Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」 誰に向けての御言葉だったのか?

2017年03月31日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月19日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月19日(主日) 四旬節第3主日のミサ
小野田神父 説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は初めての方がいらっしゃって大変嬉しく思います。今日は2017年3月19日、四旬節第3主日のミサをしております。ミサの後にはいつもの通り、退場にはファチマのアヴェ・マリアを、それから感謝のお祈りを致しましょう。
14時30分から公教要理があります。今日は聖ルカについてお話をしようと思っています。16時からは晩課があります。

明日は、本来なら今日あるべき聖ヨゼフの祝日が、今日は主日と重なっていますので明日に移動になりました。そこで聖ヨゼフの祝日が明日の朝7時からあります、どうぞいらして下さい。

次回は4月2日と9日、御受難の第1主日とそれから枝の主日です。


Si autem fórtior eo supervéniens vícerit eum, univérsa arma eius áuferet, in quibus confidébat, et spólia eius distríbuet.

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、四旬節も第3週になりました。イエズス様は第1週では悪魔から誘惑を受けて、それを追い払うだけでした。

今回の福音では悪魔に対して、「俺は悪魔よりもっと強い。悪魔がその自分の占領している霊魂たちを強く守っていたとしても、俺は更に強くやって来て、それを打ち負かしてしまって、悪魔の持っているものを全て奪って、それを天の国で分配する。より強い者がやって来る、それは私だ。私と一緒にいないものは私に逆らう者であって、私と共に集めない者は散らす者だ!」と攻撃に出て来ます。

そこで今日は、一体教会はこれで、一体何の話をしているのだろうか?一体何故この攻撃の話を、イエズス様が悪魔に対して攻撃する話をし出したのか?という事を黙想したいと思います。

それには理由があります。何故かというと、四旬節は教会にとって、「洗礼志願者」と、それから「公の罪人の回心の為の悔悛の為の儀式」を準備する特別な期間であったからです。

今回はこの特に、この2つのグループに対してメッセージを、強いメッセージを与えようとしています。つまり、「悪魔がお前たちを支配していたとしても、イエズス様は更にもっと強い。心配するな。さぁ、ますます四旬節の中に深く入って、洗礼の準備をせよ。痛悔の心を燃え立たせよ」と言っています。

そこで今日は第1に、洗礼志願者に対しては、教会はどんなメッセージを伝えようとしているのか?これは特に聖パウロから、書簡から。

第2に、では公の罪人たちに対してどうやって、何のメッセージを与えているのか?

それで最後に、私たちは2017年3月19日の今、四旬節の第3主日を迎えている私たちに対しては、教会はどんなメッセージを与えていて、一体私たちは何をしなければならないのか?その結論を、その黙想を遷善の決心として立てたいと思っています。

先程すでに申しましたけれども、四旬節は教会にとって、洗礼志願者と公の罪人の回心の儀式の為の特別の準備の時でした。洗礼志願者は復活の徹夜祭に洗礼を受けます。公の回心の人たちは、遂に告解の秘蹟を受けて、公の償いの業を与えられた業を果たし、そして今まで着ていた償いの服を脱いで、そして聖木曜日に一般の信徒の方と御聖体を一緒に拝領します。

今日はその準備段階として、霊的に私たちも招かれているのですけれども、ローマの門外にある聖ラウレンツィオの指定巡礼教会に行くようにと定められています。今日、今から1600年前のローマの時代に、タイムマシーンで一緒に飛び出す事に致しましょう。1600年前の四旬節第3主日にチャンネルを合わせて下さい。

私たちが行ってみると、まず莫大な数の洗礼志願者が行列で、「洗礼を受けよう」とする、大人たちを見て下さい。

或いは老人。「遂に、色々勉強したけれども、色々悩んだけれども、色々考えたけれども、色々人生を送ってきたけれども、やっぱりキリストの信仰を受けなければならない、キリストが正しい。ローマの異教の神々ではない」と悟った人々。

或いは少年の、若いまだ働き盛りの人々。やはりローマでの生活の、「その退廃した生活は良くない」と思うそのような、その「キリストの教えに倣って生活をしたい。天国を受けたい」と思う人々。

或いは若い少女たち。中には異教のお金持ちの男の子から「結婚をしよう」とプロポーズを受けた人もいたかもしれません。しかし、「いや、私はもしも生きるなら、キリストの生活を送る事を許す方と一緒になりたい」と言った人々。

或いは若い男の子たち、青年たち。もしかしたら中には、「キリスト教の洗礼を受けるようだったら、お前には財産をずっとあげない」と脅された人もいたかもしれません。しかしそれでも、「永遠の命を受けたい」と思って、その洗礼志願者に名前を連ねて、今行列で、聖ラウレンツィオ指定巡礼教会の方に荘厳に歩いて行きます。

その次には、償いの服を着た荒れ布を着た、洗礼は受けたけれども、しかし罪を犯してしまった、或いは泥棒をしてしまったのかもしれない、或いは何か重大な罪を犯して、肉の罪を犯してしまったのかもしれない、或いは何か、公の罪を犯してしまったのかもしれない、今では新聞の記事沙汰になったような事をしてしまったかもしれないような人たちが、痛悔の念をもって、断食でやつれた顔をして、そして聖ラウレンツィオ教会の方に行きます。

その次に聖職者、助祭、副助祭、司祭、その他ローマの全ての聖職者たちが、信者と共に一緒に入ります。その最後には、ローマの司教である教皇様が囲まれて、多くの枢機卿とか或いは他の高位聖職者たちに囲まれて入ります。

教会に入ると、「今から洗礼志願者たちの為に、特別の試験の時期が始まる。今から7回に分けて、」それは数が多かったからですけれども、「まず信仰が正しいか、或いはキリスト教に対する良い知識を持っているかどうかの試験がある」というアナウンスを受けて、それから教会に入ると、教会では聖歌隊が歌います。

「“Oculi mei semper ad Dominum.”私の目は常にずっと主に上げられている。」

或いは昇階誦や或いは詠誦でも、「私の目は常に主の方に、眼は主の方に向いている。憐れみを受けるまでずっと向いている。主よ、どうぞ私はもう今までずっと、地上の事を犬のように這い回してきましたけれども、私の眼差しはすでに上の方にあります」という声を響かせます。

聖パウロはそこで言います、「お前たちは今まで闇の中にあった。だからこれからは、今は光の中に入り、天主を真似た者となれ。お前たちは今まで肉の罪、こんな色々な口にするのも恥ずかしいような罪を犯してきた、そして偶像崇拝をしていた。しかしこれからはそうではない。これからは光の子として歩め。天主を真似る者として歩め。光の中を歩め」と、洗礼を受けようとする人たちに励ましの声を響かせます。


第2は、では痛悔の人たちにとってはどうなのでしょうか?それはイエズス様の言葉で教会は教えようとしています。

それは、せっかくイエズス様からの洗礼の御恵み、罪の赦し、しかもその為に天主の御血潮を全て流されて、私たちをきれいに洗って下さって、愛するが為にその御受難を受けたにもかかわらず、それを罪を犯す事によって「No!」と言ってしまった、イエズス・キリストに逆らってしまった、それを悔やむ霊魂たちに対しては、「イエズス・キリストは更に強く、悪魔がお前たちを攻めて守っていたとしても、更に強い。」

「でも気を付けろ、一度清められた家がもしも堅忍しないならば、守り続けていないならば、悪魔はまた戻って来るだろう、奪い返そうとするだろう。その時は自分よりももっとひどい悪魔を7匹連れて、もっと強い攻撃をするだろう。そしてもしも悪魔が戻って来たとしたら、霊魂の状態は更にひどくなってしまう。気を付けろ。」「今はお前たちは罪を痛悔する恵みを頂いた。しかしその恵みがいつまでもそれが与えられると油断してはならない。悪魔がもう汚らわしいものを連れて、何匹も連れてやって来て、お前たちを攻撃してしまった暁には、もしかしたらお前たちはもっともっとその状態が荒れてしまって、もはや立ち戻る事ができなくなってしまうかもしれない。気を付けろ 」と警告をしています。

実際に教会の前で、その大行列が入る前にそのようなアナウンスもあったのです。教会は、更に、福音でイエズス様の声を響かせました。

では、私たちは一体どのような決心を取ったら良いのでしょうか?

私たちは同時に、洗礼を受けた、日本の1億2700万の中から特別に選ばれて洗礼の恵みを受けた者でありますが、たとえ私たちはこの「公の罪人」というタイトルを受けなかったにしろ、しかし残念ながらイエズス・キリストに対して、かつて罪を犯してしまった、洗礼の御恵みを受けていたにもかかわらず罪を犯してしまった者であります。悪魔の罠をよく知っている者です。

最初は、「あぁ、これぐらいでは良いんじゃないか。」次には、「こうでも良いんじゃないか。」遂には「もっとこれも良いんじゃないか。あぁ誰も見ていないよ」と、ますます罪を重ねてしまった者ではないでしょうか。ですから私たちはそれと同時に、悔悛の立場を、公の罪人の立場をも兼ねている者です。

ですから私たちも今日、教会の招きに従ってこのメッセージをよく聞く事に致しましょう。

「洗礼の御恵み、これによって私たちは偶像崇拝を捨てて、光の子となる者となったのだ。そしてその光の子となる者となったにもかかわらず、私たちはイエズス様を捨ててしまった。しかしこの今、悔悛の御恵みの時期が与えられている。それを是非利用しなければならない。私たちの名前もこの公の罪人の中に入れよう。そしてこの四旬節を彼らと共に過ごそう。そして良い復活祭を準備しよう。」

それだけではありません。私たちは同時に、一般の信徒たちと共に聖ラウレンツィオ教会に巡礼致しましょう。

一般の信徒たちは、「あぁ、この洗礼を受ける人は俺とは関係ないよ。」或いは「罪人、公の罪人、関係ないよ」と言ったのではありませんでした。一般の信徒たちは、彼らの為に教会と共に祈っていました。この2つのグループの人々の為に、祈りと犠牲を特にこの四旬節に捧げていました。

まさにここにこそ教会の真髄があります。特にこの第2の点を、皆さんにはこの四旬節に今日良い決心を取って頂きたいと思っています。何故かというと、例えば「クリストヴァン・フェレイラが転んだ、躓いてしまった、堕ちてしまった」と聞いた時に、同じイエズス会の同僚たちは皆、「フェレイラに代わって、自分の兄弟に代わって、俺が日本に行って血を流して、その罪を償いたい。」祈りと犠牲を倍増させました。40時間の御聖体礼拝、教会を特別にきれいにして、「イエズス様の栄光を表したい。そしてできる事ならば自分の血を以て罪を償いたい」と。

ファチマのマリア様も同じです。子供たちに、「多くの霊魂が地獄に行っている。何故かというと、誰も彼らの為に祈り、償いをする人がいないから。しかし、もしも彼らの為に喜んで祈り、喜んで償いを果たす霊魂がいれば、多くの霊魂は天国に行く。そしてこの地上には平和が来る。キリストのカトリック教会には栄光が与えられる」と。

まさに四旬節のこの第3主日の精神なのです、「罪人の為に、今から洗礼を受けようとする彼ら求道者の為に、信者は祈り、償いをよりたくさん捧げて、彼らの為に全力を尽くさなければならない」と教えているのです。今日ここにその意義があります。

愛する兄弟の皆さん、ですから私たちもますます熱心に、お祈りと犠牲の奮発心を起こす事に致しましょう。

今から400年前日本では、もしもフェレイラ神父の為に多くの殉教者が命を捧げて、そして祈りと犠牲を捧げたとすれば、現代、そのような公の罪人たちの為に、犠牲と祈りを捧げる霊魂が一体どこにいるでしょうか。

ファチマのルチアは言っています、「祈りと償いの呼びかけを、ローマや修道会からもはや期待する事ができなくなる時が来るでしょう。私たちがむしろ進んでそれをしなければならないでしょう。」ですからこの四旬節のこの時は、ますます貴重となっています。是非私たちが彼らに代わって、多くの犠牲と祈りを捧げ、彼らの回心の為に祈る事に致しましょう。

ファチマのマリア様にお願い致しましょう。どうぞ私たちにその恵みが与えられますように、寛大さが与えられますように。

悪魔がこの世界を支配していたとしても、聖母の汚れなき御心は最後に凱旋します。ますます四旬節の中に深く入って、洗礼志願者のために、罪人たちのために、祈りと償いの呼びかけに答えましょう。

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

「私は、父の元に行こう。」

2017年03月30日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月18日(土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月18日(土) 四旬節の平日のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月18日、四旬節第2主日の後の土曜日のミサをしております。今日この御ミサの後にはこの前の公教要理の続きで、今日は聖ルカについて、その生涯とその聖福音について黙想する事を提案します。

明後日の月曜日にも、聖ヨゼフの大祝日ですけれども、大阪で午後の16時からミサができるようになりました、どうぞいらして下さい。火曜日の朝には、朝の6時にミサがあるようになりました、どうぞいらして下さい。

ですから、残念ながら主日のミサは捧げる事ができませんが、しかし御聖体はそのまま火曜の朝まで残しておきますので、主日には10時30分からここでいつもの通り、お祈りの時には御聖体が在すという事で、どうぞ皆さんいらして下さい。

秋田の巡礼が5月の3・4・5日とあります。3日の朝のミサから始まります。どうぞ皆さんいらっしゃる事を招待致します。特に秋田のマリア様とファチマのマリア様は密接な関係がありますから、ファチマ100周年を祝う為にも是非、巡礼にいらっしゃる事を強くご招待致します。申し込みをされる方はどうぞいらして下さい。



「私は、父の元に行こう。」


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第2主日の後の土曜日で、兄弟の話が私たちの目の前に映りました。

そこで第1の点には、「指定巡礼教会」と、そして今日の「書簡」、そして「福音」の話を見て、

では私たちは一体、2017年の今私たちに一体何が、何のメッセージが伝えられているのか、その兄弟とは私たちにとって何なのか、という事を黙想して、

次に最後に、私たちが四旬節に取るべき遷善の決心を取る事に致しましょう。

会長がタイプを打って下さったこのミサのこの中には、解説に「兄弟の話が載っている」という事でうまくまとめられています。そこで、最初の兄弟の話をさせて下さい。

最初の兄弟は、指定巡礼教会の聖マルチェリーノと聖ぺトロです。この二人は本当に血の繋がった兄弟であったのかどうかはよく分からないのですけれども、しかし兄弟のようにこの二人は同じく、兄弟であるかのように同じく回心してキリスト教徒となって、そして同じく二人共揃って殉教しました。ちょうどその時代はディオクレチアノローマ皇帝の時代で、マルチェリーノは祓魔師でした。そして聖ぺトロは司祭になりました。しかし二人共同じく投獄されて、同じく拷問を受けて、同じく首を切られて、そして同じく殉教していきました。

その二人の殉教はとてもローマでは有名で、ローマの典文の中に二人の名前が載っています。これは死者の記念の時で、マルチェリーノとぺトロについて名前が載っています。今日この霊的に教会が私たちを、この二人の殉教者の聖人に私たちを運んで招いているというのは、私たちも「この兄弟に倣うように」との意向があるからです。この二人は特別に選ばれて、そしてカトリックの信仰の恵みを受けました。そして多くの中から特別に選ばれて、殉教の恵みも受けました。

そういうわけで今日書簡書の中では、二人の兄弟の中の選びを受けたヤコブの話が出ます。ヤコブとエザウの話は皆さんもよくご存知なのでここでは繰り返しませんが、弟のヤコブは長子権を持っていたエザウの代わりに父親から祝福を奪ってしまいます。お母さんの入れ知恵でこれを奪ってしまいますが、しかしこれは聖書によれば、天主様の特別の選びによってなされた事です、「天主は、エザウではなくヤコブを選んだ」と。

そしてその特別の愛を、選みを受けたのは、ヤコブだったという事です。若い弟の方が、権利としてはあまりないはずの弟が選ばれて、そして特別の祝福を受ける、天の祝福を受けるという事です。お兄さんに残ったのは地上の祝福でしかありませんでした。地は豊かであったり、この地上で豊かな生活ができる、それだけでした。しかしヤコブが受けたものは超自然の特別の御恵みでした。

聖福音でも今度は二人の兄弟の話が出ます。今度は弟とやはり兄さんですけれども、弟はお父さんの財産を半分貰って、それを罪の生活で使い果たしてしまいます。放蕩をして飲んだり食ったり、そして或いは女と遊んだりなどとしてすっからかんになって、そして豚の餌さえも食べたいが食べる事ができない、誰も与えてくれる者がいないという事で、お父さんの元に帰ろうとします。

この描写は非常に憐れみに富んだ描写です。罪の生活をして、せっかく豊かな父親に生まれたにもかかわらず、その全てを浪費して、罪で使い果たして、そしてすってんてんになってお父さんの元に帰って、「もう子供として呼ばれるにはふさわしくない。だから召し使いとして使ってもらいたい。でも父の元に居たい」と戻って来るのですけれども、このトボトボお父さんの元に「帰ろう」と、お父さんの元に「何と言おう」と、お父さんの元に「本当に悪い事をした」と思いながら帰って来ると、お父さんは遠くから見て、その息子の元に走って行って駆け寄って、抱きついて、接吻をして、「あぁ、息子よ!」とお父さんの方から声をかけたのでした。

すると息子は跪いて、「お父さん、私は天とあなたに対して罪を犯しました。もうあなたの子供などと言われる資格など全くありません。どうぞ使用人の一人として奴隷の一人として、どうぞ私を中に入れて下さい、どうぞ使って下さい。申し訳ありません」と言うと、お父さんはその言葉には何も言わずに召し使いに言って、「さぁ、この子に一番良い服を、最上の服を一番の服を持ってきなさい、そしてこの子に着せなさい。それからこの子に指輪をはめなさい。それから靴を履かせなさい。さぁ、一番肥えた牛を屠って宴会を開こう!」と言うのです。それでもう家をあげて総出で、召し使いも総出で、大宴会を開いて、「あぁ、よかったよかった!子供が帰って来た、弟さんが帰って来た!」と言って音楽を奏でて奏でて、もうそれはそれは喜ばしい大パーティーと大宴会を開いたのです。おいしい料理、おいしいごちそう、そしてきれいに飾ったその息子。

息子はそのお父さんのその憐れみにどれほど感動して感謝した事でしょうか。もうその資格が無いにもかかわらず、奴隷として戻ったつもりが、王の子供として、王子として迎え入れられたのですから。あれだけお父さんに逆らっていたにもかかわらず、お父さんはそれを全く許すのみならず、それをあたかも忘れたかのように、あたかも何もなかったかのように、全てを自分の子供として、王子として迎え入れてくれたのですから。しかもその戻ったのを、これほどまでして最高のごちそうまでして喜んで下さったのですから。何とそのお父さんの憐れみに感謝した事でしょうか。

するとお兄さんが帰って来て、「何だこのチンドン騒ぎは!?何だこの音楽は?何でこんなにワイワイ騒いでいるんだ!?」と言うと、「弟様が帰って来られたのです!ですからお父様は非常に喜んで、今大宴会を開いておられます!」「何だ!俺の為には、俺は父に一度も逆らった事のない、いつも忠実に仕えているにもかかわらず、俺の為には何も、こんな事もしてくれた事はない、こんな事は初めてだ!牛一匹殺した事もないのに、何だこれは!俺はこの家に入らん!」と怒り出すのです。「これは不平等だ!」

ここでもやはり、弟がお兄さんの上になってしまった、お父さんはお兄さんよりも弟を尊重したかのように思われるのです。何も罪を犯さず、いつもお父さんに忠実に仕えてきたお兄さんが、尊重されるべきはずの長子権を持つお兄さんよりも、弟の方が愛されているかのように思えたのです。

