のような宗教に近いとは言えない団体や組織が、第二バチカン公会議後の教会の「刷新」の方向付け、とりわけ今の教皇職の下での方向付けを決定するために干渉していることも見逃すことはできません。最後に、一方で保守的な政治家や組織の要人を軽蔑して謁見を断り、他方で左派や進歩主義の指導者たちと情熱的な笑顔で接し、彼らが当選した際には熱狂的な満足感を示していることを私たちは思い出すべきです。
彼らの多くは、イエズス会が運営する大学、あるいはイタリアで「ドセッティアン」[1]と呼ばれるカトリックのサークルで学んだことが成功の要因となっています。そこでは、社会的・政治的な関係のネットワークが一種の進歩的なフリーメーソンを構成しており、いわゆる「大人のカトリック」、つまり公務に従事する際にキリスト教の信仰や道徳と一貫性のある行動を取ることなく「キリスト信者」の名を使う人々に、まばゆいばかりのキャリアを約束しているのです。ジョー・バイデンやナンシー・ペロシ、またロマーノ・プロディ、マリオ・モンティ、ジュゼッペ・コンテ、マリオ・ドラギらがそのごく一部の例です。このように、「ディープ・ステート」と「ディープ・チャーチ」の協力関係は長年続いており、国家と宗教の両方に深刻なダメージを与えながら、その関係の支持者が期待した結果を今、生み出しているのです。
「世俗の当局が都市封鎖を押し付ける以前であっても行われた、2020年初頭の教会の閉鎖」「パンデミック緊急事態の間のミサの挙行や秘蹟の執行の禁止」「2020年3月27日にサン・ピエトロ広場で行われたグロテスクな儀式(こちら)」「中絶された胎児に由来する細胞株で作られたにもかかわらず、ワクチンと、その道徳的正当性の宣伝へのこだわり」「遺伝子の血清はすべてのキリスト信者にとって『道徳的な義務』であるとするベルゴリオの宣言」「バチカン、そして最近ではカトリック学校や一部の神学校への健康パスポート『グリーン・パス』の導入」「いくつかの司教協議会が速やかに支持したワクチン接種義務に反対する司教の発表の聖座による禁止」。
これらはすべて、「ディープ・チャーチ」が「ディープ・ステート」の命令に従属していることを示す要素であり、ベルゴリオ教会がグローバリストの計画に不可欠な部分であることを示しています。
「平和神学のエキュメニズムや平和主義、貧困主義を主張すること」「状況倫理の支持や『アモーリス・レティチア』での姦淫と同棲の実質的な正当化」「死刑は道徳的に違法であるという宣言」「左派の政治家や革命指導者、妊娠中絶活動家の支持」「LGBT問題や同性愛、性転換に理解を示す言葉」「同性愛の結合の正当化についての沈黙や、さらにはドイツの司教や司祭による同性愛カップルの祝福に関する沈黙」「そして、ベネディクト十六世の自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』の廃止によるトリエント・ミサの禁止」。
これらのすべてを、聖ペトロ大聖堂のアーチの下での「パチャママ」の偶像崇拝と組み合わせれば、私たちは次のように理解します。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはグローバリストのエリートから委託された任務を遂行しているのであって、このエリートは、ベルゴリオをカトリック教会の清算人にするとともに、彼を、新世界秩序を支える「普遍的宗教」を設立することを目的とする、フリーメーソンの触発を受けた慈善活動的でエキュメニカルなカルトの創設者とするのを望んでいる、ということです。このような行為が行われているのが、十分に認識した上なのか、恐怖心からなのか、あるいは脅迫されているのかにかかわらず、起きていることの重大性や、それを推進する人々の道徳的責任を減じるものは何もありません。
新世界秩序のルチフェル的母体
