アヴェ・マリア
愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでしょうか?先日の9月27日の主日には、東京の聖伝のミサ聖祭では33名の愛する兄弟姉妹の皆様がミサ聖祭に与りました。天主様に感謝します!
新しく聖伝のミサ聖祭に与ったかたは二人ほどおられました。
9月は、私についても、主日ごとに別の国にいて、ニュージーランド、フィリピン、韓国、日本と移動しておりましたので、あっという間に時が経ってしまったように思えます。それでも、多くの聖寵をくださる天主様に感謝でいっぱいです。
昨日は、日本の保護者である大天使聖ミカエルの祝日でした。日本のために祈りましょう。新しい首相と政権のために祈りましょう。何故なら、1994年から始まった「就職氷河期」のために多くの青年たちが苦しむようになったのですが、そのようなことが起きないように願うからです。
日本が、また新政権が、天主様が作った家族の制度を尊重しますように。
さて、9月23日にカトリックの東京カテドラルで行われた日本聖公会の記念礼拝の記事が掲載されたブログのことを教えてもらいました。
http://nomoreheresy.blogspot.com/
この礼拝式には、カトリックの司祭も二人参列したそうです。つまり、日本のカトリックはアングリカンの150年のパラレルな活動を公認して、よくやった、と言っているようなものなのです。過去の教皇さまの不可謬の教えは、信じなくてもいいのだ、アングリカンの方々が本当の司祭職から離れてもどうでもいいのだ、というメッセージを送っているようなものです。
問題は、それと同時に、カトリック教会のやっていたことをやり続けようと願うカトリック信徒たちには、カトリックの指導者たちが非難と迫害とをしていることです。ご聖体を大切にしたいというカトリック信徒たち、カトリック教会の聖伝を守りたいという司祭たちには、居る場所を与えないことです。プロテスタントの方々やアングリカンの方々は、おそらく、何をしているのかご存じないでしょう。だから、私たちは、そのような愛するべきアングリカンやプロテスタントの兄弟姉妹たちを非難したくありません。少なくとも私は、彼らの誠実を信じています。
しかし、カトリック教会は真理を知っているのです。だから私たちは真理を信じてカトリックになったのです。それでいて、カトリックの指導者たちは、プロテスタントの方々に150年よくやりましたねぇ、アングリカンの方々にも150年間カトリック教会とパラレルによくやりましたねぇ、と言いつつ、カトリック教会の2000年の聖伝を守ろうとする私たちには、不法ミサだ、許可が無い、廃止された、コスプレだ、破門だ、傲慢だ、一致を乱す、カトリック教会は使わせない、言ってみればのたれ死ねばよい、などのような言い方で非難をしているのです。信徒の方々も、信仰の問題と真理の問題を、見せかけの「従順」と「許可」の問題にすり替えてしかものを見ようとしないことです。
今までは、カトリック教会は、これは私たちの主から伝えられた真理だ、だからこそこの真理をすることが合法だ、誤謬は不法だ、と言いました。しかし、今では、司教さまが許している、だから良いことだ、カトリックの認可済みだ、カトリックの真理だ、となってしまいました。だから、「真理」はコロコロ変わるようになってしまったのです。
主よ、我らを憐れみ給え!
聖母マリアよ、我らのために祈り給え!
大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでしょうか?先日の9月27日の主日には、東京の聖伝のミサ聖祭では33名の愛する兄弟姉妹の皆様がミサ聖祭に与りました。天主様に感謝します!
新しく聖伝のミサ聖祭に与ったかたは二人ほどおられました。
9月は、私についても、主日ごとに別の国にいて、ニュージーランド、フィリピン、韓国、日本と移動しておりましたので、あっという間に時が経ってしまったように思えます。それでも、多くの聖寵をくださる天主様に感謝でいっぱいです。
昨日は、日本の保護者である大天使聖ミカエルの祝日でした。日本のために祈りましょう。新しい首相と政権のために祈りましょう。何故なら、1994年から始まった「就職氷河期」のために多くの青年たちが苦しむようになったのですが、そのようなことが起きないように願うからです。
日本が、また新政権が、天主様が作った家族の制度を尊重しますように。
さて、9月23日にカトリックの東京カテドラルで行われた日本聖公会の記念礼拝の記事が掲載されたブログのことを教えてもらいました。
http://nomoreheresy.blogspot.com/
この礼拝式には、カトリックの司祭も二人参列したそうです。つまり、日本のカトリックはアングリカンの150年のパラレルな活動を公認して、よくやった、と言っているようなものなのです。過去の教皇さまの不可謬の教えは、信じなくてもいいのだ、アングリカンの方々が本当の司祭職から離れてもどうでもいいのだ、というメッセージを送っているようなものです。
問題は、それと同時に、カトリック教会のやっていたことをやり続けようと願うカトリック信徒たちには、カトリックの指導者たちが非難と迫害とをしていることです。ご聖体を大切にしたいというカトリック信徒たち、カトリック教会の聖伝を守りたいという司祭たちには、居る場所を与えないことです。プロテスタントの方々やアングリカンの方々は、おそらく、何をしているのかご存じないでしょう。だから、私たちは、そのような愛するべきアングリカンやプロテスタントの兄弟姉妹たちを非難したくありません。少なくとも私は、彼らの誠実を信じています。
しかし、カトリック教会は真理を知っているのです。だから私たちは真理を信じてカトリックになったのです。それでいて、カトリックの指導者たちは、プロテスタントの方々に150年よくやりましたねぇ、アングリカンの方々にも150年間カトリック教会とパラレルによくやりましたねぇ、と言いつつ、カトリック教会の2000年の聖伝を守ろうとする私たちには、不法ミサだ、許可が無い、廃止された、コスプレだ、破門だ、傲慢だ、一致を乱す、カトリック教会は使わせない、言ってみればのたれ死ねばよい、などのような言い方で非難をしているのです。信徒の方々も、信仰の問題と真理の問題を、見せかけの「従順」と「許可」の問題にすり替えてしかものを見ようとしないことです。
今までは、カトリック教会は、これは私たちの主から伝えられた真理だ、だからこそこの真理をすることが合法だ、誤謬は不法だ、と言いました。しかし、今では、司教さまが許している、だから良いことだ、カトリックの認可済みだ、カトリックの真理だ、となってしまいました。だから、「真理」はコロコロ変わるようになってしまったのです。
主よ、我らを憐れみ給え!
聖母マリアよ、我らのために祈り給え!
大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)