「俺は入らん、これは嫌だ、拒否する!」するとお父さんは出て行って、お兄さんを宥めて言うのです、「おまえの弟は死んでいたのに生き返ったのだ。失ったのに今見つかったのだ。だからこうやって喜ぶのは当然じゃないか、さぁ一緒に喜ぼう!」

この後にお兄さんは本当に家に入ったのかどうかよく分かりません。教父によると、「この弟は異邦人、私たち異邦人の象徴であって、お兄さんはユダヤ人の象りである、例えである」と言われています。ユダヤ人がイエズス様を拒否したように、イエズス様の憐れみを拒否してキリスト教を受け入れないように、もしかしたらお兄さんも「嫌だ!」と言って、お父さんの家に逆らって入らなかったかもしれません。

ちょうどエザウがヤコブから長子権を取られて、そしてそのまま後祝福を受ける事ができなかったように、それでもたとえエザウが長子権を受けなかったとしても、そしてこの放蕩息子のお兄さんが宴会に入らなかったとしても、それでも構わず大宴会は続きました。父の憐れみは深いものでした。

一体これは何を意味しているのでしょうか?実は教会は、「四旬節の時には、 3つのグループの人々がいる」という事を意識していました。

1つのグループは、復活の徹夜祭に洗礼を受けようとする、洗礼志願者たちの準備です。

もう1つのグループは、公式の罪を犯してしまった為に聖体を受ける事ができずに、そして教会にも、教会の交わりからあたかも離れてしまったかのように罰を受けている、回心する痛悔者。彼らは断食をして、罪の償いをして、悪い生活を改めて、そして聖木曜日の主の晩餐のそのミサで初めて聖体を拝領する事が許される、そのような人々。

もう第3のグループは、普通の信者でした。

今日この教会で、「この書簡では、特に求道者の為にこのヤコブとエザウの話を読まれた」と言います。つまり「求道者は、多くの人々の中から特別に選ばれて、父の元に、父の子供となる事ができる。主の掟は私たちの心を回心させるものであって、そしてその悔悛の恵みを今受けつつある者として、お前たちはヤコブに似た者だ、特別に選ばれた者だ。後から来たけれども、しかし長子権が与えられる者だ」と彼らに呼びかけているものです。

そして聖福音は、そしてその実は天主の御子供となったにもかかわらず、残念ながらそれを乱用して、お父さんの憐れみを乱用して罪を犯してしまった、そして豚のようにイエズス様から遠く離れて外国で、イエズス様をあたかも知らない者であるかのように遠く離れて生活していた罪人たち。しかし罪の生活に、「自分は何でこんなに豚のような惨めな生活をしなければならないのか。私は本当のパンに、命の糧に飢えている。だから父の元に戻りたい」という回心をする痛悔者、彼らに呼びかけています。

「父はいつもお前たちの戻りを待っている。罪を犯した、しかし痛悔して早くお父さんの元に帰って来なさい。そしたらお父さんはお前に全てを戻して下さる。叱ったりする事はない。却って罪を犯さなかった者よりももっと豪華なものが与えられるかもしれない。さぁ早く戻って来なさい」と教会が呼びかけているものです。

この司教様を聖別する特別の儀式があります。この儀式の時には司教様に、司教様の着ける三重の服や、或いは手袋や、指輪や、司教様の服を着せる儀式がありますけれども、叙階式に聖別式に。その荘厳な儀式を思い出させるように、「罪人が回心したら、聖父は王子として、プリンスとして私たちに全てを下さる。そして最も肥えた天主の子羊である聖子イエズス・キリストの御体さえも私たちに下さる」という事を私たちに思い出させようとしています。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を取ったら良いのでしょうか?第3のポイントは一体何なのでしょうか?

私たちも実は、この二人の兄弟であるかのようです。特に日本にいる私たちは、何億の人々の中から特別に選ばれて、ヤコブのように何の価値も無かったにもかかわらず、天主の御子となる長子権の御恵みを頂きました。マリア様が一生懸命私たちの為に取り次いで下さったに違いありません。

そればかりではありません。せっかく頂いた長子権を、私たちは罪を犯す事によって放っぽり投げてしまって、イエズス・キリスト様の国から離れて、遠くの外国の、イエズス様を知らないような生活をして、あたかも王子ではないかのように、イエズス様の子供では兄弟はないかのように、遠く離れて生活していました。

ちょうど私たちは二重の意味で、求道者であり、そして回心者痛悔者、この二人の教会の兄弟を代表しているかのようです。私たちはそこで、天主の御憐れみを思い馳せる事に致しましょう。

天主の特別の御恵み、選みと、憐れみ。天主から召し出しを受けて、天主の命を受けるという召し出しを受けて、更にそれに回心するという恵みを受けた者として、天主の御憐れみを考える事に致しましょう。

私たちはともすると、クリストヴァン・フェレイラ殉教者に、「殉教する代わりに、天主を否んでしまった!キリシタンの目明かしとして幕府に協力した!」或いは、私たちのもしかしたら知っているような人のことを、「あぁ、この人はあんな罪人だ!」「あぁ、あの人はこのような罪を犯して、このような裏切りをして、本当に悪い人だ!だらしがない」と、もしかしたらこの放蕩息子のお兄さんのように「何だ!」と言うかも知れません。「私はいつも、主に忠実だった!」

しかし実はそうではなくて、私たちは程度の差こそあれ、天主に対して必ずしも忠実を尽くす事ができなかったのではなかったかと反省します。主に対して全く忠実だったのは、マリア様しかいませんから。

そして私たちは、たとえ程度の差こそあれ、たとえ私たちがフェレイラのように主を否んでしまったとしても、或いはもう想像を絶するような罪を犯してしまったとしても、父の顔に泥を塗りつけるような多くの罪を犯してしまったとしても、もう誰にも言う事ができないような大罪を犯してしまって、もうどうしていいか分からないというような事をしてしまったとしても、しかしそれにもかかわらず聖父は私たちの帰りを待っておられます。

私たちが「あぁ、もう主に対して罪を犯しました。もう本当に何という裏切りをしてしまった事でしょうか。もう恥ずかしくてもう穴にも入る事ができません。そしてもう奴隷として何としても好きなように扱って下さい」と言った時に、聖父は私たちを、「おぉ、子よ、さぁ一番の服を着なさい。一番のきれいな指輪をはめなさい。さぁ靴を、自由民の靴を履いて、そしてさぁ、宴会を開こう。さぁ、私と一緒に喜ぼう!」と言って下さるに違いありません。

私たちがその父の元に、この痛悔の心を持って帰る事ができるように、マリア様にお祈り致しましょう。

マリア様は、ロドリゴの聞いたキリストのように、「あぁ、罪を犯し続けて良いんだよ、踏み続けて良いんだよ」とは言いません。確かにイエズス様は私たちを赦す為に、十字架を担い、十字架にかけられ、私たちを赦す為にこんなにも私たちの元に近くに来て、こんなにも私たちの為に全てをして下さいます。自分を食べ物として与えようとさえします。しかしだからといって、私たちは罪を犯し続けて良い、という訳ではありません。早く父の元に戻らなければなりません。

そして願わくは、日本の多くの霊魂たちが、この聖父の憐れみの深さに、私たちの弱さをはるかに超える大きな憐れみをもって、赦し、抱擁して下さり、そして罪を犯さないように助けて下さる聖父の元に帰る事ができますように、この四旬節の御恵みが多く伝わりますように。

そして願わくは、この多くの日本の方々が、全世界の方々が、兄弟として父の元に一緒に居る事ができますように、マリア様の元に居る事ができますように、聖母の汚れなき御心の御憐れみを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

「ファチマのアヴェ・マリア」  中国語・韓国語もご紹介します

2017年03月29日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年は私たちはミサの司祭退堂時にいつも「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌を歌っています。
「カトリック聖歌集」には6番までしかありませんが、12番まで歌詞を考えてみました。ご紹介いたします。
中国語の歌詞と、韓国語の歌詞もご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェマリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


7 罪人らの 罪償い 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 汚れの無き 御心こそ 我が避難所 天への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 御聖体を 無関心の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 優しき母の 御心こそ 全世界の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア



法蒂瑪聖母歌

1.天主母 世人母 童貞聖瑪利亞
慈祥的 曾顯現 於葡國法蒂瑪

萬福 萬福 萬福瑪利亞
萬福 萬福 萬福瑪利亞

2.好聖母 囑世人 悔罪祈禱虔誠
可望主 發慈心 寬恕罪賜洪恩

3.珍貴的 玫瑰經 誦念持之以恆
仁慈主 將賜與 世界永久和平

4.嘆世界 作惡人 面向地獄狂奔
好信友 想救靈 速獲聖寵神恩

5.我中華 仁慈后 童貞聖瑪利亞
請垂手 急援助 災難遍地中華

https://www.youtube.com/watch?v=q4jr5oArxBs



파티마의 성모

1. 오월 십삼일 오늘 이리아 골짜기
동정녀 마리아 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

2. 구세주의 어머니 양치는 목동에
찬란한 빛으로 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

3. 놀란 목동들 번개인 줄 알고
집으로 돌아가려 했네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

4. 아름다운 여인이 나무속에서
정답게 말씀을 시작하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

5. 오 아름다운이여 당신의 이름을
우리는 무어라 부르리이까
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

6. 빛나는 묵주를 손에 쥔 여인은
하늘서 왔노라 대답하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

7. 너희가 열심히 묵주기도 하면
무서운 죄와 벌 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

8. 목동들은 성모님 부탁을 받고
다섯달 동안 그리로 갔네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

9. 약속대로 나타난 여인의 옷은
찬란한 금빛이 둘어져 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

10. 우리들의 죄로 성모의 얼굴엔
슬픈 표정이 서리어 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

11. 너희들이 희생과 보속을 행하면
무서운 전쟁을 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

12. 사욕편정 누르고 사치를 버려라
겸손은 주앞에 제일 좋도다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

13. 인자하신 어머님 우리가 비오니
어지런 세상에 평화 주소서
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

モーゼとキリスト

2017年03月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

旧約のモーゼはキリストの前表でした。モーゼは選ばれた民イスラエルの救い主、指導者、養育者、教師となることを天主に選ばれました。
ファラオとの対決の後、過ぎ越しの夜、過ぎ越しの子羊を屠って食した後、モーゼはエジプトの奴隷状態から選民を解放します。
モーゼは、天主に命じられた通り、杖を持った手を挙げて、紅海を二つに割り、その中を、天主の民を、足を濡らせずに歩いて渡らせます。
彼は、民を砂漠の中で導き、マンナという天からのパンで養い、岩から水を湧き出させて乾きを癒やさせます。
モーゼは、過ぎ越しの50日後(過ぎ越しの後に命じられたとおりした40日間の断食の後)、シナイ山の上で、石に刻まれた天主の十戒を受け、これを民に与えます。天主と親しく語らい、イスラエルの仲介者であり、取り次ぎ者でした。民の弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の忍耐が必要でした。

天主御父によってこの世に送られたキリストは、新しいイスラエルである贖われた人類の救い主、指導者、養育者、教師として、地獄の勢力(ファラオ)と戦います。
過ぎ越しの夜、キリストは、新しいイスラエルを罪の奴隷状態(エジプト)から解放します。イエズス・キリスト御自身が、屠られ、食される天主の子羊でした。
キリストは、天主の民を、洗礼という紅海を通して渡らせ、ご自分もその先頭に御受難という紅い海を通り抜けました。
キリストは、私たちをこの世の砂漠の中で導き、私たちを天からのパンであるご自分の御聖体で養い乾きを癒やして下さいます。
シカルというサマリアの町にあったヤコブの泉のかたわらで、サマリアの女にイエズスはこう言います。「この水をのんでもまたかわきをおぼえるが、私の与える水をのむ者はいつまでもかわきを知らないだろう。私が与える水は、その人の中で、永遠の命にわき出る水の泉となる」と(ヨハネ4章)。

またイエズスは、カファルナウムの会堂で、こうもおおせられました。「まことにまことに私はいう。天からのパンをあなたたちに与えたのはモイゼではない。私の父が、天からのまことのパンをあなたたちにくださるのだ。天主のパンは、天からくだって、世に命を与えるものである。(…)命のパンとは私のことだ。私に来るものはもう飢えることがなく、私を信じるものは、いつまでも渇きを知らないだろう。(…)まことにまことに、私はいう。信じる人は永遠の命をもつ。命のパンは私である。あなたたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。しかし、天からくだるパン、それを食べる人は死なない。天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である。(…)まことにまことに、私はいう。人の子の肉を食べず、その血をのまなければ、あなたたちの中には命がない。私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終りの日にはその人々を私は復活させる。私の肉はまことの食物であり、私の血はまことの飲み物であるから、私の肉を食べ、私の血をのむ人は、私におり、私もまたその人のうちにいる。生きておられるおん父が私をつかわし、そのおん父によって私が生きているように、私を食べる人も、私によって生きる。天からくだったパン、これは、先祖が食べてもなお死んだそのようなものではない。このパンを食べる人は永遠に生きる」と。(ヨハネ6章)

キリストは、復活の後50日目に、私たちに聖霊を送り、愛の掟を肉の心に刻んで下さいました。
イエズス・キリストは、大司祭として、天主御父と親しく語らい、しかも、私たちの弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の憐れみと忍耐とで、私たちのための仲介者として、天で御父に取り次いでくださっています。
復活祭は近づいています。天主なる「モーゼ」イエズス・キリストは、私たちをして「エジプト」から解放してくれます。
復活祭に私たちに与えられる、天から下る生けるパンイエズス・キリスト!それが私たちに与えられるために、私たちの主はどれほどの苦しみと悲しみと辱めを甘受しなければならなかったことでしょうか!

復活祭には、新たな心で主の御聖体を受けることが出来るように良く準備しましょう!ファチマの天使が教えてくれたとおり、次の意向で御聖体拝領を御捧げいたしましょう。
「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

シスタールチアは、1931年8月29日にこう言っています。彼女はその当時24歳でしたが、私たちの主イエズス・キリストが来られて彼女に話しかけられたとき、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ、ロシアそして世界の回心のために祈っていました。主はこう言われました。

「あなたはそれらの国々の回心のために祈ることによって私を非常に喜ばせる。そしてあなたはそれらの哀れな国々の回心を求めることによって大いに私を慰めている。『マリアの甘美なる御心がロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の救いでありますように』と言うことによって私の御母にしばしば願いなさい。」

では、私たちも御聖体拝領の時にこう祈りましょう。
「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、アジア、特に中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え!」

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】
Jacinta’s own preferred ejaculatory prayer was: “Sweet Heart of Mary, be my salvation!”

On August 29, 1931, Sr. Lucy said: “As I was asking God for the conversion of Russia, Spain and Portugal, it seemed to me that His Divine Majesty said to me: ‘You console Me very much by asking me for the conversion of those poor nations. Ask it also of my Mother frequently, saying: Sweet Heart of Mary, be the salvation of Russia, Spain, Portugal, Europe and the whole world. At other times say: By your pure and Immaculate Conception, O Mary, obtain for me the conversion of Russia, Spain, Portugal, Europe and the entire world. Make it known to my ministers that if they follow the example of the King of France in delaying the execution of my request, they will follow him into misfortune. It will never be too late to have recourse to Jesus and Mary.’”

聖ヴィタリス、太祖ヨゼフに共通していること。それが指し示すこととは?

2017年03月27日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月17日(金) 四旬節の平日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月17日、四旬節の第2主日の後の金曜日のミサをしています。

今日のこのミサの後にはいつものように、ミサの後の祈りと終課を唱えるように致しましょう。そして終課の前に、今日は唱える事ができなかった聖ヨゼフの連祷も一度唱える事に致しましょう。

「無原罪の聖母の騎士」の雑誌が英語で出来ていますので、どうぞお持ち下さい。是非お友達にも読むように勧めて下さい。シュテーリン神父様のファチマの本が第2巻目も出ましたので、皆さんどうぞお読み下さい。



「彼らは主を捕らえようと探していたけれども、しかし群衆を恐れていた。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第2主日の後の金曜日で、ますます四旬節の中に深く入って行く事に致しましょう。教会は今日、イエズス様の御受難を黙想するように、その御受難の予告の中に私たちを連れて行こうとします。しかしその予告は、たとえこの御受難はベールで隠されていたとしても、この天主様の御摂理によってそれが許され、そしてそのイエズス様の御受難はつまり私たちの救いの為である、という事を表そうとしています。この為に教会は、この典礼と或いは目に見える全てのものを使って、私たちにイエズス様の御受難の予告と、その実はそれが私たちの救いの為だ、御摂理によるものだ、という事を教えようとしています。そこで今日はその事を黙想する事に致しましょう。

第1の点は、一体何故、どのようにして、教会は私たちにイエズス様の予告を、御受難の予告を知らせているのか?

第2に、その予告が私たちの救いの為である、という事をどのようにして教えようとしているのか?天主の御摂理がどのようにして働くという事を教えているのか?

第3に、私たちは四旬節の遷善の決心を、立てた決心を固める事に致しましょう。


第1の点は、教会は一体どうやって私たちにイエズス様の予告を、受難の予告をしようとしているのでしょうか?

それは3つの点で分かります。1つは今日の指定巡礼教会聖ヴィタリス、そして今日の太祖ヨゼフの話、そしてイエズス様の例え、この3つが「イエズス様の受難」という事で繋がっているからです。

聖ヴィタリスという人は、実は非常に初期のカトリック信者で、子供に双子の兄弟の聖ジェルバジオと聖ブロタジオ、これは諸聖人の連祷の中にも載る聖人ですけれども、そのお父さんなのです。お父さんは敬虔な信者で、殉教者の遺体を密かにそれを探して埋葬して、殉教者に対する尊敬の念を払っていた人でした。ところがそれがローマ当局の怒りに触れ、結局聖ヴィタリスも殉教しなければなりませんでした。どうやって殉教したかというと、聖ヴィタリスの住んでいたのはミラノに近いラヴェンナというイタリアの北部なのですけれども、そこの穴に突き落とされて、そしてそのあとに石を投げさせられて、そして埋められてしまいました。

今日教会は霊的に私たちを、この聖ヴィタリスの指定巡礼教会に連れて行きます。この聖ヴィタリスの指定巡礼教会には、その祭壇にはイエズス様の十字架の御受難の絵が描かれているのですけれども、その両脇には聖ヴィタリスがどうやって殉教したのか、その聖ヴィタリスの生涯とその殉教の絵が描かれています。それでその内の1つが、穴に落とされて殉教した、そしてこの殉教によってこの血がキリスト教の種となって、また信仰の糧となった、という絵が描かれているのです。

私たちも今日は霊的にこの聖ヴィタリスの教会に入る事によって、このミサの中でその絵を見せようとしています。

1つは祭壇の前の私たちの十字架像。十字架像の上には、霊的に指定巡礼教会の聖ヴィタリスが穴に落とされたというその事。書簡側には、今読んだ、太祖ヨゼフの絵。つまりヨゼフが兄弟たちの嫉妬によって、「何だこいつ、お父さんから特別に愛を受けて、何か偉そうな事を言っている、夢を見たと言っているし、こんなやつ亡き者にしてやれ」と言うと、「あぁ、殺してはまずい、血を流させてはまずい。穴に落としてはどうだ」と言って、水の無い井戸に落とされる。ちょうど聖ヴィタリスが、「キリスト教徒だ」と言う事によって殉教したのと同じ、「穴に落とされた」という同じ運命をします。

それと同じようにイエズス様も、今日福音側の絵では私たちに、イエズス様の命を亡き者にしよう、ユダヤ人たちがそれを狙っている、何故かというと、「自分が聖父から送られた聖子である」という事を例えで話したからです。そしてユダヤ人たちはその事を理解したからです。

イエズス様は実は聖父から送られた跡継ぎであって、預言者たちが聖父によってヤーウェによって送られたけれども、ユダヤ人たちは皆この預言者たちを殺してしまった。ユダヤ人に送られた最後の手段としての聖子は、「あぁ、この子なら私の子供としてこの子の言う事を聞くだろう」と言ったけれども、却って「殺してしまおう」と思った、そして殺してしまった、という事が「自分たちの事を言っているのだ」とよく分かったのです。そしてその事を「亡き者にしよう」としたのです。

ちょうど聖ヴィタリスがやられたように、ヨゼフがされたように、嫉妬によって亡き者にされようとされた、されつつあるという事を福音側ではそれを私たちに示しています。

では第2点は、一体教会は私たちに、霊的にこのミサの中に入って、霊的に4つの絵を見せて、イエズス様の御受難、殉教者聖ヴィタリス、太祖聖ヨゼフ、そしてイエズス様の御受難の予告を見させて、一体これがどうして救いの役立つのか、という事を教えようとしています。何故かというと、これらは1つのものであるからです。

何故かというと、聖ヴィタリスの生涯と殉教と、聖ヨゼフの生涯が似ていると同じように、実は太祖ヨゼフは、この穴に捨てられたが為に、実はお金で売られてエジプトの商人に売られて、そしてその為にその売られたが為にこそ、エジプトの宰相となる事ができて、そしてエジプトの国を救うのみならず、エジプトの国に食料を求めて来た自分のお父さん家族たちさえも救う事ができたのです。

実は悪意で亡き者にしようとしたその事が、実は救いのもとになった、全て天主の御摂理のもとに働いていて、御摂理のもとでそれは救いのもととなった、という事がイエズス様の御受難にも全く当てはまる、という事を教えようとしているからです。

たとえ悪意によってイエズス様が御受難を受けようとも、そしてイエズス様が全く罪がないにもかかわらず死刑を受けようとも、御受難を受けようとも、それは全て天主の計画の下にあった、それは私たちの救いの元であった、という事です。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?