この段階で、明らかにしておく必要があるのは、「新世界秩序」とは何を意味するのか、すなわち、表向きには何と言っていようとも、その創造者たちにとっては何を意味するのか、です。なぜなら、一方では、プロジェクトが存在し、特定の人々がそれを構想し、実行する責任を負っていることは事実ですが、他方では、プロジェクトに着想を与えた原理が常に開示されているわけではなく、少なくとも、今日起こっていることと密接に関係していることを彼らは公に認めることができないことも、また事実です。なぜなら、このように認めれば、最も平和的で穏健な人々からさえも反対が起こるであろうからです。パンデミックを口実に「グリーン・パス」を押し付けることと、パスポートの目的が私たちに追跡されることに慣れさせることであることを認識することは全く別のことであり、さらに、この完全な管理が黙示録で語られている「獣のしるし」(黙示録13章16-18節)であると言うことも別のことです。私の主張を証明するために、戸惑いと恐怖を覚えるほどの重大で邪悪な引用を用いなければならないことを、読者の皆さんは許してくださるでしょう。しかし、この陰謀の立役者(architects)の真の意図が何であるかを理解し、また彼らがキリストとその教会に対して行っている歴史的な戦いの真の本質を理解するためには、このようなことが必要なのです。
ジュゼッペ・マッツィーニ(19世紀のイタリアの政治活動家)が悲願としていた国際連合の基礎となる思想の秘教的根源を理解するためには、アルバート・パイク、エリファス・レヴィ、ヘレナ・ブラヴァツキー、アリス・アン・ベイリーや、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)のセクトの他の弟子たちを考えないわけにはいきません。19世紀末から出版されている彼らの著作は、非常に興味深いものです。
マッツィーニの友人であり、フリーメーソンの仲間であったアルバート・パイクは、1889年にフランスでフリーメーソンの最高レベルの人々に向けて演説を行い、その内容は1935年1月19日に英国の雑誌「ザ・フリーメーソン」(The Freemason)で再出版されました。パイクはこう宣言しました。
「われわれが群衆に言わなければならないことは、われわれは神を礼拝しているが、その神は人が迷信を伴わずに礼拝する神だということである(…)。メーソンの宗教は、最高位の秘伝伝授者であるわれわれ全員が、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)の教理の純粋さを維持すべきものである。もしルチフェルが神でなかったとしたなら、アドナイ(ママ)【キリスト教信者の天主のこと】は --- その行為が人間への残虐性や背信性、憎悪、また科学の野蛮性や反発だと証明している --- 、アドナイとその司祭は、ルチフェルを【神でないと】中傷するだろうか?」。
「そう、ルチフェルは神であり、残念ながらアドナイもまた神なのである。永遠の法則とは、影のない光はなく、醜さのない美はなく、黒のない白はないということであり、絶対的なものは二つの神として存在することしかできないのであり、像に台座が必要であるように、機関車にはブレーキが必要であるように、その箔としての役割を果たすために、光には闇が必要であり、…サタニズムの教理は異端である。真にして純粋な哲学的宗教とは、アドナイと同等のルチフェルを信じることであるが、光の神にして善の神であるルチフェルは、暗黒と悪の神であるアドナイ(ママ)に対抗して人類のために戦っているのである」。
サタンの神性への信仰告白は、フリーメーソンが礼拝する真の大建築家(Great Architect)が誰であるかを認めているだけでなく、フリーメーソンを最初の理論家とする第二バチカン公会議のエキュメニズムを貫通している冒涜的な政治プロジェクトでもあるのです。
「キリスト信者、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、孔子やゾロアスターの信者は、兄弟として団結し、他のすべての神々の上に立つ唯一の神に一緒に祈りを捧げるのである」(Albert Pike, Morals and Dogma, ed. Bastogi, Foggia 1984, vol. VI, p. 153を参照)。
そして、「他のすべての神々の上に立つ唯一の神」の正体が何かは、直前に引用した文でよく説明されています。
パイクは別の手紙で、マッツィーニにこう書いています。
「われわれは虚無主義者や無神論者を解き放ち、恐るべき社会的大変動を引き起こし、絶対的な無神論の影響、野蛮と血塗られた破壊の起源を、その恐ろしさの全てにおいて、諸国民にはっきりと示すであろう。そうすれば、世界の少数の革命家たちから自らを守ることを余儀なくされた世界中の市民は、(…)最終的に公衆の目に明らかにされたルチフェルの純粋な教理の普遍的な表れを通して、真の光を受けることになるであろう。この表れは、キリスト教の破壊と無神論の破壊に続くもので、キリスト教徒無神論は同時に征服され、粉砕されるであろう」(Letter of 15 August 1871 to Giuseppe Mazzini, Library of the British Museum, Londonを参照)。
「分離性(separativeness)の大異端」という表現は、ピオ十一世が回勅「モルタリウム・アニモス」(Mortalium Animos)で断罪したエキュメニズムと、奇妙なことに一致しているように聞こえます。また同様に、第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(Dignitatis Humanae)で採用され、最近では聖ペトロ大聖堂でのパチャママへの偶像崇拝を許した人々が提唱した「包括性」(inclusivity)の教理に融合したエキュメニズムと一致しているのは、見落とすことができません。
「分離性」という言葉が、人間の行動を道徳的に判断する基準となる、善と悪、真と偽、正と誤という必要な分離を否定的な意味で表すことを意図しているのは明らかです。「包括性」とは、この区別に反対するもので、善に混ぜ物をするために意図的に悪に汚染されることを許し、真理を堕落させ誤りに正当性を与えるために真と偽を等しくすることです。
エキュメニズムの思想的根源の共有
エキュメニズムの思想的な根源が、メーソン的・ルシフェリアン的な秘教(esoterism)と本質的に結びついていることを理解していなければ、第二バチカン公会議の教理上の逸脱を新世界秩序の計画と結びつける関連性を把握することはできません。1968年の革命は、それらの平和主義者とエキュメニズム信奉者の野望を表わす悲しむべき例でした。この革命で、「水瓶座の時代」は、ミュージカル「ヘアー」(1969年)、そしてジョン・レノンによる「イマジン」(1971年)によって祝われました。
Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try.
No hell below us. Above us only sky.
Imagine all the people, living for today.
Imagine there’s no countries. It isn’t hard to do.
Nothing to kill or die for, and no religion too.
Imagine all the people, living life in peace.
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one.
I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
Imagine no possessions. I wonder if you can.
No need for greed or hunger, a brotherhood of man.
Imagine all the people, sharing all the world.
天国がないと想像してくれ。やってみれば簡単だ。
僕らの下には地獄はない。僕らの上には空があるだけだ。
すべての人もが今日のために生きていることを想像してみよう。
国がないことを想像してくれ。それは難しいことではない。
殺すことも死ぬこともないし、宗教もない。
すべての人もが平和に生活していることを想像してくれ。
君は僕のことを夢想家だと言うかもしれないが、それは僕だけではない。
いつの日か、君も僕らの仲間になって、世界が一つになることを願っている。
何も持っていない状態を想像してくれ。君にできるかな。
欲も飢えも必要ない、人間の兄弟愛を。
すべての人が、すべての世界を共有することを想像してくれ。
このメーソンの虚無主義を表明したマニフェストともいえる歌詞は、グローバリズムと新しい普遍的な宗教の賛美歌と考えられます。2012年のロンドン五輪、そして最近では東京五輪のテーマソングとして使われたのは偶然ではありません。迷えることのない霊魂は、このような冒涜的な言葉に恐怖を感じるしかありません。同じことが、レノンの同じくらい冒涜的な歌「ゴッド」(1970年)の歌詞にも言えます。
God is a concept by which we measure our pain. […]
I just believe in me.