1つは、私たちの主は、その苦しみを喜んで受けられるという事です。逃げる事もできたし、それを避ける事もできたけれども、私たちの救いの為に、天主聖父から与えられるその御摂理のままの苦難を全て受けた、私たちの救いの為に受けた、という事です。たとえイエズス様が私たちの為に、私たちを憐れんで赦して下さる、罪を赦して下さる、私たちを抱擁して下さる、私たちの為に近づいて、「さぁ、罪の赦しを与えよう」として下さる、しかしその裏にはこれほどの苦しみが、苦しみを受けるほどの愛があったのだ、という事を私たちがよく知らなければなりません。

それと同時に、イエズス様がその愛を以て、どんな苦しみでも私たちの為に甘受して、私たちに近寄って下さり、私たちを赦そうとして下さる、だからと言って私たちは、「だから何でもして良いのだ」ではなくて、そのイエズス様の愛の大きさが大きければ大きいほど、私たちはますますイエズス様に愛を以て感謝しなければなりません。

もう1つは、私たちはイエズス様の十字架の、イエズス様の苦難を増やす元とたびたびなっていたのではないか、という事です。私たちはイエズス様の苦しみをより少なくさせるというよりは、却ってイエズス様の聖心に反対するような事を、イエズス様の御望みではないような事を、或いはイエズス様に反するような事を、イエズス様を苦しませるような事を敢えて、或いはしばしばやっていたのではないか、イエズス様を殺そうと企んでいたのではないか、私たちの心から取り外して「穴に突き落してしまえ。イエズス・キリストが無ければいい、亡き者にしよう」と計っていたのではないか、罪を犯す事をしていたのではないか、という事です。

私たちはともすると、非常に弱く、非常に矛盾に満ちた、「こうでありたい」と思いながらも、弱い私たちです。イエズス様の御憐れみと、マリア様の御助けによって、私たちがイエズス様をもうこれ以上悲しませる事がないように、私たちがイエズス様の死を望む事がないように、むしろイエズス様を慰める方に回る事ができますように、このミサを捧げていきましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖ピオ十世会日本の第十一回公式秋田巡礼の意向(その2) 2017年5月3日~5日

2017年03月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今から100年前の1917年6月13日、聖母マリアはファチマでこう言われています。

「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」

その一ヶ月後、7月13日、聖母はファティマでこうも言われました。

「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。

しかし、人々が天主に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。(…)天主は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。

このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。

もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。

もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、多くの民族が絶滅するでしょう。」

シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教に聖母の汚れなき御心への信心についてこう書いています。

「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使われるからです。御心の全ての望みは正に、霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと、これです。
私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬と信心とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど、私の憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉であるからだ』と。」

さて日本で大東亜戦争が広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたのが、1945年8月15日。日本の司教団は一致して「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにも聖母の汚れなき御心への信心がすすめました。

しかし、その30年後の1975年1月4日、天使はシスター笹川に「聖母の汚れなき御心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」と伝えました。

その後40年が経ちましたが、聖母の汚れなき御心への信心は日本ではどうなっているでしょうか?

日本に住む霊魂たちを救うために、天主は聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。しかも、日本は既に聖母の汚れなき御心に奉献されているにもかかわらず、この信心は重んじられていません。

ファチマ100周年こそ、この聖母の汚れなき御心への信心をもり立てる良き機会です。その信心の大切さを理解するためにも、愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。

聖母の汚れなき御心は、霊魂たちをイエズスに引き寄せる愛する心であり、イエズスの光と愛との光線を地上に照らし出すかまど、イエズスの憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【参考資料】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)
 「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
 これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
 世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
 おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
 祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
 在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
 (ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」

ロザリオの十字軍)2017年3月20日現在、日本からロザリオ11,097環、犠牲44,509回が報告されました。

2017年03月25日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 3月 20日現在、

日本から今までの総計で、ロザリオ11,097環、犠牲 44,509回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは、ロザリオ152,631環、犠牲41,071回が報告されています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
ロザリオの十字軍のご報告

小野田神父様、こんにちは、
ロザリオの十字軍のご報告です。

1月1日~1月31日
ロザリオの祈り 58環
犠牲 31

2月1日~2月28日
ロザリオの祈り 59環
犠牲 28

犠牲をお捧げすることを学び、覚えさせていただくことはとても幸せです。
憐れみ深き天主様に感謝いたします。

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様、

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。

2016年2月5日~2017年3月20日(日本時間18:00) 23環 でした。

家族のためにお祈りください。

小野田神父様の天主様の祝福が豊かにありますように!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

聖なるロザリオ 3環 犠牲10回 

宜しく御願い致します。

デオ・グラチアス!!!♪♪♪



【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

2月のロザリオ十字軍のご報告をさせていただきます。

6人で
ロザリオ:279環
犠牲:529回
お捧げいたしました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2月のロザリオ十字軍のご報告をさせていただきます。

  ロザリオ    71  環
  犠牲      501 回

四旬節に入りました。おかげさまで無事に灰の水曜日の大小斎の義務もお捧げすることができたと思います。3月はロザリオと犠牲も ファチマの百周年と四旬節と合わさり、特にマリア様の汚れなき御心の中に深く入るように努め、自分の罪と忘恩を償い、お悲しみとお苦しみのマリア様の御心を少しでもお慰めできますよう お捧げしたいと思います。(十字架の道行は 最近しておりませんでしたが、四旬節は十字架の道行も捧げしたく思いますが・・・。)いつもご指導をありがとうございます。 

デオ・グラチアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

では、2月分の聖なるロザリオの十字軍の!!♪♪御報告を致します♪

                    聖なるロザリオ   犠牲
シスター                84 環          
ヨゼフ マリア             54 環          0 回
アンナ                 28 環        197 回
マリア                 24 環        560 回
マリア                 28 環        280 回
バルナバ                80 環        200 回
アリア・ローザ             99 環        364 回
ヨゼフ・パウロ             84 環              
マリア                109 環        502 回
マリア                 84 環        168 回
マリア                 84 環        420 回
           計       758 環       2691 回 
以上です♪ 
宜しく御願い致します♪

聖ピオ十世会日本の第十一回公式秋田巡礼の意向 2017年5月3日~5日

2017年03月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会日本は、毎年も、恒例の公式秋田巡礼を5月3日から5日まで行います。今回で十一回目ですが、今年はファチマ百周年をふさわしく祝うという意向で、多くの兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。

今年は一月から、アメリカとヨーロッパで、また日本でも、遠藤周作の「沈黙」の映画化として、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙─サイレンス─」が公開されましたが、史実によれば、400年前、拷問を受けたフェレイラ神父が弱さによって背教したとき、多くの同僚やカトリック信徒の方々が祈りと犠牲を捧げてその償いを果たそうとしました。

100年前のファチマのメッセージも、償いの要求でした。まず、天使が送られてこう言います。「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

天使は子供たちに償いの聖体拝領をさせてこうも言います。「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

ファチマの聖母も同じことを子供たちに願います。
「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」(1917年5月13日)

「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」(1917年7月13日)

「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(ロザリオの聖母)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。」(1917年7月13日)


さて、カトリック教会は、第二バチカン公会議以後、肉体的な拷問のない沈黙の背教に直面しています。多くの司祭、修道者が聖職を放棄してしまうのを目撃しました。御聖体に対する尊敬と礼拝とがますます失われているのを見ています。最近では、婚姻に関する教義に関して、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するのを見ています。フェレイラ神父の転びの償いのために、聖フランシスコ・ザベリオがマストリッリ神父に送られたように、教会内にある、沈黙の背教を償うために、ファチマの聖母が私たちに祈りと償いを呼びかけています。

秋田の聖母も、同じ内容をこだまさせて特に日本の私たちに響かせています。

「人々の償いのために祈ってください。(…)教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。」 (1973年7月6日)

「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。(…)貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。(…)在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。」 (1973年8月3日)

「毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。(…)悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから(…)ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」 (1973年10月13日)

時は来ました。日本のために、カトリック教会のために、荒らされた祭壇や教会の復興のために、祈りと贖罪の業に励むために、私たちの祈りと犠牲を、この巡礼を通して御捧げいたしましょう。

愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にお招きいたします。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【参考資料】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)

「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
(ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」

2017年3月17-21日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年03月23日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

3月17日、18日には大阪で、
3月19日、20日には東京で、
さらに3月20日聖ヨゼフの祝日に大阪でもう一度、ミサ聖祭を捧げました。
大変幸福でした!

3月19日には42名の方々が、20日には12名の方々が、東京でミサ聖祭に与り、
3月20日には15名の方々が大阪でミサ聖祭に与りました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送りいたします。
小野田神父様におかれましては、マニラと日本、大阪と東京を行ったり来たりと大変お疲れだったと思います。
全てを天主様へ犠牲としてお捧しておられるお姿に、私もならって参りたいと思います。
とは言えどうぞ少しはご自愛下さい。(ペトロが、イエズス様の御受難について、”そんなことがおこりませんように!”といって、”サタン退け”とイエズス様に叱られた件がありますので、ちょっと自粛ぎみです(/ω\)


3月17日(四旬節第二週の金曜のミサ)10名

教会が指定する今日の指定巡礼聖堂のローマの聖ヴィタリス聖堂です。
これまで毎日のミサ典書に書かれている指定巡礼聖堂の意味がよくわかりませんでしたが、その日の典礼と指定巡礼聖堂とは密接な関係がある事がわかってきました。
ローマの迫害時代に、聖ヴィタリスは殉教者たちの遺体を葬っていたため捕えられ、穴に落とされて石殺しにされてしまいました。
その聖ヴィタリス聖堂には十字架を担うイエズス様、穴に落とされたヴィタリスの絵があるそうです。

この日のミサは、十字架のイエズス様と、聖ヴィタリスと、兄弟たちの妬みによって井戸に落とされる旧約のヨゼフ、福音との四枚の絵を通して教会は、天主の御摂理として与えられる苦難が私たちの救霊に役立つという事を教えているそうです。

私たちが罪の赦しを受けて、救霊の恵みを頂けるのは、天主であるイエズス様の大きな御受難のおかげである事を私たちは忘れてしまって、感謝するかわりにイエズス様に反対し、悲しませ、殺そうとしたのではないでか?穴に突き落としたのではないか?とお説教の中で神父様に問いかけられた時には心がグッと苦しくなりました。
イエズス様の愛が大きければ大きいほど、御恵みを当たり前に感じるのではなく、出来る限りの感謝を行動であらわす必要があるのに、当たり前のように、沢山の御恵みを受け、感謝もそこそこに都合のいいお願い事ばかりしている自分を非情に感じました。
御恵みの後ろに、その御恵みが大きければ大きいほどイエズス様の大きな御苦しみがある事を肝に銘じました。


3月18日(四旬節第二週の土曜のミサ)14名

今日のお説教は最近の中で私が最も感動したお説教の一つでした。
今日の指定巡礼聖堂は、兄弟殉教者聖マルチェリノと聖ペトロの聖堂です。書簡も、聖福音も兄弟に関する話がでてきます。
書簡は、母レベッカの計らいにより、次男のヤコブが、兄になりすまして天の祝福を受ける有名な話です。何の権利もない未熟な次男のヤコブでしたが、母の勧めによって兄に変わって天からの祝福、つまり超自然的恩恵を受けることができました。これは天主の御摂理以外の何物でもなく、私を含めてカトリックの信仰を持つ人々は自身には何の価値も持たないけれども、特別の天主様からの選びによって天主の子となる権利を持ったという事は全くその通りだと思います。この度は話にでませんでしたが、レベッカがマリア様の前兆として書かれていることにも疑いをもちません。
聖福音の放蕩息子の話ではいたく感動してしまいました。
罪を犯して父を離れた放蕩息子を、待っているだけでなく飛んできて抱きしめて接吻して大歓迎して宴会まで開いた事に自分の改心と天主様の愛を重ねてしまったからです。
書簡での「選み」は、洗礼志願者に向けて、
聖福音の「憐み」は公式の罪人(痛悔者)に向けて、語られていると知って、典礼の深さと教会の配慮に関心しました。
自分と同様、日本の多くの放蕩息子が、天主様の憐れみを受けて、選びを受けることが出来るようにとミサを通してお祈りいたしました。


3月20日(聖ヨゼフの祝日)15名

今年も、聖ヨゼフ様の祝日の御ミサに与る事ができてとても幸せでした。
天主様の御摂理に感謝いたします。
お説教では昇階唱でいう聖ヨゼフ様に与えらた冠、栄光とは何かを黙想しました。
天主の御子の養父、天主の御母の浄配という特別の使命を与えられたヨゼフ様には、それにふさわしい恵みを与えられているし、聖ヨゼフ以上に多くの恵みを受けた人は御子と聖母を除いて他にはいません。全ての聖人に勝って多くの恵みを受けたことこれこそが聖ヨゼフの冠でした。
聖ヨゼフ様の生涯を振り返ると多くの苦しみがあり、その苦しみの後に栄光と喜びがあるのだとわかります。
現代、御聖体に対する危機を助けて頂きたいなら、エジプトのファラオが飢饉のときに「ヨゼフへ行け」といったように、イエズス様(御聖体)の生命を救われたヨゼフ様の所に行くのが得策だといえます。
ヨゼフ様はその生涯をイエズス様とマリア様への奉仕のために使われた方ですので、ヨゼフ様のお助けよって私たちもイエズス様とマリア様によくお仕え出来るようになりますようにお祈りします。

公教要理は福音史家シリーズパート4「福音史家ルカ」についてでした。
ルカについてわかっていること。
⑴生まれはアンティオキアらしい
⑵ユダヤ人ではない(割礼を受けていないので)
⑶イエズス様に直接合っていない
⑷医者であったらしい(書き出しが医学書ディオスコリデスとそっくり。医学専門用語を使用)
⑸パウロと仲が良かった

ルカ福音書の特長
●黙示録に出てくる四つの獣の「牛」はルカ福音書。(牛を捧げていたザカリアが巻頭に出てくるから)
●順序良く、正確な史実を書いている
●文体は洗練されており文学的で、細かい描写が多い
●洗練されたギリシャ語で書かれた
●主に異邦人のために書いた。その為、マテオの記録中の異邦人を非難している箇所は省いている
●パウロに大きな影響を受けている




【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

金曜日は御ミサ、そして十字架の道行きや終課をありがとうございました!!
5月のミッションなどは残念ですが、その分今年の四旬節にたくさん日本で御ミサが捧げられる事になってとても嬉しいです!

小野田神父様が仰って下さったので、マルコ様がユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると思える、説明が付いている部分を他にも探してみました(*´艸`*)

「イエズスはその人を群衆の中から連れ出し、その耳に指を入れ、またその舌に触れ、天を仰いで吐息をつき、『エファタ』と言われると、ーそれは開けよという意味であるー」

「そのとき一人の貧しいやもめが来て二レプタを投げ入れた。それはアサリオン貨の四分の一にあたる。」

「種なしパンの祭りの最初の日ーそれは過越の子羊をほふる日であるー」

これらもそれに当てはまりますでしょうか?

デオ・グラチアス!

【お返事】
すごい! 聖マルコらしい、ユダヤ言葉や習慣を説明して言い換えているところを良く見つけましたね!うれしく思います!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日、一昨日と聖ヨゼフ様の大祝日の御ミサ、終課、朝ミサなど本当にありがとうございました!!
今年は聖ヨゼフ様の祝日の御ミサが東京であって、東京はすごい御恵みだなぁと思っていたのですが、小野田神父様がとても大きなボーナス御ミサを加えて下さり、仕事も聖ヨゼフ様の御取り次ぎでうまく都合をつける事ができ、大変な御恵みを頂くことができました!デオ・グラチアス!
小野田神父様は大阪→東京→大阪と大変ハードなスケジュールだったと思います。私たち日本信者の為にいつも本当にありがとうございます!m(_ _)m

この御恵みによって、日本に、これほどまで隠れた偉大な聖人である聖ヨゼフ様への讃美と感謝と崇敬がますます広まりますように!そしてその為に聖ヨゼフの小さき信心会がますます発展しますように!
去年は、この聖ヨゼフ様の祝日に大阪の聖母の汚れなき御心教会の建物を準備して下さいましたので、聖ヨゼフ様に感謝と、そして今年は更に日本に司祭の常駐の御恵みをお取次ぎをお願い致しました(*^_^*)エヘヘ

日本でますます聖ヨゼフ様の御名が尊まれますように!
聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え!

イエズス様の御憐れみと、マリア様の御助けによって、私たちがイエズス様をもうこれ以上悲しませる事がないように、私たちがイエズス様の死を望む事がないように、罪の本当の恐ろしさを理解することができますように、そしてむしろイエズス様をお慰めする方に回る事ができますように。

デオ・グラチアス!



【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

日本でのミッションをありがとうございました。特に3/20の聖ヨゼフ様の大祝日には、東京と大阪で御ミサをお捧げくださいました。
大阪へのリターンミッションは、どれほど神父様を疲れさせる犠牲となるにもかかわらず!
天主様に感謝!インマクラータに感謝!聖ヨゼフ様に感謝!
小野田神父様に感謝申し上げます!