神とは、僕らの痛みを測るための概念だ。(…)
僕はただ、自分を信じているだけだ。
教会の霊魂ともいえる中核そのものに触れる問題で、位階階級が敵に騙されて、敵の要求を自らのものにするのを許してしまったかもしれない、ということを受け入れるのは、多くの人にとって苦痛であると私は理解しています。自分たちの考えを偽装させて公会議に導入することに成功し、その考えが宗教の破壊の実現に必ずつながることを十分に認識していたメーソンの高位聖職者たちがいたのは確かです。宗教の破壊は、社会から主キリストを追放して反キリストを迎える新時代(水瓶座の時代)を確立するための前提でした。そうすると、多くのカトリックの著名人(私は多くの人々のうちでもマルティーニ枢機卿やラヴァシ枢機卿を思い浮かべます)がフリーメーソンに好意を示して寛容な態度を取っていることや、教皇たちがこのセクトに対して破門を新たに発することに反対していることが理解できます。また、ベルゴリオが選出されたときにメーソンのロッジが熱狂した理由や、逆に排除されるべき「カテコン」(kathèkon)(「とどめている者」(テサロニケ後書2章7節参照))とみなされていたベネディクト十六世への隠しきれない憎しみも理解できます。
また、忘れてはならないのは、恥ずかしいことですが、ラッツィンガーの以下の言明が、グローバリストのプロジェクトを、反キリスト的かつ反キリスト教的なものとして断罪することなく、「キリスト教化する」試みを提案していることです。
「ベトレヘムの幼子イエズスが、手をとってあなたを連れて行くがままにしてください。恐れることなく、彼に信頼を置きましょう。主の光の生命を与える力は、新しい世界秩序を構築するための動機となります(こちら)」。
この言葉は、残念ながら、このチュービンゲン出身の教授が教皇座に就くまで影響を受けていたヘーゲル思想という誤った考えをもっていたことを裏付けるものです。確かに、イタリア大統領ジョルジョ・ナポリターノが2006年の年末にイタリア国民に向けて行った演説で、「新世界秩序を支持するという点で、教皇ベネディクトと私の間は調和がとれている」(2006年12月31日)と断言することができたとしても、教皇はどんな意味でもグローバリストの計画の味方であるとみなされるような立場の表明をしませんでした。他方で、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼというヘーゲル的なプロセスは、フリーメーソンやルシフェリアンの秘教が採用した錬金術のモットー「溶かして固めよ」(Solve et Coagula)と呼応しています。それは、メーソン・セクトの最も中心となるメンバーが認めたように、メーソンの最高レベルのメンバーが礼拝する地獄の偶像、バフォメットの腕に描かれているモットーです。フィリップ・ジョーンズは「ルシファー・ライジング」(Lucifer Rising)というエッセーの中で、ヘーゲル的弁証法は「テーゼとしてのキリスト教とアンチテーゼとしての異教の心霊主義を組み合わせたものであり、その結果、バビロニアの神秘宗教に非常によく似た総合物【ジンテーゼ】となっている」と述べています。
テイヤール・ド・シャルダンによるグローバリズムの汎神論
エキュメニズムは、グローバリズム思想の重要なテーマの一つです。これを裏付けるのが、国際連合事務次長だったロバート・ミュラーの言葉です。「われわれは、単一世界政府(one-world government)、単一世界宗教(one-world religion)、そして単一の世界指導者(single world leader)に向かって、できるだけ早く進まなければならない」。彼以前には、国際連盟の提唱者の一人であるアーサー・バルフォアが、「単一世界宗教」をつくることを目的とした「総合協会」(Synthetic Society)を設立しました。ピエール・ティヤール・ド・シャルダンは、検邪聖省に断罪されたイエズス会士の異端者で、今日ではたたえられる進歩的神学者ですが、国際連合を「自分の哲学を組織的に具現化した進歩主義的なもの」とみなし、次のように自分の希望を述べました。
「宗教すべてを成就する普遍的なキリストに、諸宗教が全般的に収束することは、…唯一可能な世界の回心であり、将来の宗教が考えられる唯一の形態であるように私には思われる。」それは「汎神論の中にあるキリスト教的な霊魂、あるいはキリスト教にある汎神論的な側面とでもいうべきものを引き出すことによって、汎神論とキリスト教との間の隔たりを縮める」ためであると表現しました。