所感をご報告申し上げます。

【所感】
四旬節第二週の土曜日は、書簡は創世記27章の「ヤコブとエザウ」について。聖福音はルカ15章の「放蕩息子のたとえ」でした。
小野田神父様は、今日の書簡と聖福音は「選み」と「憐れみ」についてであるとおっしゃいました。
ヤコブは母レベッカの言うとおりにしたので、父イザアクから祝福をもらいます。私はこの箇所が大好きです。
最初、この27章を読んだときには、レベッカの言うとおりにして、ヤコブがイザアクを騙すことになったのに、エザウが気の毒だし、いったいどんな意味があるのかわかりませんでしたが、その疑問は小野田神父様がこれまでのお説教で解決してくださいました。
父イザアクは天主聖父で、レベッカは聖母マリア様、前半のエザウはイエズス様、ヤコブは私たちを表している。世継ぎの権利を持たなかったヤコブ(私たち人間)は、レベッカの言うとおりに実行することで、世継ぎとなることができること。
レベッカは「2頭の山羊を持っておいで。私がお父さんのために、お好きな料理を作ってあげよう。」と言います。この2頭の山羊は私たちの霊魂と身体を表すこと。
マリア様に私たちの霊魂も身体もお捧げすると、聖父のお気に召すように美しく整えてくださるということ。
レベッカはエザウの一番良い服をもってきてヤコブに着せ、エザウの毛深さを模すために、毛皮をヤコブの首と手に巻いた。毛は徳を表しており、エザウ(聖子イエズス)は毛深く、つまり徳に満ちている。その毛=徳をまとうことで、イザアク(聖父)はエザウ(聖子イエズス)だと思ってくださるということ。
服の匂いを嗅いで、「ああ、これは私の愛する聖子の匂いだ」と罪人の私たちを抱擁してくださるのだと。
聖父は「声はヤコブ(=私たち罪人)だが、手はエザウ(聖子イエズス)だし、服の匂いもエザウ(聖子イエズス)だ」と言って、祝福を与えられるということ。
私たちは、イエズス様の徳をまとい、服を着て、マリア様に霊魂と身体を捧げて、聖父のお気に召すようにしていただくことで、聖父に救霊の祝福を、天国の世継ぎを与えられるということ。後半のエザウが遅れて、イザアクの前に行くところは、エザウは約束の民であったユダヤ人を表し、ヤコブは新約の救霊を約束された全ての人を表していることなどでした。
今回のお説教で、民族や長子権は救霊予定の理由にはならないこと。御摂理は異邦人をも罪人をも救うことを望まれている。「選み」はまさに御摂理であって、神秘であると理解できました。

これは↓、家族が黙想したことなのですが・・・
レベッカが「子よ、その呪いは私が引き受けよう」と言ったのは、マリア様が贖いの共贖者として苦しまれることの前表では無いか?と。
イエズス様が罪が無いにもかかわらず、罪そのもののごとくに罰せられたように見え、あたかも天主の呪いを受けたかに思えるほどだったからだと。(^_^;)

「放蕩息子」のたとえは、ルカによる福音の特徴である「天主の憐れみ」をまさに表しています。
聖福音をラテン語で朗読なさっている時に、日本語を読んでいて、涙が溢れ出ました(^_^;)
小野田神父様の聖書の公教要理で、四福音史家のそれぞれの特徴、違いなどを教えていただいたので、「ああ、今日のマテオの聖福音のこの箇所は、まさにマテオがユダヤ人に向けて書いたと良くわかる!」などと理解が広がり、また深くなりました!
この「たとえ」では、聖父は放蕩息子である私たち罪人が帰ってくるのを待っておられて、まだ遠くにいるのを見つけて、憐れみ、走っていってその首を抱いて接吻してくださる。
服はしばしば天国にふさわしい徳を表していて(煉獄の霊魂、地獄の霊魂はしばしば裸で描かれている)、指輪は世継ぎとしての相続を表し、靴は奴隷でないことの証し(罪の奴隷からの解放)を表していると、これまでのお説教で教えてくださいました。
「肥えた子牛を屠る」とは御聖体を表していると、今回のお説教でお話くださり、ああ!そうだったのか!と思いました。
放蕩息子は自分の行いを心から痛悔し、「雇い人のひとりにしてください」と言おう思って、謙遜にへりくだったから、聖父は走ってきて赦してくださったのだと思います。
イエズス様の十字架の右の善き盗賊も、自分の罪を心から痛悔し、イエズス様を天主として認め、「イエズス様が天国に入られる時に、自分のことを思い出してください」と
謙遜に願ったために、イエズス様は天国をお与えになりました。謙遜はどんなに重要なことかと思います。
自分を放蕩息子であると思い、放蕩息子のように、自分の罪を深く、心から痛悔し、謙遜にへりくだる御恵みをマリア様に御取り次ぎを願います。

童貞マリアの浄配なる聖ヨゼフの大祝日には、四旬節でありながら、カズラも祭壇も白、お花も飾られました。キリアーレも2番で、グロリアも歌い、クレドも歌いました。
この日の神父様のお説教で、さらに聖ヨゼフ様の御力のすごさを教えていただきました。
聖ヨゼフ様のこの地上での謙遜、天主の聖旨への完全なる従順、イエズス様とマリア様への愛は計り知れず、いま天上で聖ヨゼフ様に与えれらている栄光も計り知れないのだなあと思いました。
旧約のヨゼフは貞潔を守り、エジプトのファラオに仕え、新約のヨゼフは童貞マリアの証人となり、天主、王の王であるイエズス様に忠実に仕えた。
旧約のヨゼフは夢の神秘を解いたが、新約のヨゼフは天主の神秘に参与し、深く入り、その神秘を生きた。
旧約のヨゼフは穀物を蓄えたが、新約のヨゼフは生ける天のパンである幼きイエズス様を私たちのために守った。
旧約のエジプトの民はどこを探しても穀物を見つけることができなかったのに、ヨゼフの倉には穀物が豊かに蓄えられていた。
現代の私たちは、どこを探しても「御聖体」「マリア様への信心」を見つけることができないが、聖ヨゼフ様こそ、その宝庫に「御聖体に対する愛」を、「マリア様に対する愛」を持っておられる。だから "Ite ad Joseph" 「聖ヨゼフのところへ行け」なのだと。

ファチマの最後の御出現10/13の太陽の奇蹟の日に、ファチマのマリア様は幼きイエズス様をおだきになった聖ヨゼフをお連れくださいました。
ファチマ100周年の今年、シュテーリン神父様は「秋田でマリア様がお待ちです。」とメッセージをくださいました。
ファチマでもマリア様が、そして聖ヨゼフ様がお待ちだと思います。
ファチマのまことの使徒として生きるために、その聖寵をいただくために、ファチマ巡礼の御恵みを願います。

3/21(火)の四旬節第三週の火曜日の御ミサの書簡は列王記下4章でした。
「増え続ける一びんの油は、天主の憐れみ、赦しは無限であることの前表である」と、聖福音の後に、一言だけのお説教をしてくださいました。
読誦ミサに与る少ない信徒への慈父のお心、本当にもったいなく、ありがたく存じます。

日本、フィリピン、韓国・・・
休む間もなく、各国の小羊たちなる信徒たちに聖なる御ミサを与えるために、霊魂の救霊のためだけに、
ご自分の身体に鞭打って、多大なる犠牲とともにミッションをしてくださる小野田神父様を、どうぞお護りくださいますように。どうぞお助けくださいますように。
インマクラータ、聖ヨゼフ様に懇願いたします。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様

小野田神父様に福音史家聖ルカの講話をしていただき、わかったこと、もっと知りたかったことを簡単ですが、まとめてみました。

(わかったこと)

いつもとても貴重な講話ありがとうございます!

今回、聖マタイ、聖マルコに続いて、聖ルカの人となり、その福音書の特徴について、聖マタイ、聖マルコとの比較を通して、お教えいただきました。
私はこれまでマタイ福音書、マルコ福音書そしてルカ福音書は共観福音書ということで、この3福音書については共通する記述が多く、似たような表現があるというくらいの認識しかありませんでしたが、実はその3人の福音史家の出自、職業、執筆対象など3者3様であり、そのあたりを理解して読むとさらに深い読み方ができるということがわかりました。

聖マタイは12使徒のひとりでイエズス様にも実際に仕えられたユダヤ人の取税人ということであり、内容が旧約聖書で語られていることが成就されたという記述が他の福音書に比して多く、パレスティナのユダヤ人の宣教を想定した福音書といえるということでした。

また、聖マルコはイエズス様にはお会いになることのなかった異邦人というこどで、聖ペトロの御説教の影響が強くみられ、一方、その特徴として奇跡譚が最も多く、ローマでの布教を意識したものということでした。個人的な印象として最も読みやすいとの印象が昔からありましたが、私も異邦人のひとりであり、そういうものとして理解することができました。

そして、今回の聖ルカですが、アンティオキアに長く住んでいた非ユダヤ人のお医者さんということであり、ユダヤ人のことを「彼ら」とか「あなたたち」というように自らユダヤ人ではないということをほのめかす距離を置いた描写からもそれは見受けられるということでした。
また、福音史家の職業が聖書の御言葉に反映されているのも興味深いと思いました。
具体的には、救いは異邦人にも及ぶという教えを、聖ルカは「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。」(ルカ6:32)と記述しておりますが、一方、おそらく同じ箇所を取税人の聖マタイの記述によると「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。」(マタイ5:46)とされ、あえて、自らの職業を聖マタイは引き合いに出しています。聖マタイは12使徒の弟子だったということですので、イエズス様が敢えて取税人という言葉をお使いになられた可能性は高いですが、聖ルカはそれでも罪人と言い換えているところに
同じ教えであっても自らの出自や職業が反映されているかもしれないということに興味を惹かれました。

一方、ユダヤ人たる聖マタイの選民思想が見え隠れする記述もマタイ10;5、同15:21~15:28にあり、出自というものは軽視できないと思いました。
同じような内容を敢えて出自や職業の違う福音史家に述べさせた天主様の配慮は私たちの想像をはるかに超えたものでありますが、その一端を垣間見た思いです。
これから福音書を拝読するのがさらに楽しみになりました。

(もっと知りたかったこと)
小野田神父様のお話はこのあと聖ヨハネと続きますので、どういう展開になるか、楽しみです。

小野田神父様の公教要理はいつも念を入れてご準備しておられ、お忙しい中、感謝以外の何もありません。

改めて御礼申し上げます!

デオ・グラシアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様

四旬節第3主日の御ミサをありがとうございました。

四旬節第3主日では 「より強いものがやってくるならば かれはその  武器をすべて取って  戦利品を配るだろう。」について、お話しいただきました。
四旬節第1主日では 悪魔から誘惑を受けてそれを追い払うお話しでしたが、今回は 舞い戻ってくる七倍もの数の悪魔に対して ”より強いものがやって来る それはわたしだ”ということで、「イエズスが悪魔に対して攻撃する話」でした。イエズス様は 悪魔よりも強い!ということが 心に刻まれました。

その日 朝、イエズス様は 霊魂の城の主はわたしであると仰せられたように感じました。どうしてそのことを特に思い出させてくださったのかわからなかったのですが、御ミサに与って納得しました。お説教を拝聴して、悪魔がやってきて 空いている隙間に入り込もうとするが、霊魂の城の主はわたしだから わたしは悪魔より強い最強のものであるから、それをいつも忘れるな 悪魔に侵入されるな ということかなと 結びつきました。悪魔から誘惑を受けても それを追い払ってくださるのは 悪魔より強いイエズス様なのだということに 気づかされました。この心の中へ、悲しみ 苦悩 妬み そねみ 疑い 憂うつ この世の煩い など諸々の感情や思考が群れを成して押し寄せようとするのを防ぐことのできるのは ただただ 霊魂の実権を握っておられるイエズス様だけだということを思います。しょっちゅう挫けてしまう私は、常にイエズス様は悪魔よりも強い!とイエズス様だけに目を向けたいと思います。聖書のイエズス様の御言葉の 力強さに打たれます。

御ミサの間 ”ずっと 私たちの目はつねにずっと主に向けられている あわれみを受けるまでずっと主の方に目を向けられている、これからは 光の子として歩め”、と歌われていました。
”すずめは住まいを見出し、山鳩は、その雛を入れる巣を見つける。万軍の主、わが神、我が主よ、私のためには御身の祭壇がある。主の家に住む者は幸せである”(聖体拝領誦) と、感謝をお捧げしました。

そして、神父様がお話しくださったように、フェレイラ神父さまのためにたくさんの祈りと犠牲が捧げられたことを思い出し ファチマのマリア様が「誰も彼らの罪の代わりに償う人がいないが祈りと犠牲を捧げるものがあれば彼らの多くの霊魂は天国に行く 地上には平和がきて カトリック教会には栄光が与えられる」と 仰られたことを思い出して、自分こそ罪人であることに変わりなくとも 自身の足りない分はどなたかの祈りや犠牲によって救われるに違いないとも思いながら、それでも 私も 必要としてる人たちのためにこの祈りと犠牲がお使いただけますようにと、この後も出来る限りのこと 努めたいと思います。

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公教要理は 今日の聖福音の箇所にもあった聖ルカ福音記者のお話しでした。

聖ルカは アンティオキアの医者であり、非ユダヤ教徒から回心した人、肉で主と会っていない、聖パウロとともにずっと行動をともしていた弟子であり、救いは異邦人にも及んでいることや天主の憐れみの大きさをよく伝えてくださっていることなどが、特徴として挙げられる ということがわかりました。以下 「わかったこと」を列挙してみます。(まとまりなくてすみません)

聖ルカ福音書は 聖マテオ福音書・聖マルコ福音書の後に書き、使徒行録を書き終わる前(62年よりも前)に書いたもの。

聖ルカの福音書の中にだけあるエンマウスへの道すがら主と出会う二人の弟子のうちクレオパという名前は出てくるが、もう一人の名前が出てきていないので、聖ルカがこのもう一人の弟子ではないか、という人もいる。(聖エピファノや大聖グレゴリアなど)。

キリスト教徒は 最初「ナザレト派」と呼ばれていた。この聖ルカのアンティオキアにて 初めてクリスチャンと呼ばれるようになる。

聖ルカはアンティオキアで洗礼を受けて トロアで聖パウロと出会い、フィリピに 6年間留まり、聖パウロとともにローマにも行き、聖パウロの殉教まで最後までずっと行動をともにしていたが、聖ルカ自身の最期に関しては情報が足りなくて分かっていない。聖ルカの最後の晩餐の描写は聖パウロの描写に似ていて 同じ単語175語が共通している。

聖ルカ福音書の書き出しは、当時の医学書の「ディオスコリデス Dioscorides」(De Materia Medica) の書き出しとそっくりである。「尊いテオフィロ様」という書き出しの真似ができるのは医者だろう。聖ルカ福音書と使徒行録はこの医学書を真似て書かれている。そして 病気についての描写が詳しく書かれている。医者ならではの関心があった。病気を知り 医者ゆえの病名の違いも書かれていて、人間の心理の描写もすごい(放蕩息子の話など)。ギリシャ語の使い方もうまくて、完璧で、確かに教養のある医者の書いたものらしい。

なお、「尊きテオフィロよ!」のテオフィロとは誰なのか?には二説あり、聖アンプロジオやオリゲネスなどにより テオフィロとは天主を愛するものという意味の言葉で文学的虚構とする一方で、現代の学者達のなかには実在の人物と捉える人もいる。

また聖パウロが強調したことは「救いというのは異邦人にも及ぶ」というのであったが、その聖パウロの弟子らしく聖ルカは異邦人が救われるということについてよく書いている。(御復活の後のイエズスの関心は「救いは異邦人にも及ぶ」ということ。これは ユダヤ人が救い主を受け入れなかった事実のゆえかなと。)

救いが異邦人にも及ぶものだということを強調していることを よく表していることの一つに、系図の挿入があり、聖ルカはイエズスから遡ってアダムまでを書いている。聖マタイはアブラハムの子からイエズスに至るまでの系図を順序立てて書くことにより、アブラハムの子孫のユダヤ人の血統のものが救い主イエズスによって救われるという旧約の予言が成就していることをあらわしている。聖ルカによっては アダムからでるすべてのものが救われる、つまりイエズス様は全人類の救い主だということがあらわされているともいえる。(この説明を伺って、これまで謎だった二つの聖福音書における系図の扱いが異なっていることの理由がよくわかりました。)

(聖マタイがユダヤ人のために福音書を書いたというのは「イエズス様ご自身が まず始めにユダヤ人を救うために来られた」という事実によるのだということ。聖マタイ福音書は、イエズス様の直接の弟子として イエズス様ご復活の後のごく初期に書かれた福音書として、その内容もユダヤ人を対象としたものである、という前回学んだことが、ここにきてようやく本当に納得できました。)

他にも 聖ルカが異邦人のために書いたということがよくわかることをたくさん説明していただきました。例えば マタイ10:5 「あなたたちは異邦人の所へ行ってはならない」を聖ルカは書いていない。マタイ15;24 でのカナンの女という異邦人の女を無視した描写も 聖ルカにない。

もう一つ聖パウロや聖ルカが強調していることは、主の憐れみの深さであること。天主様が私たちを赦したいと望まれていて、罪を赦すため無限の憐れみを持っているということがたくさん書かれている。一匹の羊を捜しに行き肩に乗せて戻ってくる話や 失くした一枚の金貨を徹底的に探す話や 放蕩息子の話など。

また、聖ルカは 聖マタイと同様に その著述の中で 自虐的表現(?)を使っている。聖マタイが 自分の職業である税吏ということを引き合いに出して天主の憐れみを強調するために用いたということを 前回教えていただきました(マタイ5:47)が、聖ルカも 「医者よ、まず自分自身を治せ」という表現を用いて書いている など。

尚 出席者からの「ユダヤ人はユダヤ教を何故布教しようとしなかったのか?」という質問に対して、ユダヤ教というのは救い主が来るという約束を実現させるということ、”来るべき救い主が来る” その方を待つというところにポイントがあった と教えていただきました。「当時ユダヤ教のみが真実の宗教であったが、救い主を待たねばならなかった」。

お話を伺い、共観福音書の書かれたそれぞれの背景や時間的経緯や相違について いろいろと見えてきたように思います。聖マタイ福音書は 直接イエズス様から三年半の間み教えを受けた聖マタイがユダヤ人のために旧約聖書からの引用を駆使して最初に書いたもの、聖マルコ福音書は 聖ペテロの弟子で通訳でもあった聖マルコが聖ペテロの代わりとして奇跡の話を数多く書いてローマの人達に向けて書いたもの、聖ルカ福音書は 聖パウロの弟子の聖ルカが医者としての教養を持って主の憐れみを強調して異邦人に向けて書いたもの、というふうに捉えてみました。次回も楽しみです。神父様 いつもありがとうございます。

デオ・グラチアス!

“Ecce nunc dies salutis.” 「見よ、今が救いの日だ。」

2017年03月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月5日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月5日(主日) 四旬節第1主日のミサ
小野田神父 説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年3月5日、四旬節第1主日です。今日のミサの終わりにいつものように感謝の祈りを致しましょう。

その後に灰の水曜日、この前の水曜日に灰の式を受ける事ができなかった方の為に、灰の式を行いたいと思います、毎年のようにやりたいと思っていますので、どうぞ聖体拝領のように並んで、そしてどうぞ公教会の精神に従って灰を受けて、改悛の念を奮い起こし、特別の祝福を受けて、聖なる四旬節を送るようになさって下さい。

今日は14時30分から公教要理がいつものようにあります。今日は聖書の続きで、福音書を書いた4人の福音史家が一体どのような人で、一体いつ、どこで、誰がどうやって書いたのか、何で福音書はこのように似ているのだけれども違いがあって、どこがどういう風に違って、どんな特徴があるのだろうか、何故だろうか、という事を皆さんにお話したいと思っています、どうぞいらして下さい。

16時からは晩課があります。明日も朝の7時からミサがあります。

次のミサは3月19日です。

残念ながら公教会の新しい典礼では無くなってしまいましたが、今週の水・金・土は四季の斎日です。四旬節の四季の斎日で伝統的には大小斎を行っていました。日本では小斎だけになっていましたが、また四旬節中の全ての金曜日は、伝統的にはピオ12世教皇様の時代には大斎を守っていました。聖ピオ十世会でも会員はこれを守るようにしています。

これは厳密な意味では義務ではありませんが、皆さんを四旬節の精神の中の1つとして、できれば大小斎を捧げて下さるようにお招き申し上げます。



“Ecce nunc dies salutis.”
「見よ、今が救いの日だ。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、遂にやって来ました。私たちの待ちに待った、特別の公教会のボーナスセールスの日がやって来ました。教会は既に夜明けに来ました。太陽が高く、お昼になるまで高く上がるのが聖霊降臨だとすると、日がちょうど水平線から上がるのが復活祭、その復活祭をすでに予測させる、空が白んで来た暁、もう朝だ、という救いの日が今から昇ろうとしている、その日の訪れが今日やって来ました。なんと嬉しい事でしょうか。

今日は、教会は四旬節の第1主日に、一体何を私たちに招いているのでしょうか?私たちをどこに招待しているのでしょうか?

その次に第2点に、この四旬節には一体、誰の後を付いて、どんな模範に従って、どのように過ごさなければならないのでしょうか?それを黙想する事を提案します。

第1のポイントは、今日は救いの日の始まりの予告の日です。そこで教会は「指定巡礼教会」という特別の教会を特別の日に定めています。今日は教会は私たちを霊的に、「救世主大聖堂」つまり「ラテラノ大聖堂」に私たちを招いています。その中に、「救世主大聖堂の中に霊的に入るように」と招いています。一体何故でしょうか?

何故かというと、ラテラノ大聖堂は同時に、「救い主」という名前があると同時に「洗礼者聖ヨハネ聖堂」とも言われているからです。何故かというと、その横に大きな洗礼盤があって洗礼を受ける所があって、「洗者聖ヨハネと救い主イエズス・キリストがいつも一緒になっている」という事を示しているからです。つまり今日教会が私たちをここに招くのは、「救い主の中に入れ」という事と、それと同時に「救い主と共に、私たちも祈りと犠牲の砂漠に行くように、その中に入るように」と招いています。と同時に、洗者聖ヨハネもここで出てきます。洗者聖ヨハネも砂漠に居て、祈りと断食と犠牲を捧げた人でした。

40日後、復活の徹夜祭に教会はもう一度、私たちをラテラノ大聖堂に呼び寄せます。今度は復活の時です、勝利の時の為に呼び寄せます。

この40日間、私たちは主の中に入るという事を招かれていますけれども、一体何の為でしょうか?断食をする為だけなのでしょうか?そうではありません。もちろん断食も大切ですけれども、更に私たちの霊魂を浄める為に、罪から浄める為に、そして私たちの自己愛や自分勝手や、或いはあってはならないような欲望を浄めて、むしろ主のお望みに、主の掟に従ってより清い生活をする為です。私たちの生活を、この地上での生活を聖化する為です。

そこで聖パウロも、特別の招き、招待の叫びを、今日は私たちの耳に響かせています、「見よ、今日は救いの日だ!その日が始まる」と。「私たちはその御恵みを無駄に受けたのではなかった!」

聖パウロは特にこの書簡の終わりの方でこの2つの事を対比させます、「外見は貧しく見えるけれども、内的には豊かだ。外的には私たちはこんなに苦しんでいる、しかし内ではこんなに富んでいる。外的には私たちはあたかも死んだかのようだ、しかし私を見よ、私たちは生きている。外的には辱しめられている、しかし内的には栄光と喜びに満ちている。」

まさに私たちにも、このますます外的なものには犠牲と償いによって、地上のものからの愛着を取り除き、地上のものから離脱し、或いは四旬節の捧げ物でその誰かを助けたり、愛徳の為に誰かに与えたり、或いは奉仕をしたりすると同時に、祈りを以て私たちを内的に豊かにする、と招いています。

では、至聖救世主大聖堂の中に深く入って行きましょう。私たちの一体モデルは誰でしょうか? 私たちは一体誰の模範に従ってこの40日を過ごせば良いのでしょうか?

福音は私たちにイエズス様の姿を見せます、「イエズス様が40日40夜断食をされた。何も口にされなかった。そして祈りを捧げていた」という事を私たちに見せます。そればかりではありません。このイエズス様が空腹を感じられた時に、しかも「悪魔から誘惑を受けた。しかし、その誘惑から勝利者として出てきた。誘惑に打ち勝った」という事が語られます。これこそ私たちが従うべきモデルです。

愛する兄弟の皆さん、もしかしたら私たちは今まで、主に犠牲を捧げる償いを捧げるという時に一人でやろうと頑張っていたかもしれません。しかし教会は、特にこの四旬節の時には、「イエズス様と共に四旬節を過ごすように」と招いています、イエズス様と共に断食をするように、大小斎をするように招いています。

昔の、聖ぺトロのそのすぐ後の教皇様に聖クレメンテがいます。この聖クレメンテは既に教会法の中で、「司教であれ、司祭であれ、助祭であれ誰であれ、侍者であれ誰であれ、40日間のこの四旬節の時に断食をしない者はその司祭職から、それから聖職から除かれる」と書かれていました。「もしも平信徒であれば、もしも断食をしなければ罰せられる」などと書いてありました。聖アウグスティヌスを始め、古代の教父たちは皆口を揃えて、「この四旬節というのは、40日間主に真似て断食をするというのは、主と共に主を真似て断食するというのは、教会の初代のこの習慣であって、使徒が定めたものだ」と断定しています。

私たちはそのような断食をする事ができませんけれども、しかし私たちは罪に関する断食、罪の機会から身を遠ざける事、或いはちょっとしたおやつや、ちょっとした快楽、ちょっとした楽しみを放棄する事ならできます。これを教会は、「イエズス様と共にするように」と招いています。「イエズス様の断食に私たちも参与するように。イエズス様と一致して断食するように」と。何故でしょうか?

何故かというと、そうする事によって初めて、私たちもイエズス様と共に勝利者となる事ができるからです。私たちはこの四旬節の間、色々誘惑を受ける事でしょう。自分の欲望を満足させたい。罪の誘惑、或いは天主の掟よりも自分のやりたい事をやりたい。自分の義務を果たすよりは、自分の面白おかしい事をして遊んでその義務をサボりたい。或いは嘘をつきたい、そうすれば何か自分が困った事から逃げられるから。或いは屈辱を受けた。或いは日常の小さな十字架、辛さ、悲しさ。或いは自分の思い通りにいかなかった。或いは事故になった、怪我をした、病気になった、或いはその他何か私たちにとってうまくいかない事があります。

そのような事も教会は、イエズス様と共にそれを捧げるように招いています。何故かというと、そうする事によって初めて、イエズス・キリストと共に勝利者となるからです。

私たちは一人ではありません。カトリック教会という、とても勝利を約束された、たとえ死んでいるかのように見えたとしても生きている、たとえこの貧しいかのように見えても豊かな、天の王国の一員として天の王国の一部として戦っているからです、罪と戦っているからです。もしも私たちが罪を犯してしまうと、それは教会全体に泥を塗る事になってしまいます。しかし私たちが小さな犠牲を捧げる時に、私たちが祈りを捧げる時に、私たちが誘惑に打ち勝つ時に、善徳の聖徳の生活を送ると、それは教会全体を捧げる勝利の飾りとなります。

イエズス・キリストは頭として戦って私たちの戦いをリードしておられるので、私たちはその後を従って行かなければなりません。今はちょうどその暁で雲が白やんでいるだけで、私たちはその戦いに招かれているだけかもしれませんが、復活祭の時にはその勝利が与えられます。

そこでちょうど今日教会は、詩編の90番を何度も私たちに聞かせました。入祭誦や或いは昇階誦、そして詠誦、そして聖体拝領誦でも言います、「私たちは戦う、しかし戦う道に行くとあまりにも攻撃がひどいので、右には1000人倒れ、左には1万人倒れ、私たちは悪魔の上をその踏み潰して歩いて行く。敵からの攻撃はあるけれども、私たちは誰も恐れない。何故かというと主が、天主よ、あなたこそが私たちの避難所であるからだ。天主の翼が私たちを陰で隠し、その翼の陰は私たちを隠して、天主が私たちを守ってくれるから。主こそ私たちの救いの楯だ。」

教会は私たちにますます、「至聖救世主の中に入るように、イエズス様の後を従うように、イエズス様と共に四旬節を過ごすように、イエズス様と共に祈りと犠牲を捧げるように」と招いています。そしてその時に、「イエズス様と共に勝利を受けるように」と。

では今日どのような決心を立てたら良いでしょうか?2つ提案致します。

1つは、まず今日四旬節の良い遷善の決心を立てて下さい。四旬節、私たちはイエズス様に何を捧げる事ができるでしょうか?私たちはこの一体、この主の戦いのどの部門で戦おうとしたら良いでしょうか?

私たちの祈りの生活はどうでしょうか?朝と夕の祈りや、ロザリオの祈りはちゃんとどうやったらできるでしょうか?ロザリオの祈りも、しかもちゃんと黙想してできるでしょうか?或いは1日に何分か黙想の時間を取る事ができないでしょうか?或いは霊的な読書をする事ができないでしょうか?例えば今年はファチマの年の時ですから、ファチマについて本を読む事ができるのではないでしょうか?

或いは私たちはどんな犠牲ができるでしょうか?日常の生活の義務を犠牲としてどうやって捧げたら良いでしょうか?シスタールチアは言っています、「子供の頃から私はいつも、マリア様の汚れなき御心の為でなければ何もしなかった。全てはマリア様の汚れなき御心を愛する為にしてきた」と。私たちもそれを真似て、「マリア様の汚れなき御心の為に、或いはイエズス・キリスト様の聖心を慰める為に、この四旬節の全ての時間を使いたい、日常の全ての事をそれに捧げたい、その為にその意向で捧げたい」と決心するのはいかがでしょうか?

どうぞ良い遷善の決心を立てて下さい。そしてその遷善の決心を、ちゃんと四旬節の決心を守る事ができたかできなかったか、吟味なさって下さい。もしもできなかったら、ますますできるようにマリア様にお願いなさって下さい。何故かというと、犠牲を捧げるというのは口で言うのは簡単ですけれども、実際にそうだというのは決心がないとなかなかできないからです。

第2は、私たちは時々苦しい、或いはちょっと誘惑に負けてしまいそうだという時があるかもしれません。その時には是非、イエズス様とマリア様を思って下さい。何故かというと、イエズス・キリスト様とマリア様と共でであれば、私たちは誘惑などへのかっぱであるからです。この詩編の言われたように、「主こそ私たちの、あなたこそ私たちの避難所である。」マリア様は言われました、「私の汚れなき御心はあなたの避難所であり、天国へと導く道であります」と。そして天国に行って既に勝利されているイエズス様とマリア様をいつも思って下さい。復活は間近に待っています。必ず大勝利の日が来ます。

そこで飛行機の中で来る時に、ちょうど新聞にあったアメリカの大統領の話をするのを許して下さい。アメリカの大統領が、初めて大統領としてアメリカの議会でおこなった演説を読みました。

きっとそれと同じような事が最後の日に行われるだろうかなという事を、その将来私たちの為に準備されている事から見れば、この数日前にあったアメリカの議会であったのは、全くその儚い影であるかもしれません。

イエメンで戦った、特別の作戦部隊のチーフのウィリアム・ライアン・オーウェンズ上等兵が、この作戦中死亡するのです、戦闘中に。それが大統領としての最初の犠牲者であって、そして大統領はその未亡人を議会に呼びました。その未亡人を自分の一番の愛娘のその隣に座らせて、そして議会のスピーチの最後に、「私たちはこのキャリン・オーウェンズさんと同席してとても栄誉に思う」と言うのです。何故かというと、この「彼女の夫ライアンは私たちの国の為に戦った!彼は軍人として、ヒーローとして、英雄として生き、そして死んで行った。彼のその功績は永遠に私たちに刻まれている!」と言うと、皆が総立ちになって拍手をするのです。

その未亡人は、最初はそのような事を聞いて一体何が起こったのか分からないようにするのですけれども、皆が拍手をして止まらないのです。アメリカの議会の記録を作ったほどの拍手喝采があって、皆が総立ちになって、そしてもうその婦人はもう涙に顔をびしょびしょにさせて、そして天を見上げて何かをつぶやいているのです。

ところで、これよりも更に素晴らしい事が私たちの為に起こります。イエズス様が、天の大宴会でものすごい荘厳な儀式の中で、王の王として、私たちをその女王マリア様の隣に座らせて、全ての天使たちと全ての聖人たちを呼び集めて、「私は今日、この日本の聖なる殉教者教会に来たこの人々、」人々の名前を一人ひとり挙げて、「彼らに対して一言感謝したい。このカトリック教会の為に、私の聖なる教会の為に、私の花嫁である教会の為に、彼らはこのような祈りと犠牲を捧げてくれた。その彼らの捧げた、人知れずに陰で、しかし愛と心を込めて捧げられたこの多くの犠牲は、多くの霊魂たちを救った!ここにさぁ、これらがこの救われた霊魂たちだ!そして彼らのこの寛大な英雄的な犠牲と祈りのこの業は、特にこの今年の四旬節の業は永遠に決して忘れられる事はない!」と言うと、皆が総立ちになって拍手喝采をして、もう何分も何分もあって、「あぁ、私たちは一体どれほどの事をしたのか?イエズス様が助けて下さったから、したのですけれども…」と。

しかし、このような事が素晴らしい事が起こるという事を確信して下さい。イエズス様の教会は必ず勝利します。私たちはその復活の今、夜明けに立っています。そしてイエズス様は私たちをも招いて、「さぁ一緒に戦おう。私と共に勝利の冠を受け給え」と招いています。

ですから愛する兄弟の皆さん、イエズス様と共にマリア様と共に、この至聖救世主大聖堂に行って、そしてイエズス様の後に従って、40日間、祈りとそして犠牲を捧げ、多くの霊魂と私たちの聖化の為に、主の栄光の為に、良い四旬節を送る御恵みを乞い求めましょう。

“Ecce nunc dies salutis.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

" Extreme Unction " by Fr. Laisney SSPX

2017年03月17日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話、「終油」についての【英語原文】をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Sunday 12th March – Osaka - Extreme Unction

My dear Brethren,

We continue our study of the Seven Sacraments, with the Sacrament of Extreme Unction. It is a dogma of faith that our Lord Jesus Christ instituted this Sacrament. The Council of Trent indeed defined that there are seven Sacraments of the New Law, including Extreme Unction, and that all these sacraments were personally instituted by our Lord Jesus Christ. We see indeed in the holy Gospel that our Lord sent His apostles not only to preach but also to anoint the sick: “going forth they preached that men should do penance: and they cast out many devils, and anointed with oil many that were sick, and healed them” (Mk. 6:12-13).

Protestants deny that Extreme Unction is a sacrament. But St James is very clear in his epistle: “Is any man sick among you? Let him bring in the priests of the church, and let them pray over him, anointing him with oil in the name of the Lord. And the prayer of faith shall save the sick man: and the Lord shall raise him up: and if he be in sins, they shall be forgiven him” (Jam. 5:14-15). It is very clear that such anointing has a supernatural effect of grace capable to forgive sins and save a person, hence it is a Sacrament. When St James speaks of “being sick”, it is not a small sickness, a little indisposition, but rather a sickness that could lead to death. Hence the Sacrament is called “extreme unction”, though it does not have to be at the last moment.

By the institution of this Sacrament, our Lord Jesus Christ provided for the most important moment in our life, the moment of our death, that will seal our eternity. All our life should be a preparation for this most important moment: a holy life prepares for a holy death, and a life full of sin prepares for a frightful death in sins. Given such importance, it is not surprising that the devils make a supreme effort in these last moments to snatch souls. It is therefore necessary to have a very special help for such a special moment. The sacrament of Extreme Unction is the help our Lord Jesus Christ has provided for this most important moment: the end of our life.

The matter of this sacrament is the unction with the Oil of the Infirm, blessed by the Bishop on Holy Thursday during the Chrism Mass. This unction signifies clearly the grace of the Holy Ghost strengthening the soul and healing it. It is given on the five senses: the priest anoints the eyes, the ears, the nose, the mouth, the hands plus the feet for this last “crossing”, like the crossing of the river Jordan after the forty years in the desert at the moment of entering in the Promised Land. Indeed, these forty years in the desert after the crossing of the red sea signify our life on earth, nourished by the Holy Eucharist, following Christ in the spiritual desert of this world, on the way towards our Fatherland, i.e. Heaven.

The form of this sacrament consists in the words of the priest: “by this holy unction and His most pious mercy, may the Lord forgive you all the sins you have committed by sight / hearing / smelling / tasting and talking / touch”. This is the “prayer of faith” as St James said. The five senses are the doors of the soul; therefore, all sins are connected to one or the other of the senses.

Extreme Unction is a sacrament of the living, which means one should be in the state of grace in order to receive it. Hence the practice is that the priest would first hear the confession of the sick person and then after give extreme unction. But if the sick person can no longer confess his sins, for instance if he is in the coma, then that Sacrament has power to forgiven even mortal sins provided one had the proper attrition, the proper sorrow for his sins, before falling into such coma.

The grace of the Sacrament is taught in the words of St James: “the prayer of faith shall save the sick man: and the Lord shall raise him up: and if he be in sins, they shall be forgiven him” (Jam. 5:15). This Sacrament forgives venial sins and if necessary (in the case of inability to confess) even mortal sins; it remits the penalties due to sin and heals the soul; it comforts and strengthens the sick and gives great confidence in the mercy of God; it helps a lot to accept and bear the pains of the end of life, and unites them with the sufferings of Christ Crucified and through Him obtains a final victory over the devil. Sometimes, if it is useful for the soul, God even grants the healing of the body.

If one recovers, and then again becomes sick, he may receive again this sacrament. Even if the recovery is partial, and later the patient relapses in his sickness, this is considered a new danger of death and one can receive again this sacrament. But within one sickness, the grace of that sacrament persists through it: so it is good not to wait the last moment, but rather to benefit from this Sacrament as soon as the sickness could endanger one’s life.

The minister of this sacrament is the duly ordained priest (or the bishop): this is very clear in the words of St James. Some Protestants try to escape the clear meaning of the apostle by mistranslating the Greek word “presbyter” as “elder”: this is a secular translation and not a religious translation: it completely ignores that the very etymology of the word “priest” comes precisely from the Greek “presbyter”. This Greek word “presbyter” has been introduced into Latin and then passed on into present-day (European) languages by the Church, because it had been loaded by the Apostles with such religious meaning that the early Church wanted to keep that word as expressing a lot more than the secular word “elder”.

There are quite a few other Greek words in the New Testament that have also passed on into Latin and current European languages with their religious meaning and one would strip them of this religious meaning if he would return to the secular original meaning. This is the case of the word “episcopos” that has given “bishop” (the letters “p” and “b” are labials, hence the passage from one to the other) and one should not translate it by “overseer”. That would strip it of the religious meaning given to it by the Apostles.

Why did the Apostles then chose these words whose secular meaning seems far from their religious meaning? Because they wanted to manifest a clear-cut separation both from the Old Testament worship and from pagan worship. Hence, they did not use the words “hieros” for priest. But they chose words clearly pointing to the bishops and priests in the Christian community, but without any connection with pagan religions.

It is important not to fear extreme unction, but rather to ask for it, for it is a great help in sickness. Some people fear to hear about it, because it reminds them of death. But to bind oneself on the subject of death in no way helps a sick person, on the contrary. We all know that we should die one day. The church makes us pray: “from sudden and unprovided death, deliver us, o Lord!” A death is unprovided for, when one has neglected to receive this great sacrament. It is important to ask the priest to come and visit your friends and relatives who are sick, that he may anoint them if the sickness is dangerous to their life. This is a great act of charity towards a sick.

The visiting of the sick, the serving of the sick is a great act of charity, with a marvellous reward: “Come, ye blessed of my Father, possess you the kingdom prepared for you from the foundation of the world, because … I was sick, and you visited me:” (Mt. 25:34,36). One should not think of giving only material and physical consolation to the sick, but above all help them to carry their cross in a really Christian manner, in union with our Lord Jesus Christ. The best way to achieve this is to persuade them to accept the visit of a priest, in order to be anointed as St James said. One should not only pray for the sick, but pray with the sick.