「パチャママ」や母なる大地にマリア的な意味合いが付与されていることを見ると、ティヤール・ド・シャルダンのこれらの概念が、不安を覚えさせる現実になっていると気づきます。また、それだけではありません。世界政府の理論家であり、神智学者アリス・A・ベイリーの弟子でもあるロバート・ミュラーはこう宣言しています。「ティヤール・ド・シャルダンは、彼の仲間(国連で重要な役職に就いていたイエズス会のエマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリー神父)に影響を与え、その仲間が同僚たちを触発し、その同僚たちが国連の中でグローバルかつ長期的な思考の豊かなプロセスを開始し、それが世界中の多くの国や人々に影響を与えてきたのです。私はティヤールから多大な影響を受けました」。ティヤールは著書「人間の未来」(The Future of Men)の中で、「たとえその形がまだ見えなくても、将来、人類は汎組織化された(pan-organized)世界で目覚めるだろう」と書いています。
ミュラーは「ワールド・コア・カリキュラム」(World Core Curriculum)の創設者でした。このカリキュラムの目的は「21世紀の労働力のために必要とされる、地球市民、地球を中心とした信念、社会主義的価値観、集団的考え方へと子どもたちを方向付ける」ことです(「ニュー・マン・マガジン」)。また、彼が自分に影響を与えた人々の中にアリス・A・ベイリーがいると自慢して主張しますが、ベイリーは、公然たるルシフェリアンであるヘレナ・ブラヴァツキーが創設した神智学運動の弟子であることが、私たちには分かっています。ブラヴァツキーの人物像を正しく理解するために、彼女の著作からいくつか引用してみましょう。
「ルチフェルは生命、思想、進歩、文明、自由、独立などを象徴している。ルチフェルはロゴスであり、ヘビであり、救い主である。」
そして、パチャママのことをほぼ予想しています。
「このようにして天上の童貞は、同時に神々と悪魔の母となる、何故なら永遠の愛に満ちた慈悲深い神であるがゆえに。…しかし、古代においても現実においても、(この神の)名はルチフェルである。ルチフェルは神の光、また地の光であり、聖霊であると同時にサタンでもある」。
そして、最後にこうあります。
「サタンこそが、われらの惑星の神にして唯一の神である」。
「ルシファー出版社」(現在の「ルシス出版社」)を設立したのは、アリス・A・ベイリーであり、同社は国連のNGOに認定されている「ルシス・トラスト」(旧「ルシファー・トラスト」)と密接な関係があります。この地獄のようなとりとめのない堆積物に、国連の地球イニシアティブ・プロジェクト(Planetary Initiative Project)のディレクターであるデヴィッド・スパングラーの次の言葉を加えれば、私たち全員の上につるされている脅威がいかに恐ろしいものであるかが分かるでしょう。
「ルチフェルへの礼拝行為を実行しなければ、誰も新世界秩序の一員にはならないだろう。ルチフェルの入門式を受けなければ、誰も新時代に入らないだろう」(Reflections on the Christ, Findhorn, 1978)。
アリス・A・ベイリーは、ニューエイジについて、こう書いています。
「科学の成果、国家の征服、領土の征服はすべて、理想主義や戦闘性、そして宗教、政治、経済などあらゆる分野における分離性を持つ、魚座の時代(キリストの時代)の方法を示している。しかし、総合の時代、包括性の時代、そして理解の時代が到来しており、水瓶座の時代(反キリストの時代)の新しい教育は、非常に繊細に人間のオーラに浸透し始めなければならない」。
今日では、ミュラーが「ワールド・コア・カリキュラム」で理論化した教育法が、LGBTイデオロギーやジェンダー論など、あらゆる形の教え込みを含めて、ほとんどすべての国で採用されていることが分かります。このことは、WHOの元事務局長であるブロック・チザム博士が、国連の教育方針が何を実現したいのかを、次のように説明していることからも確認できます。