The Blessed Virgin Mary is always praying with the sick; she is even closer to us at those moments, when we suffer, as the best of all mothers is close to her children when they suffer. She was at the foot of the Cross of Jesus, close to Him in His sufferings, and she is at the foot of the bed of every sick praying for him and helping him to unite himself with our Lord Jesus Christ. Suffering is a big mystery and difficult to accept; we need her help to accept him and offering it with Him.

This time of Lent, when we willingly take upon ourselves fasting and penances, should also be a time when we redouble our charity for the sick, alleviating their sufferings to the best of our abilities, and helping them to offer everything to the Most Holy Trinity for the glory of God and the salvation of souls.

Amen.

2017年3月3-6日、12-13日の聖伝のミサの報告(続き):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年03月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

更に3月の聖伝のミサのレポートをいただきましたのでご紹介いたします。

今年は、聖ヨゼフの祝日が3月20日に移動しています。ミッションの都合により、
3月20日には、東京では朝の7時に、大阪でも夕方の4時からミサを行う予定です。

3月21日には、大阪で早朝6時のミサがあります。

4月9日の枝の主日には、東京でも朝の10時半から(小野田神父)、大阪でも夕方の6時から(レネー神父)ミサがあります。

5月の秋田巡礼と、5月5-8日の最初のミッションはそのままです。しかし、5月の19-21日の日本での2回目のミッションは、マニラでの責務のために来ることが出来なくなってしまいました。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をお願いいたします。よろしくお願いします。

10月の最初のミッションも、都合によりキャンセルになってしまいました。2回目のミッションは予定の通りです。これについてもご理解をよろしくお願いします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】【大阪・レネー神父様のミサ】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

3月の大阪での主日の御ミサの報告をお送りいたします。

3月12日 四旬節第二主日には16名が、
翌13日の早朝ミサには7名が御ミサに与り御聖体を拝領するお恵みを頂きました。デオグラチアス!

主日のお説教では、この日の聖福音から、主の御変容と祈りについて黙想いたしました。
なぜ、この時期に、御変容の部分が聖福音で取り上げられるのか少し不思議に思っていましたが、神父様のお説教で教会が私たちに教えようして下さっていることが
はっきりとわかりました。
御変容が祈りと関係しているなど、今まで考えた事もありませんでしたのでとても勉強になりました。
四旬節のミサは、聖福音だけでなく、ミサの固有文も含めて、どんどんカルワリオへ向かっての準備がされていることが伝わってきます。
自分の今までの生ぬるい生活を一新して、また今日から四旬節を良く過ごそうと思います。

私が少し分かりにくかったのは、祈りの否定的な部分と、肯定的な部分という表現でした。まだまだ勉強が足りないのだと思います。( ゜Д゜)

神父様が勧めて下さったように、聖人の書いた書物と、毎日のミサ典書をもっともっと読んで、無駄な時間を過ごさないように細心の注意を払って天主様の方へ心を向けたいです。大阪のお聖堂のマリア様の前でお祈りしたり、聖歌を歌うと、マリア様の御助けがとても強く感じられて、勇気がわき、とても暖かい気持ちになります。
多くの御恵みを頂き本当に感謝いたします。

公教要理では、終油の秘跡についてお話頂きました。
天主様の深い憐みを一人でも多くの人が受けることが出来ればいいなと思います。
あまりにも大きな憐れみと愛をお持ちの善き天主様が全ての人に信じられ、礼拝され、希望され、愛されますように!!


【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様  
 
四旬節を迎え 今回も東京での御ミサを捧げてくださいましてありがとうございました。
これより四旬節に入り、特別な祈りと犠牲の40日間に入るのだと自覚しました。
ミサ全体を通して詩編90で歌われたように、“主は私を守ってくれる”という天主様へのへの信頼の気持ちが強められました。

六旬節の御ミサで勝利するために走ると教えていただいて、さて自分ができることはほんの小さなことのみであり、勝利への道は遠いと思っていました。ミサの中で 霊的に救世主大聖堂ラテラノ大聖堂の中に入り、救い主と一緒に祈りと犠牲の砂漠に赴くことで、そしてイエズス様とともに40日間の断食 罪の断食に入ることで、イエズスとともに犠牲を捧げることとなり、イエズスとともに勝利を約束されたこととなるとお話しいただきました。イエズスといつもともにいるように努めてイエズスと一緒にわたしができる小さなことをお捧げしようと思います。イエズス様を模範に・・・。

イエズスと一緒にいることができましたら幸せです。心が彷徨ってしまうのを連れ戻して、少しでもイエズス様と一緒にいたいと思います。そのための努力を惜しまないようにしようと思います。

飛行機の中で読まれた新聞のお話しアメリカ議会でのことイエズスとともにいる者は天において栄光をいただくというお話に思わず聴き入っていました。私もマリア様のようにイエズス様のお苦しみを一緒に受けることが少しでも出来ますように、心の中で主の御受難を黙想して 四旬節の務めを果たせればと思います。入祭文の「彼がわたしに願えば、私は彼の願いをきき、彼をすくい出し、彼に光栄を与え、長い生命を与えるであろう。いと高き者に守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである」という言葉が、深く沁み通ってくるようになりました。

"イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです"、と言いながら 何をするときも心を天に挙げたいと思います。

公教要理では、四福音書についてのお話の一回目でした。
[わかったこと]
① エゼキエル書1:10にある 人の顔、ライオン(獅子)、牛、鷲のそれぞれは、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書を示しているとのことでした。今回は聖マタイ福音書と聖マルコ福音書について お話を伺いました。

② 聖マタイのマタイ(マタイオス)はヤーウェの賜物という意味で、回心前はレヴィという名前で(レヴィ・マタイ)、住まいはガリラヤの湖のほとりのカファルウナムというところで、父親はアルフェオといい、職業はローマの方の税吏、そのためアラマイ語ヘブライ語も書くことができたので、マタイ福音書が後世に残された。最初に書き表された福音書であること。その特徴は、旧約聖書を良く引用していて、旧約が新約においてどのように成就したかということをパレスチナに住んでいたユダヤ人に向けて説明することに重きが置かれている。それによって イエズスが約束されたメシアであるということを説明している。そのため律法・地理・習慣・言い回しなどなど ユダヤ人なら当然よく知っているということを前提に書かれている。33年から44年の間に書かれたと思われる。

③ 聖マルコは、ヨハネ・マルコという名前を持ち、直接イエズスに会ったことはないが聖ペテロから洗礼を受けた弟子として通訳や書き物などを漁師出身のペテロのために行った。母親がお金持ちでマリアといい、キリスト信者が母の家に集まるのでいろいろな話を聴けた。旧約聖書からの引用はあまりない(二つくらい)。イエズス様の奇跡の話がたくさんある。聖マルコは キリストがまことのメシア救世主であることをその数々の奇跡を書くことによって、ローマの人に知らせようとして ローマで聖マルコ福音書を書いた。

[感想]マタイ福音書が旧約の引用をしながら書かれていること、マルコ福音書にイエズス様の奇跡の話が多いこと、に着目しながら二つの福音書に目を通してみたいと思います。次回のお話が楽しみです。いつもありがとうございます。

デオ・グラチアス!

追伸です。

実は、「勝利の教会、教会は必ず勝利します。」という神父様の力強い言葉が、わたしには 「今にもその霊的命が消え入りそうな瀕死のカトリック教会に見えるけれど、かならず甦って闘っている者たちに勝利の栄冠を与える」と 私たちへの励ましに加えて二重の意味を伴って聴こえてきました。

ラテン語のトリエント・ミサや 2000年変わらないカトリックの教義 聖人たちが生きたその証 それらが現在はもう過去のものになり見失われようとしているかに見えたとしても、その中に息づく愛が 信仰を求める人々を呼び集めて そこから天主の愛を受けて本当の故郷へ戻るための力を与えて下さる、それが今また少しずつ大きくなり、最後にはカトリック教会は勝利を得るだろうと。

ルルドやファチマに御出現のマリア様が祈りと犠牲をお捧げしなさい、と呼び掛けてくださいましたが、それはまるで教会が四旬節に入るので祈りと犠牲をお捧げしなさいと呼びかけられたかのようにも思えてきました。「あなた方の主が侮辱されるのを償いなさい」と仰っておられます。とうとう主の大切なごミサが十字架につけられてしまって、秋田では涙をお流しになりながら償いの祈りが必要なことをあらためて教えてくださったかのようです。

その時以来カトリック教会は この世の精神によって侮辱され まるで天主が十戒を与えたことがなかったかのように 人間として好きな道を選び人間として望むことを尊重して人としての自由を尊びなさい、そのような生き方を目指しなさいと言っているかのようにも見えます。前回の公教要理において 聖伝の信仰と第二バチカン公会議の信仰との違いを考察する機会をいただいて、はっきりと見る視点を教えていただいたからでしょうか、こんなふうにとらえている自分に気づかされました。

私が洗礼を受けたときには 既に新しい典礼での御ミサでした。昔の御ミサが現在と違うものだということを伝え聞く機会もなく 存在したことすら知ることもなく 新しい教会のムーヴメントに呑まれて押し流されている中で、霊感(インスピレーション)によって心に響いていたことも、聖書の中でイエズスがおっしゃられている御言葉も見失いがちになり、不安な気持ちが増すようでした。

それが伝統的な御ミサに与るようになってからは、本質的なカトリック信仰からそらされるようなことがなくなり、イエズス様の約束が何かということがはっきりするようになりました。この違いを感じることができるようになったことを 小野田神父様に感謝申し上げます。無原罪の聖マリア様とロザリオと不思議なメダイとコルベ神父様による聖母の騎士会、・・・。これらがこの百数十年の間に起こっていることの意味も教えていただきました。マリア様を通してすべてのことを受けていて、マリア様を通してすべてのものをお捧げするということも、次第にわかってきているように思います。本当に感謝いたします。

私は自分の罪と忘恩を償うためにこの四旬節に祈りと犠牲をお捧げしようと決心していたのですが、今日のお説教を拝聴して つい それ以上の意味を持つ四旬節をも想像してしまいました。イエズスと一緒になって祈りと犠牲をお捧げすることで、わたしが勝利するというよりもむしろ教会が勝利するというように聴こえてまいりました。教会が勝利するためにこの四旬節のボーナスセールでいっそう祈りと犠牲をお捧げして、罪人の回心のため天主が受けている侮辱と忘恩を償うことができたらと思いました。

多くのカトリック信者がプロテスタントの影響を強く受けているミサに与ることで、熱狂の中で我知らずにキリストを拒みバラバを選んでしまっている群衆のように、カトリック本来のトリエント・ミサを十字架につけているのかもしれません。(昔からの信仰を尋ね求める人には 居場所がなくなっているかのようです。) でも聖なる日本の殉教者教会の御ミサに与ることは 十字架のイエズス様と共にいる聖母マリア様と一緒にいる愛された弟子のようで敬虔な婦人たちのようだ ということなのかなとふと思ってしまいました。

本当にそのようになるためには この御ミサに与る私が 聖伝のミサに与ることの意義をしっかり理解してもっと敬虔に与るように努め、御ミサをもっと大切にしなければならないと感じました。この聖なる日本の殉教者教会で御ミサをお捧げしていることが天においてもっと認められるようになるために たくさん祈りたいと思います。そうなったらマリア様はきっともっとたくさんの人をこの十字架のもとに呼び集めてくださいますことでしょう、そのためにもお祈りいたします。

私は 神父様がコーリン・オーウェンズさんのことを紹介してくださったお話しに引き込まれて思わず聴き入ってしまっていましたが、後になるとじわっとそんなことが思い浮かんできたのでした。追伸が長くなってしまって申し訳ありません、どうぞ割愛なさってくださいませ。神父様 私たちのために素晴らしい御ミサをお捧げ下さいましてありがとうございます!

デオ・グラチアス!



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理のレポートの続きを書かせて頂きます!
また間違っているところがありましたら申し訳ありません(>_<)>

《分かったところ》
◎聖マルコ
 ・第2の福音史家。
 ・聖マテオの名前はレビ(レビというのはユダヤ人独特の名前で、日本でいう太郎のような感じ)。
 ・マルコは、ヨハネとも呼ばれ、ヨハネ・マルコとも言われた。
 ・聖ペトロの伴侶(ペトロの第1の手紙5章13節)。聖パピアスによれば、マルコはイエズス様とは直接話をした事がないが、いつもペトロと一緒にいて、聖ペトロからよく話を聞いていた。また教養があったので、ペトロの通訳としても働いていた。
 ・母の名はマリア。ペトロが奇跡的に天使によって鎖を解かれて牢から脱出した時に、最初に行った所が、このマルコの母マリアの家(使徒行録12章)。
 ・44年に、第1次宣教旅行に行く。聖パウロとバルナバと共にエルサレム→チプロス→パンフィリア→ペルゲに。ペルゲでパウロと何らかの理由で行動を別にして、マルコは1人でエルサレムに戻る(使徒行録13章)。
 ・49年に、第2次宣教旅行に行く。パウロはシラと共にチリチアに。マルコはバルナバと共にキプロスに(使徒行録15章)。マルコとバルナバは実は親戚。
 ・パウロがローマで捕らえられ監視されている時(60-62年)にはマルコの名前が出てくるので、この時には仲直り(?)している。再びパウロがローマで監禁されている時に、ティモティオ(エフェゾの司教)に、「マルコと一緒に来てくれ」と言っている(66-67年)(ティモティオへの第二の手紙:4章11節)。
 ・聖伝によると、マルコはエジプトのアレクサンドリアという所に司教座をつくった。
 ・書かれた場所はローマ(聖ペトロと一緒にいるとき)。
 ・用語はラテン語的なギリシャ語を使っている。
 ・マルコは、ユダヤ人の独特の言い方や慣習に毎回説明を付けている。

《分からなかったところ》
 ・聖マルコ様が聖福音を書かれた時期は大体いつ頃なのでしょうか?宣教旅行に行かれる前くらいなのでしょうか?
 ・また聖マルコ様は、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、マルコ様は異邦人に向けて聖福音を書かれたという事でしょうか?

お手数ですが、またお時間あります時にご指導をよろしくお願いいたしますm(__)m

デオ・グラチアス!



【お返事】

 ・聖マルコが聖福音を書かれた時期は、
1)聖マテオの福音の後に書かれた。
2)エルサレムが崩壊する(西暦70年)の前に書かれた。
3)聖ルカの福音の前(西暦62年の前)に書かれた。

 ・また聖マルコは、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、聖マルコがローマの人々のために聖福音を書いたという事です。

旧約の引用は、次の二つだけのように思えます。
例えば「預言者イザヤの書の中に、「私はあなたの前に、道を準備する使いをおくる。"主の道を準備し、その小道を正しくせよ"と荒れ野で叫ぶ声がする」とあるように、洗者ヨハネは、荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼をのべつたえた。」

またイエズスとともに、二人の強盗を、一人を右に、一人を左にして十字架にかけた。「かれは罪人と並んだ」とある聖書のことばは、こうして実現した。

また次のような表現もあります。
イエズスは、人々にむかって、「あなたたちは、強盗に立ちむかうように、剣と棒とをもって、私を捕えに来たのか!私は毎日神殿で、あなたたちの中に立って教えていたが、その時には捕えようとしなかった。しかしこうなるのは、聖書が実現するためである」とおおせられた。


聖マルコが、ユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると思えるのは、例えば次のような説明が付いているからです。例を挙げます。

「ゼベデオの子ヤコボとその兄弟ヨハネの二人(かれらをボアネルゲス、すなわち雷の子と名づけられた)」

「「タリタ・クム」とおおせられた。それは、「娘よ、私は命じる。起きよ!」という意味である。」

「ファリザイ人と、イエルザレムから来たある律法学士とが、イエズスのもとに集まった。かれらは、イエズスの弟子たちの中に汚れた手、すなわち洗わない手でパンを食べる人がいるのを見た。ファリザイ人はもちろん、ユダヤ人はだれでも、古人の伝えをかたく守り、腕をひじの所まで洗ってからでないと食事をしないのである。また、市場から帰った時は、水で身を洗わないと食事せず、さかずきや土器や銅器も洗いきよめるなど、伝えとして守っている他の多くの風習がある。」

「イエズスは、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!」と声高くお叫びになった。それは、「私の天主よ、私の天主よ、なぜ私を見すてられたのですか」という意味である。」

「夕ぐれになった。用意日、すなわち安息日の前日であった。」などなど。

他にもきっとあると思います。見つけたら教えて下さいね!

「終油について」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2017年03月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「終油について」(日本語訳)をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月12日 四旬節第2主日―大阪
「終油について」

親愛なる兄弟の皆さん、

七つの秘蹟の勉強を続けましょう。今回は終油の秘蹟です。私たちの主イエズス・キリストがこの秘蹟を制定なさったということは信仰の教義です。トレント公会議は実際、終油を含めて新しい律法(新約)には七つの秘蹟があること、またこれらの秘蹟はすべて私たちの主イエズス・キリスト御自らによって制定されたことを定義しました。私たちは実際、福音書において、主が、説教するためだけでなく、病人に油を塗るためにも使徒たちを派遣なさったのを見ます。「弟子たちは悔い改めを宣べに行き、多くの悪魔を追い出し、油を塗っておびただしい数の病人を治させた」(マルコ6章12-13節)。

プロテスタントは終油が秘蹟であることを否定しています。しかし、聖ヤコボは、その書簡の中で次のように非常にはっきりとさせています。「病気の人がいるのなら、その人は教会の司祭たちを呼べ。彼らは主の御名によって油を塗ってから祈りをとなえる。そして信仰による祈りは病気の人を救う。主は彼を立たせ、もし罪を犯しているなら、それを赦されるであろう」(ヤコボ5章14-15節)。その油を塗ることが、罪を赦し人を救うことのできる恩寵の超自然的な効力を持つということは非常にはっきりしています。ですから、それは秘蹟なのです。聖ヤコボが「病気」と言うとき、それは軽い病気、気分のすぐれないことではなく、むしろ死に至るかもしれない病気のことです。それゆえに、この秘蹟は、必ず最期の瞬間になされるものではなくても、「終油」と呼ばれているのです。

この秘蹟の制定によって、私たちの主イエズス・キリストは私たちの人生で最も重要な瞬間、私たちの永遠を決定する死の瞬間の準備をさせてくださいました。私たちの全生涯は、この最も重要な瞬間への準備であるべきです。聖なる人生は聖なる死を準備させますが、罪に満ちた人生は罪の中での恐るべき死を準備させます。そんな重要な瞬間ですから、悪魔がこの最期の瞬間に霊魂を奪おうと最大の努力をするのは驚くに当たりません。それゆえに、その特別な瞬間のために非常に特別な助けを得る必要があるのです。終油の秘蹟は、私たちの主イエズス・キリストが、私たちの人生の最期というこの最も重要な瞬間のために与えてくださる助けなのです。

この秘蹟の質料は、体の弱った人に、聖木曜日の聖香油のミサで司教によって祝別された油を塗ることです。この塗油は、霊魂を強め霊魂を癒やす聖霊の恩寵をはっきりと表しています。この秘蹟は五官に授けられます。司祭は、砂漠での四十年ののち約束の地に入る瞬間にヨルダン川を渡ったように、この最後の「渡り」のために、目、耳、鼻、口、手に加えて足に油を塗ります。実際、紅海を渡ったのちのこの砂漠での四十年は、御聖体によって養われ、この世という霊的な砂漠の中でキリストに従い、私たちの父祖の地、すなわち天国への途上にあるという、私たちの地上での人生を表しています。

この秘蹟の形相は、司祭の次の言葉から成っています。「この聖なる塗油およびいと厚き御慈悲によりて、主が汝の見、聞き、嗅ぎ、飲食および語り、触れることによりてなしたるすべての罪を赦し給わんことを」。これは、聖ヤコボが言うように「信仰による祈り」です。五官は霊魂の扉です。それゆえに、すべての罪はこの感覚のうちの一つまたは他のものに関係しています。

終油は生きている人の秘蹟です。その意味は、この秘蹟を受けるためには成聖の恩寵の状態になければならないということです。そのため実際には、司祭はまずその病人の告解を聞き、そののちに終油を授けます。しかし、病人がもう罪を告白できない場合、例えば昏睡状態にある場合、その人がその昏睡状態に陥る前に、正しい「不完全な痛悔」、正しい「罪に対する嘆き」を持っていれば、この秘蹟は大罪さえも赦す力を持っているのです。

この秘蹟の恩寵を教えているのは、次の聖ヤコボの言葉です。「信仰による祈りは病気の人を救う。主は彼を立たせ、もし罪を犯しているなら、それを赦されるであろう」(ヤコボ5章15節)。この秘蹟は小罪を赦し、必要ならば(告白できない場合には)大罪さえも赦します。この秘蹟は罪に対して当然あるべき罰を赦し、霊魂を癒やします。この秘蹟は病人を慰めて強め、天主の御あわれみに対する大きな確信を与えます。この秘蹟は、人生の最期の痛みを受け入れてそれに耐えるのを大きく助け、その痛みを十字架に付けられたキリストの苦しみと一致させ、キリストによって悪魔に対する最終的な勝利を得させるのです。時には、霊魂のために有益ならば、天主は体の癒やしをお与えになることさえあります。

病人が回復して、その後再び病気になる場合、その人はこの秘蹟をもう一度受けることが許されます。その回復が部分的であって、のちにその患者が病気を再発する場合は、新たな死の危険と考えられるため、この秘蹟をもう一度受けることができます。しかし、一つの病気だけであるならば、この秘蹟の恩寵は秘蹟によって継続します。ですから、最期の瞬間を待たずに、むしろ病気がその人の命を危うくするやいなや、この秘蹟から利益を受ける方が良いのです。

この秘蹟の執行者は、正式に叙階された司祭(または司教)です。これは、聖ヤコボの言葉で非常に明確です。プロテスタントの中には、ギリシャ語の「プレスビテル」という言葉を「長老(elder)」と誤訳することによって、この使徒の述べた明確な意味から逃れようとする人々がいます。これは世俗的な翻訳であって、宗教的な翻訳ではありません。「司祭(priest)」という言葉の語源自体が、まさにギリシャ語の「プレスビテル(presbyter)」から来ていることを完全に無視しているのです。このギリシャ語の「プレスビテル」という言葉は、教会によってまずラテン語に導入され、のちに[また教会によって]現代の(ヨーロッパの)言語に入りました。なぜなら、この言葉は使徒たちによって宗教的意味をもって持ち込まれ、初代教会がこの言葉を世俗的言葉である「長老」よりも多くの意味を表すものとして保持しようと望んだ意味を持っていたからです。

新約聖書には他にも、ラテン語を通して現代のヨーロッパの言語に入った宗教的意味を持つかなりの数のギリシャ語の言葉があり、その元々の世俗的な意味に戻ろうとするならば、それらの言葉からこの宗教的意味を取り去ってしまうでしょう。それが、「司教(bishop)」という言葉の元である「エピスコポス(episcopos)」という言葉のケースです(「p」と「b」の文字は唇音であり、そのため一方から他方へ移行可能です)。そして、この言葉は「監督(overseer)」と翻訳されるべきではありません。この場合は、その言葉から使徒たちによって与えられた宗教的意味を取り去ってしまうのです。

では、使徒たちはなぜ、彼らの宗教的意味とはかけ離れたように思われる世俗的な意味を持つこれらの言葉を選んだのでしょうか? なぜなら使徒たちは、旧約の礼拝および異邦人の礼拝から完全に切り離されていることが明白に分かるようにするように望んだからです。そのため使徒たちは、司祭を表すために[ギリシャの宗教に関係する]「ヒエロス(hieros)=聖なる」という言葉を使いませんでした。しかし使徒たちは、異邦人の宗教とはまったく関係のない言葉で、キリスト教徒の共同体で司教や司祭をはっきりと指し示す言葉を選びました。

終油の秘蹟を恐れるのではなく、むしろそれを求めることが重要です。病気には大きな助けになるのですから。終油のことを聞くのを恐れる人々がいますが、それは彼らに死を思い起こさせるからです。しかし、死という問題について目を閉ざしていては、病気の人の助けにはなりません。まったく反対です。私たちはみな、自分がいつかは死ぬということを知っています。教会は私たちにこう祈らせます。「不測の急死より、主われらを救い給え!」。この素晴らしい秘蹟を無視していたとき、死は不意にやって来ます。司祭に対して、病気になった皆さんの友人や親戚を訪ねて来てもらい、病気がその人たちの命に危険を及ぼす場合は油を塗ってくれるよう求めることは重要です。これは病人に対する素晴らしい愛徳の行いです。

病人を訪問すること、病人のために奉仕することは、素晴らしい愛徳の行いで、驚くべき報いがあります。「父に祝された者よ、来て、世の始めからあなたたちに備えられていた国を受けよ。あなたたちは、私が…病気だったときに見舞ってくれた」(マテオ25章34,36節)。病人にただ物質的および肉体的な慰めを与えるだけでよいと考えるべきではなく、とりわけ本当のキリスト教的方法で、私たちの主イエズス・キリストと一致して、病人が自分の十字架を担うのを助けるのだと考えるべきです。これを成し遂げる最も良い道は、聖ヤコボが言ったように油を塗ってもらうために、病人を説得して司祭の訪問を受け入れさせることです。病人のために祈るだけでなく、病人とともに祈るべきです。

童貞聖マリアは常に、病人とともに祈っておられます。すべての母のうちで最良の母が、子どもたちが苦しんでいるときそばにいるように、私たちの苦しむその瞬間に、聖母はさらに私たちのそばに近づいてさえ来られます。聖母は、イエズスの十字架の下、苦しみを受けておられたイエズスのそばにおられました。そして、聖母は、すべての病人のベッドの下におられて、病人のために祈り、病人が私たちの主イエズス・キリストと自分を一致させるのを助けておられます。苦しみは大きな神秘であり、受け入れるのは困難です。私たちには、病人を受け入れて苦しみをイエズスとともに捧げるために聖母の御助けが必要です。

私たちが進んで断食と苦行をするこの四旬節の時期はまた、私たちが病人に対する愛徳を倍増させ、病人の苦しみを私たちができる限り和らげ、病人が天主の栄光と霊魂たちの救いのためにいとも聖なる三位一体にすべてを捧げるよう助けるべき時期でもあるのです。

アーメン。

われらの指揮官なる神父の手紙【第1号】 ~聖伝のM.I.(Militia Immaculatae 無原罪の聖母の騎士会)

2017年03月15日 | M.I.(無原罪の聖...
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん!

聖マキシミリアノ・コルベが騎士たちにメッセージを書いたとき、騎士たちはそのメッセージに「われらの指揮官なる神父の手紙」と名付けたものでした。聖コルベの死後、後継者である無原罪の聖母の騎士会(MI)の歴代国際モデレーターたちが、「国際モデレーター(調整官)」という少し複雑な教会法上の名称よりも、「指揮官」という名称を使う方が騎士たちにとっては簡単だという単純な理由から、この伝統を長く継続させました。天主の御摂理が長上たちの声を通して皆さんのしもべを「無原罪の聖母の騎士会-伝統厳守会」の国際モデレーターとしてお選びになったのですから、聖なる創立者の足跡に従って、ある程度定期的に皆さんに「指揮官なる神父の手紙」を送らせてください。当時の騎士たちは、聖マキシミリアノを父そして案内者の両方と認識していました。ですから今日、私は皆さんの祈りをこいねがうのです。私が聖マキシミリアノの忠実なこだまとなり、そうすることで、私たちに本当の父と案内者がまったくいない今日、聖マキシミリアノがもう一度、そしてこれまで以上に「われらの愛する指揮官なる神父」になってくださいますように。

この最初の手紙で、私は皆さんに、伝統を厳守する無原罪の聖母の騎士会の起源についてお知らせし、またその始まりから私たちの時代までの簡単な歴史的説明をしたいと思います。

それは、私が神学校に入った最初の年である1981年のことでした。ドイツの聖伝のカトリック青年運動(KJB)の指導者たちが、聖マキシミリアノ・コルベの生涯と使徒的業績に捧げた会報を発行しました。私たち神学生は、この私たちの時代の聖人を見いだして魅了されました。それは、聖コルベが、この深い信仰と使徒的情熱において完全に伝統的でしたが、同時に今の現代技術の手段を使って仕事をしたからです。現代の若者さえをも魅了する聖人です。

この若者たちの回心についての問いが、1986年以来私たちがアフリカに配属されているときに持ち上がりました。ファチマの聖母のご出現のメッセージ(聖三位一体のミシェル修道士による三巻)と聖マキシミリアノ・コルベの伝記(マリア・ウィノウスカ著)に触発され、ロイック・デュベルジェ神父は1988年、少女のための運動「無原罪の聖母の仲間たち(CI)」を創立しました。MIに三つのグループがあるように、少女たちは「無原罪の聖母の子どもたち、しもめたち、使徒たち」に分かれており、それぞれがファチマの汚れなき御心のお望みを寛大に実現させようとしました。そのひとりひとりがほかの少女たちの回心のためにもっと寛大になってゆきました。その結果は圧倒的でした。創立5年後には、「CI」のグループが近所の子どもたちを回心させるためにガボンの首都のいろいろな地域に設立され、多くの「使徒たち」が聖ピオ十世会のミッションの1500人の子どもたちのためにカテキストとして登録されました。ファチマの75周年を祝う年には、CIは多くの回数、ご出現についての芝居を上演し、新たに何百人もの人々を教会に導きました。しかし最も驚くべき実りは、多くの若い女性たちの内的な変化でした。彼女たちは本物の内的な生活を生き、異教の環境、または家族の中でさえ、信仰を守ろうという時には英雄的な勇気を見せたのです。彼女たちの中には、両親や兄弟姉妹を回心にまで至らせた者もいました。いろいろな熱帯病のために早死にした人々の中に、私たちはまれな段階に至った徳と聖性さえ見ることができました。この信じられないような驚くべき出来事によって、私たちの時代における無原罪の聖母の抜きんでた力に対する信頼、ファチマの特異な重要性、そして私たちのあらゆる使徒的なわざを聖母とともに、聖母の命令のもとでのみ行うことの必要性を、私たちは確信したのです。

しかし、のちの1994年のことでしたが、驚くべきことにポーランドにおいてカトリック聖伝のわざを始めるよう指名されたとき、聖マキシミリアノ・コルベとその騎士会がどのような人々であるのかを本当に発見したのです。母語で書かれた聖コルベの手紙や講話を読んで私たちが発見したのは、黙想的でありかつ最も行動的である万能の天才、マリア様の最も深い神秘に関する神学者であり、何百万もの人々が聖母を知るようにさせ、かつ愛させるために現代の技術的手段と発明を利用した組織づくりの師です。このいつも死ぬような病気にかかっていた小さな修道士は、「レジオ・マリエ」と「ファチマの聖母のブルー・アーミー」に続く世界で三番目に大きい最も重要なマリア様の運動を設立し、また大きな資金もなしに「無原罪の聖母の町」と呼ばれる修道院を開きました。そこは15年以内に、中世以来世界で最も大きな千人近くの修道士を擁する修道院になりました。自分の祖国でマリア様への愛の炎に火をつけるだけでは足りず、遠いアジアへのミッションにも、「何十億もの霊魂」に聖母の足元へもたらしたいとの望みを抱いてそれに着手したのでした。最後には、その英雄的な一生のあと、一家の父親である囚人仲間の代わりに死ぬというアウシュヴィッツの餓死室での英雄的な死を迎えました。

1998年にワルシャワに最初の修道院を開いたとき、もちろん、無原罪の聖母の町であるニエポカラノフをしばしば訪問しました。私たちがこの巨大な使徒職の名残(博物館、最初の礼拝堂や聖マキシミリアノが住んでいた各部屋、聖人の英雄的な同志たちの墓など)を黙想すると、まるで聖人自身が私たちに会っているかのようでした。また聖マキシミリアノを直接知っていた年老いた修道士たちと長い会話をすることは、他に類を見ない貴重な体験でした。しかし、私たちはMIの別の面も発見せざるをえませんでした。この場所はカリスマ運動でいっぱいのところで、その書店はリベラルかつ近代主義の書物で満杯であり、私たちはしばしば、野外ロックコンサートに見られるような、人々に空しい感情を引き起こす集会を目撃しました。1997年にはMIの新しい会則が公表されましたが、それは以前の会則とは大変異なるものでした。ベストセラーのうちの一冊は、騎士会の総長であるシンブラ神父の本でした。その本で同神父は聖なる創立者を、その考えが狭量であり、「彼の時代の意見に固執した」として、強く批判しました。聖マキシミリアノを知っていた年老いた修道士たちにこれらの変化について尋ねたところ、私たちはしばしば、悲しげに「今やすべては変わった」と言うのを聞きました。「無原罪の聖母の騎士誌」は近代主義的な暗示に満ちた信心会報になっており、創刊当時の雰囲気は失われました。

このとき、若い信者が何人か私たちのところにきて、無原罪の聖母の騎士会を、まさに聖マキシミリアノが創立したそのままの形で、私たちが再発足させることができないかどうかを尋ねました。1920年代以来ポーランドのカトリックはMIによって深く影響を受けていますから、聖なる創立者がMIを設立したのと同じ精神でMIを再創立することを…。

この願いのために、このアイディアが理にかなっているかどうかを分析しなければならなくなりました。聖伝のカトリックには、マリア様の運動が他にも既に沢山あったからです。単にもうひとつ別の運動を創立するだけでは、存在している多くの運動の参加者の数や力を分裂させてしまいかねません。ですから、無原罪の聖母がそのご意志を私たちに示してくださるよう、小さな祈りの十字軍を組織しました。

この時、私たちは騎士会とその聖なる創立者のさらに深い側面を発見して、この運動が世界で他に類を見ないものであり、私たちの時代に完全に適合していることを、以下の理由から、確信したのです。

1)その名称が示しているように、無原罪の聖母の騎士会(Militia Immaculatae)は戦闘の教会(Militant Church)、すなわち地上での悪魔や罪、誤謬との絶えることのない戦いの中にいるまことのカトリック教会を思い起こさせます。50年前から、これらカトリックの本質的な事項は、全世界の平和やすべての宗教の相互の尊重のために努力するよう教えられてきた信者たちの心から取り去られてしまっていました。さらに悪いことに、同じころから、天国や地獄、煉獄、死、審判、悪魔との戦い、誤謬から唯一のカトリックの真理への回心など、永遠にして最も重要な現実が広く捨てさられ、相互理解と平和において世界を統一する望みというものと置き換えられてしまっていました。フリーメーソン的な新しい世界秩序が多くのカトリック信者の理想となってしまったのです。

この現代主義の病に対抗して、MIは私たちの時代の平和主義に対する薬となり、唯一のまことの視点、すなわち、私たちはこの世では霊魂の救いのために戦っている、という事実を強く思い起こされるものとなるのです。MIは、永遠の価値と、私たちがこの世での短い時間を正しく使うことに重きをおいています。MIは、その定義自体において、すべての反教会主義者たちや偽りの宗教を、唯一のまことの教会へ回心させる、という反エキュメニズムの召命をもっているからです。

2)私たちの時代において非常に必要とされる霊的戦いというこの考えは、寛大な霊魂たち、特に青年たちに、偉大で魅力的な理想のために自らを捧げるという熱意を起こします。個人主義的な私たちの時代において、私たちは自分の霊的な安逸に閉じこもって自己中心になり、宗教的実践を個人的なこととしてのみ理解するという大きな危険の中にいます。このように長い間恐ろしい危機が続くと、私たちは自分が聖にして母なる教会に属しており、キリストの神秘体全員への責任があるのだということを忘れてしまうという危険があります。MIは私たちに、主の偉大なる新しい掟「主が愛されたように私たちの隣人を愛せよ」を深く理解させてくれます。これはすなわち、永遠の破滅の淵へ向かって走っている霊魂たちの救いのために私たちができるだけの努力をすることです。教会の中で誰かがまことの価値に立ち戻り、最も小さな小教区からバチカンに至るまでのそれぞれの場所で、無原罪の聖母を取り戻し、そして無原罪の聖母と共に全てのカトリックの聖伝を取り戻そうと望むときはいつでも、私たちは幸せであり感謝でいっぱいです。私たちは、霊的な病をもっているかわいそうな霊魂たちに対して、軽蔑をもって「そんな異端者とはかかわりたくない」と言うのではなく、その人を、無原罪の聖母を通じて私たちの主の不変の真理へ連れ戻すために私たちができうることをしたいと思うのです。

3)MIは私たちにカトリック信者としての真のアイデンティティを取り戻させ、またそれとともに、地上で天主の国を広げるため努力するイエズス・キリストの兵士になるという、ここ地上での自分たちの役割を深く理解させてくれます。この生涯の任務を達成するため、私たちは堅振の秘蹟を受けたのです。無原罪の聖母の騎士会は、祈りや実践において他の運動や団体と並ぶようなものというよりは、私たちの生活に対する新しい法のように本質的なものなのです。その新しい法とは、つまり、何をするにしても、敵を改宗させることによって攻撃し、イエズスの聖心の国を広げる聖母の御手の道具、聖母の軍団の騎士として、それをするのだということです。この法が私たちの生活全般にわたって浸透するならば、私たちは空しいもので自分の時間を浪費せず、むしろ私たちが地上にいる短い期間を、最大限の最も偉大な行い、永遠の行い、霊魂の救いに満ちたものにするでしょう。

4)別の魅力的な側面:この運動は、無原罪の聖母への奉仕において、最も現代的な手段を使うことに熱心です。現代人をして、マスメディアへの新しいカトリック的なアプローチを取らせるのです。マスメディアは、強力な最悪の誘惑の手段として、大抵が闇の力によって悪用されています。とにかく若者が電子機器の中毒になるように、MIはこの中毒を、無原罪の聖母と霊魂の救いのための奉仕へと変えるのです。この側面によって、この運動が私たちの時代の状況やニーズに完全に適合することを多くの人々が理解して、彼らが外からMIに加入するようにさせることができるのです。

しかし同時に、この運動は、霊魂を救うための騎士たちの最も重要な武器として、祈りと犠牲の精神に深く根付いているのです。この運動は、非常に多くの霊魂が地獄に落ちており、それは彼らのために祈ったり犠牲をしたりする人がいないため、祈り、犠牲をするように、というファチマの聖母のお求めに完全に適合しています。さらに、聖マキシミリアノの使徒的祈りのための方法は、良き祈りの生活を送ることが困難である私たちの時代に完全に適しています。

5)しかし、最も重要な点は、私たちの生活の中で無原罪の聖母が占める場所にあります。MIは現実的な日々の生活において、聖ベルナルドや多くの聖母信心のあった聖人たちの主張を、特に聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心を適用しています。彼は、すべてのことを、マリアを通して、マリアとともに、マリアにおいて、マリアのために行うように教えています。MIは、聖母の無原罪の御宿りという偉大なる真理、特にすべての人々のための回心と聖化の恩寵すべての仲介者としての聖母の役割という偉大なる真理を、具体的で寛大な実践へと至らせます。MIは、騎士の個人的な生活の中において無原罪の聖母の重要性を騎士に理解させ、特にいまだに誤謬と罪の中にいる失われた愛する子どもたちを永遠の破滅から救うためにご自分を助けてくれるようにとの聖母のお求めの重要性を騎士に理解させます。ここにおいてカトリック信者は、この世における自分の役割が何であるのか、人間がこの地上でできる最も偉大なわざにおいて自分がいかに重要であるのかを毎日学ぶのです。そのわざとは、永遠の幸せの最上のものを他の人たちに贈ることです。同時に、MIは騎士に必要な謙遜を教えます。騎士一人だけでは何もできませんが、無原罪の聖母の道具としてならば、聖母の忠実な騎士としてならば、なんでもすることができるのです。