「世界政府を実現するためには、人間の心から、個人主義、家族の伝統への忠実さ、愛国心、宗教的教義などを取り除く必要がある」(Christian World Report, Marzo 1991, Vol. 3を参照)。
クラウス・シュワブやヘルダー・カマラだけでなく、ロバート・ミュラー、アリス・A・ベイリー、ピエール・ティヤール・ド・シャルダン、エマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリーを結びつける「赤い糸」(fil rouge)が、常にグローバリストの鍵となり、ルシフェリアン思想という悪しき霊感の下に存在していることを、いま一度見てみましょう。これらの不安を覚えさせる面を徹底的に分析することで、真実に光を当て、敵の奴隷となっている少なからぬ教会関係者の共犯と裏切りを明らかにすることができるでしょう。
権威の危機への私たちの対応
権威の腐敗は、少なくとも人間の言葉で言えば、平和的な出口を仮定することが非常に難しいものです。歴史を振り返ると、全体主義的な体制は武力によって打倒されてきました。ここ数カ月の間に確立された健康独裁体制は、国家のすべての権力、すべての情報手段、すべての国際的な公的・私的機関、すべての経済的・金融的権力者がこの犯罪に加担しているため、武力とは違う方法で戦いができるとは考えにくいものです。
腐敗と利益相反という暗い脚本に直面したとき、グローバリストの計画に従属していないすべての人々が、天賦の権利と宗教の権利、自分自身と愛する人の健康、自由、財産を守るために、コンパクトでまとまった戦線に団結することが不可欠です。権威がその義務を果たさず、設立された目的を実際に裏切る場合、不従順は合法であるだけでなく、義務でもあります。少なくとも今のところ、非暴力の不従順ですが、断固とした勇気ある行動です。教会の権威自らが新世界秩序という地獄の計画の共犯者であることを見せるのなら、その権威による正当でない専制的な「命令」(diktats)には不従順です。
結論
この考察の最後に、簡単な霊的考えを述べさせていただきます。現在展開されている世界的な陰謀について、私たちが知り、発見し、理解しているすべてのことは、途方もない現実を示していますが、それは同時に、鋭くはっきりとしたものでもあります。二つの側があり、それは天主の側とサタンの側、光の子の側と闇の子の側ということです。敵と折り合いをつけることはできませんし、二人の主人に仕えることもできません(マテオ6章24節)。次の主のみ言葉を、私たちの心に刻まなければなりません。「私の味方でない人は私に背き、私とともに集めぬ者は散らしてしまう」(マテオ12章30節)。
イエズス・キリストの天主の王権が違法となるような世界政府の構築を望むことは、正気ではなく、天主への冒涜であり、そのような計画を持っている人は決して成功しないでしょう。キリストが統治するところでは、平和と調和と正義が統治し、キリストが統治しないところでは、サタンが暴君となります。偽りの平和的共存の名の下に、敵対者と協定を結ぶかどうかを選択しなければならないときはいつでも、このことをよく考えましょう。そして、自分たちの加担が影響するのは経済や健康の問題だけだと考え、このすべての背後にあるものを知らないふりをしているこれらの高位聖職者たちや世俗の指導者たちにも、このことをよく考えてもらいましょう。
心の王、家庭の王、社会の王、そして国家の王であるキリストに目を向けましょう。この方を私たちの王として、そして至聖なるマリアを私たちの元后として宣言しましょう。新世界秩序という邪悪な計画を打ち負かすことができるのは、この方法によるしかありません。裏切り者や反逆者から聖なる教会を浄化することができるのは、この方法によるしかありません。そして、天主が私たちの祈りに耳を傾けてくださいますように。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
司教証聖者教会博士聖アウグスティノの祝日
[1]ジュゼッペ・ドセッティ神父(1913-1996年)は、「進歩的カトリシズム」の「ボローニャ学派」の創始者とされている。第二バチカン公会議では、ボローニャ大司教のジャコモ・レルカーロ枢機卿の専門家(peritus)を務め、公会議の手続きをコントロールする上で大きな影響力を持っていた。
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