6)これらすべての点は、確かにいくつかの国で聖伝に忠実に再創立されたレジオ・マリエにも見られます。しかし、レジオ・マリエはローマの軍団の形式に従って、エリート兵士たちの運動として作られたもので、そのメンバーには本質的に非常に多くのことが要求されます。ところが反対に、無原罪の聖母の騎士会はあらゆる人、たとえもっとも怠惰なひとでさえ加入でき、騎士になるのにほとんど何も要求しません。MIは、すべての人を聖母の足元に投げ出すための大衆運動であり、各人が聖母に少なくとも小指一本を捧げるように強いるのです。その後聖母はその人の手とその人自身をお取りになって運動を導かれます。フィリピンのレジオ・マリエが見いだしたのは、MIが、レジオ・マリエ会員が毎週訪問する多くの人々を、彼らを聖母の騎士にすることによって、聖母により近く結びつける特別な手段となることでした。

7)この運動は、多くの大衆のために設立されたとはいえ、救いのわざのために私たちが協力するあらゆる可能性を内包しています。この運動は、個人として無原罪の聖母に奉仕したいと思う人々(MI 1)を招いていますが、より良くより広い使徒的結果に到達するためのグループやサークル、団体での共通使徒職(MI 2)も想定しています。最後にまた、霊的なエリートに加わって無原罪の聖母に完全に自分を明け渡して英雄的に一生を奉献する最も熱心なメンバー(MI 3)をも招いています。

このような運動はこれまで世界で創立されたことはありませんでしたが、その聖なる創立者の普遍性を伝えています。完全に観想的かつ同時に活動的であり、個人個人の努力を尊重しかつ大衆を集め、最も高い知的な活動(無原罪の聖母のアカデミー)の概念も、最も実践的な実現も包み込み、二千年の聖伝とともに永遠に変わることのないカトリック信仰を守るとともに、最も現代的な技術と現代の発明を利用するのです。

聖ピオ十世会総長は提案した議論に賛成し、ポーランドにおいて伝統を厳守するMIを創立することを認めてくださいました。2000年5月6日、マリア様の月の初土曜日に、約50人のカトリック信者が最初に無原罪の聖母の騎士になりました。彼らは、聖マキシミリアノ自身によって書かれ、署名された「ディプロミク(ちいさな学位証)」の写しを受けました。この創立の実りはすぐにやって来ました。騎士たちの中の寛大さ、規則的な祈りの生活、使徒的な精神が増え、特に書物による使徒職(冊子、書籍、パンフレット、ちらし)が著しく増え、それによってポーランドでカトリック聖伝が知られるようになりました。第二次世界大戦前に聖マキシミリアノ・コルベとその仲間の騎士たちが書いたそのままの文章を出版したため、第二バチカン公会議の精神による教会内の新奇なものと、MIの最初の50年の霊性や理想との間の大きな違い、さらには矛盾さえも、多くの信者が簡単に知ることができるようになりました。

2002年にはモルゴンの聖伝のカプチン会の神父たちがMIに加わりたいと望み、フランスでMIを創立したいと望みました。2004年には最初のアメリカ人司祭たちが、アメリカのいくつかの修道院や聖堂でMIを創立し、2006年にはスイスでも設立されました。しかし最初はすべて、聖マキシミリアノの「ファン」が何か個人的な誓約をしたのであり、この運動は聖伝のカトリックの世界では(ポーランドを除いて)一般的に知られていませんでした。やっと直近の3年間、聖母ご自身がこの小さな軍隊を成長させようと望まれていたように思えました。何も特別な宣伝や告知がなかったにもかかわらずどんどん多くの信者が興味を持ったのは、MIに関するパンフレットや書物の出版と、ポーランドとスイスとアジアでの三つの重要なウェブサイトの設立のおかげでした。3年の間に騎士の数は2013年の約5000人から2016年の1万3000人へと倍以上になりました。現在までさまざまな国でのMIの管理はそれぞれのMIの司祭たちの主導に任されており、司祭たちは長上の許可を得ながら彼ら自身主導によって個人的に「何かをしようと」してきたのです。そこでさまざまな努力を一つにまとめ、MIをカトリック聖伝の小さな軍隊として構成するために、MIの最高権威である聖ピオ十世会総長は、皆さんのしもべを国際コーディネーターに、すなわち聖マキシミリアノの言い方に従えばMIの「指揮官」に任命しました。

この私たちの時代におけるMIの重要性に関する上で述べた七つのポイントについてもう少し長く黙想してくだされば、私たちの夢がなぜファチマ聖母ご出現の100周年に十万人の騎士を聖母の足元に捧げることなのかを皆さんは理解してくださるかもしれません。1917年に巨大な反キリスト教の軍隊(ローマのフリーメーソン、モスクワの共産主義)がこの世に現れたとき、聖母はファチマとMIの創立によってそれに応えられました。2017年に反キリスト教の軍隊が、自分たちが全世界を支配する勝利の象徴として100周年を祝うとき、聖母が再び小さな軍隊、「最後の時代の聖母の使徒たち」(聖グリニョン・ド・モンフォール)、聖母の汚れなき御心に奉献された子どもたち(ファチマ)、聖母の忠実な騎士たち(聖マキシミリアノ・コルベ)によって再びお応えになる、と皆さんはお考えになりませんか?

ですから、皆さん一人一人への謙遜なお願いをもって私の話を終わらせてください。8月14日に私たちは聖マキシミリアノの英雄的な死の75周年をお祝いします。どうかその日までに、カトリック信者を一人見つけて、その人に無原罪の聖母の騎士会に加入してもらうよう、可能な限りの力を尽くしてくださいませんか?!

2016年5月31日、「元后なる聖マリア」の祝日に
私の司祭としての祝福をもって
感謝のうちに


英語原文はこちら  Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”

Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”

2017年03月15日 | M.I.(無原罪の聖...
Dear Knights of the Immaculata!

When Saint Maximilian wrote to the knights, they used to name his messages “Our Father Director’s letters”. After his death his successors, the international moderators of the MI, continued long time this tradition for the simple reason that it was easier for the knights to use the term ‘director’ than the somehow complicated canonical term “international moderator”. As the Divine Providence through the voice of the superiors has chosen your servant as international moderator of the “Militia Immaculatae – traditional observance”, allow me to go in the footsteps of the holy founder and send you more or less regularly “Father Director’s letter”. As the knights in those times recognized Saint Maximilian both as their father and guide, so today I ask humbly your prayers, that I would become a faithful echo of him, so that today, when we lack terribly true fathers and guides, he may be again and even more “our beloved Father director”.

In this first letter I wish to inform you about the origins of the Militia Immaculatae in its traditional observance and to give you a brief historical account from its beginnings until our times.

It was in our first year of the seminary, in 1981, when the leaders of the traditional Catholic Youth Movement in Germany (KJB) issued a bulletin consecrated to the life and the apostolic work of Saint Maximilian Kolbe. We Seminarians were fascinated to discover this Saint of our times, who was so absolutely traditional in this deep faith and apostolic zeal but at the same time working with contemporary modern technical means. A Saint who fascinates young people even our times.

This question about the conversion of young people came up again, when since 1986 we were appointed to Africa. Inspired by the message of the apparitions of Our Lady in Fatima (the three volumes of Frere. Michel of the Holy Trinity) and the biography of Saint Maximilian Kolbe (written by Maria Winowska), Fr. Loic Duverger then founded in 1988 a movement for girls, the “Compagnie de l’Immaculee”. As the MI counts three groups, the girls were divided in “children, servants, and apostles of the Immaculata”, each of them would realize more generously the requests of the Immaculate Heart in Fatima. Each of them would become more generous in striving for the conversion of other girls. The results were overwhelming: After 5 years of existence, groups of the “CI” were founded in various regions of the capital of Gabon to convert the children in the neighborhood, many “apostles” were engaged as catechists for 1500 children in our Mission Saint Pius X. During the jubilee of the 75 anniversary of Fatima the CI played many times the theater about the apparitions and attracted hundreds of new people to the Church. But the most marvelous fruit was the inner change of many young girls who lived an authentic inner life and showed sometimes heroic courage to defend the faith within the pagan milieu or even family. Some of them brought their parents, brothers and sisters, to conversion. Amongst those who died an early death due to the various tropic diseases, we could observe a rare degree of virtue and even holiness. Such incredible surprises confirmed us in the conviction about the outstanding power of the Immaculata in our times, the exceptional importance of Fatima, and the necessity of doing all our apostolic work only with HER and under HER command.

But it was only in 1994, when surprisingly appointed to begin the work of Catholic Tradition in Poland, that we discovered really, who was Saint Maximilian Kolbe and his Militia. The reading of his letters and conferences in the maternal language made us discover a universal genius, both contemplative and most active, a theologian of the deepest mysteries of Mary and a master of organization who used the modern technical means and inventions to make Our Queen known and loved by millions of people. This always mortally sick little monk founded one of the most important Marian movements in the world, the third after the “Legion of Mary”, and the “Blue Army of Our Lady of Fatima”, opened with no material means a convent called “City of the Immaculata” who within 15 years became the largest in the world since the medieval times with almost 1000 inhabitants. Not enough to enkindle the flame of love towards Mary in his fatherland, he set out for the Mission in far Asia with the desire to bring to her footsteps “a billion souls”. Finally, after a heroic life his heroic death in the hungerbunker in Auschwitz dying for a co-prisoner, a father of a family.

When 1998 we settled in Warsaw to open the first priory, it was obvious, that we payed frequent visits to the nearby Niepokalanów, the City of the Immaculata. It was, as if the Saint himself would meet us, when we contemplated the remnants of this gigantic apostolate (museum, original chapel and the rooms where the Saint lived, the cemetery with his heroic companions etc.). It was a unique experience to have long conversations with the elder brothers who knew him personally. However, we had to discover the other side of the MI: the place was full of charismatic movements, the bookstore packed with very liberal and modernist books, we were often witness of liturgical ceremonies and meetings as a gathering of the masses to excite empty emotions similar to those you can find in any open-air rock concert. In 1997 were also published the new statutes of the MI very different from those before. One of the bestsellers was a book of the general moderator of the Militia, Fr. Simbula, who criticized strongly the holy founder for this narrowness and ‘being stuck in the opinions of his times’. When asking the elder brothers who knew the Saint about these changes, we heard often saying him sadly: “now all is changed”. The ‘knight of the Immaculata’ became a pious bulletin full of modern allusions, and empty of the original tone.

At the same time we were approached by some of our young faithful who asked, whether we could not restart the Militia Immaculatae exactly as Saint Maximilian founded it. As Catholic Poland since the twenties was deeply influenced by the MI, the re-founding of it exactly in the same spirit in which the Holy Founder established it …

This request obliged to analyze, whether this idea would make sense, as we had in the Catholic Tradition already quite a number other Marian movements. To found just yet another one, could divide the number and strength of the existing. So little prayer crusade was organized, that the Immaculata would show us her will.

At this moment we discovered a yet deeper aspect of the Militia and its holy founder and we realized that this movement is unique in the world and perfectly appropriate for our times for the following reasons:

1/ As the name indicates, Militia Immaculatae reminds the Militant Church, the true Catholic Church on earth in its permanent fight against the devil, sin and error. Since 50 years these essential catholic themes had been removed from the minds of the faithful who are taught to strive for universal peace and mutual respect of all religions. What is worse: since the same time the everlasting and most important realities about heaven, hell, purgatory, death, judgement, fight against the devil and conversion from error to the only catholic truth … had been widely abandoned and replaced by the desire of unifying the world in a mutual understanding and peace. The masonic new world order has become the ideal of many Catholics.

Against this modernist plague the MI appears as a remedy against the pacifism of our times and becomes a strong reminder of the only true perspective: we are on earth to fight for the salvation of souls. It emphasizes of the everlasting values and the right use of our short time on earth. It is in its definition anti-ecumenical calling of the conversion of all dissidents, false religions to the only true Church.

2/ This idea of spiritual fight so needed in our times provokes the enthusiasm of generous souls, especially the youth, to give herself up for a great and fascinating ideal. In our individualistic times, we are in great danger to close up ourselves in our own spiritual comfort and become self-centered and to understand religious practice only as private affair. After such a long period of terrible crisis we risk to forget, that we belong to Holy Mother Church and responsible for all members of the Mystical Body of Christ. The MI makes us deeply understand the great NEW commandment of Our Lord: “to love our neighbor, as he has loved him”, that is to do what we can to strive for the salvation of souls running towards the abyss of eternal damnation. We will be happy and thankful, whenever somebody in the Church returns to the true values and wish to bring HER and with HER the whole Catholic Tradition back in each place, from the smallest parish until the Vatican. We will not point to the poor spiritually sick souls with despise saying ‘with such a heretic I don’t want to have anything to do’, but we want to do what we can to bring him back to the unchangeable truth of Our Lord through the Immaculata.

3/ The MI gives us back our true identity as Catholics together with the deeper understanding of our role here on earth, to become a soldiers of Jesus Christ striving for the extension of the Kingdom of God on earth. To accomplish this life task, we have received the sacrament of Confirmation. The Militia Immaculatae is not so much another movement and associations amongst many with its prayers and practices, but it is essential like a NEW LAW for our life, that says: whatever you do, you do it as instrument in Our Lady’s hands, as knight in her army to attack the enemy by converting him, and so to extend the kingdom of the Sacred Heart of Jesus. If this law penetrates our whole life, we will not any more waste our time with nothing, but fill our short period on earth with a maximum of greatest deeds, eternal deeds, salvation of souls.

4/ Another fascinating aspect: this movement is eager to use the most modern means in the service of the Immaculata. It makes the contemporary man have a new, a Catholic approach to the mass-media, which are mostly abused by the powers of darkness as powerful means of the worst of temptations. As anyway the youth is addicted to their electronic devices, the MI turns this addiction into the service of the Immaculata and the salvation of souls. This aspect can bring many people from outside to join the MI, as they see, that this movement perfectly adapts to the situation and needs of our times.

But in the same time it is deeply grounded in the spirit of prayer and sacrifice as the most important weapons of the knights to save souls. It applies fully the request of Our Lady of Fatima to pray and do sacrifices, because so many souls go to hell, as there is nobody who prays and does sacrifices for them. Moreover, the methods of Saint Maximilian for the apostolic prayer are perfectly fit for the difficulties of our times to have a good prayer life.

5/ The most important point, however, consists in the place of the Our Lady, the Immaculata in our life. The MI applies in concrete daily life the claims of Saint Bernard and all the Marian saints, especially the true devotion of Saint Louis Mary Grignion who teaches to do all things through Mary, with Mary, in and for Mary. It puts into the concrete and generous practice the great truths of Her Immaculate Conception and especially of her role as Mediatrix of all graces of conversion and sanctification for all people. It makes understand the knight about the importance of the Immaculata in his personal life, and specially HER request to help her to save from eternal damnation her beloved children who are yet lost in error and sin. Here the Catholics learns every day, what is his role in the world and how important he is in the greatest work a man can do here on earth: to give others “all the best” of eternal happiness. In the same time it teaches him the necessary humility: alone he can do nothing, but he can do everything as instrument of the Immaculata, as her faithful knight.

6/ It is true, all these points can be found also in the Legion of Mary which already was re-established in its fidelity to Tradition in several countries. But the Legion of Mary is built according to the pattern of the Roman Legion, a movement of elite soldiers, what essentially demands very much from its members. On the contrary, the Militia Immaculatae goes to everybody, even to the laziest, and demands almost nothing to become a knight. It is movement of Masses to throw everybody at the footsteps of Our Lady, forcing him to give HER at least one little finger – she would manage it afterwards to take his hand and his full self. The Philippine Legion of Mary discovered in the MI an extraordinary means to engage the many people visited weekly by the legionaries to bind them closer to Our Lady by becoming Her knight.

7/ Even founded for the large Masses, the movement contains all possibilities of our collaboration in the work of salvation: it invites those who want to serve the Immaculata individually (MI 1), but also foresees the common apostolate in groups, circles, associations to reach a better and wider apostolic result (MI 2). And finally it invites the most fervent members to join the spiritual elite tending to total surrender and heroic life consecration to HER (MI 3).

Never such a movement has yet been established in the world, and it carries the universality of its Holy Founder: at the same time totally contemplative and active, respecting each individual effort and gathering Masses, englobing the idea of highest intellectual work (Academies of the Immaculata) and the most practical realizations, the everlasting unchanging catholic faith with 2000 years of Tradition with the most modern skill and inventions of our times.

The General superior agreed with the proposed arguments and allowed the foundation of the MI traditional observance in Poland. On May 6, 2000, the first Saturday of the month of Mary, around 50 Catholic faithful were the first to become Knights of the Immaculata. They received the “dyplomik” (little diploma), a copy of that written and signed by St. Maximilian himself. The fruits of this foundation were immediate: increase of generosity amongst the knights, regular prayer life, and apostolic spirit, expressed specially in an intensive increase of the written apostolate (bulletins, books, brochures, flyers) which made the Catholic Tradition known in Poland. Thanks to the publishing of the very texts of Saint Maximilian Kolbe and his fellow knights before the 2nd World War, many faithful could easily make the immense difference and even contradiction between the novelties within the Church in the spirit of Vatican II and the spirituality and ideals of the first 50 years of the MI.

In 2002 the traditional Capuchin Fathers of Morgon desired to join the MI and to found it in France. In 2004 the first American priests founded the MI in some priories and chapels of the US, followed in 2006, in Switzerland. But all the beginning were somehow the individual engagements of ‘fans’ of Saint Maximilian and the movement generally was unknown in the traditional world (except Poland). Only the last 3 years it seemed that Our Lady herself wanted her little army grow. Without any special advertisement or publicity more and more faithful got interested, thanks to the publication of the brochures and books about the MI and establishment of 3 important websites, in Poland, in Switzerland, and in Asia. Within 3 years, the number of the knights more than doubled from around 5,000 in 2013 to around 13,000 in 2016. Until now the care of the MI in the different countries was left to the initiative of the MI priests who individually by their proper initiative tried “to do something” with the permission of their superiors. In order to unite the different efforts and to constitute the MI as a little army of the Catholic Tradition, the General Superior – the supreme authority of the MI – delegated your servant to be the international coordinator or in the terms of Saint Maximilian ‘the director’ of the MI.

If you meditate a bit longer about the seven points above concerning the importance of the MI in our specific times, you may understand, why it is our dream to present 100,000 knights to the footsteps of Our Lady for Her 100 anniversary of Her apparitions in Fatima. When in 1917 gigantic antichristian armies emerged in the world (Freemasonry in Rome, Communism in Moscow), Our Lady answered with Fatima and the foundation of the MI. In 2017 the antichristian armies celebrate their anniversary as a symbol of triumph that they dominate the whole world, don’t you think, that Our Lady wishes again to answer with her little army, “HER apostles of the latter times” (Saint Grignion de Montfort), her children consecrated to HER Immaculate Heart (Fatima), HER faithful Knights (Saint Maximilian Kolbe)?

Let me therefore finish with on humble request to each one of you: on the 14 August we celebrate the 75 anniversary of the heroic death of Saint Maximilian. Would you please make all possible efforts, to find ONE Catholic and to convince him to join the Militia Immaculatae until that date?!

On the feast of the “MARY THE QUEEN”, the 31 May 2016
With my priestly blessings
Yours thankfully
Fr. Karl Stehlin

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